福岡のうきは市にアトリエと住まいを構える
木工作家の山口和宏さん。
長いこと、山口さんのカッティングボードを使ってきた
伊藤まさこさんが、「weeksdays」のために
アレンジをお願いして、
山桜のカッティングボードと、
メープルの木べらをつくってもらいました。
おりしも東京にいらした山口さんを
伊藤さんのアトリエにお招きして、
この仕事に就いた経緯、木のこと、仕事のこと、
そして料理のことなど、おしゃべり。
そのようす、3回にわけておとどけします。
(写真は、まだ暑い頃、伊藤さんといっしょに
山口さんの工房と自宅におじゃましたときのものも、
いっしょに紹介しますね。)
その1山口さんが木工作家になるまで。
- 伊藤
- 山口さんとは長いお付き合いですけれど、
「どうして木工作家になられたのだろう?」
ということを知らずにいるんです。
そもそも、どんな経緯で
いまのお仕事をなさっているんでしょう?
- 山口
- はじめから木工作家を目指していたわけじゃないんです。
20代の後半に
「何をすれば自分は生きていけるんだろう?」
って自問して‥‥。
ぼく、本当に社会への適応能力がないんです。
- 伊藤
- そんなあ!
- 山口
- ほんとうなんです。
だから「なにかひとつ、自分に向いてるものがあれば、
なんとか生きていけるんじゃないかなぁ」と思って、
大工さんをはじめ、いろいろなアルバイトをしました。
でもどれも向いてなくて、
たまたま書店に入って手に取った本が、
飛騨高山の工芸家で、オークヴィレッジの代表の
稲本正さんの出された『緑の生活』でした。
そうしたら、すごく新鮮だったんです。
読んでいると、もうすっかり木工職人になった気分で、
「もしかしたら、ほんとうに、ぼくもなれるかな?」って。
- 伊藤
- どんなことが、若かった山口さんの心に届いたんでしょう?
- 山口
- 最初、仲間の5人で立ち上げたそうなんです。
兄弟2人と、友達3人で。
1人は大工さん、1人はろくろ職人、そして
木工の職業訓練校に修業に行って戻ってきたメンバーで、
工芸村を立ち上げるんですが、
そういった話とかもすごく新鮮で楽しくて。
いろんな自然のことも書いてあって。
- 伊藤
- 今、活躍されてる木工家さんは、
そこの出身のかたも多いですよね。
- 山口
- 森林たくみ塾という工芸学校ですね。
それで、ぼくも行ってみようかなぁ?
‥‥と思ったんですけれども。
- 伊藤
- けれども?
- 山口
- 九州は作陶の盛んな土地で、
たまたま、ぼく、焼物が大好きなので、
大分とか、佐賀の唐津とか。
そういった所に焼物を見に行っていたんです。
するとちょうど今住んでいるうきはの隣の村に
焼物と木工の工房をされている方がいると知りました。
遊びに行ってみたら、
ちょうどぼくと同じくらいの年齢の男の子が5人くらい、
働いていたんです。
それもすごく新鮮で、たぶんその人たちも、
あんまり社会に適応しないようなタイプのような気がして。
- 伊藤
- (笑)。
- 山口
- それで、もう、すぐ、
「社長さんに会いたいんですけど!」と、
そこで働かせてもらいながら、木工の基礎をまなびました。
そこではいろんな人たちとの出会いがありました。
お料理している方とかもいらして、
もう自分にとっては、本当に新しい世界だったんです。
福岡市内のおいしいコーヒー屋さんや、
いろんなおいしい所、かわいいお店を
紹介してもらったりしながら、
休みの日はよく出掛けるようになりました。
- 伊藤
- 山口さんって、かわいらしいものがお好きですよね。
お家もすごくかわいらしいし、お店も、
つくられるものも。
- 山口
- そうなってしまうんですよねぇ。
憧れを持っていて。
- 伊藤
- それがきっとお好きなものってことですものね。
その工房には長くいらっしゃったんですか?
- 山口
- 3年くらい勉強しました。
うきはに古民家があるよと友達が紹介してくれて、
そこに移って独立をしたんです。
ところがその土地が、生活するのに困難で、
山奥の古民家だったから、水を谷から引いていて、
その水が冬になると止まってしまうような土地なんです。
- 伊藤
- おいくつくらいのときですか?
- 山口
- 30です。そういった環境で生活しつつ、
しばらくして結婚したんですけれど、
そこの場所では生活が無理なので、
せめて住む場所だけでも便利なところでと、
空き家を探しました。
仕事はしばらくの間、
その山奥の工房まで通っていたんですけれど、
生活しているうちに住んでいる場所が好きになって、
縁あってそこに工房と住まいをつくることになり、
いまに至るんです。
- 伊藤
- 山口さんがお住まいのところは、
杉工場もあるし、
作家さんもたくさん住んでらして、
かわいいカフェとかもあって。
- 山口
- カフェ、できてますね。
- 伊藤
- 福岡とはいえ、
大分にかぎりなく近い場所の小さな町に、
すてきな人や店が集まるんですよね。
- 山口
- ぼくも不思議なんです。
うきは市‥‥むかしは吉井町(よしいまち)でしたが、
ぼくが来た頃、
一回りか二回り上くらいの方たちがいて、
その人たちが、絵描きさんとか、
骨董屋さんをやっていたんですよね。
その人たちの所に、いろんなアーティストが
やってきていました。
- 伊藤
- やっぱり集まるんですね、
どなたか素敵な人がいると。
- 山口
- そうだと思います。
でも、世代がちがうし、
ぼくの友達のタイプとはちょっと違ってる、
だからぼくはやっぱりひとりだったんですよ(笑)。
なかなかうまく話が合わなくて。
で、どうしようかなぁと思っていたら、
「四月の魚」というお店ができて、
毎日のように遊びに行くようになりました。
「四月の魚」は、いま、関昌生さんという方が、
ワイヤーで、いろんなかわいい小物を作っていますが、
最初は古道具屋さんだったんです。
- 伊藤
- 私、行ったことないんですが、
すごく素敵なお店だとききました。
- 山口
- そうなんです。古道具は「古道具坂田」の坂田和實さんも
何度か来られたりしてて、
すごく趣味がいいっていうか、センスがいい。
やっと本当にぼくの居場所が1つできたんです。
そこに、やっぱり毎日のように来る人たちもいて、
少しずつそういった仲間が増えてきました。
- 伊藤
- 楽しくなってきたんですね。
- 山口
- お酒を飲んだり、いろんな会をしたり、
イベントをやったりしてましたね。
- 伊藤
- で、それから、じゃあ、30何年ずっと?
- 山口
- そうですね。30年ちょっとになります。
(つづきます)
2019-03-25-MON