Satomi Kawakita Jewelry(サトミカワキタジュエリー)は、
2008年、NYでうまれました。
マンハッタンのアトリエで、
職人による手作業によってつくられるアクセサリー。
その世界を知りたくて、
NY在住のライター&編集者の仁平綾さんに、
デザイナーのSatomi Kawakitaさんに
インタビューをしてもらいました。
3回にわけて、おとどけします。
(ときどき出てくる関西のことばは、そのままで!)
Interview & text by Aya Nihei
Photos by Akira Yamada
Satomi Kawakitaさんのプロフィール
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Satomi Kawakita
Satomi Kawakita Jewelry デザイナー。
大阪生まれ。美大でガラスに出会い、
ガラス製作の時代を経て、2002年、NYに移住。
ジュエリーメイキングの専門学校で彫金を学ぶ。
卒業後、ダイヤモンドセッター(ダイヤモンドを
金属のアクセサリーなどに取り付ける仕事)に就き、
やがてジュエリーデザインも手がけるように。
2008年、Satomi Kawakita Jewelry始動、
2010年に会社組織として、正式にブランドを始める。
2014年、マンハッタンのトライベッカ地区に、
アトリエ件ショールームをオープン。
完全予約制で、オーダーメイドを中心に、
製作をつづけている。
その1はじまりは「ガラス」から。
- ──
- NYが拠点のジュエリーブランド、
Satomi Kawakita Jewelryのデザイナーとして
活躍されているSatomiさんですが、
実はスタートは、ガラスなのですよね?
- Satomi
- そうなんです。
京都の美術短期大学へ進学したあと、
地元の大阪にある
ガラス工房に通ったのがはじまりです。
息をふきこむと、ふわっと形が膨らむガラスが、
魔法みたいでおもしろいなあと思って。
もともと子どもの頃から
膨らむものに興味があったみたいです。
- ──
- 膨らむものに?
- Satomi
- カルメラってわかります?
屋台でよく売ってたお菓子。
- ──
- わかります、わかります!
おたまみたいな道具に、砂糖を溶かして‥‥。
- Satomi
- 重曹を混ぜたら、ばっと膨らむやつ。
ああいうケミカルリアクションみたいなものに、
昔からすごく惹かれてて。
橙の果汁で半紙に文字を書いて、あぶり出すとか、
プラバンも、よくつくりましたね。
(プラスチックの薄い板に絵などを描き、
オーブントースターで温め加工する工作)
- ──
- 懐かしいです。
手で何かをつくることが、好きだったんですね。
- Satomi
- そうですね、母が洋裁をしていたので
その影響があると思います。
そうそう、小学校低学年のときには、
針山をすごくたくさんつくったのを覚えています。
- ──
- 針山って、手芸用の針を刺すクッション。
そんなに数はいらないですよね?(笑)
- Satomi
- 1個あれば十分(笑)。
でもつくりだしたら、何個も何個もつくりたくなるんです。
展開するクセ。
色の組み合わせをいくつも試すとか。
- ──
- 展開癖。おもしろい。
Satomi Kawakita Jewelryも、
デザインや色のバリエーションが豊富ですよね。
(指輪だけで、約150種類のデザインがあるそうです)
その片鱗がすでに、子どもの頃から‥‥。
ちなみに、ガラス工房では、
どんなものを制作していたんですか?
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- Satomi
- アート作品ですね。
もっと身近な日常のものをつくりたかったんだけど、
当時(90年代)は、グラスは安価な工業製品でいい、
という時代だったし、
工房の先生が、アメリカでガラスを勉強した人で、
スタジオガラスムーブメントの影響を受けていたので、
アート志向だったんです。
ガラスはあくまでも表現する素材である、というね。
- ──
- 20歳の頃、アメリカへガラスのワークショップを
受けに行ったのも、工房の先生の影響ですか?
- Satomi
- 先生から、「アメリカのガラスは、
日本のものとは全然違っておもしろい」と聞いて
2カ月間のワークショップに参加しました。
- ──
- 当然、授業はすべて英語ですよね?
- Satomi
- そう。でも高校で英語が好きだったから、
変な自信があって、なんとかなるやろう、みたいな。
それで、いざアメリカに行ったら、
まったく何を話しているのか、わからない!
しかも、吹きガラスでつくった作品を、
みんなの前で、英語でプレゼンしなくちゃいけなくて。
- ──
- うわー‥‥。日本人がもっとも苦手そうな‥‥。
- Satomi
- 10人ぐらいのクラスメイトの前で、
作品のコンセプトを、って言われても、
もう全然言葉が出てこなくて。
みんなの前で、3回は泣きましたね。
でも泣いたって、誰も助けてくれない。
生まれて初めての挫折でした。
- ──
- 心が折れちゃいそうです‥‥。
- Satomi
- 辛かったです。
クラスに一人、日本人の女の子がいて、
彼女は英語ができたから、どんどん輪が広がって。
果てには、アメリカで就職するみたいな話も浮上して。
それを見て、くっそーー!って思いました(笑)。
語学でこんなに差がつくのかと。悔しかった。
- ──
- 自分の中に何かが残る結果になったわけですね。
- Satomi
- 必ず死ぬまでに語学留学をして、
英語をきちんと話せるようになりたい。
そう強く思って日本に帰りました。
帰国後は、ガラス工房で働き始めました。
- ──
- 工房では引き続き、吹きガラスでアート作品を?
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- Satomi
- でもつくりたいものが、全然思い浮かばないんですよ。
作品を通して、世の中に伝えたいことがあるわけじゃない。すごい違和感を覚えていました。
それと、吹きガラスのプロセスが、
自分にあってないとも思っていました。
一発勝負なので、プレッシャーを感じてしまって。
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- ──
- なるほど。吹きガラスって瞬発力がいりそうです。
- Satomi
- 手芸のように、もっとゆっくり、
自分のペースで完結できるものづくりが
好きなんだと気づきました。
- ──
- 悶々としたものを抱えていたわけですね。
- Satomi
- そうこうしているうちに、ガラス工房が閉鎖して。
いい機会だから、語学留学を目指すことにしました。
アルバイトをして、費用を貯めることにしたんです。
同時期に、片手間でビーズ織りのブレスレットをつくって、
友人の店で売り始めたら、大当たりして。
- ──
- おお! なんでそんなに売れたんですか?
- Satomi
- やっぱり、デザイン?(笑)
- ──
- 普通にはないデザインだったんですね?
- Satomi
- 渋い感じの色あいとかね。
つくり始めたら、
いろんな色の組み合わせでつくりたくなって、
コレクションが膨大な量になったので、
値段を添えて、カタログもつくりました。
- ──
- おおおお、やっぱり「展開癖」がある!(笑)
- Satomi
- カタログ片手に営業して、
関西や東京の店で扱ってもらえることになって。
内職の人を5人雇いましたね。
- ──
- すごい。Satomi Kawakita Jewelryの前身ですね。
- Satomi
- 予想以上の資金が貯まったので、
アメリカに留学に行くことにしました。
当時、付き合っていたアメリカ人の彼が、
ボストンに帰って仕事を探すって言うので、
だったら私もボストンへ行くことにしたんです。
- ──
- 恋の後押しもあったんですね。バラ色の留学生活。
- Satomi
- というより、とにかく焦ってましたね。
語学を早く身につけたくて。
そして、ボストンについた初日からメイン通りを歩いて、
ガラスを売っている店を見つけては、
ガラス工房を知らないか、と聞いてまわりました。
- ──
- バイタリティーのかたまりですね。
語学だけではなく、やっぱりガラスもやりたかった?
- Satomi
- ネイティブの人たちと触れ合うきっかけとして、
ガラスという自分の武器を使う感じでしたね。
いくつかのガラス工房に連絡したら、
手伝いに来てほしいっていうところが見つかって。
工房でアシスタントをすることになりました。
しばらくしたら、そのガラス工房が、
ビザをサポートすると言ってくれたんです。
- ──
- 働くためのビザですね。
アメリカで取得するのはなかなか大変です。
- Satomi
- アメリカのビザがもらえるのは、とても大きなこと。
早速、NYの弁護士事務所まで相談しに行ったんですね。
そうしたら弁護士の人が
「その仕事、本当にやりたいの?」って。
その第一声に、「はっ」としました。
- ──
- ガラスを本業にしていくのかどうか、
ということですね。
- Satomi
- そもそも日本のガラス工房にいたときから、
迷いがあった。
一生やりたいか? いざ考えてみたら、
やっぱりガラスじゃないな、と。
- ──
- ビザが欲しくて、自分を見失いかけていた?
- Satomi
- 弁護士の言葉で、目が覚めました。
「やっぱりやめます」って言って、
その足でジュエリーの学校に見学に行ったんです。
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- ──
- 急展開ですね。なぜいきなり、ジュエリーを?
- Satomi
- ガラスをやっているころから、興味があったんです。
小さいスケールのものづくりだし、
自分がつくったものを身にまとえることが、おもしろい。
ビーズでアクセサリーをつくっていた時に、
市販の金具を使っていたんですけど、
ちょっと残念だなと思っていたんですね。
金具までつくれてなんぼやな、と(笑)。
彫金を学んで、金具を自分でつくって、
やっと「オリジナル」って呼ぶことができる。
- ──
- なるほど。でもなぜ、アメリカだったんでしょう?
彫金だったら、日本でも学べそうです。
- Satomi
- 日本に帰るのは、何かを手に入れてから。
自分で「手に入れたぞ!」って思えるぐらいの
何かがないと、日本に帰りたくなかったんです。
- ──
- その時はまだ、手に入れてなかったんですね。
- Satomi
- そう。だからNYのジュエリー学校を見学に行って、
その場で入学の申し込みをしました。
- ──
- いよいよSatomi Kawakita Jewelryへの
第一歩ですね。
(つづきます)
2019-09-02-MON