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「抜け感」のあるバッグづくり。 アミアカルヴァ 加藤一寛さんインタビュー

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加藤一寛さんのプロフィール

かとう・かずのり 

バッグデザイナー。1977年大阪生まれ。
バッグメーカーの企画、営業を経て2007年、独立。
同年「tocantins」(トカンチス)を設立。
2008年、AMIACALVA(アミアカルヴァ)をスタート。
AMIACALVAのブランド名の由来は
古代魚「AMIACALVA」から。
■アミアカルヴァのウェブサイト
https://www.amiacalva.com/

このブランドは、2008年に作りました。
拠点は大阪です。
それまでは、バッグのメーカーで、
いちサラリーマンとして、
営業と、企画の仕事をしていたんです。
自分が企画したものを、
アパレルブランドやセレクトショップに
営業をする、そんな仕事です。

独立をしたのは、
かっこよく言ってしまえば
「こういうバッグが作りたい」という気持ちが、
会社の枠をはみだしちゃった、ということかもしれません。

従来のバッグメーカーは、
モノをイメージして、図面上でデザインして、
それをサンプル師さんに作ってもらう、
ほとんどがそんなスタイルで作られています。
上がってきたものを自分で確認して、
イメージどおりかどうかっていうのを見て、
これで行くぞ、と決めたら、展示会に出し、
受注を受けて、実際に作っていくわけです。

そんななかで、僕は、
もう少し踏み入ったところで
モノづくりをしたいなと思いました。
絵で描くサンプルに、限界を感じていたんですね。
もちろん、そういうスタイルの仕事の仕方は、
洋服もそうだと思うんですけども、分業化が進んでいて、
それぞれのスペシャリストがおられるので、
効率的ですし、アイテム数を増やすには
とてもいいやりかただと思うんです。
でも、ちょっとだけ、
自分のやりたいこととは、ずれてきてしまった。

自分の好きなバッグは、
海外のものが多かったんですが、
どうしても、何が違うのかがわからない。
だから、できない。
はっきり言えたのは、
図面からでは作れないということでした。
きっと、表面の見た目だけが違うだけじゃなく、
作り方が違うんだろうと思うんですね。
だから結果的にデザインが違ってくる。

そのことがわかるまでには、
ちょっと時間がかかりましたね。
好きなバッグをバラして研究をして、
わかったことをいかして自分で作って。
そんなことを、会社を辞める1年前ぐらいから、
ミシンを購入して、はじめたんです。

それまで触ったこともなかったミシンですから、
まっすぐ縫うことさえできないところからの
スタートでした。
工業用の、レザーや分厚い帆布を縫うためのミシンです。
新しいものは結構いいお値段がするので、
中古で探したんですけれど、
当然説明書などはなくって。
先生もいないし、そこがたいへんでしたね。

でも、かえってよかったな、と思うのは、
わからないことが出てきたとき、
じぶんでなんとか調べるくせがつく。
例えば針が折れてしまうと針を買いに行く。
そしたら、針の種類がいかにたくさんあるかを知る。
針が違うだけで、できあがるものは
まったく変化してしまうんですよ。
だから、すごく勉強になりました。
その1年は、とても重要でした。

研究は、面白かったですよ。
例えばアメリカ製のバッグで、
解体してみたら、完全に一筆書きみたいな
縫製の仕方をしているバッグもありました。
それって生地の裁断からそうしないといけないわけで、
ちょっと無駄が出るはずなんです。
なんでそんなふうになってるかっていうと、
材料を無駄にしないとか、
材料コストを抑えることじゃなくて、
ロスが出ても生産効率を上げることだけを考えた、
アメリカ人らしい、
超大量生産のためのプロダクトだったんですよね。
いまはもう変わったはずですが、
昔はひどかったんですよ。でも、モノはいい。
そういうのを見てると、たぶん教科書って、
ありそうでないんだろうなと思ったんです。
なので、壊れなければ大丈夫なのかなって(笑)。
いまも、モノづくりをしながらも、
ずっと何かを学びながら作り続けてるような
イメージなんですよ。
全部を網羅するのは、たぶん無理だと思いますので。

そうしているうちに、
どうして外国のバッグに魅かれていたのかが
わかるようになってきました。
日本のバッグって、
機能から逆算したモノづくりが多いんです。
例えば内ポケットがあって、ファスナーがあって、
だから裏地が必要になる。
裏地があると表地はこういう構造になる。
逆算すると決まってしまうんですね。

でも僕は“抜けたもの”が好きだった。
足りないな、っていうぐらいのものですね。
自分でバッグを作ると、生地をカットするにあたって、
「ここって別に縫わなくてもいいんじゃない?」
って思いつくんです。
そして実際それで作ってみると、
べつに、壊れることもない。
じゃあ、これでいいじゃないか。
それがアミアカルヴァのトートバッグの原点です。
いまアミアカルヴァのキャンバスって、
ほとんどトップの部分がカットオフで、
縫っていないんですよ。
日本の古い帆布っていうのは、
シャトル織機といって、
どうしても「耳」ができるんです、上と下に。
通常だと、生地がもったいないので、
折り返して縫っちゃうんですよね。
でも、切って作れば、自分のイメージどおりの、
抜けた感じにできた。
そうやって、デザインが決まっていきました。

帆布に魅かれて。

いちばん最初は、レザーのバッグばっかり、
自分で作って、量産をしていたんです。
で、やっぱりすごくたいへんなことになってしまって、
身体を壊してしまった。
ひとりでやっていたので、
「金曜日までに商品を送らないと、
土曜日に店頭に間に合わない!」
なんて、週の後半は徹夜、みたいな
無理を続けていたんですね。
でもそういう作り方はダメですよね。
僕よりも作るのに長けた職人さんがおられるのに、
僕が量産する意味もないわけです。
そこはプロフェッショナルに作ってもらおう、
僕はデザインに集中した方がいいんだろうな、と、
そこで仕事を分けました。

特に帆布が好きだとか、ナイロンが好きだとか、
レザーが好きだとかっていうわけではなく、
全部好きなんです。
なぜ帆布が多くなったのかというと、
岡山に、いい機屋さんがあって、
きれいな帆布を作るにはどうしたらいいだろう、
というような相談をしていたんですね。
資材用の帆布は、生成りで、
カスっていうカスが残るんです。
でも、生成りの色味をいかして、
きれいなものってできないのかな、って。
じゃあ洋服で使うようなコーマ糸っていう
上級糸を使ってみたらどうだろう? と、
そんな相談をしていくうちに、
どんどん帆布が面白くなっていったんです。

そして自分で量産をすることを辞めたら、
サンプルを作る時間を多く持てるようになりました。
なので、より、サンプルの段階での
モノづくりの掘り下げっていうのが、
できるようになったと思います。
図面は引きません。
いきなり生地を切って作ったり。
そういうのに限って結構評判が良かったりするんで、
それをあとから量産するために、図面に落とし込む、
生産の指示書に落とし込むのがたいへんで、
スタッフに、すごく嫌がられてます(笑)。

いまは、新作をフィレンツェのピッティウォモ
(メンズファッションの大規模な展示会)に
1月と6月に出し、そのあとパリで小規模な展示会をし、
日本に帰ってきて、東京と大阪で展示をする、
そんなリズムで作っています。
海外半分、日本半分ぐらいな感じです。
海外も、たとえばニューヨークの
セレクトショップに置いていただいたり。

バイヤーさんや使い手の意見を聞きますか、
って聞かれるんですが、
僕、全く聞かないんです。
というのは、基本的に、驚かせたいんです。
驚いて、感動しないと、
モノって必要なくなってくると思うんですね。
だって、世の中、いいものって
いっぱいあるじゃないですか。
僕じゃなくても、たくさん。
だから僕はちょっとヘンテコでも、
「えっ?」ってなるものを作った方がいいし、
そんなことを喜んでくださる人たちに向けて
発信していきたいなって思っています。

AMIACALVAの白いバッグ

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気持ちがしゃきんと。

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今日はちょっとおしゃれしたいなぁ。
そんな時に、最近着るのは白いワンピース。
ちょっとヒールのついた靴に、
小さなバッグで出かけます。

まっ白なワンピースに袖を通すと、
気持ちがしゃきんとする。
それと同時に背筋も伸びる。
ふだん着とは違う、
心がまえになるから不思議です。

今週のweeksdaysは、
AMIACALVAの白いバッグ。
Tシャツやデニム、
洗いざらしのコットンのワンピース‥‥。
ふだんの着こなしに、
このバッグを合わせると、
あれ? 
気持ちがしゃきんとする。
ちょっと気負いを入れておしゃれした時と
同じような気分になるのです。

バッグとリュック、
それから肩がけできる小さなバッグ。
夏のバッグといえばかごだった私に、
新鮮に映るナイロン素材。
まだまだおしゃれの広がりってあるんだなぁ。

コンテンツは、
デザイナー加藤一寛さんのインタビューと、
白いバッグのコーディネートを4つ。
合わせてご覧ください。

Honneteのナイロンウェア、 たとえばこんなコーディネート。その2

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[3]同素材の重ね着で。

ワンピースとブラウス。
ナイロンウェア同士のコーディネート。
同じ素材を重ねても、
重たい印象にならないのがいいんです。
ふわっとした着心地なので、
着心地も軽やかです。

ここで合わせたのは、
まっ白なサンダル。
足もとのネイルを、
ショッキングピンクやまっ赤にして、
色を足すのもよさそう。
髪はきりりと小さくまとめて、
すっきりと。

[4]あまさを抑えて。

こちらも、
「素材感を生かすために、
あれこれ重ねない、素直なコーディネート」。

黒いワンピースも一枚でさらりと着ます。
かわいらしい形ですが、
じつはスニーカーとの相性もよし。
筒型のシルバーのバッグで、
さらにあまさを抑えたコーディネートに。
グレーや黒のレギンスを合わせても、
よさそうです。

秋冬も着られる、
Honneteのナイロンウェア。
今、揃えておきたいアイテムなのです。

Honneteのナイロンウェア、 たとえばこんなコーディネート。その1

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[1]あれこれ重ねず。

素材感を生かすために、
あれこれ重ねない、
素直なコーデイネートがおすすめです。
ここでは、
ゴールドのひも靴グレーの帽子を合わせて、
ワンピースの持つ微妙で繊細な色合いを活かしました。

今の季節は、一枚でさらりと。
また秋には薄手のカーディガン、
冬は下にタートルを重ね、
タイツと合わせて・・・と、
オールシーズン着られるのもうれしい。

[2]緩急をつけて。

ノースリーブのオールインワンの上に、
さっと羽織ったのはグレーのブラウス。
微妙な色合い同士の、こんな組み合わせが大好きです。
リボンはきちんと結ばず、
あえてラフにするとこなれたかんじになります。

足元は肌色に近いベージュや生成りのサンダルにすると
全体が軽やかに。
アクセサリーは、
ゴールドの太めのバングルできりりとひきしめて。

フランス、ニッポン、ポーランド。Honneteの服づくり。

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Honneteは、フランスの南西部、
トゥールーズ地方で設立され、
フランス国内外のメゾンやデザイナーズブランドに
生地を提供してきたテキスタイルメーカーです。
自社で縫製工場を設立後は、
オリジナルレーベルでの生産と、
他社からの依頼によるOEM生産を開始。
現在は多くのメゾンやブランドの生産を請け負っています。
工場は、その縫製技術の高さが近年注目されている
ポーランドに。
そんなHonneteの、今回の3つのアイテムは、
テキスタイルメーカーらしい独特なものなんです。

世界的な生地は、
メイド・イン・ジャパン?

フランスのブランドが
ポーランドでつくる服ですから、
生地はとうぜんヨーロッパでつくられている‥‥、
と思いきや、
今回使われている「Super Light Weight Nylon」は
じつは日本製なのです。
それも北陸メイド。
じつは北陸は合成繊維の産地として、
いま、世界でトップクラスの技術と品質があると、
ファッションの世界で注目されています。
もともとテキスタイルメーカーだった
Honneteの御眼鏡にもかない、
今回の全アイテムに使われることになりました。

この「Super Light Weight Nylon」は、
高い技術とノウハウをもつ
合成繊維のスペシャリストたちの手により
生み出された高密度ナイロン。
最大の特徴は、おどろくほどの軽さです。

「だったら、スポーツ素材にもありますよね?」

そうなんです。でも、この生地はちがう。
見た目も着心地も
まったくスポーツウェア的じゃない理由は、
心地よい肌ざわりと、品格のある表情、
そして色の表現ゆえ、です。
つやめいた鈍色の発色、
上品さのある絶妙な透け感は、
ファッション性が高く、
これまでのナイロンに対する印象をくつがえしました。
世界のブランドがこの生地を使いたがる、
というのもうなずけます。

「製品として出来上がった際の立体感や、
見た目の美しさなど、
この素材による仕立て映えに、
他との違いを感じますよ。
いろいろな意味で感動的ナイロン素材です」
とは、Honneteを輸入、日本で展開している
グラストンベリーのかたの声でした。

今回「weeksdays」で展開するアイテムは、
この「Super Light Weight Nylon」のよさである
やわらかさとほどよい張りを最大限にいかした服。
薄手ゆえに、かろやかでエアリーですから、
カジュアルにも、きれいめにも決まる
ラインナップがそろいました。

Honneteのナイロンウェア

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空気を纏う。

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「もう私には重いからあげる」

数年前に、
母から鋳物の大鍋をゆずり受けた時、
なるほど年を重ねるごとに使いやすい道具は
変わっていくものなのだということに
気づきました。

そういえば私も最近、
服をえらぶ時、
気づくとかろやかな服を手に取っている。
「着たい」という気持ちが先に立ち、
自分には手強い服をえらんでいた若い頃とは、
ずいぶんと変わったものです。

年を重ねるごとに
台所道具にかぎらず、
服も、
もしかしたら生き方だって、
「かろやかさ」をもとめだしたのかもしれません。

今週のweeksdaysは、
Honneteのナイロンウェアをご紹介します。

空気を纏うような、
この服を着ていると、
しだいに気分がよくなってくる。
足取りも軽くなる。

今の季節はもちろん、
秋まで着られる、というのもいいんです。

リバティに惚れる。

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伊藤
山井さんたちの服のいいところは、
いつでも買い足していけるところなんです。
昔買った服が、古くならない。
そうですね、
ベースのデザインがあって、
それをちょっとアレンジして。
伊藤
ハイファッションの世界のように、
毎シーズン、テーマが変わって、
全然、違うことやるぞっていう
ファッションではなかったんですものね。そもそも。
自子
そうですね、そういう感じじゃないです。
「また、同じようなのがあるね」っていう感じだよね。
自子
(笑)。
伊藤
そんなことないですよ(笑)、
前に買ったのと似ているけど違う、
この感じが好きだからまたほしいなって
ちゃんと思える服ですよ。
1人で着るんだから、
買い足していけるってすごく嬉しいことなんです。
もちろんハイファッションにはハイファッションの
楽しさがありますけれどね。
形が同じでも、素材や色が変わるだけでも、
服って、表情が変わるんだから。
あるいは、このトレンチコート洗っちゃえとか、
リバティもあえて色を落としちゃえとか、
色をのせちゃえとか、そういうこともしますよ。
僕は「形」のデザイナーではないのかもしれない。
伊藤
服作りは、2人で相談しながら?
相談して企画しますね。
自子
そう? 相談は、そんなにしてないよ?
一同
(笑)。
伊藤
言ってることが違いますよー(笑)。
ほら、企画はなんとなく相談するじゃない。
自子
「なんとなく」はね。
「今回はこういうような感じで、
こういうのをやろうと思ってる」って言うでしょ。
伊藤
それは、どちらも提案するんですか?
僕が先に出すこともあるし、
彼女が言い出すこともあります。
自子
共通しているのは、素材を最初に選ぶことかな。
それは、大事だから。
素材は特に大事なんです。
質感とか‥‥。
伊藤
素材って、どうやって探しに行くんですか?
おおきな展示会にまず行きます。
ヨーロッパだったら主にパリ。
日本でも国際的な見本市がありますよ。
自子
パリは、ほんとにおっきい展示会で、
「Première Vision Paris
(プルミエール・ヴィジョン・パリ)」
っていうものがあって、毎回行っていましたね。
あとは、生地屋さんによって、
得意なことがわかっているから、
直接コンタクトを取って相談します。
伊藤
そのなかから、
これを使ってこれを作りたい! みたいな、
気持ちが沸くような素材に出会うんですね。
そういうこともあるし、
何になるか思いつかないけれど、
好きだから発注しておこうというものもありますね。
伊藤
リバティを使われることが多いじゃないですか。
自子
うん。最初っから使ってましたね。
25年、使っています。
最初のパリでの
エージェントのおじさんがすごかったね(笑)。
伊藤
え(笑)?
自子
キャラクターがすごかったんです。
その人はイギリス人の伯爵のような風貌をしていて。
何者なのかよくわからないんですが、
カイゼル髭を生やしていて、
英国の時代劇に出てきそうな
お医者か弁護士か、みたいな
ツイードをしっかり着ていて、
片方の目に嵌める眼鏡があるでしょう、
あれをつけていて。
伊藤
ええっ!!
もう時代劇の人なんです。
自子
彼のオフィスのデスクの後ろに、
フランシス・ベーコンの絵が掛かっていて、
それは彼を描いたものなんです。
伊藤
えっ、えっ、その人がモデル?
うん。ベーコンがその人を描いたんです。
伊藤
ええっ!!
「これ、そっくりだけど」って訊いたら、
「それ、わたくしですよ」って。
「あぁ‥‥上手だねえ」なんて。
フランシス・ベーコンに向かって(笑)。
友達らしいですよ。
まったく自慢をせず、さりげなくて。
自子
その方が、パリで仕事を始めた日本の若者を
かわいがってくれて。
生地は、そんなにいっぱい買えないんですけれど。
「よく来た、よく来た」って。
伊藤
おじいちゃん?
自子
おじいちゃんでした。
最後のほうは、もう引退しちゃいましたけれど。
伊藤
リバティ家と関係があるんでしょうか。
う〜ん?! 
リバティの生地を扱ってる店、持ってましたね。
そのお店に行くと、不思議なものがいっぱいあって、
僕ら、大喜びで。
イギリスのかぎ針編みみたいなニットのストールとか。
伊藤
その方と出会ったことで、
リバティを使うことに関しては、
わりと伸び伸びできたんですね。
その人が引退してからは、
後任のかたがいて、
その人のオフィスが
こーんな狭いアパートの屋根裏部屋で。
世界のリバティなのに、
「この建物は昔、娼婦小屋だったんだぞ」
とか言いながら。
自子
3畳もなかったかもしれない。
伊藤
面白いです。
リバティが好きな理由は、素材感ですか? 
それとも柄?
このタナローンの素材感が、
もうとにかく好きなんです。
自子
うん。ほんとに好きだね。それは。
伊藤
タナローンは、
細い糸で織られたコットン生地ですね。
張りがあってやわらかくて、
すごく肌ざわりがよく、高級感のある素材。
いろんな生地を使いましたが、
やっぱりこれに戻ります。
重量感がいいんです。
伊藤
柄はこれが好きっていうの、ありますか?
自子
う~ん。
柄は、いろいろ好きなんです(笑)。
伊藤
いいものが、いっぱいありますもんね。
オリジナルは作らなかったんですか?
オリジナルの柄はやったことないですけど、
オリジナルの色は、麻でやりましたね。
でもこのお花を、この麻にのせてくださいって
いう程度のことですよ。完全なオリジナルじゃない。
柄までやる人も、いるんですけどね。
伊藤
リバティは、これだけの強い柄なのに、
柄と柄を合わせても、違和感がないんですよね。
そう! かわいいです。
自子
ほんとに飽きないですね。
ただ、甘くなり過ぎないようには、気をつけてます。
伊藤
そうですよね。
昔の柄を復刻して使うのも素敵でしょうね。
ありえますね。
向こうで集めてたものは、
いまのカタログには載っていないものがありますよ。
それを作って欲しいっていうと、
リバティの人も知らなかったりして。
自子
(笑)。
伊藤
今回、柄は山井さんにお任せして、
形のリクエストだけさせていただきましたね。
ワンピースは、オリジナルがちょっと短かったので、
長めに。
足を、もうちょっと隠してくださいって。
わたしも含めて、
久しぶりに柄物が着たいなという気持ちの人たちに
着てもらえるものをつくりたくて。
ノースリーブのほうは、
もともとけっこう長いですよ。
マキシ丈ワンピースですから。
伊藤
とてもかわいいですよね。
涼しそうだし。
伊藤
暑い日にいいなと思うのは、
この柄のおかげで、
汗染みが気にならないことなんです。
うん、うん。
自子
そこはポイントですよね。
伊藤
そして、このタナローンの生地が
いいなと思う理由のひとつが、
肌がきれいに見えることなんです。
年齢を重ねてこそ、意味が出てくる素材だなって。
繊細だし上質でしょう?
若い時ならではの素材もあるけれど、
リバティのタナローンって、
いまの私くらいの年齢に
ちょうどいいなと思いました。
あとは、スクエアカットのブラウス。
これは、ミニマムカットで、シンプルな構成です。
ポンチョふうなデザインで。
伊藤
着て、動かすと、
ヒラッとしてかわいいんですよ。
とってもいいものをつくってくださって、
ありがとうございます。
大人のリバティ、
ほんとうにうれしいです。
こちらこそ。
たくさんのかたに着ていただきたいですね。
ありがとうございました。

好きなものは変わらない。

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伊藤
孝さんが情報収集の仕事を離れたのは
なぜだったんですか。
その頃、小野塚秋良さんの
「zucca(ズッカ)」っていうブランドが
日本でスタートしたんです。
そこに「TOKIO KUMAGAI(トキオクマガイ)」
のときにお世話になった
テキスタイルの担当だった女性がいて、
その縁で僕は「zucca paris」の
仕事をすることになりました。
「今、なんにもしてないんだったら、
手伝わない?」って。
僕は情報収集の仕事しかしてなかったから、
すぐに「やります!」と。
伊藤
じゃあ、パリにいながらにして、
日本のブランドの仕事をすることになった。
そうですね。「zucca」を運営していた
会社の社員になって、
パリでたくさんのことを経験させてもらいました。
それが5年ほど続いたんです。
自子
それで情報収集の仕事は私が引き継いで。
伊藤
いいコンビですね。
自子
お互い、忙しくて、楽しくて、良かったですよ。
伊藤
孝さんは、パリで
「zucca」の仕事を、ひとりで?
もちろんフランス人の現地スタッフも何人かいましたよ。
窓口なので、なんでも屋さんです。
とにかく「zucca」に関することの依頼が全部来ちゃう。
荷物の管理からショーの手伝いまで、すべてです。
そのなかで、僕は作ることも提案したんですね。
「メイド・イン・フランスで、
なにかやりましょうよ」って。
伊藤
どんなものをつくったんですか。
オリジナルで、マダガスカル産のかごや、
パリのマルシェバッグや、ニットでしたね。
あっ! 作業着も面白かったなあ。
うまくいったのもあれば、
ダメだったのもありましたけれど、
そこで、いろんなことを覚えました。
それが独立のきっかけにもなったんです。
伊藤
なるほど。
いろんなことっていうのは、
いろんなものを作るっていうってことですね。
そうですね。
自子
こういうものを作るにはこの工場がいい、とか。
例えば、南仏に行き、
エスパドリーユの工場にとびこんで、
なんとか頼みこんでサンプルを作り、
できあがったものを日本に送ったり。
今みたいに、写真やデータが
簡単に送受信できる環境はないから、
いつも実物でした。
伊藤
それを5年くらいやっているうちに、
独立の気持ちが高まっていき、
二人一緒にブランドの立ち上げをなさった。
自子
ハイ、一緒に立ち上げました。
伊藤
そのとき、こういうことをやろう、みたいなことは、
言葉になっていたんですか。
こういう人のために、こういうものを作ろう、とか?
いや、なんとなくですかね。
自子
いま思うと、それってなんだったんだろう。
伊藤
孝さんが作る服はレディースですから、
ご自身では着ないわけじゃないですか。
なので、自子さんの思いを形にしているのかなって
想像をしていたんです。
そうかもしれません。
だから僕がレディースの服づくりを
できるのかなって思います。
自子
全部が全部っていうわけじゃないけれど、
基本はそうなんでしょうね。
特別なものではなく、日常着を作りたい。
そう、最初のコンセプトは日常着だったね。
伊藤
わたしの印象では、全然、変わってないんです。
でも「日常着」かと言われると、
そうじゃないものもあったような。
自子
そこから変化していったんじゃないかな。
一時、規模が大きくなって、
日常着ではないものも作りました。
ちょっとオケージョンっぽいのや、
ドレスっぽいのも入れようとか、
そういうふうになっていきましたが、
基本は日常着のままだよね。
自子
バリエーションが増えても、
「基本」はあんまり変わらないのかもしれないですね。
変わろうとしても、変われないというか。
伊藤
うん、うん。そうですよね。
最初、ブランドをパリで立ち上げたわけですが、
「必ずフランスで作る」とか、
そういう決めごとはあったんですか?
自子
決めごとではなかったけれど、
パリ発ということが個性のひとつでしたから、
フランスで全部作っていましたね。
それから、生地はナチュラルであることかな。
リバティは英国製ですから例外ですが、
基本的に使う生地はフランスのものが多かったです。
フランスの、素朴で、
昔からやっているような生地が大好きで。
あとはヨーロッパのものを中心に使っていました。
伊藤
当時、ちょっとかわいらしい
パリの香りがする服っていう印象でした。
たぶん、二人が「普通」だと思っているものを
そのまま服というかたちにしたら、
それがとても素敵なものとして
わたしたちに見えたんじゃないかな。
二人が、仕事を兼ねていろいろ見てきたことの
蓄積がすごかったんじゃないかなと思います。
そうかなぁ。
自子
そうだといいね(笑)。うん、うん。
伊藤
ブランドを立ち上げて最初に作ったのは
どんな服だったんですか?
最初に作ったものと、
今作っているものって、
じつは似ているんですよ。
伊藤
へぇ~!
自子
秋冬だったんです、最初。
やっぱり、こういうクラシックな
素材を選んじゃう。
自子
好きなものは変わらないです。
伊藤
そうですよね。
その頃は、ホルターネックという、
かんたんに言うと金太郎の前掛けみたいな‥‥。
自子
その表現は、誤解を招く(笑)!
きっとみなさんわかりますよね、
首から通して、前からぐるりと
身体に巻きつけるようなタイプの服。
それをTシャツの上に着て、
さらにジャケットを羽織る、
みたいなコーディネートが好きでした。
今考えるとわりと不思議なんだけど、
素材は、ほんとクラシックで。
伊藤
そうして作った服は、
どんなルートでお客様にお届けしたんですか。
日本から来たバイヤーの方で、
ちょうどいろんなブランドを探して
ヨーロッパを回ってる人がいて、
その人に見せたら
「日本で展示会にかけさせてくれ」って。
自子
「売りたい」っておっしゃってくださったんです。
僕らもフランスにまだ売り手がいなかったし、
日本に営業に行くのも大変だしと思っていたので、
お願いすることにしたんです。
自子
そもそもブランドの立ち上げのとき、
そういうことをあまり考えずに始めちゃったのね(笑)。
だから「あっ、良かった、良かった」って。
20型くらいのスタートでした。
ワンピース、ブラウス、Tシャツ、
そういう基本的なものでしたね。
新しいブランドって
あんまりニットとかカットソーを入れず、
布帛だけでデビューする人が多いんですけど。
伊藤
覚えてます!
ハイゲージのニットはありましたよね?
あれ、とっても素敵だったな。
娘も私もそのニットを着ていました。
また作ってほしいです。
自子
そうなんです。
よく言われるんだけど‥‥(笑)。
今、あのニットを編める機械が少なくなってしまい、
なかなか作ることが難しくなってしまっているんですよ。
伊藤
そうなんですね。
でも、また着たいなぁ‥‥。
それで、日本での販売は、
すぐに軌道にのったんですか。
自子
最初は注文は少なかったと思います。
それで、自分たちでも営業をしようと、
ニューヨークに行き、
飛び込み営業もやりましたよ。
自子
3軒くらいの人が買ってくれました。
伊藤
じゃあ、日本には
販売を手伝ってくれるパートナーがいて、
ニューヨークでは自分たちで営業をかけて。
パリでは?
パリでは、合同展に出展したんです。
公園にテントを張って開かれる、
PARIS SUR MODEという
有名な展示会があるんです。
自子
Tranoi Paris Women’sという展示会にも
出したことがありますね。
伊藤
そういうところには、
各国からバイヤーが来て?
自子
そうです。世界中から買い付けに来るんです。
日本からのバイヤーの数もすごかったですよ。
伊藤
そうして広がっていったんですね。
それから何年ぐらい、
パリを拠点になさっていたんですか。
パリでは15年、
日本にシフトしてからは、10年です。
立ち上げが1995年なので、
ブランドは今25年ですね。
伊藤
日本にシフトしたきっかけは?
日本での販売は、エージェントに
任せていたんですが、その人が、
日本製のものもいろいろ入れていこうと、
提案をしてくださったんですよ。
自子
それで日本での生産を始めたんです。
それがだんだん増えていきました。
自子
そこで、日本製で満足のいくものを、
きっちりとしたスケジュールで
作ってもらうような方向に向かっていきました。
伊藤
日本と比べると、
フランスでものを作るのは、
やっぱりたいへんなのかなぁ?
フランスは人件費もすごいから、
僕らのような者がもの作りをするには
不便な国かもしれません。
日本のことを知ってるから、余計にそう思う。
伊藤
みなさん、日本はすごいっておっしゃいますよね。
実際、すごいです。
自子
それで、だんだん、
日本生産にシフトしていったんです。
ものが作りやすいから。
日本に拠点を持とうか、
ということを考えつつ、
パリと行ったり来たりのスタイルを
模索していたんですね。
そのうち、パリに年に1、2回のスケジュールで
カタログ撮影やアイデアソースを探すことを目的にして
遊びに行くほうが楽しいよ、
って思うようになって(笑)。
で、日本をベースに生活することになりました。
伊藤
時間の感覚からして、
きっと、違うでしょうからね。
それもありますね。
自子
1日1個しか進まないこともあるし。
伊藤
そういうストレスも
おありだったんですね。
大いにありましたね。
あと、納期が守られない。
約束の日までに生地があがらなければ、
日本だったらがんばるところを、
たとえばバカンスに入るタイミングだったりすると、
絶対にバカンスを取るので。
仕事は何も進まなくなるわけです。
なに言っても無理ですから。
伊藤
うん、うん。
でも、そのフランス的なところも、
わたしたちにとっては憧れ。
自子
そうなんです。
それはそれで素敵なことなんですよ。
伊藤
お二人はお二人で、
自分たちもバカンスだ! みたいなことは
なかったんですか。
自子
ありましたね。
そうじゃないと、大変すぎて(笑)!
気にしていても進まないものは進まないんだから。
伊藤
そうかなって思って聞いてました(笑)。
なんとかなるよね。なんて、
そこは急にフランス人みたいになって、
バカンスに出かけてしまってました(笑)。
伊藤
じゃ、日本に2010年に帰って来てからは、
いろんなことがスムーズに?
作ることに関しては、
日本はシステムがちゃんとしていますから。
自子
運送業者さんも優秀だから、
工場との往復日程を入れても
3日でサンプルがあがっちゃう、
みたいなこともありますからね。
向こうは、「無理」って言われたら終わりだから。
「3日で届けろ? 無理だよ、無理!」(笑)。
今はどうなのか、ちょっと分からないけれど。
自子
もうあまりにもね、
いろんなことがありましたね(笑)。

パリに行こう!

未分類

伊藤
山井さん、こんにちは。
素敵なアトリエですね。
もしかしたらこのコースターは、
リバティの生地? 手づくりですね。
そうなんです。端切のリサイクルです。
布のコースターって、
なかなかいい感じのものが見つからないですよね?
洋服を作ると、どうしても余りが出るんですが、
捨てるのはもったいないですし。
だから、縫製工場に捨てないでと言って
回収してくるんです。
伊藤
ご自身で縫っているんですね。
渦巻き状にミシンがかかってる。
ハイ。目が回りますけどね、クルッ、クルッって。
実験のようなことです。
裏を麻にしてみたり、
間に8枚くらい、薄い布を挟んでみたり。
数十分でできちゃいますよ。
で、洗っていくと、端がどうほつれていくのかなとか、
そういうことも実験なんです。
伊藤
とてもいいですね。
母に伝えて、作ってもらおうかな? 
そして、お願いしていた洋服もできあがって! 
ありがとうございます。
自子
こちらこそありがとうございます。
伊藤
こうしてお仕事がご一緒できることが
とても嬉しいです。
伊藤さんは、以前、
ぼくらがパリにアトリエを構えていた頃、
遊びにきてくださったことがありましたね。
まだ娘さんも小さかった頃。
伊藤
15~16年くらい前のことですよね。
最初は共通の知人の紹介で
都内にあったお店に伺ったんです。
当時、子ども服を作られてて、
それがすごくかわいくて。
その頃から、リバティの生地を使った
ワンピースも作っていらっしゃいましたよね。
自子
はい、作っていましたね。
ブランドを立ち上げたころから、
作っているんです。
伊藤
私も若かったので、
リバティの華やかな柄ものを着ていたんです。
ピンクとか。
自子
色ものとか、けっこう着てらっしゃった、
その印象があります。
伊藤
それが、年齢を重ねるにつれ、
だんだん、小花柄は自分に合わないのかな、
と思うようになってきたんです。
でも、着たいという気持ちはずっとあったので、
今回、大人が着られるリバティの服を
つくっていただけないか、相談させていただいて。
自子
ちょうど、今回のコレクションが、
大人っぽいリバティで行こう、
っていうときだったので、
わが意を得たりで、すごく嬉しかったんです。
それで僕らのコレクションと同じ柄を
提案したんです。
自子
すこし形を変えてね。
伊藤
もともと、おふたりのつくる服は、
かわいらしい感じのリバティの使い方ではなくて、
そこが好きだった理由だと思うんです。
すっかりリバティの話になってしまいましたが、
それはあとでまた話していただくとして、
「weeksdays」にご登場いただくのが初めて
ということもありますから、
山井さんたちがどんな方なのかを、
お伝えしたいと思っているんです。
そうですよね。僕は、簡単にいうと、
文化服装学院を出て。
自子
わたしも、ですけどね。
伊藤
わたしもですよ!
自子
(笑)みんな同窓なんですよね。
卒業後、僕は、「BIGI(ビギ)」の
レディースのニット部門に就職をしたんです。
そのとき、彼女は、
「CUSHKA(クシュカ)」っていう、
同じグループのアクセサリーの会社に勤務していました。
伊藤
系列会社にいらしたんですね。
自子
そうなんです。
勤務場所はまったく違うんですけれど。
ところが「BIGI」に入って2年くらいした頃、
以前から持っていた海外への憧れが強くなって。
外国に住んで、いろいろ見てみないとと
思うようになりました。
というのは、その頃、仕事柄、
映画や雑誌などで
パリやロンドンの風景をたくさん見ていたんです。
そのうちに、これって、
本当はどんな感じなんだろうな、
行って確かめたいな、と、単純にそういう感じで。
伊藤
それで、フランスに?
そうなんです。
イギリスにも興味があったんですけれど、
ファッションだったらフランスなのかなと、
そんな感じで決めました。
自子
そのざっくり感、すごいと思うんですよ(笑)。
伊藤
ほんとう(笑)!
若かったんですね、そんな感じだったんですよ。
とりあえず行こう、って。
伊藤
向こうにお仕事を探して?
とんでもない、仕事なんかないですよ、あの頃。
伊藤
え(笑)?
今だったらワーキングホリデービザがあるけれど、
僕ん時は、そんなもの、なかったんです。
長く居るためには学生ビザを取らないといけなかった。
それで学校に入りました。
フランス語もまったくわからないで
フランスに行ったんです。
自子
ひどいでしょう(笑)?
伊藤
(笑)それで、学校に?
そうです。ソルボンヌに
「文明講座」という講座があって、
誰でも受けることができるんです。
そこを受講すれば学生ビザが取れるから。
伊藤
お二人は、一緒に行かれてたんですか?
自子
わたしは1年あとから行きました。
伊藤
バブルの前ですけれど、
ファッション業界が
うんと上り調子の頃ですよね。
自子
そうでしたね。
伊藤
そんななか、海外に行くので会社を辞めます、って、
入社して2年の若者が言ったわけでしょう。
上司のかたはどんな反応だったんですか。
「絶対、行ったほうがいいよ!」って。
伊藤
あら。
いい上司でした。
伊藤
お金は、どうしたんですか。
少し貯めて行きました。
でもとうぜん足りなくなるわけで、
向こうに行ってから、伝手で、
大手アパレルの支社で
アルバイトをはじめたんです。
僕は「TOKIO KUMAGAI」の
熊谷登喜夫さんが大好きで、
その会社には登喜夫さんのブランドがあったから、
ぜひにと思って。
伊藤
学生ビザで働いてもよかったんですか。
働いていい時間が決まっていました。
僕の頃はわりと規制が緩くなっていましたが、
先輩方に聞くと、そもそもフランスで日本人が
働くことが難しい時代もあったらしいんです。
「働いていたら取り締まりが来たから、
逃げろって言われて3階から飛び降りたよ」
なんていう話を聞いた事があります。
その人は、フランスで成功し世界的に有名になった
日本人のデザイナーさんですけれど。
伊藤
そんな時代もあったんですね。
そのアルバイト先ではどんなことを
なさっていたんですか。
いろいろですね。
この会社にはたくさんのデザイナーの部署があって、
そこで生地を切ったり貼ったり。
そこから TOKIO KUMAGAI のアトリエに
入ることができました。
でも残念なことに、
登喜夫さんが亡くなってしまいました。
それで1回、日本に帰って来たんですよ。
25、26歳くらいの時だったと思います。
伊藤
自子さんはその時は?
自子
一緒に帰ってきました。
そして僕は日本の友達と
ファッションの企画やデザインをする会社をつくり、
1年半くらいかな、それを続けました。
自子
私は違うところでバイトをしていましたね。
そして、もう一度、一緒にパリに行くんです。
やっぱり、前回はあまりにも中途半端だったと。
登喜夫さんとの仕事があまりにも嬉しく、
また、亡くなったことがとても残念で、
それで帰ってきてしまったけれど、
二人でもう一度やろう、って。
そうしたら、行くぞと決めたタイミングで、
デザインの仕事をしていた
関西のカタログの会社の人たちが、
「パリに事務所ができたから、
そこにぜひ行ってみたら」と教えてくれたんです。
何かできることがあるかもしれないから、
挨拶に行って、話をしてみたら? って。
自子
パリに着き、さっそくその事務所に行ったら、
日本人が3人くらいでやってる支社でした。
彼らから、現地のいろんな情報が欲しいと。
じゃあ、僕らはそういう情報を毎月、
プレゼンするような仕事をしますよ、
ということになりました。
伊藤
情報収集! なるほど、当時は、まだ
インターネットもなかったですものね。
あ、まったく普及していなかったです。
1988年頃のことですから。
伊藤
時まさしくバブル最盛期ですね。
自子
そうですね。
それで、ファッションはもちろん、
カタログ会社だから、受け口がとても広く、
雑貨、街の様子、
情報は新しいものならなんでもいいというんです。
私たちから見たパリ、ヨーロッパの情報をくれと。
伊藤
それは、例えば、写真と文章で?
そうです、そうです。
こういう事がとか、物が流行ってるとか、
こんな店ができたとか、
レポートをするんです。
伊藤
食べ物も?
自子
食べ物はあまり多くはなかったけれど、
こんなカフェができたとか、
レストランでこんなメニューが流行っているとか、
ありましたね。
伊藤
それで、二人で生活ができるくらいは、
稼ぐことができたんですね。
ギリギリだったけれど、
2人だったからなんとかなりました。
犬もいましたけれど。
伊藤
犬も(笑)!
自子
そう、犬もいましたね(笑)。
おっきな犬でした。
ラブラドールレトリバーで。
伊藤
ずっと住む気でいたのがわかりますね(笑)。
日本に帰る気がなさそう。
自子
ほんと、ほんと。
伊藤
楽しかったでしょうね、情報を集める仕事。
きっと、今では少ない仕事ですよね、
インターネットで調べられるから。
やっぱり現地のいきた情報がほしかったんですね。
伊藤
それを、どのくらい続けられたんですか。
3年くらい、やりました。
自子
私はもっとやったかも。
彼が離れてからもやっていたから、
のべ5年ほどやらせてもらいました。
ほかにも、日本から来る方をアテンドしたり。
アクセサリーの問屋に行ったり、
大きな見本市に行って
商談をする仕事も入っていましたね。
伊藤
「こういうことに関しては、あの2人、すごくいいよ」
っていう評判がきっと立ったんでしょうね、日本でも。
そうじゃないと、頼まれないと思いますよ。
自子
いえいえ、そんなにそういう人がいなかったからですよ。

t.yamai parisの大人のリバティ

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柄ものが着たい。

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棚をかたづけていたら、
奥の方から、
リバティプリントの見本帳が出てきました。

ペイズリーや孔雀の羽、動物、家‥‥。
中でも花柄の種類はたくさんで、
そうそう、娘が小さかった頃、
かわいらしい模様をえらんでは、
服を縫ってあげたんだっけ。
布を一枚一枚めくるうちに、
なつかしい思い出がよみがえってきました。

見本帳をめくるうちに、
ああ、そうだ。
しばらく無地の服ばかりに目がいっていたけれど、
ひさしぶりに
リバティプリントの服が着てみたい。
そんな気持ちが湧いてきました。
かわいいだけじゃない、
今の気分にぴったりな大人のリバティ。

その願いを形にしてくれたのは、
旧知のデザイナー、t.yamai parisの山井さんご夫妻。
シックで、洒落てて、ちょっとかわいらしさもある、
すてきな服ができあがりました。

明日からのコンテンツをどうぞおたのしみに。

柔らかな影。その4

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若い頃の私は、存分に太陽を浴びて、
ガングロ茶髪状態で生きていました。
しかし二十代半ばにやっと「これではまずい」と気づき、
日焼け引退を宣言。
以降、すわ日差しという時に備え、
武士の刀かのように日傘を持って、日々を過ごしています。

旅に出る時も、季節を問わずに
晴雨兼用の傘を持っていきます。
かつて京都の伏見稲荷に行った時は、
かんかん照りだったので傘をさしたら
日が照ったまま急に雨が降ってきて、
日光と雨とを同時に傘がさえぎっているという状態に。
まさに狐の嫁入りに遭遇したのであり、
私は傘をさしたままで、嫁入りを寿いだことでした。

日傘によって片手がふさがれるのは、
時に厄介なことではあります。
が、その厄介さは、時に少し贅沢にも感じられるもの。

単に紫外線を避けたいのであれば、
高機能の日焼け止めクリームを塗り込めばいいのでしょう。
しかし日傘は、日焼け止めクリームは
決して感じさせてくれない
「守られている」という気持ちを、
持つ者に与えてくれるのでした。

日傘はおそらく、紫外線や暑さからのみ、
持ち主を守ってくれているのではありません。
一人で歩いている時、
もやもやとした不安がこみ上げてきても、
日傘の柄をきゅっと握れば、
心づよさを感じることができる。
また都会の喧騒の中でもお気に入りの日傘をひらけば、
傘の下には静寂の空気を得ることができるのです。

相棒のような日傘を持って、私は今日も外へ出ます。
晴れていようと曇っていようと、
日傘があればどうにかなりそう。
左手に柄を持ち、右手を添えてゆっくりと傘を開けば、
そこにあるのは私だけの影。
柔らかな影に包容されることによって、
私は安心して歩を進めていくことができるのでした。
(了)

柔らかな影。その3

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今の日本で、
笠をかぶる習慣を持っている人は少ないものです。
農作業をする人も、かぶっているのはたいてい帽子。

以前、私は少しだけ
四国のお遍路をしたことがあるのですが、
そこでは「同行二人」、
すなわちお弘法大師さまと常に共にある、
と書かれた菅笠をかぶって歩きました。
菅笠は、紫外線もカットしてくれるし、
両手はフリーになるし、非常に具合が良かった。
普段もかぶって歩きたい気持ちになりましたが、
さすがに日常生活での菅笠は、憚られるものです。

今、最も笠が重要な役割を果たしているのは、
お祭りにおいてでしょう。
たとえば越中の、おわら風の盆。
浴衣姿の踊り手の女性達は、
深くそして前側を下げて笠をかぶるので顔は隠されており、
まさに「笠の内」。
皆、美しく見えたものでした。

しかし見ている者をさらにうっとりさせるのは、
後ろ姿です。
笠の前を下げるとうなじは露わになるのであり、
夜目にも白く浮かぶうなじの、何と美しいことか。
胡弓の音色と共に踊る人々は
幽玄の世界にいるかのようで、
盆踊りというものはそもそも、
この世とあの世を結ぶ役割を果たしていたことを
思い出させるのです。

踊り手がかぶる笠にしても、
そして手に持つ傘にしても、
少し傾けてみると、
そこには色気が漂うものなのでした。
真昼間に真上から照りつける太陽を避けるべく、
地面と平行にさす時の日傘は、単なる道具。
しかし少し傾いてきた日に合わせて傘も傾けてみれば、
道具が装飾品へと変化したような気持ちになります。
傘を傾けることによって均衡が崩れ、
無防備な部分が生まれるせいなのかもしれません。

夕暮れ時となっても日傘をさしたままでいるのが、
私は嫌いではありません。
斜めの影の中にたたずんでいると
昼間よりも少し優雅な気分になるのは、
暑さがやわらいできたせいだけではないのでしょう。

柔らかな影。その2

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ほとんど家の中で過ごしていた平安時代の貴族女性も、
寺社への参拝などで、
たまに外に出る機会があったようです。
彼女達がそのような時にまとっていたのは、
壷装束と言われるスタイル。

頭にかぶるのは、タジン鍋のような形をした市女笠です。
笠からは、薄い布がぐるりと巡らされ、
屋外でも他人の視線が
シャットアウトできるようになっています。
同時にそれは、紫外線をさえぎる役割をも
果たしたことでしょう。

壷装束の女性は、人目をひいたに違いありません。
滅多に外に出ることのない高貴な女性が
歩いているのを見た人は、
一陣の風で垂れ布がめくれないものかと、
祈ったのではないか。

「夜目遠目笠の内」
という言葉があるように、
夜に見る人、遠くから見る人、笠をかぶっている人は、
その姿がはっきりとは見えないが故に、
実際以上に美しく感じられる、とされています。
笠は「ゆかしさ」と同時に、
美への思いをも膨らませるものなのでした。

ここで言われているのは、頭にかぶる「笠」であり、
「傘」ではありません。
とはいえ笠も傘も、役割としてはほぼ同じ。
「夜目遠目傘の内」
と言うこともできましょう。

日傘をさす人は、美人に見える。
‥‥それは、「はっきり見えないから」だけではなく、
日本人の美意識に訴える姿だからなのではないかと、
私は思います。

全く雲の無い状態で
月が見られればいいというものではないよね、
と兼好法師も書いていましたが、
陰影の裏側にこそ本当に美しいものがある、
と日本人は昔から思っていました。
日傘とは、どこにでもまんべんなく
光が当たるようになった今のフラットな世界の中で、
自分専用の陰影を作ることができる装置でもあるのです。

柔らかな影。その1

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夏服をまとい、速すぎないスピードで歩く女性の顔が
日傘によって見え隠れしていると、
私は「ゆかしい」という言葉を思い出します。

「ゆかしい」とは、
見たい、知りたい、恋しい‥‥という心境。
つまりはその対象に対して心惹かれ、
もっと近づいていきたくなる感じです。
スポットライトのような夏の日差しをさえぎる日傘によって
隠されている顔は、実にゆかしいものなのでした。

何かで隠されている女性の姿が、
いかに人の興味を刺激するかについては、
今を生きる私達よりも、
昔の人の方がよく知っていたように思います。

たとえば平安時代の女性の姿は、
御簾や几帳といったファブリック、長い髪や扇などで、
異性の視線から慎重に隠されていました。
が、同時にそのシステムは、
異性の心を刺激するものでもあったのです。

「源氏物語」には、光源氏の妻である女三宮が、
庭で行われていた蹴鞠を
見物していた時のことが記されます。
とはいえ女性が男性に
自らの姿を見せることはご法度ですから、
女三宮は邸の中の御簾の陰から、外を眺めていました。

するとその時、歩いてきた猫に結ばれていた
紐がひっかかって御簾がめくれ上がるという、
思わぬ事態が発生。
庭にいた柏木という青年が、女三宮の姿を見てしまいます。

それは一瞬の出来事であったものの、
柏木は一瞬で、恋におちました。
光源氏の妻と知りつつも女三宮を忘れることができず、
想いを遂げようとした柏木の運命は、
やがて思わぬ方向へ‥‥。

隠されているから、見たくなる。
隠されているから、ちらりと見えた時に、胸が高鳴る。
日傘は紫外線を避けるための存在ではあるものの、
持つ人を隠すものでもあります。
何事もオープンで
「私を見て!」という人だらけの世だからこそ、
日傘をさす人へのゆかしさは募るのでしょう。

木漏れ日の下にいるような。

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ふだん天気予報をあまり見ない私ですが、
夏の間は別。
「今日はどうだろう?」
その日の空模様をしらべます。

晴れのマークを見つけると、
すごくうれしい。
なぜかって? 
それは、日傘が持てるから!

傘と違って、
なくてもどうにかなる。
なるのだけど、
持つとすごくうれしい。
気に入りの日傘をさす、
ただそれだけで優雅な気分になるのだから。

今週のweeksdaysは、
ボンボンストアの日傘を紹介します。

ちょっと小ぶりで、
木漏れ日の下にいるような気にさせてくれる、
すてきな日傘。
夏のおでかけにどうぞ。

コンテンツは4日間にわたって、
エッセイストの酒井順子さんに日傘について、
執筆をお願いしました。

「都会の喧騒の中でもお気に入りの日傘をひらけば、
傘の下には静寂の空気を得ることができる」

こちらもどうぞおたのしみに。

買い足すたのしみ。

未分類

伊藤
もうひとつ、
BonBonStoreの傘のうれしいところは、
きれいな色の無地があることだと
私は思っているんです。
井部
そうなんですよね。
無地の傘を作っているところ、
すごく少ないんですよね。
伊藤
なぜなんだろう。
井部
無地はリスクが高くて、
生地のシミが目立つんです。
使用には差し支えなくても、
あれだけ面積が広い生地に、
ぽつんとひとつシミがあっただけで、
製品としては不適格になってしまう。
だから傘屋さんは作るのを敬遠してるんだと思います。
伊藤
柄だと気が付かない程度のシミが、っていうことですよね。
井部
そうです、柄だと全然気が付かないんです。
伊藤
以前、タオルケットをつくっていたんですが、
タオル工場が、日本での生産をやめてしまって。
それも同じ理由で、面積が大きくて、無地だと、
ほんのちょっと糸が飛び出ている、みたいなことで、
B品になってしまう。
あの面積だと、B品の出る率を計算すると、
つくってもコストに合わないんですね。
それで、その工場は、
日本でつくるのをやめてしまったんですって。
井部
ましてや傘は、天に向けて開くものだから、
ちょっとしたシミが目立ったりするんですよ。
全く気にされない方もいらっしゃるけれど、
販売店からは返品されてしまいます。
だから無地の傘って、実はすごく難しい商品です。
そうそう、白い傘も作っていたことがあるんですよ。
でも一般的に皆さん、白いと、
「汚れるでしょ?」っていうことになって。
でも白い傘って透過光がやわらかく注いで、
レフ板効果にもなるから、顔が明るくなって、
肌のくすみを飛ばす効果があると、
マダム世代の方に大きな反響をいただきました。
伊藤
そうですよ、どんどんくすみますもん。
井部
何本かお持ちの方だと、差し色のような感覚で
たのしい色の傘をお求めになったりもします。
差したときの自分を客観的に考えられるというのかな、
「自分だけがよければいい、じゃないでしょ?」
と、公共の場でどんなふうに見えるかを考えて、
「ちょっと楽しい方が良くない?」って。
そんなイメージを持って買って下さる方も多いです。
伊藤
なるほど、自分が街の風景の一部ですものね。
ところで、BonBonStoreはサイズも豊富ですよね。
今回は、そこから55センチサイズを
選ばせていただきましたが。
井部
BonBonStoreの傘は、
60、58、55、50、47、40(すべて親骨の長さ)と、
折り畳みを作ってます。
これだけバリエーションをつくるのは、
私たちの規模ではかなりのチャレンジです。
生産効率や、入れる箱のことを考えると、
もっとサイズを減らすべきなんでしょうけれど、
ただ、逆に、私たちのような小さな会社は、
「世の中にないもの」を提案していかないと駄目で。
伊藤
同じ55センチサイズでも、
デザインによって印象が異なり、
一見、大きさが違うのかと思うほどですよね。
井部
サイズが一緒でも、ハンドルを変えるだけで、
ちょっと大きく見えたり、長く見えたりします。
そういう差も楽しんでもらえるといいなと
思って作っています。
伊藤
ボリュームが違って見えるのは、
生地の厚さの違いも影響しますか?
井部
生地だけじゃなく、
中棒の太さも影響しますね。
太いほうが12ミリで、
細いほうは8ミリです。
伊藤
見た目のボリュームに対して、
そんなに重くないんですよね。
井部
そうですね。
「あら、見た目より重くないのね」って
おっしゃる方が多いです。
もちろん華奢な傘が好きな方もいらっしゃいますし、
いろいろですけど。
伊藤
長さもちょうどいいんです。
井部
この長さだと、お買い物をしているとき、
腕にかけて持っていても、
先端が床につかないので、
うっかり落とすことが少ないんですよ。
階段を下りるときにも引っかかりにくい。
「それが嫌だったの」と、
このサイズの傘はそんな方々にも人気があります。
伊藤
柄は雨傘が栗材、
日傘が楓材ですね。
井部
栗は、あるままの枝を曲げてつくっています。
肌馴染みがよく、
夏、素手で持っていても気持ちがいいですよ。
楓は製材で、すっきりしていて、
こちらも人気の高い素材です。
木のものは持てば持つほどツヤが出てくるので、
すごくきれいな色に育ちますよ。
伊藤
開いたとき、ふだんは見えない部分が見えるんですが、
内側の付け根の部分もきれいに始末がしてあって。
井部
「ろくろ」という部分ですね。
昔ながらの「ろくろ巻き」と言われる手法で、
傘の小間(張り地)と同じ生地で巻いています。
開閉時、指先を傷めないようにという、
昔の人の知恵です。
伊藤
こちらの傘は、バイカラー
(小間が2色の組み合わせになっている)。
晴雨兼用なんですよね。
井部
そうなんです。
無地ですが、2色を組みあわせることで、
プレーンなお洋服を着ているときも、
ちょっとポイントになっていいんですよ。
伊藤
しかも、すごく軽い! 
持ち手はバンブーで、それがバイカラーと
とてもよく合っています。
こうして紹介していると、
ぜんぶ欲しくなっちゃうんですが(笑)、
みなさん、傘って、
何本くらい持っているものなんでしょう。
井部
BonBonStoreで傘を買って下さって、
リピーターになってくださった方は、
だいたい3本ぐらいお持ちだと思います。
最初、本当にベーシックな色を買って、
次の年にちょっと違う色を買い、
その翌年はさらに目新しい色を買う、というように。
形は定番ですが、
年ごとにそれぞれ5、6色の展開をしているので、
たのしみにしてくださっているんです。
伊藤
ことしは時間が足りず、
オリジナルの色はつくることができませんでしたが、
来年、チャンスがあったら、
「weeksdays」オリジナルの傘がほしいです。
井部
ぜひ! 傘づくり、オリジナルですと、
1年近くかかりますから、
そろそろ始めないといけないですね。
伊藤
1年! そうですよね、考えなくちゃ。
井部さん、ありがとうございました。
「こういう傘がほしかった!」という方のところに
ちゃんと届くといいなって思います。
雨が続きますけれど、
BonBonStoreの傘で楽しく過ごします。
井部
久しぶりにこうしてお話しできて楽しかったです。
ありがとうございました。

所作をきれいに。

未分類

伊藤
傘を開くときの所作、
みんな自己流だったりしますよね。
井部
そうなんです。
閉じた状態からいきなり開こうとする人もいますね。
店頭だとプライスカードや
ブランドタグがついているから、引っかけたまま、
力いっぱい開けて、骨を曲げる人もいるんです、
「捌(さば)く」っていうことを知らない。
伊藤
バサバサ、って、傘を左右に回転させて振り、
生地をふわっとさせることですね。捌く。
井部
本当に傘を好きな人は「捌く」んですが、
一気に開こうとする方、多いんですよ。
傘はとにかく捌いてから開けましょう、
って言わないと‥‥。
伊藤
閉じるときも、きれいに畳まないと。
折畳みはとくにそうですよね。
井部
そうですね、生地をきれいに整えながら
きゅっと絞るように畳むと、きれいですよね。
伊藤
日傘を使うと、捌かないと開きづらいし、
畳むときも「あとで干すからとりあえず」
ということがないけれど。
井部
伊藤さんは傘を使う所作、きれいだと思いますよ。
見ていると、そういう人、結構少ないんです。
伊藤
自動の傘だったら、ワンタッチですもんね。
このごろは自動で閉じる傘もあるし。
井部
私、便利なことは便利だと思いますけれど、
人間はどっかで便利じゃないことをしておかないと。
傘づかいのきれいな人、っていらっしゃいますよね。
雨の日に駅の構内で、時間に余裕のある方なのかな、
きちんと傘を閉じて、丁寧に畳んでいる姿を見ると、
「見習わなきゃ」っていつも思うんです。
すがすがしい感じがしますよね。
伊藤
畳むのが苦手、という人もいますね。
ビニール傘のジャンプ傘だと、
そんなに気を遣わないからかな。
井部
そうかもしれませんね。
私が畳んでいるのを見て、
お子さんがあんぐりしていたりしますよ(笑)。
畳んで、クルクルッと丸めてるところなんて、
見たことがない! っていうような表情で。
伊藤
そういうことを面倒と思わずに、
たのしいこととして実践したいな。
好きな傘を持っていると、
雨の日だって、陽射しの強い日だって、
たのしくなるわけだし。
そういえば、以前「weeksdays」で
木漏れ日が陽を遮るようなイメージの日傘をつくろうと、
ある会社に相談したら、
「今、日傘はUV99.9%カットが主流です」
とおっしゃる。
でもそれだと高機能UVカット素材を使うしかなく、
「木洩れ日感」は出ないんです。
私も、ばっちりUVカットする日傘を持っていて、
とても便利だと思うけれど、
そればかりではつまらない。
それで1回作るのを諦めたんですよ。
井部
日傘は女性がきれいに見えるのがいいですよね。
そういえば、タイの女の子たちは、
UVカット一辺倒の日傘がいやだ、
オシャレがしたいと、
うちの傘を買って行ってくれたりもします。
伊藤
なるほど、タイにはなさそう。
井部
あちらは紫外線がいつも強いので、
UVカットのものはいろいろあるんですが、
こういうものは、逆に、ないんですね。
オゾン層が壊れていると言われる現在、
日本だって昔のような陽の光ではないし、
紫外線を防ぐために陽に当たっちゃ絶対に駄目ですよとか、
完全にUVカットのできるものを身に付けるべきですよ、
ということも理解できます。
紫外線アレルギーの方もいらっしゃるし。
でもいっぽうでおしゃれをしたいという気持ちもある。
そしてなにより夏が暑いわけで、
そんなときに、BonBonStoreの日傘を
じょうずに使ってもらえたら嬉しいです。

▲日傘は6/26(金)からのweeksdaysでご紹介します。

伊藤
帽子と組み合わせる方法もあるし、
おしゃれに楽しむためのものでもあるわけですものね。
BonBonStoreの日傘は、
サイズが小さめというのもいいんです。
井部
小さいサイズの日傘はいいところがあって、
カップルで歩かれていて、女性だけが差していても、
距離が遠くならないんです。
女性の友達同士でそれぞれが日傘を差していても大丈夫。
この40センチタイプの日傘は、
「差したまま、お隣でそのまま歩けます」
と言っています。
伊藤
時々、傘を含めた自分の幅が分かっておらず、
まわりを危なっかしい目にさせてしまっている人を
見かけるけれど、
このサイズは、ぶつかりにくくていいですね。
井部
BonBonStoreの日傘は、男性の方が
女性にプレゼントするからと
購入してくださるケースも多いんです。
伊藤
へえ! いいですね。
BonBonStoreの傘は、
基本的に女性向けだとは思うんですが、
男性が使ってもよさそう。
井部
男性は一般的に
親骨が65センチ~70センチ前後のサイズを
よくお使いになると思うんですが、
今回「weeksdays」で販売する傘は
55センチなんですよ。
伊藤
約10センチ、短いんだ。
井部
でも、コンパクトでいいね、
気兼ねなく持てていいよ、と、
お使いくださる男性もいます。
最近、フリーなお仕事の人が多くなったから、
「いかにも紳士物っぽい傘は苦手」
っていう人も増えていますね。
伊藤
「いかにも紳士物」というのは、
長くて細くてダークな色合いの傘ですね。
井部
そう、いわゆるクラシカルな傘です。
ああいう傘の魅力はわかるけれど、
自分には似合わないとか、
気後れしちゃうと言って、
BonBonStoreの傘を、
「このぐらいがちょうどいい」と。
伊藤
お仕事にもよるでしょうね。
逆にBonBonStoreの傘は
カジュアル過ぎるという人もいるでしょうし。
でもふだんチェックのシャツを着て
仕事をするタイプの男性に似合いそう。
井部
はい。ラフな感じの服装で
お仕事をされてる方には
いいかもしれないです。
伊藤
なるほど!

はじめてのちゃんとした傘。

未分類

井部
じつは日本の人って、傘を選ぶ基準が、
とても細かいんです。
とくに高齢のかたがたは、
みんな厳しい目を持っている。
なぜかというと、60年前、
日本が傘の世界的な生産地だったからなんです。
中国生産に移る前のことですね。
だから目が肥えている。
伊藤
へえ!
井部
日本製の傘のいい時代を知ってらっしゃるのは、
60代、70代ぐらいの方なんですね。
そういうみなさんは、
「折り畳みのサイズはこのくらいがいい」とか、
「手に持ったとき、床に着かない長さがいい」とか、
自分の基準を持っていらして。
ここ5年ぐらい、百貨店でイベント的に
販売をするようになったんですが、
ちょっとボーイズっぽい短めの柄の傘をパッと見て、
「あ、短くていいわね、これ」と、
パッと買われる方がいらしたり。
日本の女性ってすごい! って、
販売してると思いますよ。
伊藤
そういうお客様が、
井部さんに引きつけられるんでしょうね。
その、いい傘の文化を知っている人たちには
パッと分かったことでしょうけれど、
BonBonStoreの傘って、
ビニール傘が当たり前の人にとっては、
どういうふうに見えるんでしょう。
井部
BonBonStoreの傘を使ってくれる若い女性たちは、
学校を出て働き始めたとき、
「ビニール傘じゃまずい!」っていう意識が
芽生えて、いらしてくださるようなんです。
たとえば営業職に就いた女の子は、
年長のおじさまたちと一緒に
よその企業に行く機会が増えるわけですよね。
その時、ビニール傘っていうわけにいかない、って。
伊藤
ビジネスの席では恥ずかしい、と。
井部
そう、「ビニール傘を卒業しなきゃ!」って
思っている子がすごく多いですね。
そういう子がいてくれて、ちょっとホッとします。
伊藤
身だしなみのひとつなんですね。
それってすごく面白い。
井部
ビニール傘を持っていることで、
いかに自分が幼いのかが分かったと。
そんな若い子が「何か買わなくっちゃ」
って気持ちで来てくれます。
「何色がいいでしょうか」って。
伊藤
どんなアドバイスをするんですか?
井部
「会社に行くんだったら、
これだとちょっと遊びっぽいから、
もう少し細身で、コンパクトで、
色もあまり激しくない方がいいかも」とか。
他所のオフィスに、
赤い傘を差して行くわけにもいかないから。
だからはじめて高い傘を買おうと思う子には、
あんまり激しい色ではなく、
自分の持ちやすい色をすすめますね。
3年ぐらいしたら、何かちょっと新しいものを
買ってもいいんじゃない? っていうような感じで。
日本の女の子って、オンとオフを
きっちり分けているから、
オフに使うのならば、はじけちゃっても
いいんだと思いますけど、
1本だったら、落ち着いた色を。
伊藤
すごく基本的なことをお聞きしますが、
持ち手を「ハンドル」と呼ぶと、
きょうはじめて知りました。
きっといろんな部分名称があるんですよね。
井部
私はなぜかハンドルって呼んでしまうんですが、
柄(え)とか、手元とか、
いろいろ呼び方はあるんですよ。
傘にはパーツがいっぱいあって、
それぞれに職人さんがいるんです。
たとえば縫製する人と張る人が一緒で、
石突とハンドルを付ける人はまた別々。
最終的に、メーカーで糊付けをしたり。
つまり、生地、防水&撥水コーティング加工、
骨、ハンドル、縫製、
そして最後にまとめるところで
6社は入っているんです。
伊藤
プラス、井部さん。
井部
そう、私みたいに、デザインをしている人も。
伊藤
この石突の長さも、いろいろですよね。
井部
「先が尖がってるのが嫌」という人もいれば、
シュッと長いのが好きな人もいます。
でも、最近、よくよく考えたら、
雨の日に使って、傘立てに入れて、
下に水が溜まってることを知らずに置いていたら、
ふやけちゃったり、カビがはえたりしますよね。
石突が長いと、水が溜まってるところに置いてあっても、
ダメになりにくいんです。
世の中の傘屋さんが、石突のうんと短い傘を
作らないのはそういう理由なんじゃないかなって。
伊藤
メーカーとしては、
なるべくリスクを減らしたいですものね。
井部
1960年代からの高度成長期と共に、
日本のものづくりは、どんどん「売れるもの」を、
っていう発想だから、
1つ1つに思いがあって作られることは、
消えていってしまいましたよね。
ここの、傘をくるくると巻いて閉じるときのための
ネーム布の先につける留め具、
一般的な傘は、ベルクロかホックなんですね。
でもBonBonStoreはフランス式ネームで、
リングなんです。
リングは、美しいけれど、
傘の「露先」(開くと外側になる、骨の先端部分)に
引っかかることがあって、気付かないで開けると、
骨が曲がる原因になったりする。
だから傘屋さん、もう皆ベルクロか
ホックにしたんだと思うんです。
でも、私はボタンやリングを選ぶのもすごく好きだから、
「そこは譲れないわ」って、
フランス式ネームにしているんです。

傘が苦手でした。

未分類

伊藤
私、ずっと「傘が苦手」って言ってたんです。
何で苦手かっていうと、
いいと思える、
普通で、シンプルで、かわいい傘を、
見つけられなかったから。
井部
雨の日は、どうしていたんですか。
伊藤
傘は持たないことにして。
井部
持たない!(笑)
伊藤
(笑)濡れて歩くか、車で行くか、
あるいは出掛けない、みたいな。
でも、そういうわけにもいかなくって、
どうしても傘が必要なときは、
ビニール傘か、すごくコンパクトになる
折りたたみ傘を使っていました。
きっと私みたいな気持ちの人もいると思ったので、
今回、井部さんに相談をしたんですよ。
井部
なるほど。
ほしい傘がない、という気持ち、よくわかります。
私もそうでしたから。
伊藤
井部さんも?
井部
はい。20代のときに、
百貨店のコーディネーターの
アシスタントをしていたんですが、
当時の百貨店に置かれていた傘って、
フォルムがどれも似ていたんです。
同じシルエット、同じスタイル。
これは私の推測なんですけれど、
大きな百貨店の売り場では、
傘の長さをきちんと揃える方が綺麗に見えるし
何より傘もライフスタイルの一つという
ファッションの視点が希薄だったかもしれませんよね!?
伊藤
そんな井部さんは、当時、
どんな傘を使っていたんですか。
井部
アパレルで作っていた、オリジナルの傘でしたね。
伊藤
その経験が、BonBonStoreを立ち上げて
オリジナルの傘をつくろうと思ったきっかけに?
井部
そうですね。
もともと傘が好きだったっていうことと、
「そういえば傘のデザイナーってすごく少ないな」
って思ったんです。
伊藤
井部さんの好きな傘を
言葉にするとどういうことになるんでしょう。
井部
当時、私が思っていたのは、番傘の美しさです。
和傘を開いた瞬間、
3センチ間隔で骨が入っている、内側の美しさ。
傘が開く瞬間が好きなんです。
伊藤
わかる気がします。
井部
‥‥そうだ、傘じゃないんですが、
水溜りが好きだった!
伊藤
えっ、水溜り?
井部
ちっちゃいとき、雨が降ると、
水溜りができたでしょう?
伊藤
ありました。ありました。
今よりずっと水溜まりが多かった!
井部
それを飛び越えるあの感じ、
好きだったな、って。
伊藤
傘の先でクックッって水溜まりをつついたり、
雨がやんでも、水溜まりの水を絵の具みたいにして、
アスファルトに傘で絵を描いたり、
晴れた空が映ると、
飛び越えて空を飛んだつもりになったり。
井部
そう! 雨にまつわる思い出。
伊藤
そんな気持ちが傘づくりにつながったんですね。
井部
何か作るとしたら「世の中にないもの、ないもの」
ということだけは、常に思っていたので、
自分が作る傘も、言葉にならなくても、
「あ、これって『BonBonStore』さんの傘ね」って
いうふうになっていけばいいかなって思いながら。
とはいうものの、すごく奇をてらったものではなく
基本は普通で、ベーシックなんだけれど、
「こういうの、本当になかったよね」
っていうようなものを作っています。
伊藤
たしかに分かりますよ、井部さんのつくる傘。
そういえば井部さんは、傘の専門家というよりも、
もともと、雑貨全般のお仕事ですよね。
井部
はい。アパレル向けの雑貨のOEMをやっていました。
勉強になったのは、アパレル各社の
独自のものづくりに触れたことです。
「THE GINZA(ザ・ギンザ)」という、
資生堂がやってらしたセレクトショップがあったんですが、
そこで10年ぐらい、雑貨全般を作らせてもらったことも、
ほんとうに勉強になりました。
伊藤
井部さんが最初に作った傘は、
どんなものでしたか。
井部
いちばん最初に作ったのは、まあるい、
こんもりしたシルエットの傘です。
デッドストックのハンドルを使ったんですよ。
古い、犬のかたちをしたハンドルが、
問屋さんに埋もれていたのを発掘して。
伊藤
イギリスのステッキに、ありますね、
アヒルや犬の顔のかたちのハンドル。
ちょっと老犬っぽい感じで、風格のある。
井部
ありますよね、ステッキにも。
そのハンドルは日本のもので、
着物の時に使うものだったと聞きました。
伊藤
男の人用かなぁ、
すっごくおしゃれな人向けだったんでしょうね。
その傘を作って、販路はどんなふうに?
井部
OEMを手がけていたご縁で、
都内のセレクトショップとお付き合いがあったので、
「こういうの作りました」って、
プレゼンテーション用として持っていったんですよ。
「こういうことができます」って。
伊藤
犬のハンドルでこんもりした傘、
皆さん、どういうふうに思われたんだろう。
井部
仕事としては、OEMですから、
ショップの売りやすい形の傘を
つくることがほとんどなわけなんです。
でも、その傘を店頭に置くと、
「ほかになくて、いいわね、こういうの」
って、お客様にすごく言われましたよ。
伊藤
ピンときた人がいらしたんですね。

雨のたのしみ。

未分類

雨の日、
家の中で本を読んだり、
ソファでごろごろしながら、
過ごすのが好きです。

しとしと、
じゃぶじゃぶ、
ざーざー‥‥。
その時々でちがう雨の音も好き。

それから、
雨上がりのにおいもいい。

雨の好きなところはたくさんあるはずなのに、
雨の日に出かけるのが、
どうにも好きになれませんでした。

濡れるのを気にしながら歩くのがいやだなぁ、
というのがひとつ。
それからもうひとつは、
気に入った傘がなかなか見つからないでいたから。

ずっと、
「なんとなく」えらんでやり過ごしていたアイテム、
それが傘なのでした。

でも、今年はちがう。
雨の日、出かける予定があったとしても、
「ああ、あれがあるから大丈夫」。
そんな気持ちでいられるようになったのは、
ボンボンストアの傘に出会ったから。

今週のweeksdaysは、
私の今の気持ちにぴたりときた、
ボンボンストアの傘を紹介します。

「自分が街の一部」になる?
ボンボンストア・井部祐子さんとの4回にわたる対談も
どうぞおたのしみに。

たとえばこんなコーディネート。 伊藤まさこ その3

未分類

シルバーのグリークシューズに合わせたのは、
動くたびに、裾が揺れるワンピース。

ワンピースも、
また、靴もとても印象的なので、
アクセサリーはいらないくらい。
すっきりした着こなしでも、
主役を張れる。それがグリークシューズのいいところ。

今日ははりきって、
美術館やウィンドーショッピングに繰り出すぞ。
そんな、街歩きのコーディネートをイメージ。
ひとりで出かけるときでも、
おしゃれをする気持ちは忘れたくないものです。

Tストラップのグリークシューズには、
白いリボンがついたブラウスとデニムを。
かごを持つと甘くなりすぎるので、
ここでは白い革のクラッチバッグを合わせてみました。

ゴールドのバングルや、
少し大ぶりな輪っかのピアスなんかも合いそうです。

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