未分類カテゴリー記事の一覧です

COGをつくったときのこと。

未分類

伊藤
当時、デザインされていたのは、
現在のCOGとはずいぶん違うものなんですか。
Noriko.I
いろんなデザインをしましたが、
好きだったのは、いまのCOGと同じような、
大きめで、ワンサイズでいろんな体型のかたが
着られるタイプの服でした。
生産の女性は小柄で細くて華奢で、
わたしより身体のサイズが小さい。
その彼女が着てもすごくかわいいけれど、
わたしが着ても「ちょうどいい」と思える服の
デザインをしていたんです。
ところが、新任のディレクターの方から、
「もうちょっとOL路線がいい」という意見が出て。
「そういうのはちょっとOLには」とか
「もうここをあと10センチ短くして、
そのほうが一般の人も着やすいから」
みたいな意見をいただくようになって、
「うーん?」と。
最初は、単なる愚痴でした(笑)。
伊藤
(笑)。
Noriko.I
そんななか、いま東京事務所にいる太田が、
夏休みの2週間、遊びに来ていたときのことです。
暑いなか、お気に入りのパブに行き、
屋外の席でジントニックを飲みつつ、
わたしはそんな愚痴を言っていたんですよ。
「もう、いっそ、自腹でサンプルをつくって、
ブランドを立ち上げちゃおうか? 
売れなかったらもうお終い、それでもいいから、
やりたいことをやろっかなぁ?」って。
そうしたら太田も「やる!」と言い出し(笑)。

▲太田さんと話をしたパブ。

太田
わたしはフリーランスで、
アパレルの会社とのデザインやディレクションの契約が
ちょうど2つ終わったばかりで、
次は何をやろうかなって思っていたんですよ。
それでロンドンに遊びに行ったとき、
そういうことやろうと思ってるんだよねと言われ、
「あ、ちょうど空いてます!」
みたいな感じで立候補しました。
それからですね、話が、トントンと。
Noriko.I
それが、3年前の夏でしたね。
伊藤
すごい。すごいですね。
Noriko.I
そのとき、わたし、日本のアパレルに依頼された
英国ブランドのデザインの仕事を、
十二分と言えるくらいしていたんですが、
それに大きなストレスを感じていたんです。
洋服もバッグも大量のデザインをしていたのだけれど、
契約でわたしがデザインしていることは口外できないし、
「英国で社員の管理もしてくれなきゃ困る」と、
日本の仕事の仕方を英国でしなくてはいけなくなった。
デザインやディレクションのために入ったのに、
そんなの分からないし、やりたくないし、
しかも、すごく日本的なやり方を通そうとする。
英国では理不尽に思うくらいのことだったんですよ。
それでものすごいストレスが溜まってたんですね。
伊藤
それはつらいですね‥‥。
Noriko.I
そんななか、COGの最初のコレクションを、
準備しはじめたんです。
伊藤
最初に発表したのは何型くらいだったんですか。
Noriko.I
20型くらいでしたね。
伊藤
すごいですね。それをつくって、
ダメだったら撤退しようと?
Noriko.I
はい。できあがったサンプルを
分けっこしてお終いね、みたいな。
伊藤
その最初のコレクションは、
ファッション関係の方とか、
いろんな方を招いて発表されたんですか。
Noriko.I
ええ。最初の展示会は、
馬喰横山の昭和っぽいビルを借りてお披露目をしました。
太田が前職でいろんなネットワークがあったので、
編集の方だったり、スタイリストの方だったり、
ショップのバイヤーの方がたをお呼びしたんです。

▲最初の展示会のようす。

伊藤
みなさん、どんな感想を?
Noriko.I
最初、皆さん、衝撃を受けられていました。
サイズが大きくて、
しかもワンサイズしかないから。
伊藤
でも、どんな体型の人も似合うデザインですから。
Noriko.I
そう、痩せてる人が着ても、
ふっくらした人が着ても、さまになる。
伊藤
わたしは身長が156センチで、
COGのワンピースを大きめに着ているんですが、
「weeksdays」のモデルで168センチの子が着たら、
膝すれすれになるのに、子供っぽくないんですよ。
そういう服ですよね。
Noriko.I
わたしも156センチなんですよ!
太田
わたしも156です。
伊藤
あら!(笑)
Noriko.I
コンセプトとしては、とにかくもうワンサイズで、
とにかくジャージ素材しかやらないと決めていました。
伊藤
その潔さはどこから来たんですか。
Noriko.I
この潔さは、‥‥ラクだから(笑)!
伊藤
着ていてラクだから?
Noriko.I
着ていてもラクですし、選ぶのもラクでしょう。
サイズがS、M、Lってあると、
どれが正解か分からなくなりませんか。
伊藤
なります!
Noriko.I
ブランドによって違いますよね。
わたしはいっつもSを着るから、とSを選んでも、
なんだかちょっとちっちゃい、ということもある。
伊藤
うん、うん。
Noriko.I
だけど、ワンサイズしかないと、ラクでしょう?
伊藤
たしかにそうですね。
Noriko.I
皆さん、サイズの呪縛に捉われているから、
COGの場合、ワンサイズしかないっていうと、
「ちょっとおっきいけど、
こうやって着ればかわいい」とか、
「あ、わたしでも着れた」とか、そういう感じで、
皆さん、よろこんでくださるんです。
伊藤
よくわかります。
Noriko.I
わたしは日本でサンプルのフィッティングをしている
生産担当の華奢な女性と比べて、
体重が1.5倍ぐらいあるんですけれど、
同じサイズを着ています。
COGの服は自分でも「絶妙な大きさ」と思っていますし、
彼女は彼女で「わたしにも絶妙な大きさ」と。
どんな体型でも迷う必要がないから、
選ぶ人として気持ちがラクなんです。
伊藤
そこ、すごくおっきいポイントですね。
素材については?
Noriko.I
すべてジャージー素材にしているのは、
着てラクということのほかに、
つくり手としての理由があります。
それは欲張っていろんな布に手を出すと、
逆に自分たちが大変になっちゃって、
ひとつのものに集中できなくなるということです。
伊藤
消費者からすると、
いろいろなブランドの服を選びたいので、
「たっぷりめでジャージー素材といえばCOG」と、
すっきりチョイスできるのが魅力ですよ。
Noriko.I
あとは、ブランド自体の世界観を出して、
コレクションをつくりたいという欲求がないんです。
話題性を考えて、春夏と秋冬、
新作のコレクションを発表していくのは、
経験上、とてもたいへんなことです。
それを考え出すと、
実際自分が着ないようなものとかもつくらなければ、
成り立たなくなる。
それよりもCOGは、絶対自分が着るもの、
でも他とは同じじゃないものをつくろうと思います。
セレクトショップに置かれることを想像すると、
ワンコーナー、COGのラインナップがバーン! 
というイメージではなく、
わたしも好きなブランドがあるなかに
COGが自然に並んでいて、
たとえばマルジェラを買う人にも
「あ、これ、家で着るのにいいわ」と
受け入れてもらえる服でありたい、と。
そういう人たちにとってのベーシックを、
という気持ちですね。
伊藤
そうですよね。人って、そんなに好みは変わらない。

COGTHEBIGSMOKEの服

未分類

英国に住むことになったのは。

未分類

伊藤
はじめまして、伊藤です。
Noriko.I
はじめまして、
よろしくお願いいたします。
伊藤
いま、いらっしゃるのは、
ロンドンのどの辺りなんですか。
Noriko.I
世界標準時で知られるグリニッジが
ロンドンのイースト側にあるんですが、
そこから真南に車で15分ぐらい
下がったところなんです。
経度0度0分0秒、みたいなところですよ。

▲近所の公園。

▲近所のパブ。

▲近所のソーセージやさん。

伊藤
そもそもなぜロンドンに? 
もともとは東京にいらしたんですか。
Noriko.I
そうなんです。
もともと、わたしはドレステリアの
最初からのメンバーで、
1999年頃から、
長くバイヤーをやっていたんです。
伊藤
ドレステリアの、その時代! 
すごくよく着ていましたよ。
Noriko.I
ありがとうございます。
まさこさんが着てくださっているのを知って、
うれしく思っていました。
今から6、7年ぐらい前まで
その仕事をしていたんですけれど、
さかのぼると、バイヤーになる前は、
ブランドのデザイナーだったんです。
けれど、自分で全部100パーセント、世界をつくると、
「ちょっとにせもの」をつくらなきゃいけなくなる。
伊藤
「ちょっと‥‥にせもの」?
Noriko.I
たとえばジーンズとTシャツを、
自分のコレクションに入れるために、
オリジナルをつくることになりますよね。
ところが、ジーンズにもTシャツも、
すでに自分が「いい」と思っている「ほんもの」が、
世の中にはあるわけです。
Tシャツだったら、アメリカの
コットンのTシャツがいいとか、
ジーンズだったらLEVI’Sがいいね、ということですね。
なのに、自分の世界を表現するために、
それと似たようなものをつくるのは
「にせもの」ということになるんです。
それが嫌だな、っていうふうに思えてきて。
伊藤
なるほど。
Noriko.I
だったら、自分がいいと思うもの、
絶対に着たいベーシックなものを集めたい、
そう思って、バイヤーに転身したんですよ。
伊藤
つまり、本当にお好きなものは、
すっごくスタンダードなものなんですね。
Noriko.I
そう。変わらないものですね。
結局元を正せば、自分でデザインをして
つくるのも好きだけれど、
ものを集めて世界観をつくるのが好きなんですよ。
伊藤
バイヤーというお仕事が、
すごく向いていらした。
Noriko.I
そうですね、すごく楽しくて。
でもデザイナー経験もあったので、
バイヤーに徹するというよりは、
足りないものがあれば自分でつくろう、と。
それができたドレステリアでは、
自由に楽しくやらせていただきました。
伊藤
ドレステリア時代にご自身でデザインされたものは
どんなものがあったんですか。
Noriko.I
下着っぽいものだったり、
プリントもの、ソックス、そういうものでした。
前任のデザイナーが辞めた後は、
オリジナルレディースウェアの
ディレクターも兼任していたので
全てのデザインチェックをしていましたが、
私自身でデザインした物も多々あって、
リバティプリントのシリーズや
Petit Marierというウエディングドレスも
毎シーズンデザインしていました
伊藤
それが、ロンドンに住むことになったのには、
なにかきっかけがあったんですか。

▲ロンドンの街のあちこち。

Noriko.I
その仕事をしているときに、
プライベートでの出会いがありました。
相手がオーストラリア人だったんですね。
けれども仕事を続けながらオーストラリアに住む、
と考えると、よくわからなくなってしまった。
季節も逆だし、ファッションの潮流も全く違うし、
自分にできることがあるとは思えなかったんです。
オーストラリアに移住するというのは、
環境としては楽しいかもしれないけれど、
仕事は終わりかな、みたいな気持ちになって。
伊藤
ファッションに関して、オーストラリアの人って、
機能重視みたいなところがあるようですね。
オーストラリアに行った友人からききました。
Noriko.I
はい。それでオーストラリアに何度か行き、
全てを失ったような気持ちになったんです(笑)。
自分が何を着たらいいのかもわからないし、
季節がまるで逆なので、
バイヤー、つくり手としても混乱してしまって。
伊藤
日本にいて、わかっていたと思っていた感覚が、
まるで通用しないというか‥‥。
Noriko.I
そうなんです。
「わたしのこの格好、いけてるの? いけてないの? 
それすらも分からない!」みたいな。
ショックでしたよ。
あまりにも環境が違うので、
自分がいいと思って着てる服すらも
自信がなくなってくるんです。
伊藤
そんなこと、あるんですね‥‥。
どれぐらいいらっしゃったんですか? 
オーストラリアに。
Noriko.I
そのときは、1ヶ月行ったり、3ヶ月行ったりで、
完全に移住すると決めてはいなかったんです。
それと並行して、仕事の環境も変わりつつありました。
ドレステリアの仕事は、
もうちょっと自由に働きたいなと思って、
業務委託契約に変えたんです。
そうしたら、ずっと仕事をさせていただいてた
アパレルの輸入業者のかたから、
とある英国ブランドの、
レディース部門のデザインを依頼されました。
伊藤
それは日本人の方に向けた?
Noriko.I
いえ、世界で販売するもの、すべてなんです。
伊藤
え! 世界の!
Noriko.I
はい。それをドレステリアと並行して
担当することになりました。
そうしたら、そのブランドの旗艦店が
ロンドンもできるというので、
チェックしに行ってきて、という仕事が入り、
さらに「英国を拠点に仕事をしないか」
というお話をいただいたんです。
それをオーストラリア人のパートナーに伝えたら、
「え! 英国だったら、僕も住めるよ」
みたいな感じになって。
伊藤
えっ、えっ?!
Noriko.I
疑問ですよね。わたしも「え、何で?」と言ったら、
オーストラリアと英国はコモンウェルス
(Commonwealth of Nations)で同じグループ。
しかも彼のお祖父さんが英国生まれの英国人だから、
彼も英国のパスポートが郵送ですぐに取れる。
ちょうどわたしが
オーストラリアに行くのをためらっている、
という話をしていたところだったので、
2人で英国に行くことにしたんですよ。
伊藤
何ですか、その身のこなしの軽さは!
Noriko.I
(笑)わたし、何も考えないんです。
一時は、もう仕事もいいや、とまで思って。
その英国ブランドの仕事は続けつつ、
ドレステリアからは勇退させてもらって、
自由な時間ができたら
遊んでいてもいいんじゃない? と。
伊藤
わあ(笑)。

▲ロンドンの市場の青果店で。

Noriko.I
(笑)それで、もう辞めるつもりで、
ドレステリアのディレクターに、
斯々然々(かくかくしかじか)で
英国に行くんですけど、っていう話をしたら、
「え、英国だったら、ヨーロッパ各地が近いから、
バイヤーとして便利なんじゃない? 
ぜひ向こうに住んでバイヤーを続けてください」
と言われてしまいました。
それで、英国に行っても、
5、6年間、バイヤーも兼任していたんです。
伊藤
面白いです(笑)! すごい! 
Noriko.I
とはいっても、バイヤーというのは、
展示会のある季節がとても忙しくて、
ほかはわりとゆったりですから、
英国でモダンブリティッシュのアパレルからの
お誘いも受け、
その仕事もやるようになりました。
伊藤
ずいぶん忙しい時期があったんですね。
こうしたい、という気持ちと、
いたい場所と、したい仕事が、
いい感じに流れでまとまった、
という感じに思えます。
Noriko.I
何ひとつ計画せず、
「時の流れに身をまかせ」ですよ(笑)。
さらに、日本のアパレルからも
トラディショナル系のブランドの
デザインを依頼され、それも担当することになりました。
ただわたしは英国に住んでいるので、
デザインをした服のサンプルが上がっても、
フィッティングの度に帰るわけにいかない。
そこで日本の生産担当の女性に着てもらって、
オンラインでチェックをする、ということが続きました。

スカートの裾を。

未分類

子どもの頃、好きだったのは、
母が縫ってくれた木綿の花柄ワンピース。

スカート部分が三段になっていた、
そのワンピースを着ると、
必ずくるくる回って、
スカートをふわーっとさせたものでした。

「私も、くるくるしてた!」
友人たちも、同じ思い出があるみたい。
スカートがふわりと広がるのをうれしがるのは、
女の子のDNAに組み込まれているのかも? 

そんなことを思い出したのは、
去年このワンピースに出会ったから。

さすがに、くるくる回ってはしゃぎはしなくなりましたが、
歩くたびに布が揺れる感じがうれしくて。
しかも、ちゃーんと大人に似合う、
抑えたさじ加減がいいんです。

今週のweeksdaysは、
COGTHEBIGSMOKE(コグ ザ ビッグスモーク)の
ROSIE DRESSと
WIDE SWEAT SLEEVELESS。

weeksdaysでは初登場となるブランド。
デザイナーのNoriko.Iさんとの対談もどうぞおたのしみに。

ケープとコート、 たとえばこんなコーディネート。 [3]いつものスタイルに、 カシミヤコート。 伊藤まさこ

未分類

ナチュラル/ブラックのコートの、
黒い方を表に着てみました。
ベーシックな色同士の組み合わせは、
持っているととても重宝。
おととしパリを旅した時は、
気分に合わせて色を変えて、
1週間着まわしていました。
リバーシブルってすごい。

また、ノーカラーなので、
タートルネックを下に着ても襟元がすっきり。
スカーフを巻いたり、
ネックレスをしたりと
襟元のおしゃれもたのしめるところが、
このコートのよいところです。

今日はコートに合わせて
黒を中心にコーディネートしましたが、
パンツは思い切ってピンクに。
こんな風に、ちょっと派手めな色をさして、
着こなしにメリハリをつけるのが好きです。

Vネックのニットにパンツ、スニーカーは
私のいつものスタイル
(おもに撮影などの仕事の時の)ですが、
そんな時も、このコートの出番。
さっと羽織るだけで、
大人のカジュアルスタイルができあがり。
どんなスタイルも受け止めてくれる、
上質なカシミヤ素材。
袖を通すたびにすごいなぁと思っています。

脇にスリットが入っているので、
思い切り歩いても足さばきが楽。
ボタンは閉めずに、裏側の色を見せて、
元気よく着こなすのが気分です。

ケープとコート、 たとえばこんなコーディネート。 [2]洋服にケープ。 伊藤まさこ

未分類

ネイビー部分を表に、
パンツもバッグも同系色でまとめました。

中に着たのは、
朱色のプルオーバー。
動くたびに、中の色が見えて、
それがなかなか新鮮なんです。

袖まわりがかなりゆったりとした、
こういったタイプのプルオーバーや、
ドルマンスリーブのモコモコしたニットなど、
上に羽織るものに悩まされることが多いけれど、
このケープなら袖まわりがもたもたすることはありません。
ああ、これで冬の悩みがひとつ解決! 
去年、ケープができあがった時、
うれしさがこみ上げたものでした。

それともうひとついいなと思っているのは、
ケープの中でバッグが斜めがけできるところ。
これなら、両手に何も持つことなく、街を歩ける! 
見た目にすっきりで言うことなしです。

ケープとコート、 たとえばこんなコーディネート。 [1]着物にケープ。 伊藤まさこ

未分類

着物を着る時のコート、
どんなものを合わせていますか?
私、じつはなかなか気に入ったものにめぐりあえず、
もう何年も、
大判のカシミヤコートを上から羽織って過ごしていました。

去年、ケープを作った時に、
はっ! もしかしたら着物と相性よいかも? 
‥‥とひらめき、
合わせてみたら大正解。
着物は着慣れておらず、
緊張のため肩が凝りがちだったのですが、
ケープの軽さに大変助けられて、
着ている間、ずっと快適! 

今日は、襟の部分を少し折り返して、
反対の色をちらりと見せてみました。
こうすると、帯の前側も見えて、いいかんじ。
フックをすべて閉じると、
また違う雰囲気になるので、
いろいろ試してみてくださいね。

後ろ姿はこんなかんじ。
帯の部分も無理なくすっぽり覆ってくれます。
自分で着る時は帯の結び方が
かなり心もとないのですが、
このケープがうまく隠してくれる。
着物のお出かけも、これならこわくない!と
勇気をもらった気分です。

カシミヤのケープとコート

未分類

秋冬のおしゃれ計画。

未分類

軽くてあたたかくて。
驚くほど肌触りのよい、
HARRISS GRACE(ハリス・グレース)のカシミヤ。

質のよさは一目瞭然で、
着ていると、多くの人に「すてきですね」と
褒められる。
私の自慢の服であるとともに、
秋冬のおしゃれに欠かせないアウターとなっています。

今週のweeksdaysは、
去年、おととしとご紹介してきた、
カシミヤコートとケープのオーダーのお知らせです。

気が早いと思う方もおられるとは思いますが、
(やっとサンダルが似合う季節ですものね)
「着たい!」そう思ってくださった、
すべての方にお届けしたい。
秋冬のおしゃれ計画、
ちょっと早めではありますが、
練ってみてはいかがでしょうか?

コンテンツは、
私のコートとケープのコーディネートを。
え! こんなものとも合うの?
と驚かれた着こなしもご紹介します。
どうぞおたのしみに。

再入荷のおしらせ

未分類

完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
5月13日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。

輪島キリモトのすぎ椀

▶︎商品詳細ページへ

「スタンダードなひら椀とともに愛用しているのが、
このすっとスマートな佇まいのすぎ椀です。
間口が小さいので、
山椒の葉をたっぷり入れた赤だしのお味噌汁や、
万能ネギだけの具が少なめの汁物、
またはれんこんのすり流し、
じゃがいものポタージュなど、
とろりとした汁物の時に登場。
汁物だけでなく、
おひたしや、あえものをはじめ、
アイスクリーム、ぜんざいなど、おやつの時間にも。
横から見た姿も美しく、繊細な印象。
スタンダードなお椀を持っている方にも、
新鮮に映る形ではないでしょうか。
使い方のコンテンツもどうぞ参考になさってくださいね。」
(伊藤まさこさん)


OSAJIのブレンドエッセンシャルオイル

▶︎商品詳細ページへ

「服を変えたり、
メイクを変えたりするように、
香りだって好みのものをいくつか持っていたい。
weeksdaysのオリジナルは、
“Bonjour”(ボンジュール)と
“Bonne nuit”(ボンヌ・ニュイ)のふたつの香り。
“Bonjour”は、その名の通り、
朝やお昼にぴったりな
クスノキ、セージ、シダーウッドバージニアンなど、
さわやかな香りを。
“Bonne nuit”は、眠る前のひとときを、
ちょっぴり贅沢な気分にさせてくれる
スイートオレンジ、ローズゼラニウム、
ダマスクローズ、ホホバオイルを配合。
もちろん気分で使い分けても。
(雨の昼下がりなどは“Bonne nuit”がぴったりでした!)
気持ちを切り替えたい時、
部屋の中をリフレッシュさせたい時。
お客様が来る前に‥‥
なんて時にオイルをたらり。
家にいる時間を充実させてくれる、
アイテムです。
ラベルの文字は
イラストレーターの山本祐布子さんにお願いしました。
シックで上品。
贈りものにしても喜ばれることまちがい無しです。
またアロマディフューザーがない、という方でも大丈夫。
(私も持っていません)
くわしくは茂田さんとの対談と、
私の使い方コンテンツを参考になさってくださいね。」
(伊藤まさこさん)

ヘルシンキ 森下圭子さん[2] 自分だけの場所、 島暮らしの夏。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


森下圭子さんのプロフィール

もりした・けいこ
1969年生まれ。
ムーミンの研究がしたくて
1994年の秋にフィンランドへ
夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、
冬は寒中水泳が好き。
現在、ヘルシンキ在住。

「取材や視察のコーディネートや通訳、
翻訳の仕事をしています」

訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、
ミイのおはなし絵本シリーズ、
『ぼくって王さま』
『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』などがある。
映画『かもめ食堂』の
アソシエート・プロデューサーとして
初めて映画の仕事を体験。
「ほぼ日」では2004年から2005年にかけて
『サンタの国、フィンランドから。』を、
2009年から2012年にかけて
『フィンランドのおじさんになる方法。』を連載。
2015年には作家・重松清さんのインタビュー、
『トーベ・ヤンソンの人生を、ぼくたちはもう一度生きる。』
にも登場している。

■Instagram


出典をはっきり覚えていないのですが、
メンタルヘルス・フィンランドが発信していたのかな、
あるとき「安全な場所を確保しよう」
という記事を見つけました。
忘れたくなくて手帳にメモしておいたんです。

自分の安全が脅かされることの絶対ない場所を、
頭の中に描けるようにしておこう。
心が落ち着く場所。
人がいてもいいけれど、
その人は絶対的にあなたの安全を確保できる、
つまりあなたが安心できる人であること。
風景は必ずしも静かである必要はなく、
あなたが落ち着けるのであれば、
岸壁に波が打ち付けられる様子でもいい。
自分が落ち着ける安全な場所を頭に描き
(その風景は実在してもしなくてもいい)、
少しずつ五感を働かせる。
音、匂い、光、風、など。
何かあったら、さっとこの世界に逃げよう。

日ごろからこんな場所があるだけで
救われることもあるそうです。
自分の感覚が働いていることを確認することは、
とても大切なのだろうと思います。

新規感染者数がゼロになる日もあって、
楽観的に暮らせた夏。
私は1年前に話したことを実行していて、
ムーミンの作者が
子どもの頃から夏を過ごした群島地域で
島暮らしをしていました。
子どもの頃のように駆け回り、
新しい友だちを作って遊んだり、
森の中に自分だけの場所を見つけ、
そこに名前を付けたりして。
挙句の果てに、森で遭遇した人に
鹿と間違われたことも2度ほどありました。
いつの間に鹿の呼吸を。
私はこの島暮らしの光景をベースに
自分の中に逃げ場を作っています。

▲夏の楽しかった時間、美しい光景、美味しかったもの、
おかしかった出来事を五感で思い出し、
自分の心の中の逃げ場にしています。
ここからの写真は、私がいつでも
すぐに思い出せるようにしている逃げ場をご紹介します。

▲鹿と間違えられた場所。

▲島ではこんな風に人と出会っては、
そのまま一緒に遊んだりしていました。

▲島の市場。外でもディスタンス。

▲よく立ち寄った農家のお宅の羊たち。

▲島のものを食べる毎日。

▲森で見つけると見過ごせず、
そのせいで連日連続のきのこ食。
きのこで一日5食とか。
ポルチーニの当たり年だったようで、
有難さを忘れる勢いでした。

▲こだわりの塩を持参したつもりが、
封を開けたらごま塩で、
私の料理はひたすらごま塩味の島暮らしでした。

▲おやつもきのこ。焼いただけ。

▲森で摘んだブルーベリー、
おじいさんにいただいた庭のさくらんぼで作ったジャム、
お茶に誘われて遊びにいったお宅で持たせてくれた
フレッシュチーズ、市場で買った手作りメレンゲ。
海と島々を眺めながら
一人でこんな贅沢なものを食べるひとときもありました。
ごま塩だけじゃない。きのこだけじゃない。

▲鹿が逃げていかない。
そして私は人間に鹿と間違われる。

▲本当に子どものときやってたようなことをして
遊んでいました。ちなみに、私たちが登っているのを
これを作った一家のマダムがちょうど目撃して、
大喜びで車から降りてきてくれました。

▲閃けば、岩の上でだって
真剣に話しだしたりもします。

▲夜23時頃の風景。白夜です。

ヘルシンキ 森下圭子さん[1] 「キートス・ヘイヘイ!」、 ディスタンス10メートル。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


森下圭子さんのプロフィール

もりした・けいこ
1969年生まれ。
ムーミンの研究がしたくて
1994年の秋にフィンランドへ
夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、
冬は寒中水泳が好き。
現在、ヘルシンキ在住。

「取材や視察のコーディネートや通訳、
翻訳の仕事をしています」

訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、
ミイのおはなし絵本シリーズ、
『ぼくって王さま』
『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』などがある。
映画『かもめ食堂』の
アソシエート・プロデューサーとして
初めて映画の仕事を体験。
「ほぼ日」では2004年から2005年にかけて
『サンタの国、フィンランドから。』を、
2009年から2012年にかけて
『フィンランドのおじさんになる方法。』を連載。
2015年には作家・重松清さんのインタビュー、
『トーベ・ヤンソンの人生を、ぼくたちはもう一度生きる。』
にも登場している。

■Instagram


どこからお話しましょうかと、
1年前の対談を読み返したりしています。
あれから1年。
フィンランドでも私の暮らす首都ヘルシンキは、
3月に入り、これまでで一番深刻な状況に
なってしまいました。
集中治療室が足りず別の地域に搬送という
報道もあったりして。
当然ですが、あちこちが閉鎖されたり、
行動を制限されたりの日々を過ごしています。

▲季節が巡って春がやってきました。海ももう凍っていません。

今も外を歩けば、1年前と同じように
窓辺にクマのぬいぐるみを見かけます。
でも近所のフランス人のパン屋さんが別れ際に
「キートス・ヘイヘイ!」と
フィンランド語で挨拶するようになっていて、
1年という時間の長さを実感します。
1年前の「オウヴォワール」というフランス語の挨拶も、
それはそれで異国情緒があって、
お客さんたちがつられて「オウヴォワール」と
少し恥ずかしそうに応える響きも好きでした。

▲冬はヘルシンキの海がこんな風に凍り、
海の上を散歩したり遊ぶことができました。

夏には新規感染者数がゼロだったこともあるフィンランド。
あの時はいよいよ収束かと期待していたのに、
秋が深まるにつれてどんどん感染者数が増えていき、
改めて自分に何ができるか、
私たちは試行錯誤する日々になった気がします。
手探りすぎて、卵の移動販売を待つ人の列が
ディスタンス前後10メートルになっていたときには
笑ってしまいましたが、
それくら真剣だったんですよね。
やがて5メートルくらいになり、
最近は3メートルくらいで大丈夫かしらって。
こんな感じで私たちはスーパーやスポーツジムで、
外を散歩しているときも、
相変わらず答えが分からない中で、
お互いの塩梅を探りながらやり過ごしている気がします。

▲暖冬と思っていたところへ急にやってきた極寒。
おかげで気嵐も見られました。

1年前の私は「想像力」を特に大事にしていて、
今もそれは変わらず大切にしていることですが、
それに加えて「対話的である」という姿勢を
意識するようになった気がします。
手探りでいい、正解が見つからなくてもいいから、
対話的であり続ければ、関係性が断たれなければ、
いずれは何か答えのようなものが見つかるかもしれないし、
そうこうしているうちに収束するのかもしれない。
対話的であり続けるということは、なんだろう、
希望というのは
苦しくなると見えにくくなることもあるけれど、
対話的であり続けるということは、
苦しいときにも意識しやすくて、
そして対話的であり続けるというのは、
私にとっては希望を持ち続けることに繋がるような、
そんなイメージです。

▲バーニー・サンダース、世界じゅうで流行りましたよね。
久しぶりに友人に会え、ついこんな遊びを。

ニューヨーク 仁平綾さん 見えない敵に怯え、家にこもり、 誰にも会わない日々のなかで。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


仁平綾さんのプロフィール

にへい・あや
1976年生まれ、編集者・ライター。
2012年にニューヨーク・ブルックリンで居を構える。
9年を過ごしたのち、2021年に帰国。
得意ジャンルは、食、猫、クラフト。
雑誌やウェブサイト等への執筆のほか、
著書に、ブルックリンのおすすめスポットを紹介する
私的ガイド本『BEST OF BROOKLYN』vol.01~03、
『ニューヨークの看板ネコ』『紙もの図鑑AtoZ』
(いずれもエクスナレッジ)、
『ニューヨークおいしいものだけ!
朝・昼・夜 食べ歩きガイド』(筑摩書房)、
『ニューヨークの猫は、なぜしあわせなの?』
(朝日新聞出版)、
『ニューヨークでしたい100のこと』(自由国民社)、
伊藤まさこさん・坂田阿希子さんとの共著に
『テリーヌブック』(パイインターナショナル)、
『ニューヨークレシピブック』(誠文堂新光社)がある。

■HP
■Instagram


いま、東京にいます。(*)
あれから1年、
生涯忘れることのできないコロナイヤーを
ニューヨークで過ごし、
夫と猫と私は、日本に帰国しました。

(*2021年4月の執筆時)

▲NYの引っ越しの写真。部屋に積まれた段ボール箱。

いつか私もコロナで死ぬんじゃないか。
冗談でも、大げさでもなく、
本気でそう思っていた1年前。
ニューヨークは連日とんでもない感染者数と死者数で、
救急車の音もひっきりなし。
情報は錯綜し、
スーパーで買ってきた食材の袋も感染源になりうる、
なんて噂を聞きつけて、
せっせと除菌シートで拭きあげたりして。
見えない敵に怯え、家にこもり、
頑なに誰にも会わない毎日。
自分の内側が、つねにピンと緊張していた。
だからなのか、
感染して無数の管につながれた私が、
病院のベッドに苦しく横たわり、
いままさに手術室に運ばれようとしている‥‥
なんて悪夢にうなされたことも。
ほんとうに、怖かった。

▲いつも使っていたアパートメントの郵便受け、
なぜか愛しくなって。

そんな史上最悪の春が終わり、夏が近づくにつれ、
怖さや不安の濃度はずいぶん薄くなったけれど、
ニューヨークの街はコロナで一変したまま。
あんなに賑わっていたレストランは扉を閉ざし、
地下鉄は人もまばらで、がらがら。
空きテナントが目立つイーストヴィレッジ。
がらんとして人のいないソーホーは、
出番を待つ映画のセットのよう。
ミッドタウンのオフィス街なんて、
廃墟みたいに静まりかえっている。
郊外へ移り住んだり、
アメリカの別の州へ引っ越したり。
コロナでリモートワークが
当たり前になったこともあり、
たくさんのニューヨーカーが、
そんな街を離れていった。
サーフィンが趣味の友人は西海岸へ、
フランス人のアーティストは南仏へ。
友人知人が次々に
ニューヨークからいなくなってしまった。

“私はなんでニューヨークにいるんだろう”

初夏のある日、ブルックリンのアパートメントで、
ぼんやり猫とソファに寝転がり、
壁一面の窓から大きな空を見上げながら、考えた。

▲住んでいたアパートメントの建物(昔はニット工場だった)も、
もうしばらく見ることはないんだなぁ、と切なく思って撮影。

▲NYで帰国前に友人が撮影してくれた家族写真です。
photo by Tats Otake (8.6.4design)

“ニューヨークが好きだし、
ここでやりたいことがあるから”

これまでずっと、そう思ってきた。
ニューヨークは、刺激いっぱいで飽きない街。
自由で居心地も良いけれど、
反面生きるにはなかなかタフな場所だ。
どんな信念のもと、どう働くか。
何を買い、何を食べ、どう生きるか。
そういう自分の核がないと、
あっという間に透明人間になってしまう。
ニューヨークに渡って約9年、
自分は何者かを問い続け、悩み、つまづき、
まわりのニューヨーカーに感化、
鼓舞されながらやってきた。
気づけば少しずつ、私の核は、確かなものとして、
その形や重みを感じられるようになってきていた。

▲引っ越しを終え、空っぽになったアパートメントの部屋。

▲壁一面の窓。コロナ禍は、ここから見える大きな空に救われた。

“その核があれば、
どこでも生きていけるんじゃないか”

ふと、そう思ったのだ。
ニューヨークという場所にこだわる必要は、
もうないのかもしれない。
休眠中の街は、ちょっと退屈でもあるし‥‥。
なにより私のやりたいこと、
「書く」という仕事は、どこにいたってできる。
メキシコでも、パリでも、ハワイでも。
世界中、好きな場所に住んでいい。
自分の核を携えていれば、きっと大丈夫。
この街から動くときが来たのだ。

にわかに私は、覚醒した。
コロナの不自由が、私を自由にさせたのだ。
(といっても、実際は美容師の夫がいて、猫もいて、
そう簡単にメキシコへビュン! と飛ぶ、
なんてことは無理だったのだけれど。)

▲猫を連れて帰国する、というハラハラドキドキな道中でしたが、
愛猫のミチコ、よくがんばりました。

怖くて、悲しくて、奇妙な、
でも意味のある1年。
そんな2020年を経て、
私と夫は東京には戻らず、
一度は暮らしてみたいと思っていた
京都に移住することに決めた。

夏のハモ、冬の蟹。
鯖寿司、町中華、出町ふたばの豆餅‥‥。
これから待ち受ける未来と、
京都のおいしいものに胸を躍らせ、
私はただワクワクしている。

▲帰国後は、東京都内の海に近い場所で、2週間の自主隔離。

▲自主隔離中は、散歩ばかりしていました。

▲観光客気分で東京の街を見渡すと、すべてがフォトジェニック。

▲昭和な風景を見つけては、
こちらもつい愛しくなって、iPhoneでパシャリ。

▲手書きの値札、味があってかわいい。

▲東京版、ミニフラットアイアンビルディング
(NYのミッドタウンにある有名な三角ビル)。

▲質屋さん、まだあるんですねえ。

▲散歩中は、猫にもたくさん遭遇しました。

▲こんなキャラが濃い猫さんも。押忍!

▲東京の桜にも間に合いました。

メルボルン 田中博子さん いろんな国の空気、食パンブーム、 ズームではじめたジャムレッスン。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


田中博子さんのプロフィール

たなか・ひろこ
パティスリークリエイター。
1978年生まれ。
福岡で中村調理師専門学校製菓技術科を卒業後、
横浜のノインシュプラーデン(ウィーン・フランス菓子)
にて勤務。
その後、食育料理研究家である
藤野真紀子氏に6年間師事したのち、
2006年にフランスへ。
パリの「L’Ecole Lenôtre」「Le Cordon Bleu Paris」、
プロ向け製菓学校「Ecole Gastronomique Bellouet
Conseil de Paris」などで研修をつみ、
アルザス地方にある「Maison Ferber」で、
ジャムの妖精とも呼ばれ、世界中で注目されている
Christine FERBER氏のもとで1年間働き、
アルザス地方伝統の菓子や料理、ジャムづくりを学ぶ。
帰国後は
東京、福岡を中心に全国でお菓子レッスンを開催。
2011年から<クレアパ CREA-PA>の屋号で活動を開始。
旬のフルーツを贅沢に使った少量生産のジャムやお菓子の
卸販売を始める。
2019年、結婚を機にオーストラリアのメルボルンに移住。
著書に『パウンドケーキの本』
『セルクルで作るタルト』
『家庭で作れるアルザスの素朴なお菓子』
『ジャムの本』などがある。

■Instagram


つい最近、普通の生活になりつつある
空気を感じています。
というのも、メルボルンを含むヴィクトリア州は、
昨年一番長いロックダウンが約8ヶ月間続きました。
本当に長かったですね。
行動範囲は自宅から5キロ圏内だったので、
今は誰かに会える喜びもひとしおです。
(現在でも州によって規則は異なります。)

▲ロックダウン中から作り始めて、
今ではすっかり日常になったパン作り。

この地はいろんな国の人が住んでいる為に、
日常の中で様々な国の空気を感じる事ができます。
イタリア、ギリシャ、南米、
ロシア、インド、中国、ベトナム系など、
お店に入ると聞こえてくる店員さんの会話は、
英語ではありません。

▲バインミーの食べ比べ。

フランスへ旅すると、フランス語が飛び交う街中で
私はフランスにいるという感覚に即座になれます。
しかし、ここでは、そういう感覚になれないのです。

日本人の私でも、
今日はインドのディーワーリーの日(光のお祭り)だなあ。
来週からチャイニーズニューイヤー(旧正月)の
始まりなど、感じ取れます。
其々の国の人が、何かに影響を受ける事なく
生活できる国なのかもしれません。
そして私は日本人という感覚のままです。
しかしこれが不思議にも
メルボルンなのかなと思えてきました。

▲モーニントン半島の景色。

▲海辺に出かけた時はフィッシュアンドチップス。

インド人の友人の家に行くとチャイを出してくれます。
黒胡椒が効いていたり、フェネルが多めだったり、
各家庭のこだわりが光っています。
仕上げにジャグリという、黒砂糖に近い砂糖を加えたお味は
つい最近知りました。

▲インド料理のサラダ。
私にとっては非常にスパイシーでした。

ある日は、マレーシア人の友人と
マレーシア料理のお店へランチに。
ラクサ、ナシレマなどを食べ、3種のデザートを注文。
お料理上手のママ達なので、作り方を私に教えてくれます。

▲マレーシアの甘いもの。
右は「ボボチャチャ」と呼ぶそうです。

▲友人自家製のマレーシアのお正月の菓子。

友人と囲むテーブル際、同じ食事を愉しむ事を、
とても身近な喜びとしていました。
しかし、ここに来てからは
<同じ味を共有する>という事は
とても難しい事だと知りました。
一人一人多種多様な基準があるし、
その事を堂々と主張します。

▲ピクニックエリアにはサークルが書かれています。
お隣さんと距離をとるためのサークルです。

ある日、クッキーを作って友人に渡してみました。
すると、今度はココナツシュガーを使ってほしい。
これは私には甘すぎ、シナモンは抜いてね。
など、好きに意見を言います。
慣れない材料に、自分の作った菓子に落胆し、
時には作る事もやめて、気を取り戻し、再試作。
やっと感覚が掴めてきました。
美味しい新作も着実に増えています。
しかし、誰にでも喜んでもらえるという自信は、
すっかり無になり、
美味しいと思う甘みや食感は様々なんだと
柔軟に考えるようになりました。

インド人の友人に教わったお陰で、
ダルやカレーもこなれて作れるようになり、
上海出身の主人の好物である
ワンタンの包みも速くなりました。
ビーガンのご近所さんにはビーガンケーキを。
和菓子が恋しくなった時は葛餅を作ります。
今更、作りたての葛餅の美味しさに開眼し、
自分の手で作っていながらも
様々な世界を垣間見る毎日です。

▲メルボルン市内の食パン屋さん。

そして、メルボルンでは食パンブーム到来。
食パンを買って、
ちょっと日本の気分を味わっています。
私のお菓子の行方はどこへ? 
まだまだ思考錯誤ですが、
心は自由にと自分に言い聞かせながら、
今は柔軟に自分に取り込む時間なのかもしれません。

▲こちらもメルボルン市内の食パン屋さん。

先月、知った味のする苺を口にする機会がありました。
これは! と夢中で口に入れると、
長年惚れ込んで使っていた
佐賀の紅ほっぺにそっくりの味でした。
その苺によって、
2年の間に眠っていた感覚が呼び覚まされ、
ジャムレッスンをズームで行う事を思いつきました。
日本全国から参加してくださった生徒さんは、
ジャムに対しての情熱を持つ方ばかり。
逆に私も元気をいただいて、
とても喜びを感じられる時間でした。
私はやはり、教える仕事が好きなようです。

▲モーニントン半島の夕日。

ミラノ 小林もりみさん[2] キチンと食事をすること、 部屋を少しずつ模様替えすること、 次の1年を考えること。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


小林もりみさんのプロフィール

こばやし・もりみ
丁寧に作られたイタリア食材を直輸入する
カーサ・モリミ代表。
ミラノ在住11年目。

ライフスタイルに特化したプランニング会社に勤務した後、
2000年カーサ・モリミ設立。
2009年スローフードが運営する食科学大学大学院へ。
イタリアに拠点を移す。

“Food as Life Style よく食べることは、よく生きること”
“You are what you eat 台所から始まる、豊かな暮らし”
こうした信念から、添加物不使用、
手間と時間をかけたナチュラルな美味しさを
イタリアから日本に紹介している。

2011年の東日本大震災後、福島の子どもたちの
イタリア保養を行うNPO“オルト・デイ・ソーニ”
をミラノにて仲間と設立、代表を務める。

2014年より母校である在ピエモンテ州ポレンツォの
食科学大学大学院にて
非常勤講師として日本の食文化を担当する。

カーサ・モリミのウェブサイト

■Instagram
@morimicucinetta
@casamorimi

■Blog
イタリアの小さな台所から

■note
https://note.com/casamorimi


この1年間、自分の暮らしを
振り返ってみると‥‥。

“普段できないことにじっくり取り込みたい!”と
1年前に思ったにも関わらず、
大したこともできないままにここまできてしまった、
というちょっとトホホな感じを拭えません。

仕事については幸い10月に
シチリアやトスカーナに出張ができ、
ほぼ20年間、毎年欠かさずに足を運んでいる
オリーブの収穫&オリーブオイルの搾油の現場、
また数年前から必ず訪れている
職人パネットーネの仕込み現場に赴くことができました。

▲トスカーナのカペッツァーナ農園。

これはタイミング的にほぼ奇跡。
戻った途端にロックダウンが始まりましたから。
大変な幸運、と神様に感謝を。

長く籠っていた
都会の小さなアパートメントから抜け出し、
生産者さんとともに自然の中で時間を過ごせ、
ものづくりの現場に立ち会えたこと。
これは想像以上に、大きな心の糧となりました。

また暮らしについては、
食を楽しむ、という気持ちを大切に。
これはロックダウンが始まったときから
少しも変わっていません。

制限の多い暮らし方の中で、
せめて(できる限り)キチンと食事はして、
美味しいものをいただきたい、楽しみたい。
たまにはちょっと良いワインだって開けちゃうぞ。
そんな感じとノリで。

良く食べること(美食というのでなく、
良質で栄養的にもバランス良い食事)が、
心身を整えくれると信じてきました。
もちろん、いつもできるわけではないですが。

▲週末のランチ。

ロックダウンが始まった当初は特に、
旬の自然の恵みを通して
季節感と外に広がる世界を感じ、
食材が愛おしく感じました。

暮らしについてはもうひとつ。
大掃除をし、不要なものを少しずつ捨て
(まだ進行中です)、
床置きの低い格納庫を大工さんに作ってもらいました。

山のような食材のサンプルも
たまった仕事の書類も、
スーツケース類もすべてそこへ。
空間がすっきりして、かなり快適になりました。

その格納庫の上に畳を敷いて、
ホッとできるスペースを作ったのです。
快適。やっぱり日本人(笑)ですね。

▲和の空間ができました。

出来立てのホヤホヤなのですが、
仕事の合間にストレッチしたり、
趣味のお茶を点てたりできたら、と思っています。
これから楽しみです!

残念ながらStay Homeはまだまだ長くなりそうなので、
次の数ヶ月?1年?(短くあって欲しい~)
のチャレンジをあれやこれやと
楽しく妄想しているところです。

ミラノ 小林もりみさん[1] 赤・オレンジ・黄色、 ロックダウンの規制の3つの色。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


小林もりみさんのプロフィール

こばやし・もりみ
丁寧に作られたイタリア食材を直輸入する
カーサ・モリミ代表。
ミラノ在住11年目。

ライフスタイルに特化したプランニング会社に勤務した後、
2000年カーサ・モリミ設立。
2009年スローフード協会が運営する食科学大学大学院へ。
イタリアに拠点を移す。

“Food as Life Style よく食べることは、よく生きること”
“You are what you eat 台所から始まる、豊かな暮らし”
こうした信念から、添加物不使用、
手間と時間をかけたナチュラルな美味しさを
イタリアから日本に紹介している。

2011年の東日本大震災後、福島の子どもたちの
イタリア保養を行うNPO“オルト・デイ・ソーニ”
をミラノにて仲間と設立、代表を務める。

2014年より母校である在ピエモンテ州ポレンツォの
食科学大学大学院にて
非常勤講師として日本の食文化を担当する。

カーサ・モリミのウェブサイト

■Instagram
@morimicucinetta
@casamorimi

■Blog
イタリアの小さな台所から

■note
https://note.com/casamorimi


黒い身体に黄色のくちばし。
小さなツグミがベランダの花々のところに
また姿を見せ始め、
朝のベランダにふたたび陽が差し込むようになり、
中庭の淡いピンクの椿が咲き誇る季節が
また巡ってきました。

▲中庭の椿。

コロナがイタリアにやってきてから、もう1年。
この文章を書かせていただくにあたり、
1年前の記事を再読すると、
まるで遥か彼方の遠い出来事のようです。

夏場には少し落ち着き、
州を超えての移動ができて、
ギリシャなどの海外に
バカンスに行った人々もいて。

私自身も8月の末に、
ずっと会えなかったトスカーナの親友と合流し、
ルネサンスの画家・ラファエッレの
没後500年の展覧会を目的に、
ひと気のないローマへ週末旅をしました。
観光客がいないローマは、
圧倒的なその美しさを持て余し、
空悲しくさえ見えました。

▲がらんどうのローマ・ナヴォナ広場。

今ではこうした夏の出来事さえも、
遠い昔のように感じてしまいます。
州を越えた移動も制限され、随分と時間が経つ今、
あれはもしかしたら幻だったのかしら? と。

つかの間の夏が終わって、また感染が増え始め、
秋からは、赤・オレンジ・黄色という
ロックダウンの規制度合いを示す3色によって
私たちの暮らしの行動範囲が
決められるようになりました。

数週間に一度、
政府からどの州がどの色になるかが発表になり、
今度はまた赤か、やっと黄色に戻ったか、という感じで
社会と経済が
それぞれの色のルールに沿って動いていきます。

私の住むロンバルディア州は、
もう20回近く色が変わっているそうです。
数ヶ月前からは“濃いオレンジ”なるものまで
でてきて、もうさっぱり訳がわからない状態です(笑)。

田舎に家がある人は、
色によってずっと都会に缶詰になるか、
あるいは週末には自然の中で過ごせるかが決まる訳ですが、
セカンドハウスもない私には、
どの色になろうとも影響があるのは、
何のお店が開いていて、
バールに座って朝ご飯が食べられるかが変わるぐらい、
と心得てきました。

▲近所の様子です。

1年前には、行動範囲は家から200m以内、
などの厳しい規制がありましたが、
今は緩く、サステナブルなものになっています。
なんといっても長丁場ですから。
心身の健康のために、当然ですね。

家族の絆を大切にするイタリア人にとっての
重要なイベントのクリスマスもイースターも、
一番厳しい「赤」でした。
招待して良いのは、一世帯につき1日1回2人まで。

クリスマス前に政府の方針が決まるまで、
“田舎のマンマに会えるのか?”などという感じで
イタリア人は固唾を飲んで
見守っている感がありましたが、
おじいさんおばあさんを守るためにも
大勢で集まるのは無理だろう、
という心算はあったようで、
わりとすんなり、
「やっぱり、そうか」
と受け入れていた感じでした。

つい先日のイースター休暇も、
また再度「赤」のロックダウンに。
ただ、たとえ「赤」であっても花が咲き誇る、
新緑の公園に毎日足を運べ、
友人たちと公園で落ち合って一緒に散歩もでき、
家族のような友人たちとは、
招待2人を守って時には食事も一緒に。

▲住まいの近くにある公園。

夜10時には家に戻っていなくてはならないとはいえ、
1年前とは大きな差です。

ワクチン接種は昨年末から少しずつスタートしました。
私の周囲にもワクチンを受けた人が増えてきました。

OVER 50(50歳台)は、
一般には今年の6月ぐらいから
順番が回ってくるらしいですが、
医師、中学校教師、
作曲家ヴェルディが音楽家のために作った老人ホーム
「カーサ・ヴェルディ」に勤める友人などは、
すでに2度目のワクチンも済ませています。

以下のリンクはワクチンの進行具合です。
最初の黄色の数字が
1度目のワクチン接種済みの人数
(全国民に対しての%を表示)、
次のグリーンの数字が
2度目のワクチン接種済みの人数を示しています。

https://lab24.ilsole24ore.com/numeri-vaccini-italia-mondo/

ハワイ 工藤まやさん スノーケルの日々、 あらためて考える環境のこと、 愛犬を見送ったこと。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


工藤まやさんのプロフィール

くどう・まや
TV、CM、雑誌、イベントなどで活躍する
メディアコーディネーター。
虹がかかることで知られるマノアバレーに住む。
連載などの執筆も行い、
近著に『ハワイ暮らしのお気に入り:
オアフ島ライフスタイルガイド My Daily Hawaii』

がある。
CREAのウェブサイトで
「工藤まやのおもてなしハワイ」を連載中。
ハワイの日々はインスタグラムからどうぞ。

■Instagram


私は今、マーメイドとなっている。

ハワイのロックダウンから1年が経つ中、
毎朝暗いうちにマノアの家を出て
オアフ島のあらゆるビーチへ行き
スノーケルをする日々。
天気予報を見て、
波の高さ、風の強さ、潮の満ち引きをチェックし、
海のコンディションと相談しながら
海中に身を委ねる。

そこには野生のイルカが100頭と群れをなして泳ぐ姿、
ぷかぷかと気持ちよさそうにワイキキビーチをただよう亀、
人間をどこか達観した様子で見つめるあざらしなどがいて、
肩を張らない生き様なのに
圧倒的な存在感を放ってくるのだ。
夜行性のイルカが漁を終えて
湾にまどろみにくる朝の時間に、
元気いっぱいでジャンプを繰り返す
目立ちたがりやの子イルカがいたり、
寄せては返す高波にのまれそうになる
おっちょこちょいの亀、
ちょっとおでぶのアザラシには哀愁と親近感を感じ、
人と会えないコロナ禍に
出会いという喜びを与えられたのは
自然界からの贈り物かしら、と思っている。

▲ハワイアン・スピナーズ・ドルフィンこと、
ハワイ固有のハシナガイルカ。
数頭から数百頭までその時々ですが、
ハワイのビーチ近くまできてくれます。
好奇心いっぱいでかわいい。

▲ハワイではホヌと呼ばれ守り神と言われています。
これはノースショアで撮ったもの。

▲ワイキキにも亀はたくさん。
朝日を浴びるダイヤモンドヘッドと亀のショット。

▲ハワイアンモンクシールです。
ハワイ諸島にぜんぶで1300頭ほど、
人が住んでいる本島には
そのうちの300頭が棲んでいます。
この愛嬌ある見かけからは想像もつきませんが、
絶滅危惧種。

11月から4月の間は
アラスカからザトウクジラが
出産と育児のためにやってくる。
泳ぐのにも慣れてきた頃で、
少し潜ると鯨たちのさえずりが聞こえる。
物悲しいような、でもそれでいて力強い
「ほぉ~」と響き合う歌声。
泳ぎながら見る水平線上で
どっしりと黒いザトウクジラが見せる
ブリーチや潮吹きには感動したなあ。
今でも時折あの「ほぉ~」が聞こえると、
私みたいにぐずぐずしているのか、
ハワイが気持ち良くて
アラスカに帰るのを先延ばしにしているのがいるんだなあと
クスッとしてしまう。

観光客が来れない間にハワイの海は驚くほど美しくなった。
ワイキキビーチは澄み、
コロナ感染拡大を受け数ヶ月閉鎖していたハナウマ湾は
透明度が64%もあがり、
入場人数を制限して昨年12月に再オープンした。

▲アウトリガー・ワイキキ・ビーチ・リゾートのラナイから撮影した
9月のワイキキビーチの様子。
人がほとんどいないけれど海はきれいで、
地元の人がサーフィン。

▲人が少し戻ってきた2月のカイマナビーチの様子。
綺麗な海のグラデーション。
新しくオープンしたカイマナビーチホテルから撮影。

久しぶりに行く人の少ないハナウマは、
湾に囲まれた楽園のようなビーチをもち、
大きな魚たちが湾内に戻ってきた。

▲1日に入場できる人数が720人まで。
のんびりな雰囲気となったハナウマ。

人間が使用する日焼け止めが珊瑚に与える影響、
有害物質を海中に持ち込まないことだけで
こんなにも変わる。
自然は美しくあるためにとても強い。
改めて私たちができることを感じて、
珊瑚にも環境にも優しい日焼け止めを開発した友人と
「Lani & Kai」をより多くの人たちに使ってもらえるよう
呼びかけている。
勝手にアンバサダーです(笑)。

▲Lani & Kaiは、ハワイ発のリーフセーフ、
チャイルドセーフの日焼け止め。
これのおかげで安心して海で泳げます。

海にばかりいたから、この日焼け止めを持って
友人知人が経営するお店に行くため
久しぶりに陸にあがったら、
街には人がたくさんいた。

▲本土からの観光客で賑わう。

アメリカではワクチン摂取が進み、
アメリカ本土からの観光客は
PCR検査を受けてでも旅をしたい、
ハワイへ来たいという人たちが多くいて、
春休みの時期には1日3万人ものアメリカ人がやってきた。
ハワイの人たちはマスク着用、ソーシャルディスタンスを
日常のこととして受け入れ遂行しているから、
観光客のほとんどもそれにならってくれている。
ありがたいなあと思う。
楽しそうにワイキキを歩く家族を見て、
「来てくれてありがとう」
と口にこそ出さずにいるが、心で思う。

▲ソーシャルディスタンスを守って
ビーチラウンジしています。

コロナになって、まだ私の仕事は戻らないから、
生活の速度は落ちたけれど、
海の世界を知り、見える世界の幅が広がった。
ゆっくりと暮らす間、
18歳の愛犬ベルとも多くの時間を過ごすことができ、
私の誕生日に、自宅にて、
腕の中で安らかに見送ることもできた。

▲ベルと最後の日に撮った写真です。

▲その日、マノアの谷にかかった夕方の虹。

生と死を強く感じた1年だからこそ、
今、人生は豊かだなあと思える。
コロナでちょっと太めのマーメイドになったのが
玉に瑕なんだけど。

パリ 鈴木ひろこさん 「生きる」ことについて 今までにないくらい 真摯に向き合った日々。 わたしが大切にしていきたいもの。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


鈴木ひろこさんのプロフィール

すずき・ひろこ
スタイリスト、ライター、コーディネーター、
ファッションコンサルタント。
パリ在住29年。
スタイリストとして、雑誌や広告、
音楽関係などで経験を積んだ後、渡仏。
現在は、女性誌を中心に
パリをはじめ、ヨーロッパ各国で取材・執筆を行い、
ファッション撮影のキャスティングや
オーガナイズを手がける。
日々、パリの街を歩きながら、
人、モノ、コトなど
さまざまな古き良きものや、
新しい発見をすることが趣味。
著書に『フレンチ・シャビーのインテリア』
『大人スウィートなフレンチ・インテリア』
『パリのナチュラルモダン・スタイル』
『シャンペトル・シャビーの家』(グラフィック社)
などがある。

Instagram


去年の今ごろはフランス中がロックダウンまっ最中で、
人生初となる外出制限令の元、
不便を強いられて暮らしていました。
許可されていたのは日に1回1時間のみの外出で、
自宅から半径1キロ圏内の行動範囲。
身分証明書と外出証明書の不携帯や、
時間オーバーが見つかれば
問答無用で即罰金というかなり厳しい規則でした。

商店やスーパー、郵便局、
どこもかしこも入り口で人数制限をしているために
長蛇の列で、
用事をすませるとそそくさと帰宅。
時には用が終わっていなくても、
途中で諦めて家路を急ぐという緊張の連続でした。

▲季節の植物が発するナチュラルなエネルギーを感じて、
この一年は日々お花に癒されていました。

そんなサスペンスな日々から
時は流れて、気がつけば2021年。

そう、いつもなら言っているはずなんです。
「え! ウソでしょ、あれからもう1年? 
そんなに経ったの?」と。
ですが、去年からこの春までは、
例年とはまったく違った基軸で、
時間の経過を噛み締めながら過ごしていました。

というのも‥‥。

個人的な話ですが、
昨年夏に乳がんという病変が見つかり、
数回にわたる精密検査、手術、その後の放射線治療と
闘病生活を送ったことが原因しています。
命と向き合う時間、
それは今までに経験したことのない
特別な時間の流れ方でした。

▲うれしいメッセージが刻印されたクッキーは、
今年の誕生日に友人が焼いてくれました。

コロナ禍の不安と、病気というダブルパンチを受けて、
「生きる」ことについて
今までにないくらい真摯に向き合い、
大切にしていきたい本質の部分を改めて見つめ直す。
治療を受けながら、そんな時間を送っていたのです。

おかげで季節がぐるりとひとまわりしたこの春、
今までになくゆったりとした感覚を味わっています。
いつものような “あっという間に過ぎちゃった”
バタバタ感はなくて(笑)、
しっかりと立ち止まり、また歩き出しながら
自分のペースで生きた実感とでも言うのかしら。

幸いに初期の発見であったこと、
信頼できるドクターと出会えたことなど、
いろいろな運に恵まれて、
今ではすっかり普段の生活に戻りました。
とはいえ、二度と細胞内で悪いモノ(=がん)
を育たせないように、食やライフスタイルを見直して、
自分に合う方法で生活習慣の改善をいろいろと模索中です。

▲偶然移動中にエッフェル塔近くを通過したので
車中からパチリ。長年住んでいても、
毎回その美しい姿に感動してしまいます。

「これからのわたしたちに必要なのは、
ユーモアとイマジネーションを働かせることだと思うわ」

去年の5月、ある女性誌のリモート取材で
インタヴューをした
フランス人マダムの言葉が忘れられません。
不安いっぱいでもやもやしていた心に
彼女のフレーズがすぅーっと響いて、
軽くなったのを覚えています。

“本当にそうだ! 
どんなに大変でも
毎日クスッと笑えるユーモアのエスプリを持って、
少しでも心地よく過ごすための
想像力を膨らませることが未来の希望に繋がるはず!”

と、素直に思えたのです。

▲今回のロックダウン中は
マルシェ(市場)が開いているのが救い。
毎週、新鮮な食材と一緒にお花も買います。

今までのように自由に動けなくなって
落ち着いたらすぐに旅に出たい。
異文化に触れて非日常を味わいたい! 
そう、強く願っていました。
現実はロマンティックな旅ではなくて、
病気がきっかけで非日常生活を経験した数ヶ月でした。
もちろん、病気になんて二度となりたくない!
でも、振り返ってみると、今回の体験を通じて、
ある意味かけがえのない、
違う景色が見えたように感じています。

健康だけが取り柄なの! 
そう、豪語していた自分の身に起こった、
まさかのできごと。
当たり前がけっして明日も続くとは
限らないことを知ったからこそ、
今まで以上にささいなことにも感謝の気持ちを向け、
「ありがとう!」と、
意識して、声に出して伝えるようになりました。

▲去年のクリスマスのパリ市庁舎のイルミネーションと
クリスマスマーケット。
小規模のマーケットでしたが、
つかの間ワクワクした気分を味わえました。

まだまだ窮屈で大変な毎日ですが、
できるかぎりユーモアと
イマジネーションを駆使しながら
暮らしたいと思います。
どうぞ、みなさまも心身ともに
すこやかで穏やかに過ごせますように。

ホーチミン 田中博子さん[2] 体力づくり、引っ越し、 仕事環境の変化。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


田中博子さんのプロフィール

たなか・ひろこ
ベトナム手刺繍コーディネーター。
洋書の表紙に写る生春巻きに感動を覚え、
現地に行き、見て、食べて確かめるべく
1996年サイゴン(ホーチミン)旅行を決行。
1999年7月に移り住むまで、
休暇を使って北から南まで何度も旅をする。
住み始めてからは、ベトナム語を学びながら、
現地案内、職人探しをはじめ、
現在は手刺繍を絶やさないよう奔走中。
刺繍以外にはホーチミン近郊でのかご作り、
水牛の角や木製の小物などの手仕事にも携わる。
オンラインショッピングサイト
「Costa-Japan」の刺繍製品全般を担っている。
「ほぼ日」では、伊藤まさこさんとつくった
「ベトナム手刺繍の服。」を、
「weeksdays」では、
「ベトナムのかご」「ベトナム手刺繍のハンカチ」
の製作を担当している。

Instagram


私自身は社会的隔離の時とそんなに変わりません。
4月はダイエットもしていないのに
恐怖でどんどん体重が減って行きましたが、
どうやって過ごして行けば良いかが分かり始めたら、
あっという間に体重が戻りました。
ともかく体力づくりだと思い、
プールに週3回通ってがむしゃらに泳いでいました。

▲ベトナム政府は国内旅行を推奨しています。
久しぶりに北部を旅しました。
この頃は、ミサも執り行われるようになっていました。(2020/10/23)
日本のようなキャンペーンはありません。

そして、以前借りていた部屋の周辺環境が
この後ガラッと変わるということで、
引っ越しをしました。
一番の生活の変化は
前の大家さんの2匹の猫と
一緒に引っ越して来たことで、
動物を飼う責任を日々感じています。
この部屋を借りるのも、
猫たちの健康最優先で決めました。
長い廊下は思い切り走れるように。
広めのバルコニーは日向ぼっこが出来るようにと、
この2つが決め手となって
3月はじめに引っ越して来ました。
今度の大家さんも、
私のくだらない冗談に付き合ってくれたり、
面白いエピソードをたくさん持っている人です。

▲ハノイの路上で朝食を。
アクリル板などなく、相席できます。(2020/10/26)

仕事環境も変えました。
振り返れば、思ったら後先考えず
異常なまでの働き方をして来ていました。
一人で仕事をしていると、誰も止める人がいません。
それだけ動けるエネルギーが
あったということでしょうけれど、
自分が忙しいのは一向にかまわないのですが、
職人さんも振り回して申し訳なかったなと
振り返る時間がありました。
今現在は、職人さんと前ほど頻繁には会わずに
仕事が出来る方法をとっています。
みんな携帯電話を持っているので、
画像を送り合って確認したり、資材は送ったり。
どうしても調整が必要なものだけは出向いたり、
家に来てもらったりして細かな打ち合わせをします。

▲引越し先の長い廊下。猫が走れるように考えて部屋を借りました。

コロナ禍でなければ、
引越し先が日本だったかも知れません。
今度は日本を拠点に置いて、
ベトナムと行ったり来たりも良いな
と考えはじめていたところでした。
でも、今回ばかりは帰ってしまったら
早々にベトナムには入国できないということもあり
近くに引っ越しましたが、
またしても帰国する理由が見当たらなくなりました。

▲旧正月を目前に感染者が見つかり、
飲食店の座席数が制限されてしまいました。(2021/2/10)

そんなわけで、
「サイゴン(ホーチミン)にいる」という意味を考えて、
公平な「真ん中の人」であろうと再認識しました。
「真ん中の人」とはなんだ? ということですが、
日本人として譲れない部分、日本人のアイディア、
ベトナムの職人さんたちの譲れない部分、
想像もつかない彼らのアイディアを
うまく真ん中で調整すること。
コーディネーターなので、
私はスピード感が必要になりますが、
職人さんたちにはどんと構えてもらって、
時代にしがみつくことなく
生活してもらえる環境を整えることが、
良いものが仕上がってくる仕組みになるかと思っています。

▲感染者の足取りがわかると、
その場所に居合わせた人たちに
地域の保健所に連絡するよう詳細が発表されます。
携帯電話登録者は、メッセージが届きます。

これを提出する日のベトナムの感染者数は2669人、
亡くなった方は35人です。
経済はじめ、色んなことのダメージが
最小限に食い止められています。
私も周りのベトナム人も日々日本を案じています。
この後も皆様どうぞ安全にお過ごしください。
一日も早くお目にかかれる日が来ますように!

▲バルコニーで鳥を見つめるみー。

▲日向ぼっこ中のぐー。

ホーチミン 田中博子さん[1] この国の強さ、 忍耐強さとあっけらかんさ、 不思議なバランス。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


田中博子さんのプロフィール

たなか・ひろこ
ベトナム手刺繍コーディネーター。
洋書の表紙に写る生春巻きに感動を覚え、
現地に行き、見て、食べて確かめるべく
1996年サイゴン(ホーチミン)旅行を決行。
1999年7月に移り住むまで、
休暇を使って北から南まで何度も旅をする。
住み始めてからは、ベトナム語を学びながら、
現地案内、職人探しをはじめ、
現在は手刺繍を絶やさないよう奔走中。
刺繍以外にはホーチミン近郊でのかご作り、
水牛の角や木製の小物などの手仕事にも携わる。
オンラインショッピングサイト
「Costa-Japan」の刺繍製品全般を担っている。
「ほぼ日」では、伊藤まさこさんとつくった
「ベトナム手刺繍の服。」を、
「weeksdays」では、
「ベトナムのかご」「ベトナム手刺繍のハンカチ」
の製作を担当している。

Instagram


私の住むサイゴンは昨年同様、
一年で一番暑い時期をむかえています。
マンゴーの美味しい季節です。

▲2020/5/6 16:30
サイゴン川沿いのマジェスティック ホテル前。
この時間帯にしてはバイクもまだまばらです。
今は新型コロナウイルス感染拡大前と同じくらい混み合います。
(動画を再生すると音が出ます。ご注意ください。)

あれから1年経った今も、
ベトナムの新型コロナウイルス感染症対策は変わらず、
「人命最優先」の措置が取られています。

▲マスクをしてでも将棋をしたいおじさんたち。

伊藤さんとお話しした少し後に
社会的隔離も徐々に解除され、
その後2020年7月下旬までの99日間、
海外からの入国者を除き市中感染がゼロでした。
しかし、みんなの努力の甲斐も虚しく、
不法入国者がウイルスを持って来てしまい、
中部の都市ダナンとホイアンが
再びロックダウンとなってしまいました。
亡くなられた方が急に増えたのも
この頃と記憶しています。

▲旅行客で賑わうBến Thành市場。今は活気を失い静かです。

その後も11月末、1月末と
市中感染が確認されては抑制するのくりかえしで、
今現在は北部の一部地域で感染者が残っているくらいで、
感染拡大は食い止められています。
ワクチン接種も徐々に始まっています。

▲カフェに活気が戻ってきました。(2020/5/31)

数回に渡る市中感染から抑制を通して感じたことは、
社会主義国のすごさで、
みんなで同じ山を登るときは登るんだ! ということを、
当然のように成し遂げたこと。
私自身もみんなと一緒に山を登った一人になりますが、
いち外国人として
特等席でこの国の真の強さを見ました。
忍耐強さとあっけらかんさ。
不思議なバランスを感じた1年でもありました。

▲公園の中にもマスク着用義務、手洗い消毒の
スローガンが掲げられていました(2020/8/17)。
現在は別の内容に変わっています。

▲ベトナム政府が掲げる新しいルール「5K」。
①Khẩu trang マスクをしましょう。
②Khử khuẩn 手洗い、手指の消毒をして常に清潔にしましょう。よく触るドアノブ、携帯電話、テーブルや椅子も清潔に保ちましょう。
③Khoảng cách 適切な間隔を保ちましょう。
④Không tụ tập 集まらないようにしましょう。日本の密を避けるにあたります。
⑤Khai báo y tế 健康申告アプリをインストールしましょう。

あれだけの期間閉じ込められていたエネルギーは、
社会的隔離解除後、
思い切り弾けてあっという間に元に戻るかと思いきや、
意外や意外、慎重でゆっくり発進でした。
特に私の周りのベトナム人は、
先ずは何でも疑ってみる。
少しでも不安要素があれば、橋を渡らない。
想像していたよりも長い期間、静かでした。

▲新学期は、直接授業になるのか?オンライン授業になるのか?
慎重に審議が進められていました。(2020/9/4)

ベトナムは3つの国
(中国、ラオス、カンボジア)と地続きで、
道なき道から勝手に入って来てしまう人がいるんですね。
今このコロナ禍に始まったわけではありませんが、
長細い国土の国境警備の大変さは想像もつきません。

▲マスクをしてエアコン掃除に来てくれました。

ロンドン イセキアヤコさん 王や女王の棺に囲まれた接種会場、 個人にできる治験登録、 パンデミック終息後の働きかた。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


イセキアヤコさんのプロフィール

いせき・あやこ
京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
tinycrown(タイニークラウン)
を運営している。

■Twitter
■Instagram
■「イセキアヤコさんのジュエリーのお店」(ほぼ日ストア)


この原稿を書いている4月4日現在、
イギリスは3回目のナショナルロックダウン、
そしてイースターホリデーの真っ只中です。
スーパーマーケットには春らしい水仙の花束や、
イースターを祝う卵の形のチョコレート、
うさぎの人形などが並んでいます。

私の住むロンドンの街は、
今はレストラン、小売店、ホテル、
文化施設などは閉まったままで活気はありません。
できてしまった空き店舗も目立ちます。
それに、どうしても出勤しないといけない職業以外は
まだ家でリモートワークを続けているひとが大半です。

けれども、新規感染者数が大幅に減ったことを受けて、
3月上旬から全国の子どもは
オンライン授業から登校に切り替わりました。
我が家も12歳の息子と6歳の娘がそれぞれ学校に戻り、
すこし日常が戻ってきてホッとしています。

今後イングランドは、4月12日、5月17日、6月21日と
3段階をへて徐々にロックダウンが緩和される予定で、
順調にいけば、6月21日には人と人との接触を
制限する法的な規制は全て解除されるとのことです。
感染者がまた増えれば、昨年の12月のように
政府が予定変更に踏み切ることもあり得るでしょうが、
今は国民へのワクチン接種も
どんどん進めているので、うまくいくと信じたいです。

▲散歩には人の少ない森へ家族でよく出かけました。
これは『クマのプーさん』のモデルになったという
ロンドン郊外のアッシュダウンフォレスト。

我が家にはまだワクチン接種のお知らせはきていませんが、
周りから、接種を終えたという話を
ぽつぽつ耳にするようになりました。
たとえば高齢である友人の両親、
基礎疾患のある50代のご近所さん、
妻が妊娠中の30代の友人、などです。
とくに、Covid-19のワクチンによる
胎児への影響はまだ明らかになっていないため、
妊婦はワクチン接種を受けることができず、
かわりに、一緒に住む配偶者/パートナーが接種をして、
ウィルスを家庭内に持ち込むリスクを減らす、
という対策がとられています。
とても理にかなった配慮だと思います。

ちなみに、ロンドンのワクチンの接種会場はさまざまで、
荘厳なウエストミンスター寺院の中で、
英国史の名だたる王や女王の棺に囲まれて
ワクチンを打ってもらったひともいれば、
公園の仮設テントで打たれたひともいます。
私はいったいどんな会場にあたるんだろう、
と、ちょっとドキドキ、期待半分です。

昨年の3月以降、イギリス政府が国民に向けて
新しいルールを発表するたびに、
世の中がどんどん変わっていくのを感じていました。
何度も押し寄せてくる大波に揺られる舟のような
気持ちでした。
12月には1日の新規感染者数が6万人を突破。
息子が以前通っていた小学校の先生、
同級生の家族、夫の友人。
だんだん知り合いがコロナウィルスに感染していくにつれ、
自身も感染の危険ともう隣り合わせだという実感と、
ベストを尽くして予防をしても
患ってしまうことがある、
そんな諦めの気持ちが湧いてきました。
けれども、できるだけ心を平静に保ち
日々の生活を粛々と続けるしかない、と
自分に言い聞かせました。それは今も同じです。

一方で、いち個人にできることは何か考えた末に、
私は昨年治験に登録しました。
イギリスは、オクスフォード大学の
ジェンナー インスティテュートという研究所で
製薬会社アストラゼネカと
Covid-19のワクチンの開発を進めてきました。
ジェンナー インスティチュートはイギリスに住む
健康な男女の治験参加者を募集しています。
治験登録者はまず最初にオクスフォード在住者から
お呼びがかかるそうなので、ロンドンにいる
私のところまではまだ連絡が来ていませんが、
ワクチンの製造と普及が始まった今も、
もし要請があれば協力するつもりでいます。

▲アッシュダウンフォレストは、
12月に訪れたので寒かったですが、
新鮮な空気を吸うことができて気分転換になりました。

夫が勤めているロンドンの会社は、
社員全員がもうかれこれ1年
自宅からリモートワークを続けています。
そして、そのリモートワークが当初の
想定以上にうまく機能しているそうで、
先ごろ、会社からある発表がありました。
パンデミック終息後もリモートワークは継続、
ひとりひとりのデスクは撤去して、
今後、社屋は予約制の
打ち合わせスペースとして使用する、
というのです。
つまり、もう必ずしも通勤に便利な場所に
住まなくてもよくなるわけで、
インターネット環境さえ整えられるのなら、
カントリーサイドへ引っ越してもOK、という
選択肢ができました。
こうした事例は日本でも起こっていると
想像しますが、ほんとうに、
場所に縛られずに仕事ができるというのは
ストレスの大きさが全く違います。
この点は、コロナ禍によってもたらされた
ポジティブな変化でした。

まだ先が不透明な部分はありますが、
イギリスは7月末までに成人の国民全員に
ワクチンを打ち終わる、とアナウンスしています。
科学の進歩のおかげで、
数百年前の疫病と比べると
パンデミックは驚異的なスピードで
終息へと向かっているように見えます。
早くまた、誰もが気軽に
国々を行き来できる日が来るよう祈っています。

ストックホルム 明知直子さん[2] おうちレストラン、深くなる生活圏、 「Här och nu」のこと。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


明知直子さんのプロフィール

あけち・なおこ
1979年生まれ。
フォトグラファー、コーディネーター、
ライター、通訳・翻訳。
千葉大学美術・図工教育課程終了。
その後、IDEEにてインテリアコーディネートに携わる。
2007年渡瑞。北極圏の街キルナに語学留学し、
スウェーデン最古の街シグチューナで写真を学ぶ。
現在、ストックホルムを拠点に
北欧の魅力を伝えるプロジェクト
「Handcrafteriet」(「手でつくる」の造語)にて、
幸せは自分たちで作る北欧のライフスタイルや
暮らしを彩るヒントを探っている。

「ほぼ日」では
2012年のほぼ日手帳springの限定カバーで
「ダーラナの春」を販売したさい、
ダーラナ地方と、ダーラヘスト(木彫りの馬)の
魅力を伝える写真のコンテンツに登場。
「weeksdays」では2019年11月に
冬支度のコラム「冬の愉しみ」を執筆。

著書に、『北欧スウェーデン 暮らしの中のかわいい民芸』(パイインターナショナル)がある。

■明知直子さんのInstagram
■オオロラ手帖のInstagram


「公共交通機関は必要な時以外は使わない」
というお達しとともに
生活圏が住んでいる島中心になり、
市内中心部にいくのは激減。
外食をしたのは1年間に数える程度になり、
代わりに子どもと一緒にパンケーキの朝食や、
おうちレストランごっこを楽しむ
時間の余裕が生まれました。

▲子どもはみんな大好きパンケーキの朝食。
朝からご機嫌になってくれます。

▲夕食後は「架空のアイス屋さん」のデザートという設定で
メニューを作ってデザートをサーブします。

感染者が一気に増え、外出もままならなかった12月、
助けられたのは「日々を楽しむクリスマスカレンダー」。
「クリスマスのパンを焼く」
「ドライオレンジの飾りを作る」
など、小さなお菓子や
いろいろな楽しいミッションが入ったプレゼントを
日替わりで開けていくもの。

▲11月末に準備したクリスマスのお楽しみカレンダー。
もともとは子どものために小さなお菓子を入れるもの。
クリスマスを心待ちにする日々も愛おしくなる
素敵な伝統でした。

▲クリスマスに焼くサフランのパン「ルッセカット」と
棚やツリー、プレゼントをデコレーションする時に使う
クリスマスのオレンジの飾り。
オーブンで低温で7時間じっくり乾燥させた後に完成。
出来上がりは部屋がクリスマスの匂いに満たされます。
毎日の暮らしの中にはお金をかけなくても
楽しいことがたくさんありました。
仕事や日々の暮らしの中でみつけたことを
オオロラ手帖に綴りはじめました。

狭くなった生活圏は、だんだん深くなり
住んでいる島の集落では地元のつながりも強まりました。
家の整理整頓をする人が増え、
不用品を譲りあう機会も増えました。
今年に入って決めた目標のひとつが
「新しいものをなるべく買わない」こと。
まずは中古で探して、どうしてもなければ、
長く使えるものを、可能な限り作り手から直接買うこと。
すぐに壊れてしまうものより、
ちゃんとした作りの長く使えるものを、
自然と選ぶようになりました。

▲ダーラナ地方はレクサンドに牧場を構える、
羊を育ててこの道30年のマリアさん。
羊たちの毛並みはふわふわ&艶々。
SNSでご自宅にアトリエ&ショップがあるのを知り、
直接譲っていただきました。
作り手の顔が見えると物への愛着もさらに増してきます。

▲地元の農家から直接食材を購入出来るシステム
「REKO Ringen」はコロナ禍で全国的に広がりました。

コロナ禍でいくつかの新聞メディアを購読はじめたのも、
変化のひとつ。
いろいろな場所で見かけた言葉の一つが
「Här och nu(今この瞬間を生きる)」ということ。
「こんなに自分や身のまわり、
そしてスウェーデンのことを見つめた年はない」
「幸せは何気ない日々の暮らしにあった」
そんな言葉をいろいろなシーンで耳にしました。

ワクチンは出来たものの、
まだまだ落ち着くのは先の見通しの中で
多くの方が亡くなったり、
仕事を失ったり大変な状況に変わりはありませんが、
でも、こんな事態であっても、
何か得るものがあったと思いたい。
「Här och nu」で感じたことや考えたことは
危機が去っても忘れたくない、と思ってしまうのです。

自分と自分をとりまく小さな世界の中で
揺るがずに地に足をつけて暮らすこと。
自分の目と耳、足で集めた情報が、真実であること。
世界はつながっていることを感じること。
日々のひとつひとつのささやかな出来事が幸せであること。

▲セーデルマルム島の晴れた日の公園。
カフェやレストランのテイクアウトやピクニックを楽しむ
ストックホルムっ子たち。

▲すぐ前にある人気ジェラート屋さんのおじさんも
お元気でほっとしました。

スウェーデンの暮らしは
大きく変わることはありませんでしたが
ここは自由と個であることを尊重する国。
規制は厳しくなったものの、
最初から今まで人々の暮らしはそれほど変わることもなく
だんだんと暖かくなってきたストックホルムの公園では
アイスを買ってのんびりする地元っ子達が
春の日差しを楽しんでいる
いつもの風景があります。

また季節はめぐっていきます。

▲いつもより待ち遠しい春。
黄色いイースターリリーや青いムスカリなど
色鮮やかな春のお花の寄せ植え。

ストックホルム 明知直子さん[1] 必要なものと不必要なもの、 スウェーデンの人々を支える自然。

未分類

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


明知直子さんのプロフィール

あけち・なおこ
1979年生まれ。
フォトグラファー、コーディネーター、
ライター、通訳・翻訳。
千葉大学美術・図工教育課程終了。
その後、IDEEにてインテリアコーディネートに携わる。
2007年渡瑞。北極圏の街キルナに語学留学し、
スウェーデン最古の街シグチューナで写真を学ぶ。
現在、ストックホルムを拠点に
北欧の魅力を伝えるプロジェクト
「Handcrafteriet」(「手でつくる」の造語)にて、
幸せは自分たちで作る北欧のライフスタイルや
暮らしを彩るヒントを探っている。

「ほぼ日」では
2012年のほぼ日手帳springの限定カバーで
「ダーラナの春」を販売したさい、
ダーラナ地方と、ダーラヘスト(木彫りの馬)の
魅力を伝える写真のコンテンツに登場。
「weeksdays」では2019年11月に
冬支度のコラム「冬の愉しみ」を執筆。

著書に、『北欧スウェーデン 暮らしの中のかわいい民芸』(パイインターナショナル)がある。

■明知直子さんのInstagram
■オオロラ手帖のInstagram


「もう」なのか「やっと」なのか、不思議な1年でした。

ちょうどコロナの感染が広がった3月には
旦那さんはテレビ撮影チームとともに
スウェーデンの北から南まで撮影で移動しており、
クルーをデンマークのコーディネーターさんに
バトンタッチした直後、
イタリアがロックダウンを宣言。
その後ヨーロッパの国々が次々と封鎖されていきました。

危機を迎えた世界は、
必要なものと不必要なものがはっきり見え、
不思議な静けさがありました。
そしてその中では危機に立ち向かうある種の一体感も
人々のあいだに生まれていたように思います。

▲セーデルマルムでバスを待つ人々。

日本からクライアントが来る仕事案件は
すべてキャンセル・延期になりました。
時間だけはたくさんあり、
ちょうど季節は白夜が進んでいく時期。
「人と会う時は外で」という公衆衛生局の推奨もあり、
一気に盛り上がったアウトドアブームに便乗し、
夏は自宅の庭にテント泊。
季節を問わず焚火で沸かしたコーヒーで、
隣人や友人家族と自然の中で会うのが日常になりました。

▲この一年で揃ってきたアウトドアグッズ。
焚火で使える柄が長いフライパンやワッフルを焼く道具、
粗く挽いたコーヒーを煮出すケトルや
サーミの人々が使う木をくりぬいたコップ(コーサ)など。
自然から得られるものに助けられた一年でもありました。

自分が直接の恩恵を受け、
自然がより身近なものになると
この森がどのように守られているのかが気になりました。
そんな時ふと見つけたのが、
環境保護団体Fältbiologernaが作った
森林伐採のドキュメンタリー映画
スウェーデンの森も
アマゾン原生林のように伐採されている現実があり、
生物多様性のある原生林が
失われつつあることを知りました。

▲家から歩いてすぐの自然保護区の森。
植林された森と違い「原生林」には生まれたての木も
年老いた木も共存しています。
朽ち果てた木にしか生息しない
珍しい虫やキノコなどもいるそう。

▲枝についているのはトナカイ苔。
冬の間のトナカイの貴重な食料です。

日本に住んでいた時は、
「自然にゴミを捨ててはいけないのはマナーだから」
と教えられましたが、
ここでは夏はベリー摘み、秋にはキノコ狩り、
冬は凍った湖でスケートを楽しみ
春がきたら刺草の葉でスープを作る。
自然は自分の暮らしの一部で
みんなの共有財産という認識です。
このスウェーデン人独特の肌感覚は、
自然に親しむ時間がなければ、わからない感覚でした。

▲寒いスウェーデンでゆっくりと育った木から、
伝統的なかごや木工作品を作る職人ビョルンさん。
彼の作品販売のイベントお手伝いで得た利益の一部を
団体に寄付しました。

▲環境保護団体のFältbiologernaが作った
森林伐採のドキュメンタリー映画のトレイラー。

▲ビョルンさんと柳の木。
柳は森の中で春一番に花を咲かせる木なので、
森の昆虫達が必要な春先は
この木を採らないようにしているのだそう。

そうだよ、私もへこたれない。

未分類

友だちとごはんを食べるとか、
旅に出るとか、
大声でゲラゲラ笑うとか、
‥‥あとはなんだろう?

今までふつうにできたことが、
できなくなってしまって、
私たちの暮らしは、
この先いったいどうなるんだろう? と、
不安を抱えながら、
じーっと過ごしたのが、
ちょうど1年前。

その頃、weeksdaysでは、
「いま、どんな風に過ごしていますか?」
と題して、
ロンドン、ハワイ、
メルボルン、ニューヨーク、
パリ、ヘルシンキ、ホーチミン、
ミラノ、ストックホルム。
9都市の友人たちと、
オンラインで対談し、
現地の様子をうかがいました。

見えない不安を抱えながらも、
「今」をしなやかに受け入れて、
たくましく暮らす彼女たちに、
私はずいぶんささえられ、励まされました。
そうだよ、私もへこたれないぞってね。

ゴールデンウィークの2週間、
weeksdaysは、1年経ったその後のみんなの暮らしを、
綴ってもらいました。

新しい投稿ページへ古い投稿ページへ