移動祝祭日
「おふろ」についての思い出をつづっていただく1週間。
きょうは、フォトグラファーの日垣己澄さんです。
青春をすごした、あの場所のこと、
書いていただきました。
旅に出たくなるなぁ!
ひがき・こずみ
1983年11月生まれ。フォトグラファー。
立命館アジア太平洋大学(APU)在学中に留学した
アイルランド、ダブリン在住時に本格的に写真を始める。
帰国・大学卒業後、文化出版局のスタジオで
アシスタントとして写真を学び、2010年に渡仏。
ステファン・セドナウェイ氏に師事しながら
ファッション、雑誌、広告等を撮影。
2014年帰国。在東京。
■ウェブサイト
ある光景を見て、
突然昔のことをありありと思い出すことがある。
それは駆け出しのカメラマンだった時に
住んでいたパリであったり、
19歳から20歳に変わる年を過ごした
アイルランドのダブリンであったり。
それらの光景を思い出しては
もうその瞬間に戻れなくなったことに気がついて
胸が締め付けられるような気持ちになる。
しかし学生時代に4年間住んだ別府は
他とどこか趣が違って
思い出すたびに、ほっこりと幸福な気分にさせられる。
僕はサンフラワー号という夜行船で
大阪から初めて別府に行った。
船内のアナウンスで起こされ、
売店でコーヒーを買いデッキに出て目にした別府の姿は
今でも細かく描写できるほど鮮明に覚えている。
朝日が降り注いで、海が輝き、
その先には湯けむり漂う別府の街並みが見えた。
別府の街は山のなだらかな傾斜にある街で、
海から見るとちょうど舞台から客席を見るように
全景をはっきりと見ることができる。
湯けむりが朝日に照らされて
少しオレンジ色に染まっていた。
別府は文字通り温泉が街にあふれていて、
観光客のみではなく土地の人々も日常的に温泉を利用する。
自宅に温泉を引いてあったり、
温泉付きの賃貸マンションに住んでいた友人までいた。
各地区にはそれぞれ小さい公衆浴場があって、
月に500円程度払えば入り放題だった。
実家から出て一人暮らしをしていた身としては
別府の温泉には経済面でも精神面でも救われた。
僕の通っていた浴場は坂の途中にあって、
5人入れば満杯といった具合の小さな浴場で、
建物の高いところについた窓から聞こえてくる声を聞いて
空き具合を確かめていた。
入り口に向かえば、
おばあちゃんが気持ちよく通してくれる。
服を脱いで浴場に入ると
いつも硫黄の匂いと石鹸の匂いが漂っていて、
お湯がかなり熱いとわかるほど蒸していた。
ある日の早朝に徹夜で書いていたレポートができあがると
無性に熱い風呂に入ってすっきりしたくなり、
いつもの浴場に向かった。
浴場は早朝から開いていたがその時にいたは僕一人だった。
朝の浴場はこれまで夜に見てきた雰囲気とは全く違った。
いつもの蒸した空気が、
朝のひんやりした空気で外に追いやられ、
中はひんやりしていた。
明るくて静かになった浴場で一人湯船に浸かると
徹夜の疲れが吹き飛んで、
目に映るものがキラキラと輝いて見えた。
以来私はどの温泉にいっても
早朝の風呂が一番良いと思っている。
あの浴場が今もあるのかはわからないが、
東京に出てきて何度あの風呂に
もう一度入ってみたいと思ったことか。
ヘミングウェイがパリについてこう語っていた。
“もし、きみが、幸運にも、
青年時代にパリに住んだとすれば、
きみが残りの人生をどこで過そうとも、
パリはきみについてまわる。
なぜならパリは移動祝祭日だからだ。”
自分は幸運にも青年時代にパリにいたが、
別府にも住むことができた。
そして別府の温泉の風景はどこにいようとも
僕についてまわるだろう。