COLUMN

人が住む最北の地の現在

石川直樹

「冬の白」をテーマに、
3人のクリエイターのみなさんに
書いていただいたエッセイ。
さいごは、写真家の石川直樹さんです。

いしかわ・なおき

1977年東京都渋谷区生まれ。
東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。
人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、
辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、
作品を発表し続けている。
2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)
『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。
2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。
2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)
『まれびと』(小学館)により
日本写真協会賞作家賞を受賞した。
著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した
『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。
最新刊に『Kangchenjunga』(POST-FAKE)、
『Manaslu 2022 edition』(SLANT)など。

人が暮らす世界最北の街、
スヴァルバール諸島に、
冬と夏の二回、訪れたことがある。
空港がある街はロングイヤービーエンという
比較的洗練された街なのだが、
ぼくがいつも思い出すのは、
バレンツブルグという炭鉱の街である。

バレンツブルグの周囲には道路がなく、
冬はヘリコプターかスノーモービル、
夏は船でしか行くことができない、
文字通り“陸の孤島”になっている。
この街は、入口に石炭工場があって、
ぼくが訪ねた冬も夏もどちらも、
工場の煙突から黒煙が高々と上がっており、
いつもその煙を遠くから見ながら
「ああ、こんなところに人が住んでいるんだな‥‥」
と思いながら、街に近づいていった。
こうした工場や炭鉱を運営しているのは
ロシアの国営企業で、
スヴァルバール諸島自体はノルウェーに属しているのに、
この島だけはミニ・ロシアのようになっていて、
住民もロシア語を話す。

2017年、この街に立ち寄った際、
公民館のような場所で故郷の服をまとった
6人の女性たちに踊りを見せてもらった。
おそらく異国から訪ねてきたぼくたちに
歓迎の意味合いで披露してくれたのだと思うのだが、
人影の少ない荒涼とした街の印象とはおよそ異なる、
赤いフレアラインのワンピースに、
作り笑顔を浮かべていかにも陽気に踊る女性たちは、
バレンツブルグ全体に漂う一抹の寂しさを
さらに強調しているようにも感じられた。

ショーの後、写真を撮らせてもらいながら
彼女たちに話を聞くと、
そのほとんどがウクライナからきた
炭鉱労働者の妻たちであることを知った。
このバレンツブルグは、
ロシアとウクライナの炭鉱労働者が
何十年も肩を並べて働いてきた街で、
鉱山はもちろん、小さな店やレストランに至るまで、
ロシアの国営企業の傘下にあったのだ。

1980年代のピーク時には
1500人ほどの人が暮らしていたらしいが、
ソビエト連邦の崩壊とともに人口は減少の一途をたどり、
現在の人口はわずか370人ほどで、
その3分の2がウクライナ人である、という。

ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって
ぼくが真っ先に思い出したのは、
バレンツブルグに暮らすあのウクライナ人のことだった。
戦争がはじまって以来、
スヴァルバール諸島の公式観光サイトから、
バレンツブルグへの観光情報の一切が削除され、
ロングイヤービーエンの旅行会社のほとんどは、
バレンツブルグへの観光客誘致を中止してしまった。
さらに、西側諸国のロシア系の銀行への制裁によって、
スヴァルバールに暮らすロシア人や
ウクライナ人の炭鉱夫たちは
家族に送金することもできなくなり、
島を離れる人が相次いでいる、
というニュースもつい最近目にしたばかりだ。

北極点から1000キロほどの距離ある、
あの辺境の街にも戦争の影響が及んでいる。
いや、そういう遠く離れた小さな街にこそ、
強大な波が到達するのかもしれない。
寒空に舞う工場の煙と女性の笑顔を思い出しながら、
今も侵攻に晒されている人々のことを考える。
ぼくは、徹頭徹尾、戦争には反対だ。

2023-02-01-WED