東京・千駄ヶ谷でオリジナルの家具店や
カフェをつくったことで知られる中原慎一郎さんが、
代官山にあたらしいお店をつくりました。
日本に上陸して30年の英国のライフスタイルショップ
「THE CONRAN SHOP」
(ザ・コンランショップ)で初となる
「自主編集型ショップ」です。
アジアの生活雑貨や家具を買い付けて、
あたらしいお店をまるごとつくる、というこのスタイルは、
50年の歴史のなかでも初めて。
「お店上手」な中原さんの仕事のひみつが知りたくて、
5年目を迎えた「weeksdays」をひきいる
伊藤まさこさんが出かけました。
中原さん、生活のお店をつくるって、
いったいどういうことなんでしょう?

撮影 有賀 傑 
撮影協力 ザ・コンランショップ 代官山店

中原慎一郎さんのプロフィール

中原慎一郎 なかはら・しんいちろう

1971年鹿児島県生まれ。
株式会社コンランショップ・ジャパン代表取締役社長。2000年、ランドスケーププロダクツを設立。
東京渋谷区にてオリジナル家具等を扱「Playmountain」、
カフェ「Tas Yard」などを展開。
家具を中心としたインテリアデザイン、
企業とコラボレーションしたプロダクトデザインも行なう。
デザインを通して良い風景を作ることをテーマに活動。

●中原慎一郎さんのInstagram

●ザ・コンランショップのwebsite

04
テレンス・コンランの炯眼

中原
「人が集まる場所をつくりたい」というのは、
お店を始めた理由でもあったし、
いまの仕事に就いたのも、
やはりそういう場所をつくるのが好きだった
テレンス・コンランにならって、
自分もそうありたいと思っているからなんです。
カッコいいセレクトをすることじゃなくて、
「お店が上手でありたい」って、
単純に思ってるだけなんです、僕は。
伊藤
へえーっ。
「お店が上手でありたい」。
中原
こういうことが得意な人、たまにいるんですけど、
テクニックじゃないんですよ。
伊藤
え、テレンス・コンランは、
どんなふうに「お店上手」だったんですか。
中原
人を喜ばせたいっていう気持ちの人だったと思うんですよ。
デザイナーの勉強をしながら、
フランスの食に感銘をうけて、
「イギリスの食をおいしくしたい」と始めたのが
コンランショップだったといいます。
「もてなしたい」とか「喜ばせたい」っていうのが
彼の原動力っていうか。
彼はレストランの本を出してるんですけど、
最初の数ページは、いかにレストラン経営に
リスクがあるかを書いているんです。
伊藤
そうなんですね。
中原
「レストラン経営は大変だ。
でも、それでもやっぱり喜ばせたいっていう
気持ちがあるかどうかでこの商売は決まるんだよ」って。
本当にそうだと思うんです。
伊藤
ロンドンでテレンス・コンランのつくったレストランに
行ったことがありますが、
とても居心地が良かったですよ。
中原
僕も、21歳だったかな、
生まれて初めて行った海外がロンドンだったんですけど、
そのとき連れてってもらって、最初に入ったお店が
ミシュランビルのコンランショップ(*)でした。
そうしたら中にオイスターバーがあったり、
花屋があったりして、家具屋って聞いてたのになんだろう? 
みたいな感じ。それがコンランショップと僕の
最初の出会いだったんです。

(*)ロンドンのチェルシー地区、アールヌーヴォー様式の
建物に入っているコンランショップの旗艦店 。
1987年に創業地のフルハムロードから現在は、移転準備中。
伊藤
今となっては、洋服屋さんにカフェが併設されていたり、
花屋さんをやったりすることが
当たり前のようになっていますけれど、
その先駆けだったんですよね。
中原
テレンス・コンランって、
野菜を食べるにはレモンと塩と
オリーブオイルだけでいい、みたいなことを
初めてイギリスで実践したり、
オープンキッチンを初めてつくったり、
そういう食文化を導き出した人でもあるんです。
伊藤
店内のディスプレイもきれいでした。
アーティチョークがガラスの瓶に入っているとか。
中原
そう、花じゃなく野菜を飾るって、すごいですよね。
そういうことがすごいんですよ。
伊藤
重なったお皿にフルーツがボンッ、
みたいに置いてあったりとか、新鮮でした。
中原
何が美しいかをよくわかっていたと思うんです。
そういうふうに自分もありたいなと思いました。
自分もそっち側に居続けるためには、
マネをするんじゃなくて、
どうありたいかっていうこと、
彼が持っているマインドを、僕らがどう考えて、
今の時代に則した方法でお店にするかを
一度、きちんと考えなければいけません。
実は、アジアって、彼の哲学に近しいはずだし。
そういうことがきれいにできるはずなのに、
今までやりきれてないっていうのは問題があるなと。
それがこのお店の始まりなんです。
伊藤
そういうことだったんですね。
中原
まだまだやりたいことはありますけれど、
その間にもちゃんと後陣を育て上げなくちゃって思います。
僕らの世代、年齢的に、これからずっとは
働けないじゃないですか。
伊藤
うんうん、うんうん。
中原
ずっと現場で立ちっぱなしはつらいでしょう。
腰痛ベルトを巻いて無理をするわけにもいかないし。
伊藤
年齢的な問題ってありますよね。
わたしも、イベントで接客をすると、
その接客した時間と同じ時間だけ
倒れるように眠ってしまう。
中原
それでもまさこさんはやるから偉いなあ。
伊藤
仕事の仕方をこれからどうしていこうかなって、
すごく考えているんです。
中原
ですよね。
伊藤
そうしたら、阿川佐和子さんにお会いする機会があって、
「大丈夫よ。伊藤さん、50歳は一番私も辛かったわ。
60歳になったら元気になるから大丈夫」。
中原
その10年間にうまく整理できるのかもしれないですね。
やることやらないことが取捨選択が
できるようになるんじゃないかな。
伊藤
中原さんはいま52歳、わたしと1つ違い。
でも、今、こうして、
大きいことがどんどん進んでいる。
中原
いま、一番働いてますから、人生で。
伊藤
ランドスケーププロダクツも
社長業だったでしょう? 
中原
自分の会社の方が、ズルしてたと思います。
伊藤
ズルはしてないと思うけどなぁ。ふふふ。
中原
自分の会社と今が違うのは、
僕にはとにかく経営者としての
経験が少ないということです。
だから接点づくりのためにみんなと一緒にいて、
とにかく時間を一緒に過ごしています。
前は、自分の会社でみんな一緒に育ってるから、
お互い、なんとなく、わかっていたんですよ。
伊藤
なるほど。そうでしたか。
‥‥ちょっと場所をかえて、
地下のフロアを拝見してもいいですか?
中原
ぜひ! 一緒に行きましょう。
伊藤
(地下に降りて)
わぁ、この空間もいいですね。
聴景居(ちょうけいきょ)‥‥? 
ここが、夜も営業しようという場所ですか。
中原
はい、バーになる予定です。
今は、昼間だけ営業しているんですけれど。
もともとここは、和食屋さんのとき、茶室だったんですよ。
地下まで借りることになったとき、
それを生かせないかと思って、
櫻井焙茶研究所の櫻井真也さんに相談したんです。
そうしたら「すごくいいんですけど、
そのままでは使えないです」ということだったので、
作り直そう、と。それで櫻井さんと一緒に
このスペースの運営をすることになりました。
ちょうどこの店がアジアをテーマにするので、
お茶をテーマにしました。
アジアって、それぞれの国で、
お茶のもてなし方がおもしろいでしょう? 
テーマは、アジアとヨーロッパを繋ぐ
シルクロード的な「お茶の伝搬」。
陸路と航路で、お茶の伝わり方が違うんですよ。
陸路が「チャ」、航路が「テ」、
それをそれぞれ櫻井さんにコース立てしてもらいました。
トルコは、砂の上で沸騰させるタイプで、
チャイを作るから、それを再現しよう、とか。
それプラスお酒っていうのが、
この茶室のようなバーの中身です。
伊藤
きっと櫻井さんにとっても、
新たな試みでしょうね。
中原さんの周りの人たちは、
中原さんに巻き込まれるのを
楽しんでいるんじゃないかな。
中原
そうだといいんですけど。
伊藤
そうですよ、嫌だったらやらないですもの。
中原さんって、この人のために一肌脱ごうっていう
気にさせるんだと思いますよ。
中原
それこそ、テレンス・コンランが、誰に何をお願いするかを
すごく大切にしてた人なんですよね。
誰にお願いしたら景色が変わるか、
誰にお願いしたら自分が思う風景を作ってくれるか。
自分もほんとうにそう思うので、
仕事で組む人選って、とても大事だなと思っています。
(つづきます)
2023-08-14-MON