「パーカーを着るのは10年ぶり」
という伊藤まさこさん。
以前は大好きだったのに、
いつの間にか着なくなっていたのだそうです。
それが「これなら!」というパーカーに出会いました。
軽くてやわらかくって、合わせやすく、
パールのネックレスにだってぴったりというパーカーです。
つくっているのは Le pivot(ル・ピボット)。
小林一美さんと金井美幸さんのふたりがきりもりする、
東京・表参道にショップを構える
ちいさなアパレルブランドです。
Le pivot の服がほかとちょっと違うのは、
どんな秘密があるんでしょう? 
小林さんと金井さんに、お話をうかがいました。

小林一美さんのプロフィール

小林一美 こばやし・かずみ

Le pivot デザイナー。
企画・物作りに関することすべて、
発信することやイメージに関連することを担当。
バイヤー経験後、アパレル会社で企画・生産・
プロジェクトの立上げなどを手がけ、
20年勤務した後に独立、金井さんとともに
Le pivotを立ち上げ、現在に至る。
好きなものは美味しいもの、花、映画、
ミュージカル、時代小説、そして万年筆。

●Le pivot website
●Le pivot Instagram
●小林さんのInstagram

金井美幸さんのプロフィール

金井美幸 かない・みゆき

Le pivot 営業・プレス・店頭販売担当。
服飾学校卒業後、アパレル勤務、
小林さんと同時期に独立し、
Le pivotの立ち上げに参加、現在に至る。
好きなことは食べること、
ミュージカル、バレエなどの観劇。

01
女性ふたりで立ち上げたアパレル

伊藤
小林さん、金井さん、
今日はお時間をいただきありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします。
小林
よろしくお願いします。
‥‥私たちで大丈夫でしょうか。
こういう場にあまり慣れていないんです。
金井
「何を話したらいいんだろう」って
ふたりで言っていたんですよ。
伊藤
そんな、大丈夫ですよ! 
わたしから、いろいろと質問をさせていただきますね。
たとえば‥‥ブランドの成り立ちとか。
おふたりは、前職でもご一緒だったとか? 
小林
はい、そうなんです。
金井とは、前職のアパレルでの同僚です。
その会社には、20年ぐらい在籍していたんですけれど。
金井
私が後輩になりますが、
小林とはずっと一緒に仕事をしてきました。
小林
私が企画で作るほう、
彼女が営業で販売をするほう。
作る・売るっていうコンビなんです。
伊藤
それが、今でも?
小林
はい、今は、そこから独立していますが、
仕事のスタイルは以前と変わりません。
伊藤
独立のきっかけが、おありだったんですか。
小林
個人的なことなんですけれど、
震災の前年に父が亡くなり、考えたんです。
「いつか父にまた会ったときに、
やりたいことを全部やった人生だったと言えるかな」と。
そして震災があって、
人はいつどこでどうなるかわからないことを思いました。
洋服を作っていて、みなさんに喜んでもらうことで
それまでは満足だったんですけど、
その先のもっと人の役に立つこととか、
日本の工場のみなさんと
深く関われることはないかなと思ったときに、
やっぱり会社員ではちょっと無理だなと。
会社には会社の考えがあるので、
もうちょっと自由に自分のやりたいことを
やりたいなあ‥‥と、独立を決めました。
金井
いま、11年目になります。
伊藤
ということは2012年に独立をなさって。
最初から、金井さんと一緒に?
金井
はい、相談して、一緒に立ち上げました。
伊藤
小林さんが誘ったかたちだったんですか。
金井
いえ、私は私で、会社を離れる時期が来ていると
思っていたんです。
そうしたら小林が独立を考えていると。
彼女が決意したのと、私もそう思ったのが重なって。

私自身、小林の考え方や
ものづくりの姿勢、生み出すものが大好きで、
その全てとまではいきませんが、
より多くの人たちにお伝えしたい! という気持ちで、
前職から、営業という職で担当してきたんですね。
好きなものしか売れない私なのですが、
売るというより、良いところをお伝えして、
好きになってもらえたらとても嬉しいな、と。
Le pivot でも、少しずつでも
そのような人が増えていくと信じて‥‥。
伊藤
すばらしいです。
その独立のタイミングに、
ご自身の年齢は関係がありましたか。
小林
あんまり‥‥なかったかな? 
その時、私は45歳だったんですけれど、
「ちょっともうちょっと早くしておけばよかったな」
っていう感じは、少し、ありました。
金井
そうですね。私も同じです。
小林
ただ、前の会社でブランドを任されて
全部を回していたので、なかなか決められなかった。
もちろん自分たちじゃなくても
会社ってちゃんと回るんですけど、
その仕事で食べている工場さんがいる以上、
いきなりいなくなるわけにはいかない。
うまく引き継がなければ、
そこの仕事がなくなってしまうかもしれない。
「ほら、お子さんまだ小さいし」とか、
いろいろなことがよぎって、なかなか‥‥。
伊藤
すごい。それはもうすでに経営者の考えですよ。
小林
いえいえ、なかなかそれで
踏ん切りがつかなかったんです。
独立したほうがいいかなっていう考えは
たぶんずっとあったんですけど、
迷惑をかけないようにうまくスライドすることが
できる形があればなって思っていて。
でもなかなかそんな日は来ない。
それで父の死と震災をきっかけに
自分のこと優先して考えようっていうふうに
やっと思えたというか。そこまでに何年もかかりました。
伊藤
そうだったんですね。
最初からこの場所(表参道)に?
小林
はい、それもご縁があって。
最初は細々(ほそぼそ)とやるつもりだったんですけど、
金井が九州でお世話になっている
知り合いのアパレルの社長さんが、
この場所でお店を持っていたんです。
それが、出ることになったというので、
電話をいただきました。
「小林さん、そのまま引き継げばいいから、
表参道でお店をやらない?」と。
それが、私の退職届が受理された
翌日のことだったんです。
伊藤
えっ! すごいタイミング。
それはもう、決断しますよね。
小林
はい! もちろん表参道はハードルが高いから、
大丈夫かなぁ‥‥とは思ったんですけど、
「一人じゃないし、なんとかなるかな?」
っていう感じで。
金銭的な面も色々な工面の仕方を教えていただいて。
金井
助けていただきました。
伊藤
そうですよね。それで最初から会社を立ち上げられて?
小林
アパレルとして、
最初からものづくりをするつもりだったので、
ちゃんと会社にしないと仕入れができないんです。
最初から資金もきちんと回しますっていう姿勢で
お願いしないと、いい生地が手に入らない。
伊藤
信用が大切ですものね。
先方も、支払いがとどこおらず、
ちゃんと先の計画がある「会社」と
おつきあいしたいでしょうし。
金井
はい。常にキャッシュオンデリバリー、
次は買うかどうかわかりません、
というわけにはいきませんから。
伊藤
そういう仕事のスタイルや知識は、
前職のアパレル時代の経験があってのことですね。
小林
はい、独立採算型の会社だったので、
自分たちが担当していたブランドは、
その事業部が仕入れから支払いまで
ちゃんと回るようにというやり方をしていました。
当時はとても面倒くさいと思ってたんですけれど、
いざ独立してみたら、同じことをやるわけなので、
勉強になってよかったなと思います。
伊藤
それでも、大きな会社にいたときと違うのは、
何もかも、お二人でしないといけない。
デザイン以外のことも、
少なからず考えなきゃいけなくなりますよね。
小林
そうですね、たとえば「生産」も
自分がやらなくてはいけないですし。
でも本当にいろんな方、
生産背景の工場さんとか生地屋さんとか、
皆さんが助けてくださいました。
二人が独立するならっていう感じで、
いろんな方が、思いもよらないところで
手伝ってくださったんです。
伊藤
すばらしいことですよ。
小林
‥‥それでも、苦手だったのは経理でした。
伊藤
そうですよねぇ。
小林
社長として銀行の方とお話しするとか。
さすがにそこはわからなかったので、
皆さんに「大丈夫ですか」って心配されながら、
どうにかこうにか、という感じでした。
伊藤
最初はきっと、たいへんだったでしょうね。
小林
アパレルは、つくりはじめてから売るまでに
時間がかかるんです。
最初のうちは入ってくるお金がありませんから、
どんどんお金が出ていくだけなんですね。
だから、支払いが大変な時期が続くことも。
でも、そんな状況を知った取組み先の方が、
支払い期限を延ばしてくださったりとか、
ほんとうに助けてくださったんです。
伊藤
皆さん、同業者だけに事情がわかっているんですね。
小林
そう、最初の1~2年は
すごく助けていただきました。
伊藤
逆に言うと、そんなふうに助けてもらえるというのは、
小林さんと金井さんが、
工場のかたや生地屋さんにとって
「助けたいと思う人たち」だったってことですよ。
金井
‥‥そんなふうに思っていただけたとしたら‥‥。
小林
ほんとうに、ありがたいことですよね。
(つづきます)
2023-03-05-SUN