未分類カテゴリー記事の一覧です

還る場所

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「箸休め」とか、
「箸を置く」とか。

「箸より重いものを持たない」とか、
「箸が転んでもおかしい」とか。

箸に関することわざや言葉はいろいろとあるもので、
それらを耳にするたび、
お箸って、
私たち日本人にとって、
欠かせない道具なのだなぁと
しみじみします。

棒が2つの単純といえば単純な道具なのに、
まるで指先の延長のよう。
お箸がなければ、
私たちの食卓は成り立たないと言っても
けして大げさではないでしょう。

毎年、新年には新しい箸を新調してきましたが、
今年は箸おきを新しくしました。

箸おきって、朝昼晩のごはんの時間に欠かせない、
箸の置き場所。
「還る場所」でもあると思う。

箸を使ったら、スッと戻す。
使う時にはまたそこからスッと取る。
食卓での所作も、
箸おきがあると美しくなる。
小さいながらも、
その役わりは大きいのです。

今週のweeksdaysは、
伊藤環さんの石のような箸おき。
環さんの手によって、
ひとつひとつ作られた、
まるでアートピースのような、
美しい箸おきです。

コンテンツでは、
この箸おきができるまでの話を、
環さんとおしゃべりしました。
どうぞお楽しみに。

Half Round Table わたしのつかいかた 伊藤まさこ

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サイドテーブル代わりにもなる、
半円のラウンドテーブル。
人が集まる時にリビングへ。
テーブルの上には、
ワインやグラス、取り皿やカトラリーなど、
人数分置いておき、
「お好きにどうぞ」。
そんな気兼ねのいらない集まりにぴったりです。

また、角がないので、
人が行き交う場所に置いてもじゃまにならない。
我が家にあるテーブルはすべて四角いので、
これは新鮮な驚きでした。

こちらは玄関。
テーブルの上には、鍵を置いたプレートと、
キャンドルを。
足元には、スリッパの入った木箱を置きました。
大きすぎず、かといって小さすぎない。
玄関のちょっとしたスペースにも置ける
絶妙なサイズ感がいいんです。

ふだんは、肘掛けのある椅子が定位置のこの場所に、
ラウンドテーブルを置いたら、
あら、しっくり収まった! 

椅子と違って目線が高くなるので、
部屋の印象を変えることもできるんです。

テーブルの手前に置いたのは、
北の住まい設計社とweeksdaysが作ったスツールです。
椅子の脚とテーブルの脚、
形を統一したことで、
並べると、さりげなくお揃い感が出る。
こういう細部の仕上げが、
部屋の印象を決めるのです。

家の中であれこれ使ってみて分かったのですが、
見た目以上にいろいろなものが置けます。
なのに、場所を取らない。
角が丸くなるだけで、こんなに? と思うほど。

パソコンとデスクライト、
資料いろいろを置けば、
あっという間に仕事場に。

ある時は、ワインを。
またある時は、玄関に置いてキャンドルを。
仕事机にもなっちゃう、懐の深さ。

もうひとつ、何かテーブルを。
そう思っている方におすすめです。

Half Round Table あのひとのつかいかた 3・吉川修一さん

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吉川修一さんのプロフィール

よしかわ・しゅういち
株式会社STAMPS代表。
1965年東京生まれ。茨城育ち。
大学卒業後、数社のアパレル企業で営業、
マーケティングと店舗開発に携わる。
国内外のファッションとものづくりに触れた経験から
2013年にSTAMPSを設立。
「STAMP AND DIARY(スタンプアンドダイアリー)」や
「utilité(ユティリテ)」などの
オリジナルブランドの制作のディレクションから
フランスのバッグ「TAMPICO(タンピコ)」や
英国の「OWEN BARRY(オーエンバリー)」、
「Wallace#Sewell(ウォレス アンド スウェル)」など
インポートブランドのセレクトまで手掛ける。
最近ではアパレルにかぎらず、
日々を豊かにする「もの」全般を取り扱っている。
「weeksdays」では「あのひととコンバース。」に登場。

●STAMPS オフィシャルウェブサイト


「はじめて見た時、
置かれた時の安定感にまずびっくりした」
という吉川さん。

「見た目に重量感があるので重いのかなと思ったら、
そんなこともない。
家具の移動が好きなので、
それが苦にならないんです」。

家の中の模様替えはもちろん、
家からオフィスへ、
オフィスから箱根の別宅へ。
家具を移動して、気分を変えるという吉川さんにとって、
「重さ」というのも、大切にしているポイントのよう。

「それから、どこに置いても収まりがいい」
と言って見せてくれたのは、
ご自宅の玄関に置かれた様子。

ラウンドテーブルを見た時、
まっ先に「玄関に置こう」
そう思ったんですって。

「小包や手紙などを受け取ったら、
まずはここへ。
郵便物を広げたら、
またテーブルの上を片づけて、
きれいな状態にする。
何かの中継地点のような役割もしてくれます」

「それから、
季節ごとのしつらえを見せても」

外国の家の玄関を開けると、最初に目に入るのは、
額やリースなどが置かれた、
コンソールテーブル上のデコレーション。
靴箱が置いてある日本の住宅事情では
なかなか難しいと思っていたけれど、
このテーブルだったら叶うかも。
玄関を開けた時の印象って、とても大事です。

こちらは、オフィスの入り口。

私たちが訪れたのは、
ちょうど展示会のシーズン。
芳名帳とハンドジェルを置いた
テーブルが出迎えてくれました。
立ちながら名前を書くのにちょうどいい高さです。

「あまりに馴染みすぎて、
スタッフが新しいテーブルがきたことに
気がつかなかったほど!」
と言うほど、しっくり。
そして、あつらえたかのようなジャストサイズ。

「棚を置けば、じゃまになってしまうし、
ネストテーブルだと高さが足りない。
あっちを立てれば、こっちが立たず。
世の中には、たくさんのいい家具があるはずなのに、
ちょうどいいのが今までなかったんです」

「それからこのテーブルのよさは、
上にものを置くと背景ができて、
空間が一枚の絵のようになるところ」

「座る」とか「ものを収納する」とか。
用途のはっきりした家具ももちろん必要だけれど、
飾るための家具があってもいい。
このラウンドテーブルって、
そんなことを思わせてくれる家具なんです。

北の住まい設計社とは、
長年のおつき合いという吉川さん。
旭川の工房をたびたび訪れては、
もの作りの背景や、家具作りに向き合う様子を、
つぶさに見てきたとか。

「さすがだなぁと思いました。
鋳型で作ったような正確さなんですけど、
機械的な感じがせず、
そこに人の温もりが感じられる。
一生ものという言葉がしっくりくるものだな、
ということをこのテーブルが語っています」

家具を愛する吉川さんの言葉を聞いていたら、
ますます愛着が湧いてきた。
そう、このテーブル、
本当に「一生もの」なんです。

Half Round Tableと、お手入れのこと

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伊藤
今回、わたしの思いつきで、
このHalf Round Tableをつくっていただきました。
というのも、家具って、もうみなさんだいたい持ってる。
でも、何かちょっと、欲しい気持ちもある。
わたしもそうだったんです。
そこで、ちょっと置ける、
普通のサイドテーブルじゃないもので、
その場の風景が変わるものが欲しいなと。
そこで半円のテーブルはどうかなって、
漠然と思い、相談をさせていただいたら、
こんな形になってできあがりました。
ありがとうございます。
秦野
こちらこそありがとうございます。
伊藤
いろんな使い方ができるなと思って
夢が膨らんでるんですけど、
これは、いかがでしたか? 
そういうお話をわたしたちから持ち掛けた時に、
どうお感じになりましたか。
秦野
まずサイズ感がすごく大事だなと思いました。
マンションに置かれることを想定したほうがいいと。
伊藤
そうですね、大きすぎないということですね。
でもスモールスペース用、
というばかりではないと思うんですよ。
たとえば、玄関の広いお家なら、
玄関まわりに置いて、お花が飾られていたら素敵ですし、
ハーフサイズといっても
パソコン仕事ができるぐらいの面積はあるので、
壁にむけて自分の小さな居場所をつくることもできます。
渡邊
そうですね。本を積んでいてもいいし、
鏡を置いてお化粧をしてもいいし。
伊藤
いい感じがします。かわいいです。
これはさっきおっしゃたように北海道産の木ですよね。
秦野
ミズナラ100%です。
伊藤
すべて自社生産で。
渡邊
この面積の天板をつくるのに、
板はぎ‥‥はぎ合わせという
くっつけて、まっ平にする工程があって、
そこから自社でやっています。
ただ、曲げ木の部分は、
大きな設備が必要なので、
そこは外のチームに委託しています。
伊藤
製作において、苦労したとことはありましたか。
城浦
そうですね。この曲木を丸脚に収める接合の所が、
ちょっと難しくて。
秦野
中間で脚をつなぐ補強ができないので。
伊藤
思い出しました、
わたしが途中でちょっと乱暴なことを言ったこと。
「脚が取り外せるといいのに」って。
そうすると送るのがコンパクトだと思ったんです。
でも「それはできません」ってきっぱりと
お返事をいただきました。
雅美
そうなんです、そのためには、
いちばん最初から、それを前提に
デザインをしないといけません。
城浦
取り外すという仕組みづくりから
スタートしないといけないんです。
伊藤
送る時のことを考えてそう言ってしまったんですが、
使う時は、もうずっとこのかたちで、
脚を取ったり付けたりはしまんから、
この形でいいんだって思いました。
そっか、曲木の部分と丸脚の接合‥‥。
秦野
大変ですね、そこが。
伊藤
脚の下もすごくスッとしてカッコいいです。
そうだ、お手入れ方法もおたずねしておかなくちゃ。
雅美
それはもう、秦野に。
秦野
任せてください。
とはいっても、日々のお手入れは
水拭きだけでも十分なんですよ。
伊藤
さきほど「石鹸で」とおっしゃっていたのは‥‥?
秦野
はい、汚れが気になる時には、
石けんを使ったお手入れをおすすめします。
伊藤
石けんは、どんなタイプを?
秦野
いま、うちでは、
マルセイユ石鹸をおすすめしています。
汚れがついている時は、
マルセイユ石鹸をつけて、
拭いていただくんです。
伊藤
マルセイユ石鹸がおすすめの理由は‥‥。
秦野
化学物質が入っていないからです。
そういうものであれば、
たとえばアレッポの石鹸でもいいですよ。
伊藤
それで、汚れている箇所を‥‥。
秦野
やってみましょう。
用意するものは、ぬるま湯を入れたバケツやボウル、
ナチュラル(オイル仕上げのナラ)の場合は
スポンジか柔らかい布を、
ブラックの場合は台拭き。
そして、乾いた布‥‥ウエスですね、と、
マルセイユ石けんです。
まずぬるま湯に浸して軽く絞った
スポンジあるいは台拭きに
マルセイユ石けんをすり込みます。
伊藤
ふむふむ。
秦野
まずそうしたら、全体にまんべんなく拭きます。
ナチュラルでためしてみましょう。
木目にそってごしごしと、
とくに汚れた部分は
その汚れを落とすように拭き取ります。
こうして‥‥。
伊藤
あっ、天板全面を
磨くように拭くんですね? 
秦野
はい、僕は、石鹸を使うときは、
天板なら天板全部をやりますね。
でも汚れてるところだけでもいいですよ。
小さいお子さんがいると、
どうしてもいつも触るところだけが
黒っぽくなったりするので、
そこだけ集中してかけても。
伊藤
スポンジは、ザラザラしてるほうなんですね。
秦野
はい、木目に沿って、優しくこすります。
乾いた布で泡を軽く拭き取ります。
‥‥ナチュラルは、以上です。
伊藤
えっ? 終りですか?!
水ぶきしたりは、ないんですね。
秦野
いいんですよ。これで終わりです。
石鹸の油分が木についてるので、
このまま、また使っていただいて大丈夫です。
無垢の家具でオイルフィニッシュっていうと、
みなさんお手入れのハードルが高いと
おっしゃるんですけれど、
全然、これで大丈夫なんです。
伊藤
なるほど! 
ブラックの場合は、いかがですか。
いまここにはサンプルがありませんが‥‥。
秦野
ブラックの場合は、
強くこすると色移りする事がありますので、
台拭きをつかって、やさしく拭いてください。
ぬるま湯で軽く絞った台拭きに
マルセイユ石けんをすり込み、
全体にまんべんなく拭きます。
汚れた部分は汚れを落とすように拭き取ります。
そして水気の残っているところを
乾いた布で軽く拭き取れば、おしまいです。
マルセイユ石けんは洗浄力が強いので、
使うときは特にやさしく。
塗装の寿命を縮める原因になりますから‥‥。
伊藤
わかりました、
ブラックはとくにやさしく、ですね。
あと、おききしておきたいのは、
ナチュラルの場合、
無垢の木なので、長く使っていくうち、
あるいはそうして石鹸で磨くうちに、
ちょっとけば立つというか、
木の表面がざらざらしてきますよね。
その対策はどうしたらいいでしょう。
秦野
ですよね。今はつるつるの表面ですが、
まめに手入れをしていると、
じょじょにカサカサして毛羽立ってきます。
それが気になるレベルになったら、
やっぱりサンドペーパーをかけていただくのがいいですね。
伊藤
サンドペーパー。
それは使いはじめて何年も経ってからですか? 
秦野
いえ、1年に1度くらいかけると、いいと思いますよ。
これも、木目に沿ってかけてくださいね。
伊藤
はい! 番手は何番ぐらいですか。
秦野
400番ぐらいですね。
伊藤
うんと細かいタイプ。
秦野
ただ、サンドペーパーをかけると、
表面のオイルも削れちゃうので、
このあとオイルを塗るんです。
僕が使っているのは
亜麻仁油が主成分のメンテナンス用オイルです。
ウエスにすこしつけて、
やはり木目に沿って薄く均一に塗り込みます。
そして、しばらく、放っておく。
夜に塗れば、次の日の朝には乾いています。
そうすると新品に近い状態に戻りますよ。
たとえばボールペンで書いちゃって凹んだとか、
鍵で擦って傷つけちゃったよっていうときは、
こんなふうにしていただくと、
目立たなくなりますよ。
伊藤
なるほど、傷がついた時も、なんですね。
秦野
浅い凹みや傷であれば、大丈夫。
それとよくぶつけ傷といって、
椅子が当たったりして
角がつぶれちゃったりとかするんですけど、
そういうときはスチームアイロンで
スチームをあてます。
布をあててへこんでしまってるところに、
スチームを入れるんですよ。シューッ、と。
伊藤
そうすると木がふっくらと戻ると
聞いたことありますが、
なんだか怖くてやったことなかったんです。
──
木の繊維がつぶれてるだけってことですか。
秦野
そうなんです。
大きくえぐり取られていたら無理ですが、
小さな傷や凹んでいる程度でしたら、
そこに蒸気を入れてふくらませることができます。
伊藤
ふむふむ、勉強になります。
秦野
とにかく小さなしみや汚れ、傷、凹みは早めに。
放っておくのがいけないんです。
たとえば赤ワインをこぼしてしばらくおくと、
赤ワインは色が染みやすいので。
一晩経ったら色がついてします。
こぼしたときは、すぐ拭いていただくのが
やっぱりいいと思います。
そうそう、私の妻がお菓子をつくってて、
ラム酒の瓶を倒したんですよ。
そうしたら化学反応があったらしく紫色になりました。
ペーパーをかけても、なかなか消えなかったんですけど、
3年くらいしたら、わからなくなりました。
伊藤
3年で? 木ってすごいですね。
お手入れのこと、よく理解しました、
ありがとうございました。
あとは‥‥、最後になりますが、
これからここはどうなさりたいですか? 
渡邊さん。
渡邊
ああ、ここの将来のことですか?
雅美
本人も悩ましいところじゃないかな。
渡邊
うん、うまく引き継げるのか、そこが問題ですね。
家具については、物として表現していけば、
継続性っていうのは、つくれるんではないかと思います。
ただ、ぼくは建築のほうもやっているんですが、
これはぼくしかやっていないので、継ぐ人がいません。
これからも長くこのスタイルでやっていくためには、
そういうプランを考えていくべきなんですけど。
伊藤
わたしたちとしては、ぜひ先々も、と思います。
渡邉さん、みなさん、
今日はほんとうにありがとうございました。
ひきつづき、「こんなものがあったらいいな」を
思いついたら相談させていただきますね。
渡邊
ありがとうございました。
雅美
いつでもおっしゃってください。
また気軽に東川へ遊びにどうぞ。
伊藤
はい!

Half Round Table あのひとのつかいかた 2・清水彩さん

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清水彩さんのプロフィール

しみず・あや
2010年、Landscape Productsに入社、
カフェのスタッフからスタートし、
食のブランド、GOOD NEIGHBORS’ FINEFOODSの
ディレクションや、直営のセレクトショップ
Piliのマネージメント・バイイング、
海外アーティストとのやり取りなどを担当、
取締役に就任する。
2021年に独立。
「weeksdays」ではクラッチバッグの回に登場。
ふたりの子どもとの3人ぐらし。


「いつか、小さなグロッサリーストアを開きたい」
という清水彩さん。
生粋の食いしん坊。
そしておいしいものへのアンテナは、とても敏感。
「清水さんからおすすめされるものは、間違いない」
そんな安心感があります。

去年、ランドスケーププロダクツから独立。
今は、キュレーションやPRと、
活動の幅が広がっていますが、
一言で言うと、
「いいものを作っている人たちと、
私たち使う(食べる)側の橋渡し役」なのかな。
ホテルから、
一人でマッコリを作っているところまで。
大小にかかわらず、
サポートしたいと思う人たちの間に入って、
世の中にものや、ことを紹介したい。
そう思っているんですって。

半年前に引っ越した清水さん。
新居は、どんな感じなのだろう?
興味津々で訪れるとそこは、
鎌倉の山にほど近い、かわいい一軒家。

入るとすぐ広がるのがこの光景です。

小さな子供部屋が2つと、バスルームに囲まれた
5畳ほどのスペースに、
テーブルが馴染んでいるではありませんか。

「本棚のあるこの場所をどう使おうかと考えた時、
このテーブルがしっくりきました。
ちょっと本を読んだりするのにちょうどいい」
四角いデスクではなく、
半円がぴったりなんですって。

「こっちにも合うんですよ!」と見せてくれたのが、
さっきテーブルを置いたちょうど真向かいのスペース。
(この奥が玄関になっています)
ささっと椅子や本を置いて、
スタイリングしてくれました。

小さな頃から、
棚の中を飾るのが好きだったという、清水さん。

家の中を見回すと、
なるほど、そこかしこに棚が。

この家に越す前、
都内の新築のマンションに住んでいたという清水さん。
「きれいすぎて、ヴィンテージの家具は
合わなかったんです」

ハイジのベッドルームのような寝室、
黄色いタイル張りの小さな台所、
家のそこかしこに設られた棚‥‥
今は、このユニークな家に合った
インテリアを楽しんでいるところだそう。

2階のリビング横の和室にテーブルを。

テーブルの木の色合いはナチュラルとブラックの2種類。
「どっちにするか迷ったんですが、
ナチュラルは和室にも合うかなと思って」
なるほど、畳にぴったり。
パソコンと椅子を置いて、
外に向かって仕事ができたらいいなと
思っているのだそう。

ローテーブルではなく、
ここはあえてのテーブルと椅子。
圧迫感のない半円だからこそできることなのかも。

「これが一回り大きくても、小さくてもきっとだめで、
どこに置いてもしっくりくる、ちょうどいいサイズ感。
我が家には壁がないので、
もうこれ以上、家具は置けないなと思っていたけれど、
これなら大丈夫」と
うれしい感想をいただきました。

引っ越したときに、
大家さんからの覚書に書いてあったのは、
「とにかく窓を開けて風を通すこと」
晴れた日はもちろん、雨の日も。

この前、こんな大きい(と、手のひらを指差して)蜘蛛が、
天井をつたっていたのには驚いたけれど‥‥
と言いつつも、
鎌倉暮らしを楽しんでいる様子。
この家に、テーブルが馴染んだ頃、
また遊びに行かせてくださいね。

ヤコブ君のいた日々

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伊藤
「北の住まい設計社」の工場は、
どこもかしこも美しいですね。
道具とか、ちゃんと整理されていて。
シートひとつとっても、ブルーシートじゃなく
モスグリーンのものを使われるとか、
こまかいところにも
目が行き届いている印象でした。
雅美
ブルーシート、たしかに使ってません(笑)。
あんまり好きじゃないから。
伊藤
ほんとですね。
そしてあるべきところに道具があって、
誰が見てもわかるっていうのが、
すごく気持ちよかったです。
それから、出番を待つ木たちの美しさ! 
調湿してある養生室に案内していただいたんですが、
きれいでおどろきました。
渡邊
ものすごく整頓ができていますよね。
一旦、整理したんです。
雅美
チームがいいんですよ。
ちゃんとそういうことに気が回る。
伊藤
チームができあがるまでには、最初の5、6人から、
だんだん人が増えていったのだと思いますが、
それは、募集をしたんですか。
雅美
最初の頃は、職人志願の人がずいぶん来ました。
多かったのは、脱サラで、
こういう仕事が精神的にいいと思って来る。
だけど実際、最初から家具づくりの仕事が
できるわけじゃないから、
あきらめて、抜けた人もずいぶんいます。
伊藤
全く未経験の人も受け入れていたんですね。
渡邊
そうです、受け入れていましたね。
雅美
なんでも受け入れるタイプなんです(笑)。
渡邊
でも、一人前になると独立していきます。
雅美
技術を一通り身につけて
出ていく人はずいぶんいましたね。
渡邊
そういうものなんですよ。
日本中から来ていましたから、
故郷に戻って独立をするんです。
そういう前提ですからね。みんな。
伊藤
きっといろんなかたがいらっしゃったでしょうね。
渡邊
大学卒業前にたまたま北海道旅行に来て、
うちに寄って、ご飯を一緒に食べたくらいの人が、
あとから職人になりたいって来たこともあります。
いまも在籍している職人の中に、そういう人がいますよ。
秦野
唯一の新卒ですね。
──
就職戦線でくたびれ果てて、
「あ、これかも?」って思ったのかも。
雅美
ところがやってみたら、不器用で、
けっして向いてなくて!(笑) 
でも、一所懸命続けて、
いまは頼りになる、立派な職人です。
渡邊
やりながら、身についていくものだからね。
雅美
教育機関ではないので、見て覚えるしかないんです。
でもいきなりテーブルくらいつくれる人もいる。
そういうことって、素質なんでしょうね。
伊藤
こちらの家具は、渡邊さんがスケッチを描かれて、
それを設計の人や職人のみなさんと揉みながら
つくってきたと聞きました。
今も、それがあるけれども、
自分たちからオリジナルをつくって
渡邊さんに提案する場合もあるとか。
雅美
はい。たとえばこの城浦くんは力があるから。
意図をくんで、提案してくれます。
それをディスカッションして、
またつくってみて、というふうに進めています。
たしかに昔は全部渡邊のスケッチから始まっていましたね。
伊藤
それは設計図のように
ここが何cmで、とかじゃなくて、
おおまかな感じなんですか。
雅美
そうなんですよ。
伊藤
それでピンとくるのもすごい。
イメージから設計、そして実際にものができあがるまで
試作も何度かなさるんでしょうね。
雅美
そうなんです。たとえば、
ヤコブっていうスウェーデン人が、
うちに1年来たんです。
彼は英語を話すのだけれど、
私もだめだし、夫もだめなので、
絵とジェスチャーでコミュニケーションをとるんです。
彼は、優秀で頭もいいし、顔もよかったし(笑)、
私たちと価値観がすっごく近かったので、
イメージを伝えると、彼は自分なりのスケッチをつくり、
それをもとに話し合って、
それを図面化してまたやりとりをして‥‥
という具合でしたね。
伊藤
そんなかたがいらっしゃったんですね。
ヤコブさんを受け入れたきっかけは? 
渡邊
ここへ来て、10年くらいの時に、
海外の血を入れたほうがいいと思ったんです。
それで公募をかけたら、
スウェーデンの芸大の学生が応募してくれた。
それがヤコブでした。
ところが日本で雇うということがすごく難しくて! 
秦野
就労ビザが下りなかったんです。
渡邊
職業にも制限があってね。
雅美
外務省に行って交渉したり、
そんな細かいやりとりを全部クリアして、
ようやくアーティストとして
1年間、来てもらうことができました。
あれはすごい1年だった。
伊藤
ヤコブさんがいらして、
すごくいろんなことが変わったんですか? 
渡邊
彼は1年で家具の‥‥全てっていうことはないけれど、
ソファとか主だったアイテムを
だいたい全部、デザインしていったんですよ。
伊藤
すごい! ヤコブさんに興味が出ます。
今、何をなさっているんですか? 
雅美
すごく偉くなっちゃったらしいです。
彼は普通のデザインを学ぶ大学へ行き、
そこから建築の大学へ行って、
さらにどこかの大学を出ているんですが、
いま、スウェーデンで有名な
大きな建築設計事務所の上のほうのディレクターです。
伊藤
ヤコブさんがここで設計したものは、
今も販売してるんですか? 
渡邊
今はもう販売してないですね。
写真は残ってますけどね。
伊藤
そうですか。
でも、それは大きな出来事だったんですね。
海外との交流という意味でも。
雅美
はい。デザインも、ですけれど、
彼がスウェーデンとのパイプを太くしてくれました。
たとえば、私たち、塗料がそんなにわからないから、
オイルで塗装をしたくても、
いいオイルがどれかも知らない。
それをすぐ紹介してくれて、
輸入できるようにしました。
革もそうです。
タンショー(TARNSJO)という
スウェーデン王室御用達の革を使うきっかけも彼だし、
あと、石を組み合わせようという発想とか。
とにかく「異素材の組み合わせがいいんだ」って、
その頃から彼は盛んに言ってました。
鉄とガラスと木だ、って。
伊藤
へぇぇ! 
雅美
それからソープフィニッシュを教えてくれたのも彼。
オイルフィニッシュの家具のお手入れは
石鹸がいちばんだと。けれどもその頃、
日本にはナチュラルな石鹸が
売られていなかったわけですよ。
それでピュアな粉石鹸を探して、仕入れて、
それを小分けにして売ったりしました。
今はオリーブオイルの石鹸で
いいものが輸入されているので、
そういうものをオススメできるようになりました。
掃除の仕方も、スウェーデンでは、週に一回、
さほど汚れていなければ月一回かもしれませんが、
家族全員で、子どもたちもやるっていうんです。
土曜日には、ボーイフレンド、ガールフレンドを連れて、
みんなでご飯をつくって食べ、
日曜日はお家のメンテナンス、みたいな家族の在り方とか、
暮らしを大事にするとか、そういうものが、
彼から教わったことですね。
伊藤
たしかに、すごい1年間ですね。
雅美
今もずーっと付き合いが続いていますよ。
渡邊
もう30年近く。
伊藤
ヤコブさんにとっても、ここで過ごした1年というのは、
かけがえのないものだったんでしょうね。
雅美
「衝撃的だった」って、いまでも言います。
どういう衝撃だったのかは私にはわからないんですが、
町営住宅を借りて、東川での暮らしを楽しんでいましたよ。
夫の友人たちがおもしろがって、
もういろんなところ‥‥釣りから、飲みにから、
いろんなとこに連れて行ってくれて。
そのうち、海外から来てる人たちと、
旭川で交流したり。
伊藤
京都とかじゃなくて、いうなれば、
スウェーデンと似た環境の所だったのも、
よかったのかもしれないですね。
渡邊
旅もしましたよ。日本家屋を見せてあげたくて。
でも北海道って、日本家屋があんまりないですから、
四国までドライブをしたこともあります。
彼は感激してました。「これはすごい」って。
そういうのは、わかる子だったんで。
雅美
帰国してからもずっと密にしていて、
ここに家具を見ていただくための、
ショールームというほどじゃないけれど、
スペースをつくった時も、
自分が好きな暮らしの道具というか、
そういうものを置きたいなっていうことで、
ヤコブが間に入ってくれて、
日本に代理店がなかったメーカーのものなどを
スウェーデンから直接輸入をしたこともあります。
伊藤
こちらのショップを拝見して、
品揃えの厚みに、みんなで驚いていたんです。
何から何まで、素敵なものが揃っていて、
それはそういう経験があってのことだったんですね。
雅美
好きなものを仕入れしてたらこうなりましたっていう。
秦野
昔は、海外のものを直接とってたから、
もっと煩雑っていうか、大変だったんですよ。
雅美
そう。大変だった。
輸入のことを知らないで買い付けたら、
検査が必要なものだとわかったり。

北海道産の材木だけを使おう

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秦野
‥‥6年前ですかね、いきなり、
社長(渡邊さん)が「輸入材をやめるぞ」と。
その当時、僕らがつくる家具は
4割は輸入材を使っていて、しかも評判がよかった。
だから「どうするんですか?」って。
でも「やめるから」の一点張り。
伊藤
売れているものでもやめる決意をなさったんですね。
つくるべきなのは北海道の材木を使った家具なのだから、
そこに集中するぞということですよね。
すごいです。
雅美
いや、すごいったって中では大騒ぎですよ。
いろんなことを「なんとか」しなくちゃいけないから、
私たちががんばるしかないわけで(笑)。
伊藤
たしか1985年の立ち上げの時から
北海道産の材木を使おうとおっしゃっていましたよね。
けれども実際は輸入材も並行して使ってきたのは、
どんな理由があったんですか。
雅美
たとえばチークですが、
こういう家具をつくりたいっていうイメージがあると、
それはチークであるべきだというものが出てくるんです。
つまり、私たち、チークの家具が好きなんですね。
塗装をせず、無垢のままでいい色の家具を考えると、
チークの家具ってとても魅力があるんです。
渡邊
そしてチークは輸入材です。
今のミャンマーですね。
日本ではとれないんですよ。
雅美
だけど‥‥理念として、やめようと、
ある時、そう言ったわけです、渡邊が。
伊藤
北海道産のいい材木があるのに、
国内ではあまり使われず、
どんどん輸出されているという
現状もあったとか。
渡邊
そうなんです。
雅美
もうすでにずいぶんいいものが
輸出されていきました。
渡邊
戦後からですから。
70年くらい前に、もうすでに
日本のミズナラのいいものは海外に行ってます。
戦争に負けて、国が崩壊寸前までなり、
経済もゼロみたいな状態の中で、
輸出できるいいものっていうか、
向こうが求めてたのが、
北海道のミズナラだったんでしょうね。
──
それは、製材して売ってたんですか? 
原木を丸太でですか?
渡邊
原木だと思いますね。
だからきっと安かったと思います。
──
フィンランドでもそうだったと聞きました。
フィンランドの戦後も森林資源を
原木のままで売ってたんですって。
だから安いお金しか入ってこなかった。
製材すれば高くなると気がついて、
植林と伐採の計画をして、
製材した材木を売るようになって、
やっと潤ってきたそうです。
秦野
ロシアもそうですね。
渡邊
北海道のミズナラはほんとうによかったですよ。
丸太の径は(両手を拡げて)このくらい、
普通にありましたからね。
そういう時代が日本にもあったんです。
いまも、巨大な木を切った切り株が、
どこかに残っているかもしれません。
伊藤
寒いところでゆっくり育っているから、
目の詰まったいい材木になるんでしょうね。
それで、あるとき、北海道の木だけを
使って家具をつくることを決められたわけですが、
そのタイミングはどのようにしてやってきたんでしょう。
渡邊
「国産のものじゃなければだめだ」
っていうことよりも、
外国産のいい木が買えなくなったことも要因なんです。
僕は材木の仕入れで
アメリカに買い付けに行っていたんですが、
ある時から、中国が台頭してきて、
ものすごい勢いで丸太を買っていくようになりました。
僕らは、選んで気に入った丸太を5本なら5本、
10本なら10本買うところを、
彼らは1000本あったら1000本買っちゃう。
その競争のなかに僕たちがいるんだ、って、
そこで知りました。
伊藤
骨董の世界でも、
同じことが起きていると聞きます。
吟味せずにとにかく全部買われていくんだそうですね。
渡邊
はい、材木もそうです。
それでアメリカに行くのをやめ、
北海道の木100%でやろうと決めました。
あともう一つ、検疫も大きいですね。
丸太の皮にはいろんなものがついてますから。
港で強めの殺菌をするんです。
僕らの家具はナチュラルな仕上げで、
みんなが直接触れるものなので、
もしかしたら薬品が染み込んでいるかもしれない木は
使わないほうがよいだろうと思いました。
そんなふうにいくつかの要因が組み合わさって
自分の中で熟成されていった期間があって、
ぼくは「輸入材をやめる」と言ったんだけれど、
みんなには「スパッと、突然、やめると言った」という
印象だったんですね。
雅美
もっと早めに教えてくれればいいのにね(笑)。
伊藤
でも‥‥、北海道の木だったら全部OK、
ということではないですよね。
渡邊
それはもちろんそうです。
国産の材木にも、いろんな問題があります。
残念なことですが、北海道の中でも、
外国の丸太と混ぜ合わせて挽いてるところがあります。
実際、目の前で挽いているのを見れば、
ぼくは国産か外国産かわかります。
で、「どのくらいですか?」って聞いたら、
「3、4割が国産で、あと6、7割は外材だ」と。
今はあんまり輸入材が入ってきていないでしょうけれど、
当時、そういう状況に日本がなっていたんですよ。
だから100%、絶対大丈夫だと確信している
材木屋さんに依頼をしています。
伊藤
輸入材をやめた影響、
きっと、おありだったでしょう。
雅美
ちょうどウォールナットとかチェリーの、
あの色の付いた木の家具が
人気が出てきたときだったんです。
小売店さんもそれで売り上げが取れている、
ファンもいるっていうのに、
それをいっさいやめるというわけです。
「え?」って言われますよ。
渡邊
それは‥‥やっぱり失敗だったね。
一同
(笑)
渡邊
うちはいいんですよ。うちはなんとかなる。
でも小売店さんがそっぽむいちゃった。
もうあそことは取引できないと怒っちゃうんです。
そりゃ、そうですよね。
伊藤
そこから回復していくのに、
時間がかかった、
やっと理解していただけるようになった、
っていうことですか?
渡邊
いや、今、その取引先はほとんどなくなりました。
雅美
もうちょっと助走期間をつくってくれればって
思うんですけどね。
考えているようで考えてない。
渡邊
会社がうまくなるようにと思っているんだよ。
でも気がついたら、売り上げがなくなってた。
伊藤
「木を植える男」ならば
いつも未来を見ていらっしゃるのかと‥‥。
雅美
学者ならそれでいいんですよ。でもねえ。
──
わたしたちがいなくなった100年後にも木は残るわけで、
それが何かに使われるっていうことを
少しでも想像しない人は、
木は植えないと思うんですよ。
伊藤
うん!
渡邊
その通りですよ(笑)!
伊藤
(笑)
雅美
でもね、組織の存続を、
もうちょっと、ね‥‥。
だから私たちは
スタッフに守られてる感じです。ほんとに。
伊藤
逆に言えば、そのスタッフを集めたのは、
渡邊さんたちですよ。
渡邊
いやいや、そんなことはない。
守られてるっていうのは、僕も認めますけど、
集めたのは、自分たちっていうことじゃないよな?
雅美
勝手に来てくれたの(笑)。
秦野
そうかもしれません。
伊藤
へぇぇ、おもしろい!
渡邊
あらゆることって、
知識がないとわからないこと、
たくさんありますよね。
私たちはスタッフに、
仕事をしながら教えてもらった感じです。

再入荷のおしらせ

未分類

完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
1月19日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。

weeksdays PAS Stool

▶︎商品詳細ページへ

「座る」だけでなく、
部屋のすみっこに置いて、
小さなサイドテーブル代わりにしたり、
花台として使ったり。
部屋にひとつあると、
とても重宝するスツールです。
今回、お願いしたのは、
東川で35年に渡って家具を作ってこられた、
北の住まい設計社。
従来のデザインにちょっと変化を持たせ、
weeksdays仕様
していただきました。

色はオーク×ナチュラルと、オーク×ブラック。
もふもふしたシートパッドとともにぜひどうぞ。
(伊藤まさこさん)

Half Round Table あのひとのつかいかた 1・フラワーデザイナー 市村美佳子さん

未分類

市村美佳子さんのプロフィール

いちむら・みかこ
フラワーデザイナー、「緑の居場所デザイン」主宰。
大学では陶芸部に所属し、
卒業後(株)ロイヤルコペンハーゲンに入社。
丸の内本店で店内の花装飾を担当したことをきっかけに
通ったフラワーアレンジメント教室の講師、
あんりゆき氏のイギリス暮らしと花に憧れて渡英、
現地でフラワーアレンジメントを学ぶ。
帰国後、あんりゆき氏に師事し、1994年独立。
東京・南青山のアトリエで花教室を主宰するほか、
フラワーデザイナーとして
ファッション&ライフスタイルブランドの
イベント花装飾を手がける。
料理雑誌や書籍のテーブルスタイリストとしても活動。
2012年、小さな頃からのエプロン好きが高じて、
ディレクターの滝本玲子氏と「エプロン商会」を設立。
リバティプリントやヴィンテージの布を使った、
身につけるだけでワクワクする
「大人のためのエプロン」のデザイン、制作、販売を開始。
2016年、屋号を「緑の居場所デザイン」と改称、
2020年(株)緑の居場所を設立。

●公式サイト
●Instagram


窓の外はすかーっと抜けた青空。

日当たりのよいリビングの壁に、
市村さんがえらんだのは印象的な黄色でした。

「もともと和室だったところを、
直してもいいですか? って大家さんに直談判。
ふた部屋つなげて広くしたんです」

お花の教室もするというこの場所。
黄色い壁は、花やフラワーベースの色と
ぶつからないのですか? 
と尋ねると、
「黄色ってね、他の色との相性がすごくいいんです。
どんなお花も映えるんですよ」
と意外なお返事。

万能な色って、
てっきり白だと思いこんでいたけれど‥‥
と言うと、
「白はコントラストが強すぎるから、案外難しいの」
ですって!

かれこれ、30年近いおつきあいの市村さん。
知り合った当時から、お花の仕事をしていた彼女が、
「万能」と言うのだから、間違いない。

ラウンドテーブルも、ほら、この通り。
黄色い壁に黒いテーブルがしっくり馴染んでる。

ピッチャーに生けたのは、
土佐みずきの枝。

右に置いた一輪挿しの中には、
枯れそうなラナンキュラス!? 
お花って、生き生きしている状態が
ベストだと思っていたけれど、
そうではないことを知りました。
だってここに、この一輪があるのとないのとでは
大違いだもの。

「花もフラワーベースも、
いろんなテイストを混ぜるのが好き。
シックなものの中に、ちょっと派手なものや、
異質なものを入れ込んだりとか」

違うスタイリングも、
見てみたいなぁとお願いすると‥‥

棚から、ささっとオレンジのベースを取り出して、
こんな風に仕上げてくれました。

テーブルの足元には、
無数のフラワーベースが。
「ヨーロッパの蚤の市で買ったり、
海外へ行けないここ2、3年は、
都内で開催されるマーケットで見つけたり」

‥‥とここでまた、
テーブルの上のスタイリングをチェンジ。

フラワーベースをたくさん乗せて。

テーブルの使い心地を尋ねると、
「70センチの高さは使いやすいですね。
奥行きがけっこうあるので、
ものも案外たくさん置くことができる」

そうなんです。
角がないから、部屋の中でじゃまにならない。
花やフラワーベースはもちろん、
パソコンを置いて、作業もできちゃうんです。

テーブルに合わせてくれたのかな?
今日のワンピースは黒。
すてきですね、と言うと
なんと、
市村さんが友人とはじめたブランドのものだそう。

きっかけは蚤の市で見かけた、
古い着物。
「いいなと思ったものをまずは買って、
じゃぶじゃぶ洗って。そこから仕立てます」
バイヤス使いだから、
着ると立体感が出るんですって。なるほど。

着物と、洋服。
古いものと、新しいもの。
シックなものと、異質なもの。
ピン、と元気な枝に、今にも枯れそうな花。
黄色い壁と、黒いテーブル。

テイストが揃ってないのが、
市村さんのテイスト。
これはなかなか真似できないけれど‥‥
いつか壁の一面を黄色にしてみたいな、
なんて思いました。

木を植える男

未分類

渡邊
こんにちは、渡邊です。
よろしくお願いします。
伊藤
よろしくお願いします。
渡邊さんに、やっとお目にかかれました。
スツールのときも、
いろいろとご尽力をいただき、
ありがとうございました。
渡邊
とんでもないです。多くの方のところに届いたそうで、
とてもうれしく思っています。
ありがとうって言うのはこちらのほうですよ。
伊藤
スツール、30分もしないうちに、完売したんです。
渡邊
すごいことです。
ありがとうございました。
伊藤
前回はオンラインの取材で、
「北の住まい設計社」の
成り立ちを聞かせていただいたんですが、
社長である渡邊さんがご不在で、
ずっと謎の人物だったんです(笑)。
渡邊
そうかなぁ? ぼく、わかりやすいですよ。
伊藤
あの‥‥、木を植えるのがすごく好き、
と聞きましたよ(笑)。
渡邊
アハハ! そうですね、
好き、っていうか「使命」ですね。
伊藤
この土地と出会って、数十年後にはこうなるぞ、
ということを思い描きながら、
木を植えていったんですか。
渡邊
いえいえ、そこまで壮大な気持ちはなかったんですよ。
ここへ来た時、あまりにも寂しかった、
ということが一番です。
寂しいっていうのは、学校が廃校になったあと、
誰も手入れをしていなかったからですね。
もう、なんていうか、みすぼらしくなっちゃって‥‥。
畑もそうなんですけど、
それまでずっと人が関わっていた場所が放置されると、
「自然のまま」というよりは
「荒れた」印象になってしまうんですよ。
このあたりは、あんまり作物が穫れなかったから、
農家のみなさんもみんな離農をしていった。
ちょうどこの場所の真ん前では、
三つ葉の栽培をしていたんですが、それがだめになり、
ぼくらがこのあたりの土地を買うことになったとき、
自分たちが住んで、どうしたらいいかなっていうなかで、
作物も穫れないのならば、無理して農地にせず、
この荒れ果てた土地を森に還してあげたいと思いました。
それが木を植えることと連動していったわけです。
伊藤
当時の写真を見せていただいたんですけど、
あの荒れた土地がよくここまでに、って感動しました。
校舎も古びていたというし、
それを「よしっ!」って‥‥。
渡邊
いや、「よしっ!」なんて
いうつもりじゃないんですよ(笑)。
雅美
そうなんです、
そんな大げさなことじゃないんです(笑)。
伊藤
でも「よしっ!」じゃないと、
できないことだと思うなぁ。
渡邊
いえいえ、そんな大げさなことじゃありません。
ぼくはむしろここに来るのを
ちょっと嫌がってたくらいですから(笑)。
雅美
たしかに、ちょっと、嫌がってました(笑)。
渡邊
でも周りの人、いろいろぼくがお世話になってた方が
すすめてくださったというか、
ぼくに白羽の矢が立ったっていうか。
この東川町からもお誘いを受けたんです。
それで「まぁ、しょうがないか」ですよ。
たしかにここを森に還すということは思ったけれど、
ここで何かをしようとか、
ここを立派なものにしようとか、
そういう気持ちはありませんでした。
雅美
そうです。成り行きです。
もちろん場所は探していたんですよ、
どこであたらしい生活をスタートするか。
渡邊
7年間、探していたね。
伊藤
旭川で、インテリアデザインの事務所をなさりつつ、
ご飯屋さんもなさっていて、
そういう忙しいなかで、
違うスタイルの仕事をしよう考えた、
というお話でしたよね。
渡邊
そう、探し回った。
伊藤
7年って、なかなか長いですね。
渡邊
けっきょく、どこを見に行っても、
そこで何かをやろうとかっていう
強い思いがなかったんです。
だからないままに年月が過ぎていった。
海外にも紹介されて行ったりとか、
あっちこっちいろんな土地を見て歩きました。
伊藤
海外へも! 
雅美
はい。前の仕事をいったん辞めて、
1か月、2人で北欧に。
フィンランドが一番長かったです。
ファームステイをしたんですよ。
伊藤
へぇ! どちらの町に?
雅美
えっと‥‥なんていうところだったかな。
渡邊
ハーパニエミ(クオピオ市)だね。
その郊外の小さな農家にステイしました。
雅美
にんじん農家でした。湖のエリアで。
伊藤
今のようなことになると、
始めた頃は想像してらっしゃいましたか?
渡邊
いやいや、もう想像とか、
そんなの、まったくなかったです。
とにかく木を植えて‥‥。
雅美
でもね、木はもっと早くから植えてましたよ。
旭川の町の中のマンションから
郊外の戸建てに移り住んだ頃からだと思います。
なぜ憶えているかというと、
私がベリーを植えたのに、
ある日、それがすっかりなくなっていて、
替わりに木が植わってるんです。
彼のしわざです。
伊藤
ええーっ?!(笑)
雅美
もう、そういう戦いです。
私は下を見てるんだけど、
夫は上を見てる。
伊藤
(笑)今も植えてるんですか?
渡邊
そうですね。ここらへんにこんなのがほしいな、
っていう時があって。
今は、広葉樹というよりは、エゾマツを植えてます。
混交林にしたいと思ってやっているんですが、
ドングリなんかはどんどん落ちて、
若い芽が出てくるんですけど、
マツはなかなか新芽が出ないんです。
出ても違った樹種ですね。たとえばトウヒとか。
だからこのへんにあるエゾマツは、
自然に生えたものじゃなくて、
全部といっていいくらいぼくが植えたものです。
伊藤
自然に生えてきたものなのかなと思ってました! 
こちらのスタートが1985年と聞きましたから、
そこから37年になるんですね。
いま、50人くらいいらっしゃるそうですが、
一番最初は何人だったんですか?
雅美
私たちを入れて5、6人でしたね。
そこに手伝いたいという人が来たりして‥‥。
伊藤
その時は、家具をつくる工房として
スタートなさったんですか?
雅美
そうと言えばそうなんですけれど、
ルートも販売先もなかったので(笑)、
やりたいことが、ただ、あっただけです。
伊藤
やりたいこととは。
雅美
北海道の木を使って、
外での暮らしを楽しむ提案をしたい、っていうことです。
だから夏を楽しむような家具づくりからやろうと。
それでアウトドアの家具を
エゾマツでつくったんです。
渡邊
家具といっても、おもちゃみたいなものでしたよ。
雅美
巣箱とか、木のポストとか。
フィンランドで見かけたものに
影響されたんだと思います。
渡邊
森っていったら鳥ですよね。だから巣箱。
雅美
最初は見事に売れなかったけど(笑)!
渡邊
それが、巣箱だけは売れたんですよ。
日本野鳥の会の認定品になって、
会が1000個単位で買ってくれたんです。

▲ショールーム

伊藤
そうなんですね。そこから徐々に家具づくりが
拡がっていったんですね。
わたしがスタイリストのアシスタントになったのが、
ちょうど30年ぐらい前なんですけれど、
東京の家具屋さんで
おふたりの家具を扱っていらっしゃったと聞きました。
きっとわたし、そうと気づかず見ていたと思うんです。
渡邊
そうですね。また30年前だったらありましたね。
サザビーのお店とか、
元代々木にあった頃のペニーワイズとか。
雅美
懐かしい! 
あれは、輸入できる家具が
だんだん少なくなってきて、
もうそんなに持ってくるものがないから、
自社でやりたいっていうことで、
共同開発をしていたんです。
材料選びやデザインも一緒にやって、
オリジナル家具を出したんですよ。
シェーカーっぽい形でした。
伊藤
それで名前が広まったんですか?
雅美
いえ、名前は出ないんですけれど、
私たちにとっては、
ノウハウができたことが収穫でした。
大量に注文をいただいたことで、
材木を乾燥させたり、家具を組み立てる、
そういう家具の生産工程のノウハウですね。
‥‥それも、バブルの終わりで
バッサリなくなってしまいましたけれど。
伊藤
バブルがはじけたことで、ちょっとずつ、みんなが、
暮らしを大事にするみたいな空気になっていきましたね。
『クウネル』が創刊されたりして、
新しいものを追いかけるのにちょっと疲れちゃったことと、
ずっと使える大事ないいものが欲しいという気持ちが
重なったような気もするんです、あの頃。
雅美
そうですよね。私たち、
時代の影響って受けていないような気がしてたけれど、
やっぱり、けっこう受けているんですよね。
伊藤
むしろ、時代をつくってこられたのでは?
渡邊
いや、つくってない、つくってない! 
そんな大それたことしてないですよ! 
伊藤
(笑)
渡邊
思い、だけなんですよ。
自分の思いがいつも先んじていて、
中身がなかなかついてこないんです。
城浦君も秦野君もわかると思うけど、
「これからはもう、木は輸入しないぞ」とか、
いきなり、言っちゃうもんですから、ぼく。
伊藤
えっ? えっ?

Half Round Table

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しっくり馴染む

未分類

椅子はもうたくさん持っています。

ダイニングテーブルは、
何年も前に、
「一生もの」と思えるものを買いました。

チェストは去年、
気に入ったものを手に入れたばかり。

ひとつひとつ、
時間をかけて、
部屋と自分の暮らしにあったものをえらんできて、
今は「足りていない」と感じることはないのかな。

‥‥とは言っても、
家具好きとしては、
何か新しいものが欲しくなってしまうんです。

家の中をきょろきょろと見渡して、
「あ! こんなのあったらいいな」
そう思うものを見つけました。

すぐに北海道に連絡をして、
行ったり来たりのやりとりの末に、
できあがったのは、
半円のテーブル。

玄関、ダイニング、ベッドルーム‥‥
家のどこにあっても、
しっくり馴染む。
新しく加わったばかりなのに、
まるで前からそこにあったみたいなんです。

作ってくれたのは、
北の住まい設計社。
サンプルを見に行った時に目にした、
窓辺に置かれた様子、
忘れられないな。

今週のweeksdaysは、
北の住まい設計社と作った Half Round Table。
コンテンツは、
3人の方の使っている様子を拝見。
それから、
北の住まい設計社の皆さんに、
「このテーブルができるまで」をうかがいました。
どうぞお楽しみに。

山の正装

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誰もが家からでなくなって
おしゃれの機会が皆無になった春は2年前。
いつもなら明るい色の薄い服をまとって晴々と、
誰かに会いに行っていたのに。
新しい服を買う気にもならず、
くたっとした部屋着ばかり着ていた。

山、登ってみよう。
うちから歩いて5分の低い山に目を止めたのはその頃。
東京から岡山に越して10年近く経つのに、
忙しすぎてそんな気持ちになる暇もなかった。
今、山が呼んでいる気がする。

ある日、適当なジャージを羽織り、
水筒とカメラを持って登ってみた。
標高169mの山はなだらかな坂で、
登山というよりは山歩き。
一歩ごとに樹々が囁くように揺れ、
足下には無数の落ち葉が重なる。
鳥の声が何種類も響く。
人間はわたしひとりだけ。

気づけば瞑想のような状態。
たどり着いた土地は妙に開けていて、
信じられないくらい巨大な岩がある。
衝動的にそこに横たわってみた。
靴を脱いで、裸足で。
じわりと熱い岩が、そのときの不安な気持ちを
吸い取ってくれるような気がした。
視界は青一色で、
鳥たちが激しく交わす会話だけが聞こえる。

それからというもの、
その山に登ることはわたしの大切な日課となった。
朝起きてベランダから山を見る。
顔を洗って日焼け止めを塗り、
ぼさぼさな髪を適当にキャップで押さえてすぐ、でかける。
エクササイズというよりは、
山に会いにいく儀式、と思っていた。
山、というのは木も花も鳥も虫も落ち葉も岩も、
そこにあるもの、すべて。

レギンスを買おう。
ある日突然そう思いついた。
誰に会うわけでもないけど、山のための服がほしい。
登山用の分厚いパンツは必要ない。
なにか、気持ちがあがるすてきなレギンスがいい。
それをシンプルなTシャツと合わせて
山訪問の「正装」にしようと思った。
その頃にはもう、わたしはその山を「聖地」と呼んでいた。
まだまだ不安定な世の中で
揺れ動いてしまいがちなエネルギーを
整えてくれる力がすごすぎて。
聖地を訪ねるには正装がいるでしょう。

服を買うことがだいすきで、
それまでずいぶん消費してきたけれど、
最後に何かを買ってから4ヶ月ほど経っていた。
ひさしぶりの買い物はレギンス。
世の中のありとあらゆるスポーツレギンスを
ネットで検索した。
たくさん消費するループからも
自然と抜け出したい気持ちになっていた。
レギンス、すぐ乾くだろうから一本でいい。
渾身の一本を。

丸一日レギンスリサーチをした結果、
宇宙みたいな模様の一本にした。
私服なら選ばないであろう少しサイケデリックな柄。
届いたそれは、両サイドに巧妙に黒地がいれてあり、
正面から見ると脚がまっすぐ、ほっそり見える。
偉大な山はわたしの脚のラインなど気にもしないだろう。
そのままのわたしをジャッジもせず、
ただ受けとめてくれるだろう。
知ってる。
わたしが上から見下ろしてひとり、気分がいいだけ。

でも、この「気分がいい」の効用を
いやというほどこの時期思い知っていた。
気分がよければすべてがよい方向に進む。
不安な時期のあの頃、
いつも以上に必要としていたのはその作用。
山はわたしの気分をベストにしてくれる
すごい力を持っていた。
そこにクールな銀河柄の脚で分け入る。
岩に登る。靴を脱いで大の字で寝そべる。
空を見上げて、自分のサイズを確認する。
控えめに言って、最高だった。

時は流れ、また、山以外の場所も
多く行き来するようになった。
でも今でも定期的に山に入る。
宇宙のレギンスに両脚をいれて、
過剰な何かを持ちすぎていないか
いつも、確認しにいく。

天国のジュエリーボックス

未分類

出合いは、はじめてのハワイ。
その日は確か、オアフ島の東海岸にある
ラニカイビーチというところに行く
半日のオプショナルツアーに参加しました。

ワイキキから車で30分ぐらいのところにある
ラニカイビーチは、ハワイ語で「天国の海」と言われる
息を呑むような美しいビーチ。
エメラルドグリーンの海に真っ白サラサラな砂浜、
ずっと憧れでした。なのですが‥‥

実は着いて30分ぐらいで
「あ、もういいかな」って思ってしまったんです。
いやもちろん、送迎バスを降りて
ビーチに向かうまでのロケーション、
砂浜に足を踏み入れたときの感触、
ワイキキに比べてのんびり静かな空間。
木陰で本を読むご婦人や砂遊びをする子どもたちの、
まぁ絵になること。
どんなに適当に撮っても
なんだか雰囲気ばっちりに写ってしまう
エメラルドと白のコントラスト。
「永遠にここに居たい‥‥」なんて常套句が
自然と口からでちゃうもんだと思っていました。

でも連日絶景を前にして、
何となく自分の中のコップの水が
溢れてくるのを感じていたんです。
もともとうっすらと感じていた
「実はそんなに水辺が得意じゃない、正直ちょっとこわい」
という、どこかトラウマのような感覚。
中高も水泳部だというのに。
自分の中で克服したつもりでいたこの感覚がよみがえって、
この美しいビーチも
ちょっと遠目から眺めているだけでいいかなと。
じゃぁこれから3時間、どうしよう。

思い切って、ビーチクルーザーを借りて
街に出てみることにしました。
このビーチのあるカイルアという地域は
世界屈指の高級住宅地や別荘地であり、
小さなスリフトショップ(いわゆるリサイクルショップ)が
点在しているらしいというのは何かで読んだけど‥‥
旅行は事前リサーチを入念にしてしまうタイプの私が、
無計画に、しかもツアー参加者と離れて
勝手に単独行動なんて今でも不思議なのですが、
なにか胸騒ぎがあったのかもしれません。

気になるお店を見つけては入り、見つけては入り。
どの店も無造作とは程遠い、
それはそれはゴチャゴチャとした空間で、
でも私にとっての “天国” でした。

埃をかぶった食器やレコード、
経年で固くなった帽子やカゴバッグ、
とぼけた顔のぬいぐるみに業務用のドアプレート。
ああ永遠にここに居たい‥‥。
タイムリミットを気にしながらひたすら走って、
たどり着いたあるお店。

吸い込まれるように店に入ると、
店主がチラリとこちらを見て、
店の奥から何か持ってきました。
「これ似合うよ」と(言われた気がした)
手渡されたそれは‥‥。

ジュエリーボックスでした。
所々小傷が入った20cmぐらいのボルドー色の革装で、
中は2段になっていて、
ペールトーンのミント色のベルベット地が敷き詰められた
ガーリーな雰囲気。
1950年代のアメリカ製で、
当時好んで着けていた華奢なアクセサリーにもぴったりの、
まさに運命の出合いでした。

偶然なのか、店主のおじさんに
何某かのパワーがあったのか、
それ以上は私の英語力では聞き出せず
「30ドルだけど20ドルにディスカウントするよ」
という言葉と共に、
黄色いビニールのレジ袋にガサっと入れて
その箱をくれました。
「Enjoy!」とにこやかに見送ってくれたその顔は、
今でもなんとなく脳裏に焼きついています。

そうして運命の出合いをした数日後、
私は思い立って人生初のスカイダイビングに挑戦しました。
ノースショアの海の上3000mから
重力にまかせて急降下する数十秒の間、
ただこわいと思っていた海が、
とにかく大きくて、美しくて、優しくて、
未体験の感覚でした。

行動が極端だよと周囲からは笑われましたが、
おそらく私はあのおじさんとあのお店と
このジュエリーボックスに出合っていなかったら、
空も飛んでいなかったし、
海もいまだにこわいかもしれません。

あれからというもの、何か自分を奮い立たせたいときに、
ヴィンテージのジュエリーボックスや
リングボックスを1つ買うのが、
小さな願掛けになっています。
ひとつ増えるたびに、ハワイでのことを思い出します。
いつかまたあのお店に再訪したいと思っているんですが、
実はどんなに検索しても見つからないんです‥‥。

山岡士郎のように手に入らない

未分類

伊藤
一之輔さんは「まくら」のエッセイ本
これまで数冊出されてますが、
一之輔さんの「まくら」って、
年代的にみて「ちょっと上」の話題が多いんですよ。
それはまわりにいらした年長のかた、
たとえばご家族の影響でしょうか。
一之輔
きっとそうでしょうね。
この前の寄席の「まくら」では
漫画の『美味しんぼ』の話をしました。
ぼくが中1のときに、
いちばん上の姉が結婚したんですよ。
そんとき義理の兄になる人が、
ぼくを懐柔するために(笑)、
『美味しんぼ』を全巻くれまして。
伊藤
全巻! なんでまた『美味しんぼ』? 
一之輔
なんででしょう、
そんなことで手懐けられると思ったんでしょうか。
「これ、おもしろいから読んでみなさい」
「はーい、ありがとうございます」
そこからぼくは『美味しんぼ』を
読みふけりました。
日曜の昼下がり、中学生がずっと
家で『美味しんぼ』です。
伊藤
いいですね。
一之輔
酒も飲んだことないのに、
「ボージョレ・ヌーヴォーはいまいちだ」
「ドライビールなんてビールじゃない」
なんて言ってました。
中1が、大人に向かって
「山岡士郎が言ってたよ、
そんな気の抜けたビール、ってね」
おまえ、飲んだことねえだろビール(笑)。
伊藤
『美味しんぼ』はわたしも去年、
アニメで全部見ました。
『美味しんぼ』の「まくら」って
どんな内容だったんですか? 
一之輔
Twitterで、ハロウィーンの恰好が
バズってまわってくるでしょう? 
そのなかに子どもが
山岡士郎のコスプレしてるのがありまして。
伊藤
ちょっと(笑)、どうやって
山岡士郎ってわかるんですか。
一之輔
オールバックで髪がびゅっとなってて、
黒いジャケット、ゆるんだ黒いネクタイ。
新聞片手に持って、
ポケットに突っ込んでる。
伊藤
なんでまた、子どもに
山岡士郎のコスプレをさせたんだろう? 
一之輔
あの恰好で子どもが
「トリックオアトリート」って来たら、嫌でしょう。
そんな奴にどんな菓子やっていいか
わからないですよ。
なまじスナックとかあげたら。
伊藤
ダメですね。
一之輔
「これは添加物いっぱいだ」とか言いますよ。
そんな「まくら」をね、一昨日振ってました。
伊藤
結局、士郎さんって育ちがいいから、
いいものに触れる機会がありすぎなんです。
一之輔
ええ、わかります。
でも士郎は、
人の心がわからないからね。
伊藤
そうなんですよね。
一之輔
ほかにお客さんが大勢いるのに、
「この店は、なってない」と
文句言ったりするじゃないですか。
やってること、
親父と一緒なんですよ。
伊藤
英才教育は受けたんだけれども、
いろいろあって、
ちょっと冷たい人になっちゃった。
そういうとこハラハラしちゃいます。
一之輔
料理を作ってくれた人の気持ちが
わかってないんだよ。
──
漫画ですから‥‥。
一之輔
漫画なんだ。
伊藤
漫画ですね。
──
はい。急に出てきてすみません。
伊藤
一之輔さんはほかの漫画も
そんな感じで、
周囲の年上の方にすすめられて
読んだのでしょうか。
一之輔
いえ、金持ちの友だちんちに、
読みに行ってました。
大人になって改めて気づいたんですが、
うちの暮らしむきって、中の下か、
たぶん下の上ぐらいでした。
母親が内職してたから、
そんなに裕福ではなかったんです。
子どももいっぱいいたし。
伊藤
わたしは耳鼻科は、
『美味しんぼ』が置いてあるかどうかで
決めてました。
待たされてもいいから。
一之輔
はい、はいはい。
伊藤
山岡士郎みたいに、
やすやすとなんでも手に入っていては、
つまらないですよね。
一之輔
そうなんでしょうね。
その金持ちの友だちは、
ビックリマンチョコも箱買いしてました。
みんなでそこに行って、チョコだけもらって
『コロコロコミック』を読ませてもらう。
家の中にミニ四駆のコースもあったんです。
ミニ四駆は、みんな自分の車は持ってるけど
走らせるところがないから、
そこ行って走らせました。
そんなことも「まくら」に入ります。
もしもね、これ、自分ちがその家だったら、
ネタになんないです。
そこそこ貧乏でよかったなとも思います。
自分に欠けてるものとか、抜けてるものとか、
そういうものがあったほうが、
きっと楽しいんじゃないかな。
ちょっと生意気なんですけど、
満たされてるとね、
お客さんが「聞いて笑って」という感じに
ならないんですよ。
伊藤
では、お正月ですけれども、
一之輔さんは今年のハロウィーン、
山岡士郎さんを着ますか? 
一之輔
いやぁ、山岡士郎を子どもに着させるのを、
先にやられちゃったから、もうダメだな。
悔しいっすね。
伊藤
知り合いから聞いた話なんですけど、
仮装しなきゃいけないイベントに、
フランス人が「フランス人の仮装」を
してきたことがあったんですって。
ベレー帽かぶって、フランスパン持って。
一之輔
そりゃカッコいいですね。
伊藤
そう。そのイベントでそのフランス人が
いちばんセンスがよかったんですって。
それを上まわりたいので、
一之輔さんなら
落語家さんの仮装じゃないですか。
一之輔
いいですね。
いやぁ、でもこの格好のまま
ハロウィーン行ったら、
お坊さんの仮装だと思われます。
でもね、私服になるとぼくはほんとに、
しょぼーんとしちゃうんですよ。
仕事着ですからね、これは。
伊藤
着物を着ると「仕事だ」という気分になりますか? 
一之輔
一応はね。
だいたいね、いつも
「一応」で仕事しています。
「一応やっとくか」とかね、
「念のため」とかね。
伊藤
「一応」が通年のモットーなんですね。
一之輔
そうそう。
それでここまでやってきて、
けっこう、いいもんです。
伊藤
ああ、まだまだ足りないけど、
ぜんぜん訊きたいこと訊けなかった気もするけど、
たっぷり時間も過ぎてしまいました。
たのしい新春対談を、ありがとうございました。
一之輔
こちらこそ。
またもや時間が足りな過ぎたかもしれない。
またゆっくりどこかで。
伊藤
はい、ぜひ。
ありがとうございました。

新しいチャレンジ

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こんにちは。インテリアブランド「イデー」の
ディレクターの大島です。
パンデミック以降、
私のライフスタイルにも変化がありました。
これまで一度も車に興味を持つことが無かったのですが、
50歳を目の前にしてこれまでの人生を振り返り、
やり残したことを毎年一つずつでもチャレンジしてみようと
心に決め、2020年の年明けから自動車教習所に通い、
9か月かけて2020年秋に
自動車免許を取得することができました。

免許取得の次はマイカー選び。
オートマ限定で免許を取ったこともあり、
はじめは最近の車種を見ていたのですが、
尊敬する先輩に「車も洋服と同じ自己表現だから。」
と言われ、どうせ乗るなら少しぐらい手間がかかっても
自分が好きなものに乗ろうと旧車を選ぶことにしました。
そこで目に留まったのがスウェーデンの
Volvo 240という車。
1974年から1993年まで作られた
Volvoを代表するロングセラーシリーズ。
質実剛健の旧車らしいカクカクしたデザインと、
仕事柄大きな荷物や家具も運べるという理由で選んだ
ステーションワゴン。
旧車選びは人選びというぐらいで、
車の状態はもちろんですが、
信頼できる整備士と出会えるかが
重要ということを友人に聞き、
中古車屋に行っては整備士さんと話すことを繰り返し、
探し始めてから半年後
ようやく念願のVolvo 240に出会うことができました。

意外にもこれまでVolvo 240は故障もなく、
運転初心者にとても優しい車。
電車やバスではなかなか行けなかった
様々な場所にドライブする
充実したカーライフを送っています。

車は移動するプライベート空間。
好きな時に好きな音楽を聴きながら
好きな場所に行ける喜び、仕事にプライベートに
お気に入りの車でドライブするひと時は、
これまで感じることができなかった
とても有意義な時間です。

ドライブの道中に偶然見つけた飲食店、
車でしか行けない気になるお店、
ドライブをすることで新たな出会いや経験もでき、
私にとって無くてはならない相棒になりました。

そして昨年末には、車を持ったことで
行動範囲も広がり、
箱根に新しい拠点も作ることができました。
実家が九州で、
ゆくゆくは九州の実家で暮らすことを
ぼんやり考えていたこともあり、
一度も家を買うという選択肢が無かった自分にとっての
新しいチャレンジ。
おかげで、平日は都心で頑張って仕事をし、
週末は箱根でリフレッシュ、
メリハリのある二拠点生活を送ることができています。

さらに今年の春、ずっと憧れていた
クラシックタイプのVolvo 245が
お世話になっている中古車屋さんで突然売りに出され
衝動買い(笑)。
これまで乗っていた1993年製のVolvo 240から
1982年製のVolvo 245に乗り換えることにしました。
いつか欲しいと願っていた1台に出会うこともでき、
これからますます楽しいカーライフが訪れそうです。

さあ、今年はどんなチャレンジをしようか画策中です。
皆さんも、1度切りの人生ですから
小さなことでも何か始めることで、
新しい出会いやこれまでの価値観を広げる
良い機会になると思いますので、是非!

ホームでありアウェイ

未分類

伊藤
落語との出会いは? 
一之輔
高校です。
男子校だったんですけど、
高2でラグビー部辞めちゃって、
浅草をフラフラしてて寄席に入りました。
それが最初‥‥いや、ほんとうの最初は、
小学5年生のときに
落語クラブに入ったんです。
伊藤
小学生で、落語を。
一之輔
それはたいした動機もありませんでした。
学校のクラブに入ることになって、
落語クラブは人が少なかった。
ぼくは子どもながらになんだかマイナー志向で、
人がいないところを好んだんです。
で、落語クラブ。
「ちょっと変わった感じもあるし、いいかな」
なんて思って、入ってみたら案の定、
部員は4人ぐらいでした。
そこで先生に「これ覚えてやれ」って言われて、
落語を覚えたのが最初です。
伊藤
そのときは1分間スピーチのあとですし、
ウケるたのしさも知ってる子ですもんね。
一之輔
そうそう。「じゃ、まぁやるか」つって、
6年生を送る会で、やった覚えがあります。
だからぼくの最初の高座は、
客が1300人ぐらいでした。
それ、全校生徒の数なんですけどね(笑)。
伊藤
それはすごい。
全校生徒の前で、いきなりよくしゃべれましたね。
一之輔
どうしゃべったのかは覚えてないです。
たしかに落語クラブに入ったんだけど、
たいして好きにはならなかったんですよ。
でも「そういえば、やったな」という
記憶はありました。
そして高2で浅草ブラブラして、
浅草演芸ホールに入ってみたんです。
伊藤
そのときに「これだ!」という、
輝くひらめきのような、
運命的なものが降りてきたのでしょうか。
一之輔
そうですねぇ、
「これだ!」というよりか、鈍ぅーい、
「これ‥‥なのかな」みたいな(笑)。
「どうやらこの寄席ってところは、
なんだかへんてこな空間だぞ」
と感じました。
いいな、なんか俺に合ってるみたいだな、
だるい感じの、さしてみんな一所懸命じゃない、
エンターテイメントは名ばかりの、
10代の若者から
80すぎのおじいさんおばあさんがいて、
よくわかんない手品やったり、噺したりする。
で、お客さんも、
さほど一所懸命には聞いてないじゃないですか。
伊藤
ええ、まぁ、気は許してます(笑)。
一之輔
とにかく、なんだか変な空間だったんですよ。
高校生だった自分は詰襟姿でした。
同じような年まわりの人は客席にいない。
爆笑の場というより変な空間という印象で、
でも「居心地はいいかな」という感じ。
伊藤
「居心地がいい」か‥‥、
その印象はいまも変わらずずっと? 
一之輔
はい、そうですね。
伊藤
一之輔さんはテレビにも出演するし、
ラジオもやってらっしゃるし、
文章も書きますよね。
それは寄席の
「居心地のいいホーム」があってこその
ほかのお仕事という感じなんでしょうか。
一之輔
うーん、そうですね‥‥、
寄席って基本的に10日興行なんです。
その10日のうち7日出られないと、
プログラムに入れてもらえません。
ほかの仕事で忙しくなると
7日出られなくなることもあるんで、
そういうときは
「はずしてください」と申し出ます。
でも、やっぱり寄席に出てないと、
ちょっとおかしくなっちゃうんです。
伊藤
体調が? 
一之輔
自分のリズムがね。
たとえば夜に独演会があるとするでしょう、
そういう日はたいがい、昼間に2軒ぐらい、
寄席に出させていただくんですけどね。
伊藤
うわっ、すごいですね。
一之輔
だから1日に5席ぐらい、やったりします。
しかし寄席って東京に5軒しかないんですよ。
噺家の数のほうが多い。
入れてもらえない人のほうが多いわけです。
寄席に出られるのはそれだけで
ありがたいものなんです。
ありがたいんだけど、ギャラは少ない(笑)。
ほら、わかるでしょ? 
これだけの人数が出てて、
入場料は、ご存知のとおり。
半分は、当然のことながら寄席が持ってくから。
伊藤
はい‥‥、この前、寄席に来て、
出演者の数に驚き、
思わずそろばんはじいちゃいました。
「あれ? さっきわたしはこれだけ払って、
そして、お客さんがこの人数」
一之輔
先輩方もたくさん出ててね、
ほんとうはあり得ないんですよ。
ですからまぁ、ほかの仕事のほうが、
はるかにいただけるんです。
これは事実としての話です。
だけどあんまりみんな文句言わずに出ます。
「少ねぇな、おい」とか言いながら、出る。
もちろん売れ過ぎちゃったりして、
出なくなる人もいるんですよ。
でも寄席が好きな人はずっと出ます。
ぼくも、出てないとなんだか気持ち悪い。
伊藤
寄席と独演会は、ぜんぜん違う雰囲気ですか?
一之輔
違います。
さっき言ったように、
寄席は団体芸だから、
楽にしゃべれるってこともある。
寄席って、ホームなんだけどアウェイです。
それがいちばんの特徴です。
伊藤
‥‥ホームなんだけど、
一之輔
アウェイ。
だってお客さん全員、
ぼくを目当てに来てないでしょう。
伊藤
たしかに。
一之輔
いちばん多くいらっしゃるのは
「寄席、行ってみようかな」と
ふらっと来る方。
そういう人がほとんどです。
もちろんトリなんか取ると、
目当てで来てくれる人は多いです。
それでも「はじめて見るよ、一之輔」という方が
トリ取ったとしても、いらっしゃるわけです。
「そういうお客さまである」というアウェイ感が、
とてもいいんですよ。
当然、ぜんぜんウケないこともあります。
これが独演会ばっかりやってるとね、
ちょっとおかしくなってくるんです。
お客さんはみんなぼくを見にいらしてるんで、
甘えちゃうんでしょう。
「好きだから来てくださったんだ」って、
ちょっと思ってしまうんです。
伊藤
そういう甘えた気持ちに慣れないように、
という意味でも、
寄席に出ておいたほうがいいんですね。
一之輔
そうですね。きっと両方やってると、
バランスがよくなります。

himieのピアス

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早く帰りたい

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伊藤
師匠から一対一でつけてもらう直接の稽古が、
落語の内容を身につけるうえでも、
いちばんいいですか? 
一之輔
おそらくそうでしょうね。
落語研究会なんかでは、みなさん、
録音したテープやCDで覚えるでしょ。
でも弟子になると、直(じか)で教わることになる。
ぜんぜん違いますよ。
技術的なことももちろんそうなんだけど、
「このときのこの登場人物の気持ちはこうだよ」
というところまで教えてもらえるんです。
それ、ぼくらが使うすごく便利な言葉で
「了見」って言うんですけど。
伊藤
了見。
一之輔
了見は頻出語です。
「この人の了見を考えながら、やんなさい」
そう言われる。
五代目の小さん師匠が
「狸の噺をやるときは狸の了見になれ」って
言ってたらしいけど、
狸の了見ってさ(笑)、どんなのだろう。
意味わかんないんです。
伊藤
何だろう。難しい! 
師匠のおっしゃることを、
ビデオやレコーダーで録ったりするわけじゃなく、
その場で覚えるだけですか? 
一之輔
音声はね、いまは録らせてくださいます。
でも、録らないほうが
ほんとうはいいんですよ。
昔はひとつの噺を区切って3連日通って、
録音せずにその場で覚える「三遍稽古」が
普通でした。
いまはみんな忙しくて、
スケジュールが合わなかったりするので、
1回の稽古を録音させていただいて、覚えます。
でも、録音するとね、
「いつでも覚えられるや」と思って、ダメですね。
「三遍稽古」でやったほうがすぐ覚えます。
だって3日だけで覚えるんですから。
伊藤
見るだけで覚えるんですよね。すごいなぁ。
一之輔
人間、必死になれば覚えられますよ。
三遍稽古つけてもらった後にはもう、
クククククーッって聞いたものをですね、
こぼさないように。
伊藤
もう「聞き漏らさじ」状態ですね。
一之輔
ほんっっとに、
インプットしたものを
ひとつも漏らさないように必死です。
「じゃ、今日はここまでね」と言われて、
「ありがとうございました!」つって、
すぐに帰ってメモしようとするでしょ。
すると師匠が「カレー食べてく?」って
言ってくるんです。
で、おかみさんが作ってくれたカレーを、
ギンギンの目しながら食べて。
伊藤
カレーの味もわからない‥‥。
一之輔
うまいけど、味はよくわかんなくなってる。
いただいた皿洗って、すぐにでも
ガラガラッと帰りたい。
だけど今度は「ケーキあるよ」なんて言われる。
勘弁してくださいよ。
伊藤
(笑)ほんとですね。
一之輔
最後には「大リーグ中継、見てくか」とか言われて。
伊藤
もうお願いだから早く帰して(笑)。
一之輔
「いや、帰ります」なんつって、
急いで井の頭線に乗って、
帰り道はずっと反芻するんです。
家に着いてやっとこさ、
自分の言葉でやってみると、
やっぱり違っちゃうんですよね。
「師匠はそうは言ってなかったな」
なんてことになります。
でも、そのわかんなくなっちゃったところを
自分の言葉で紡いでいってなんとかする。
ぜんぶひっくるめて「稽古」なんですよ。
テープを覚えたんじゃ、そうはならない。
わかんなくなってはじめて、
自分の言葉になるんです。
伊藤
もしかしたら、
カレーも大リーグ中継も、
「もう早く帰してくれ」という気持ちも、
稽古のうちなんでしょうか。
一之輔
そうでしょうね、
試練を与えられてるんです。
筋を覚えるだけなら、
だいたいいけるんです。
でも、勝負はそこからです。
自分で補って、お客さんの前でやってみて、
そこからです。
伊藤
お客さんの前で、その了見を、
演じるんじゃなくて、話す。
「話す」というのは、
どんな感じでしょうか。
目の前の人に聞かせる感じ? 
一之輔
「みんな聞いて聞いて、
こんなおもしろい話あるから聞いてよ」
って感じです。
落語家ってみんな、
そういう感覚なんじゃないでしょうか。
伊藤
ああそうか、
だからちょっとだけ声の調子を変えたり
そこにある小道具だけで
やったりするんですね。
一之輔
ほんとにそこにあるものだけでね。
「あのさ、この間おもしろいことあってさ、
泥棒が入っちゃってね、大変だったんだって。
じゃちょっとやってみるわ」
って、演じ分けしたりして
「こんなことなんですよ」でオチつける。
「おう、おもしろいね」と言ってもらえる。
落語は、お坊さんの法話が
もとになっているといわれたり、
大名に仕えていた御伽衆(おとぎしゅう)という
おしゃべり上手な人が
「こんなおもしろい話なんですよ、殿様」
「おもしれぇな、おめぇは」
と話していたことが落語になってった、という
節もあります。
いつの時代も、ただのおしゃべりな、
おじさん、おばさんがいたんですよ。
伊藤
わかります。
そういう人、いますもんね。
一之輔
まわりにもいるでしょう。
伊藤
一之輔さんは小さい頃から
そういう子だったんですか? 
「もう、一之輔くん!!」みたいな。
一之輔
小学生の時分はね、
そんなことはなかったですよ。
ひょうきんものでもなくて、
どっちかというと人見知りでした。
でも、4年生のときに、
「1分間スピーチ」みたいなことを
言いだした先生がいて。
伊藤
4年生がスピーチするんですか。
1分ってちょっと長いですね。
一之輔
長いんですよ。
クラス全員で日替わりでしゃべってくんですが、
列の端っこから順番が、日に日にまわってくる。
すげえ嫌だなぁと思って。
ぼくの番が来て、てきとうに、
なんとかしゃべったんですよ。
そのとき、なんかちょっとウケたんだな。
伊藤
その1分間スピーチ、
どんな話だったんでしょう? 
一之輔
いやぁ、何をしゃべったんでしょうね。
わからないんですけども、そこそこウケた。
で、なんだか自信が出たんですよ。
「しゃべるのってたのしいな」という感じ。
そこから中学まで、
生徒会長やら学級委員長やら、
やるようになりました。

私から私へ

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10年くらい前から、
「毎年ひとつ、
何か新しいことに挑戦する」
と決めています。

5年前は、weeksdays。
ここから「新しいこと」は、
どんどん広がって、
いろんな経験ができました。
たくさんの方との出会いがありました。

仕事も、暮らしも。
今年も、いろんな新しいことが待っています。
うまくいっても、
もし失敗したとしても、
それはそれでいい。
何かを始めることが大切だと思っているんです。

今年最初のweeksdaysは、
himieのピアス。
私から私へ。
今年もどうぞよろしくね、
の気持ちを込めて。

コンテンツは、
3人の方に、「お買いもの」についての
エッセイを書いていただきました。
気になるあの人のお買いもの。
どうぞおたのしみに。

今年も、
weeksdaysをどうぞよろしくお願いいたします。

いろんな人のところへ行きなさい

未分類

伊藤
一之輔さんは、高座に上がるとき、
緊張はしないのでしょうか。
一之輔
緊張ね、
それなりにするんじゃないでしょうか。
でもまぁ、高座上がってお辞儀したら、
そんなにしないです。
でも楽屋に偉い人や怖い人がいたら
「ああ、聞かれたらやだな」と緊張します。
伊藤
一之輔さんは芸歴21年ですが、
最初はきっと、
緊張しないわけじゃなかったですよね。
「ここで自分が変わったな」とか、
そんな時期はありましたか? 
一之輔
「あ、こういうふうにやっていいんだな」
とわかった瞬間、それはあります。
二ツ目になって3、4年のあたりかな、
入門して7、8年目くらいの頃です。
落語の登場人物が
勝手にしゃべるような感じがありました。
「こういうこと言ったら
おもしれぇんじゃないかな」
って、登場人物が、お客さんの前でね。
伊藤
わたし、一之輔さんが
お弟子さんに稽古つけてる動画を
YouTubeで見たことがあるんです。
それがすごく怖くて。
一之輔
ああ、ありましたね。
ごらんになったんですか。
怖いですか? 
伊藤
すごいんですよ、
お弟子さんの噺を聞いて、まず何も言わない。
怖いです。
一之輔
怖くないですよ。
伊藤
そのあとに、
「だから、こうでこうで、ここは早い、
この登場人物は体をこう向ける」
と、アドバイスをどんどん出されてました。
落語って、いわば、
「ものすごいひとり芝居」ですよね。
一之輔
そうですね、
単純にいえばひとり芝居です。
伊藤
しかも座ったまま、
上半身しか自由にならずに、演じます。
舞台装置もなければ衣装もひとつだけ。
小道具は、羽織、扇子、手ぬぐい。
それでいて、威勢のいい若い衆から、
おかみさんから、泥棒から、ぜんぶやる。
泥棒だけじゃなく、
泥棒とその弟子やら、番頭さんや店の人たちやら、
とにかく無限に出てくる登場人物を
ひとりでどんどんやっていきます。
どういうことなんでしょう、あれは? 
一之輔
落語って、
見かけはひとり芝居なんですけど、
要は、おしゃべりの延長なんです。
だから「芝居」じゃなく
「噺(はなし)」って言います。
その証拠に、ぼくらは芝居ほど
声色を変えたりしないんですよ。
おかみさんをやるときだって、
声はおじさんの、この声のままなんです。
伊藤
あ、たしかに。
一之輔
ひとり芝居の俳優さんであれば、
女の人はもっと声を高く、女らしくやるはずです。
ときどき役者さんで
落語をやる方もいらっしゃいますが、
そうなっちゃう方が多いです。
伊藤
たしかに落語家さんは、
声色は変えないですね。
一之輔
語尾や、間、表情は変えます。
もっと言うと、目が変わります。
子どもをやるときは、
子どもの目になったりします。
伊藤
そうそう、目です。
特に一之輔さん、
マスクして眼鏡かけてるのに、
目で全部わかります。
一之輔
そのYouTubeの映像の目? 
伊藤
そうそう、目で伝わるようにと
お稽古をなさっていて、
わたしはその動画を見ながら
お弟子さんの気持ちになっちゃって、
汗をかきました。
一之輔
ぼくらはいつも
たいてい一対一で稽古します。
最初にまず、師匠がひとつやってくれて、
弟子は正面で聞いて覚えます。
その次に、弟子が師匠の前でやる。
じつはこれ、いちばん嫌です。
客前でやるのはぜんぜん楽。
稽古をつけてもらった師匠の前で、
一対一でやるのは、もう、たいへんです。
ぼくもつけてもらうこと、
いまだにありますから。
伊藤
そうなんですか。
一之輔
新ネタ覚えるときにやります。
ほんと、ドキドキしますよ。
伊藤
やるほうもドキドキするけど、
お稽古つけて見るほうも、緊迫感ありますよね。
一之輔さん、そうとう本気でした。
一之輔
弟子に対する稽古では、
ぼくはけっこう細かく言うほうだと思います。
伊藤
でも、あんなふうに一対一で
師匠に見てもらうなんて、
すごく嫌だけど、最高ですね。
それがないと、ってくらいにやりがいがありそう。
一之輔
教えてもらうのって、無償なんです。
つまり月謝がなくて、
なんなら前座のうちは、
飯食わせてもらって、お稽古つけてもらって、
交通費もらって帰ってくるんですから。
それも、自分の師匠だけじゃなく、
よその師匠もやってくれるんですよ。
ひとりだけに教わると、
その人のコピーになっちゃうっていうんで、
うちの師匠もいろんな人に
ぼくをまわしてくれました。
他の一門の師匠も、もちろん
無償で教えてくださいます。
ほんとにいろんな人に、ぼくは教わってきました。
伊藤
間口が広いというか‥‥、
技は「代々伝える」というようなものじゃ
ないんですね。
一之輔
そうなんですよ。
「うちの芸はこれだから、
うちの一門しかやっちゃダメ」
なんていうのはありません。
伊藤
技の継承ということではない、と。
一之輔
落語に関してはね。
例えばです、師匠から
「おまえは人間がね、陰気だから、
なにかこう陽気な人、
にぎやかな明るい芸の人のところに行って、
身につけなさい」
と言われたり、逆に、
「端正な人のところへ行って、
きっちりした芸を身につけなさい」
と言われたり。
そんなふうにいろんな人の
いいところを取って教わったうえで、
自分なりのものを作りあげるというのが
いいんじゃないかな、と思います。
うちの師匠には10人の弟子がいますけど、
みんな、師匠には似ていません。
師匠は、それ、喜んでます。
放っておくと似るものなんですよ、
絶対にね。
だって、師匠が好きで、入ったんだから。
伊藤
そうですよね、
憧れて入ってね。
一之輔
それがいくらかキャリアを経て、
自分なりのものが芽生えていく。
この前も末廣亭で師匠と
「親子会」をやったんですけど、
「誰に教わったんだ、それ」って言われて、
「師匠ですよ」と返したら
「ぜんぜん違うね」
なぁんて言いながら、
うれしそうにしてました。

根多帳でわかる

未分類

一之輔
歌舞伎や能って、ちょっとハードルが高いでしょう。
でも落語って単純で、
日本語がわかればだいたい笑えます。
「この人好き」「この人苦手」って、
自分の好みもはっきりします。
いわば「推し」が見つけやすいから、
行く前はちょっと敷居が高いかもしれないけど、
一度行くとハマる人はハマります。
「この人がトリ取るんだったら行く」とか、
そうやって10日間、毎日来てくださる方もいます。
伊藤
そういう意味でも、この末廣亭って
絶妙な場所にあると思うんです。
伊勢丹やいろんなお店で
キラキラしたものを売っていますけど、
そこから「何十歩」みたいな場所に、
この世界が待ってるなんて、
ほんとにびっくりですよ。
入口くぐったらすぐゲラゲラ笑ってる人がいて、
なんだか、どこでもドアみたいな感じ。
一之輔
はい、はいはい(笑)。
伊藤
前のお店から出てきた
おなかいっぱいになってる人とか、
ふつうに買いものに来た
通りすがりの人たちがいる道なのに、
木戸銭払ったら1.5メートルぐらい先にもう、
笑ってる人の姿が見える。
「なに、ここ!」と思って。
一之輔
言われてみりゃそうっすね、
変な空間ですよ。
人が「笑ってる」って、おかしいっすね。
伊藤
そうなの、笑ってるんです。
一之輔
爆笑してるって、みんながね。
伊藤
ほんとうに。
だから、これを味わわない手は
ないなと思いました。もったいない。
一之輔
笑ったり、まぁ泣いたりね。
あと、寝てるっていう人もいます。
金払って寝てるんだ、これが(笑)。
ふつうはあり得ないでしょう、
サザンのライブで寝る人はいないけど、
‥‥いるんですよ、寄席って。
伊藤
クラシックコンサートでも、
ちょっと眠気に誘われること、ありますよ。
一之輔
ああ、ありますね、揺らいでいる感じ。
伊藤
寝られる噺家さんって、
心地いい声なのかも。
一之輔
上手い人は寝やすいとか、よく言います。
伊藤
クラシックも上手い人をそう言うみたいですが、
落語でいう「上手い」ってなんでしょう? 
一之輔
声のよさ、
あとは調子のよさ。
伊藤
へぇえ。
一之輔
それはまさに、歌と一緒だと思います。
伊藤
そうかぁ、歌と同じ‥‥。
わたしも、声ってすごく重要だと思ってました。
一之輔
声は重要。
すごく重要です。
それはいい声とかきれいな声とかじゃなくて、
「聞きやすい声」ですね。
伊藤
入門するときに
「君は向いてないね」とか
言われることはないんですか? 
一之輔
声で? 
それはあんまりないかもなぁ。
伊藤
「どすっ」「うっ」
(鉛のボールをおなかに受けるような訓練)
「あっ、えっ、いっ、うっ」
一之輔
それ、スパルタの発声練習? 
ないない、ないです。
伊藤
ないんですか。
一之輔
発声練習は一切ない。
ただし、まず、
「デカい声でしゃべれ」って言われます。
伊藤
デカい声でしゃべれ。
一之輔
とにかくデカく、です。
うまくたって、聞こえなきゃしょうがない。
だから寄席によっては、
前座にはマイクを
使わせてくれないところもあります。
伊藤
修行の一環で。
一之輔
そうそう、もちろん。
伊藤
一之輔さんは、
「毎日が修行」とおっしゃいますけど。
一之輔
そうですね、毎日が稽古です。
「本番、いつなのよ」っていうくらい、
落語はそういう芸能です。
伊藤
それ、どういうことでしょうか。
一之輔
ぼくらは毎日、
どこかでしゃべってます。
毎日が本番っちゃ本番なんです、じっさいは。
けれどもとくに寄席なんかは、
「このネタ、久しぶりに思い出して、
ちょっとやってみっかなぁ」
なんていって、
それをお客さん相手に稽古させてもらう、
そんなところでもあるわけです。
たとえ同じことを毎日やっても、
お客さんが違うと反応も違う。
そんな自分の噺を、
どんなお客さんがいらしても喜んでもらえるように、
すり合わせるように稽古していく。
寄席はそんな場所だと思っています。
伊藤
そうかぁ。
袖の楽屋で、
「今日のお客さんはこんな感じだよ」
みたいなことを話したりしますか? 
一之輔
ありますね。
単純に、かわいらしい方が来てるとか。
伊藤
見てるんですか。
一之輔
見てますよ、すっごい見てます。
「最前列にいるぞ」とかね。
伊藤
やっぱり、お客さんを前にすると、
張り合いが出ますもんね。
一之輔
もちろんです。
なにより、よく笑うお客さんが
いてくださったら、
それは張り合いが出ます。
「子どもが来てるよ」と楽屋で言われたら、
「そうか、ちっちゃい子にもわかるやつ、
やってみるかな」
みたいに考えます。
伊藤
その場でネタを変えたりするんですね。
一之輔
みんな、ネタを決めるのは、
楽屋に来てからですよ。
伊藤
えぇっ、そうなんですか。
一之輔
寄席は、です。
伊藤
あ‥‥もしかして、
トリまでのリレーで、
前の人とネタがかぶったらやめよう、とか、
そういうことも? 
一之輔
そうです。
「あ、これできないな」なんていって調整します。
楽屋には根多帳があって、
前座さんが筆で「誰々が何やった」と
その日のネタを書いてってくれるんです。
ぼくらは楽屋で、それ見ながら
自分の噺を決めます。
たとえば泥棒の噺がすでに出ていたら、
泥棒の落語はもうできない。
親子の噺が出ていたら親子の噺はできない。
だから、トリというのは、それだけ
自分の持ちネタがないと、つとまらないんです。
伊藤
そうか、そうか。
一之輔
根多帳を見てると、
お客さんの傾向がわかるんですよ。
わかりやすい噺が続いてる日には、
「あ、今日のお客さん、そういう感じなんだな」
「みんなけっこう苦労してんだな」とかね。
下ネタみたいなのが出てたら、
「お、今日はそういうお客さんなのか」なんてね。
渋いネタが続いてたら、
「こういうのが大丈夫なお客さんなんだな」と。
伊藤
うわぁ‥‥なんだか、
寄席の楽屋、頭をフル回転させないと、
乗り切れそうにない。
一之輔
いや、そんなに気合い入れて臨む感じじゃなくて、
寄席は基本的に、いつものぼくらの
生活の場のような場所なんです。
直前までふつうにお茶飲んで、
火鉢のところで無駄話しして、
自分の出囃子が鳴ったら、
「じゃ行ってきまーす」つって行って、
下りたら着替えてすぐ帰っちゃいます。

力いっぱいやらない

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伊藤
一之輔さん、ネタづくりのために、
常にアンテナを張ってる感じですか。
一之輔
いや、そんなことしてると
疲れちゃいますね。
ほんとにおもしろいことがあったときにだけ
覚えておく。
「これは『まくら』でしゃべれるな」とか、
「コラムいっこ書けるな」とか、
そういう感じです。
伊藤
その‥‥先ほども出てきましたが、
「まくら」というのは
落語の「つかみ」? 
なんて説明すればいいでしょう。
一之輔
落語の前のフリートークみたいなものですね。
お辞儀してからしゃべりはじめて、
本題に行くまでが「まくら」です。
伊藤
そのときにお客さまの反応や、
自分の調子なんかも
見たりするのでしょうか。
一之輔
「まくら」の役割って、それはもう、
人それぞれなんです、ほんとに。
伊藤
へえぇ。
一之輔
昔ながらの「まくら」の考え方だとね、
たとえば夫婦の噺をするなら
夫婦喧嘩の小咄を「まくら」で出す。
ありもの、出来あいの
「まくら」を振るというのが
ひとつのスタイルとしてありました。
それがおそらく(立川)談志師匠あたりから
時事ネタを振ったりするようになったんだと
いわれています。
ぼくらの世代では、なかにはオーソドックスな
小噺から行く人もいますけど、
「まくら」はもう、ごくふつうに
フリートーク的に振りはじめる人がほとんどです。
あの時間は、なんというんでしょう、
お客さんとの距離を詰める時間なんじゃないかな。
伊藤
以前、一之輔さんのエッセイを読んだとき、
時事ネタって、
ちょっと流行りが過ぎた頃にも
言ったりすると書いてありましたが‥‥。
一之輔
そうそう、寄席の場合は、
「今日あったこと」をその日の昼に言っても
お客さんは笑わないんですよ。
ちょっと難しいんです。
伊藤
新鮮すぎてもだめなんですね。
一之輔
全員が新聞読んで来てないですし、
全員がネットニュースを
見ているわけじゃない。
伊藤
なるほど。
一之輔
だから流行り言葉も、
あんがい「賞味期限が切れたかな」という頃に
通じる場合があります。
伊藤
高齢のお客さまが多かったりすると、
また話題が変わってくるでしょうし。
一之輔
そうですね、お客さまの年代は、
演者によっても変わります。
若くてイキのいい人が出ると
若い人が客席に来てくださいます。
伊藤
わたしがたまたまこの前、
末廣亭に落語を聞きにきたときは、
おじいちゃんおばあちゃん‥‥。
一之輔
ばっかり、ってときもあります。
伊藤
でも、高齢の方ばかりでも
ドッと盛りあがる、
グルーヴのようなものが生まれます。
会場の盛りあがりって、
不思議なところで出るものなんですね。
何回も通わないと、
この場所はつかめないのかな、なんて思いました。
一之輔
寄席って、徐々に盛りあがって行くんですよ。
いきなりドッカーンとは、
絶対に、ならないんです。
伊藤
一気に大きな笑いにならないんですか? 
一之輔
そうなんです。
寄席にはいっぱい人が出るでしょう、
昼だけで20組ぐらい出ます。
しかも、落語だけではなく、
漫談、手品、紙切り、
みんなそれぞれの役割があります。
トップバッターは修行中の前座さん。
それは「料金の外」だっていうんでね、
プログラムに名前が書いてないんですよ。
前座はそういう扱いなんです。
だからプログラムの最初は、
二ツ目さんという、
前座のひとつ上の身分の人。
そうやってだんだんだんだん、
キャリアのある人が出てきます。
まずはそういう組み方になってるんですよ。
伊藤
寄席の盛りあがりは、
プログラムの順番を組む人の、
采配にもよるんですね。
一之輔
そうそう、
イキのいい大爆笑派の人のあとは
落ち着いた芸の人、とかね。
そんなふうにお客さまを飽きさせない
プログラムにしていきます。
だから、さっき申し上げたように、
最初から爆笑で行くってことはまずありません。
前座さんはもちろん拙いですから、
ウケ過ぎると、
「そんなにウケさすな」と言う人もいるほどです。
伊藤
それは、先輩方が? 
一之輔
そうそう、仲間内でね。
無理にギャグを入れたりして笑わせるより、
前座さんはお客さまを「ちょっと前のめり」に
させるぐらいでちょうどいいよ、なんて。
伊藤
それ、頃合いが難しそうですね。
一之輔
まぁ、教わったとおりに、
大きな声で一所懸命やればいいんです。
そのあとに若い二ツ目さん、
漫才などの色ものさんが続いていって、
トリを目がけて
お客さんのテンションを上げてくんです。
伊藤
じゃあ、ひとりひとりが
力いっぱい、なんてことは‥‥。
一之輔
ああ、やんない、やんない。
とんでもない。
伊藤
寄席って、個人芸じゃなくて、
一体感あふれるものなんですね。
一之輔
そう。
個人営業なんだけど、団体競技。
伊藤
リレーみたいなことなんでしょうか。
一之輔
そうそう、リレー、まさにリレー。
野球の打順にも似ています。
1番は塁に出てつなぐ。
ひとりひとりはもちろん
一所懸命やるんですけど。
伊藤
「自分はこのぐらいのとこで出るから」
と踏まえてやるんですね。
一之輔
「この出番順だったらこのネタだな」とかね。
伊藤
こう聞く前と聞いた後では、
寄席の見方が変わりますね。
一之輔
変わると思います。
でもまぁ、そんなのぜんぜん知らないで、
単純にたのしんでもらえばそれでいいです。
でも、寄席に通い慣れてくると、
どうしてもプロデューサー目線が出てきて。
伊藤
「あ、今日はこの人を入れたんだ」
みたいな(笑)。
一之輔
「あいつが今日休みでこの人が来たけど、
もうちょっといなかったのかよ」
とか、そういうことを(笑)。
あと、若手がやった噺を
「このネタは誰から教わったんだろう?」
とかね。
「あいつと同じ型だから、
きっとこの師匠から習ったんだろうな」
なんて。
伊藤
そんなことまで? 
一之輔
そういうことを、
ひと月で言えるような、
そういう芸能です、落語って。
伊藤
そんな。言えないと思います。
一之輔
いや、マジでマジで。
週1通えば、すぐにそんな感じになれます。
そういう人、寄席の客席にいっぱいいるから。

生活臭がない落語家になりたかった

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伊藤
楽屋も、なんだか部屋みたいですね。
火鉢のようなものがありますけれども。
一之輔
あれで餅を焼くことはないと思うけど(笑)、
ぼくらはみんなここで着替えて、
しゃべって、お茶飲んで、出てく。
伊藤
上の階はどうなってるんですか? 
一之輔
2階は落語以外の、
漫才や曲芸の「色ものさん」の楽屋です。
そうやって楽屋が分かれているのも、
しきたりっちゃしきたりです。
あと、座る場所も決まってて、
いちばん偉い人はここに座ります。
その次はここ、次にあそこというふうに、
順番が決まってるんです。
伊藤
入口のほうなのに、偉い人はここなんですね。
一之輔
柱を背にしてもたれられるから、ここが一番。
それに、ここにいると楽屋も高座も
ぜんぶが目に入るからでしょうね。
この空間でいちばん偉い人は、とにかくここ。
序列は決まってて、それはつまり、
「入った順」で偉い。
伊藤
偉い人が下っ端の席に座ると、
それはそれで不都合なんでしょうか。
一之輔
面倒くさいです。
「なんでそこ、座んないんだろう‥‥」
伊藤
(笑)
一之輔
でも、考えたらここに座る人、
いまはほとんどいないなぁ。
伊藤
一之輔さんは、そもそもこの末廣亭で
「出待ち」して、
落語家の弟子入りを希望したんですよね。
一之輔
ええ、ウラに楽屋口があって、
おめあての師匠を待ちました。
自分のいまの師匠(春風亭一朝師匠)をね。
伊藤
一之輔さんでも、
1日目には声を掛けられず、って聞きました。
一之輔
そうです、声掛けるまで
7日ぐらいかかりました。
いや、そんなもんですよ、
なかなかね。
伊藤
いまもここで、
そういった場面が
くり広げられているのでしょうか。
一之輔
ええ、ありますよ、
コロナで減りましたけどね。
不安定な仕事なので、なかなか人が
入ってこなくなったと思います。
コロナでいろんな仕事が中止になりましたし、
こういった時期に、
あんまり利口な人は来ないですよ。
伊藤
一之輔さんは、
なぜ落語家になろうと思ったんですか? 
一之輔
消極的な理由です。
大学に全部落っこちたんで、
落語家になろうと思いました。
伊藤
えっ。
でも、大学には行かれましたよね。
一之輔
ええ、結局は浪人して大学に行きました。
そんとき親が止めてくれたんです、
よかったですよ。
伊藤
「よかった」って、どういうことでしょうか。
一之輔
あのとき落語家になっていたら、
おそらくこんなに続いてない、ということです。
すごく気軽に、
「大学落ちたし、
落語家にでもなっちゃおうっかなぁ~」
みたいな感じでしたからね。
安直な考えです。
でも大学に行くのも、まぁ、
安易に流れただけなんですけどね。
伊藤
一之輔さん、たしか息子さんがいま
17歳くらいでしたよね。
一之輔
堅実です、うちの長男は。
ちゃんとしてます。
昔のぼくのほうがはるかにちゃらんぽらんです。
伊藤
わかります。
それ、時代でしょうか。
一之輔
どうでしょうね。
去年の4月、
ぼくの『いちのすけのまくら』という本の
文庫が出まして、
息子にあとがきを書かせたんですよ。
伊藤
なぜ息子さんに? 
一之輔
あとがきって、お願いするときには、
有名な人とか、自分の憧れてる人とか、
いろんな名前が挙がります。
でも、そういう人に断られたら悲しいでしょ。
伊藤
ああ、悲しいですね。
一之輔
こっちは憧れているというのに、
切なくなるじゃないですか。
そりゃあスケジュールとか、
理由はいろいろつけるでしょうけどもね、
要は断られるってことですから。
伊藤
なるほど。
一之輔
だから編集の人に
「自分の子ども、どうですかね?」
って言ってみました。長男ね。
最初は家族全員に書かせようと思ったんですけど、
原稿料はひとりにしか払えないと言われて、
長男にしました。
そしたら、けっこうちゃんとした
ぼくの分析を書きました。
伊藤
ええ、ちゃんと解説として書いておられました。
あれ、原稿料は出たんでしょうか。
一之輔
2万5000円ぐらいもらったと思います。
それで友だちと、京都に行ってました。
伊藤
息子さんは、
一之輔さんが高座にあがってるお姿は、
ごらんになったことがあるんですね。
家族は舞台を見ていいのでしょうか。
一之輔
家族はいいと思います。
でもその前に、息子がちっちゃい頃、
幼稚園で落語やってくれと
言われたことがあったり。
伊藤
えっ、そんなことが。いいなぁ。
一之輔
おじいちゃんやおばあちゃんと
おやつ食べる会みたいなのが幼稚園であって、
「お父さん、落語やってください」と
先生に言われました。
そのとき、息子はぼくの落語を
はじめて見たんじゃないかな。
そのあと小学校でもやりました。
家族はふだん、客席で見ることは
ほとんどありません。
でもYouTubeで生配信したときは、
10日間、全員で見てたそうです。
伊藤
へぇえ! 
自分の仕事を家族に見られるって、
どんなお気持ちでしょうか。
一之輔
でもね、あんがい、おおむね好評です。
テレビやYouTube見て
「おもしろかった」とか言いますもん。
そういうときは、うれしいですよね。
伊藤
やっぱりうれしいですよね。
うちの娘なんかだと、
わたしの仕事にはまったく興味がありません。
一之輔
自分からすすんで見るってことは、
娘さんはしないですか。
伊藤
なんか、ぜったい‥‥いやむしろ、
見ないようにしてるぐらい、興味がない。
落語を家族に見られるときって、
恥ずかしかったりします? 
一之輔
もう恥ずかしくないです。
子どものことネタにしたり、
家庭内であったことを
「まくら」でしゃべったりしてるくらいですから。
最初はね、ほんとうに、そういうことしない、
生活臭のしない、粋な芸人に‥‥。
伊藤
なりたかったのに(笑)。
一之輔
なりたかったんですけど、
日常でいろんなことが起こるから、
これをしゃべらない手はないって思う。
だからもう、しゃべっちゃうことにしています。

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