着ること、住むこと、飾ること、食べること。
暮らしをちょっとだけたのしくする
アイテムやストーリーを紹介してきた「weeksdays」。
2019年さいしょのコンテンツは、対談です。
「矢野顕子さんの暮らしが知りたい」という一心で、
ニューヨークまで、でかけてきました。
夏に東京で矢野さんにお目にかかったときの、
「まさこさんのごはんが食べたいな」
「よろこんでつくります!」という約束をはたすべく、
食材をたっぷり準備して、矢野さんのアパートへ行きました。
おいしいごはんのこと、音楽のこと、
ニューヨークのこと、東京のこと、猫のこと‥‥、
話はたっぷり、7回の連載でお届けします。
それでは、矢野さん、おじゃましまーす!
矢野顕子
ミュージシャン
1955年東京都生まれ。
青森市で過ごした幼少時よりピアノを始め、
青山学院高等部在学中よりジャズクラブ等で演奏、
1972年頃よりティン・パン・アレー系の
セッションメンバーとして活動を始める。
1976年、リトル・フィートのメンバーと共に
LAにてレコーディングしたアルバム
『JAPANESE GIRL』でソロデビュー。
以来、YMOとの共演や様々なセッション、
レコーディングに参加するなど、活動は多岐に渡る。
1990年、米国ニューヨーク州へ移住。
のちに音楽制作の拠点をマンハッタンに移し、
トーマス・ドルビー、パット・メセニー、
チーフタンズなど、
世界的なアーティストとの共同制作を行う。
日本では現在までに30枚のオリジナルアルバムを発表。
映像作品に、弾き語りアルバムの
レコーディングの様子を記録した
ドキュメンタリー映画『SUPER FOLK SONG
~ピアノが愛した女。』など。
1996年より年末の「さとがえるコンサート」をスタート、
2003年からはブルーノート東京で
米国在住アーティストとスペシャルユニットを組んでの
ライブを行っている。
2018年11月に最新アルバム
『ふたりぼっちで行こう』を発表。
その3BGMのこと。ちょっと昔のこと。
- 伊藤
- 矢野さん、そう言えば、
お家にいらっしゃる時は
音楽をかけておられないんですね。
- 矢野
- バックグラウンドミュージック? ないんです。
音楽がかかると、ちゃんと聴いちゃうから。
レストランとかでも、食事よりも、
流れている音楽が気になることがあるんです。
ちょうどね、この前、
ニューヨークタイムズに出ていて
知ったんですけど、
坂本龍一が、好きな日本料理屋さんで
かかってる音楽が残念だと言って、
彼が選曲をすることになったんですって。
私、すごく、それってある、と思うんです。
味が好きなのに、
かかってる音楽が苦手だ、みたいなこと。
- 伊藤
- そのお店も、坂本さんがいらっしゃる、
みたいなことで、
BGMを考えたりはしなかったんですね。
- 矢野
- 音楽家がBGMを
そこまで聞いているんだっていうことを、
ふつうのかたは知らないでしょうね。
BGMってことになるとね、
私が今行ってるジムが好きなのは、
プールがあるからっていうのがいちばんなんだけど、
ロッカールームで、いつもジャズがかかってるの。
トレーニングルームはもうイケイケな曲が
かかっているんですけど、
ロッカールームだけはジャズ。
それがすごく好きなのね。
たまーに、スタッフが自分用に
チャンネルを変えて激しいのをかけたりすると、
すぐ抗議しちゃう。
- 一同
- (笑)
- 矢野
- やっぱりどんな音楽が
流れてくるかっていうのは、すごく重要。
- 伊藤
- 逆にどういうのが、ダメなんでしょう?
街の音、車の音とかは気になりますか?
- 矢野
- いわゆる生活音は平気です。
音楽も、ダメな時は遮断するようにしていますし。
あるいは、あえて聴いて、
「ああそうか、低音はこの程度出せばいいんだな」
「このテンポならば、やっぱり人は
頑張ろうって気になるんだな」
と、制作者の立場で聞く。
そうすれば、そんなに損はないですね。
そうそう、こちらでは、歌ものなんかがかかると、
歌っちゃうのね、みんな。ジムなんかで。
- 伊藤
- 歌っちゃうんだ!
- 矢野
- そう。おそらく、専門家は、
ジムでどういう音楽をかければ、
どのくらい運動に集中して頑張れるか、
考えることができると思うんですよね。
- 伊藤
- その音楽家ならではの観点が、とても不思議です。
私は楽器も弾けないし、
歌も苦手だからかもしれませんが、
矢野さんを見ていると、
何かこうピアノと身体が
繋がってるように見えるんですよ。
ピアノが身体の一部、みたいな。
「風邪をひいてしまって」という日の
ライブでもすごいな、と感じましたもの。
- 矢野
- とんでもないですよ。
- ──
- 矢野さんの1992年のドキュメンタリー
『ピアノが愛した女』を見て、
完璧に演奏をし、歌うことって、
矢野さんでも簡単なことじゃないんだって、
ちょっと思いました。
ピアノと歌だけのアルバムを録音するんですが、
そのフィルムでは、
ミスをするシーンをあえて写しているんです。
矢野さんは、完璧にできるまで、続ける。
「ピアノと身体が繋がってるように見える」、
その背景に、ああいう時間があるんだなって思いました。
- 矢野
- あれは、やっぱりね、若かったんだなと思います。
当時は「できるまで、やること」が、できたんですね。
今は、できない‥‥というよりも、
できるまでやることに、あんまり価値を感じていない。
途中で「まあいいか、明日やろう!」みたいな。
1回休んでからやったほうがいいかも、って思うんです。
- 伊藤
- 「今」というのは、ここ数年ですか?
- 矢野
- たぶんここ10年ぐらいかな。
- 伊藤
- ありきたりになっちゃうんですけど、
それは、肩の力が抜けてきたってことですか。
- 矢野
- そうだと思います。
それとね、疲れちゃうなあ、みたいな。
- 伊藤
- ところで、矢野さんは
糸井さんと長いおつきあいですよね。
糸井さんって、昔はどういう感じだったんですか?
糸井さんも矢野さんと同じように、
肩の力が抜けてきたのかな? って、
ちょっと思ったんです。
- 矢野
- 「昔」って、どのくらい昔(笑)?
- 伊藤
- どれぐらいなんだろう。
『春咲小紅』をいっしょにつくられたのは
80年代の頭ですよね、
- 矢野
- そう、80年代前半はやっぱり彼も若かったし、
大きな仕事をいっぱいしていたし、
「俺が!」っていう前に出て行くところは、
あったかも。
- 伊藤
- そうですよね、逆にそれがなかったら、
できないこともたくさんあったと思うんです。
- 矢野
- ないわけ、ないですよね。
私が生意気だったのと同じように、
やっぱり彼だって生意気だったんだと思う。
でもお互いそれが嫌じゃなかった。
だから表面に現れた部分ではない部分で、
「こいつとはウマが合うな」
っていうのがあるんじゃないかな。
- 伊藤
- お二人を見ていると、
何か、戦友感があるんですよね。
その時代のことはもちろん作品でしか
私は知らないですけど、
矢野さんのことは、糸井さん、
よく嬉しそうに語られてるんです。
「アッコちゃんはさ!」みたいにね。
- 矢野
- でもさ、最近、
ブイコが来た時の写真が送られてきた時、
「これ‥‥ただの好々爺じゃん!」って思ったよ。
- 一同
- (笑)
- 矢野
- それを、イトイの娘にメールしたら、
「その通り!」って。
- 伊藤
- メロメロ、ね。
- 矢野
- これでほんとうにおじいちゃんになったら、
どうなることやら。
(註:この取材のときは、まだ糸井重里に
孫は生まれておりませんでした。)
- 伊藤
- そうか、じゃ糸井さんは
初めて「おじいちゃん」の立場になるんだ。
- 矢野
- そうよ。(ほおばりながら)美味しい。幸せ。
- 伊藤
- 良かったです。考えてみたら、
簡単なものばっかりでした。
- 矢野
- こういうのがいいんですよ。