モロッコの革製ルームシューズ「バブーシュ」を、
伊藤まさこさんが使い始めた20年前、
それはまだまだ「知るひとぞ知る」アイテムだったそう。
このバブーシュを、日本にいちはやく紹介した
モロッコ雑貨店「Fatima Morocco」
(ファティマ モロッコ)の大原真樹さんに
お話をききました。
現地に工房を構え、
いまもモロッコと日本を往復する大原さんに、
モロッコ雑貨に興味をもったきっかけ、
現地で仕事を始めた頃のこと、
そこから20年の歳月のことなど、
たくさんおききしましたよ。
3回にわけてお届けします。
大原真樹さんのプロフィール
大原真樹
モロッコ雑貨店「Fatima Morocco」
(ファティマ モロッコ)ディレクター。
バイヤー、スタイリストとして世界中を飛び回り、
様々な国と出会うなか、モロッコに魅了され、
2006年に独立、店舗経営をはじめる。
今も年間100日以上をモロッコで過ごす。
著書に『女は好きなことを仕事にする』
(大和書房)がある。
「weeksdays」には
「miiThaaiiのバッグとHonneteのストール、
あのひとの使いかた」に登場。
01モロッコに惹かれて

- 伊藤
- 「weeksdays」のコンテンツ、
そしてテレビ(「世界はほしいモノにあふれてる」)や
書籍で大原さんをご存知のかたも
多いと思うんですけれど、
「はじめまして」の方もいらっしゃると思いますので、
あらためてお話を伺わせていただけたらと思います。
どうぞよろしくお願いします。
- 大原
- こちらこそどうぞよろしくお願いします。
- 伊藤
- 大原さんはモロッコの「雑貨」に魅せられ、
それをお仕事になさっているわけですが、
いまに至る経緯を教えていただけますか。

- 大原
- 20代のとき、
アダム・エ・ロペ(ADAM ET ROPÉ)という
アパレルのお店で働いていたんです。
そこでモロッコの製品に触れて、
「モロッコってどこなのかな?」と、
そんなところから気になったのが始まりです。
当時はまだインターネットも無い時代で、
モロッコの旅行ガイドブックにしても
そんなに厚くない本が出版されているくらい。
ほかに頼りになるのは地球儀か地図くらいでした。
それでも少しずつ知識ができるうちに
どんどん好きになっていったんです。
はじめてモロッコに行ったのは2000年、
36歳の時のことでしたから、
モロッコを好きになって約10年後にやっと行けました。
そこからもう夢中になって、
3年ぐらいは日本とモロッコを往復する日々でした。
そして40歳の時にバックパックを背負って
1か月かけてひとり旅をした時、
「モロッコのことを仕事にしよう」と思ったんです。
- 伊藤
- その時になさっていたお仕事は?
- 大原
- 会社を辞めてスタイリストをしていました。
その頃から「物を買って売ったりする仕事をしたいな」と、
漠然と思ってはいたんですが、
どうしたらいいのか、よくわかっておらず、
それが突然のように「あ、モロッコだ!」と繋がって、
41歳の時に「本格的に買い付けをしよう」と
あらためてモロッコに行ったんです。
- 伊藤
- スタイリストのお仕事は何歳から何歳ぐらいまで
なさっていたんですか。
- 大原
- 32歳から41歳ぐらいまでですね。
アパレルのお店を辞める時、
お客さまに芸能関係の方がいらして、
「辞めるなら手伝ってくれませんか」という感じで
お声がけをしてくださったんです。
それで軽い気持ちでスタイリングの手伝いを始め、
いつの間にか10年近く経ってしまって。
- 伊藤
- そうだったんですね。
「モロッコのことを仕事にしよう」ということは、
何度も訪ねるうちに、現地に頼れるお知り合いが
できていた、ということでしょうか。
- 大原
- いえ、それが、そんな仕事で組めるような知人は、
誰もいなかったんです。
それで、知り合いの知り合い、
というふうに伝手をたどって、
雑貨に詳しい方を紹介してもらい、
工房や産地に連れて行ってもらったんですが、
その人が紹介するものが、どうもピンと来なくて。
やっぱり自分の目で見て「いい!」と思ったものがいい。
なので、原点に戻って、市場などで見つけて
「これ、いいな」と思ったものを、
「これはどういうふうに作るんだろう」
「いったい誰が作っているんだろう」と
掘り下げていくことにしたんです。
1年間ぐらい、そんな試行錯誤に費やしました。
最初はスタイリストと兼業していたんですが、
それも辞めて、モロッコの雑貨に集中して。
- 伊藤
- 最初に買い付けたもの、覚えてらっしゃいますか。
- 大原
- いちばん最初はバブーシュ、そしてカゴでした。
- 伊藤
- 最初が、バブーシュ!
- 大原
- そうなんです。
けれども最初にいいと思ったバブ-シュは、
すごく可愛いんですけれど、
素材も品質も良くなかったんです。
「このままじゃ、日本では絶対売れない」と思いました。
それであらためて、高品質な物作りのできる
職人探しを始めたんですよ。
モロッコのメディナ(旧市街)の中には、
バブーシュのエリア、カゴのエリアとか、
つくるものでエリアが固まっているんですね。
そしてバブーシュのエリアの工房で、
まだ15歳ぐらいだけれど腕のいい、
お父さんと一緒にやっている若い職人さんを見つけ、
彼のいる工房に別注をしたんです。
- 伊藤
- そこで、オリジナルの物作りが始まったんですね。
- 大原
- はい。けれども、スムーズにいかないんですよ。
腕はいい。けれども、価値感や習慣、時間感覚の違いで、
約束の期日が過ぎてしまうんです。
たまに日本から行って
「できましたか」と言ってもだめなんですよ。
まめにやりとりをしないと進まない。
それで、現地に住んでいる日本の女性を探して、
手伝ってもらうことにしたんです。
- 伊藤
- 時々、様子を見に行ってもらったり、
急かしたり?
- 大原
- そうです、そうです、まさしく「急かしたり」です。
私が2カ月に1回、モロッコに通っていたので、
その時「こういうのを作って」とお願いして、
私が日本にいる間は、モロッコに住む彼女が
生産管理をするというスタイルにしました。
それを1年ぐらいやってから
「自分たちの工房を作ればいいんじゃない?」
って思ったんです。
それで、その職人さんたちに来てもらって
立ち上げたのが、今も続いている
「Fatima Morocco」の工房です。

(つづきます)
2025-02-03-MON