着ること、住むこと、飾ること、食べること。
暮らしをちょっとだけたのしくする
アイテムやストーリーを紹介してきた「weeksdays」。
2019年さいしょのコンテンツは、対談です。
「矢野顕子さんの暮らしが知りたい」という一心で、
ニューヨークまで、でかけてきました。
夏に東京で矢野さんにお目にかかったときの、
「まさこさんのごはんが食べたいな」
「よろこんでつくります!」という約束をはたすべく、
食材をたっぷり準備して、矢野さんのアパートへ行きました。
おいしいごはんのこと、音楽のこと、
ニューヨークのこと、東京のこと、猫のこと‥‥、
話はたっぷり、7回の連載でお届けします。
それでは、矢野さん、おじゃましまーす!
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2018/12/pfof_yanoakiko_.jpg)
矢野顕子
ミュージシャン
1955年東京都生まれ。
青森市で過ごした幼少時よりピアノを始め、
青山学院高等部在学中よりジャズクラブ等で演奏、
1972年頃よりティン・パン・アレー系の
セッションメンバーとして活動を始める。
1976年、リトル・フィートのメンバーと共に
LAにてレコーディングしたアルバム
『JAPANESE GIRL』でソロデビュー。
以来、YMOとの共演や様々なセッション、
レコーディングに参加するなど、活動は多岐に渡る。
1990年、米国ニューヨーク州へ移住。
のちに音楽制作の拠点をマンハッタンに移し、
トーマス・ドルビー、パット・メセニー、
チーフタンズなど、
世界的なアーティストとの共同制作を行う。
日本では現在までに30枚のオリジナルアルバムを発表。
映像作品に、弾き語りアルバムの
レコーディングの様子を記録した
ドキュメンタリー映画『SUPER FOLK SONG
~ピアノが愛した女。』など。
1996年より年末の「さとがえるコンサート」をスタート、
2003年からはブルーノート東京で
米国在住アーティストとスペシャルユニットを組んでの
ライブを行っている。
2018年11月に最新アルバム
『ふたりぼっちで行こう』を発表。
その3BGMのこと。ちょっと昔のこと。
- 伊藤
- 矢野さん、そう言えば、
お家にいらっしゃる時は
音楽をかけておられないんですね。
- 矢野
- バックグラウンドミュージック? ないんです。
音楽がかかると、ちゃんと聴いちゃうから。
レストランとかでも、食事よりも、
流れている音楽が気になることがあるんです。
ちょうどね、この前、
ニューヨークタイムズに出ていて
知ったんですけど、
坂本龍一が、好きな日本料理屋さんで
かかってる音楽が残念だと言って、
彼が選曲をすることになったんですって。
私、すごく、それってある、と思うんです。
味が好きなのに、
かかってる音楽が苦手だ、みたいなこと。
- 伊藤
- そのお店も、坂本さんがいらっしゃる、
みたいなことで、
BGMを考えたりはしなかったんですね。
- 矢野
- 音楽家がBGMを
そこまで聞いているんだっていうことを、
ふつうのかたは知らないでしょうね。
BGMってことになるとね、
私が今行ってるジムが好きなのは、
プールがあるからっていうのがいちばんなんだけど、
ロッカールームで、いつもジャズがかかってるの。
トレーニングルームはもうイケイケな曲が
かかっているんですけど、
ロッカールームだけはジャズ。
それがすごく好きなのね。
たまーに、スタッフが自分用に
チャンネルを変えて激しいのをかけたりすると、
すぐ抗議しちゃう。
- 一同
- (笑)
- 矢野
- やっぱりどんな音楽が
流れてくるかっていうのは、すごく重要。
- 伊藤
- 逆にどういうのが、ダメなんでしょう?
街の音、車の音とかは気になりますか?
- 矢野
- いわゆる生活音は平気です。
音楽も、ダメな時は遮断するようにしていますし。
あるいは、あえて聴いて、
「ああそうか、低音はこの程度出せばいいんだな」
「このテンポならば、やっぱり人は
頑張ろうって気になるんだな」
と、制作者の立場で聞く。
そうすれば、そんなに損はないですね。
そうそう、こちらでは、歌ものなんかがかかると、
歌っちゃうのね、みんな。ジムなんかで。
- 伊藤
- 歌っちゃうんだ!
- 矢野
- そう。おそらく、専門家は、
ジムでどういう音楽をかければ、
どのくらい運動に集中して頑張れるか、
考えることができると思うんですよね。
- 伊藤
- その音楽家ならではの観点が、とても不思議です。
私は楽器も弾けないし、
歌も苦手だからかもしれませんが、
矢野さんを見ていると、
何かこうピアノと身体が
繋がってるように見えるんですよ。
ピアノが身体の一部、みたいな。
「風邪をひいてしまって」という日の
ライブでもすごいな、と感じましたもの。
- 矢野
- とんでもないですよ。
- ──
- 矢野さんの1992年のドキュメンタリー
『ピアノが愛した女』を見て、
完璧に演奏をし、歌うことって、
矢野さんでも簡単なことじゃないんだって、
ちょっと思いました。
ピアノと歌だけのアルバムを録音するんですが、
そのフィルムでは、
ミスをするシーンをあえて写しているんです。
矢野さんは、完璧にできるまで、続ける。
「ピアノと身体が繋がってるように見える」、
その背景に、ああいう時間があるんだなって思いました。
- 矢野
- あれは、やっぱりね、若かったんだなと思います。
当時は「できるまで、やること」が、できたんですね。
今は、できない‥‥というよりも、
できるまでやることに、あんまり価値を感じていない。
途中で「まあいいか、明日やろう!」みたいな。
1回休んでからやったほうがいいかも、って思うんです。
- 伊藤
- 「今」というのは、ここ数年ですか?
- 矢野
- たぶんここ10年ぐらいかな。
- 伊藤
- ありきたりになっちゃうんですけど、
それは、肩の力が抜けてきたってことですか。
- 矢野
- そうだと思います。
それとね、疲れちゃうなあ、みたいな。
- 伊藤
- ところで、矢野さんは
糸井さんと長いおつきあいですよね。
糸井さんって、昔はどういう感じだったんですか?
糸井さんも矢野さんと同じように、
肩の力が抜けてきたのかな? って、
ちょっと思ったんです。
- 矢野
- 「昔」って、どのくらい昔(笑)?
- 伊藤
- どれぐらいなんだろう。
『春咲小紅』をいっしょにつくられたのは
80年代の頭ですよね、
- 矢野
- そう、80年代前半はやっぱり彼も若かったし、
大きな仕事をいっぱいしていたし、
「俺が!」っていう前に出て行くところは、
あったかも。
- 伊藤
- そうですよね、逆にそれがなかったら、
できないこともたくさんあったと思うんです。
- 矢野
- ないわけ、ないですよね。
私が生意気だったのと同じように、
やっぱり彼だって生意気だったんだと思う。
でもお互いそれが嫌じゃなかった。
だから表面に現れた部分ではない部分で、
「こいつとはウマが合うな」
っていうのがあるんじゃないかな。
- 伊藤
- お二人を見ていると、
何か、戦友感があるんですよね。
その時代のことはもちろん作品でしか
私は知らないですけど、
矢野さんのことは、糸井さん、
よく嬉しそうに語られてるんです。
「アッコちゃんはさ!」みたいにね。
- 矢野
- でもさ、最近、
ブイコが来た時の写真が送られてきた時、
「これ‥‥ただの好々爺じゃん!」って思ったよ。
- 一同
- (笑)
- 矢野
- それを、イトイの娘にメールしたら、
「その通り!」って。
- 伊藤
- メロメロ、ね。
- 矢野
- これでほんとうにおじいちゃんになったら、
どうなることやら。
(註:この取材のときは、まだ糸井重里に
孫は生まれておりませんでした。)
- 伊藤
- そうか、じゃ糸井さんは
初めて「おじいちゃん」の立場になるんだ。
- 矢野
- そうよ。(ほおばりながら)美味しい。幸せ。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/01/NY-DSCF0261.jpg)
- 伊藤
- 良かったです。考えてみたら、
簡単なものばっかりでした。
- 矢野
- こういうのがいいんですよ。