fog linen workオーナーの関根由美子さんのお宅を、
伊藤まさこさんが訪ねました。
シンプルで気取らない、すっきりした空間は、
まさしく関根さんそのもの。
家のこと、とりわけバスルームのこと、
関根さんのルーツのこと、
そして、ふたりのものえらび、ものづくりについて、
たくさんおしゃべりをしましたよ。
3回にわけて、連載します。
その2リトアニアへ。
- 伊藤
- 大伯母さまは、リトアニアで、
リネンの仕事をなさっていたわけじゃないですよね?
- 関根
- そうじゃないんです。ふつうの主婦だったんです。
たまたまリトアニアから留学生がホームステイしていて。
その間に、リトアニアがロシアから独立したので、
情勢が危ないから家族も呼びたいと、
大伯母の家にご家族が引っ越していらして、
2年ぐらいいたんです。
そしてやっぱり国に帰りたいっていうときに、
むこうに帰っても仕事がない、となって、
大伯母が手伝って、
みんなで出資して和食の店を始めよう、って。
- 伊藤
- えっ?!
大伯母様は、じゃあ、
そのご縁でリトアニアに?
- 関根
- そうなんです。
といっても大伯母は基本的には日本に住んで、
ちょくちょく行っていたという感じですね。
- 伊藤
- すごい‥‥。でも、そうでした、
先ほど話してくださった関根さんのご両親も
よく外国のお客様を招いていたというし、、
おばあ様は、たしか‥‥。
- 関根
- そうです、そうです。
「みちのくあかね会」(*)。
- 伊藤
- 創立メンバーでいらしたんですよね。
盛岡の、戦争で夫を亡くした女性にも仕事を、って。
(*昭和33年に、羊毛を手染め、手紡ぎ、
手織りした織物をつくる「盛岡婦人共同作業所」が発足。
昭和37年に「株式会社みちのくあかね会」となる。
現在も、工程・運営のすべてを女性が行なっている。)
- 関根
- はい。祖母は医者でしたから、
祖母自体が織ったりは全然してないんですけれども、
会社の立ち上げを手伝いました。
思えば、祖母も大伯母も両親も、
すごくオープンな感じで、
祖母の家にもいつも留学生がいましたね。
わたしも小さいときからそんな環境で。
- 伊藤
- そうなんですか!
それで納得がいきました。
いま、外国のお客様をどうぞどうぞ、
長くいてくださいってお招きしたり、
リネンを探そうとリトアニアに行かれたのも、
関根さんにとっては、きっと、
躊躇するようなことではなかったんですね。
- 関根
- もう、そのときは、本当に生活のためっていうか。
ここで何か稼ぐ手段を見つけないと
暮らしていけないって思っただけなんです。
「何か買い付けをしたい」と思って‥‥。
- 伊藤
- リトアニアでは、すぐにリネン製品の
手配ができたんですか?
- 関根
- ところが、探したかったものを
売っているお店がまったくなくて!
リトアニアはロシアから独立してまだ間もなかったので、
そもそもお店なるものがそれほどなく、
あっても普通のスーパーマーケットで、品薄でした。
お土産物屋さんに行っても、琥珀のアクセサリーと
結婚式用のドレスみたいなものがあるだけ。
普通の布巾とかエプロンとか、
みんながふだん使っている麻の布って、どうしてるの?
どこで手に入れるの? と聞いたらば、
「つくってもらえばいいじゃない」って言うんです。
大伯母の和食の店でも
座布団カバーや暖簾が麻だったんですが、
そういうのは近所のおばあさんに縫ってもらったと。
- 伊藤
- 近所のおばあさん!
- 関根
- そういう人に頼んだら? って。
でも、日本で仕事にするには枚数が要る。
きっと何十枚もは縫ってもらえないし、
おばあさんも、その人たちも輸出の手続きはできない。
毎回、毎回、人を通すのも、
いずれ大変になるなと思ったので、
これはひとりでなんとかしなくちゃって、
電話帳で工場らしきところを調べて‥‥。
- 伊藤
- 電話帳!
- 関根
- リナス(LINAS=リネンのこと)って書いてるところに
電話をしたんです。
といっても、3軒ぐらいしかなかったんですよ。
だから、全部に電話してみて、
日本に商品を買いたいみたいなことを英語で言ったらば、
1軒目は言葉すら通じず、すぐガチャンと切られて、
でも2軒の人は話を聞いてくれました。
行ってみたかったんですが、場所が首都から遠かったので、
資料を送ってくださいと言ったらば、
小さい封筒で、リネンの1センチ角ぐらいの端切れが
3つぐらい入ったものが郵便で届きました。
「この生地があるから、何がほしいのかを言ってください」
そうやっていまの工場とおつきあいがはじまったんですが、
わたしは自分で商品を企画しようなんて、
そのとき、まったく思っていなかったんです。
- 伊藤
- あるものを買おう、と思っていたんですね。
- 関根
- そう思っていました。
それまではアメリカで、できあがった製品を買って、
日本に持ち帰って売っていたわけなので、
リトアニアでも
製品になったものを買おうと思っていたんです。
だから「こういう商品をつくってください」という
指示書を書く仕事が、全然わからなかった。
- 伊藤
- どうなさったんですか?
- 関根
- 昔働いていた家具の会社の人で、
そういう仕事をしていた人に、
どういうふうに指示書を書いたら
海外の人に通じるのか、教えてもらいました。
それでなんとか仕様書をまとめて、
キッチンクロスを30枚と、
エプロンも30枚ずつ、3型ぐらいお願いしたらば、
3週間ぐらいでサンプルが郵便で届いたんです。
- 伊藤
- ああ、ドキドキ。でも早かったですね。
ちゃんと、できていましたか?
- 関根
- はい! 「思った通りのが来た!」って。
リトアニアのひとたち、
きちんとしてるんですよ、すごく。
- 伊藤
- 「weeksdays」でもサンプルをお願いして、
あがってくるのがすごく早かったので驚きました。
- 関根
- ありがたいです、本当に。
- 伊藤
- それを、どこで売られたんですか?
まだfogのお店をつくられる前ですよね。
- 関根
- そのときは、バスケットを卸しているお店があったので、
その方に声をかけました。
すぐになくなったので、
次の月は200枚ずつとかっていうふうにまた注文すると、
またそれが届いて、みたいな。
そうしてだんだん広がっていって。
- 伊藤
- それが、いまに至る?
- 関根
- はい、そうなんです。
- 伊藤
- そして最初のお店をつくられたんですね。
たしか下北沢の周辺で、
本当にこじんまりしたお店でしたね。
わたしが『まいにちつかうもの』っていう本を出したときに
紹介させてもらったのを覚えています。
そのときの記事、自分で書いたのを見ても、
関根さんのつくられる麻の製品について
わたしの思っていることは、いまも変わりません。
「まとめて買ってます」
「どんどん使って毎日洗うと気持ちいいですよ」って。
当時、こういうものが日本にはなくて、
海外へ行くたびに買っていたんですが、
どうしてもいろんな柄のものになってしまうんですね。
かわいい柄のリネンは、
旅先で1枚、2枚買うと盛り上がるものの、
家にふえていくと、統一感がなくなっていくんです。
そしたら、関根さんがつくられているfogを知って、
「もう、全部換えてしまおう!」みたいな(笑)。
- 関根
- 全部(笑)!
- 伊藤
- そうなんです。
たとえば野田琺瑯もそういう感じで、
食材を冷蔵庫にしまうのに
いろんなプラスチック容器を使っていたんだけれど、
白い琺瑯がとても気に入って、全部換えたんです。
fogのリネンに出会ったときもそう思いました。
しかもとても安価でよかったんです。
- 関根
- キッチンクロス、最初の頃は
いまより安価でしたものね。
- 伊藤
- リネンはずっとリトアニアですか?
- 関根
- はい、リネンは全部リトアニアです。
- 伊藤
- 最初の工場のまま、
つくる量が増えていったんですか?
- 関根
- 最初からずっと同じ工場です。
わたしが最初訪ねて行ったときは、
もう家庭科教室みたいな感じで、
1部屋のなかに裁断するところがあって、
縫う人が4人ぐらいいただけの、
ちっちゃな工場だったのが、
なんと、いま、ビルになったんですよ。
- 伊藤
- すごい!
リトアニアの経済にも貢献しているんですね。
- 関根
- いや、いや、わたしたちは規模が小さいので、
そうとは言えないと思うんですけれど、
工場は着々と大きくなっているんですよ。
- 伊藤
- いまも、年に何度も行かれるんですか?
- 関根
- 年にだいたい2回です。
基本的には電話とメールでのやり取りで、
1日に何回もしてるので、
国内の工場と同じような感覚なんですよ。
「ここ、どうするんだっけ?」
「こうしてください」みたいなことが
すぐに伝えられる。
- 伊藤
- それでも、やっぱり年に2回は、実際に足を運ぶ?
- 関根
- そうなんですよね。
会わないことには片づかないことが、
いろいろあって。
- 伊藤
- たしかに、ものをつくっていると、
つくり手や工場のかたに会うことが
いかに大切かわかります。
全然違いますよね、仕上がりも、進むスピードも。
- 関根
- そうですよね。
わたしが行くときは、工場の人にしてみたら、
関根が朝から晩まで難題を言いに来たぞ、
みたいな感じかもしれないけれど(笑)。
- 伊藤
- ずっとお付き合いがあっても、
いまだに「えっ?」と思うことはあるんでしょうか。
- 関根
- 「えっ!」ていうことはないんですけど、
なかなか解決しない問題はあります。
たとえば端切れ。
布を使って製品をつくると、
端切れがどうしても出てしまいます。
いま、端切れだけで家1軒分ぐらいの倉庫があるんです。
手を変え品を変え、端切れセットを売ったりするんですが、
なにせ、どんどん出て来るので、なくならなくて。
使いみちのアイデアをインスタで募ったりしてるんですが、
抜本的な解決策は見つかりません。
- 伊藤
- 裂き織りにも短いですしね‥‥。
(つづきます)
2019-04-23-TUE