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ベッド・タイムストーリーズ
誰でも経験のあることかもしれないが、
子供の頃、寝る前に、
枕元で絵本や童話を読んでもらうと
いつのまにか眠りに落ちた。
時々、物語の続きのような夢を見たことも
あったような気がする。
小学生に上がったくらいだったろうか、
ひらがなと簡単な漢字をいくらか読めるようになった頃、
「疲れたから、読むの交代して」と
母が、僕に本を手渡してきたことがあった。
いつも何も言わず、僕が眠たくなるまで、
ずっと本を読んでくれる母でも、
疲れてしまうことがあるのかと、
少しびっくりしてしまったが、
はじめての大切な仕事を仰せつかったような気がして、
少し誇らしかった。
母が、いつもしてくれるのを真似て、
間違わないようにゆっくりと、一文字一文字、
声に出して読むと、母は黙って聞いていて、
静かに本のページをめくってくれた。
最後まで読み終えると、母が「ありがとうね」と言って、
本を閉じ、僕にやわらかい毛布を掛けてくれた。
「おやすみ、また今度読んでね」と明かりを消す間際の、
母の横顔を見て、不思議な満足感を覚えながら、
いつのまにか眠りに落ちた。
その日から、いつも眠る前の時間に、
母と一緒に本を読むようになった。
字の多い本を、声に出して最後まで読むのは
なかなか大変なものだと分かってから、
読み間違ったり、読めない漢字があった所で、
読み手を交代するというルールで、
代わる代わる読むことになった。
『ちいさいモモちゃん』や『ドリトル先生』、
『ズッコケ探偵団』や、ポプラ社の子どもの伝記全集など
思い返すと、当時の推薦図書的なシリーズが多かったが、
学校の図書室から、自分の読みたい本というよりも、
母が、興味を持ってくれそうなタイトルを選ぶのも、
同級生には内緒の密かな楽しみだった。
声に出して本を読むのが、
すっかり楽しくなっていた僕は、
なるべく長く読みたいと、
注意深く、少し先の文字を意識して、
読むようになっていた。
滑らかに調子よく読めている時、
2、3行先に、見覚えのない漢字が見えると大ピンチで、
知っている言葉から意味の通りそうなものをひねり出して、
一か八か当て嵌めて、読むことがあった。
結局チャレンジは失敗で、
読み手交代となってしまうことが多かったが、
運良く正解で、まだ読み続けられるとなった時は、
難所をうまく切り抜けた、
物語の主人公のように心が躍った。
そうして、いろいろな本を読んでいるうちに、
読めない漢字は、ほとんど無くなり、
僕が読む時間のほうが、長くなっていった頃の、ある日、
本を読みながら、横目に母を見ると、
うつむいてうとうとしていた。
「聞いてないの?」と、母の肩を揺すると、
「あんまり読むのが上手だから、気持ちよく
眠ってしまったよ」と瞼をこすりながら言った。
そして「もうお母さんが先に寝てしまうくらい、
読むのが、上手くなったから、これからは、
自分で好きな本を読みなさい」と、
このささやかな楽しみは、あっけなくお終いになった。
もう高学年向けの本を読めるようになっていたから、
ちょうど良い頃合いだったのだろう。
今でも、なんとなく寝付けない夜には、
ベッドで横になって、小さな声で本を読むと、
安心してぐっすりと眠ることができる。
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
2月16日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
pageaérée ray unisex pajamas
ここ数年、
シルクのシーツやピローケース、
ナイトパンツなど、
眠る時の体への負担をできる限り無くそうとしている私。
心地よい眠りのためには、
肌、そして自分にやさしい素材に包まれたい。
わがままでもいいから、
好きなものに囲まれて眠りたいんだ!
そんな時に出会ったのが、
pageaérée(パージュアエレ)のパジャマでした。
素材のよさはもちろんですが、
肌に当たらないようにと、
縫い代の始末がていねいにされていたり、
ポケットがついていたり(意外にないんです)、
リラックスできるのに、
だらしなく見えないように考えられた
シルエットだったりと、
このパジャマの中に、さまざまな工夫がされている。
一見、とてもスタンダードに見えますが、
袖を通すと、よさが分かる。
洗っては着て‥‥を繰り返しているので、
weeksdaysの発売を機会に、もう一枚欲しいなぁ
なんて思っています。
(伊藤まさこさん)
pageaérée vic one-piece stand
デザイナーの篠さんは、パリ在住。
前立て部分にさりげなく施された刺繍のヒントは、
フランスのヴィンテージのパジャマからと聞いて、
なるほどと納得しました。
私も、リネンのパジャマやシーツに施された
イニシャル刺繍がとても好き。
シンプルなこのワンピースのポイントになっていて、
なんだかうれしいんです。
weeksdaysでは
上下セットのパジャマ型にくわえて、
ワンピース型もご紹介。
パジャマかワンピースか、と眠る時にえらぶものは、
それぞれ好みですが、
いずれも寝心地のよさ、そして気持ちのよさは抜群なので、
「今日はワンピース」「明日はパジャマ」なんて、
気分によって使い分けても。
ワンピース型は、寝巻き感があまりないので、
ワンマイルウェアとしてもよさそうです。
(伊藤まさこさん)
DRESS HERSELF シルクのシーツ
肌にも髪にもやさしいシルクで、
シーツを作りました。
ベッドに入った瞬間、しっとりしなやかな質感が
自分を包んでくれて、それはもう幸せな気持ちに‥‥。
ちょっと贅沢かもしれないけれど、
ぜひともこの気持ちよさを味わって欲しい。
きっとシルクの虜になるはずです。
シーツは、敷いて使うのはもちろんですが、
私は羽毛布団と自分の間に、
毛布のようにしてかけることも。
そうするとより、シルクの質感を
身近に感じることができるのです。
また、洗濯も思いのほか簡単です。
半乾きの時に干せば、アイロンいらず。
シワさえも愛せる、美しい一枚です。
(伊藤まさこ)
DRESS HERSELF
シルクのピローケース
肌にも髪にもやさしいシルクで、
ピローケースを作りました。
使い始めてから、
半年ほど経ちますが、
朝起きた時に、枕についている抜け毛が
少なくなったことを実感しています。
(年齢を重ねて、
髪のボリュームが気になり始めた方に、おすすめです!)
しかも、髪も肌もしっとり。
やさしい温かさを感じる度、
作ってよかった‥‥としみじみしています。
シーツと合わせて使うと最高の寝心地ですが、
「まず最初のシルク」として、
おすすめしたいのがピローケース。
自分へ、または大切な方へ。
プレゼントにもどうぞ。
(伊藤まさこ)
上質なねむりとキレイなお肌
不規則な生活が続くと肌荒れがおきます。
医療従事者に多いのですが、
夜勤が続いた看護師さんはニキビで困ってますし、
ぼくは当直後に吹き出物ができやすい。
皮膚科医なのに、口の周りにでっかいニキビを作って
患者さんを診察するのは、説得力がありませんね。
いまはマスクで隠せますが。
ねむりって肌の調子にとても影響します。
反対に、肌の調子が悪いとねむりに影響します。
かゆくてあまり寝れなかったというのは、
アトピー患者さんからよく聞かれる声です。
肌にとっても大事なのが”ねむり”なんです。
じゃあ、皮膚科医が考える上質なねむりってなんだろう、
というのが今日の主題です。
でも、全く医学的じゃないのであしからず。
私たちがねむりと表現する時、
寝付きと、途中に起きちゃうかどうかの
中途覚醒を指します。
患者さんから、「よく眠れません」と言われたら、
「寝付きが悪いですか?」か
「夜中に起きちゃいますか?」を聞いて、
それに合わせたお薬を出します。
でも、ねむりにはこの2つ以外に
もう一つステップがあります。
それが寝起きです。
寝起きが良いだけでその日は良い一日と思えたり、
寝起きが悪いと活動のエンジンがかかるまで
時間を要します。
とても大事な寝起きなのに、
寝起きをコントロールする薬はまだないのです。
なので、
「寝起きを良くするお薬をください」と言われても、
「そんなものはありません」と答えるしかありません。
そこで本題に戻るわけですが、上質なねむりとはなにか?
ぼくは“幸せな寝起き”にあると考えます。
いまだ医学では扱うことが出来ない
“幸せな寝起き”ができたら、
それは上質なねむりではないかと。
では、どんな寝起きは幸せな寝起きなんでしょう?
怖い夢を見なかったとか、
目覚まし時計をかけずにゆっくり寝れたとか、
いろいろと思い浮かぶと思いますが、
ぼくが経験した中で一番だった幸せな寝起きは、
車の中です。まだ幼稚園くらいの頃、
家族でお出かけした帰り道、
車のなかで寝てしまうことがしばしばありました。
家についてもまだ眠いぼくは、
親に起こされても寝たふりを続けます。
そうすると親は諦めて、
家に布団を敷いてから、ぼくを空輸します。
ふわっと体が浮いて、外気に触れて、
父親のぬくもりを感じながらお布団に着地する。
もう一度お布団で寝ることもありましたが、
大抵は目が覚めてましたから
ごそごそっと起き上がるわけです。
これが幸せな寝起きだったなぁと思います。
さすがに大人になってからは
抱っこで目覚めることはなくなります。
でも、目が覚めたら好きな人が隣で寝てる、
なんて場面は幸せですよね。
恋人でも家族でも。
一人で寝てたって、
目覚めたときに大好きな人が思い浮かべば
幸せな気分になります。
巷でよく耳にする
「綺麗になったね。好きな人でもできた?」
なんていう言葉は、幸せな寝起きが続いて、
肌もすっかり綺麗になった影響もあるかもしれませんね。
うん、ありそうだ。
今年はこれを研究してイグノーベル賞を目指しますか。
おらのコラーゲン
20年くらい前のことです。
めかじきの背骨の間には
半透明のゼリー状のものが入っています。
これを近所のお寿司屋さんが
ポン酢をかけて前菜に出してくれました。
冷やして、小葱ともみじおろしがのっていて
「コラーゲンのかたまりだからね 特別に女性だけどうぞ」
「わぁー嬉しい」
っていうようなやりとりでいただきました。
無味無臭でつるっとしていて
ポン酢の味が爽やかでとても美味しかったのです。
当時わが家は、廻船問屋業もありましたので、
たくさんの水揚げになる魚を扱っていました。
めかじきの水揚げが大漁にあった日、
とても良いことを思いついたのです。
自分で骨の間から例の半透明のゼリーを取り出して
匂いを嗅ぎましたが、やはり無臭だと確認、
ラップにつつんで冷蔵庫に入れて
夜になりました。
ワクワクしながら風呂上りにそのゼリーを
気になりかけていた目の下に貼って
その上から紙のパックをして
一晩たったら相当効果があるんじゃないか?
100%天然素材だ!
うわーこれ良いんじゃない?
効果あったらどうすっぺ!
めかじきの軟骨の中のコラーゲンはいっぱいある!
売れるんじゃないの?
わくわくして、楽しくてたまりません。
それが‥‥。
あんなに無臭だと確認したはずなのに、
風呂上りの石鹸の臭いの中では、
もうめかじきの臭いそのものでした。
それでも「美」のためと我慢して寝ました。
楽しみにしながら寝ました。
そうしたら‥‥。
めかじきが大漁に水揚げされ運んでも、
運んでも水揚が終わらない、
つらい夢で目が覚めました。
目の下に貼りつけたはずのおらのコラーゲンは
枕のどのあたりかに、やや乾燥して
干からびぎみでおちていました。
匂いはどこで嗅ぐかによります。
市場で水揚げされる魚の匂いに慣れきった私の鼻は、
魚の匂いは気がつきにくい。
何よりめかじきのコラーゲンを皮膚に貼っても
まったく吸収しないそうです!
あのレコードを聞きながら
初めて音楽を聴いて泣いた日のことを憶えている。
小学4年生の3月、
卒業式の前に行われたお別れ会の時だった。
式が終わって退場する6年生を見送る間、
体育館に響く拍手のうしろで流れる歌声に、
今まで感じたことのない気持ちが胸に溢れ涙が出てきた。
その日、家に帰って父に尋ねてみた。
「お父さん、レリピーレリピーって歌知ってる?」
すでに一杯機嫌だった父は
「会社に音楽好きな川原くんて若いのがいるから、
明日聞いてみるよ」と返し
「れりぴい、れりぴい‥‥ と」
とつぶやきながらメモした。
そう、探していた曲はビートルズの『Let it be』だった。
後日、川原くんは
「よかったら息子さんにどうぞ、
これからはCDの時代なんで」
といらなくなったビートルズのレコードを
全部譲ってくれた。
毎日寝る前、電気を消して聴くうちに、
4人それぞれの歌声がわかるようになり、
ひとり悦に入って眠りについた。
そんなことすっかり忘れていたのだけれど、
我が家のふたりの子どもたちが育つにつれ、
同じ環境で音楽に触れさせたいと思うようになり、
実家から30×30cmのビートルズたちを持ち帰った。
まだ幼かった子どもたちは父の言うことに従って、
(なるべく)針をそっと置いたり、
(なるべく)盤面に触らぬよう裏に返したり、
遊びの延長で楽しんで接してくれた。
ある朝、マンションの粗大ゴミ置場に
大きな立方体の木の箱が二つ捨てられていた。
前を歩いていた息子が見つけるなり寄っていき、
ぺしぺしと叩きだす。
2歳の彼と同じくらいの大きさだ。
両手で掴んでみたら意外に軽い。
こちらに向けると一組の古いスピーカーだった。
2つともユニットが剥き出しになっている。
高音、中音、低音、左右対称になった
8つの目玉が愛らしい。
まだ使えるのかしら。
この古そうなスピーカーで、
同じく古いレコードを響かせてみたいと思い、
ごみ処理シールに書かれた部屋番号を訪ねて
譲ってもらえないか聞いてみた。
出てきたおじいさんは
「まだ使えるよ。使ってくれるなら嬉しいよ」
と快諾してくれた。
「もう50年も前になるかな、
若い頃は音楽に凝ってて、大枚叩いて買ったんだ。
ジャズからクラシックまでなんでも聴いたんだけどね。
でも齢をとって耳が遠くなっちゃって。
この耳で音楽なんか楽しんだら、
ご近所迷惑になっちゃうだろう。
だから今はもう全然」
と耳たぶを引っ張るおじいさん。
部屋に運び、さっそく配線して、
まずはやはりビートルズをかけてみた。
それまでは自作の小さなスピーカーで
聴いていたこともあり、音の迫力にびっくりした。
息子は慌てて両手で耳を塞いでいる。
体全体に響いて、
まるで目の前で演奏してくれているみたいだ。
どの家具よりも存在感のあるスピーカーのおかげで、
暮らしの中心に音楽が立ち現れた。
その日からも随分と月日が経ってしまった。
子どもたちが面白がって
レコードを変えてくれることはなくなったけれど、
今だに寝入り端には、
今日はどのレコードを子守唄にするかと選ぶ時間が楽しい。
しかしぼくも齢をとったのか、
妻にはそっと音量を下げられている。
よい眠りにつくために
毎日を機嫌よく過ごすには、
どうすればいいのか。
‥‥これって私が、常々思っていること。
おいしいものを食べたり、
気の合う友人とおしゃべりしたり、
部屋を整えたり。
仕事をし過ぎない、とか
食べ過ぎない、とか。
「過ぎない」ことも大切です。
いい感じにほどほどに。
それから、よい睡眠をとること。
これって、
起きている時の機嫌に差が出ます。
ちゃんと眠れていないと、
ぼーっとしてしまって、
家事も仕事も効率が悪い。
何より、目覚めがすっきりしない。
1日のはじまりは、
気持ちよく起きたいものです。
気持ちよく眠るために、
私がしているのは、
ベッドルームに何も置かない、ってこと。
目に入るのは白いカーテンと白い壁、白い天井。
それから、シーツやピローケース、パジャマは、
心地いいものをえらぶこと。
「眠り」について、
試行錯誤した結果、
いきついたのがこんな感じ。
今週のweeksdaysは、
よい眠りにつくためのパジャマや
シルクのシーツを紹介します。
あなたの毎日が、ご機嫌なものになりますように。
Pleated Frill Blouseができるまで
- 伊藤
- プリーツについては、また、何かご縁が?
- 前沢
- はい。日本に帰国してから、
プリーツ屋さんとのお仕事があったんですね。
もともと私はプリーツが好きで、
すごくよくしてくれたそのプリーツ屋さんの社長に、
「実は、私、ブランドを立ち上げます」とお話ししました。
「マニッシュなパンツに合せる
エレガントなブラウスをつくりたい。
それはギャザーじゃなく、硬さがない、
透明感のある、色気のある
プリーツがやりたいんです」って相談をしました。
最初、シルクシフォンの
ボウタイブラウスもいいと思ったんですが、
おうちで洗えます、というもののほうが
便利でいいんじゃないかなと。
ならばシルキーなタッチのポリエステルを使った
プリーツのブラウスだって思いました。
- 伊藤
- シワになりにくいですし。
- 前沢
- すぐ乾きますし、旅行にも持って行けるし、
気軽に着てもらえるから、
それを目指したいっていう話をして。
イメージとなるヴィンテージブラウスが
数枚手元にあったので
「このプリーツで、こんな感じにあげたいんだ」と。
次は生地屋さんに話をして、
プリーツをかけられる素材を探し、
これじゃない、あれじゃない、
これがいいかもしれない、これで試そうって、
何種類か作って、ようやく出来上がりました。
当時、プリーツ工場の社長にご協力いただけなかったら、
このブラウスはできていなかったと思います。
- 伊藤
- いまでも変わらず同じ工場で?
- 前沢
- その会社は、
日本とフィリピンに工場があるのですが、
当時はフィリピンじゃなきゃ
できない仕上げだったんですね。
日本だとちょっと技術的に難しいものだった。
現地に日本人スタッフもいて、
有名なブランドが加工を託している工場で、
美しい仕事をしてくれます。
2000年までフィリピン生産を依頼していていましたが、
フィリピンもロックダウンになって、
いつ解除になるかわからなくなった。
その時に、日本に振り替えたほうがいいとなり、
日本に技術をもちこんで、生産を再開しました。
今はフィリピン工場と日本の工場との
2本立てになっています。
- 伊藤
- そういうことだったんですね。
このブラウスは、ずっと柄を変えて作ってきたので、
何枚も持っている方がいらっしゃるとか?
- 前沢
- そうです。5枚も6枚も!
うれしいですよね。
ちょっとピンクベージュっぽいものを
つくったこともあるんですが、
基本的には黒だけだったんですよ。
それがある時、セレクトショップのバイヤーの方が、
「別注色、できますか?」と、
赤とか黄色、水色など、
いろんな色の別注をしてくださった。
自分もつくりながら、いろんな発見があって、
プレスの友人やスタイリストの方々も、
「黒は黒で作り続けながら、毎シーズン、
色を増やしてもいいんじゃない?」と。
このデザインをたくさんの方が好きって
言ってくださるんだったら、
そうやってご提案していくのもいいのかもしれない、
役に立ちたいな、って(笑)。
- 伊藤
- ワンサイズですよね。
でも開きがちょっと深いところが、
いろんな体形の人に合うんですよね。
胸がふくよかな人は、
ここの開きがあるからこそ、
自由さがあるみたいな。
- 前沢
- そうなのです。
肩と体に厚みがある方、
バストのふくよかな方と
華奢な方はスリットの開き、見え方が違ってきます。
さまざまな体型の方の方がきれいに見えるように
いろいろ試して、ここに落ち着きました。
- 伊藤
- わたしは、チラっと見えてもいい
黒のキャミソールを合わせたりしますよ。
- 前沢
- そうですね、インナーも楽しめる。
今はこの深さでつくらせていただいています。
- 伊藤
- ちょっと抜いて着たり、
リボンをキュッとしても、
印象がずいぶん変わります。
- 前沢
- 着方がいろいろアレンジできますよね。
そして、カフスの寸法ですが、
若干大きくしています。
- 伊藤
- あ、だから、たくしあげたとき、
腕の途中で止まるんですね。
- 前沢
- クッと上げられます。
それをゴムで見せたくはないと、
長めのカフスになりました。
このブランドは丸7年経ったんですけども、
当時からいろんな方から意見をいただいて、
改善しては、また元に戻したり、
外側では見えないところの改良を続けています。
台衿の中って、縫い代がいっぱいたまるんですけど、
そこを、いかにきれいに処理するかとか。
あと、淡い色だと透けちゃったり。
いろんなことが、毎回、見つかりますね。
- 伊藤
- 台衿の内側には芯を貼ったりするんですか?
- 前沢
- 芯は貼っています。
わかりますか、この縫い代を長くとっているんですよ。
ツキアワセがちょっとでも離れると‥‥。
- 伊藤
- 段差ができちゃう。
- 前沢
- めっちゃマニアックな話で、ごめんなさい。
生産は効率をよくする事が前提なのですが、
洋服づくりのゴールって、
お客様が安心して、いかに美しく着用していただけるか?
ということが一番ですから。
- 伊藤
- そうですよね。
そういうことを工場の方と共有して?
- 前沢
- はい、そのゴールをお伝えして、
話し合いながら縫製仕様、生産工程を決めていきます。
全部手作業は量産では難しいので
工場さんと一緒にやり方を考えています。
今回の製品にも、そのようなことが反映されています。
- 伊藤
- これ、デニムとも合うんですよ。
わたしは最初、チャコさんが着ているのを見て、
「チャコさん、それ、どこのですか」と、
教えていただいたのが最初でした。
チャコさんも似合いますよね。
- 前沢
- チャコちゃん、似合いますよね。
LERET.H(ルレアッシュ)のランジェリーを合わせ、
あえて透けさせるみたいな粋な着方をしてくださって。
- 伊藤
- パリジェンヌですもの。
わたし、チャコさんが黒のジャケットを着てるのを見て、
いいな、きれいだなと思って、
白を買わせていただいたんですよ。
ちゃんとカチッとしているのに、
柔らかい印象になるんです。
‥‥テーラーで学んだことって、
レディースの服づくりにも
落とし込めるものなんですか。
- 前沢
- メンズのテーラリングで学んだことの全部を、
レディースのプレタポルテに
落とし込むことはとても難しいですね。
- 伊藤
- そりゃ、そうですよね。
全然、違うもの。
- 前沢
- でも、技術の高い工場と組むと、
すっごくきれいに仕上げることができます。
内側です、テーラーは。
たとえばL’UNEのジャケットは、
肩パットが入っているんですが、
薄くしようとか、ちょっと厚くしようとか、
硬くしようとか、すべてオリジナルです。
テーラリングのコースで教わりました。
‥‥マニアックでしょう(笑)?
- 伊藤
- (笑)大丈夫ですよ。
お客様が着ている様子をご覧になっての
気づきもあるんですか?
- 前沢
- あります、あります、すっごくあります。
- 伊藤
- 同じサイズでも、人の体って違いますもんね。
- 前沢
- サイズ的には、すごく大きいはずなのに、
それを感じさせないコーディネートを見ると、
「あ、なるほど」って。
インスタのL’UNEのタグ付けを見ると、
このブラウスの登場率が高いんですよ。
「入卒園で、着用しました」とか、
「母とお揃いで、色違いで購入しました」
っていうお写真があったり。
- 伊藤
- うちの娘も「かわいい! 今度貸して」って言います。
いろんな世代に受け入れられていますよね。
- 前沢
- それは作り手にとって、冥利に尽きる話です。
リュンヌのコンセプトは
ジェンダーレス、タイムレス、エイジレス。
エイジレスで着用頂けるのは、
すっごくうれしいです。
- 伊藤
- それこそ、ジャケットの下に着ても華やかになるし。
- 前沢
- 白いオーバーオールに合わせてもかわいいんですよ。
リボンをポロって垂らして。
そういう着こなしの方をインスタグラムで見て
「えっ、いい!」っと思ったりします。
- 伊藤
- わぁ、楽しいですね。
「weeksdays」でお求めになったかたも、
Instagramにアップするときは
ぜひ「#lunetokyo」をつけてください~。
わたしが見たい!(笑)
- 前沢
- 私もです(笑)。
- 伊藤
- 前沢さん、今日はありがとうございました。
このブラウスが、
いろんなかたのところに届きますように。
- 前沢
- こちらこそ、ありがとうございました。
メンズのテーラリングを学びたい
- 伊藤
- 一回、ひとりになると考えた時、
どこかに旅行に行くとか、
そういう休み時間はありましたか。
- 前沢
- そうですね。
ヨーロッパには行ったり来たりしていましたが、
旅そのものよりも、
もう一回勉強をしたいと思ったんですよ。
実はテーラリングの勉強をずっとしたかった。
それは今しかないんじゃないかなと思って。
出張で訪問する海外ブランドのオフィスのすぐ近くに
サビルロウ(Savilerow=オーダーメイドの
名門高級紳士服店が集中しているロンドンの通り)
がありました。
私は、ずっとテーラリングに憧れがあり、
すごくリスペクトしている。
- 伊藤
- メンズのテーラーの技術を生かした
レディースをつくりたいと思ったのではなく、
本当にメンズのスーツをつくろうと?
- 前沢
- そんな気持ちも、あったと思います。
でもジャケットと、パンツ、つまりスーツ、
この本当の基礎に、私は触れていませんでした。
パリにいたときに、サンディカ・パリ・クチュール校
(Ecole de la chambre syndicale
de la couture parisienne)という、
パリのオートクチュール組合の学校で、
レディースの美しいドレープとか、
フォルム作りの立体裁断を、
短い間ですけれども、勉強しました。
でも、本当のテーラーの内側の世界を知らなかった。
- 伊藤
- 全然、違いますよね。
同じ服とはいえ、理系と文系ぐらい違う。
- 前沢
- そうなんです。その世界を一度覗いてみたいと。
覗くにはどうしたらいいんだろうと思って、
ミーティングが終わったあとやお昼休みに、
サビルロウを歩きながら考えていました。
すると、見えるんですよ、アトリエが。
半地下の職人さんが。
- 伊藤
- カッコ良さそう!
- 前沢
- すっごく、すてきです。
でも、私は英語が全然ダメだし、
もうその年齢からでは、弟子入りも厳しいと思って、
日本で探したところ、銀座の老舗テーラーで
1年間のテーラリングのコースがあることを知りました。
- 伊藤
- それぞれの人の型紙がある、
みたいな感じですよね。
- 前沢
- それも全部ハンドメイドの。
あ、もちろん、ミシンは使いますよ。
でも、八刺し(はざし)とか、
肩パットとか、いろんなところが手仕事なんです。
ボタンホールも手なんですよね。
もともと職人さんにすっごく憧れていたので、
1年間通おうと。
なにしろひとりになったから時間はあるんです。
今だ!って。
- 伊藤
- すごい!
- 前沢
- 東日本大震災以降の十数年間で、
生きるって、ということを考えましたね。
私には何が大事なんだろう、みたいな。
それがきっかけで
周りもどんどん変わっていきましたし、
このコロナ禍もそうですよ。
- 伊藤
- 例えばどんなことが?
- 前沢
- コロナに関しては、
このL’UNEというブランドを守っていくために
そこには売り上げのことなどがあって、
どうやって継続していくかっていう現実がある。
大変厳しい状況でした。
その時に、オンライン販売を始めたんです。
緊急事態宣言が4月でしたよね、
販売の準備を始めたのが2020年の5月でした。
元モデルの友達から、
「祐子ちゃん、新しいことをやったほうがいい。
今しかない」って。背中を押してくれました。
そして立ち上げのお手伝いをしてくれました。
‥‥もう、感謝ですよね。
それが2020年のことでした。
- 伊藤
- なるほど。それではちょっと遡って、
L’UNEを立ち上げた経緯をぜひ‥‥。
- 前沢
- はい。震災がきっかけでひとりになって、
テーラリングの勉強を1年間したあと、
その1年後ぐらいかな、
それを形にしようと、
自分でブランドを立ち上げようと考えました。
でも、縫製工場とか、何も知らないんですよ。
ずっと契約のデザイナーだったから、
工場の方と話をすることもなかった。
- 伊藤
- へぇぇ。
- 前沢
- ブランドのチーフデザイナーとして契約したから、
ちょっと「外部の先生」的な感じになっちゃうんです。
- 伊藤
- じゃあ、周りの人が動いてくれて?
- 前沢
- はい。ブランドのアトリエには
パタンナーさんもいるし、生産の人もいる。
セッティングは全部してくれるんです。
そして縫製にかんしては、
パタンナーさんと生産の方が担当します。
私は、上がったサンプルにコメントをしていきますが、
ジャケットについては
「なにか違うんだけど、どこが違うのか
指示が十分にできない」みたいなジレンマもありました。
- 伊藤
- じゃあ、テーラリングを勉強して、
「あ、ここがこうだったんだ!」と発見を?
- 前沢
- 発見、ありましたよ。
あれは素晴らしいです。
テーラーメイドの内側の世界は宇宙です(笑)。
- 伊藤
- 宇宙と出会っちゃったんだ。
- 前沢
- 余談ですが
もうちょっとお話してもいいですか?
- 伊藤
- もちろん(笑)!
- 前沢
- 憧れていたサビルロウには、70年代、
トミー・ナッター(Tommy Nutter)という、
当時のロンドンを盛り上げていた
テーラーハウスがありました。
当時のローリング・ストーンズ、ビートルズ、
デビット・ボウイとかって、
みんなカッコいいスーツを着てたんですが、
それをつくっていたテーラーなんですよ。
すっごくおっきな襟のジャケットとか、
ミック・ジャガーとビアンカ・ジャガーの
真っ白なウェディングとか‥‥。私はその世界にめっちゃ憧れていたけれども、
長い間、ドアをたたくことはできませんでした。テーラリングコースが終わったあと、
ロンドンへ遊びに行った時、
トミーとカッターとして組んでいた
エドワード・セクストン(Edward Sexton)が
立ち上げたテーラリングハウスを訪問しました。ステラ・マッカートニー(Stella McCartney)が
学生時代、こちらでインターンシップをされていた、と
記事で読んだことがありました。「あそこに行ってみよう。」と、アポイントをとり、
高すぎてジャケットは無理だと思ったので、
シャツをオーダーしたんです。
その時イギリス在住の姉が一緒にきてくれて、
お店の方に私の経歴を話しました。
「彼女はこういう勉強をして」って。
そうしたら奥からエドワードが出てきて、
今つくっている最中のジャケットを、
「君のサイズに合うと思うよ、見てごらん」って、
見せてくれました。
もう、その仕立ての凄さが理解できるんですよ。
私は技術がないけれど、それが何かはわかった。
- 伊藤
- すごい方との出会いですね。
そして、転機でもあった?
- 前沢
- そうだったのかもしれませんね。
- 伊藤
- それで、L’UNEを立ち上げられたんですね。
- 前沢
- はい。パンツから始まりました。
ほんとはスーツをやりたかったんですが、
工場を知らなかった。
ジャケットについては
中途半端なことは絶対やりたくないですし、
すでにイメージの生地もあったので、
工場が見つかったら、にしようと。
じゃあどうしてパンツだったかというと、
秋田の素晴らしいパンツ工場さんを紹介していただいて。
- 伊藤
- パリのチャコさんが、
「L’UNEのパンツ、素晴らしい」って言ってました。
- 前沢
- ありがとうございます。そしてその時
PR(広報)の友達に相談したら、
「祐子ちゃん、パンツだけだと、
やっぱり世界観が伝わらないから
トップスもつくらない?」
って言われて、白のシャツと
黒のプリーツのブラウスを作ることにしたんです。
それがこの「Pleated Frill Blouse」です。
デビューから今に至るまで、ずっとつくってます。
- 伊藤
- すごい。
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
2月9日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
saqui テーパードリボンパンツ
ウエストがゴムなので、
はいていて楽なのですが、
きちんとして見える計算されたパターン。
とにかくシルエットがきれいなのです。
コーディネートによって、
カジュアルにも、ちょっとおめかし風にもなるので、
1枚持っているととても重宝。
シワになりにくい素材は、旅のおともにも。
「飛行機や新幹線の移動はかならずこのパンツ」という人は
私をふくめてまわりにたくさん。
(デザイナーの岸山さんもそうらしいですよ。)
旅における「シワ問題」が解決されて、
旅がより楽しくなりました。
(伊藤まさこさん)
CI-VA 2189 NUVOLA
(BLACK、GREY)
※YALE BLUEの再入荷はありません。
フラットな作りの、
これ以上ないくらいシンプルなバッグです。
ヒモが長いので、
斜めがけしたり、またはヒモを結んで肩にかけたりと、
持ち方によって印象が変わるところも魅力のひとつ。
使ううちに革がだんだんとやわらかくなり、
体にそうように。
育っていくたのしみがあるのが、
「CI-VA」のバッグのよいところなのです。
(伊藤まさこさん)
君は何しにパリに来たの?
- 伊藤
- こんにちは、前沢さん。
weeksdaysでは、初登場となるL’UNEですが、
まずは、これを読んでいる方々へ、
ブランドの成り立ちを教えていただけますか。
そもそも、なぜ服をつくる道へ?
- 前沢
- 私は東京モード学園という専門学校を出て、
日本のアパレル企業に就職をしたので、
学生の時から服をつくることが日常でした。
その後20代半ばにパリに行きました。
その当時、日本はバブルの最盛期だったんですけれど、
若気の至りで「えいやっ」って。
そして、行ってから、フランス語の勉強をしつつ、
作品みたいな形で、洋服をつくっていました。
ジャン=ポール・ゴルチエにとても憧れていて、
そこで何かスタージュ‥‥見習いができたら、
と思っていたんです。
けれども、現実はそんな甘いものじゃなく、
どうしよう? ‥‥と思いながら、
日本の雑誌のスナップ写真の
コーディネーターのお仕事や、
アシスタントのお仕事をして
生計を立てていました。
- 伊藤
- ファッション雑誌でよく見かける
「パリのおしゃれスナップ」みたいな?
- 前沢
- まさしくそうです。
ほかにもセレクトショップのコーディネーターを
やらせてもらったり‥‥。
そんなある時、先輩デザイナーが
パリに来て、私の現状を見て、
「君は何しにパリに来たの?」
って言ったんですよ。
というか、すっごく怒られました。
「生活をしていくためのお仕事がいただける、
それはもちろん素晴らしいことだけれども、
君は、じゃあ、そのままでいいのか?」って。
- 伊藤
- 「洋服をつくりたかったんじゃないのか?」
みたいなことですよね。
- 前沢
- はい。たぶん私が悩んでいたのを
察してくださったんだと思うんです。
そして、コーディネーターのお仕事も
すごくプロフェッショナルですから、
中途半端な気持ちであれこれやるのは、
どうなんだ? ということでもありますよね。
それで叱られて、言われたんです。
「とにかくブラウスを10枚つくりなさい」
- 伊藤
- その先輩って、何者? すごいですね。
- 前沢
- デザイナーの方です。
もう引退されているんですけれど。
- 伊藤
- 男性ですか?
- 前沢
- 男性です。
- 伊藤
- 大先輩なんですね。
きっと心配なさったんでしょう。
その方から、10枚のブラウスを作りなさいと‥‥。
それをどうしようと?
- 前沢
- 「とにかく、つくれば、俺が日本でなんとかする」と。
いきなりだったので「え?」と言ったら、
「ブラウスだったら自分で縫えるよね?」
「生地はどうすればいいんですか?」
「生地は問屋で買ってくればいいじゃないか」。
もう作るしかなくなって、
マルシェ・サンピエール(Marche St-Pierre)という、
パリの生地屋街で生地を買って、自分で縫いました。
- 伊藤
- すごいことですよ。
- 前沢
- でも、わからないんですよ、
「なんとかするって、どういう意味?」
って(笑)。
- 伊藤
- それもそうですよね(笑)。
- 前沢
- それが1994年の秋冬のことでした。
出来上がったブラウスを
日本の先輩のところに送ったら、
セレクトショップ向けのインポーターの展示会に
出してくださったんです。
- 伊藤
- へぇぇ。
- 前沢
- それで、ほんの少しですけれど、
オーダーをいただくことができました。
- 伊藤
- すごい。その先輩のおかげで、
パリに暮らしながら、
日本でデビューしたんですね。
- 前沢
- でも、大慌てですよ。
どうしよう、オーダーがついちゃった、
つくらなきゃ! って。
そんなことの繰り返しが、
5年間ほど、ありました。
- 伊藤
- その5年の間は、順風満帆だったんですか?
- 前沢
- いえいえ、もう、大変なことばかりです。
- 伊藤
- ‥‥ですよね。
ブラウスだけ?
それを日本で販売していたんですか。
- 前沢
- いえ、ブラウスだけじゃなくて、
パンツ、ワンピース、
コート、ジャケットなどのサンプルをつくり、
そのサンプルを担いで、もう今はない、
パリのレアール(Les Halles)の
すてきなセレクトショップに持っていったり、
ロンドンに持っていったりしていました。
そこでオーダーを受けたら、量産です。
その先輩からパリ近郊の工場を紹介していただいて、
そこに依頼するんです。
- 伊藤
- 前沢さんのパリ時代、すごいですね。
忙しい!
- 前沢
- でも、すごく楽しかったんですよ。
いろいろな経験と出会い、そして
友人たちもいろんな目標をもっていて、
毎日励まし合っていました。
ただ、あまりのたいへんさに、
「もうこれは続かないな」と思うに至りました。
自分でつくるには資金が底をつき、
2000年、日本に帰国することに。
- 伊藤
- そうだったんですね。
そこからは、どんなふうに?
- 前沢
- 誰かの役に立ちたい、と、
デザインオフィスを立ち上げ、
数社の企業からの契約をいただいて、
デザイン活動を始めました。
約15年間、その契約のお仕事を
やらせていただいていました。
- 伊藤
- 一つのブランドに絞って専属になるのではなく、
いろんなところからお声がかかったんですか。
- 前沢
- そうですね。
日本に戻ってきた時、30代半ばでした。
もう正社員としてはなかなか難しいと言われ、
自分でも専属デザイナーというイメージがつかめなくて、
「さあ、どうしよう」っていう時に、
その先輩が紹介してくれたインポーターが、
私がブランドを辞めて日本に来るんだったら、
オリジナルラインを業務委託で仕事をしてもらえないかと
オファーをくださったんです。
ありがたかったです。
その後、数社からお声掛けをいただきました。
その仕事がだんだん忙しくなり、
ひとりじゃできなくなって、
アシスタントやアルバイトを雇い、
4人でやっていた時もありました。
- 伊藤
- じゃあ、日本に帰ってきてからも、
経済的には安定したけれど、
あいかわらず大忙しみたいな?
- 前沢
- はい、大忙しでした。
海外ブランドの日本用ライセンスラインのお仕事も
やらせていただいていました。
パリ、ロンドンに、年に3回位出張し、
MDとともに先方のApproval Meeting(承認会議)に
出席していました。
その仕事を紹介してくれた方は、
「前沢は、外国人慣れして、
度胸もあるし、行けるよな?」みたいに言うんですよ。
私も「まあ、それは大丈夫だけど」って(笑)。
- 伊藤
- すごい。たしかに度胸がありますよ。
それが、いつまで続いたんですか。
- 前沢
- 2013年まで、忙しい状態でした。
- 伊藤
- すごいことですね。
外国でビジネス的な会議にも
出られていたって。
- 前沢
- 現地では、ずいぶんしごかれましたけど(笑)。
「君は私達の文化のこと、わかっていない」って。
「いや、わからないですよ、私?」みたいな応酬。
- 伊藤
- それはそうですよね。
- 前沢
- 「だって、イギリス人じゃないもの!」
「じゃ、君はフランス向きだな!」
「いやいや、私、日本人です!」みたいな。
今では笑い話です。
- 伊藤
- すごい(笑)。
- 前沢
- そうこうしているうちに、
2011年、東日本大震災が起こり、
それを機に、私が大切にしていたアシスタントが
結婚をして東京を離れる事になりました。
もちろん喜んで送り出しつつも、ひとりになり、
「さあ、どうしよう」。
そこで、それまでの仕事を、
彼女に引き継いでもらい、
私は一回、ひとりになって、今後を考えようと。
その時40代後半でした。
そこからです、L’UNEの立ち上げに動いていくのは‥‥。
L’UNEのプリーツブラウス
「今」の自分と
年齢を重ねるごとに、
似合うものがなくなった!
なんて方は多いと思う。
昨日まで着ていた服なのに、
鏡に映った自分の姿にしっくりこない。
「50歳の壁」なーんて言いますが、
私ももちろんその「壁」にぶつかりました。
最初は愕然とし、
あたふたと慌てて、
それから、しょうがないよねなんて開き直り。
今は、うまくつきあっていくしかないものね‥‥と
気持ちが落ち着いたところ。
年は遡ることはできない。
抗いすぎるのもいやだけれど、
どうせならば「今」の自分に似合うものを、
少しずつでいいから探して、
身につけていきたい、そんな風に思っています。
私の周りには、
壁を乗り越えた大人のすてきな女性がたくさんいますが、
その方々が身につけているのが、
L’UNE(リュンヌ)の服。
大人っぽくてエレガント。
素材の使い方や、
ちらりと見える肌の分量などが絶妙。
なにより、私たちを
美しく見せてくれるところがありがたいんです。
今週のweeksdaysは、
ブランド当初から支持を受けているという、
L’UNEの顔のプリーツブラウス。
コンテンツでは、
デザイナーの前沢祐子さんにお話を伺いました。
着ている人をきれいに見せてくれる、
プリーツブラウスの秘密が明らかに!
どうぞおたのしみに。
人が住む最北の地の現在
人が暮らす世界最北の街、
スヴァルバール諸島に、
冬と夏の二回、訪れたことがある。
空港がある街はロングイヤービーエンという
比較的洗練された街なのだが、
ぼくがいつも思い出すのは、
バレンツブルグという炭鉱の街である。
バレンツブルグの周囲には道路がなく、
冬はヘリコプターかスノーモービル、
夏は船でしか行くことができない、
文字通り“陸の孤島”になっている。
この街は、入口に石炭工場があって、
ぼくが訪ねた冬も夏もどちらも、
工場の煙突から黒煙が高々と上がっており、
いつもその煙を遠くから見ながら
「ああ、こんなところに人が住んでいるんだな‥‥」
と思いながら、街に近づいていった。
こうした工場や炭鉱を運営しているのは
ロシアの国営企業で、
スヴァルバール諸島自体はノルウェーに属しているのに、
この島だけはミニ・ロシアのようになっていて、
住民もロシア語を話す。
2017年、この街に立ち寄った際、
公民館のような場所で故郷の服をまとった
6人の女性たちに踊りを見せてもらった。
おそらく異国から訪ねてきたぼくたちに
歓迎の意味合いで披露してくれたのだと思うのだが、
人影の少ない荒涼とした街の印象とはおよそ異なる、
赤いフレアラインのワンピースに、
作り笑顔を浮かべていかにも陽気に踊る女性たちは、
バレンツブルグ全体に漂う一抹の寂しさを
さらに強調しているようにも感じられた。
ショーの後、写真を撮らせてもらいながら
彼女たちに話を聞くと、
そのほとんどがウクライナからきた
炭鉱労働者の妻たちであることを知った。
このバレンツブルグは、
ロシアとウクライナの炭鉱労働者が
何十年も肩を並べて働いてきた街で、
鉱山はもちろん、小さな店やレストランに至るまで、
ロシアの国営企業の傘下にあったのだ。
1980年代のピーク時には
1500人ほどの人が暮らしていたらしいが、
ソビエト連邦の崩壊とともに人口は減少の一途をたどり、
現在の人口はわずか370人ほどで、
その3分の2がウクライナ人である、という。
ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって
ぼくが真っ先に思い出したのは、
バレンツブルグに暮らすあのウクライナ人のことだった。
戦争がはじまって以来、
スヴァルバール諸島の公式観光サイトから、
バレンツブルグへの観光情報の一切が削除され、
ロングイヤービーエンの旅行会社のほとんどは、
バレンツブルグへの観光客誘致を中止してしまった。
さらに、西側諸国のロシア系の銀行への制裁によって、
スヴァルバールに暮らすロシア人や
ウクライナ人の炭鉱夫たちは
家族に送金することもできなくなり、
島を離れる人が相次いでいる、
というニュースもつい最近目にしたばかりだ。
北極点から1000キロほどの距離ある、
あの辺境の街にも戦争の影響が及んでいる。
いや、そういう遠く離れた小さな街にこそ、
強大な波が到達するのかもしれない。
寒空に舞う工場の煙と女性の笑顔を思い出しながら、
今も侵攻に晒されている人々のことを考える。
ぼくは、徹頭徹尾、戦争には反対だ。
白の気配
都会から離れて、
この冬初めて山の中の家で過ごしています。
名前も知らなかったこの土地に導かれ、
半年後に今の家との出会いがありました。
想像していたこととは少し違うし、
想像以上のことも起こる。
一筋縄ではいかないこの運命が
ようやく気に入ってきたところです。
しかし、標高850Mの暮らしに慣れるまでは
少々時間がかかりました。
ゴミを捨てるのに坂道を登るだけで息が切れ、
圧倒的な自然や生物に対しての
未熟さを感じられずにはいられない日々。
ハーブ畑もお世話のしやすい庭へと移し、
春を待ち侘びているところです。
まだまだ手がかりの少ない中で、
昨年の今頃はどんな景色だったか、
昨日より今日はあたたかいかそんなささいなことや、
目を閉じて太陽のぬくもりを感じとることが
私を支える日課のようなものになりました。
田舎町の片隅でいつも似たような格好をしているうちに、
おしゃれが下手になりましたが、
選択肢を減らすと良いこともあり、
ふと時間が余るのです。
以前から寒い季節になると、
パールのピアスや、白いタートルネック、
白いストールなどを身に纏うことが特別好きでした。
白いものを身につけ
お守りのようにしているのかもしれません。
環境が変わった今は、
身につけるときめきより先に、
そこかしこから白の気配を感じることが多くなりました。
朝陽がのぼる前の空の蒼い白
ハンモックのように冬眠する虫たちの隠れ家
霜が降りたシャリシャリの土の上
お向かいさんの薪ストーブの煙
満月の白
そう、今の家では満月の日になると
浴槽の窓から月の光が差し込みます。
冬の最も寒い日、
電気を消してその光だけでお風呂に浸かってみたら、
水面に映る月光が自分の呼吸に合わせてゆらゆらと
白いネオンのように静かなノイズをみせてくれました。
白の気配を全身で受けとる時間は、
ひそやかな瞑想のようでした。
余った時間に、
私はいくつの白を知ることができるだろう。
余白という言葉の美しさにも気がついた冬です。
写真:新保慶太
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
2月2日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
なお、材料の高騰により、
今回販売分より価格が変更となります。
DELIVERY TOTE
SMALL ENAMEL(BLACK)
※DELIVERY TOTE MEDIUM ENAMEL(BLACK)の
再入荷はありません。
白いシャツにデニムもいいし、
コットンのワンピースもいい。
これからの季節は、
ちょっとざっくりしたニットと合わせても‥‥。
一年を通して持てる、こんなバッグが欲しかったんです。
weeksdaysオリジナルは、
持ち手の端を内側にし、よりシンプルに。
それから、
バッグ本体と持ち手を留める金具を
シックなゴールドにして、
大人っぽい仕様にしました。
(伊藤まさこさん)
BAGUETTE TOTE ENAMEL(BLACK)
持ち手はひとつ。
肩かけできるすっきりとしたフォルムが美しいバッグです。
ちょっと深めなこういう形ってなかなかない。
持っていると、
「どこの?」なんて聞かれることまちがいなしです。
エナメルの持つ、
上質で、軽やかな質感をたのしんでください。
(伊藤まさこさん)
雪がひらひらと降りてきて
鼻の奥にピリリと冷たい空気を感じる季節が来ると、
待ってました!
と言わんばかりにはりきって
身に付けるものたちを並べる。
季節の変わり目の時にそっとあたためておいた
白い靴、白いストール、白いバッグ!
幼い頃は山と川に囲まれた田舎に育ったせいか、
体力の限界まで野山をかけめぐっていた毎日で
洋服にはかなり無頓着だった。
ただとっておきの時はのぞいて‥‥。
子供の頃、父の仕事の関係で年に一度
大勢の大人が集まるクリスマスパーティー
というものがあった。
来ている人たちは今思うと年配のおじさまおじさま、
またおじさま。
そんなおじさまたちに混じってお洒落をしていくのが
とっても楽しみだった。
スタイルは黒いワンピースに
真っ白な小さなファーのケープ。
ボタンはなくて、内側にピンクの布で包まれた
ホックがついていた。
肩にちょこんと乗ったシンプルなケープが可愛く、
そして誇らしくて
コートもなしで出かけて行った。
雪がひらひらと降りてきて、
ファーの上に優しく落ちた結晶をずっと眺めては
夜空の中歩き回っていた。
翌年もまた翌年も
真っ白いケープがきゅうくつになるまで、
毎年それぞれのコーディネートを楽しんでいた。
幼い頃に形成された好みというのは
面白いことになかなか変わらないもので、
買い物に出掛けた時に
「これってどの色を合わせたら良いと思う?」
という質問に
「白じゃない?」
冬に白? 今冬だよ?
と毎回驚かれるが、冬の白もコーディネートを
考えるととてもハンサムになるので
ついつい力説してすすめてしまう。
白は白でも冬の光にあう白は、素材が大事。
夏のナチュラルコットンやリネンは夏の太陽におまかせして
冬はとびきりフワフワしっとりしたようなカシミア、
反射するようなエナメル、
青みがかかったくらいのいさぎよい白い革を選びたい。
ふと今日着ている服をみると、
冬のロングコートに白いストール、
ぐるりと白いラインの入ったショートブーツ
そして白いバッグ、
うん、間違いない。
TEMBEAの白いエナメルバッグ
冬の白
出かける前、チェストの一番上の引き出しを開けて、
リネンのハンカチを1枚取り出します。
ぴしりとアイロンがけされたものが10枚並んだ様子は、
清々しくて、
見ているだけで気持ちがいい。
そういえばと見渡すと、
タオルやキッチンクロス、シーツ、寝室の壁‥‥
いつも近くにいて欲しい色は、白。
「気持ちがいい」のももちろんなんだけれど、
「一から」とか「まず」なんて、
気持ちになるからかな。
白って他の色にはない魅力があるんです。
そうそう、今、書いているテーブルの傍らに置いている、
日めくりカレンダーも今日は雪景色の写真。
いいなぁ、やっぱり冬の白。
今週のweeksdaysは、
TEMBEAのバッグ。
好評だった黒に加えて、白が登場します。
もこもこニットに、
白い靴。
手にはエナメルの白いバッグ。
冬の白いおしゃれをどうぞ。
器にとっての色気とは
- まさこ
- 作風が変化した頃のこと、
環さんの奥様の香緒里さんにも訊いてみたいです。
いまいらっしゃいますよね、おとなりに。
- 香緒里
- いますよ~! まさこさん、こんにちは。
- まさこ
- 香緒里さん、こんにちは!
その頃の環さんのこと、
どう思って見ていらしたのか教えていただけますか。
「何を言ってるんだ、この人は」みたいな?
それとも「こういうのをつくる
気持ちになるのはわかる」みたいな、
自然な流れだったんでしょうか。
- 香緒里
- 自然‥‥、そこまでは、すごい薄づくりの、
冷たい感じって言うか、まあ都会的な感じの
ものだったんですけど、
それが馴染まないように思ったんでしょうね。
- まさこ
- それは、年齢も関係していたっていうことでしょうか。
- 香緒里
- 年齢と、住んだ所‥‥、
子どもが生まれたときにいた三崎って、
とってもオープンな所だったんです。
そこで子どもが生まれたことがちょうど合わさって、
‥‥そうですね、自然、でしたね。
私は、そんな、驚くとかは、なかったです。
- 環
- わかりやすく言うと、
(器の)口がポテッと分厚くなったんですよ。
今まで薄かったのに。
で、あまりに作風が変わったものだから、
急に売れなくなったんですよ(笑)。
- まさこ
- ええ? そうなんだ。
- 環
- そうなんです(笑)。
お客さまが僕をイメージしていたのと違うから、
「伊藤環はこうじゃない」みたいな(笑)。
- まさこ
- でも、売れるものをつくりたいわけじゃなくて、
つくりたいものがつくりたいっていうこと‥‥?
- 環
- んー、そのバランスは大事だとは思うんです。
- まさこ
- もちろん、そうでしょうね。
- 環
- 売れるために、
無理してつくる必要はないと思っています。
できるだけ気持ちに沿ったものをつくろうと思いつつ、
ちょっとは人の顔色も伺います(笑)。
- まさこ
- そうなんですね(笑)。
- 環
- それで、震災後に岡山に移ってきたんですが、
太平洋だった三崎から、
今度は瀬戸内海を感じながら過ごすんですよ。
海の質がそのまま風土に影響してるんですよね。
ちょうど僕、40になった頃で、
たぶんアドレナリンの量が少しずつ減少していき。
- まさこ
- ええーっ?
- 環
- 厄年を迎えて、闘うことに疲れ始め。
- まさこ
- ええっ、ハハハハハ(笑)。
おもしろーい。疲れ始めたんだ!
- 環
- 岡山でろくろをやってると、
目の前に細い川があって土手があるんですけど、
土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く景色があるんですよ。
- まさこ
- 「土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く」って、
ふるい映画のなかの風景みたいです。
それが、今もあるんですね。
- 環
- 本当にあります。
おばあちゃんが昼間、
日向ぼっこがてら乳母車を押してる。
- まさこ
- そもそも「乳母車」がなくなっていますもの。
- 環
- そうなんです。もうかなり年季の入った
乳母車を押してる。
で、そのおばあちゃんを見てたら、
闘う気力を失うというか、吸い取られていく。
バカバカしくなる。
- まさこ
- そうなんだ。
- 環
- マイペースで、ちゃんと生きていけばいいんだって、
いろいろ考えてね。
- まさこ
- 環さんの歴史を一回振り返っていいですか。
そのエッジをきかせた作品づくりをしてたとき、
そこの工房に中里隆さん(*)がいらして、
その中里さんの器を見て、
すごく影響を受けたって聞いた覚えがあるんですけど。(*)中里隆(なかさとたかし) 陶工。佐賀の唐津に工房「隆太窯」をひらく。
世界各地で窯を築き、作陶を続けている。中里太亀さん、中里花子さんの父。
- 環
- 20代の頃、福岡時代ですね。
その頃はオブジェ的なものをつくってたんだけど、
中里隆さんには、
僕が器をつくるきっかけをいただきました。
僕、1990年に大阪芸大に進学するんですけど、
当時、バブル崩壊後ながらまだ景気がよくて、
焼き物業界の主流っていうか、花形は
オブジェの世界だったんですよ。
そういうものに大学に入って初めて触れて、
もう焼き物はオブジェつくらないと作家じゃないとか、
僕、勘違いして始まるんです。
だから、大学を卒業しても、
オブジェをやらないと作家じゃないっていう使命感に
ずーっと縛られていました。
で、大学を卒業して、実家に帰りたくないんで、
修業だとか言ってブラブラしてるときに、
「陶芸の森」っていう、信楽にある焼き物の施設に
中里隆さんが招待作家としていらしてて、
僕もたまたまそこに居合わせたんですよ。
で、そのときの中里隆先生の、
──もう先生と呼んでましたけど──、
先生のろくろをする姿を初めて見て、
ろくろをする人がカッコいいっていうのを、
初めて思ったんです。
僕の父親も陶芸家ですけど、思わなかったのに(笑)、
中里先生を見て「惚れた」んですよ。
めちゃくちゃカッコよかったです。蹴(け)ろくろ。
- まさこ
- お父さまと何が違ったんでしょうね。
- 環
- 物心ついたときから、
蹴ろくろ、僕は見てたんだけど、
別の雰囲気があったんでしょうね。
具体的にわからないんですが。
- まさこ
- そうなんですね。
- 環
- で、ある日、先生が信楽で酒を飲んで帰ってきたんです。
なのにその日のうちに絶対にやらないといけない
仕事があったものだから、千鳥足でろくろに座って、
酔っ払って足もフラフラしてるから、
蹴ろくろがうまく動かないくらいなのに、
絶対に手元は狂わないんです。
そこに、なにか、色気というか、
やられちゃいました、
「あ、器って、カッコいいなあ」と。
そして出来上がったものはとても色気のある器で、
その色気にやられちゃったんですね。
色気というものを初めてハッキリと意識した。
で、それから自分のろくろの手さばきはやめて、
中里隆先生の模倣から入っていくんです。
それでオブジェを捨てることができた。
- まさこ
- それで、環さんは自分も色気のあるものがつくりたいと。
- 環
- 実際のところ、自分じゃわからないです、
つくったものに色気があるとかないとかは。
- まさこ
- ああ、そうかもしれませんね。
- 環
- それはわかんないけど、
もしつくれるならば、理想としては、
そういったものができるといいなあと思います。
で、その後、いろいろ諦めて、
実家に帰りました。そこからはもうろくろ三昧です。
- まさこ
- じゃあ、その後、結婚して三崎に行って、
今は岡山に移ったということですね。
家を出るときお父さまはどんなふうに?
- 環
- 僕が出て行くって言ったときは、
母親は「あんたは出てって
自分の好きなようにやった方がいい」って言ったんですが、
父親は便利な弟子がいなくなって
急に自分で全部やらないといけなくなるからと、
ものすごく怒ってました。
だから喧嘩して飛び出したような形ですよ。
- まさこ
- その後、お父さまとは?
- 環
- まさこさんが、食器棚の取材で、
雑誌で僕らの暮らしを
取り上げてくださったじゃないですか。
それを父親に送ったんですよ。
「出たよ」って言ってね。
直接の感想はなかったけれど、
僕の友達が実家に遊びに行ったとき、
父親が雑誌を取り出して
自慢してたって言ってました。
- まさこ
- よかった!
- 環
- こんなふうになっていることを、
ちょっとくらいは喜んでたんじゃないでしょうか(笑)。
一言も言わないまんま逝っちゃいましたけど。
- まさこ
- そうかあ。それは、だって、うれしいですよ、
息子が自分と同じ職業を選び、
人気作家となったって。
- 環
- 人気作家(笑)! そんな。
- まさこ
- 絶対、絶対うれしいと思う。
- 環
- どうやら「食えてるらしい」っていうことで
ホッとしたみたいです。
- まさこ
- お父さまも、それでやっと
自分の所を離れたっていう気に
なられたのかもしれませんね。
- 環
- そうかもしれませんね。
まあ、安心はしたかな。
- まさこ
- 環さんは「ほぼ日」に初登場になるので、
どんな人がつくってるかっていうのは、
とっても大事だと思い、
半生記をお聞きしました。
すごく面白かったです。
- 環
- どの辺りがおもしろかったです(笑)?
- まさこ
- わたしは、都会で人工物に囲まれて、っていうお話。
先日、別の仕事で昭和のおもちゃを集めたんです。
それを並べて撮影をしているとき気づいたんだけれど、
昭和のおもちゃって、丸みがあるんですよね。
ちょっとなんかホッとする手触りがある。
素材も紙や木が中心。
そのうちセルロイド、樹脂、プラスチックが
出てくるわけですが、
今のおもちゃってもっと、なんていうのかな、
自然に還らない感じがしますよね。
かつては自分だってそれで遊んでたんですよ。
そしていまふたたびホッとするものに
自分がちょっとだけ向かってる。
なぜなのか、わからないんですけれど。
- 環
- 年齢も大きいでしょうけど、
いろいろ疲れている、ということも
あるかもしれませんよ。
- まさこ
- でも、環さんが作風をがらりと変えたようなことは、
わたしにはないと思うんです。
スタイリングの作風はまったく変わっていないし、
これからも変わらなそうな気がします。
- 環
- まさこさんの形が出来上がったんでしょうね、きっとね。
ある程度出来上がってきたら
変える必要もないと思うので、
- まさこ
- 出来上がったのは30年くらい前からなのかな‥‥、
でも、仕事を始めて30年くらい経ってるって、
恐ろしいなあ!(笑)
- 環
- やっぱりまさこさん、好きなもの
はっきりされてるじゃないですか。
- まさこ
- そうですね。
- 環
- ブレない。
人の言うことは聞かないわけでしょう?
- まさこ
- そんなことないですよ!
聞きますよ、聞いてますって(笑)。
‥‥あ、でも、「えっ」って思った違和感に関しては、
「やっぱりそれちょっと」って。
- 環
- そう。僕のまさこさんの印象は、
はっきり意見を言われるということです。
- まさこ
- あ、そうなんだ。
- 環
- 決断が早いし、
人のいいと思った方向の流れを壊さない。
今回の箸置きなんかまさにそうでした。、
チームの皆さんの知らないところで
ふたりでどんどん決めちゃいましたが。
- まさこ
- ふふふ(笑)。環さん、ありがとうございました。
販売されたあと、どんな反応をいただくか、
わたしもたのしみです。
- 環
- ありがとうございました!
ほぼアートピース
- まさこ
- 完成品を見て驚きました。
いったいどうやってこんな模様ができるんですか。
マーブル状になってるものとかもありますよね。
企業秘密でなければ。
- 環
- あ、いや、たぶんこれ、
見る人が見たらすぐわかるんですけど、
ただ土を混ぜてるだけなんですよ。
2種類の土をブレンドしているんです。
- まさこ
- なるほど。
- 環
- 僕はいろんな土を使うので、
手持ちの土でできることを、と、
いろいろやり出したら、
いろんな色ができました。
完全に混ぜ合わせたものと、
途中で混ぜるのをやめたものとがあって、
途中でやめるとマーブルっぽく、
完全に混ぜると御影石みたいになるんです。
- まさこ
- ほんとうにいろんなタイプの模様が!
- 環
- 焼き方にもよって色が変わるんですよ。
酸化と還元で焼きを変えると
色味が変わるとか。
- まさこ
- 同じ配合の土でも
焼き方を変えたり?
- 環
- はい。そうすると、
さらにバリエーションも広がっていくし、
もうキリがないです。
土を3種類、4種類、混ぜていくことになったら、
もうかなりのところまでできる。
だから、どこで止めるかっていうのが
むずかしいんです(笑)。
- まさこ
- 土の塩梅とか焼きの違いとかは、
どうやって考えるんですか。
急に閃いて、こうしてみようかな、
ああしてみようかなみたいな試行錯誤?
- 環
- 今回、「weeksdays」のための箸置きづくりは、
結局、土を3種類選んだんです。
鉄分のないものと、
磁器に近いもので赤い鉄分を含んだ土、
そして黒い土の3種類。
そこから選んだ2種類の土を、
それぞれ2:8または5:5で掛け合わせる。
白磁と白泥が半々のものは、
本当は白い土だけど、
微妙に色のトーンが違うので、
ちょっとグレイッシュな感じと、
より白っぽいものとができたり。
- まさこ
- 触った感じも、ちょっとツルッとしてるものから、
ザラっとしてるものもあって。
その触った感じの違いは?
- 環
- 器に使える土をそのまま使ってるんで、
磨かなければザラザラだし、
きれいに磨くとツルツルになりますね。
- まさこ
- 釉薬はかけてないってことですよね。
- 環
- 無釉です。
うちはガス窯なので、
灰が被って釉薬になることもなく、
本当に土の色そのままです。
- まさこ
- その試行錯誤は楽しかったんでしょうか、
それとも、苦しかったんでしょうか(笑)。
- 環
- こんなふうにいわゆる粘土細工をするのって、
焼き物ではあんまりないんです、僕。
だから、すごく楽しかったです。
- まさこ
- あ、よかった!
- 環
- はい(笑)。
- まさこ
- 器をつくるときとは、全然違いましたか。
- 環
- 箸置きと石ころの要素が2つ合わさって
今回の箸置きにならないといけないじゃないですか。
だから、どこかで箸が転がっちゃまずいなと
思ってるんだけど、あんまり考えると
全部同じ形になりかねないので、
そこは注意しましたね。
いっぱい並んで、型で押したみたいな石ころって、
気持ち悪いじゃないですか。
だから、できるだけ違うようにと思うんだけど、
今回300個とか作ると、手が上手になって、
最後、形が揃うんですよ。
得意仕事になっちゃうんです(笑)。
- まさこ
- なるほど、そうか。
- 環
- だから「いかに粘土細工をするか」っていうのが
一番の課題でしたね。
いかにふだんの仕事を忘れるか。
- まさこ
- 「あ、きれいになってる」
みたいになっちゃうんだ(笑)。
- 環
- うん、それは、まずいと。
- ──
- (笑)いつもと逆。
- まさこ
- 「いかにもつくったもの」じゃなく。
そういう意味で、わたしたちは、
「実用的な箸置きを買う」だけじゃなく、
「環さんの作品を買う」楽しさがあるんです。
極端なことを言えば、お箸置きとしてだけじゃなく、
棚にちょっと飾ったりだとか、
そういうアート作品としても価値があると。
- 環
- ありがとうございます。
- まさこ
- ポンポンって飾るだけでもうれしい。
そういう楽しみが提案できたらいいのかなって、
できあがったものを見て思いました。
「小っちゃい作品を買う」みたいな雰囲気ですね。
もちろん、今回のコンテンツを通じて
初めて「伊藤環」という陶芸家に
出会う人もいらっしゃるから、
「これ、いい感じだな」と思っていただけたら、
「こんど、環さんの器を買ってみようかな」と、
今までとは逆の入り方もあるのかなあって思ってます。
- 環
- 石ころを僕はつくったことがなかったんだけど、
「ほぼ日」の読者のみなさんは
「石ころの伊藤環」と思うかもしれない(笑)。
- まさこ
- それは思わないですよ(笑)!
でも嬉しかったですよ、
「ほぼ日だったら石で行こう」って、
決めたときのこと、憶えてます。
盛り上がりましたもん。
- 環
- まさこさんからのお話っていうのが
すごく僕はおもしろかった。
自分だけじゃできないことっていっぱいあるんですけど、
これがまさにそうで、
自分の枠からちょっと離れた所で
仕事ができる機会っていうのは、
ほぼ日とご縁があったから生まれた話だし、
さっきおっしゃったように、
僕も焼き上がって並べたら、
これはほぼアートピースだなと思ってました。
箸置きとしてだと、
高い、安い、そういう印象がみなさんそれぞれ
お持ちだと思うんですが、
アートピースだと思って
おもしろがってくれるといいなあと。
2個でワンセットで販売をしますが、
10個くらい並べたらかわいいんですよ。
- まさこ
- まさしく、そう!
- 環
- 器のような「道具」をつくると、
どうしても職人の方に偏るけれども、
こうしてできるだけ無邪気につくるときには、
アートの気持ちがどこかにあったと思います。
- まさこ
- わたし、もともとは
「用途のないもの」が
あんまり好きじゃなかったんですよ。
飾るにしても、素敵なピッチャーをポンって置くとかで、
アートピース的なものは全然持ってなかった。
それがここ数年、なんでもないものが家に中にあると、
大きな心のゆとりができるんだなぁ、ってわかって、
「なんでそんな用途にこだわってたんだろう?
用途のあるものじゃないと嫌、
みたいに言っていたんだろ?」
なんてことをなぜわたしは今まで
言ってたんだと思って(笑)。
- 環
- 人が暮らすところが都市化が進んでくると、
意味のないものじゃなくて、
ちゃんと人の考えたものが
周りに集まってきますよね。
そういった都市の中で生活してると、
自然のものって、けっこう排除されがちというか、
邪魔になるんですよ、土や砂利の地面とかね。
で、そういったことが生活の中に浸透してきていて、
「人間の生活には本当に無駄なものはいらない」
という発想がしばらくあったと思うんです。
すこし前に「断捨離」が流行ったけど、
断捨離って、無駄を省いてミニマムに暮らす作業。
その中で何が無駄なものかっていうと、
自然に近いものだったり、
あってもなくてもどっちでもいいもの。
でもね、作家の器が流行ったりするのは
自然素材のものを取り入れようっていう
気持ちがどこかにあるんじゃないかと僕は思ってるんです。
本来の人間っぽく生きる、というか。
- まさこ
- うん、うん。
- 環
- この箸置き、一所懸命、何も考えずに、
「石ころつくろう」と思ってつくったんだけど、
そういったものが、都市の、人が考えた世界にあるのは、
ちょっといいと思いましたね。
- まさこ
- なるほど。
今ここでわたしたちがいる東京と、
環さんたちが住んでいる所とは、
ずいぶん環境が違うじゃないですか。
もともと神奈川から岡山に引っ越したでしょう?
その土地を移す変化っていうのは、
つくるものに変化を与えましたか?
「このままじゃいけない」
みたいな気持ちもありましたか?
- 環
- うん、環境と年齢は
つくるものにすごくリンクしてると思うんです。
- まさこ
- 年齢も。
- 環
- そんな気がするんです。
僕は若い頃、結婚するくらいまでは、
田舎の実家‥‥信号機がないような所で
生活をしてたんです。
福岡の秋月っていう所なんですけど、
そのときは、都会に憧れて、
すごくエッジのきいた、
かなり尖った器をつくってたんです。
それが30代に入って、今度は三崎(神奈川)に住んで、
そのときはいろいろチヤホヤされながら
仕事が増えていって。
- まさこ
- チヤホヤ(笑)。
- 環
- 場所柄、都会に出ることが増えていくんだけど、
それと比例して、
かなり戦闘力が増した戦闘的な器が増えていくんですよ。
- まさこ
- へえーっ。
- 環
- で、子どもが2009年に生まれたとき、
急になんだか、
尖ってた器をつくってた、
都会に憧れていた田舎の陶芸家の仕事が、
急に痛々しく見えたんです。
- まさこ
- それは客観的に見てそうだったんですか。
- 環
- いえ、主観的に見て。
「昨日までの俺のつくったやつって、
なんて闘ってるんだ」と思ったんですよ。
- まさこ
- へえ~っ、昨日までって、いきなり?
徐々に「う~ん‥‥?」って思ったんじゃなくて?
- 環
- じっさいは1か月くらいでしたけれど、
ガラッと変わりましたね、脳内が。
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
1月26日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
なお、材料の高騰により、
今回販売分より価格が変更となります。
磁器のオーバル皿
(石灰釉 小・土灰釉 小)
※丸皿(石灰釉)の再入荷はありません。
オーバル皿の色は、天草の白い陶石を生かして、
まっ白のものと、
土灰釉という釉薬をかけた、
ちょっとうすいブルーがかったものの2色です。
すっきりとしていて美しく、
繊細な表情をしています。
料理を盛ってテーブルに置くと、
その場所の空気がきりりとする。
少し緊張感があるところも気に入っています。
リムの内側にあるラインは、
時に「料理はここまでね」という境界線になることもあれば
(チャーハンを盛った時のように)、
その境界線を飛び越えて、盛りつけることも
(グリーンの蒸し野菜の写真のように)。
デザインでもあり、
またデザインを感じさせないさりげなさも併せ持つところは
さすが、猿山修さんのデザインです。
また、お箸もナイフやフォークなどの
カトラリーとも合うのが、
この器のよいところ。
和にも洋にも、中華やちょっとエスニック風など、
あらゆる料理を受け止めてくれる、
懐の深い器です。
(伊藤まさこさん)
手で石ころをつくりました
- まさこ
- (オンラインで)
こんにちは、環さん。
あれ? ……そちらは、工房ですね?
以前お伺いしたお家と雰囲気がちがいます。
- 環
- はい。今、工房に来ています。
ろくろの前なんですよ。
今まで手を動かしていたんです。
- まさこ
- すごい!
- 環
- 予定通り終わらなかっただけなんです(笑)。
- まさこ
- ご近所だという
木工家の山本美文さんがおっしゃっていましたよ、
「環さんの工房は、
けっこう夜遅くまで灯りがついています」
って(笑)。
- 環
- そうなんです!(笑)
今回は、お世話になります。
- まさこ
- こちらこそ、
このたびはありがとうございました。
どうでした? 箸置きをつくってみて。
いちばん最初は‥‥わたしが、
急にメッセージを送った気がします。
- 環
- そうだった‥‥かな?
たしか、「weeksdays」で
お箸をつくられたタイミングでしたよね。
最初は、それに合わせて箸置きを、
っていうお話だったんだけど、
その時は間に合わなくって。
- まさこ
- 全然いいんです。
- 環
- そのとき、まさこさんに訊いたんです。
「どんな箸置きか、イメージはありますか」って。
そうしたらいくつか写真を送ってくださった。
そのやりとりのなかで、
まさこさんが、石ころを5つ並べて、
お箸をそこに置いた写真があって。
- まさこ
- そうでしたね。
「箸置き」然としていなくても、
小っちゃくて安定していて、
箸を置くことができれば
それは箸置きになると思っているんです。
- 環
- それで「あ、石ころならできるかも」と思って。
- まさこ
- そうでしたね、思い出しました。
「石、おもしろいね!」って盛り上がりました。
- 環
- ちょうど自分に石ブームが
あった頃だったと思うんですよ。
- まさこ
- 石ブーム? 環さんに?
- 環
- ディフューザーっていうか、
部屋のフレグランスのための
石のような陶器ってあるじゃないですか。
- まさこ
- それ、知ってます。
- 環
- それで、陶器で石をつくる工場があることを知ったりして、
ちょっとだけ自分のまわりでブームになっていたんですよ。
- まさこ
- そうなんですね。そんなタイミングで
わたしが本当の石を箸置きにしてるのを見て、
「これをつくってみよう」と思ってくださったんですね。
環さんはそれまでにも、たしか、
石のような陶器をつくったことがおありですよね。
わたし、前に、器の土が余ったからと、
小っちゃいなにかの作品を見せていただいた記憶が。
- 環
- うーん、あったかな?
鉄の釘を箸置きに見立てて、
陶器でつくったことはあるんですけれど。
‥‥あっ、うんと小さいお皿じゃないかな。
小皿の、さらに小っちゃいやつ。
- まさこ
- あ、そうです! それです。
それで「これ、箸置きにもなる」って思ったんです。
- 環
- そうそうそう! ろくろを終えて、
ほんのちょっとだけ粘土が余ったときに、
本当に小さいものを、無理やりつくったんですよ。
もう豆も豆です、豆3粒くらい、
梅干し1個のサイズのお皿です。
そっか、それを見たまさこさんが、
僕に、なんとなく小っちゃいものをつくるイメージを
持ってらしたのかな。
それでお声掛けくださったんですね。
やっと理由がわかりました(笑)。
- まさこ
- (笑)でもその小っちゃい中に、
環さんのつくる陶器の、
肌の感じが出ていて、
すごくいいなあって思ってたのが頭にあったことを、
今、思い出しました(笑)。
箸置きって、普段の食事でいつも使うという人は、
もしかしたら多くはないかもしれないんですけど、
お箸をちゃんと箸置きに置くと、
お行儀よく見えますよね。
- 環
- テーブルセッティング、とまではいかなくても、
そういうことってありますよね。
でも、まさこさんに言われなかったら、
石に手を出さなかったかも?
でも「いいな、おもしろいな」と思っちゃった。
さっき言ったように、陶器で石をつくること自体は、
先にほかの工場がやったことなので、
自分がやるのはどうも不本意だと思ったんだけれど、
「でも、まさこさんが言うんだったら、しょうがないか」
‥‥とか言って(笑)。
- まさこ
- そうだったんですね。
- 環
- 箸置きとして陶器で石をつくるのなら、
ちょっとおもしろいなと思って。
- まさこ
- よかった。
じっさいの製作にあたっては、
試行錯誤はおありでしたか。
- 環
- はい、いざ「石のように」つくろうとすると、
なかなか難しいものなんですよ。
それでも箸置きは、
ずいぶん石に近づいたものができました。
けれどもおもしろいのが、
最近、ペーパーウエイトみたいな大きなものを
つくってみたんですが、
ものすごく薄っぺらい、粘土っぽい、
まるで石に見えないものができちゃったんです。
大きいと、石ころっぽくするのに無理がある。
そこで、山本美文さんにお願いして、
分けていただいたものがあって、
それを使って‥‥。
- まさこ
- えっ、それは、企業秘密‥‥?
- 環
- そっか、これ、記事になるんだ(笑)。
たしかに企業秘密なんだけど、まぁいいかな。
「おがくず」を貰ってきたんです。
それを少し土に混ぜて使うと、焼いたら木が燃えて、
その部分だけはポツポツ穴があくんじゃないかなって。
- まさこ
- ああーっ! なるほど!
- 環
- それが、わざとらしくない質感になれば
おもしろいなと思って、
より石のテクスチャーに近づけるために
木のくずを混ぜてみようかなって思ったんですよ。
今まだ完成していないんですが、
うまくいったら「大きな石のような陶器」が
できるかもしれません。
- まさこ
- へえ~っ。
それはまさしく「作品」ですね。
- 環
- はい、作品をつくってる感じです(笑)。
- まさこ
- この箸置きについては、
最初のサンプルを送っていただいたなかに、
いかにも箸置きという四角い(直方体の)ものも
つくってくださっていたんですよね。
それを見て、わたしと環さんが電話で話して、
「いっそ石でよくない? ていうか石がいい!」
と着地したんです。
- 環
- 四角いのね、一応つくったんですよね。
ちょっと石っぽい模様で
四角にしたらどうかなと思って。
でもその形では、全然、石の雰囲気がないし、
四角くつくるって、全然手間が違うんですよ。
- まさこ
- なるほど。
- 環
- 粘土の場合、四角く切るっていう作業がかなり大変で。
切った部分に負荷がかかって四角くなくなるんです。
そういうことを修正しながらつくるのは、
サイズが大きくても小さくても同じ手間だから、
小さい箸置きをつくるのに、
大きなコストがかかってしまいます。
でもそこにコストをかけるっていうこと自体が
バランスがおかしいと思って、
だったら、楽しくつくれるものが一番いいと。
それは基本的に、僕の仕事の大前提ですけれど。
- まさこ
- はい。
- 環
- で、丸い土をこうやって捏ねていると楽しいわけです。
その粘土細工的な楽しさにのっとってつくった方が、
使う人もやっぱり楽しいんじゃないかなと。
器でも一緒ですけど、そういうことってあるんですよ。
料理人が手塩をかけてつくった料理と、
ファストフードが違うのはそこじゃないかと
僕は思っているんです。
それは箸置きと一緒かなと思って。
- まさこ
- そうですね、わかります。
- 環
- やっぱり「石ころ」のようでないと。
伊藤環さんの石のような箸おき
還る場所
「箸休め」とか、
「箸を置く」とか。
「箸より重いものを持たない」とか、
「箸が転んでもおかしい」とか。
箸に関することわざや言葉はいろいろとあるもので、
それらを耳にするたび、
お箸って、
私たち日本人にとって、
欠かせない道具なのだなぁと
しみじみします。
棒が2つの単純といえば単純な道具なのに、
まるで指先の延長のよう。
お箸がなければ、
私たちの食卓は成り立たないと言っても
けして大げさではないでしょう。
毎年、新年には新しい箸を新調してきましたが、
今年は箸おきを新しくしました。
箸おきって、朝昼晩のごはんの時間に欠かせない、
箸の置き場所。
「還る場所」でもあると思う。
箸を使ったら、スッと戻す。
使う時にはまたそこからスッと取る。
食卓での所作も、
箸おきがあると美しくなる。
小さいながらも、
その役わりは大きいのです。
今週のweeksdaysは、
伊藤環さんの石のような箸おき。
環さんの手によって、
ひとつひとつ作られた、
まるでアートピースのような、
美しい箸おきです。
コンテンツでは、
この箸おきができるまでの話を、
環さんとおしゃべりしました。
どうぞお楽しみに。
Half Round Table わたしのつかいかた 伊藤まさこ
サイドテーブル代わりにもなる、
半円のラウンドテーブル。
人が集まる時にリビングへ。
テーブルの上には、
ワインやグラス、取り皿やカトラリーなど、
人数分置いておき、
「お好きにどうぞ」。
そんな気兼ねのいらない集まりにぴったりです。
また、角がないので、
人が行き交う場所に置いてもじゃまにならない。
我が家にあるテーブルはすべて四角いので、
これは新鮮な驚きでした。
こちらは玄関。
テーブルの上には、鍵を置いたプレートと、
キャンドルを。
足元には、スリッパの入った木箱を置きました。
大きすぎず、かといって小さすぎない。
玄関のちょっとしたスペースにも置ける
絶妙なサイズ感がいいんです。
ふだんは、肘掛けのある椅子が定位置のこの場所に、
ラウンドテーブルを置いたら、
あら、しっくり収まった!
椅子と違って目線が高くなるので、
部屋の印象を変えることもできるんです。
テーブルの手前に置いたのは、
北の住まい設計社とweeksdaysが作ったスツールです。
椅子の脚とテーブルの脚、
形を統一したことで、
並べると、さりげなくお揃い感が出る。
こういう細部の仕上げが、
部屋の印象を決めるのです。
家の中であれこれ使ってみて分かったのですが、
見た目以上にいろいろなものが置けます。
なのに、場所を取らない。
角が丸くなるだけで、こんなに? と思うほど。
パソコンとデスクライト、
資料いろいろを置けば、
あっという間に仕事場に。
ある時は、ワインを。
またある時は、玄関に置いてキャンドルを。
仕事机にもなっちゃう、懐の深さ。
もうひとつ、何かテーブルを。
そう思っている方におすすめです。
Half Round Table あのひとのつかいかた 3・吉川修一さん
吉川修一さんのプロフィール
よしかわ・しゅういち
株式会社STAMPS代表。
1965年東京生まれ。茨城育ち。
大学卒業後、数社のアパレル企業で営業、
マーケティングと店舗開発に携わる。
国内外のファッションとものづくりに触れた経験から
2013年にSTAMPSを設立。
「STAMP AND DIARY(スタンプアンドダイアリー)」や
「utilité(ユティリテ)」などの
オリジナルブランドの制作のディレクションから
フランスのバッグ「TAMPICO(タンピコ)」や
英国の「OWEN BARRY(オーエンバリー)」、
「Wallace#Sewell(ウォレス アンド スウェル)」など
インポートブランドのセレクトまで手掛ける。
最近ではアパレルにかぎらず、
日々を豊かにする「もの」全般を取り扱っている。
「weeksdays」では「あのひととコンバース。」に登場。
「はじめて見た時、
置かれた時の安定感にまずびっくりした」
という吉川さん。
「見た目に重量感があるので重いのかなと思ったら、
そんなこともない。
家具の移動が好きなので、
それが苦にならないんです」。
家の中の模様替えはもちろん、
家からオフィスへ、
オフィスから箱根の別宅へ。
家具を移動して、気分を変えるという吉川さんにとって、
「重さ」というのも、大切にしているポイントのよう。
「それから、どこに置いても収まりがいい」
と言って見せてくれたのは、
ご自宅の玄関に置かれた様子。
ラウンドテーブルを見た時、
まっ先に「玄関に置こう」
そう思ったんですって。
「小包や手紙などを受け取ったら、
まずはここへ。
郵便物を広げたら、
またテーブルの上を片づけて、
きれいな状態にする。
何かの中継地点のような役割もしてくれます」
「それから、
季節ごとのしつらえを見せても」
外国の家の玄関を開けると、最初に目に入るのは、
額やリースなどが置かれた、
コンソールテーブル上のデコレーション。
靴箱が置いてある日本の住宅事情では
なかなか難しいと思っていたけれど、
このテーブルだったら叶うかも。
玄関を開けた時の印象って、とても大事です。
こちらは、オフィスの入り口。
私たちが訪れたのは、
ちょうど展示会のシーズン。
芳名帳とハンドジェルを置いた
テーブルが出迎えてくれました。
立ちながら名前を書くのにちょうどいい高さです。
「あまりに馴染みすぎて、
スタッフが新しいテーブルがきたことに
気がつかなかったほど!」
と言うほど、しっくり。
そして、あつらえたかのようなジャストサイズ。
「棚を置けば、じゃまになってしまうし、
ネストテーブルだと高さが足りない。
あっちを立てれば、こっちが立たず。
世の中には、たくさんのいい家具があるはずなのに、
ちょうどいいのが今までなかったんです」
「それからこのテーブルのよさは、
上にものを置くと背景ができて、
空間が一枚の絵のようになるところ」
「座る」とか「ものを収納する」とか。
用途のはっきりした家具ももちろん必要だけれど、
飾るための家具があってもいい。
このラウンドテーブルって、
そんなことを思わせてくれる家具なんです。
北の住まい設計社とは、
長年のおつき合いという吉川さん。
旭川の工房をたびたび訪れては、
もの作りの背景や、家具作りに向き合う様子を、
つぶさに見てきたとか。
「さすがだなぁと思いました。
鋳型で作ったような正確さなんですけど、
機械的な感じがせず、
そこに人の温もりが感じられる。
一生ものという言葉がしっくりくるものだな、
ということをこのテーブルが語っています」
家具を愛する吉川さんの言葉を聞いていたら、
ますます愛着が湧いてきた。
そう、このテーブル、
本当に「一生もの」なんです。
Half Round Tableと、お手入れのこと
- 伊藤
- 今回、わたしの思いつきで、
このHalf Round Tableをつくっていただきました。
というのも、家具って、もうみなさんだいたい持ってる。
でも、何かちょっと、欲しい気持ちもある。
わたしもそうだったんです。
そこで、ちょっと置ける、
普通のサイドテーブルじゃないもので、
その場の風景が変わるものが欲しいなと。
そこで半円のテーブルはどうかなって、
漠然と思い、相談をさせていただいたら、
こんな形になってできあがりました。
ありがとうございます。
- 秦野
- こちらこそありがとうございます。
- 伊藤
- いろんな使い方ができるなと思って
夢が膨らんでるんですけど、
これは、いかがでしたか?
そういうお話をわたしたちから持ち掛けた時に、
どうお感じになりましたか。
- 秦野
- まずサイズ感がすごく大事だなと思いました。
マンションに置かれることを想定したほうがいいと。
- 伊藤
- そうですね、大きすぎないということですね。
でもスモールスペース用、
というばかりではないと思うんですよ。
たとえば、玄関の広いお家なら、
玄関まわりに置いて、お花が飾られていたら素敵ですし、
ハーフサイズといっても
パソコン仕事ができるぐらいの面積はあるので、
壁にむけて自分の小さな居場所をつくることもできます。
- 渡邊
- そうですね。本を積んでいてもいいし、
鏡を置いてお化粧をしてもいいし。
- 伊藤
- いい感じがします。かわいいです。
これはさっきおっしゃたように北海道産の木ですよね。
- 秦野
- ミズナラ100%です。
- 伊藤
- すべて自社生産で。
- 渡邊
- この面積の天板をつくるのに、
板はぎ‥‥はぎ合わせという
くっつけて、まっ平にする工程があって、
そこから自社でやっています。
ただ、曲げ木の部分は、
大きな設備が必要なので、
そこは外のチームに委託しています。
- 伊藤
- 製作において、苦労したとことはありましたか。
- 城浦
- そうですね。この曲木を丸脚に収める接合の所が、
ちょっと難しくて。
- 秦野
- 中間で脚をつなぐ補強ができないので。
- 伊藤
- 思い出しました、
わたしが途中でちょっと乱暴なことを言ったこと。
「脚が取り外せるといいのに」って。
そうすると送るのがコンパクトだと思ったんです。
でも「それはできません」ってきっぱりと
お返事をいただきました。
- 雅美
- そうなんです、そのためには、
いちばん最初から、それを前提に
デザインをしないといけません。
- 城浦
- 取り外すという仕組みづくりから
スタートしないといけないんです。
- 伊藤
- 送る時のことを考えてそう言ってしまったんですが、
使う時は、もうずっとこのかたちで、
脚を取ったり付けたりはしまんから、
この形でいいんだって思いました。
そっか、曲木の部分と丸脚の接合‥‥。
- 秦野
- 大変ですね、そこが。
- 伊藤
- 脚の下もすごくスッとしてカッコいいです。
そうだ、お手入れ方法もおたずねしておかなくちゃ。
- 雅美
- それはもう、秦野に。
- 秦野
- 任せてください。
とはいっても、日々のお手入れは
水拭きだけでも十分なんですよ。
- 伊藤
- さきほど「石鹸で」とおっしゃっていたのは‥‥?
- 秦野
- はい、汚れが気になる時には、
石けんを使ったお手入れをおすすめします。
- 伊藤
- 石けんは、どんなタイプを?
- 秦野
- いま、うちでは、
マルセイユ石鹸をおすすめしています。
汚れがついている時は、
マルセイユ石鹸をつけて、
拭いていただくんです。
- 伊藤
- マルセイユ石鹸がおすすめの理由は‥‥。
- 秦野
- 化学物質が入っていないからです。
そういうものであれば、
たとえばアレッポの石鹸でもいいですよ。
- 伊藤
- それで、汚れている箇所を‥‥。
- 秦野
- やってみましょう。
用意するものは、ぬるま湯を入れたバケツやボウル、
ナチュラル(オイル仕上げのナラ)の場合は
スポンジか柔らかい布を、
ブラックの場合は台拭き。
そして、乾いた布‥‥ウエスですね、と、
マルセイユ石けんです。
まずぬるま湯に浸して軽く絞った
スポンジあるいは台拭きに
マルセイユ石けんをすり込みます。
- 伊藤
- ふむふむ。
- 秦野
- まずそうしたら、全体にまんべんなく拭きます。
ナチュラルでためしてみましょう。
木目にそってごしごしと、
とくに汚れた部分は
その汚れを落とすように拭き取ります。
こうして‥‥。
- 伊藤
- あっ、天板全面を
磨くように拭くんですね?
- 秦野
- はい、僕は、石鹸を使うときは、
天板なら天板全部をやりますね。
でも汚れてるところだけでもいいですよ。
小さいお子さんがいると、
どうしてもいつも触るところだけが
黒っぽくなったりするので、
そこだけ集中してかけても。
- 伊藤
- スポンジは、ザラザラしてるほうなんですね。
- 秦野
- はい、木目に沿って、優しくこすります。
乾いた布で泡を軽く拭き取ります。
‥‥ナチュラルは、以上です。
- 伊藤
- えっ? 終りですか?!
水ぶきしたりは、ないんですね。
- 秦野
- いいんですよ。これで終わりです。
石鹸の油分が木についてるので、
このまま、また使っていただいて大丈夫です。
無垢の家具でオイルフィニッシュっていうと、
みなさんお手入れのハードルが高いと
おっしゃるんですけれど、
全然、これで大丈夫なんです。
- 伊藤
- なるほど!
ブラックの場合は、いかがですか。
いまここにはサンプルがありませんが‥‥。
- 秦野
- ブラックの場合は、
強くこすると色移りする事がありますので、
台拭きをつかって、やさしく拭いてください。
ぬるま湯で軽く絞った台拭きに
マルセイユ石けんをすり込み、
全体にまんべんなく拭きます。
汚れた部分は汚れを落とすように拭き取ります。
そして水気の残っているところを
乾いた布で軽く拭き取れば、おしまいです。
マルセイユ石けんは洗浄力が強いので、
使うときは特にやさしく。
塗装の寿命を縮める原因になりますから‥‥。
- 伊藤
- わかりました、
ブラックはとくにやさしく、ですね。
あと、おききしておきたいのは、
ナチュラルの場合、
無垢の木なので、長く使っていくうち、
あるいはそうして石鹸で磨くうちに、
ちょっとけば立つというか、
木の表面がざらざらしてきますよね。
その対策はどうしたらいいでしょう。
- 秦野
- ですよね。今はつるつるの表面ですが、
まめに手入れをしていると、
じょじょにカサカサして毛羽立ってきます。
それが気になるレベルになったら、
やっぱりサンドペーパーをかけていただくのがいいですね。
- 伊藤
- サンドペーパー。
それは使いはじめて何年も経ってからですか?
- 秦野
- いえ、1年に1度くらいかけると、いいと思いますよ。
これも、木目に沿ってかけてくださいね。
- 伊藤
- はい! 番手は何番ぐらいですか。
- 秦野
- 400番ぐらいですね。
- 伊藤
- うんと細かいタイプ。
- 秦野
- ただ、サンドペーパーをかけると、
表面のオイルも削れちゃうので、
このあとオイルを塗るんです。
僕が使っているのは
亜麻仁油が主成分のメンテナンス用オイルです。
ウエスにすこしつけて、
やはり木目に沿って薄く均一に塗り込みます。
そして、しばらく、放っておく。
夜に塗れば、次の日の朝には乾いています。
そうすると新品に近い状態に戻りますよ。
たとえばボールペンで書いちゃって凹んだとか、
鍵で擦って傷つけちゃったよっていうときは、
こんなふうにしていただくと、
目立たなくなりますよ。
- 伊藤
- なるほど、傷がついた時も、なんですね。
- 秦野
- 浅い凹みや傷であれば、大丈夫。
それとよくぶつけ傷といって、
椅子が当たったりして
角がつぶれちゃったりとかするんですけど、
そういうときはスチームアイロンで
スチームをあてます。
布をあててへこんでしまってるところに、
スチームを入れるんですよ。シューッ、と。
- 伊藤
- そうすると木がふっくらと戻ると
聞いたことありますが、
なんだか怖くてやったことなかったんです。
- ──
- 木の繊維がつぶれてるだけってことですか。
- 秦野
- そうなんです。
大きくえぐり取られていたら無理ですが、
小さな傷や凹んでいる程度でしたら、
そこに蒸気を入れてふくらませることができます。
- 伊藤
- ふむふむ、勉強になります。
- 秦野
- とにかく小さなしみや汚れ、傷、凹みは早めに。
放っておくのがいけないんです。
たとえば赤ワインをこぼしてしばらくおくと、
赤ワインは色が染みやすいので。
一晩経ったら色がついてします。
こぼしたときは、すぐ拭いていただくのが
やっぱりいいと思います。
そうそう、私の妻がお菓子をつくってて、
ラム酒の瓶を倒したんですよ。
そうしたら化学反応があったらしく紫色になりました。
ペーパーをかけても、なかなか消えなかったんですけど、
3年くらいしたら、わからなくなりました。
- 伊藤
- 3年で? 木ってすごいですね。
お手入れのこと、よく理解しました、
ありがとうございました。
あとは‥‥、最後になりますが、
これからここはどうなさりたいですか?
渡邊さん。
- 渡邊
- ああ、ここの将来のことですか?
- 雅美
- 本人も悩ましいところじゃないかな。
- 渡邊
- うん、うまく引き継げるのか、そこが問題ですね。
家具については、物として表現していけば、
継続性っていうのは、つくれるんではないかと思います。
ただ、ぼくは建築のほうもやっているんですが、
これはぼくしかやっていないので、継ぐ人がいません。
これからも長くこのスタイルでやっていくためには、
そういうプランを考えていくべきなんですけど。
- 伊藤
- わたしたちとしては、ぜひ先々も、と思います。
渡邉さん、みなさん、
今日はほんとうにありがとうございました。
ひきつづき、「こんなものがあったらいいな」を
思いついたら相談させていただきますね。
- 渡邊
- ありがとうございました。
- 雅美
- いつでもおっしゃってください。
また気軽に東川へ遊びにどうぞ。
- 伊藤
- はい!
Half Round Table あのひとのつかいかた 2・清水彩さん
清水彩さんのプロフィール
しみず・あや
2010年、Landscape Productsに入社、
カフェのスタッフからスタートし、
食のブランド、GOOD NEIGHBORS’ FINEFOODSの
ディレクションや、直営のセレクトショップ
Piliのマネージメント・バイイング、
海外アーティストとのやり取りなどを担当、
取締役に就任する。
2021年に独立。
「weeksdays」ではクラッチバッグの回に登場。
ふたりの子どもとの3人ぐらし。
「いつか、小さなグロッサリーストアを開きたい」
という清水彩さん。
生粋の食いしん坊。
そしておいしいものへのアンテナは、とても敏感。
「清水さんからおすすめされるものは、間違いない」
そんな安心感があります。
去年、ランドスケーププロダクツから独立。
今は、キュレーションやPRと、
活動の幅が広がっていますが、
一言で言うと、
「いいものを作っている人たちと、
私たち使う(食べる)側の橋渡し役」なのかな。
ホテルから、
一人でマッコリを作っているところまで。
大小にかかわらず、
サポートしたいと思う人たちの間に入って、
世の中にものや、ことを紹介したい。
そう思っているんですって。
半年前に引っ越した清水さん。
新居は、どんな感じなのだろう?
興味津々で訪れるとそこは、
鎌倉の山にほど近い、かわいい一軒家。
入るとすぐ広がるのがこの光景です。
小さな子供部屋が2つと、バスルームに囲まれた
5畳ほどのスペースに、
テーブルが馴染んでいるではありませんか。
「本棚のあるこの場所をどう使おうかと考えた時、
このテーブルがしっくりきました。
ちょっと本を読んだりするのにちょうどいい」
四角いデスクではなく、
半円がぴったりなんですって。
「こっちにも合うんですよ!」と見せてくれたのが、
さっきテーブルを置いたちょうど真向かいのスペース。
(この奥が玄関になっています)
ささっと椅子や本を置いて、
スタイリングしてくれました。
小さな頃から、
棚の中を飾るのが好きだったという、清水さん。
家の中を見回すと、
なるほど、そこかしこに棚が。
この家に越す前、
都内の新築のマンションに住んでいたという清水さん。
「きれいすぎて、ヴィンテージの家具は
合わなかったんです」
ハイジのベッドルームのような寝室、
黄色いタイル張りの小さな台所、
家のそこかしこに設られた棚‥‥
今は、このユニークな家に合った
インテリアを楽しんでいるところだそう。
2階のリビング横の和室にテーブルを。
テーブルの木の色合いはナチュラルとブラックの2種類。
「どっちにするか迷ったんですが、
ナチュラルは和室にも合うかなと思って」
なるほど、畳にぴったり。
パソコンと椅子を置いて、
外に向かって仕事ができたらいいなと
思っているのだそう。
ローテーブルではなく、
ここはあえてのテーブルと椅子。
圧迫感のない半円だからこそできることなのかも。
「これが一回り大きくても、小さくてもきっとだめで、
どこに置いてもしっくりくる、ちょうどいいサイズ感。
我が家には壁がないので、
もうこれ以上、家具は置けないなと思っていたけれど、
これなら大丈夫」と
うれしい感想をいただきました。
引っ越したときに、
大家さんからの覚書に書いてあったのは、
「とにかく窓を開けて風を通すこと」
晴れた日はもちろん、雨の日も。
この前、こんな大きい(と、手のひらを指差して)蜘蛛が、
天井をつたっていたのには驚いたけれど‥‥
と言いつつも、
鎌倉暮らしを楽しんでいる様子。
この家に、テーブルが馴染んだ頃、
また遊びに行かせてくださいね。
ヤコブ君のいた日々
- 伊藤
- 「北の住まい設計社」の工場は、
どこもかしこも美しいですね。
道具とか、ちゃんと整理されていて。
シートひとつとっても、ブルーシートじゃなく
モスグリーンのものを使われるとか、
こまかいところにも
目が行き届いている印象でした。
- 雅美
- ブルーシート、たしかに使ってません(笑)。
あんまり好きじゃないから。
- 伊藤
- ほんとですね。
そしてあるべきところに道具があって、
誰が見てもわかるっていうのが、
すごく気持ちよかったです。
それから、出番を待つ木たちの美しさ!
調湿してある養生室に案内していただいたんですが、
きれいでおどろきました。
- 渡邊
- ものすごく整頓ができていますよね。
一旦、整理したんです。
- 雅美
- チームがいいんですよ。
ちゃんとそういうことに気が回る。
- 伊藤
- チームができあがるまでには、最初の5、6人から、
だんだん人が増えていったのだと思いますが、
それは、募集をしたんですか。
- 雅美
- 最初の頃は、職人志願の人がずいぶん来ました。
多かったのは、脱サラで、
こういう仕事が精神的にいいと思って来る。
だけど実際、最初から家具づくりの仕事が
できるわけじゃないから、
あきらめて、抜けた人もずいぶんいます。
- 伊藤
- 全く未経験の人も受け入れていたんですね。
- 渡邊
- そうです、受け入れていましたね。
- 雅美
- なんでも受け入れるタイプなんです(笑)。
- 渡邊
- でも、一人前になると独立していきます。
- 雅美
- 技術を一通り身につけて
出ていく人はずいぶんいましたね。
- 渡邊
- そういうものなんですよ。
日本中から来ていましたから、
故郷に戻って独立をするんです。
そういう前提ですからね。みんな。
- 伊藤
- きっといろんなかたがいらっしゃったでしょうね。
- 渡邊
- 大学卒業前にたまたま北海道旅行に来て、
うちに寄って、ご飯を一緒に食べたくらいの人が、
あとから職人になりたいって来たこともあります。
いまも在籍している職人の中に、そういう人がいますよ。
- 秦野
- 唯一の新卒ですね。
- ──
- 就職戦線でくたびれ果てて、
「あ、これかも?」って思ったのかも。
- 雅美
- ところがやってみたら、不器用で、
けっして向いてなくて!(笑)
でも、一所懸命続けて、
いまは頼りになる、立派な職人です。
- 渡邊
- やりながら、身についていくものだからね。
- 雅美
- 教育機関ではないので、見て覚えるしかないんです。
でもいきなりテーブルくらいつくれる人もいる。
そういうことって、素質なんでしょうね。
- 伊藤
- こちらの家具は、渡邊さんがスケッチを描かれて、
それを設計の人や職人のみなさんと揉みながら
つくってきたと聞きました。
今も、それがあるけれども、
自分たちからオリジナルをつくって
渡邊さんに提案する場合もあるとか。
- 雅美
- はい。たとえばこの城浦くんは力があるから。
意図をくんで、提案してくれます。
それをディスカッションして、
またつくってみて、というふうに進めています。
たしかに昔は全部渡邊のスケッチから始まっていましたね。
- 伊藤
- それは設計図のように
ここが何cmで、とかじゃなくて、
おおまかな感じなんですか。
- 雅美
- そうなんですよ。
- 伊藤
- それでピンとくるのもすごい。
イメージから設計、そして実際にものができあがるまで
試作も何度かなさるんでしょうね。
- 雅美
- そうなんです。たとえば、
ヤコブっていうスウェーデン人が、
うちに1年来たんです。
彼は英語を話すのだけれど、
私もだめだし、夫もだめなので、
絵とジェスチャーでコミュニケーションをとるんです。
彼は、優秀で頭もいいし、顔もよかったし(笑)、
私たちと価値観がすっごく近かったので、
イメージを伝えると、彼は自分なりのスケッチをつくり、
それをもとに話し合って、
それを図面化してまたやりとりをして‥‥
という具合でしたね。
- 伊藤
- そんなかたがいらっしゃったんですね。
ヤコブさんを受け入れたきっかけは?
- 渡邊
- ここへ来て、10年くらいの時に、
海外の血を入れたほうがいいと思ったんです。
それで公募をかけたら、
スウェーデンの芸大の学生が応募してくれた。
それがヤコブでした。
ところが日本で雇うということがすごく難しくて!
- 秦野
- 就労ビザが下りなかったんです。
- 渡邊
- 職業にも制限があってね。
- 雅美
- 外務省に行って交渉したり、
そんな細かいやりとりを全部クリアして、
ようやくアーティストとして
1年間、来てもらうことができました。
あれはすごい1年だった。
- 伊藤
- ヤコブさんがいらして、
すごくいろんなことが変わったんですか?
- 渡邊
- 彼は1年で家具の‥‥全てっていうことはないけれど、
ソファとか主だったアイテムを
だいたい全部、デザインしていったんですよ。
- 伊藤
- すごい! ヤコブさんに興味が出ます。
今、何をなさっているんですか?
- 雅美
- すごく偉くなっちゃったらしいです。
彼は普通のデザインを学ぶ大学へ行き、
そこから建築の大学へ行って、
さらにどこかの大学を出ているんですが、
いま、スウェーデンで有名な
大きな建築設計事務所の上のほうのディレクターです。
- 伊藤
- ヤコブさんがここで設計したものは、
今も販売してるんですか?
- 渡邊
- 今はもう販売してないですね。
写真は残ってますけどね。
- 伊藤
- そうですか。
でも、それは大きな出来事だったんですね。
海外との交流という意味でも。
- 雅美
- はい。デザインも、ですけれど、
彼がスウェーデンとのパイプを太くしてくれました。
たとえば、私たち、塗料がそんなにわからないから、
オイルで塗装をしたくても、
いいオイルがどれかも知らない。
それをすぐ紹介してくれて、
輸入できるようにしました。
革もそうです。
タンショー(TARNSJO)という
スウェーデン王室御用達の革を使うきっかけも彼だし、
あと、石を組み合わせようという発想とか。
とにかく「異素材の組み合わせがいいんだ」って、
その頃から彼は盛んに言ってました。
鉄とガラスと木だ、って。
- 伊藤
- へぇぇ!
- 雅美
- それからソープフィニッシュを教えてくれたのも彼。
オイルフィニッシュの家具のお手入れは
石鹸がいちばんだと。けれどもその頃、
日本にはナチュラルな石鹸が
売られていなかったわけですよ。
それでピュアな粉石鹸を探して、仕入れて、
それを小分けにして売ったりしました。
今はオリーブオイルの石鹸で
いいものが輸入されているので、
そういうものをオススメできるようになりました。
掃除の仕方も、スウェーデンでは、週に一回、
さほど汚れていなければ月一回かもしれませんが、
家族全員で、子どもたちもやるっていうんです。
土曜日には、ボーイフレンド、ガールフレンドを連れて、
みんなでご飯をつくって食べ、
日曜日はお家のメンテナンス、みたいな家族の在り方とか、
暮らしを大事にするとか、そういうものが、
彼から教わったことですね。
- 伊藤
- たしかに、すごい1年間ですね。
- 雅美
- 今もずーっと付き合いが続いていますよ。
- 渡邊
- もう30年近く。
- 伊藤
- ヤコブさんにとっても、ここで過ごした1年というのは、
かけがえのないものだったんでしょうね。
- 雅美
- 「衝撃的だった」って、いまでも言います。
どういう衝撃だったのかは私にはわからないんですが、
町営住宅を借りて、東川での暮らしを楽しんでいましたよ。
夫の友人たちがおもしろがって、
もういろんなところ‥‥釣りから、飲みにから、
いろんなとこに連れて行ってくれて。
そのうち、海外から来てる人たちと、
旭川で交流したり。
- 伊藤
- 京都とかじゃなくて、いうなれば、
スウェーデンと似た環境の所だったのも、
よかったのかもしれないですね。
- 渡邊
- 旅もしましたよ。日本家屋を見せてあげたくて。
でも北海道って、日本家屋があんまりないですから、
四国までドライブをしたこともあります。
彼は感激してました。「これはすごい」って。
そういうのは、わかる子だったんで。
- 雅美
- 帰国してからもずっと密にしていて、
ここに家具を見ていただくための、
ショールームというほどじゃないけれど、
スペースをつくった時も、
自分が好きな暮らしの道具というか、
そういうものを置きたいなっていうことで、
ヤコブが間に入ってくれて、
日本に代理店がなかったメーカーのものなどを
スウェーデンから直接輸入をしたこともあります。
- 伊藤
- こちらのショップを拝見して、
品揃えの厚みに、みんなで驚いていたんです。
何から何まで、素敵なものが揃っていて、
それはそういう経験があってのことだったんですね。
- 雅美
- 好きなものを仕入れしてたらこうなりましたっていう。
- 秦野
- 昔は、海外のものを直接とってたから、
もっと煩雑っていうか、大変だったんですよ。
- 雅美
- そう。大変だった。
輸入のことを知らないで買い付けたら、
検査が必要なものだとわかったり。
北海道産の材木だけを使おう
- 秦野
- ‥‥6年前ですかね、いきなり、
社長(渡邊さん)が「輸入材をやめるぞ」と。
その当時、僕らがつくる家具は
4割は輸入材を使っていて、しかも評判がよかった。
だから「どうするんですか?」って。
でも「やめるから」の一点張り。
- 伊藤
- 売れているものでもやめる決意をなさったんですね。
つくるべきなのは北海道の材木を使った家具なのだから、
そこに集中するぞということですよね。
すごいです。
- 雅美
- いや、すごいったって中では大騒ぎですよ。
いろんなことを「なんとか」しなくちゃいけないから、
私たちががんばるしかないわけで(笑)。
- 伊藤
- たしか1985年の立ち上げの時から
北海道産の材木を使おうとおっしゃっていましたよね。
けれども実際は輸入材も並行して使ってきたのは、
どんな理由があったんですか。
- 雅美
- たとえばチークですが、
こういう家具をつくりたいっていうイメージがあると、
それはチークであるべきだというものが出てくるんです。
つまり、私たち、チークの家具が好きなんですね。
塗装をせず、無垢のままでいい色の家具を考えると、
チークの家具ってとても魅力があるんです。
- 渡邊
- そしてチークは輸入材です。
今のミャンマーですね。
日本ではとれないんですよ。
- 雅美
- だけど‥‥理念として、やめようと、
ある時、そう言ったわけです、渡邊が。
- 伊藤
- 北海道産のいい材木があるのに、
国内ではあまり使われず、
どんどん輸出されているという
現状もあったとか。
- 渡邊
- そうなんです。
- 雅美
- もうすでにずいぶんいいものが
輸出されていきました。
- 渡邊
- 戦後からですから。
70年くらい前に、もうすでに
日本のミズナラのいいものは海外に行ってます。
戦争に負けて、国が崩壊寸前までなり、
経済もゼロみたいな状態の中で、
輸出できるいいものっていうか、
向こうが求めてたのが、
北海道のミズナラだったんでしょうね。
- ──
- それは、製材して売ってたんですか?
原木を丸太でですか?
- 渡邊
- 原木だと思いますね。
だからきっと安かったと思います。
- ──
- フィンランドでもそうだったと聞きました。
フィンランドの戦後も森林資源を
原木のままで売ってたんですって。
だから安いお金しか入ってこなかった。
製材すれば高くなると気がついて、
植林と伐採の計画をして、
製材した材木を売るようになって、
やっと潤ってきたそうです。
- 秦野
- ロシアもそうですね。
- 渡邊
- 北海道のミズナラはほんとうによかったですよ。
丸太の径は(両手を拡げて)このくらい、
普通にありましたからね。
そういう時代が日本にもあったんです。
いまも、巨大な木を切った切り株が、
どこかに残っているかもしれません。
- 伊藤
- 寒いところでゆっくり育っているから、
目の詰まったいい材木になるんでしょうね。
それで、あるとき、北海道の木だけを
使って家具をつくることを決められたわけですが、
そのタイミングはどのようにしてやってきたんでしょう。
- 渡邊
- 「国産のものじゃなければだめだ」
っていうことよりも、
外国産のいい木が買えなくなったことも要因なんです。
僕は材木の仕入れで
アメリカに買い付けに行っていたんですが、
ある時から、中国が台頭してきて、
ものすごい勢いで丸太を買っていくようになりました。
僕らは、選んで気に入った丸太を5本なら5本、
10本なら10本買うところを、
彼らは1000本あったら1000本買っちゃう。
その競争のなかに僕たちがいるんだ、って、
そこで知りました。
- 伊藤
- 骨董の世界でも、
同じことが起きていると聞きます。
吟味せずにとにかく全部買われていくんだそうですね。
- 渡邊
- はい、材木もそうです。
それでアメリカに行くのをやめ、
北海道の木100%でやろうと決めました。
あともう一つ、検疫も大きいですね。
丸太の皮にはいろんなものがついてますから。
港で強めの殺菌をするんです。
僕らの家具はナチュラルな仕上げで、
みんなが直接触れるものなので、
もしかしたら薬品が染み込んでいるかもしれない木は
使わないほうがよいだろうと思いました。
そんなふうにいくつかの要因が組み合わさって
自分の中で熟成されていった期間があって、
ぼくは「輸入材をやめる」と言ったんだけれど、
みんなには「スパッと、突然、やめると言った」という
印象だったんですね。
- 雅美
- もっと早めに教えてくれればいいのにね(笑)。
- 伊藤
- でも‥‥、北海道の木だったら全部OK、
ということではないですよね。
- 渡邊
- それはもちろんそうです。
国産の材木にも、いろんな問題があります。
残念なことですが、北海道の中でも、
外国の丸太と混ぜ合わせて挽いてるところがあります。
実際、目の前で挽いているのを見れば、
ぼくは国産か外国産かわかります。
で、「どのくらいですか?」って聞いたら、
「3、4割が国産で、あと6、7割は外材だ」と。
今はあんまり輸入材が入ってきていないでしょうけれど、
当時、そういう状況に日本がなっていたんですよ。
だから100%、絶対大丈夫だと確信している
材木屋さんに依頼をしています。
- 伊藤
- 輸入材をやめた影響、
きっと、おありだったでしょう。
- 雅美
- ちょうどウォールナットとかチェリーの、
あの色の付いた木の家具が
人気が出てきたときだったんです。
小売店さんもそれで売り上げが取れている、
ファンもいるっていうのに、
それをいっさいやめるというわけです。
「え?」って言われますよ。
- 渡邊
- それは‥‥やっぱり失敗だったね。
- 一同
- (笑)
- 渡邊
- うちはいいんですよ。うちはなんとかなる。
でも小売店さんがそっぽむいちゃった。
もうあそことは取引できないと怒っちゃうんです。
そりゃ、そうですよね。
- 伊藤
- そこから回復していくのに、
時間がかかった、
やっと理解していただけるようになった、
っていうことですか?
- 渡邊
- いや、今、その取引先はほとんどなくなりました。
- 雅美
- もうちょっと助走期間をつくってくれればって
思うんですけどね。
考えているようで考えてない。
- 渡邊
- 会社がうまくなるようにと思っているんだよ。
でも気がついたら、売り上げがなくなってた。
- 伊藤
- 「木を植える男」ならば
いつも未来を見ていらっしゃるのかと‥‥。
- 雅美
- 学者ならそれでいいんですよ。でもねえ。
- ──
- わたしたちがいなくなった100年後にも木は残るわけで、
それが何かに使われるっていうことを
少しでも想像しない人は、
木は植えないと思うんですよ。
- 伊藤
- うん!
- 渡邊
- その通りですよ(笑)!
- 伊藤
- (笑)
- 雅美
- でもね、組織の存続を、
もうちょっと、ね‥‥。
だから私たちは
スタッフに守られてる感じです。ほんとに。
- 伊藤
- 逆に言えば、そのスタッフを集めたのは、
渡邊さんたちですよ。
- 渡邊
- いやいや、そんなことはない。
守られてるっていうのは、僕も認めますけど、
集めたのは、自分たちっていうことじゃないよな?
- 雅美
- 勝手に来てくれたの(笑)。
- 秦野
- そうかもしれません。
- 伊藤
- へぇぇ、おもしろい!
- 渡邊
- あらゆることって、
知識がないとわからないこと、
たくさんありますよね。
私たちはスタッフに、
仕事をしながら教えてもらった感じです。