COLUMN

山の正装

中川正子

今週の「weeksdays」のよみものは、
いろいろなジャンルで活躍する3人のかたに
エッセイを寄せていただきました。
イデーのディレクターの大島忠智さん、
雑貨コーディネーターのオモムロニ。さん、
そして写真家の中川正子さん。
テーマは──、「お買い物」です。

なかがわ・まさこ

写真家。自然な表情をとらえたポートレート、
光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。
写真展を定期的に行い、
雑誌、広告 、書籍など多ジャンルで活動中。
2011 年 3 月より岡山に拠点に、国内外を旅する日々。
最新作は135年の伝統を持つ倉敷帆布の日常を収めた
『An Ordinary Day』
ほかに写真集に『新世界』『IMMIGRANTS』
『ダレオド』などがある。
文章執筆の仕事も多数。
2023年に初のエッセイ集を発表予定。

■Instagram

誰もが家からでなくなって
おしゃれの機会が皆無になった春は2年前。
いつもなら明るい色の薄い服をまとって晴々と、
誰かに会いに行っていたのに。
新しい服を買う気にもならず、
くたっとした部屋着ばかり着ていた。

山、登ってみよう。
うちから歩いて5分の低い山に目を止めたのはその頃。
東京から岡山に越して10年近く経つのに、
忙しすぎてそんな気持ちになる暇もなかった。
今、山が呼んでいる気がする。

ある日、適当なジャージを羽織り、
水筒とカメラを持って登ってみた。
標高169mの山はなだらかな坂で、
登山というよりは山歩き。
一歩ごとに樹々が囁くように揺れ、
足下には無数の落ち葉が重なる。
鳥の声が何種類も響く。
人間はわたしひとりだけ。

気づけば瞑想のような状態。
たどり着いた土地は妙に開けていて、
信じられないくらい巨大な岩がある。
衝動的にそこに横たわってみた。
靴を脱いで、裸足で。
じわりと熱い岩が、そのときの不安な気持ちを
吸い取ってくれるような気がした。
視界は青一色で、
鳥たちが激しく交わす会話だけが聞こえる。

それからというもの、
その山に登ることはわたしの大切な日課となった。
朝起きてベランダから山を見る。
顔を洗って日焼け止めを塗り、
ぼさぼさな髪を適当にキャップで押さえてすぐ、でかける。
エクササイズというよりは、
山に会いにいく儀式、と思っていた。
山、というのは木も花も鳥も虫も落ち葉も岩も、
そこにあるもの、すべて。

レギンスを買おう。
ある日突然そう思いついた。
誰に会うわけでもないけど、山のための服がほしい。
登山用の分厚いパンツは必要ない。
なにか、気持ちがあがるすてきなレギンスがいい。
それをシンプルなTシャツと合わせて
山訪問の「正装」にしようと思った。
その頃にはもう、わたしはその山を「聖地」と呼んでいた。
まだまだ不安定な世の中で
揺れ動いてしまいがちなエネルギーを
整えてくれる力がすごすぎて。
聖地を訪ねるには正装がいるでしょう。

服を買うことがだいすきで、
それまでずいぶん消費してきたけれど、
最後に何かを買ってから4ヶ月ほど経っていた。
ひさしぶりの買い物はレギンス。
世の中のありとあらゆるスポーツレギンスを
ネットで検索した。
たくさん消費するループからも
自然と抜け出したい気持ちになっていた。
レギンス、すぐ乾くだろうから一本でいい。
渾身の一本を。

丸一日レギンスリサーチをした結果、
宇宙みたいな模様の一本にした。
私服なら選ばないであろう少しサイケデリックな柄。
届いたそれは、両サイドに巧妙に黒地がいれてあり、
正面から見ると脚がまっすぐ、ほっそり見える。
偉大な山はわたしの脚のラインなど気にもしないだろう。
そのままのわたしをジャッジもせず、
ただ受けとめてくれるだろう。
知ってる。
わたしが上から見下ろしてひとり、気分がいいだけ。

でも、この「気分がいい」の効用を
いやというほどこの時期思い知っていた。
気分がよければすべてがよい方向に進む。
不安な時期のあの頃、
いつも以上に必要としていたのはその作用。
山はわたしの気分をベストにしてくれる
すごい力を持っていた。
そこにクールな銀河柄の脚で分け入る。
岩に登る。靴を脱いで大の字で寝そべる。
空を見上げて、自分のサイズを確認する。
控えめに言って、最高だった。

時は流れ、また、山以外の場所も
多く行き来するようになった。
でも今でも定期的に山に入る。
宇宙のレギンスに両脚をいれて、
過剰な何かを持ちすぎていないか
いつも、確認しにいく。

2023-01-11-WED