COLUMN

あのレコードを聞きながら

信濃八太郎

心地よい眠りを考える
今週の「weeksdays」。
よみものの連載は、5人のみなさんに
「眠り」をテーマに書いていただいた
エッセイをお届けします。
初日は、イラストレーターの信濃八太郎さん。
「れりぴい」とは、いったい‥‥?!

しなの・はったろう

1974年生まれ。
日本大学芸術学部演劇学科舞台装置コース卒業。
在学中より安西水丸氏に学ぶ。
ギャラリー勤務を経てイラストレーターに。
現在、全国のミニシアターを訪ねたエッセイを
「単館映画館、あちらこちら」としてnoteにて連載中。
またWOWOWでは「W座からの招待状」
ナビゲーターを小山薫堂氏とともに務めている。

初めて音楽を聴いて泣いた日のことを憶えている。
小学4年生の3月、
卒業式の前に行われたお別れ会の時だった。
式が終わって退場する6年生を見送る間、
体育館に響く拍手のうしろで流れる歌声に、
今まで感じたことのない気持ちが胸に溢れ涙が出てきた。

その日、家に帰って父に尋ねてみた。
「お父さん、レリピーレリピーって歌知ってる?」
すでに一杯機嫌だった父は
「会社に音楽好きな川原くんて若いのがいるから、
明日聞いてみるよ」と返し
「れりぴい、れりぴい‥‥ と」
とつぶやきながらメモした。
そう、探していた曲はビートルズの『Let it be』だった。

後日、川原くんは
「よかったら息子さんにどうぞ、
これからはCDの時代なんで」
といらなくなったビートルズのレコードを
全部譲ってくれた。
毎日寝る前、電気を消して聴くうちに、
4人それぞれの歌声がわかるようになり、
ひとり悦に入って眠りについた。

そんなことすっかり忘れていたのだけれど、
我が家のふたりの子どもたちが育つにつれ、
同じ環境で音楽に触れさせたいと思うようになり、
実家から30×30cmのビートルズたちを持ち帰った。
まだ幼かった子どもたちは父の言うことに従って、
(なるべく)針をそっと置いたり、
(なるべく)盤面に触らぬよう裏に返したり、
遊びの延長で楽しんで接してくれた。

ある朝、マンションの粗大ゴミ置場に
大きな立方体の木の箱が二つ捨てられていた。
前を歩いていた息子が見つけるなり寄っていき、
ぺしぺしと叩きだす。
2歳の彼と同じくらいの大きさだ。
両手で掴んでみたら意外に軽い。
こちらに向けると一組の古いスピーカーだった。
2つともユニットが剥き出しになっている。
高音、中音、低音、左右対称になった
8つの目玉が愛らしい。
まだ使えるのかしら。
この古そうなスピーカーで、
同じく古いレコードを響かせてみたいと思い、
ごみ処理シールに書かれた部屋番号を訪ねて
譲ってもらえないか聞いてみた。
出てきたおじいさんは
「まだ使えるよ。使ってくれるなら嬉しいよ」
と快諾してくれた。

「もう50年も前になるかな、
若い頃は音楽に凝ってて、大枚叩いて買ったんだ。
ジャズからクラシックまでなんでも聴いたんだけどね。
でも齢をとって耳が遠くなっちゃって。
この耳で音楽なんか楽しんだら、
ご近所迷惑になっちゃうだろう。
だから今はもう全然」
と耳たぶを引っ張るおじいさん。

部屋に運び、さっそく配線して、
まずはやはりビートルズをかけてみた。
それまでは自作の小さなスピーカーで
聴いていたこともあり、音の迫力にびっくりした。
息子は慌てて両手で耳を塞いでいる。
体全体に響いて、
まるで目の前で演奏してくれているみたいだ。
どの家具よりも存在感のあるスピーカーのおかげで、
暮らしの中心に音楽が立ち現れた。

その日からも随分と月日が経ってしまった。
子どもたちが面白がって
レコードを変えてくれることはなくなったけれど、
今だに寝入り端には、
今日はどのレコードを子守唄にするかと選ぶ時間が楽しい。
しかしぼくも齢をとったのか、
妻にはそっと音量を下げられている。

2023-02-11-SAT