わたしのバスルーム
いろいろなかたに、お風呂について書いていただく1週間。
最終回は、イギリス在住でアンティークジュエリーの
オンラインショップを営むイセキアヤコさんです。
いせき・あやこ
京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
「tinycrown(タイニークラウン)」
を運営している。
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■「イセキアヤコさんのジュエリーのお店」
(ほぼ日ストア)
南東ロンドンにある丘の町クリスタルパレスに引っ越して、そろそろ4年が経とうとしています。住所はどこ?と尋ねられるたび ‘I live in Crystal Palace.’ (ガラスの宮殿に住んでいるの) と、ギャグみたいな回答になるのが気に入っています。
私たち夫婦はここに人生で初めて住まいを購入しました。お買い得な物件を探し求め、いくつ内見したことでしょう。やっとのことで出合ったのが現在のフラットでした。
けれども、やっぱりうまい話はそうそうあるものではありません。値段のわりに広々としている点はよかったものの、前の持ち主は一刻も早くその物件を売りたかったらしく、低予算で急いで改装したと思われる内装はお世辞にも素敵とは言えないものでした。いちばん粗雑にリフォームされていたのはバスルームです。タイルの目地やシリコンはあちこちはみ出ていて、なによりも収納スペースが全くついていませんでした。必要以上に大きな洗面台とバスタブがいっそうバスルームを狭くしています。イギリスでは多くの場合がユニットバスで、バスルームは脱衣所も兼ねているのですが、あとから棚を設置する場所もなく、お風呂洗剤もトイレットペーパーのストックも隅っこのそのへんに置くしかありませんでした。
20代のころ、伊藤まさこさんが当時住んでいらしたご自宅に数日間居候させていただいたことがあります。白と落ち着いた木の色を基調としたお家は、食器、家具、ひとつひとつがきりりと美しく、すっきり片付いていて、朝日がさしこむと思わず目を細めたくなる清々しさ。当時まだ小さかったお嬢さんの胡春ちゃんもすでに片づけ上手の片鱗が見られ、案内してくれたお家の中の「秘密基地」も宝物がビシッと整理整頓されていて感心しました。うまく言葉で説明するのがむずかしいですが、伊藤さんのお家は自然体なミニマリズムが恰好よく、あたたかみのある整然さがとても快適でした。
中でもいちばん印象的だったのはバスルームの広い脱衣所です。白い壁の横に洗濯機がありました。これまた白い、モダンでおしゃれな洗濯機です。それだけでも絵になるデザインなのに、洗濯機の上に一枚の白い布が乗せられていたのです。私ははっとしました。それは明らかに洗濯機のボタンを隠すための布でした。きっと伊藤さんが縫われたのでしょう。パーフェクトなサイズの麻の布で、洗濯機をひとつの「白い箱」に変身させていました。その布があるのとないのとでは、はっきりと脱衣所が違って見えました。空間の中における「白」の追求と、さりげない工夫。伊藤さんのスタイルは、日常生活のその一枚の布に集約されている気がしました。
話を戻しまして、クリスタルパレスの我が家のバスルームは、当初、あこがれの伊藤家のバスルームとは対照的な、ごちゃごちゃしたものを隠せていない空間の代表でした。しかし、家を買ったばかりでもうお金がないし、チープでもいちおう新しいのでしばらくは我慢してこのまま使おう、と夫婦で話し合いました。お風呂の時間が大好きな私にとって、また、四国の温泉地出身の夫にとって、バスルームが使いづらいのは思ったよりもストレスで毎日足を踏み入れるたびにどよんとした気分になってしまうのでした。
それから2年後、私の40歳の誕生日がやってきました。学生結婚だったため、婚約指輪を辞退した私を今でも気にかけてくれている夫が「せっかく今は宝石の仕事をしているのだから、自分でダイヤモンドを選んで作ってみたら?」と、泣ける提案をしてくれました。けれども私の答えは決まっていました。「その案は(ちゃっかり)しばらく温めておくので、かわりにプレゼントは、豪華でなくていいから家族にとって使いやすいバスルームがほしいです」
イギリスですから便利な銭湯などありません。小さい子どもを二人抱えてのお風呂の改装は大変なので、施工時期は夏休みに子どもたちを連れて私が日本に帰省している間にすることに決まりました。収納スペースをつくるため、壁の一部も壊しての工事になり、施工期間は3週間弱。そのあいだ夫は仕事のかたわら現場監督をし、お風呂は勤め先の建物の中にある簡易シャワーで済ませる、という生活を続けました。
イギリスに帰ったら新しいバスルームが待っていると思うと嬉しくて仕方ありませんでした。建築の仕事をしている夫は気合を入れて自ら設計図をひき、収納棚の扉をヘリンボーンにするため、板を一枚一枚夜なべして貼り合わせました。ハイライトはイギリス生活十余年目にして遂に導入した、日本が誇るトイレテクノロジー(ウォシュレット)です。これまでイギリスの賃貸暮らしで、陶器製、アクリル製、木製、と、あらゆる冷たい便座を経験してきた私ですが、これでもう冬の苦しみとはおさらばです。
新しいお風呂公開の日、勇んで入ろうとする私と子どもたちを制し、夫が言いました。「一番風呂は、過酷な3週間を耐え抜いた者にのみその権利がある」と。(え、これは私の誕生日プレゼントでは?) 「ふう~、最高やわあ」幸せそうな夫の声がバスルームから聞こえてきました。
あれ以来、私は子どもたちや夫がお風呂やトイレを使って汚したままにしていると、「お母さんの誕生日プレゼントなんやから、バスルームは大事に使ってください」と、声をかけるようにしています。