岡山の瀬戸内をベースに
ハンドクラフトでカトラリーをつくる
Lue(ルー)の菊地流架(るか)さんと、
伊藤まさこさんがオンラインで話しました。
彫金作家になるまでの道のりのこと、
菊地さんが使う「真鍮」(しんちゅう)という素材のこと、
ハンドクラフトのおもしろさ、
今回扱うスプーンの使いやすさなどについて、
2回にわけてお届けします。
ちなみに真鍮は、「黄銅」「ブラス」とも呼ばれる、
銅と亜鉛の合金。
ちょっとクラシックな装飾品として
インテリアで見かけることが多いのですけれど、
クロームめっきやステンレスが普及する前は、
食器や調理器具にもよく使われていました。
なんと5円玉も、真鍮製なんですよ。

工房の写真   内田伸一郎
菊地さんの写真 細矢直子 

菊地流架さんのプロフィール

菊地流架 きくち・るか

彫金作家。真鍮を中心に
スプーン等のカトラリー、雑貨、
アクセサリーづくりを手がける。
ブランド名は「Lue」(ルー)。
手づくりのハンドクラフトと
工場製品であるインダストリアルの
ふたつのラインをもつ。
1983年、岡山県倉敷市生まれ。
2000年、アクセサリー作家である
父・菊地雅章の元で、
彫金によるアクセサリーをつくりはじめる。
2006年、真鍮によるカトラリー製作開始。
2010年、瀬戸内市に自宅・工房共に移転。

■Lueのwebsite

01
岡山でものづくり

伊藤
菊地さんはじめまして、伊藤です。
どうぞよろしくお願いします。
この度はありがとうございます。
菊地
はじめまして、菊地です。
こちらこそです。
伊藤
わたしが菊地さんの「Lue」のスプーンを
初めて買ったのは、10年ほど前のことでした。
高松の「まちのシューレ963」で見つけたんです。
菊地
ありがとうございます。
シューレさん、いまも置いてくださってます。
ちょうど10年ぐらいになると思います。
伊藤
そうなんですね。
そうしたらとても使いやすくて、
実家の母にもプレゼントし、母も
「チャーハンを食べるときはあれじゃないと」
って、言っているんですよ。
菊地
ありがとうございます。
嬉しいです。
伊藤
どういう経緯で今のような
ものづくりの道へ入ったのか、
「そもそも」のお話から
聞かせていただいてもいいでしょうか。
菊地
そもそも、を言いますと、
父が真鍮でアクセサリーをつくっていたんです。
伊藤
じゃあ小さなころから
真鍮という素材は身近だった?
菊地
はい、とても身近なものでした。
17か18ぐらいから
ずっと父親の手伝いを始めて、
23か24ぐらいの時、
父も病気だったことがあったりとか、
自分が結婚するタイミングでもあったりして、
独立して何かしないとなってことになったとき、
料理をつくるのも好きだったので、
アクセサリーよりはスプーンや食器をつくってみたいな、
っていう気持ちがあって、
カトラリーをつくり始めたんです。
伊藤
アクセサリーから、
暮らしの道具の方向へ。
そのとき最初につくったのは?
菊地
父のアドバイスをもらいながら、
最初にできたのが「ティースプーン」です。
伊藤
あの形は、最初からだったんですね。
菊地
はい、溶接をするタイプのものですね。
それを倉敷にある
融民藝店(とをるみんげいてん)っていう
昔からあるお店に持っていき、販売を始めました。
そこからもうちょっと
韓国料理で使うスッカラ(*)っぽい
形のものが欲しいという要望を
融民藝店からいただいて、
「大スプーン(栗型)」などのカトラリーを
つくるようになっていったんですよ。
(*)スッカラは、ビビンパなどを混ぜるのに使う、
くぼみが浅い朝鮮のスプーン。
伊藤
そういうことだったんですね。
もともとスッカラを
お使いだったりしたんですか。
菊地
いえいえ、民芸屋さんに行くまでは
スッカラ、知らなかったんです。
伊藤
そうだったんですね。
韓国の食卓で使うスッカラって、
シンプルで掬(すく)いやすくて混ぜやすく、
すごい道具だなって思っているんです。
でも菊地さんの「大スプーン(栗型)」は、
スッカラそのものではなく、丸みがあります。
あの形になるまでに、試行錯誤はありましたか。
菊地
そうですね。
まず洋食器のスプーンって、
くぼみの深いものが多いですよね。
スープをいただくにはいいんですが、
私たちのふだんの食生活でスプーンを使う時は、
カレーライスやチャーハンですよね。
そういう料理をスプーンですくって口に運んでも、
くぼみの底に食材が残ってしまうんです。
だから浅い方が使いやすいなと思っていました。
あと柄(え)の部分も、なんて言うのかな、
作家ものって、山なりに反ってるものが多いんですが、
それだと丸まっていて、使いづらいなあと、
そんなことを考えながら、
形、深さ、柄のカーブなど、
使いやすさ、食べやすさ、洗いやすさなどを考えて、
あの形をつくりました。
伊藤
初代から今に至るまで試行錯誤があったというよりは、
割と最初から「これ」っていう形だったのでしょうか。
菊地
基本は一緒ですが、
だんだんと整っていったと思います。
最初の頃は「柄が細すぎる」と
言われることがよくあったので、
なるべく太くしてみようと叩いたんですが、
形が崩れちゃって、アンバランスになってしまったり。
スプーンのあの形には、
柄が細い方が綺麗だなと思います。
今も手でつくっているなかでの
多少の変化はあるとは思うんですけどね。
伊藤
その細いとおっしゃった方は
持ちづらいとか頼りないとか、
そういう意味合いだったんでしょうか。
菊地
そうです、そういう意味合いで言われてました。
伊藤
スッカラも柄が細めですけれど、
わたしたち、洋物の比較的太い柄の
スプーンしか知らないから、
はじめて手にしたとき、
細いと感じるんでしょうね。
菊地
そうかもしれませんね。
そのときいろいろ考えたんです。
人の意見を聞くのも大事だけれど、
100パーセント全員の意見を
すくい上げるのって難しいなと。
それよりは自分がいいと思った形を
つくっていく方が健全だなと思って、
そこからは今の形でつくっています。
伊藤
万人に合うものってないんですよね。
わたしたちは作家さんが
「これが好きだ」と言ってくださると
逆に安心感があるっていうか、
ブレがないっていうか。
そういえば、先日、
LIVING MOTIF(六本木の生活雑貨店)に行ったら
Lueのラインナップが並んでいました。
大人気ですね。
友人宅でも使っているのを見ますし、
使いやすいからもう一組買いたいとか、
誰かにプレゼントするとか、
そういう感じでじわじわ広がっている印象ですよ。
菊地
いえいえ、おかげさまで、です。
広がりで言えば、
ストッキストっていう展示会が
ひとつのきっかけでした。
10何年前だったと思うんですが。
伊藤
そこが、出会いの場だったんですね。
菊地
僕もずっと岡山にいるので、
その時ぐらいしか人と会うことがなくて。
そこで知り合った方を通じて
ちょっとずつ広がっていったんです。
伊藤
Lueのウェブサイトもとても素敵だと感じます。
写真やデザインは、全部菊地さんがプロデュースを?
菊地
写真は、さきほどお話しした
融民藝店を継いだ
山本尚意さんっていう若い方が、
写真も撮るかたで、
彼にお願いしているんです。
僕は、こうやって撮って欲しい、
っていうリクエストをするほうですね。
枯れた草とかと一緒に撮ったりするんですけど、
それはうちの近くでむしってきて
一緒に撮ったりとか、そういう感じですよ。
伊藤
つまり、スタイリングは菊地さんということですね。
菊地
そうですね、今のところ。
伊藤
作品の見せ方を大切になさっていると思ったんです。
統一感があって。
菊地さん、ずっと岡山でいらっしゃるんですか?
菊地
そうです、僕は生まれが倉敷で、
育ったのは総社っていう隣町です。
父が、倉敷の美観地区の川沿いの道端で
物売りしてるヒッピーの一人だったんですよ。
伊藤
えっ? お父様が?
菊地
そうなんです。
ヒッピーだったので
各地を転々としてたみたいなんですけど、
最終的に倉敷に落ち着いて工房を開いたんです。
生きていれば70歳になります。
伊藤
お父さまが20歳くらいだったとして、
ということは今から半世紀前の倉敷は、
ものづくりの方が集まる、
そういう土地だったんでしょうね。
いまも、わたしたちの付き合いで言うと
陶芸家の伊藤環さんや木工の山本美文さんが
岡山にいらっしゃいます。
岡山って作家さんが多い印象があります。
菊地
倉敷って民藝が強いし、備前焼もあるので、
ものづくりの人が多いイメージ、ありますよね。
岡山に移住するものづくりの方も多いんですよ。
(つづきます)
2024-01-22-MON