今回、「weeksdays」が紹介するのは
日本の椅子「ニーチェアエックス」です。
1970年生まれのロングセラーの椅子ですから、
見たことがあるという人や、
自宅にありましたよというかたも
いらっしゃるかもしれません。
じつは伊藤まさこさんも、
実家でお父さまがパーソナルチェアとして
愛用なさっていたという思い出の椅子。
でも今、あらためて座ってみると、
‥‥なるほど! この座り心地は、
強くおすすめしたくなります。
椅子といっても、作業用ではなく休息用で、
頭まで預けて「ほっ」とリラックスしたいとき、
最適なんです。
この椅子が、どんな経緯でできたのか知りたくて、
現在、ニーチェアを製造販売している株式会社藤栄の
一柳裕之さんにお話をうかがいました。
この椅子をつくった新居 猛(にい・たけし)さんの物語、
日本だからできたものづくりの凄み、
高度成長期からバブルを経て現在へといたる道のりと、
事業継承をしてからのことなど、
4回にわけてお届けします。
なお、「weeksdays」で扱うのは、
1970年からつくられているフラッグシップモデルの
「Nychair X」(ニーチェアエックス)ですが、
文中では「ニーチェア」と表記しています。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2023/12/MG_2254.jpg)
折りたたむことができ、
座り心地がよく、
修理やメンテナンスが容易なパーソナルチェア
「Nychair X」(ニーチェアエックス)は、
世界各国で50年以上販売された、
日本の椅子の名作です。
1970年、日本人デザイナーの
新居 猛(にい・たけし)さんにより、
日本の暮らしに合う「あたらしい生活道具」
として、日本の技術でつくられました。
2013年までは新居さんの出身地・徳島の
「ニーファニチア」自社工場で
一貫して生産されていましたが、
現在は事業を継承した株式会社藤栄によって、
シート生地・金属パイプ・ネジ・肘かけそれぞれ、
日本各地の工場で製作した部品を
ひとつに集約するかたちで生産が続けられています。
くわしくは、ニーチェアのwebsiteをごらんください。
01わたしたちの暮らしに合わせて
- 伊藤
- こちらのショールームには
歴代のニーチェアがあるんですね。
実家にあったのは、
まさしくこの色でした。
- 一柳
- それは発売当初、1970年代のものです。
生地が、藍色ですね。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2024/01/DSC03020.jpg)
- 伊藤
- わたし、ニーチェアと同い年です。
- 一柳
- 私もなんですよ!
今日はどうぞよろしくおねがいします。
- 伊藤
- こちらこそよろしくお願いします。
だからでしょうか、
ニーチェアには親近感を感じるんです。
- 一柳
- いまもご実家では
使われているんですか?
- 伊藤
- それが行方が分からないんです。
購入した父はもう何年も前に亡くなりましたし、
母もわからないと言うんですよ。
ひょっとして建て替えの時に住んだ家に
そのまま置いてきてしまったのかもしれないし、
いつのまにかガレージセールで
どなたかのお宅にもらわれて行ったのかもしれません。
姉たちにも訊いてみたんですが、
「あったね~!」と懐かしそうに言うものの、
やっぱりわからなくて、
「今あったら、座面のキャンバスも
交換して使えたんだよ」なんて話しました。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2024/01/DSC02979.jpg)
- 一柳
- そうなんです。
古いものであっても、
生地が交換できるんですよ。
新居 猛(にい・たけし)さんという方が、
ニーチェアの生みの親なんですが、
この製品をつくられてから、
「カレーライスのような椅子」であるとか、
「自転車のように使われてこそ椅子」、
とおっしゃっていたそうです。
大衆の為に作られたんですね。
カレーライスが、どの家庭でも手軽に作れて、
家族のみんなに好かれる料理となったように。
また自転車は、世界中の人々が移動や運搬など便利に使い、
自分で修理やメンテナンスをしながら、
ずっと使い続けることができ愛される道具になったように。
そういう新居さんの願いが
ニーチェアの魅力なんじゃないでしょうか
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2024/01/DSC03054.jpg)
- 伊藤
- このすっきりしたデザインと
独特な名前から、
海外製品だと思っている方も多いんですよね。
「ニー」というのは、新居さんから?
- 一柳
- そう思われますよね。
これ、じつはデンマーク語からの由来もあるんです。
新居さんが椅子をつくりはじめたとき、
島崎信(しまざき・まこと)さんと出会いました。
島崎さんは東京藝大から
デンマーク王立芸術アカデミー建築科を出て
日本人で初めてそのアカデミーの研究員になった方で、
北欧の家具やデザインを日本に伝えた第一人者です。
その島崎さんが新居さんのつくる椅子を見て
「日本にもこういうデザインができる人がいるのか」と
驚いたそうなんです。
そして新居さんは島崎さんに
新しい椅子の名前を相談しました。
そこで「ニーチェア」と命名されたんですよ。
新居さんは、ご自分の名前をつけるのはおこがましい、
めっそうもないと言われたそうで、
それでは新居さんの「にい」ではなく、
デンマーク語で「新しい」を意味する
「Ny(ニュイ)」としてはどうだろう、
「新しい椅子」ってことで世の中に出していこうと、
「Nychair(ニーチェア)という名前になったそうです。
- 伊藤
- そういう経緯だったんですね。
この椅子は見たことがあるけど名前がわからないとか、
日本の方がデザインされた日本製の椅子だとは
知らない方もいらっしゃると思います。
わたしも「新居 猛さん」のことを、
あまり知らずにいます。
- 一柳
- 新居さんご自身、
自分はデザイナーとは言わず、
「家具職」と言っていたそうです。
それに、1970年ぐらいの日本の製品って、
デザイナーの名前が前に出ることは
少なかったんじゃないでしょうか。
ですから新居 猛さんの名前よりも、
また「ニーチェア」の名前よりも、
“このかたちの新しい椅子”として
覚えられたんだと思います。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2024/01/DSC03217.jpg)
- 伊藤
- 出始めた頃、どういうところが
みんなの心をつかんだのかな‥‥。
ニーチェアの歴史を、
くわしく教えていただけますか。
- 一柳
- もちろんです。
新居さんって元々、
徳島の古物商の息子さんだったようです。
そこへ、婿に来たお父さんが、
剣道具店を始められたんですね。
お父さんの家業は藍商だったようですが、
化学染料の普及でうまく行かなくなり、
戦前に、いちどアメリカに渡ったそうです。
そこでは、鉄道施設の仕事なんかをやられていて、
合理的精神のようなものを覚えられ帰ってきた。
それで剣道具店も、工夫をして
安く丈夫につくることを心がけたそうです。
- 伊藤
- そこから、新居さんに通じるものがありますね。
- 一柳
- はい。物を見る目、物をつくる技術や知識を
養ったのかもしれませんね。
けれども1945年の敗戦で
GHQが日本に来たときに、
剣道具は武器になるというので
「つくってはいけません」となった。
そこに、兵隊になられていた
新居さんが帰ってきたんですが、
家は焼けて商売は禁じられ、
ご自身も肋膜炎で臥せってしまうんです。
それが治ったのが27、28歳頃のことで、
そこから新居さん、徳島県の職業補導所の
木工コースに通ったそうなんですよ。
卒業して建具屋に勤めたら、
戦後の復興で木工の需要はすさまじく高く、
とても忙しい毎日を過ごしたそうです。
いっぽうお父さんは、
どうやって生計立てていこうと考えて、
「便利屋」を始めるんです。
- 伊藤
- 便利屋さんって、その頃からあったんですね。
- 一柳
- そうなんですよね。便利屋といっても、
木工でなんでもつくります、
という商売だったようです。
それで新居さんもそこを手伝うようになる。
建具から家具、その修理までなんでもつくるなかで、
新居さんは「椅子がつくりたい」と
考えるようになったんだそうです。
ここからは私の想像も入るんですが、
ニーチェアの材料のなかに、
キャンバス生地がありますよね。
これは、当時とても身近な生地でしたし、
剣道具にも馴染みの深い素材です。
床几(しょうぎ/胡床[こしょう]とも)っていう、
武道全般や神社で使う折り畳みの椅子、
あれもキャンバスと木でできています。
そういうとこからインスピレーションを得て、
キャンバスを使った折り畳みの椅子を
つくり始めて、後々のニーチェアに
つながっていったんじゃないかと思います。
ちなみにこれが1955、56年に
新居さんが初めてつくった椅子なんですが、
最初はわりと普通の形なんですよ。
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- 伊藤
- ほんとうですね。
でもこういう脚だと、
畳の部屋では凹んでしまいますよね。
- 一柳
- そうなんです。
ここから「畳ずり」
(和室で畳を傷つけないようにする椅子の脚の横木)
のような発想を取り入れていったんだと思います。
- 伊藤
- そっか、ニーチェアは、
パイプ全体で支えるので、
重みが分散される。
畳の部屋でも使えますね。
- 一柳
- そうですね。
そして「畳める、移動できる、仕舞える」
というのも大きな特徴です。
当時の日本の家って、
ダイニングやリビング、ベッドルームなんて少なく
まだ畳の部屋に、
ちゃぶ台を出して食事や団らんの場とし、
仕舞って、布団を敷けば寝室となり、
襖を外せば隣の部屋とひと続きになるという、
そういう暮らしをしてきたんですよね。
そして椅子でのくらしを
日本にもっと広めたいと思われていた新居さんは、
畳の部屋でも使えるように、
椅子も折り畳めて、移動して仕舞えることを、
ごく自然に考えられていたんじゃないでしょうか。
- 伊藤
- 考えてみると、和室ってすごいですね。
そして「畳む」という文化。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2024/01/MG_2245.jpg)
- 一柳
- ちょうちんや、扇子もそうですね。
折り畳むって、、
日本人がすごく得意とすることです。
- 伊藤
- イサム・ノグチの「AKARI」もそうですね。
- 一柳
- そうかもしれませんね。
ニーチェアは、そういう日本の暮らしと
日本人ならではの感性から生まれたんだと思います。
座面がちょっと低いように感じるのも、
畳に正座で座った方と目線が合うようにと、
新居さんが設計されたのではないでしょうか。
- 伊藤
- この低さは、そういうことだったんですね。
- 一柳
- そして忘れてはいけないのが、
1970年の発売時、価格のことを
新居さんはいろいろと考えられていたことです。
というのも1960年代、
海外から家具も輸入されるようになり、
デンマークから北欧デザインの椅子が入ってきたんですが、
その価格に加えて、
輸送費や保管料といったコストもかかり、
日本での販売価格がものすごく高くなっていた。
ですから自分の椅子は、折り畳めて、組み立て式と、
できるだけコストを下げてつくり、
大衆のために、どの家庭でも手軽に、世界中の人々が
買えるようにしたいと考えていたことです。
- 伊藤
- コストのことまで!