この座談会、Honneteの新作の
ワンピースとシャツを紹介するにあたって、
「weeksdays」のアイテムの愛用者であり、
「ほぼ日」でワンピース好きといえば! のふたりに
感想を聞こう、というのがはじまりでした。
ところがいざ集まってみると、
伊藤さんと「weeksdays」の担当をふくむ
4人の女性たちのおしゃべりの止まらないこと‥‥。
話題はワンピースとシャツのことから、
四十代以後のからだの変化のこと、
流行から距離をおくことについて、
二十代から今にいたるファッションの変遷、
「ほぼ日」のアパレルの歩み、
あたらしい情報の取り入れ方のこと、
「weeksdays」がこれから目指すべきもの‥‥
などなど、ひろがっていきました。
ぜひこのおしゃべり、
いっしょに参加したつもりでお読みください。
全4回で、おとどけします。

みんなのプロフィール

伊藤まさこ
いとう・まさこ
「weeksdays」プロデューサー。
その歴史もはや7年目に。
最近の大きなトピックは「山荘の完成」。
高原にちいさな平屋を入手、
2年ほどかけてリノベーションをした。
「来年の夏休みは2か月ここで過ごす」のが目標。

小泉絢子
こいずみ・あやこ
大学4年生のときから「ほぼ日」でアルバイト、
そのまま乗組員になり、現在にいたる。
もはや古株、2番目の社歴。
着ているものはいつのまにか
「weeksdays」のものがほとんどに。
一女二男の母で、いつも機嫌がいい。

倉持奈々
くらもち・なな
糸井重里のスケジュール管理をひとりでこなす
辣腕マネージャー。
伊藤まさこさんを私淑し、
「weeksdays」のハードコアユーザーでもある。
「ほぼ日」の前は
誰もが知る国際的大企業の社長秘書だった。

藤井裕子
ふじい・ゆうこ
大手出版社勤務ののち「ほぼ日」に入社。
語学堪能、フランス語の書籍を原書で読む。
前職では5年ほど上海に駐在した。
スレンダーながら、誰もがおどろく大食漢で酒豪。
レストラン、居酒屋にひとりでも出かける。
「weeksdays」チームでは生産管理を担当。

03
わたしたちの変遷

小泉
私、コーディネートのクレジットを見て
アイテムを探すのが好きなんです。
「weeksdays」でも、
メインで紹介しているアイテムに、
伊藤さんが何を組み合わせているのかが気になって、
リンク先を見たり、調べたりしてます。
伊藤
わぁ、すごい。
藤井
雑誌のファッションページでも、
スタイリングのアイテムって
気になりますものね。
倉持
知らないブランドを知ることができると
うれしいですよね。
私だけじゃわからなかった新しい世界だ、って。
小泉
それで知ったアイテムを
「いつか買おう」というリストに入れたり。
藤井
世の中には目利きのセレクトショップが
たくさんあるわけじゃないですか。
信頼しているショップの方に
コーディネートをしてもらうとか、
そういうことはしてこなかった?
伊藤
そうですよ、それまで、どうしてたの?
小泉
「ほぼ日」が青山にあった頃は、
徒歩圏内におしゃれなお店がいっぱいあったので、
同僚や先輩にあちこち連れていってもらい、
勧めてもらったり、店員さんに相談してました。
でも、そもそも、自分の方向が定まっていなかった。
伊藤
その時代は「ほぼ日」では
どういうお洋服を扱っていたのかなあ。
小泉
アパレル、というよりも、
メッセージを伝えるもの、という感じで、
プリントのTシャツが多かったですよ。
その延長でロンTやポロシャツを
つくったこともありますし、
パーカを出したこともあります。
でも「ファッション」ではなかった。
伊藤
自分の年代にフィットするアパレル的なものは、
あんまりなかった?
倉持
ちゃんとしたアパレルを紹介したはじまりは
大橋歩さんの「hobonichi + a.」(エードット)
だと思います。
小泉
2011年のことでしたね。
大橋さんのつくられる服は、
世代を超えて受け入れられる画期的なものでした。
私もとっても好きで、
当時、たくさんは買えなかったけれど、
よく着ていました。
伊藤
そっか、そっか!
小泉
それからしばらくして、
だんだんとアパレルが増えていって。
2016年にはYAECA(ヤエカ)と組んだLDKWARE
がうまれたり。
伊藤
だんだん、「ほぼ日」にアパレルが
増えていったんですね。
小泉
はい。いま「ほぼ日」には
いろんなアパレルブランドがあって、
どこもちゃんと信頼のおけるものを
紹介していると思います。
そんな中、個人的に
「weeksdays」の好きなところは、
中にいろんなブランドのものがあって、
扱う品目も多くて、見るだけでも楽しいから。
藤井
「ほぼ日」で小泉さんの昔の写真を見ると、
いまとはちょっと違う感じですよね。
小泉
いろいろ変遷があるんです。
そもそもを言うと、「ほぼ日」に入る前の私は、
いわゆるちょっとコンサバ系の格好をしてたんです。
伊藤
そうなんだ!
小泉
けれど「ほぼ日」がまるで合宿所だったので、
いくらでも動けるような格好にしようと、
カジュアルなもので一式そろえたんですよ。
デニムとカットソー、みたいな。
それでハチノコの時代とか、
いろいろあったわけなんですけど。
伊藤
ハチノコ?
小泉
数人しかいない会社に、
お菓子や頂き物がいっぱいあって、
つい食べ過ぎていたら3か月で13キロ太っちゃって、
着ていたボーダーシャツが
まるでハチノコのようにぱっつんぱっつんに‥‥。
そんな私を糸井さんが悲しそうに見て、
「‥‥ストレスかねぇ」って(笑)。
伊藤
いろんな変遷があるんだ! 
それで今のような感じのファッションに
落ち着いているのは、
四十代になって身体の変化もありつつ、
仕事の内容が変わったりとか、立場とか、
そういうことも関係しているの?
小泉
いや、そこは関係がないと思います。
正直に言うと、
自分がいちばんステキだな、いいな、
と思っていたスタイルに、
やっと近づいたのが今です。
すごく満足してます。
藤井
ちょっときちんとしなくちゃ、
というような日もあると思うんだけれど、
そういう時でも「weeksdays」で大丈夫? 
小泉
ジャケットを着なくちゃいけないとか、
きちんとしたセットアップでなければならない、
というようなことって、
「ほぼ日」の仕事ではほとんどないんですよ。
きちんとしたい時はSAQUIのフォーマルです。
もうほんとうに便利で!
伊藤
そうなんですね。
倉持さんのファッションは、
どういう変遷なんですか。
わたしと同い年で、横浜だから、
ハマトラ時代もあったのかなぁ。
倉持
私は、もう、いっぱい、
いろんな服を着てきました。
当時の『JJ』を参考にして
ボディコンを着ていたこともあったんですよ。
ジュリアナに行ってるような時代。
伊藤
そんな時代もあったんだ!
倉持
えっ、伊藤さんには
『JJ』時代がなかったんですか。
伊藤
わたしはそこに触れていないの。
倉持
そっか、そこからもう違うんですね! 
同じ横浜で同い年でも‥‥。
伊藤
『JJ』はいくつぐらいのとき?
倉持
20歳ぐらいだったと思います。
伊藤
その頃、わたしは、
「agnès b.」(アニエスベー)の
カーディガンプレッションに
LEVI’Sの501でした。
倉持
私、そっちじゃなかったんです。
派手な感じでしたよ、常に。
髪の毛も長くて、バーッてかきあげて、
合コンしまくってるような‥‥。
伊藤
えーっ、そういう話、大好き! 
そういうちょっと派手な時代を過ごして、
でも大手の堅い会社に入ったんですよね?
倉持
そうなんです。電機メーカーに。
後半は秘書をしていたので、
おのずとスーツが多くなりました。
その頃はどこで買っていたのかな‥‥、
そうそう、「BARNEYS NEW YORK」
(バーニーズ・ニューヨーク)が好きでした。
伊藤
バーニーズの製品は、安心ですよね。
倉持
そう、まさしく、そこで買えば安心で。
ほかにも「ESTNATION」(エストネーション)とか、
信頼のおける大きなセレクトショップに
行っていたんですが、価格はとても高くて、
全身を揃えようと思ったら、
とんでもない金額になっちゃうんです。
だからちょっとずつしか買えなかった。
しかも、好きで着ていたわけではないので、
「私、この路線でずっと行くのかな?」
って疑問に思いながらも、周りもそうだし、
「社会人ってお金がかかるんだなぁ」
って過ごしていました。
「ほぼ日」に入ってその世界から抜け、
カジュアルでもオッケーな場所に来たんですが、
まだ「weeksdays」はなかったんです。
(つづきます)
2024-09-25-WED