今回、「weeksdays」が紹介するのは
日本の椅子「ニーチェアエックス」です。
1970年生まれのロングセラーの椅子ですから、
見たことがあるという人や、
自宅にありましたよというかたも
いらっしゃるかもしれません。

じつは伊藤まさこさんも、
実家でお父さまがパーソナルチェアとして
愛用なさっていたという思い出の椅子。
でも今、あらためて座ってみると、
‥‥なるほど! この座り心地は、
強くおすすめしたくなります。
椅子といっても、作業用ではなく休息用で、
頭まで預けて「ほっ」とリラックスしたいとき、
最適なんです。

この椅子が、どんな経緯でできたのか知りたくて、
現在、ニーチェアを製造販売している株式会社藤栄の
一柳裕之さんにお話をうかがいました。
この椅子をつくった新居 猛(にい・たけし)さんの物語、
日本だからできたものづくりの凄み、
高度成長期からバブルを経て現在へといたる道のりと、
事業継承をしてからのことなど、
4回にわけてお届けします。

なお、「weeksdays」で扱うのは、
1970年からつくられているフラッグシップモデルの
「Nychair X」(ニーチェアエックス)ですが、
文中では「ニーチェア」と表記しています。

ニーチェアについて

折りたたむことができ、
座り心地がよく、
修理やメンテナンスが容易なパーソナルチェア
「Nychair X」(ニーチェアエックス)は、
世界各国で50年以上販売された、
日本の椅子の名作です。
1970年、日本人デザイナーの
新居 猛(にい・たけし)さんにより、
日本の暮らしに合う「あたらしい生活道具」
として、日本の技術でつくられました。
2013年までは新居さんの出身地・徳島の
「ニーファニチア」自社工場で
一貫して生産されていましたが、
現在は事業を継承した株式会社藤栄によって、
シート生地・金属パイプ・ネジ・肘かけそれぞれ、
日本各地の工場で製作した部品を
ひとつに集約するかたちで生産が続けられています。

くわしくは、ニーチェアのwebsiteをごらんください。

02
お気に入りのマグカップのように

伊藤
いまは金属のパイプでつくられている部分ですが、
試作の「木製折り畳み小椅子」は木。
金属を使ったのは、
どんな経緯があったんでしょう。
一柳
木だと構造上の限界を感じられたようで、
ずい分早い時期から
自由に曲げられる金属パイプを使われています。
新居さんご自身の工場にも
パイプを加工する機械を導入されて、
座り心地のよい角度などを生みだしていたようです。
伊藤
パイプって、その当時、
軽量で安く、加工がしやすいものとして
ポピュラーなものだったんですか。
一柳
そうですね。1970年には、
こういった金属加工は普及していましたね。
そして、「組み立て式で折り畳みにする」ことを
新居さんは生涯追い続けるんです。
「出来るだけ・7則」という
新居さんの信念のような言葉があるんですよ。
伊藤
「出来るだけ・7則」?
一柳
はい。
新居さんが椅子づくりで心がけていた7つの信条です。
「出来るだけ少ない部材で」
「出来るだけ簡易な構造で」
「出来るだけ丈夫で」
「出来るだけ少ない梱包費で」
「出来るだけ少ない輸送費で」
「出来るだけ安い価格で」そして最後に、
「出来るだけよい座り心地で」です。
伊藤
なぜ、そんなに削ぎ落とした考え方ができたんでしょう。
デザインがかっこよく、
値段の高いものに目が行きそうですけれど。
一柳
当時の日本のたくさんの人たちに、
ご自身の想い、
新しい暮らしを提案したいっていうところで、
出来るだけ削ぎ落としていくのが
必然だったのかなって思います。
「カレーライスみたいな椅子をつくりたい」
ていう気持ちが、ぶれなかったんでしょうね。
伊藤
すごいことです。
多分うちの父も、
そういうところにグッときたんでしょう。
それにすごくシンプルだから、
壊れづらいのではないでしょうか。
一柳
そうですね。
そんなに壊れるところはないですけれど、
家具でもあり道具でもあるので、
畳んだり開いたり移動したりすることで、
徐々にネジが緩んできます。
ご自身で増し締めをしていただくことで、
安全に、長くお使いいただけます。
また、長くお使いいただくと生地は劣化してきます。
でも交換していただけるので大丈夫です。
伊藤
ニーチェアは、発売されてから
ずっと人気商品だったんですか。
一柳
いえ、今でこそ再評価をされていますが、
一時、生産が落ち込んだ時期もあります。
遡ると発売当初の1970年は、
キャンバスと金属パイプに
木の肘掛でできた折り畳み椅子は、
家具の世界では異質なものとして扱われ、
雑貨の椅子として見られることも少なくなかったようです。
また、かなり安い価格で売られていたこともあり、
利幅が少ないと家具店さんなどでは、
取扱いを渋るケースもあったようです。
潮目が変わったのは、全国版の新聞に写真で紹介され、
ようやく国内の都市部で売れるようになったようです。
それから評価が高まり、海外、そして世界でも
売られるようになったようですが、
そのキッカケは、残念ながら分からないんですよ。
伊藤
「世界」というのは‥‥。
一柳
輸出先で一番多かったのは、
アメリカだったようです。
次にフランス、イギリス、ドイツといったヨーロッパ。
当時の日本の家具が、これだけの国に輸出されるのは
めずらしかったんじゃないでしょうか。
伊藤
おもしろいですね、
畳の暮らしから生まれた椅子が、世界に。
一柳
そうですね。
でも評価をいただくと同時に
国内はもちろん、
海外でも模倣品がいっぱい出ることにもなるんです。
伊藤
ええっ?! 
一柳
そうなんですよ。
でも新居さん自身は、
コピーが得意だと言われていた当時の日本で、
いやな気分ではあったようですが、
それほど怒ってはおらず、ご自身のデザインが
世界で認められたように思われていたようです。
伊藤
悔しさのいっぽうで、
ちょっぴり誇らしい気持ちもおありだったのかな。
一柳
そうだと思います。
そしてニーチェアは70年代中ごろから、
80年代にかけて一番売れていたと思うんですが、
90年代になって、
いろんな意味で日本のくらしが変わったとき、
この椅子の役割みたいなものが
終わってしまったようなところがあるというか。
そんな時代背景もあって、新居さんのご生家でもある
徳島の「ニーファニチア」さんは、
2013年に椅子の生産を中止してしまうんです。
きっと、椅子の製造が続けられなくなるようなことが、
色々と、たくさん重なったんだと思います。
伊藤
いちど、辞められているんですね‥‥。
一柳
はい。新居さんが2007年に他界されてしまったことも、
色々のひとつかもしれませんね。
うち(藤栄)は、1945年創業の
生活用品・インテリア・家具の総合商社なんですが、
1972年から、ニーチェアを仕入れて
販売をしていたんです。
そして2005年にはライセンス商品の「ニーチェアF」を
つくらせていただいたという経緯もありました。
そして2013年、「ニーファニチア」さんから
「椅子製造中止のお知らせ」
という連絡が来たとき、
世界に誇る日本の椅子がここで途絶えてはいけない、
なんとかできないかと、
製造から販売まで全てを引き受けようという
プロジェクトが立ち上がりました。
それで1年間、準備をして事業を継承し、
2014年からニーチェアの正規製造・販売元になったんです。
伊藤
そういうつながりがあったんですね。
すごいですね。
一柳
でもすぐにはうまくいかなかったんですよ。
そもそも、家具専門店さんが減っていたり、
百貨店の家具売り場も縮小されたりして、
今までのニーチェアの売り場がなくなっていたんです。
いっぽう大規模で、価格の安い自社製家具を揃えた
SPA(製造小売業)型のお店は盛況だったりと。
伊藤
あぁ、なるほど、そうでしたか。
‥‥でも、ひょっとして、その頃から、
生活提案型のショップが増えてきて、
家具を扱うようになったのでは? 
わたしも見かけたことがあります、
生活雑貨店で「あれ? ニーチェアだ!」って。
一柳
そうなんです。
2016年あたりから、生活雑貨のお店が
取り扱ってくださるようになりました。
やっと新居さんの
「良い暮らしの道具」として
新たな役割に気付いてくれたといいますか、
和室で使い、同時にコストを下げるためにと
考えられた折り畳むというスタイルが、
「ソファのような座り心地を持ち運べる」
という軽やかさとして受け取られ、
暮らしの道具としての評価をいただいたんです。
新居さんが当たり前のようになさってきた、
無駄のないものづくりも、
サステナブルであると再評価され、
取り扱いが広がっていったんですよ。
伊藤
うれしいですね。そういえば
軽井沢のSHOZO COFFEEの入っている
施設の中庭に、
いろんな色のニーチェアがありますよね。
天気のいい秋の日に行ったら、
みんなが座り比べをしてましたよ。
ちょっと移動させて、気持ちのいい場所を探したり。
一柳
Karuizawa Commongroundsの中ですね。
軽井沢書店さん
ニーチェアを扱ってくださっているんです。
伊藤
書店さんが! 
以前は考えられないことだったでしょうね。
そういえば、昔は応接セットとか、
ダイニングセットとか、
そういう感じで用途ごとに
家具を買っていました。
今は──、規模感は違うけれど、
お気に入りのマグカップを買う、
みたいな感覚の延長で
ニーチェアの購入を考えるのかもしれません。
一柳
きっと、そうなんでしょうね。
(つづきます)
2024-01-30-TUE