「weeksdays」が考えた箸置きは、
まさしく、ちいさな石。
‥‥のような、陶器です。
これをつくってくださったのは、
岡山の瀬戸内に窯をもつ、陶芸家の伊藤環(かん)さん。
まさこさんが自宅に、拾って集めた小石を飾ったり、
箸置きにしたりしているのをヒントに、
環さんが試行錯誤をくりかえし、
粘土で「石のような」陶器をつくりました。
「わたしのおはし」に合う実用品としてスタートした
このプロジェクトですが、製作がすすむにつれ、
「アートと実用品のあいだ」、そのどちらでもある、
ふしぎな魅力をもつ作品ができあがりました。
完成までのあれこれを、岡山と東京をつないでの
オンラインで話しました。
全3回でおとどけします。
伊藤環
陶芸家。古いもの、美しいものなど
自身の感性に触れたものをヒントに、
独自のデザインと釉薬、ろくろと焼成技術により器を製作。
1971年、福岡県朝倉市生まれ。
大阪芸術大学陶芸コース卒業後、
23歳京都の「門工房」でろくろ三昧の1年を過ごす
24歳に信楽「陶芸の森」で
人体をモチーフにしたオブジェや箱型のオブジェを制作、
中里隆氏との出会いをきっかけに、実家に戻り、器に転向、
父・橘日東士さんの元で食器を中心にした制作をはじめる。
2006年、三浦半島の三崎に独立開窯。
2007年、Birne(埼玉)にて独立初個展、
2012年に岡山に移住。
2013年にプロダクト「1+0(イチタスゼロ)」を立上げ
プロダクトデザイナーとして器、衣類、家具など
身の回りのものを取り扱う。
2015年、pop-up restaurant
「NOMA Tokyo」の器製作、
Lost & Found上海にて海外初個展。
2016年、MANSUR GAVRIEL NYコレクションの
ディスプレイに器400点を提供。
2017年、Analogue Life Pop-up exhibition
in New Yorkに出品、同年、台湾・小慢にて個展。
2020年、莨室 北京にて個展。
他、展示会を多数開催。
03器にとっての色気とは
- まさこ
- 作風が変化した頃のこと、
環さんの奥様の香緒里さんにも訊いてみたいです。
いまいらっしゃいますよね、おとなりに。
- 香緒里
- いますよ~! まさこさん、こんにちは。
- まさこ
- 香緒里さん、こんにちは!
その頃の環さんのこと、
どう思って見ていらしたのか教えていただけますか。
「何を言ってるんだ、この人は」みたいな?
それとも「こういうのをつくる
気持ちになるのはわかる」みたいな、
自然な流れだったんでしょうか。
- 香緒里
- 自然‥‥、そこまでは、すごい薄づくりの、
冷たい感じって言うか、まあ都会的な感じの
ものだったんですけど、
それが馴染まないように思ったんでしょうね。
- まさこ
- それは、年齢も関係していたっていうことでしょうか。
- 香緒里
- 年齢と、住んだ所‥‥、
子どもが生まれたときにいた三崎って、
とってもオープンな所だったんです。
そこで子どもが生まれたことがちょうど合わさって、
‥‥そうですね、自然、でしたね。
私は、そんな、驚くとかは、なかったです。
- 環
- わかりやすく言うと、
(器の)口がポテッと分厚くなったんですよ。
今まで薄かったのに。
で、あまりに作風が変わったものだから、
急に売れなくなったんですよ(笑)。
- まさこ
- ええ? そうなんだ。
- 環
- そうなんです(笑)。
お客さまが僕をイメージしていたのと違うから、
「伊藤環はこうじゃない」みたいな(笑)。
- まさこ
- でも、売れるものをつくりたいわけじゃなくて、
つくりたいものがつくりたいっていうこと‥‥?
- 環
- んー、そのバランスは大事だとは思うんです。
- まさこ
- もちろん、そうでしょうね。
- 環
- 売れるために、
無理してつくる必要はないと思っています。
できるだけ気持ちに沿ったものをつくろうと思いつつ、
ちょっとは人の顔色も伺います(笑)。
- まさこ
- そうなんですね(笑)。
- 環
- それで、震災後に岡山に移ってきたんですが、
太平洋だった三崎から、
今度は瀬戸内海を感じながら過ごすんですよ。
海の質がそのまま風土に影響してるんですよね。
ちょうど僕、40になった頃で、
たぶんアドレナリンの量が少しずつ減少していき。
- まさこ
- ええーっ?
- 環
- 厄年を迎えて、闘うことに疲れ始め。
- まさこ
- ええっ、ハハハハハ(笑)。
おもしろーい。疲れ始めたんだ!
- 環
- 岡山でろくろをやってると、
目の前に細い川があって土手があるんですけど、
土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く景色があるんですよ。
- まさこ
- 「土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く」って、
ふるい映画のなかの風景みたいです。
それが、今もあるんですね。
- 環
- 本当にあります。
おばあちゃんが昼間、
日向ぼっこがてら乳母車を押してる。
- まさこ
- そもそも「乳母車」がなくなっていますもの。
- 環
- そうなんです。もうかなり年季の入った
乳母車を押してる。
で、そのおばあちゃんを見てたら、
闘う気力を失うというか、吸い取られていく。
バカバカしくなる。
- まさこ
- そうなんだ。
- 環
- マイペースで、ちゃんと生きていけばいいんだって、
いろいろ考えてね。
- まさこ
- 環さんの歴史を一回振り返っていいですか。
そのエッジをきかせた作品づくりをしてたとき、
そこの工房に中里隆さん(*)がいらして、
その中里さんの器を見て、
すごく影響を受けたって聞いた覚えがあるんですけど。
(*)中里隆(なかさとたかし) 陶工。佐賀の唐津に工房「隆太窯」をひらく。
世界各地で窯を築き、作陶を続けている。中里太亀さん、中里花子さんの父。
- 環
- 20代の頃、福岡時代ですね。
その頃はオブジェ的なものをつくってたんだけど、
中里隆さんには、
僕が器をつくるきっかけをいただきました。
僕、1990年に大阪芸大に進学するんですけど、
当時、バブル崩壊後ながらまだ景気がよくて、
焼き物業界の主流っていうか、花形は
オブジェの世界だったんですよ。
そういうものに大学に入って初めて触れて、
もう焼き物はオブジェつくらないと作家じゃないとか、
僕、勘違いして始まるんです。
だから、大学を卒業しても、
オブジェをやらないと作家じゃないっていう使命感に
ずーっと縛られていました。
で、大学を卒業して、実家に帰りたくないんで、
修業だとか言ってブラブラしてるときに、
「陶芸の森」っていう、信楽にある焼き物の施設に
中里隆さんが招待作家としていらしてて、
僕もたまたまそこに居合わせたんですよ。
で、そのときの中里隆先生の、
──もう先生と呼んでましたけど──、
先生のろくろをする姿を初めて見て、
ろくろをする人がカッコいいっていうのを、
初めて思ったんです。
僕の父親も陶芸家ですけど、思わなかったのに(笑)、
中里先生を見て「惚れた」んですよ。
めちゃくちゃカッコよかったです。蹴(け)ろくろ。
- まさこ
- お父さまと何が違ったんでしょうね。
- 環
- 物心ついたときから、
蹴ろくろ、僕は見てたんだけど、
別の雰囲気があったんでしょうね。
具体的にわからないんですが。
- まさこ
- そうなんですね。
- 環
- で、ある日、先生が信楽で酒を飲んで帰ってきたんです。
なのにその日のうちに絶対にやらないといけない
仕事があったものだから、千鳥足でろくろに座って、
酔っ払って足もフラフラしてるから、
蹴ろくろがうまく動かないくらいなのに、
絶対に手元は狂わないんです。
そこに、なにか、色気というか、
やられちゃいました、
「あ、器って、カッコいいなあ」と。
そして出来上がったものはとても色気のある器で、
その色気にやられちゃったんですね。
色気というものを初めてハッキリと意識した。
で、それから自分のろくろの手さばきはやめて、
中里隆先生の模倣から入っていくんです。
それでオブジェを捨てることができた。
- まさこ
- それで、環さんは自分も色気のあるものがつくりたいと。
- 環
- 実際のところ、自分じゃわからないです、
つくったものに色気があるとかないとかは。
- まさこ
- ああ、そうかもしれませんね。
- 環
- それはわかんないけど、
もしつくれるならば、理想としては、
そういったものができるといいなあと思います。
で、その後、いろいろ諦めて、
実家に帰りました。そこからはもうろくろ三昧です。
- まさこ
- じゃあ、その後、結婚して三崎に行って、
今は岡山に移ったということですね。
家を出るときお父さまはどんなふうに?
- 環
- 僕が出て行くって言ったときは、
母親は「あんたは出てって
自分の好きなようにやった方がいい」って言ったんですが、
父親は便利な弟子がいなくなって
急に自分で全部やらないといけなくなるからと、
ものすごく怒ってました。
だから喧嘩して飛び出したような形ですよ。
- まさこ
- その後、お父さまとは?
- 環
- まさこさんが、食器棚の取材で、
雑誌で僕らの暮らしを
取り上げてくださったじゃないですか。
それを父親に送ったんですよ。
「出たよ」って言ってね。
直接の感想はなかったけれど、
僕の友達が実家に遊びに行ったとき、
父親が雑誌を取り出して
自慢してたって言ってました。
- まさこ
- よかった!
- 環
- こんなふうになっていることを、
ちょっとくらいは喜んでたんじゃないでしょうか(笑)。
一言も言わないまんま逝っちゃいましたけど。
- まさこ
- そうかあ。それは、だって、うれしいですよ、
息子が自分と同じ職業を選び、
人気作家となったって。
- 環
- 人気作家(笑)! そんな。
- まさこ
- 絶対、絶対うれしいと思う。
- 環
- どうやら「食えてるらしい」っていうことで
ホッとしたみたいです。
- まさこ
- お父さまも、それでやっと
自分の所を離れたっていう気に
なられたのかもしれませんね。
- 環
- そうかもしれませんね。
まあ、安心はしたかな。
- まさこ
- 環さんは「ほぼ日」に初登場になるので、
どんな人がつくってるかっていうのは、
とっても大事だと思い、
半生記をお聞きしました。
すごく面白かったです。
- 環
- どの辺りがおもしろかったです(笑)?
- まさこ
- わたしは、都会で人工物に囲まれて、っていうお話。
先日、別の仕事で昭和のおもちゃを集めたんです。
それを並べて撮影をしているとき気づいたんだけれど、
昭和のおもちゃって、丸みがあるんですよね。
ちょっとなんかホッとする手触りがある。
素材も紙や木が中心。
そのうちセルロイド、樹脂、プラスチックが
出てくるわけですが、
今のおもちゃってもっと、なんていうのかな、
自然に還らない感じがしますよね。
かつては自分だってそれで遊んでたんですよ。
そしていまふたたびホッとするものに
自分がちょっとだけ向かってる。
なぜなのか、わからないんですけれど。
- 環
- 年齢も大きいでしょうけど、
いろいろ疲れている、ということも
あるかもしれませんよ。
- まさこ
- でも、環さんが作風をがらりと変えたようなことは、
わたしにはないと思うんです。
スタイリングの作風はまったく変わっていないし、
これからも変わらなそうな気がします。
- 環
- まさこさんの形が出来上がったんでしょうね、きっとね。
ある程度出来上がってきたら
変える必要もないと思うので、
- まさこ
- 出来上がったのは30年くらい前からなのかな‥‥、
でも、仕事を始めて30年くらい経ってるって、
恐ろしいなあ!(笑)
- 環
- やっぱりまさこさん、好きなもの
はっきりされてるじゃないですか。
- まさこ
- そうですね。
- 環
- ブレない。
人の言うことは聞かないわけでしょう?
- まさこ
- そんなことないですよ!
聞きますよ、聞いてますって(笑)。
‥‥あ、でも、「えっ」って思った違和感に関しては、
「やっぱりそれちょっと」って。
- 環
- そう。僕のまさこさんの印象は、
はっきり意見を言われるということです。
- まさこ
- あ、そうなんだ。
- 環
- 決断が早いし、
人のいいと思った方向の流れを壊さない。
今回の箸置きなんかまさにそうでした。、
チームの皆さんの知らないところで
ふたりでどんどん決めちゃいましたが。
- まさこ
- ふふふ(笑)。環さん、ありがとうございました。
販売されたあと、どんな反応をいただくか、
わたしもたのしみです。
- 環
- ありがとうございました!