さかのぼること5年前、
「白いもの」のリサーチで訪れた天草で
磁器の原料となる石のうつくしさに驚いた伊藤まさこさんが
「これでうつわをつくりたい」と思ったところから
このプロジェクトがはじまりました。
デザイナーの猿山修さん、
日本各地の職人や生産地と組んで
生活の道具をつくる仕事をつづけてきた、
「東屋」代表の熊田剛祐さんの力を借りて、
こんなプロダクトが完成しました。
磁器の丸皿、大小ふたつのオーバル皿、
木の折敷、そしてカッティングボード。
実用的で、台所と食卓を行き来するたのしさがあり、
ひとりひとりが使ううれしさにあふれたアイテムです。
天草、有田、波佐見、木曽、中津川、輪島、そして東京。
日本のあちこちとリンクしながらの、
誰が主導というわけではない、あたらしいものづくり。
そのいきさつを、3人のお話で、どうぞ。
猿山修さんのプロフィール
猿山修
1966年生まれ、デザイナー。
91年よりグラフィック、空間、プロダクトの
デザインを手掛ける「ギュメレイアウトスタジオ」を主宰、
96年より古陶磁を含むテーブルウェアなどを扱う
ギャラリーショップ「さる山」を東京・元麻布にもつ。
演劇、映像及び展覧会のための作曲・演奏活動も。
なお「さる山」は2019年3月10日で閉店予定。
■Guillemets Layout Studio
その1「白」に魅かれて。
- 伊藤
- 天草に陶石を見に行ったのは、
2014年のことでした。
『weeksdays』ができる前、「ほぼ日」で
「白いもの」という連載をしていたんですが、
真っ白な陶石が天草で産出されていると聞いて、
リサーチに出かけたんです
- 伊藤
- 天草で採れる陶石は、実はいろいろなところで
磁器の原料に使われていると知りました。
何百年ぶんの埋蔵量があるんだそうです。
とてもきれいな石だったので、
それで白い器をつくりたいなと、
猿山さんに相談したんですね。
- 猿山
- それでそのあと
まずは行って見てみようと、
ふたりで天草に行ったんだよね。
- 伊藤
- ところが私たちは「こういうのがいいね」と
考えるところまではできるのだけれど、
いざつくるとなったら、いろいろな実務が出てくる。
「どうしたらいいんだろう‥‥」と。
- 猿山
- うん。
- 伊藤
- 『weeksdays』がカケラもない頃だったので、
器を、作家ではなく製陶所に依頼してつくるというのは、
それなりの大量生産になるし、
できあがったら在庫はどこに置くの?
まさか、うちに? みたいな話にまでなって。
- 猿山
- それはぼくにもどうにもならないから。
- 伊藤
- それで「東屋の熊田さんに入ってもらおう」って。
もともと、猿山さんと熊田さんは
長くお仕事を一緒になさっていましたよね。
猿山さんがデザインやプロデュースされたものを、
東屋さんが形にしていくというふうに。
それからは、ふたりが細かな調整を
時間をかけて、してくださって。
わたしは最初に、いつものように、
「こんなかんじのシンプルなオーバル皿がほしい」って
子どもが描くような絵を紙に描いて‥‥。
- 猿山
- たぶんまさこさんはこういうものが好きだろうな、
ということはわかるので、
そこに自分の考えを足して、
ニュアンスを調整していきました。
最初のサンプルなんて、まったく違うものでしたよね、
リムの立ち上がりの加減も、釉薬の調子も。
- ──
- 熊田さんは、伊藤さんと仕事で組むのは
初めてでいらっしゃったんですか。
- 熊田
- そうなんです。東屋の仕事って、
男性と組むことが多いんですよ。
アートディレクターの渡邊かをるさん、
建築家の荒木信雄さん、
アーティストの立花文穂さん、
コーヒー店主の大坊勝次さん、
京都寺町二条・大吉の店主、杉本理さん、
そしてこちらの猿山修さん。
そのせいか東屋の商品は
「男っぽいね」ってみんなに言われていました。
そこにまさこさんがあらわれて、
女性視点で、猿山さんの手綱を引いてものをつくる。
それは、ぼく、すごく面白いなと思って。
- 伊藤
- へえ! そんな風に思っていたんですね。
- 熊田
- ぼくは、具体的には、最初のサンプルと、
猿山さんの図面を見せてもらうところからの参加です。
猿山さんの平面の線画を
どう立体にするかっていうところは、
長年やってきていますから、
「これなら、あの原型師さんとつくって、
あの工房に依頼したほうがいいよ」
ということが、すぐにわかりました。
- ──
- 「原型師さん」。
- 熊田
- 図面を立体にする仕事です。
洋服で言えばパタンナーのような。
ぼくらがお願いしているのは、
有田にいる金子哲郎さんというかた。
肥前地区の磁器や、
伊賀で土ものを作るときの原型だったり、
岩手県の水沢で南部鉄器を作るときの原型を手がけ、
15年ぐらい、猿山さんの仕事もお願いをしているかたで、
金子さんは長年白山陶器で、
陶磁器デザイナーの森正洋さんの仕事をなさっていました。
- ──
- 原型とは別に、量産するための製陶所も必要ですね。
- 熊田
- 天草の陶石を使うときにたいへんなのは、
やわらかいということなんです。
しかも今回はオーバル皿なので、ゆがみます。
短辺と長辺の、力のかかり方が違うから、
窯の中でゆがんでしまうんですね。
同じ白磁でも、例えば景徳鎮は耐火度が高く、
要は窯の中でブニュってならない。
日本の磁器原料でおんなじ薄さのものをつくると、
全部ペチャンとなります。
- 伊藤
- でも天草には、天草の良さがあるんですよね。
- 熊田
- 景徳鎮の白磁、李朝の分院の白磁とかと比べると、
天草の白磁っていうのは、もう見た目から
肌感がホワッとしてますよね。
- 伊藤
- たしかに、そう!
その質感が出せたら
素敵な器になるんじゃないかと思ったんです。
製陶所は、長崎の波佐見でしたっけ。
- 熊田
- 波佐見の平地から、中尾山の中に入っていくと、
林を越えた川沿いに中尾郷っていう集落があって、
もともと波佐見焼ってそこがはじまりなんですが、
その集落でぼくは長く仕事をしているんです。
そこにある白岳窯っていう窯元にお願いしました。
- 伊藤
- そこなら、「よし来た」?
それとも「難しいね」?
- 熊田
- 「難しいね」でした、これは。
(つづきます)
2019-02-18-MON