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人が住む最北の地の現在
人が暮らす世界最北の街、
スヴァルバール諸島に、
冬と夏の二回、訪れたことがある。
空港がある街はロングイヤービーエンという
比較的洗練された街なのだが、
ぼくがいつも思い出すのは、
バレンツブルグという炭鉱の街である。
バレンツブルグの周囲には道路がなく、
冬はヘリコプターかスノーモービル、
夏は船でしか行くことができない、
文字通り“陸の孤島”になっている。
この街は、入口に石炭工場があって、
ぼくが訪ねた冬も夏もどちらも、
工場の煙突から黒煙が高々と上がっており、
いつもその煙を遠くから見ながら
「ああ、こんなところに人が住んでいるんだな‥‥」
と思いながら、街に近づいていった。
こうした工場や炭鉱を運営しているのは
ロシアの国営企業で、
スヴァルバール諸島自体はノルウェーに属しているのに、
この島だけはミニ・ロシアのようになっていて、
住民もロシア語を話す。
2017年、この街に立ち寄った際、
公民館のような場所で故郷の服をまとった
6人の女性たちに踊りを見せてもらった。
おそらく異国から訪ねてきたぼくたちに
歓迎の意味合いで披露してくれたのだと思うのだが、
人影の少ない荒涼とした街の印象とはおよそ異なる、
赤いフレアラインのワンピースに、
作り笑顔を浮かべていかにも陽気に踊る女性たちは、
バレンツブルグ全体に漂う一抹の寂しさを
さらに強調しているようにも感じられた。
ショーの後、写真を撮らせてもらいながら
彼女たちに話を聞くと、
そのほとんどがウクライナからきた
炭鉱労働者の妻たちであることを知った。
このバレンツブルグは、
ロシアとウクライナの炭鉱労働者が
何十年も肩を並べて働いてきた街で、
鉱山はもちろん、小さな店やレストランに至るまで、
ロシアの国営企業の傘下にあったのだ。
1980年代のピーク時には
1500人ほどの人が暮らしていたらしいが、
ソビエト連邦の崩壊とともに人口は減少の一途をたどり、
現在の人口はわずか370人ほどで、
その3分の2がウクライナ人である、という。
ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって
ぼくが真っ先に思い出したのは、
バレンツブルグに暮らすあのウクライナ人のことだった。
戦争がはじまって以来、
スヴァルバール諸島の公式観光サイトから、
バレンツブルグへの観光情報の一切が削除され、
ロングイヤービーエンの旅行会社のほとんどは、
バレンツブルグへの観光客誘致を中止してしまった。
さらに、西側諸国のロシア系の銀行への制裁によって、
スヴァルバールに暮らすロシア人や
ウクライナ人の炭鉱夫たちは
家族に送金することもできなくなり、
島を離れる人が相次いでいる、
というニュースもつい最近目にしたばかりだ。
北極点から1000キロほどの距離ある、
あの辺境の街にも戦争の影響が及んでいる。
いや、そういう遠く離れた小さな街にこそ、
強大な波が到達するのかもしれない。
寒空に舞う工場の煙と女性の笑顔を思い出しながら、
今も侵攻に晒されている人々のことを考える。
ぼくは、徹頭徹尾、戦争には反対だ。

白の気配
都会から離れて、
この冬初めて山の中の家で過ごしています。
名前も知らなかったこの土地に導かれ、
半年後に今の家との出会いがありました。
想像していたこととは少し違うし、
想像以上のことも起こる。
一筋縄ではいかないこの運命が
ようやく気に入ってきたところです。
しかし、標高850Mの暮らしに慣れるまでは
少々時間がかかりました。
ゴミを捨てるのに坂道を登るだけで息が切れ、
圧倒的な自然や生物に対しての
未熟さを感じられずにはいられない日々。
ハーブ畑もお世話のしやすい庭へと移し、
春を待ち侘びているところです。
まだまだ手がかりの少ない中で、
昨年の今頃はどんな景色だったか、
昨日より今日はあたたかいかそんなささいなことや、
目を閉じて太陽のぬくもりを感じとることが
私を支える日課のようなものになりました。
田舎町の片隅でいつも似たような格好をしているうちに、
おしゃれが下手になりましたが、
選択肢を減らすと良いこともあり、
ふと時間が余るのです。
以前から寒い季節になると、
パールのピアスや、白いタートルネック、
白いストールなどを身に纏うことが特別好きでした。
白いものを身につけ
お守りのようにしているのかもしれません。
環境が変わった今は、
身につけるときめきより先に、
そこかしこから白の気配を感じることが多くなりました。
朝陽がのぼる前の空の蒼い白
ハンモックのように冬眠する虫たちの隠れ家
霜が降りたシャリシャリの土の上
お向かいさんの薪ストーブの煙
満月の白
そう、今の家では満月の日になると
浴槽の窓から月の光が差し込みます。
冬の最も寒い日、
電気を消してその光だけでお風呂に浸かってみたら、
水面に映る月光が自分の呼吸に合わせてゆらゆらと
白いネオンのように静かなノイズをみせてくれました。
白の気配を全身で受けとる時間は、
ひそやかな瞑想のようでした。
余った時間に、
私はいくつの白を知ることができるだろう。
余白という言葉の美しさにも気がついた冬です。
写真:新保慶太
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
2月2日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
なお、材料の高騰により、
今回販売分より価格が変更となります。
DELIVERY TOTE
SMALL ENAMEL(BLACK)
※DELIVERY TOTE MEDIUM ENAMEL(BLACK)の
再入荷はありません。
白いシャツにデニムもいいし、
コットンのワンピースもいい。
これからの季節は、
ちょっとざっくりしたニットと合わせても‥‥。
一年を通して持てる、こんなバッグが欲しかったんです。
weeksdaysオリジナルは、
持ち手の端を内側にし、よりシンプルに。
それから、
バッグ本体と持ち手を留める金具を
シックなゴールドにして、
大人っぽい仕様にしました。
(伊藤まさこさん)
BAGUETTE TOTE ENAMEL(BLACK)

持ち手はひとつ。
肩かけできるすっきりとしたフォルムが美しいバッグです。
ちょっと深めなこういう形ってなかなかない。
持っていると、
「どこの?」なんて聞かれることまちがいなしです。
エナメルの持つ、
上質で、軽やかな質感をたのしんでください。
(伊藤まさこさん)

雪がひらひらと降りてきて
鼻の奥にピリリと冷たい空気を感じる季節が来ると、
待ってました!
と言わんばかりにはりきって
身に付けるものたちを並べる。
季節の変わり目の時にそっとあたためておいた
白い靴、白いストール、白いバッグ!
幼い頃は山と川に囲まれた田舎に育ったせいか、
体力の限界まで野山をかけめぐっていた毎日で
洋服にはかなり無頓着だった。
ただとっておきの時はのぞいて‥‥。
子供の頃、父の仕事の関係で年に一度
大勢の大人が集まるクリスマスパーティー
というものがあった。
来ている人たちは今思うと年配のおじさまおじさま、
またおじさま。
そんなおじさまたちに混じってお洒落をしていくのが
とっても楽しみだった。
スタイルは黒いワンピースに
真っ白な小さなファーのケープ。
ボタンはなくて、内側にピンクの布で包まれた
ホックがついていた。
肩にちょこんと乗ったシンプルなケープが可愛く、
そして誇らしくて
コートもなしで出かけて行った。
雪がひらひらと降りてきて、
ファーの上に優しく落ちた結晶をずっと眺めては
夜空の中歩き回っていた。
翌年もまた翌年も
真っ白いケープがきゅうくつになるまで、
毎年それぞれのコーディネートを楽しんでいた。
幼い頃に形成された好みというのは
面白いことになかなか変わらないもので、
買い物に出掛けた時に
「これってどの色を合わせたら良いと思う?」
という質問に
「白じゃない?」
冬に白? 今冬だよ?
と毎回驚かれるが、冬の白もコーディネートを
考えるととてもハンサムになるので
ついつい力説してすすめてしまう。
白は白でも冬の光にあう白は、素材が大事。
夏のナチュラルコットンやリネンは夏の太陽におまかせして
冬はとびきりフワフワしっとりしたようなカシミア、
反射するようなエナメル、
青みがかかったくらいのいさぎよい白い革を選びたい。
ふと今日着ている服をみると、
冬のロングコートに白いストール、
ぐるりと白いラインの入ったショートブーツ
そして白いバッグ、
うん、間違いない。

TEMBEAの白いエナメルバッグ
冬の白
出かける前、チェストの一番上の引き出しを開けて、
リネンのハンカチを1枚取り出します。
ぴしりとアイロンがけされたものが10枚並んだ様子は、
清々しくて、
見ているだけで気持ちがいい。
そういえばと見渡すと、
タオルやキッチンクロス、シーツ、寝室の壁‥‥
いつも近くにいて欲しい色は、白。
「気持ちがいい」のももちろんなんだけれど、
「一から」とか「まず」なんて、
気持ちになるからかな。
白って他の色にはない魅力があるんです。
そうそう、今、書いているテーブルの傍らに置いている、
日めくりカレンダーも今日は雪景色の写真。
いいなぁ、やっぱり冬の白。
今週のweeksdaysは、
TEMBEAのバッグ。
好評だった黒に加えて、白が登場します。
もこもこニットに、
白い靴。
手にはエナメルの白いバッグ。
冬の白いおしゃれをどうぞ。
器にとっての色気とは

- まさこ
- 作風が変化した頃のこと、
環さんの奥様の香緒里さんにも訊いてみたいです。
いまいらっしゃいますよね、おとなりに。
- 香緒里
- いますよ~! まさこさん、こんにちは。
- まさこ
- 香緒里さん、こんにちは!
その頃の環さんのこと、
どう思って見ていらしたのか教えていただけますか。
「何を言ってるんだ、この人は」みたいな?
それとも「こういうのをつくる
気持ちになるのはわかる」みたいな、
自然な流れだったんでしょうか。
- 香緒里
- 自然‥‥、そこまでは、すごい薄づくりの、
冷たい感じって言うか、まあ都会的な感じの
ものだったんですけど、
それが馴染まないように思ったんでしょうね。
- まさこ
- それは、年齢も関係していたっていうことでしょうか。
- 香緒里
- 年齢と、住んだ所‥‥、
子どもが生まれたときにいた三崎って、
とってもオープンな所だったんです。
そこで子どもが生まれたことがちょうど合わさって、
‥‥そうですね、自然、でしたね。
私は、そんな、驚くとかは、なかったです。
- 環
- わかりやすく言うと、
(器の)口がポテッと分厚くなったんですよ。
今まで薄かったのに。
で、あまりに作風が変わったものだから、
急に売れなくなったんですよ(笑)。
- まさこ
- ええ? そうなんだ。
- 環
- そうなんです(笑)。
お客さまが僕をイメージしていたのと違うから、
「伊藤環はこうじゃない」みたいな(笑)。
- まさこ
- でも、売れるものをつくりたいわけじゃなくて、
つくりたいものがつくりたいっていうこと‥‥?
- 環
- んー、そのバランスは大事だとは思うんです。
- まさこ
- もちろん、そうでしょうね。
- 環
- 売れるために、
無理してつくる必要はないと思っています。
できるだけ気持ちに沿ったものをつくろうと思いつつ、
ちょっとは人の顔色も伺います(笑)。
- まさこ
- そうなんですね(笑)。
- 環
- それで、震災後に岡山に移ってきたんですが、
太平洋だった三崎から、
今度は瀬戸内海を感じながら過ごすんですよ。
海の質がそのまま風土に影響してるんですよね。
ちょうど僕、40になった頃で、
たぶんアドレナリンの量が少しずつ減少していき。
- まさこ
- ええーっ?
- 環
- 厄年を迎えて、闘うことに疲れ始め。
- まさこ
- ええっ、ハハハハハ(笑)。
おもしろーい。疲れ始めたんだ!
- 環
- 岡山でろくろをやってると、
目の前に細い川があって土手があるんですけど、
土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く景色があるんですよ。
- まさこ
- 「土手の上を乳母車を杖代わりに使うおばあちゃんが
ゆっくり歩く」って、
ふるい映画のなかの風景みたいです。
それが、今もあるんですね。
- 環
- 本当にあります。
おばあちゃんが昼間、
日向ぼっこがてら乳母車を押してる。
- まさこ
- そもそも「乳母車」がなくなっていますもの。
- 環
- そうなんです。もうかなり年季の入った
乳母車を押してる。
で、そのおばあちゃんを見てたら、
闘う気力を失うというか、吸い取られていく。
バカバカしくなる。
- まさこ
- そうなんだ。
- 環
- マイペースで、ちゃんと生きていけばいいんだって、
いろいろ考えてね。

- まさこ
- 環さんの歴史を一回振り返っていいですか。
そのエッジをきかせた作品づくりをしてたとき、
そこの工房に中里隆さん(*)がいらして、
その中里さんの器を見て、
すごく影響を受けたって聞いた覚えがあるんですけど。(*)中里隆(なかさとたかし) 陶工。佐賀の唐津に工房「隆太窯」をひらく。
世界各地で窯を築き、作陶を続けている。中里太亀さん、中里花子さんの父。
- 環
- 20代の頃、福岡時代ですね。
その頃はオブジェ的なものをつくってたんだけど、
中里隆さんには、
僕が器をつくるきっかけをいただきました。
僕、1990年に大阪芸大に進学するんですけど、
当時、バブル崩壊後ながらまだ景気がよくて、
焼き物業界の主流っていうか、花形は
オブジェの世界だったんですよ。
そういうものに大学に入って初めて触れて、
もう焼き物はオブジェつくらないと作家じゃないとか、
僕、勘違いして始まるんです。
だから、大学を卒業しても、
オブジェをやらないと作家じゃないっていう使命感に
ずーっと縛られていました。
で、大学を卒業して、実家に帰りたくないんで、
修業だとか言ってブラブラしてるときに、
「陶芸の森」っていう、信楽にある焼き物の施設に
中里隆さんが招待作家としていらしてて、
僕もたまたまそこに居合わせたんですよ。
で、そのときの中里隆先生の、
──もう先生と呼んでましたけど──、
先生のろくろをする姿を初めて見て、
ろくろをする人がカッコいいっていうのを、
初めて思ったんです。
僕の父親も陶芸家ですけど、思わなかったのに(笑)、
中里先生を見て「惚れた」んですよ。
めちゃくちゃカッコよかったです。蹴(け)ろくろ。
- まさこ
- お父さまと何が違ったんでしょうね。
- 環
- 物心ついたときから、
蹴ろくろ、僕は見てたんだけど、
別の雰囲気があったんでしょうね。
具体的にわからないんですが。
- まさこ
- そうなんですね。
- 環
- で、ある日、先生が信楽で酒を飲んで帰ってきたんです。
なのにその日のうちに絶対にやらないといけない
仕事があったものだから、千鳥足でろくろに座って、
酔っ払って足もフラフラしてるから、
蹴ろくろがうまく動かないくらいなのに、
絶対に手元は狂わないんです。
そこに、なにか、色気というか、
やられちゃいました、
「あ、器って、カッコいいなあ」と。
そして出来上がったものはとても色気のある器で、
その色気にやられちゃったんですね。
色気というものを初めてハッキリと意識した。
で、それから自分のろくろの手さばきはやめて、
中里隆先生の模倣から入っていくんです。
それでオブジェを捨てることができた。
- まさこ
- それで、環さんは自分も色気のあるものがつくりたいと。

- 環
- 実際のところ、自分じゃわからないです、
つくったものに色気があるとかないとかは。
- まさこ
- ああ、そうかもしれませんね。
- 環
- それはわかんないけど、
もしつくれるならば、理想としては、
そういったものができるといいなあと思います。
で、その後、いろいろ諦めて、
実家に帰りました。そこからはもうろくろ三昧です。
- まさこ
- じゃあ、その後、結婚して三崎に行って、
今は岡山に移ったということですね。
家を出るときお父さまはどんなふうに?
- 環
- 僕が出て行くって言ったときは、
母親は「あんたは出てって
自分の好きなようにやった方がいい」って言ったんですが、
父親は便利な弟子がいなくなって
急に自分で全部やらないといけなくなるからと、
ものすごく怒ってました。
だから喧嘩して飛び出したような形ですよ。
- まさこ
- その後、お父さまとは?
- 環
- まさこさんが、食器棚の取材で、
雑誌で僕らの暮らしを
取り上げてくださったじゃないですか。
それを父親に送ったんですよ。
「出たよ」って言ってね。
直接の感想はなかったけれど、
僕の友達が実家に遊びに行ったとき、
父親が雑誌を取り出して
自慢してたって言ってました。
- まさこ
- よかった!
- 環
- こんなふうになっていることを、
ちょっとくらいは喜んでたんじゃないでしょうか(笑)。
一言も言わないまんま逝っちゃいましたけど。
- まさこ
- そうかあ。それは、だって、うれしいですよ、
息子が自分と同じ職業を選び、
人気作家となったって。
- 環
- 人気作家(笑)! そんな。
- まさこ
- 絶対、絶対うれしいと思う。
- 環
- どうやら「食えてるらしい」っていうことで
ホッとしたみたいです。
- まさこ
- お父さまも、それでやっと
自分の所を離れたっていう気に
なられたのかもしれませんね。
- 環
- そうかもしれませんね。
まあ、安心はしたかな。
- まさこ
- 環さんは「ほぼ日」に初登場になるので、
どんな人がつくってるかっていうのは、
とっても大事だと思い、
半生記をお聞きしました。
すごく面白かったです。
- 環
- どの辺りがおもしろかったです(笑)?
- まさこ
- わたしは、都会で人工物に囲まれて、っていうお話。
先日、別の仕事で昭和のおもちゃを集めたんです。
それを並べて撮影をしているとき気づいたんだけれど、
昭和のおもちゃって、丸みがあるんですよね。
ちょっとなんかホッとする手触りがある。
素材も紙や木が中心。
そのうちセルロイド、樹脂、プラスチックが
出てくるわけですが、
今のおもちゃってもっと、なんていうのかな、
自然に還らない感じがしますよね。
かつては自分だってそれで遊んでたんですよ。
そしていまふたたびホッとするものに
自分がちょっとだけ向かってる。
なぜなのか、わからないんですけれど。

- 環
- 年齢も大きいでしょうけど、
いろいろ疲れている、ということも
あるかもしれませんよ。
- まさこ
- でも、環さんが作風をがらりと変えたようなことは、
わたしにはないと思うんです。
スタイリングの作風はまったく変わっていないし、
これからも変わらなそうな気がします。
- 環
- まさこさんの形が出来上がったんでしょうね、きっとね。
ある程度出来上がってきたら
変える必要もないと思うので、
- まさこ
- 出来上がったのは30年くらい前からなのかな‥‥、
でも、仕事を始めて30年くらい経ってるって、
恐ろしいなあ!(笑)
- 環
- やっぱりまさこさん、好きなもの
はっきりされてるじゃないですか。
- まさこ
- そうですね。
- 環
- ブレない。
人の言うことは聞かないわけでしょう?
- まさこ
- そんなことないですよ!
聞きますよ、聞いてますって(笑)。
‥‥あ、でも、「えっ」って思った違和感に関しては、
「やっぱりそれちょっと」って。
- 環
- そう。僕のまさこさんの印象は、
はっきり意見を言われるということです。
- まさこ
- あ、そうなんだ。
- 環
- 決断が早いし、
人のいいと思った方向の流れを壊さない。
今回の箸置きなんかまさにそうでした。、
チームの皆さんの知らないところで
ふたりでどんどん決めちゃいましたが。
- まさこ
- ふふふ(笑)。環さん、ありがとうございました。
販売されたあと、どんな反応をいただくか、
わたしもたのしみです。
- 環
- ありがとうございました!
ほぼアートピース
- まさこ
- 完成品を見て驚きました。
いったいどうやってこんな模様ができるんですか。
マーブル状になってるものとかもありますよね。
企業秘密でなければ。
- 環
- あ、いや、たぶんこれ、
見る人が見たらすぐわかるんですけど、
ただ土を混ぜてるだけなんですよ。
2種類の土をブレンドしているんです。
- まさこ
- なるほど。
- 環
- 僕はいろんな土を使うので、
手持ちの土でできることを、と、
いろいろやり出したら、
いろんな色ができました。
完全に混ぜ合わせたものと、
途中で混ぜるのをやめたものとがあって、
途中でやめるとマーブルっぽく、
完全に混ぜると御影石みたいになるんです。
- まさこ
- ほんとうにいろんなタイプの模様が!
- 環
- 焼き方にもよって色が変わるんですよ。
酸化と還元で焼きを変えると
色味が変わるとか。
- まさこ
- 同じ配合の土でも
焼き方を変えたり?
- 環
- はい。そうすると、
さらにバリエーションも広がっていくし、
もうキリがないです。
土を3種類、4種類、混ぜていくことになったら、
もうかなりのところまでできる。
だから、どこで止めるかっていうのが
むずかしいんです(笑)。
- まさこ
- 土の塩梅とか焼きの違いとかは、
どうやって考えるんですか。
急に閃いて、こうしてみようかな、
ああしてみようかなみたいな試行錯誤?
- 環
- 今回、「weeksdays」のための箸置きづくりは、
結局、土を3種類選んだんです。
鉄分のないものと、
磁器に近いもので赤い鉄分を含んだ土、
そして黒い土の3種類。
そこから選んだ2種類の土を、
それぞれ2:8または5:5で掛け合わせる。
白磁と白泥が半々のものは、
本当は白い土だけど、
微妙に色のトーンが違うので、
ちょっとグレイッシュな感じと、
より白っぽいものとができたり。
- まさこ
- 触った感じも、ちょっとツルッとしてるものから、
ザラっとしてるものもあって。
その触った感じの違いは?
- 環
- 器に使える土をそのまま使ってるんで、
磨かなければザラザラだし、
きれいに磨くとツルツルになりますね。
- まさこ
- 釉薬はかけてないってことですよね。
- 環
- 無釉です。
うちはガス窯なので、
灰が被って釉薬になることもなく、
本当に土の色そのままです。
- まさこ
- その試行錯誤は楽しかったんでしょうか、
それとも、苦しかったんでしょうか(笑)。
- 環
- こんなふうにいわゆる粘土細工をするのって、
焼き物ではあんまりないんです、僕。
だから、すごく楽しかったです。
- まさこ
- あ、よかった!
- 環
- はい(笑)。
- まさこ
- 器をつくるときとは、全然違いましたか。
- 環
- 箸置きと石ころの要素が2つ合わさって
今回の箸置きにならないといけないじゃないですか。
だから、どこかで箸が転がっちゃまずいなと
思ってるんだけど、あんまり考えると
全部同じ形になりかねないので、
そこは注意しましたね。
いっぱい並んで、型で押したみたいな石ころって、
気持ち悪いじゃないですか。
だから、できるだけ違うようにと思うんだけど、
今回300個とか作ると、手が上手になって、
最後、形が揃うんですよ。
得意仕事になっちゃうんです(笑)。

- まさこ
- なるほど、そうか。
- 環
- だから「いかに粘土細工をするか」っていうのが
一番の課題でしたね。
いかにふだんの仕事を忘れるか。
- まさこ
- 「あ、きれいになってる」
みたいになっちゃうんだ(笑)。
- 環
- うん、それは、まずいと。
- ──
- (笑)いつもと逆。
- まさこ
- 「いかにもつくったもの」じゃなく。
そういう意味で、わたしたちは、
「実用的な箸置きを買う」だけじゃなく、
「環さんの作品を買う」楽しさがあるんです。
極端なことを言えば、お箸置きとしてだけじゃなく、
棚にちょっと飾ったりだとか、
そういうアート作品としても価値があると。

- 環
- ありがとうございます。
- まさこ
- ポンポンって飾るだけでもうれしい。
そういう楽しみが提案できたらいいのかなって、
できあがったものを見て思いました。
「小っちゃい作品を買う」みたいな雰囲気ですね。
もちろん、今回のコンテンツを通じて
初めて「伊藤環」という陶芸家に
出会う人もいらっしゃるから、
「これ、いい感じだな」と思っていただけたら、
「こんど、環さんの器を買ってみようかな」と、
今までとは逆の入り方もあるのかなあって思ってます。
- 環
- 石ころを僕はつくったことがなかったんだけど、
「ほぼ日」の読者のみなさんは
「石ころの伊藤環」と思うかもしれない(笑)。
- まさこ
- それは思わないですよ(笑)!
でも嬉しかったですよ、
「ほぼ日だったら石で行こう」って、
決めたときのこと、憶えてます。
盛り上がりましたもん。
- 環
- まさこさんからのお話っていうのが
すごく僕はおもしろかった。
自分だけじゃできないことっていっぱいあるんですけど、
これがまさにそうで、
自分の枠からちょっと離れた所で
仕事ができる機会っていうのは、
ほぼ日とご縁があったから生まれた話だし、
さっきおっしゃったように、
僕も焼き上がって並べたら、
これはほぼアートピースだなと思ってました。
箸置きとしてだと、
高い、安い、そういう印象がみなさんそれぞれ
お持ちだと思うんですが、
アートピースだと思って
おもしろがってくれるといいなあと。
2個でワンセットで販売をしますが、
10個くらい並べたらかわいいんですよ。

- まさこ
- まさしく、そう!
- 環
- 器のような「道具」をつくると、
どうしても職人の方に偏るけれども、
こうしてできるだけ無邪気につくるときには、
アートの気持ちがどこかにあったと思います。
- まさこ
- わたし、もともとは
「用途のないもの」が
あんまり好きじゃなかったんですよ。
飾るにしても、素敵なピッチャーをポンって置くとかで、
アートピース的なものは全然持ってなかった。
それがここ数年、なんでもないものが家に中にあると、
大きな心のゆとりができるんだなぁ、ってわかって、
「なんでそんな用途にこだわってたんだろう?
用途のあるものじゃないと嫌、
みたいに言っていたんだろ?」
なんてことをなぜわたしは今まで
言ってたんだと思って(笑)。
- 環
- 人が暮らすところが都市化が進んでくると、
意味のないものじゃなくて、
ちゃんと人の考えたものが
周りに集まってきますよね。
そういった都市の中で生活してると、
自然のものって、けっこう排除されがちというか、
邪魔になるんですよ、土や砂利の地面とかね。
で、そういったことが生活の中に浸透してきていて、
「人間の生活には本当に無駄なものはいらない」
という発想がしばらくあったと思うんです。
すこし前に「断捨離」が流行ったけど、
断捨離って、無駄を省いてミニマムに暮らす作業。
その中で何が無駄なものかっていうと、
自然に近いものだったり、
あってもなくてもどっちでもいいもの。
でもね、作家の器が流行ったりするのは
自然素材のものを取り入れようっていう
気持ちがどこかにあるんじゃないかと僕は思ってるんです。
本来の人間っぽく生きる、というか。
- まさこ
- うん、うん。
- 環
- この箸置き、一所懸命、何も考えずに、
「石ころつくろう」と思ってつくったんだけど、
そういったものが、都市の、人が考えた世界にあるのは、
ちょっといいと思いましたね。
- まさこ
- なるほど。
今ここでわたしたちがいる東京と、
環さんたちが住んでいる所とは、
ずいぶん環境が違うじゃないですか。
もともと神奈川から岡山に引っ越したでしょう?
その土地を移す変化っていうのは、
つくるものに変化を与えましたか?
「このままじゃいけない」
みたいな気持ちもありましたか?
- 環
- うん、環境と年齢は
つくるものにすごくリンクしてると思うんです。
- まさこ
- 年齢も。
- 環
- そんな気がするんです。
僕は若い頃、結婚するくらいまでは、
田舎の実家‥‥信号機がないような所で
生活をしてたんです。
福岡の秋月っていう所なんですけど、
そのときは、都会に憧れて、
すごくエッジのきいた、
かなり尖った器をつくってたんです。
それが30代に入って、今度は三崎(神奈川)に住んで、
そのときはいろいろチヤホヤされながら
仕事が増えていって。
- まさこ
- チヤホヤ(笑)。
- 環
- 場所柄、都会に出ることが増えていくんだけど、
それと比例して、
かなり戦闘力が増した戦闘的な器が増えていくんですよ。
- まさこ
- へえーっ。
- 環
- で、子どもが2009年に生まれたとき、
急になんだか、
尖ってた器をつくってた、
都会に憧れていた田舎の陶芸家の仕事が、
急に痛々しく見えたんです。
- まさこ
- それは客観的に見てそうだったんですか。
- 環
- いえ、主観的に見て。
「昨日までの俺のつくったやつって、
なんて闘ってるんだ」と思ったんですよ。
- まさこ
- へえ~っ、昨日までって、いきなり?
徐々に「う~ん‥‥?」って思ったんじゃなくて?
- 環
- じっさいは1か月くらいでしたけれど、
ガラッと変わりましたね、脳内が。
再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
1月26日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
なお、材料の高騰により、
今回販売分より価格が変更となります。
磁器のオーバル皿
(石灰釉 小・土灰釉 小)
※丸皿(石灰釉)の再入荷はありません。


オーバル皿の色は、天草の白い陶石を生かして、
まっ白のものと、
土灰釉という釉薬をかけた、
ちょっとうすいブルーがかったものの2色です。
すっきりとしていて美しく、
繊細な表情をしています。
料理を盛ってテーブルに置くと、
その場所の空気がきりりとする。
少し緊張感があるところも気に入っています。
リムの内側にあるラインは、
時に「料理はここまでね」という境界線になることもあれば
(チャーハンを盛った時のように)、

その境界線を飛び越えて、盛りつけることも
(グリーンの蒸し野菜の写真のように)。

デザインでもあり、
またデザインを感じさせないさりげなさも併せ持つところは
さすが、猿山修さんのデザインです。
また、お箸もナイフやフォークなどの
カトラリーとも合うのが、
この器のよいところ。
和にも洋にも、中華やちょっとエスニック風など、
あらゆる料理を受け止めてくれる、
懐の深い器です。
(伊藤まさこさん)
手で石ころをつくりました

- まさこ
- (オンラインで)
こんにちは、環さん。
あれ? ……そちらは、工房ですね?
以前お伺いしたお家と雰囲気がちがいます。
- 環
- はい。今、工房に来ています。
ろくろの前なんですよ。
今まで手を動かしていたんです。
- まさこ
- すごい!
- 環
- 予定通り終わらなかっただけなんです(笑)。
- まさこ
- ご近所だという
木工家の山本美文さんがおっしゃっていましたよ、
「環さんの工房は、
けっこう夜遅くまで灯りがついています」
って(笑)。
- 環
- そうなんです!(笑)
今回は、お世話になります。
- まさこ
- こちらこそ、
このたびはありがとうございました。
どうでした? 箸置きをつくってみて。
いちばん最初は‥‥わたしが、
急にメッセージを送った気がします。
- 環
- そうだった‥‥かな?
たしか、「weeksdays」で
お箸をつくられたタイミングでしたよね。
最初は、それに合わせて箸置きを、
っていうお話だったんだけど、
その時は間に合わなくって。
- まさこ
- 全然いいんです。
- 環
- そのとき、まさこさんに訊いたんです。
「どんな箸置きか、イメージはありますか」って。
そうしたらいくつか写真を送ってくださった。
そのやりとりのなかで、
まさこさんが、石ころを5つ並べて、
お箸をそこに置いた写真があって。
- まさこ
- そうでしたね。
「箸置き」然としていなくても、
小っちゃくて安定していて、
箸を置くことができれば
それは箸置きになると思っているんです。

- 環
- それで「あ、石ころならできるかも」と思って。
- まさこ
- そうでしたね、思い出しました。
「石、おもしろいね!」って盛り上がりました。
- 環
- ちょうど自分に石ブームが
あった頃だったと思うんですよ。
- まさこ
- 石ブーム? 環さんに?
- 環
- ディフューザーっていうか、
部屋のフレグランスのための
石のような陶器ってあるじゃないですか。
- まさこ
- それ、知ってます。
- 環
- それで、陶器で石をつくる工場があることを知ったりして、
ちょっとだけ自分のまわりでブームになっていたんですよ。
- まさこ
- そうなんですね。そんなタイミングで
わたしが本当の石を箸置きにしてるのを見て、
「これをつくってみよう」と思ってくださったんですね。
環さんはそれまでにも、たしか、
石のような陶器をつくったことがおありですよね。
わたし、前に、器の土が余ったからと、
小っちゃいなにかの作品を見せていただいた記憶が。
- 環
- うーん、あったかな?
鉄の釘を箸置きに見立てて、
陶器でつくったことはあるんですけれど。
‥‥あっ、うんと小さいお皿じゃないかな。
小皿の、さらに小っちゃいやつ。
- まさこ
- あ、そうです! それです。
それで「これ、箸置きにもなる」って思ったんです。
- 環
- そうそうそう! ろくろを終えて、
ほんのちょっとだけ粘土が余ったときに、
本当に小さいものを、無理やりつくったんですよ。
もう豆も豆です、豆3粒くらい、
梅干し1個のサイズのお皿です。
そっか、それを見たまさこさんが、
僕に、なんとなく小っちゃいものをつくるイメージを
持ってらしたのかな。
それでお声掛けくださったんですね。
やっと理由がわかりました(笑)。
- まさこ
- (笑)でもその小っちゃい中に、
環さんのつくる陶器の、
肌の感じが出ていて、
すごくいいなあって思ってたのが頭にあったことを、
今、思い出しました(笑)。
箸置きって、普段の食事でいつも使うという人は、
もしかしたら多くはないかもしれないんですけど、
お箸をちゃんと箸置きに置くと、
お行儀よく見えますよね。
- 環
- テーブルセッティング、とまではいかなくても、
そういうことってありますよね。
でも、まさこさんに言われなかったら、
石に手を出さなかったかも?
でも「いいな、おもしろいな」と思っちゃった。
さっき言ったように、陶器で石をつくること自体は、
先にほかの工場がやったことなので、
自分がやるのはどうも不本意だと思ったんだけれど、
「でも、まさこさんが言うんだったら、しょうがないか」
‥‥とか言って(笑)。
- まさこ
- そうだったんですね。
- 環
- 箸置きとして陶器で石をつくるのなら、
ちょっとおもしろいなと思って。
- まさこ
- よかった。
じっさいの製作にあたっては、
試行錯誤はおありでしたか。
- 環
- はい、いざ「石のように」つくろうとすると、
なかなか難しいものなんですよ。
それでも箸置きは、
ずいぶん石に近づいたものができました。
けれどもおもしろいのが、
最近、ペーパーウエイトみたいな大きなものを
つくってみたんですが、
ものすごく薄っぺらい、粘土っぽい、
まるで石に見えないものができちゃったんです。
大きいと、石ころっぽくするのに無理がある。
そこで、山本美文さんにお願いして、
分けていただいたものがあって、
それを使って‥‥。
- まさこ
- えっ、それは、企業秘密‥‥?
- 環
- そっか、これ、記事になるんだ(笑)。
たしかに企業秘密なんだけど、まぁいいかな。
「おがくず」を貰ってきたんです。
それを少し土に混ぜて使うと、焼いたら木が燃えて、
その部分だけはポツポツ穴があくんじゃないかなって。
- まさこ
- ああーっ! なるほど!
- 環
- それが、わざとらしくない質感になれば
おもしろいなと思って、
より石のテクスチャーに近づけるために
木のくずを混ぜてみようかなって思ったんですよ。
今まだ完成していないんですが、
うまくいったら「大きな石のような陶器」が
できるかもしれません。
- まさこ
- へえ~っ。
それはまさしく「作品」ですね。
- 環
- はい、作品をつくってる感じです(笑)。
- まさこ
- この箸置きについては、
最初のサンプルを送っていただいたなかに、
いかにも箸置きという四角い(直方体の)ものも
つくってくださっていたんですよね。
それを見て、わたしと環さんが電話で話して、
「いっそ石でよくない? ていうか石がいい!」
と着地したんです。
- 環
- 四角いのね、一応つくったんですよね。
ちょっと石っぽい模様で
四角にしたらどうかなと思って。
でもその形では、全然、石の雰囲気がないし、
四角くつくるって、全然手間が違うんですよ。
- まさこ
- なるほど。
- 環
- 粘土の場合、四角く切るっていう作業がかなり大変で。
切った部分に負荷がかかって四角くなくなるんです。
そういうことを修正しながらつくるのは、
サイズが大きくても小さくても同じ手間だから、
小さい箸置きをつくるのに、
大きなコストがかかってしまいます。
でもそこにコストをかけるっていうこと自体が
バランスがおかしいと思って、
だったら、楽しくつくれるものが一番いいと。
それは基本的に、僕の仕事の大前提ですけれど。
- まさこ
- はい。
- 環
- で、丸い土をこうやって捏ねていると楽しいわけです。
その粘土細工的な楽しさにのっとってつくった方が、
使う人もやっぱり楽しいんじゃないかなと。
器でも一緒ですけど、そういうことってあるんですよ。
料理人が手塩をかけてつくった料理と、
ファストフードが違うのはそこじゃないかと
僕は思っているんです。
それは箸置きと一緒かなと思って。
- まさこ
- そうですね、わかります。
- 環
- やっぱり「石ころ」のようでないと。
伊藤環さんの石のような箸おき
還る場所
「箸休め」とか、
「箸を置く」とか。
「箸より重いものを持たない」とか、
「箸が転んでもおかしい」とか。
箸に関することわざや言葉はいろいろとあるもので、
それらを耳にするたび、
お箸って、
私たち日本人にとって、
欠かせない道具なのだなぁと
しみじみします。
棒が2つの単純といえば単純な道具なのに、
まるで指先の延長のよう。
お箸がなければ、
私たちの食卓は成り立たないと言っても
けして大げさではないでしょう。
毎年、新年には新しい箸を新調してきましたが、
今年は箸おきを新しくしました。
箸おきって、朝昼晩のごはんの時間に欠かせない、
箸の置き場所。
「還る場所」でもあると思う。
箸を使ったら、スッと戻す。
使う時にはまたそこからスッと取る。
食卓での所作も、
箸おきがあると美しくなる。
小さいながらも、
その役わりは大きいのです。
今週のweeksdaysは、
伊藤環さんの石のような箸おき。
環さんの手によって、
ひとつひとつ作られた、
まるでアートピースのような、
美しい箸おきです。
コンテンツでは、
この箸おきができるまでの話を、
環さんとおしゃべりしました。
どうぞお楽しみに。
Half Round Table わたしのつかいかた 伊藤まさこ
サイドテーブル代わりにもなる、
半円のラウンドテーブル。
人が集まる時にリビングへ。
テーブルの上には、
ワインやグラス、取り皿やカトラリーなど、
人数分置いておき、
「お好きにどうぞ」。
そんな気兼ねのいらない集まりにぴったりです。
また、角がないので、
人が行き交う場所に置いてもじゃまにならない。
我が家にあるテーブルはすべて四角いので、
これは新鮮な驚きでした。

こちらは玄関。
テーブルの上には、鍵を置いたプレートと、
キャンドルを。
足元には、スリッパの入った木箱を置きました。
大きすぎず、かといって小さすぎない。
玄関のちょっとしたスペースにも置ける
絶妙なサイズ感がいいんです。

ふだんは、肘掛けのある椅子が定位置のこの場所に、
ラウンドテーブルを置いたら、
あら、しっくり収まった!
椅子と違って目線が高くなるので、
部屋の印象を変えることもできるんです。
テーブルの手前に置いたのは、
北の住まい設計社とweeksdaysが作ったスツールです。
椅子の脚とテーブルの脚、
形を統一したことで、
並べると、さりげなくお揃い感が出る。
こういう細部の仕上げが、
部屋の印象を決めるのです。
家の中であれこれ使ってみて分かったのですが、
見た目以上にいろいろなものが置けます。
なのに、場所を取らない。
角が丸くなるだけで、こんなに? と思うほど。

パソコンとデスクライト、
資料いろいろを置けば、
あっという間に仕事場に。
ある時は、ワインを。
またある時は、玄関に置いてキャンドルを。
仕事机にもなっちゃう、懐の深さ。
もうひとつ、何かテーブルを。
そう思っている方におすすめです。
Half Round Table あのひとのつかいかた 3・吉川修一さん
吉川修一さんのプロフィール
よしかわ・しゅういち
株式会社STAMPS代表。
1965年東京生まれ。茨城育ち。
大学卒業後、数社のアパレル企業で営業、
マーケティングと店舗開発に携わる。
国内外のファッションとものづくりに触れた経験から
2013年にSTAMPSを設立。
「STAMP AND DIARY(スタンプアンドダイアリー)」や
「utilité(ユティリテ)」などの
オリジナルブランドの制作のディレクションから
フランスのバッグ「TAMPICO(タンピコ)」や
英国の「OWEN BARRY(オーエンバリー)」、
「Wallace#Sewell(ウォレス アンド スウェル)」など
インポートブランドのセレクトまで手掛ける。
最近ではアパレルにかぎらず、
日々を豊かにする「もの」全般を取り扱っている。
「weeksdays」では「あのひととコンバース。」に登場。
「はじめて見た時、
置かれた時の安定感にまずびっくりした」
という吉川さん。

「見た目に重量感があるので重いのかなと思ったら、
そんなこともない。
家具の移動が好きなので、
それが苦にならないんです」。
家の中の模様替えはもちろん、
家からオフィスへ、
オフィスから箱根の別宅へ。
家具を移動して、気分を変えるという吉川さんにとって、
「重さ」というのも、大切にしているポイントのよう。
「それから、どこに置いても収まりがいい」
と言って見せてくれたのは、
ご自宅の玄関に置かれた様子。

ラウンドテーブルを見た時、
まっ先に「玄関に置こう」
そう思ったんですって。
「小包や手紙などを受け取ったら、
まずはここへ。
郵便物を広げたら、
またテーブルの上を片づけて、
きれいな状態にする。
何かの中継地点のような役割もしてくれます」

「それから、
季節ごとのしつらえを見せても」
外国の家の玄関を開けると、最初に目に入るのは、
額やリースなどが置かれた、
コンソールテーブル上のデコレーション。
靴箱が置いてある日本の住宅事情では
なかなか難しいと思っていたけれど、
このテーブルだったら叶うかも。
玄関を開けた時の印象って、とても大事です。

こちらは、オフィスの入り口。

私たちが訪れたのは、
ちょうど展示会のシーズン。
芳名帳とハンドジェルを置いた
テーブルが出迎えてくれました。
立ちながら名前を書くのにちょうどいい高さです。
「あまりに馴染みすぎて、
スタッフが新しいテーブルがきたことに
気がつかなかったほど!」
と言うほど、しっくり。
そして、あつらえたかのようなジャストサイズ。
「棚を置けば、じゃまになってしまうし、
ネストテーブルだと高さが足りない。
あっちを立てれば、こっちが立たず。
世の中には、たくさんのいい家具があるはずなのに、
ちょうどいいのが今までなかったんです」

「それからこのテーブルのよさは、
上にものを置くと背景ができて、
空間が一枚の絵のようになるところ」


「座る」とか「ものを収納する」とか。
用途のはっきりした家具ももちろん必要だけれど、
飾るための家具があってもいい。
このラウンドテーブルって、
そんなことを思わせてくれる家具なんです。
北の住まい設計社とは、
長年のおつき合いという吉川さん。
旭川の工房をたびたび訪れては、
もの作りの背景や、家具作りに向き合う様子を、
つぶさに見てきたとか。
「さすがだなぁと思いました。
鋳型で作ったような正確さなんですけど、
機械的な感じがせず、
そこに人の温もりが感じられる。
一生ものという言葉がしっくりくるものだな、
ということをこのテーブルが語っています」
家具を愛する吉川さんの言葉を聞いていたら、
ますます愛着が湧いてきた。
そう、このテーブル、
本当に「一生もの」なんです。
Half Round Tableと、お手入れのこと
- 伊藤
- 今回、わたしの思いつきで、
このHalf Round Tableをつくっていただきました。
というのも、家具って、もうみなさんだいたい持ってる。
でも、何かちょっと、欲しい気持ちもある。
わたしもそうだったんです。
そこで、ちょっと置ける、
普通のサイドテーブルじゃないもので、
その場の風景が変わるものが欲しいなと。
そこで半円のテーブルはどうかなって、
漠然と思い、相談をさせていただいたら、
こんな形になってできあがりました。
ありがとうございます。


- 秦野
- こちらこそありがとうございます。
- 伊藤
- いろんな使い方ができるなと思って
夢が膨らんでるんですけど、
これは、いかがでしたか?
そういうお話をわたしたちから持ち掛けた時に、
どうお感じになりましたか。
- 秦野
- まずサイズ感がすごく大事だなと思いました。
マンションに置かれることを想定したほうがいいと。
- 伊藤
- そうですね、大きすぎないということですね。
でもスモールスペース用、
というばかりではないと思うんですよ。
たとえば、玄関の広いお家なら、
玄関まわりに置いて、お花が飾られていたら素敵ですし、
ハーフサイズといっても
パソコン仕事ができるぐらいの面積はあるので、
壁にむけて自分の小さな居場所をつくることもできます。


- 渡邊
- そうですね。本を積んでいてもいいし、
鏡を置いてお化粧をしてもいいし。
- 伊藤
- いい感じがします。かわいいです。
これはさっきおっしゃたように北海道産の木ですよね。
- 秦野
- ミズナラ100%です。
- 伊藤
- すべて自社生産で。

- 渡邊
- この面積の天板をつくるのに、
板はぎ‥‥はぎ合わせという
くっつけて、まっ平にする工程があって、
そこから自社でやっています。
ただ、曲げ木の部分は、
大きな設備が必要なので、
そこは外のチームに委託しています。
- 伊藤
- 製作において、苦労したとことはありましたか。

- 城浦
- そうですね。この曲木を丸脚に収める接合の所が、
ちょっと難しくて。
- 秦野
- 中間で脚をつなぐ補強ができないので。
- 伊藤
- 思い出しました、
わたしが途中でちょっと乱暴なことを言ったこと。
「脚が取り外せるといいのに」って。
そうすると送るのがコンパクトだと思ったんです。
でも「それはできません」ってきっぱりと
お返事をいただきました。
- 雅美
- そうなんです、そのためには、
いちばん最初から、それを前提に
デザインをしないといけません。
- 城浦
- 取り外すという仕組みづくりから
スタートしないといけないんです。
- 伊藤
- 送る時のことを考えてそう言ってしまったんですが、
使う時は、もうずっとこのかたちで、
脚を取ったり付けたりはしまんから、
この形でいいんだって思いました。
そっか、曲木の部分と丸脚の接合‥‥。
- 秦野
- 大変ですね、そこが。

- 伊藤
- 脚の下もすごくスッとしてカッコいいです。
そうだ、お手入れ方法もおたずねしておかなくちゃ。
- 雅美
- それはもう、秦野に。
- 秦野
- 任せてください。
とはいっても、日々のお手入れは
水拭きだけでも十分なんですよ。
- 伊藤
- さきほど「石鹸で」とおっしゃっていたのは‥‥?
- 秦野
- はい、汚れが気になる時には、
石けんを使ったお手入れをおすすめします。
- 伊藤
- 石けんは、どんなタイプを?
- 秦野
- いま、うちでは、
マルセイユ石鹸をおすすめしています。
汚れがついている時は、
マルセイユ石鹸をつけて、
拭いていただくんです。
- 伊藤
- マルセイユ石鹸がおすすめの理由は‥‥。
- 秦野
- 化学物質が入っていないからです。
そういうものであれば、
たとえばアレッポの石鹸でもいいですよ。
- 伊藤
- それで、汚れている箇所を‥‥。
- 秦野
- やってみましょう。
用意するものは、ぬるま湯を入れたバケツやボウル、
ナチュラル(オイル仕上げのナラ)の場合は
スポンジか柔らかい布を、
ブラックの場合は台拭き。
そして、乾いた布‥‥ウエスですね、と、
マルセイユ石けんです。
まずぬるま湯に浸して軽く絞った
スポンジあるいは台拭きに
マルセイユ石けんをすり込みます。

- 伊藤
- ふむふむ。
- 秦野
- まずそうしたら、全体にまんべんなく拭きます。
ナチュラルでためしてみましょう。
木目にそってごしごしと、
とくに汚れた部分は
その汚れを落とすように拭き取ります。
こうして‥‥。
- 伊藤
- あっ、天板全面を
磨くように拭くんですね?
- 秦野
- はい、僕は、石鹸を使うときは、
天板なら天板全部をやりますね。
でも汚れてるところだけでもいいですよ。
小さいお子さんがいると、
どうしてもいつも触るところだけが
黒っぽくなったりするので、
そこだけ集中してかけても。
- 伊藤
- スポンジは、ザラザラしてるほうなんですね。
- 秦野
- はい、木目に沿って、優しくこすります。
乾いた布で泡を軽く拭き取ります。
‥‥ナチュラルは、以上です。

- 伊藤
- えっ? 終りですか?!
水ぶきしたりは、ないんですね。
- 秦野
- いいんですよ。これで終わりです。
石鹸の油分が木についてるので、
このまま、また使っていただいて大丈夫です。
無垢の家具でオイルフィニッシュっていうと、
みなさんお手入れのハードルが高いと
おっしゃるんですけれど、
全然、これで大丈夫なんです。
- 伊藤
- なるほど!
ブラックの場合は、いかがですか。
いまここにはサンプルがありませんが‥‥。
- 秦野
- ブラックの場合は、
強くこすると色移りする事がありますので、
台拭きをつかって、やさしく拭いてください。
ぬるま湯で軽く絞った台拭きに
マルセイユ石けんをすり込み、
全体にまんべんなく拭きます。
汚れた部分は汚れを落とすように拭き取ります。
そして水気の残っているところを
乾いた布で軽く拭き取れば、おしまいです。
マルセイユ石けんは洗浄力が強いので、
使うときは特にやさしく。
塗装の寿命を縮める原因になりますから‥‥。
- 伊藤
- わかりました、
ブラックはとくにやさしく、ですね。
あと、おききしておきたいのは、
ナチュラルの場合、
無垢の木なので、長く使っていくうち、
あるいはそうして石鹸で磨くうちに、
ちょっとけば立つというか、
木の表面がざらざらしてきますよね。
その対策はどうしたらいいでしょう。
- 秦野
- ですよね。今はつるつるの表面ですが、
まめに手入れをしていると、
じょじょにカサカサして毛羽立ってきます。
それが気になるレベルになったら、
やっぱりサンドペーパーをかけていただくのがいいですね。

- 伊藤
- サンドペーパー。
それは使いはじめて何年も経ってからですか?
- 秦野
- いえ、1年に1度くらいかけると、いいと思いますよ。
これも、木目に沿ってかけてくださいね。
- 伊藤
- はい! 番手は何番ぐらいですか。
- 秦野
- 400番ぐらいですね。
- 伊藤
- うんと細かいタイプ。
- 秦野
- ただ、サンドペーパーをかけると、
表面のオイルも削れちゃうので、
このあとオイルを塗るんです。
僕が使っているのは
亜麻仁油が主成分のメンテナンス用オイルです。
ウエスにすこしつけて、
やはり木目に沿って薄く均一に塗り込みます。
そして、しばらく、放っておく。
夜に塗れば、次の日の朝には乾いています。
そうすると新品に近い状態に戻りますよ。
たとえばボールペンで書いちゃって凹んだとか、
鍵で擦って傷つけちゃったよっていうときは、
こんなふうにしていただくと、
目立たなくなりますよ。

- 伊藤
- なるほど、傷がついた時も、なんですね。
- 秦野
- 浅い凹みや傷であれば、大丈夫。
それとよくぶつけ傷といって、
椅子が当たったりして
角がつぶれちゃったりとかするんですけど、
そういうときはスチームアイロンで
スチームをあてます。
布をあててへこんでしまってるところに、
スチームを入れるんですよ。シューッ、と。

- 伊藤
- そうすると木がふっくらと戻ると
聞いたことありますが、
なんだか怖くてやったことなかったんです。
- ──
- 木の繊維がつぶれてるだけってことですか。
- 秦野
- そうなんです。
大きくえぐり取られていたら無理ですが、
小さな傷や凹んでいる程度でしたら、
そこに蒸気を入れてふくらませることができます。
- 伊藤
- ふむふむ、勉強になります。
- 秦野
- とにかく小さなしみや汚れ、傷、凹みは早めに。
放っておくのがいけないんです。
たとえば赤ワインをこぼしてしばらくおくと、
赤ワインは色が染みやすいので。
一晩経ったら色がついてします。
こぼしたときは、すぐ拭いていただくのが
やっぱりいいと思います。
そうそう、私の妻がお菓子をつくってて、
ラム酒の瓶を倒したんですよ。
そうしたら化学反応があったらしく紫色になりました。
ペーパーをかけても、なかなか消えなかったんですけど、
3年くらいしたら、わからなくなりました。
- 伊藤
- 3年で? 木ってすごいですね。
お手入れのこと、よく理解しました、
ありがとうございました。
あとは‥‥、最後になりますが、
これからここはどうなさりたいですか?
渡邊さん。
- 渡邊
- ああ、ここの将来のことですか?
- 雅美
- 本人も悩ましいところじゃないかな。
- 渡邊
- うん、うまく引き継げるのか、そこが問題ですね。
家具については、物として表現していけば、
継続性っていうのは、つくれるんではないかと思います。
ただ、ぼくは建築のほうもやっているんですが、
これはぼくしかやっていないので、継ぐ人がいません。
これからも長くこのスタイルでやっていくためには、
そういうプランを考えていくべきなんですけど。
- 伊藤
- わたしたちとしては、ぜひ先々も、と思います。
渡邉さん、みなさん、
今日はほんとうにありがとうございました。
ひきつづき、「こんなものがあったらいいな」を
思いついたら相談させていただきますね。
- 渡邊
- ありがとうございました。
- 雅美
- いつでもおっしゃってください。
また気軽に東川へ遊びにどうぞ。
- 伊藤
- はい!

Half Round Table あのひとのつかいかた 2・清水彩さん
清水彩さんのプロフィール

しみず・あや
2010年、Landscape Productsに入社、
カフェのスタッフからスタートし、
食のブランド、GOOD NEIGHBORS’ FINEFOODSの
ディレクションや、直営のセレクトショップ
Piliのマネージメント・バイイング、
海外アーティストとのやり取りなどを担当、
取締役に就任する。
2021年に独立。
「weeksdays」ではクラッチバッグの回に登場。
ふたりの子どもとの3人ぐらし。
「いつか、小さなグロッサリーストアを開きたい」
という清水彩さん。
生粋の食いしん坊。
そしておいしいものへのアンテナは、とても敏感。
「清水さんからおすすめされるものは、間違いない」
そんな安心感があります。

去年、ランドスケーププロダクツから独立。
今は、キュレーションやPRと、
活動の幅が広がっていますが、
一言で言うと、
「いいものを作っている人たちと、
私たち使う(食べる)側の橋渡し役」なのかな。
ホテルから、
一人でマッコリを作っているところまで。
大小にかかわらず、
サポートしたいと思う人たちの間に入って、
世の中にものや、ことを紹介したい。
そう思っているんですって。

半年前に引っ越した清水さん。
新居は、どんな感じなのだろう?
興味津々で訪れるとそこは、
鎌倉の山にほど近い、かわいい一軒家。
入るとすぐ広がるのがこの光景です。

小さな子供部屋が2つと、バスルームに囲まれた
5畳ほどのスペースに、
テーブルが馴染んでいるではありませんか。

「本棚のあるこの場所をどう使おうかと考えた時、
このテーブルがしっくりきました。
ちょっと本を読んだりするのにちょうどいい」
四角いデスクではなく、
半円がぴったりなんですって。

「こっちにも合うんですよ!」と見せてくれたのが、
さっきテーブルを置いたちょうど真向かいのスペース。
(この奥が玄関になっています)
ささっと椅子や本を置いて、
スタイリングしてくれました。
小さな頃から、
棚の中を飾るのが好きだったという、清水さん。



家の中を見回すと、
なるほど、そこかしこに棚が。

この家に越す前、
都内の新築のマンションに住んでいたという清水さん。
「きれいすぎて、ヴィンテージの家具は
合わなかったんです」
ハイジのベッドルームのような寝室、
黄色いタイル張りの小さな台所、
家のそこかしこに設られた棚‥‥
今は、このユニークな家に合った
インテリアを楽しんでいるところだそう。

2階のリビング横の和室にテーブルを。
テーブルの木の色合いはナチュラルとブラックの2種類。
「どっちにするか迷ったんですが、
ナチュラルは和室にも合うかなと思って」
なるほど、畳にぴったり。
パソコンと椅子を置いて、
外に向かって仕事ができたらいいなと
思っているのだそう。

ローテーブルではなく、
ここはあえてのテーブルと椅子。
圧迫感のない半円だからこそできることなのかも。

「これが一回り大きくても、小さくてもきっとだめで、
どこに置いてもしっくりくる、ちょうどいいサイズ感。
我が家には壁がないので、
もうこれ以上、家具は置けないなと思っていたけれど、
これなら大丈夫」と
うれしい感想をいただきました。
引っ越したときに、
大家さんからの覚書に書いてあったのは、
「とにかく窓を開けて風を通すこと」
晴れた日はもちろん、雨の日も。
この前、こんな大きい(と、手のひらを指差して)蜘蛛が、
天井をつたっていたのには驚いたけれど‥‥
と言いつつも、
鎌倉暮らしを楽しんでいる様子。
この家に、テーブルが馴染んだ頃、
また遊びに行かせてくださいね。

ヤコブ君のいた日々

- 伊藤
- 「北の住まい設計社」の工場は、
どこもかしこも美しいですね。
道具とか、ちゃんと整理されていて。
シートひとつとっても、ブルーシートじゃなく
モスグリーンのものを使われるとか、
こまかいところにも
目が行き届いている印象でした。
- 雅美
- ブルーシート、たしかに使ってません(笑)。
あんまり好きじゃないから。
- 伊藤
- ほんとですね。
そしてあるべきところに道具があって、
誰が見てもわかるっていうのが、
すごく気持ちよかったです。
それから、出番を待つ木たちの美しさ!
調湿してある養生室に案内していただいたんですが、
きれいでおどろきました。

- 渡邊
- ものすごく整頓ができていますよね。
一旦、整理したんです。
- 雅美
- チームがいいんですよ。
ちゃんとそういうことに気が回る。
- 伊藤
- チームができあがるまでには、最初の5、6人から、
だんだん人が増えていったのだと思いますが、
それは、募集をしたんですか。

- 雅美
- 最初の頃は、職人志願の人がずいぶん来ました。
多かったのは、脱サラで、
こういう仕事が精神的にいいと思って来る。
だけど実際、最初から家具づくりの仕事が
できるわけじゃないから、
あきらめて、抜けた人もずいぶんいます。
- 伊藤
- 全く未経験の人も受け入れていたんですね。
- 渡邊
- そうです、受け入れていましたね。
- 雅美
- なんでも受け入れるタイプなんです(笑)。
- 渡邊
- でも、一人前になると独立していきます。
- 雅美
- 技術を一通り身につけて
出ていく人はずいぶんいましたね。
- 渡邊
- そういうものなんですよ。
日本中から来ていましたから、
故郷に戻って独立をするんです。
そういう前提ですからね。みんな。
- 伊藤
- きっといろんなかたがいらっしゃったでしょうね。
- 渡邊
- 大学卒業前にたまたま北海道旅行に来て、
うちに寄って、ご飯を一緒に食べたくらいの人が、
あとから職人になりたいって来たこともあります。
いまも在籍している職人の中に、そういう人がいますよ。
- 秦野
- 唯一の新卒ですね。
- ──
- 就職戦線でくたびれ果てて、
「あ、これかも?」って思ったのかも。
- 雅美
- ところがやってみたら、不器用で、
けっして向いてなくて!(笑)
でも、一所懸命続けて、
いまは頼りになる、立派な職人です。
- 渡邊
- やりながら、身についていくものだからね。

- 雅美
- 教育機関ではないので、見て覚えるしかないんです。
でもいきなりテーブルくらいつくれる人もいる。
そういうことって、素質なんでしょうね。
- 伊藤
- こちらの家具は、渡邊さんがスケッチを描かれて、
それを設計の人や職人のみなさんと揉みながら
つくってきたと聞きました。
今も、それがあるけれども、
自分たちからオリジナルをつくって
渡邊さんに提案する場合もあるとか。
- 雅美
- はい。たとえばこの城浦くんは力があるから。
意図をくんで、提案してくれます。
それをディスカッションして、
またつくってみて、というふうに進めています。
たしかに昔は全部渡邊のスケッチから始まっていましたね。
- 伊藤
- それは設計図のように
ここが何cmで、とかじゃなくて、
おおまかな感じなんですか。
- 雅美
- そうなんですよ。
- 伊藤
- それでピンとくるのもすごい。
イメージから設計、そして実際にものができあがるまで
試作も何度かなさるんでしょうね。

- 雅美
- そうなんです。たとえば、
ヤコブっていうスウェーデン人が、
うちに1年来たんです。
彼は英語を話すのだけれど、
私もだめだし、夫もだめなので、
絵とジェスチャーでコミュニケーションをとるんです。
彼は、優秀で頭もいいし、顔もよかったし(笑)、
私たちと価値観がすっごく近かったので、
イメージを伝えると、彼は自分なりのスケッチをつくり、
それをもとに話し合って、
それを図面化してまたやりとりをして‥‥
という具合でしたね。
- 伊藤
- そんなかたがいらっしゃったんですね。
ヤコブさんを受け入れたきっかけは?
- 渡邊
- ここへ来て、10年くらいの時に、
海外の血を入れたほうがいいと思ったんです。
それで公募をかけたら、
スウェーデンの芸大の学生が応募してくれた。
それがヤコブでした。
ところが日本で雇うということがすごく難しくて!
- 秦野
- 就労ビザが下りなかったんです。
- 渡邊
- 職業にも制限があってね。
- 雅美
- 外務省に行って交渉したり、
そんな細かいやりとりを全部クリアして、
ようやくアーティストとして
1年間、来てもらうことができました。
あれはすごい1年だった。
- 伊藤
- ヤコブさんがいらして、
すごくいろんなことが変わったんですか?
- 渡邊
- 彼は1年で家具の‥‥全てっていうことはないけれど、
ソファとか主だったアイテムを
だいたい全部、デザインしていったんですよ。
- 伊藤
- すごい! ヤコブさんに興味が出ます。
今、何をなさっているんですか?
- 雅美
- すごく偉くなっちゃったらしいです。
彼は普通のデザインを学ぶ大学へ行き、
そこから建築の大学へ行って、
さらにどこかの大学を出ているんですが、
いま、スウェーデンで有名な
大きな建築設計事務所の上のほうのディレクターです。
- 伊藤
- ヤコブさんがここで設計したものは、
今も販売してるんですか?
- 渡邊
- 今はもう販売してないですね。
写真は残ってますけどね。
- 伊藤
- そうですか。
でも、それは大きな出来事だったんですね。
海外との交流という意味でも。
- 雅美
- はい。デザインも、ですけれど、
彼がスウェーデンとのパイプを太くしてくれました。
たとえば、私たち、塗料がそんなにわからないから、
オイルで塗装をしたくても、
いいオイルがどれかも知らない。
それをすぐ紹介してくれて、
輸入できるようにしました。
革もそうです。
タンショー(TARNSJO)という
スウェーデン王室御用達の革を使うきっかけも彼だし、
あと、石を組み合わせようという発想とか。
とにかく「異素材の組み合わせがいいんだ」って、
その頃から彼は盛んに言ってました。
鉄とガラスと木だ、って。
- 伊藤
- へぇぇ!
- 雅美
- それからソープフィニッシュを教えてくれたのも彼。
オイルフィニッシュの家具のお手入れは
石鹸がいちばんだと。けれどもその頃、
日本にはナチュラルな石鹸が
売られていなかったわけですよ。
それでピュアな粉石鹸を探して、仕入れて、
それを小分けにして売ったりしました。
今はオリーブオイルの石鹸で
いいものが輸入されているので、
そういうものをオススメできるようになりました。
掃除の仕方も、スウェーデンでは、週に一回、
さほど汚れていなければ月一回かもしれませんが、
家族全員で、子どもたちもやるっていうんです。
土曜日には、ボーイフレンド、ガールフレンドを連れて、
みんなでご飯をつくって食べ、
日曜日はお家のメンテナンス、みたいな家族の在り方とか、
暮らしを大事にするとか、そういうものが、
彼から教わったことですね。
- 伊藤
- たしかに、すごい1年間ですね。
- 雅美
- 今もずーっと付き合いが続いていますよ。
- 渡邊
- もう30年近く。
- 伊藤
- ヤコブさんにとっても、ここで過ごした1年というのは、
かけがえのないものだったんでしょうね。
- 雅美
- 「衝撃的だった」って、いまでも言います。
どういう衝撃だったのかは私にはわからないんですが、
町営住宅を借りて、東川での暮らしを楽しんでいましたよ。
夫の友人たちがおもしろがって、
もういろんなところ‥‥釣りから、飲みにから、
いろんなとこに連れて行ってくれて。
そのうち、海外から来てる人たちと、
旭川で交流したり。
- 伊藤
- 京都とかじゃなくて、いうなれば、
スウェーデンと似た環境の所だったのも、
よかったのかもしれないですね。
- 渡邊
- 旅もしましたよ。日本家屋を見せてあげたくて。
でも北海道って、日本家屋があんまりないですから、
四国までドライブをしたこともあります。
彼は感激してました。「これはすごい」って。
そういうのは、わかる子だったんで。
- 雅美
- 帰国してからもずっと密にしていて、
ここに家具を見ていただくための、
ショールームというほどじゃないけれど、
スペースをつくった時も、
自分が好きな暮らしの道具というか、
そういうものを置きたいなっていうことで、
ヤコブが間に入ってくれて、
日本に代理店がなかったメーカーのものなどを
スウェーデンから直接輸入をしたこともあります。

- 伊藤
- こちらのショップを拝見して、
品揃えの厚みに、みんなで驚いていたんです。
何から何まで、素敵なものが揃っていて、
それはそういう経験があってのことだったんですね。
- 雅美
- 好きなものを仕入れしてたらこうなりましたっていう。
- 秦野
- 昔は、海外のものを直接とってたから、
もっと煩雑っていうか、大変だったんですよ。
- 雅美
- そう。大変だった。
輸入のことを知らないで買い付けたら、
検査が必要なものだとわかったり。
北海道産の材木だけを使おう
- 秦野
- ‥‥6年前ですかね、いきなり、
社長(渡邊さん)が「輸入材をやめるぞ」と。
その当時、僕らがつくる家具は
4割は輸入材を使っていて、しかも評判がよかった。
だから「どうするんですか?」って。
でも「やめるから」の一点張り。
- 伊藤
- 売れているものでもやめる決意をなさったんですね。
つくるべきなのは北海道の材木を使った家具なのだから、
そこに集中するぞということですよね。
すごいです。
- 雅美
- いや、すごいったって中では大騒ぎですよ。
いろんなことを「なんとか」しなくちゃいけないから、
私たちががんばるしかないわけで(笑)。

- 伊藤
- たしか1985年の立ち上げの時から
北海道産の材木を使おうとおっしゃっていましたよね。
けれども実際は輸入材も並行して使ってきたのは、
どんな理由があったんですか。
- 雅美
- たとえばチークですが、
こういう家具をつくりたいっていうイメージがあると、
それはチークであるべきだというものが出てくるんです。
つまり、私たち、チークの家具が好きなんですね。
塗装をせず、無垢のままでいい色の家具を考えると、
チークの家具ってとても魅力があるんです。
- 渡邊
- そしてチークは輸入材です。
今のミャンマーですね。
日本ではとれないんですよ。
- 雅美
- だけど‥‥理念として、やめようと、
ある時、そう言ったわけです、渡邊が。

- 伊藤
- 北海道産のいい材木があるのに、
国内ではあまり使われず、
どんどん輸出されているという
現状もあったとか。
- 渡邊
- そうなんです。
- 雅美
- もうすでにずいぶんいいものが
輸出されていきました。
- 渡邊
- 戦後からですから。
70年くらい前に、もうすでに
日本のミズナラのいいものは海外に行ってます。
戦争に負けて、国が崩壊寸前までなり、
経済もゼロみたいな状態の中で、
輸出できるいいものっていうか、
向こうが求めてたのが、
北海道のミズナラだったんでしょうね。
- ──
- それは、製材して売ってたんですか?
原木を丸太でですか?
- 渡邊
- 原木だと思いますね。
だからきっと安かったと思います。
- ──
- フィンランドでもそうだったと聞きました。
フィンランドの戦後も森林資源を
原木のままで売ってたんですって。
だから安いお金しか入ってこなかった。
製材すれば高くなると気がついて、
植林と伐採の計画をして、
製材した材木を売るようになって、
やっと潤ってきたそうです。
- 秦野
- ロシアもそうですね。
- 渡邊
- 北海道のミズナラはほんとうによかったですよ。
丸太の径は(両手を拡げて)このくらい、
普通にありましたからね。
そういう時代が日本にもあったんです。
いまも、巨大な木を切った切り株が、
どこかに残っているかもしれません。

- 伊藤
- 寒いところでゆっくり育っているから、
目の詰まったいい材木になるんでしょうね。
それで、あるとき、北海道の木だけを
使って家具をつくることを決められたわけですが、
そのタイミングはどのようにしてやってきたんでしょう。
- 渡邊
- 「国産のものじゃなければだめだ」
っていうことよりも、
外国産のいい木が買えなくなったことも要因なんです。
僕は材木の仕入れで
アメリカに買い付けに行っていたんですが、
ある時から、中国が台頭してきて、
ものすごい勢いで丸太を買っていくようになりました。
僕らは、選んで気に入った丸太を5本なら5本、
10本なら10本買うところを、
彼らは1000本あったら1000本買っちゃう。
その競争のなかに僕たちがいるんだ、って、
そこで知りました。

- 伊藤
- 骨董の世界でも、
同じことが起きていると聞きます。
吟味せずにとにかく全部買われていくんだそうですね。
- 渡邊
- はい、材木もそうです。
それでアメリカに行くのをやめ、
北海道の木100%でやろうと決めました。
あともう一つ、検疫も大きいですね。
丸太の皮にはいろんなものがついてますから。
港で強めの殺菌をするんです。
僕らの家具はナチュラルな仕上げで、
みんなが直接触れるものなので、
もしかしたら薬品が染み込んでいるかもしれない木は
使わないほうがよいだろうと思いました。
そんなふうにいくつかの要因が組み合わさって
自分の中で熟成されていった期間があって、
ぼくは「輸入材をやめる」と言ったんだけれど、
みんなには「スパッと、突然、やめると言った」という
印象だったんですね。
- 雅美
- もっと早めに教えてくれればいいのにね(笑)。
- 伊藤
- でも‥‥、北海道の木だったら全部OK、
ということではないですよね。
- 渡邊
- それはもちろんそうです。
国産の材木にも、いろんな問題があります。
残念なことですが、北海道の中でも、
外国の丸太と混ぜ合わせて挽いてるところがあります。
実際、目の前で挽いているのを見れば、
ぼくは国産か外国産かわかります。
で、「どのくらいですか?」って聞いたら、
「3、4割が国産で、あと6、7割は外材だ」と。
今はあんまり輸入材が入ってきていないでしょうけれど、
当時、そういう状況に日本がなっていたんですよ。
だから100%、絶対大丈夫だと確信している
材木屋さんに依頼をしています。

- 伊藤
- 輸入材をやめた影響、
きっと、おありだったでしょう。
- 雅美
- ちょうどウォールナットとかチェリーの、
あの色の付いた木の家具が
人気が出てきたときだったんです。
小売店さんもそれで売り上げが取れている、
ファンもいるっていうのに、
それをいっさいやめるというわけです。
「え?」って言われますよ。
- 渡邊
- それは‥‥やっぱり失敗だったね。
- 一同
- (笑)
- 渡邊
- うちはいいんですよ。うちはなんとかなる。
でも小売店さんがそっぽむいちゃった。
もうあそことは取引できないと怒っちゃうんです。
そりゃ、そうですよね。
- 伊藤
- そこから回復していくのに、
時間がかかった、
やっと理解していただけるようになった、
っていうことですか?
- 渡邊
- いや、今、その取引先はほとんどなくなりました。
- 雅美
- もうちょっと助走期間をつくってくれればって
思うんですけどね。
考えているようで考えてない。
- 渡邊
- 会社がうまくなるようにと思っているんだよ。
でも気がついたら、売り上げがなくなってた。
- 伊藤
- 「木を植える男」ならば
いつも未来を見ていらっしゃるのかと‥‥。
- 雅美
- 学者ならそれでいいんですよ。でもねえ。

- ──
- わたしたちがいなくなった100年後にも木は残るわけで、
それが何かに使われるっていうことを
少しでも想像しない人は、
木は植えないと思うんですよ。
- 伊藤
- うん!
- 渡邊
- その通りですよ(笑)!
- 伊藤
- (笑)
- 雅美
- でもね、組織の存続を、
もうちょっと、ね‥‥。
だから私たちは
スタッフに守られてる感じです。ほんとに。
- 伊藤
- 逆に言えば、そのスタッフを集めたのは、
渡邊さんたちですよ。
- 渡邊
- いやいや、そんなことはない。
守られてるっていうのは、僕も認めますけど、
集めたのは、自分たちっていうことじゃないよな?
- 雅美
- 勝手に来てくれたの(笑)。
- 秦野
- そうかもしれません。
- 伊藤
- へぇぇ、おもしろい!
- 渡邊
- あらゆることって、
知識がないとわからないこと、
たくさんありますよね。
私たちはスタッフに、
仕事をしながら教えてもらった感じです。

再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
1月19日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
weeksdays PAS Stool

「座る」だけでなく、
部屋のすみっこに置いて、
小さなサイドテーブル代わりにしたり、
花台として使ったり。
部屋にひとつあると、
とても重宝するスツールです。
今回、お願いしたのは、
東川で35年に渡って家具を作ってこられた、
北の住まい設計社。
従来のデザインにちょっと変化を持たせ、
weeksdays仕様に
していただきました。
色はオーク×ナチュラルと、オーク×ブラック。
もふもふしたシートパッドとともにぜひどうぞ。
(伊藤まさこさん)

Half Round Table あのひとのつかいかた 1・フラワーデザイナー 市村美佳子さん
市村美佳子さんのプロフィール

いちむら・みかこ
フラワーデザイナー、「緑の居場所デザイン」主宰。
大学では陶芸部に所属し、
卒業後(株)ロイヤルコペンハーゲンに入社。
丸の内本店で店内の花装飾を担当したことをきっかけに
通ったフラワーアレンジメント教室の講師、
あんりゆき氏のイギリス暮らしと花に憧れて渡英、
現地でフラワーアレンジメントを学ぶ。
帰国後、あんりゆき氏に師事し、1994年独立。
東京・南青山のアトリエで花教室を主宰するほか、
フラワーデザイナーとして
ファッション&ライフスタイルブランドの
イベント花装飾を手がける。
料理雑誌や書籍のテーブルスタイリストとしても活動。
2012年、小さな頃からのエプロン好きが高じて、
ディレクターの滝本玲子氏と「エプロン商会」を設立。
リバティプリントやヴィンテージの布を使った、
身につけるだけでワクワクする
「大人のためのエプロン」のデザイン、制作、販売を開始。
2016年、屋号を「緑の居場所デザイン」と改称、
2020年(株)緑の居場所を設立。

窓の外はすかーっと抜けた青空。
日当たりのよいリビングの壁に、
市村さんがえらんだのは印象的な黄色でした。
「もともと和室だったところを、
直してもいいですか? って大家さんに直談判。
ふた部屋つなげて広くしたんです」
お花の教室もするというこの場所。
黄色い壁は、花やフラワーベースの色と
ぶつからないのですか?
と尋ねると、
「黄色ってね、他の色との相性がすごくいいんです。
どんなお花も映えるんですよ」
と意外なお返事。
万能な色って、
てっきり白だと思いこんでいたけれど‥‥
と言うと、
「白はコントラストが強すぎるから、案外難しいの」
ですって!
かれこれ、30年近いおつきあいの市村さん。
知り合った当時から、お花の仕事をしていた彼女が、
「万能」と言うのだから、間違いない。

ラウンドテーブルも、ほら、この通り。
黄色い壁に黒いテーブルがしっくり馴染んでる。
ピッチャーに生けたのは、
土佐みずきの枝。

右に置いた一輪挿しの中には、
枯れそうなラナンキュラス!?
お花って、生き生きしている状態が
ベストだと思っていたけれど、
そうではないことを知りました。
だってここに、この一輪があるのとないのとでは
大違いだもの。

「花もフラワーベースも、
いろんなテイストを混ぜるのが好き。
シックなものの中に、ちょっと派手なものや、
異質なものを入れ込んだりとか」

違うスタイリングも、
見てみたいなぁとお願いすると‥‥


棚から、ささっとオレンジのベースを取り出して、
こんな風に仕上げてくれました。


テーブルの足元には、
無数のフラワーベースが。
「ヨーロッパの蚤の市で買ったり、
海外へ行けないここ2、3年は、
都内で開催されるマーケットで見つけたり」
‥‥とここでまた、
テーブルの上のスタイリングをチェンジ。

フラワーベースをたくさん乗せて。

テーブルの使い心地を尋ねると、
「70センチの高さは使いやすいですね。
奥行きがけっこうあるので、
ものも案外たくさん置くことができる」
そうなんです。
角がないから、部屋の中でじゃまにならない。
花やフラワーベースはもちろん、
パソコンを置いて、作業もできちゃうんです。

テーブルに合わせてくれたのかな?
今日のワンピースは黒。
すてきですね、と言うと
なんと、
市村さんが友人とはじめたブランドのものだそう。
きっかけは蚤の市で見かけた、
古い着物。
「いいなと思ったものをまずは買って、
じゃぶじゃぶ洗って。そこから仕立てます」
バイヤス使いだから、
着ると立体感が出るんですって。なるほど。
着物と、洋服。
古いものと、新しいもの。
シックなものと、異質なもの。
ピン、と元気な枝に、今にも枯れそうな花。
黄色い壁と、黒いテーブル。
テイストが揃ってないのが、
市村さんのテイスト。
これはなかなか真似できないけれど‥‥
いつか壁の一面を黄色にしてみたいな、
なんて思いました。
木を植える男

- 渡邊
- こんにちは、渡邊です。
よろしくお願いします。
- 伊藤
- よろしくお願いします。
渡邊さんに、やっとお目にかかれました。
スツールのときも、
いろいろとご尽力をいただき、
ありがとうございました。
- 渡邊
- とんでもないです。多くの方のところに届いたそうで、
とてもうれしく思っています。
ありがとうって言うのはこちらのほうですよ。
- 伊藤
- スツール、30分もしないうちに、完売したんです。
- 渡邊
- すごいことです。
ありがとうございました。
- 伊藤
- 前回はオンラインの取材で、
「北の住まい設計社」の
成り立ちを聞かせていただいたんですが、
社長である渡邊さんがご不在で、
ずっと謎の人物だったんです(笑)。
- 渡邊
- そうかなぁ? ぼく、わかりやすいですよ。

- 伊藤
- あの‥‥、木を植えるのがすごく好き、
と聞きましたよ(笑)。
- 渡邊
- アハハ! そうですね、
好き、っていうか「使命」ですね。
- 伊藤
- この土地と出会って、数十年後にはこうなるぞ、
ということを思い描きながら、
木を植えていったんですか。
- 渡邊
- いえいえ、そこまで壮大な気持ちはなかったんですよ。
ここへ来た時、あまりにも寂しかった、
ということが一番です。
寂しいっていうのは、学校が廃校になったあと、
誰も手入れをしていなかったからですね。
もう、なんていうか、みすぼらしくなっちゃって‥‥。
畑もそうなんですけど、
それまでずっと人が関わっていた場所が放置されると、
「自然のまま」というよりは
「荒れた」印象になってしまうんですよ。
このあたりは、あんまり作物が穫れなかったから、
農家のみなさんもみんな離農をしていった。
ちょうどこの場所の真ん前では、
三つ葉の栽培をしていたんですが、それがだめになり、
ぼくらがこのあたりの土地を買うことになったとき、
自分たちが住んで、どうしたらいいかなっていうなかで、
作物も穫れないのならば、無理して農地にせず、
この荒れ果てた土地を森に還してあげたいと思いました。
それが木を植えることと連動していったわけです。


- 伊藤
- 当時の写真を見せていただいたんですけど、
あの荒れた土地がよくここまでに、って感動しました。
校舎も古びていたというし、
それを「よしっ!」って‥‥。
- 渡邊
- いや、「よしっ!」なんて
いうつもりじゃないんですよ(笑)。
- 雅美
- そうなんです、
そんな大げさなことじゃないんです(笑)。
- 伊藤
- でも「よしっ!」じゃないと、
できないことだと思うなぁ。
- 渡邊
- いえいえ、そんな大げさなことじゃありません。
ぼくはむしろここに来るのを
ちょっと嫌がってたくらいですから(笑)。
- 雅美
- たしかに、ちょっと、嫌がってました(笑)。
- 渡邊
- でも周りの人、いろいろぼくがお世話になってた方が
すすめてくださったというか、
ぼくに白羽の矢が立ったっていうか。
この東川町からもお誘いを受けたんです。
それで「まぁ、しょうがないか」ですよ。
たしかにここを森に還すということは思ったけれど、
ここで何かをしようとか、
ここを立派なものにしようとか、
そういう気持ちはありませんでした。
- 雅美
- そうです。成り行きです。
もちろん場所は探していたんですよ、
どこであたらしい生活をスタートするか。
- 渡邊
- 7年間、探していたね。
- 伊藤
- 旭川で、インテリアデザインの事務所をなさりつつ、
ご飯屋さんもなさっていて、
そういう忙しいなかで、
違うスタイルの仕事をしよう考えた、
というお話でしたよね。
- 渡邊
- そう、探し回った。
- 伊藤
- 7年って、なかなか長いですね。
- 渡邊
- けっきょく、どこを見に行っても、
そこで何かをやろうとかっていう
強い思いがなかったんです。
だからないままに年月が過ぎていった。
海外にも紹介されて行ったりとか、
あっちこっちいろんな土地を見て歩きました。
- 伊藤
- 海外へも!
- 雅美
- はい。前の仕事をいったん辞めて、
1か月、2人で北欧に。
フィンランドが一番長かったです。
ファームステイをしたんですよ。
- 伊藤
- へぇ! どちらの町に?
- 雅美
- えっと‥‥なんていうところだったかな。
- 渡邊
- ハーパニエミ(クオピオ市)だね。
その郊外の小さな農家にステイしました。
- 雅美
- にんじん農家でした。湖のエリアで。


- 伊藤
- 今のようなことになると、
始めた頃は想像してらっしゃいましたか?
- 渡邊
- いやいや、もう想像とか、
そんなの、まったくなかったです。
とにかく木を植えて‥‥。
- 雅美
- でもね、木はもっと早くから植えてましたよ。
旭川の町の中のマンションから
郊外の戸建てに移り住んだ頃からだと思います。
なぜ憶えているかというと、
私がベリーを植えたのに、
ある日、それがすっかりなくなっていて、
替わりに木が植わってるんです。
彼のしわざです。

- 伊藤
- ええーっ?!(笑)
- 雅美
- もう、そういう戦いです。
私は下を見てるんだけど、
夫は上を見てる。
- 伊藤
- (笑)今も植えてるんですか?
- 渡邊
- そうですね。ここらへんにこんなのがほしいな、
っていう時があって。
今は、広葉樹というよりは、エゾマツを植えてます。
混交林にしたいと思ってやっているんですが、
ドングリなんかはどんどん落ちて、
若い芽が出てくるんですけど、
マツはなかなか新芽が出ないんです。
出ても違った樹種ですね。たとえばトウヒとか。
だからこのへんにあるエゾマツは、
自然に生えたものじゃなくて、
全部といっていいくらいぼくが植えたものです。
- 伊藤
- 自然に生えてきたものなのかなと思ってました!
こちらのスタートが1985年と聞きましたから、
そこから37年になるんですね。
いま、50人くらいいらっしゃるそうですが、
一番最初は何人だったんですか?
- 雅美
- 私たちを入れて5、6人でしたね。
そこに手伝いたいという人が来たりして‥‥。
- 伊藤
- その時は、家具をつくる工房として
スタートなさったんですか?
- 雅美
- そうと言えばそうなんですけれど、
ルートも販売先もなかったので(笑)、
やりたいことが、ただ、あっただけです。
- 伊藤
- やりたいこととは。
- 雅美
- 北海道の木を使って、
外での暮らしを楽しむ提案をしたい、っていうことです。
だから夏を楽しむような家具づくりからやろうと。
それでアウトドアの家具を
エゾマツでつくったんです。
- 渡邊
- 家具といっても、おもちゃみたいなものでしたよ。
- 雅美
- 巣箱とか、木のポストとか。
フィンランドで見かけたものに
影響されたんだと思います。

- 渡邊
- 森っていったら鳥ですよね。だから巣箱。
- 雅美
- 最初は見事に売れなかったけど(笑)!
- 渡邊
- それが、巣箱だけは売れたんですよ。
日本野鳥の会の認定品になって、
会が1000個単位で買ってくれたんです。

▲ショールーム
- 伊藤
- そうなんですね。そこから徐々に家具づくりが
拡がっていったんですね。
わたしがスタイリストのアシスタントになったのが、
ちょうど30年ぐらい前なんですけれど、
東京の家具屋さんで
おふたりの家具を扱っていらっしゃったと聞きました。
きっとわたし、そうと気づかず見ていたと思うんです。
- 渡邊
- そうですね。また30年前だったらありましたね。
サザビーのお店とか、
元代々木にあった頃のペニーワイズとか。
- 雅美
- 懐かしい!
あれは、輸入できる家具が
だんだん少なくなってきて、
もうそんなに持ってくるものがないから、
自社でやりたいっていうことで、
共同開発をしていたんです。
材料選びやデザインも一緒にやって、
オリジナル家具を出したんですよ。
シェーカーっぽい形でした。
- 伊藤
- それで名前が広まったんですか?
- 雅美
- いえ、名前は出ないんですけれど、
私たちにとっては、
ノウハウができたことが収穫でした。
大量に注文をいただいたことで、
材木を乾燥させたり、家具を組み立てる、
そういう家具の生産工程のノウハウですね。
‥‥それも、バブルの終わりで
バッサリなくなってしまいましたけれど。
- 伊藤
- バブルがはじけたことで、ちょっとずつ、みんなが、
暮らしを大事にするみたいな空気になっていきましたね。
『クウネル』が創刊されたりして、
新しいものを追いかけるのにちょっと疲れちゃったことと、
ずっと使える大事ないいものが欲しいという気持ちが
重なったような気もするんです、あの頃。
- 雅美
- そうですよね。私たち、
時代の影響って受けていないような気がしてたけれど、
やっぱり、けっこう受けているんですよね。
- 伊藤
- むしろ、時代をつくってこられたのでは?
- 渡邊
- いや、つくってない、つくってない!
そんな大それたことしてないですよ!
- 伊藤
- (笑)
- 渡邊
- 思い、だけなんですよ。
自分の思いがいつも先んじていて、
中身がなかなかついてこないんです。
城浦君も秦野君もわかると思うけど、
「これからはもう、木は輸入しないぞ」とか、
いきなり、言っちゃうもんですから、ぼく。
- 伊藤
- えっ? えっ?

Half Round Table
しっくり馴染む
椅子はもうたくさん持っています。
ダイニングテーブルは、
何年も前に、
「一生もの」と思えるものを買いました。
チェストは去年、
気に入ったものを手に入れたばかり。
ひとつひとつ、
時間をかけて、
部屋と自分の暮らしにあったものをえらんできて、
今は「足りていない」と感じることはないのかな。
‥‥とは言っても、
家具好きとしては、
何か新しいものが欲しくなってしまうんです。
家の中をきょろきょろと見渡して、
「あ! こんなのあったらいいな」
そう思うものを見つけました。
すぐに北海道に連絡をして、
行ったり来たりのやりとりの末に、
できあがったのは、
半円のテーブル。
玄関、ダイニング、ベッドルーム‥‥
家のどこにあっても、
しっくり馴染む。
新しく加わったばかりなのに、
まるで前からそこにあったみたいなんです。
作ってくれたのは、
北の住まい設計社。
サンプルを見に行った時に目にした、
窓辺に置かれた様子、
忘れられないな。
今週のweeksdaysは、
北の住まい設計社と作った Half Round Table。
コンテンツは、
3人の方の使っている様子を拝見。
それから、
北の住まい設計社の皆さんに、
「このテーブルができるまで」をうかがいました。
どうぞお楽しみに。
山の正装
誰もが家からでなくなって
おしゃれの機会が皆無になった春は2年前。
いつもなら明るい色の薄い服をまとって晴々と、
誰かに会いに行っていたのに。
新しい服を買う気にもならず、
くたっとした部屋着ばかり着ていた。
山、登ってみよう。
うちから歩いて5分の低い山に目を止めたのはその頃。
東京から岡山に越して10年近く経つのに、
忙しすぎてそんな気持ちになる暇もなかった。
今、山が呼んでいる気がする。
ある日、適当なジャージを羽織り、
水筒とカメラを持って登ってみた。
標高169mの山はなだらかな坂で、
登山というよりは山歩き。
一歩ごとに樹々が囁くように揺れ、
足下には無数の落ち葉が重なる。
鳥の声が何種類も響く。
人間はわたしひとりだけ。
気づけば瞑想のような状態。
たどり着いた土地は妙に開けていて、
信じられないくらい巨大な岩がある。
衝動的にそこに横たわってみた。
靴を脱いで、裸足で。
じわりと熱い岩が、そのときの不安な気持ちを
吸い取ってくれるような気がした。
視界は青一色で、
鳥たちが激しく交わす会話だけが聞こえる。
それからというもの、
その山に登ることはわたしの大切な日課となった。
朝起きてベランダから山を見る。
顔を洗って日焼け止めを塗り、
ぼさぼさな髪を適当にキャップで押さえてすぐ、でかける。
エクササイズというよりは、
山に会いにいく儀式、と思っていた。
山、というのは木も花も鳥も虫も落ち葉も岩も、
そこにあるもの、すべて。
レギンスを買おう。
ある日突然そう思いついた。
誰に会うわけでもないけど、山のための服がほしい。
登山用の分厚いパンツは必要ない。
なにか、気持ちがあがるすてきなレギンスがいい。
それをシンプルなTシャツと合わせて
山訪問の「正装」にしようと思った。
その頃にはもう、わたしはその山を「聖地」と呼んでいた。
まだまだ不安定な世の中で
揺れ動いてしまいがちなエネルギーを
整えてくれる力がすごすぎて。
聖地を訪ねるには正装がいるでしょう。
服を買うことがだいすきで、
それまでずいぶん消費してきたけれど、
最後に何かを買ってから4ヶ月ほど経っていた。
ひさしぶりの買い物はレギンス。
世の中のありとあらゆるスポーツレギンスを
ネットで検索した。
たくさん消費するループからも
自然と抜け出したい気持ちになっていた。
レギンス、すぐ乾くだろうから一本でいい。
渾身の一本を。
丸一日レギンスリサーチをした結果、
宇宙みたいな模様の一本にした。
私服なら選ばないであろう少しサイケデリックな柄。
届いたそれは、両サイドに巧妙に黒地がいれてあり、
正面から見ると脚がまっすぐ、ほっそり見える。
偉大な山はわたしの脚のラインなど気にもしないだろう。
そのままのわたしをジャッジもせず、
ただ受けとめてくれるだろう。
知ってる。
わたしが上から見下ろしてひとり、気分がいいだけ。
でも、この「気分がいい」の効用を
いやというほどこの時期思い知っていた。
気分がよければすべてがよい方向に進む。
不安な時期のあの頃、
いつも以上に必要としていたのはその作用。
山はわたしの気分をベストにしてくれる
すごい力を持っていた。
そこにクールな銀河柄の脚で分け入る。
岩に登る。靴を脱いで大の字で寝そべる。
空を見上げて、自分のサイズを確認する。
控えめに言って、最高だった。
時は流れ、また、山以外の場所も
多く行き来するようになった。
でも今でも定期的に山に入る。
宇宙のレギンスに両脚をいれて、
過剰な何かを持ちすぎていないか
いつも、確認しにいく。

天国のジュエリーボックス
出合いは、はじめてのハワイ。
その日は確か、オアフ島の東海岸にある
ラニカイビーチというところに行く
半日のオプショナルツアーに参加しました。
ワイキキから車で30分ぐらいのところにある
ラニカイビーチは、ハワイ語で「天国の海」と言われる
息を呑むような美しいビーチ。
エメラルドグリーンの海に真っ白サラサラな砂浜、
ずっと憧れでした。なのですが‥‥
実は着いて30分ぐらいで
「あ、もういいかな」って思ってしまったんです。
いやもちろん、送迎バスを降りて
ビーチに向かうまでのロケーション、
砂浜に足を踏み入れたときの感触、
ワイキキに比べてのんびり静かな空間。
木陰で本を読むご婦人や砂遊びをする子どもたちの、
まぁ絵になること。
どんなに適当に撮っても
なんだか雰囲気ばっちりに写ってしまう
エメラルドと白のコントラスト。
「永遠にここに居たい‥‥」なんて常套句が
自然と口からでちゃうもんだと思っていました。

でも連日絶景を前にして、
何となく自分の中のコップの水が
溢れてくるのを感じていたんです。
もともとうっすらと感じていた
「実はそんなに水辺が得意じゃない、正直ちょっとこわい」
という、どこかトラウマのような感覚。
中高も水泳部だというのに。
自分の中で克服したつもりでいたこの感覚がよみがえって、
この美しいビーチも
ちょっと遠目から眺めているだけでいいかなと。
じゃぁこれから3時間、どうしよう。
思い切って、ビーチクルーザーを借りて
街に出てみることにしました。
このビーチのあるカイルアという地域は
世界屈指の高級住宅地や別荘地であり、
小さなスリフトショップ(いわゆるリサイクルショップ)が
点在しているらしいというのは何かで読んだけど‥‥
旅行は事前リサーチを入念にしてしまうタイプの私が、
無計画に、しかもツアー参加者と離れて
勝手に単独行動なんて今でも不思議なのですが、
なにか胸騒ぎがあったのかもしれません。
気になるお店を見つけては入り、見つけては入り。
どの店も無造作とは程遠い、
それはそれはゴチャゴチャとした空間で、
でも私にとっての “天国” でした。
埃をかぶった食器やレコード、
経年で固くなった帽子やカゴバッグ、
とぼけた顔のぬいぐるみに業務用のドアプレート。
ああ永遠にここに居たい‥‥。
タイムリミットを気にしながらひたすら走って、
たどり着いたあるお店。
吸い込まれるように店に入ると、
店主がチラリとこちらを見て、
店の奥から何か持ってきました。
「これ似合うよ」と(言われた気がした)
手渡されたそれは‥‥。
ジュエリーボックスでした。
所々小傷が入った20cmぐらいのボルドー色の革装で、
中は2段になっていて、
ペールトーンのミント色のベルベット地が敷き詰められた
ガーリーな雰囲気。
1950年代のアメリカ製で、
当時好んで着けていた華奢なアクセサリーにもぴったりの、
まさに運命の出合いでした。
偶然なのか、店主のおじさんに
何某かのパワーがあったのか、
それ以上は私の英語力では聞き出せず
「30ドルだけど20ドルにディスカウントするよ」
という言葉と共に、
黄色いビニールのレジ袋にガサっと入れて
その箱をくれました。
「Enjoy!」とにこやかに見送ってくれたその顔は、
今でもなんとなく脳裏に焼きついています。
そうして運命の出合いをした数日後、
私は思い立って人生初のスカイダイビングに挑戦しました。
ノースショアの海の上3000mから
重力にまかせて急降下する数十秒の間、
ただこわいと思っていた海が、
とにかく大きくて、美しくて、優しくて、
未体験の感覚でした。
行動が極端だよと周囲からは笑われましたが、
おそらく私はあのおじさんとあのお店と
このジュエリーボックスに出合っていなかったら、
空も飛んでいなかったし、
海もいまだにこわいかもしれません。
あれからというもの、何か自分を奮い立たせたいときに、
ヴィンテージのジュエリーボックスや
リングボックスを1つ買うのが、
小さな願掛けになっています。
ひとつ増えるたびに、ハワイでのことを思い出します。
いつかまたあのお店に再訪したいと思っているんですが、
実はどんなに検索しても見つからないんです‥‥。

山岡士郎のように手に入らない
- 伊藤
- 一之輔さんは「まくら」のエッセイ本を
これまで数冊出されてますが、
一之輔さんの「まくら」って、
年代的にみて「ちょっと上」の話題が多いんですよ。
それはまわりにいらした年長のかた、
たとえばご家族の影響でしょうか。
- 一之輔
- きっとそうでしょうね。
この前の寄席の「まくら」では
漫画の『美味しんぼ』の話をしました。
ぼくが中1のときに、
いちばん上の姉が結婚したんですよ。
そんとき義理の兄になる人が、
ぼくを懐柔するために(笑)、
『美味しんぼ』を全巻くれまして。
- 伊藤
- 全巻! なんでまた『美味しんぼ』?
- 一之輔
- なんででしょう、
そんなことで手懐けられると思ったんでしょうか。
「これ、おもしろいから読んでみなさい」
「はーい、ありがとうございます」
そこからぼくは『美味しんぼ』を
読みふけりました。
日曜の昼下がり、中学生がずっと
家で『美味しんぼ』です。
- 伊藤
- いいですね。
- 一之輔
- 酒も飲んだことないのに、
「ボージョレ・ヌーヴォーはいまいちだ」
「ドライビールなんてビールじゃない」
なんて言ってました。
中1が、大人に向かって
「山岡士郎が言ってたよ、
そんな気の抜けたビール、ってね」
おまえ、飲んだことねえだろビール(笑)。

- 伊藤
- 『美味しんぼ』はわたしも去年、
アニメで全部見ました。
『美味しんぼ』の「まくら」って
どんな内容だったんですか?
- 一之輔
- Twitterで、ハロウィーンの恰好が
バズってまわってくるでしょう?
そのなかに子どもが
山岡士郎のコスプレしてるのがありまして。
- 伊藤
- ちょっと(笑)、どうやって
山岡士郎ってわかるんですか。

- 一之輔
- オールバックで髪がびゅっとなってて、
黒いジャケット、ゆるんだ黒いネクタイ。
新聞片手に持って、
ポケットに突っ込んでる。
- 伊藤
- なんでまた、子どもに
山岡士郎のコスプレをさせたんだろう?
- 一之輔
- あの恰好で子どもが
「トリックオアトリート」って来たら、嫌でしょう。
そんな奴にどんな菓子やっていいか
わからないですよ。
なまじスナックとかあげたら。
- 伊藤
- ダメですね。
- 一之輔
- 「これは添加物いっぱいだ」とか言いますよ。
そんな「まくら」をね、一昨日振ってました。
- 伊藤
- 結局、士郎さんって育ちがいいから、
いいものに触れる機会がありすぎなんです。
- 一之輔
- ええ、わかります。
でも士郎は、
人の心がわからないからね。
- 伊藤
- そうなんですよね。
- 一之輔
- ほかにお客さんが大勢いるのに、
「この店は、なってない」と
文句言ったりするじゃないですか。
やってること、
親父と一緒なんですよ。
- 伊藤
- 英才教育は受けたんだけれども、
いろいろあって、
ちょっと冷たい人になっちゃった。
そういうとこハラハラしちゃいます。
- 一之輔
- 料理を作ってくれた人の気持ちが
わかってないんだよ。
- ──
- 漫画ですから‥‥。
- 一之輔
- 漫画なんだ。
- 伊藤
- 漫画ですね。
- ──
- はい。急に出てきてすみません。
- 伊藤
- 一之輔さんはほかの漫画も
そんな感じで、
周囲の年上の方にすすめられて
読んだのでしょうか。
- 一之輔
- いえ、金持ちの友だちんちに、
読みに行ってました。
大人になって改めて気づいたんですが、
うちの暮らしむきって、中の下か、
たぶん下の上ぐらいでした。
母親が内職してたから、
そんなに裕福ではなかったんです。
子どももいっぱいいたし。
- 伊藤
- わたしは耳鼻科は、
『美味しんぼ』が置いてあるかどうかで
決めてました。
待たされてもいいから。
- 一之輔
- はい、はいはい。
- 伊藤
- 山岡士郎みたいに、
やすやすとなんでも手に入っていては、
つまらないですよね。
- 一之輔
- そうなんでしょうね。
その金持ちの友だちは、
ビックリマンチョコも箱買いしてました。
みんなでそこに行って、チョコだけもらって
『コロコロコミック』を読ませてもらう。
家の中にミニ四駆のコースもあったんです。
ミニ四駆は、みんな自分の車は持ってるけど
走らせるところがないから、
そこ行って走らせました。
そんなことも「まくら」に入ります。
もしもね、これ、自分ちがその家だったら、
ネタになんないです。
そこそこ貧乏でよかったなとも思います。
自分に欠けてるものとか、抜けてるものとか、
そういうものがあったほうが、
きっと楽しいんじゃないかな。
ちょっと生意気なんですけど、
満たされてるとね、
お客さんが「聞いて笑って」という感じに
ならないんですよ。

- 伊藤
- では、お正月ですけれども、
一之輔さんは今年のハロウィーン、
山岡士郎さんを着ますか?
- 一之輔
- いやぁ、山岡士郎を子どもに着させるのを、
先にやられちゃったから、もうダメだな。
悔しいっすね。
- 伊藤
- 知り合いから聞いた話なんですけど、
仮装しなきゃいけないイベントに、
フランス人が「フランス人の仮装」を
してきたことがあったんですって。
ベレー帽かぶって、フランスパン持って。
- 一之輔
- そりゃカッコいいですね。
- 伊藤
- そう。そのイベントでそのフランス人が
いちばんセンスがよかったんですって。
それを上まわりたいので、
一之輔さんなら
落語家さんの仮装じゃないですか。
- 一之輔
- いいですね。
いやぁ、でもこの格好のまま
ハロウィーン行ったら、
お坊さんの仮装だと思われます。
でもね、私服になるとぼくはほんとに、
しょぼーんとしちゃうんですよ。
仕事着ですからね、これは。

- 伊藤
- 着物を着ると「仕事だ」という気分になりますか?
- 一之輔
- 一応はね。
だいたいね、いつも
「一応」で仕事しています。
「一応やっとくか」とかね、
「念のため」とかね。
- 伊藤
- 「一応」が通年のモットーなんですね。
- 一之輔
- そうそう。
それでここまでやってきて、
けっこう、いいもんです。
- 伊藤
- ああ、まだまだ足りないけど、
ぜんぜん訊きたいこと訊けなかった気もするけど、
たっぷり時間も過ぎてしまいました。
たのしい新春対談を、ありがとうございました。
- 一之輔
- こちらこそ。
またもや時間が足りな過ぎたかもしれない。
またゆっくりどこかで。
- 伊藤
- はい、ぜひ。
ありがとうございました。

新しいチャレンジ
こんにちは。インテリアブランド「イデー」の
ディレクターの大島です。
パンデミック以降、
私のライフスタイルにも変化がありました。
これまで一度も車に興味を持つことが無かったのですが、
50歳を目の前にしてこれまでの人生を振り返り、
やり残したことを毎年一つずつでもチャレンジしてみようと
心に決め、2020年の年明けから自動車教習所に通い、
9か月かけて2020年秋に
自動車免許を取得することができました。
免許取得の次はマイカー選び。
オートマ限定で免許を取ったこともあり、
はじめは最近の車種を見ていたのですが、
尊敬する先輩に「車も洋服と同じ自己表現だから。」
と言われ、どうせ乗るなら少しぐらい手間がかかっても
自分が好きなものに乗ろうと旧車を選ぶことにしました。
そこで目に留まったのがスウェーデンの
Volvo 240という車。
1974年から1993年まで作られた
Volvoを代表するロングセラーシリーズ。
質実剛健の旧車らしいカクカクしたデザインと、
仕事柄大きな荷物や家具も運べるという理由で選んだ
ステーションワゴン。
旧車選びは人選びというぐらいで、
車の状態はもちろんですが、
信頼できる整備士と出会えるかが
重要ということを友人に聞き、
中古車屋に行っては整備士さんと話すことを繰り返し、
探し始めてから半年後
ようやく念願のVolvo 240に出会うことができました。
意外にもこれまでVolvo 240は故障もなく、
運転初心者にとても優しい車。
電車やバスではなかなか行けなかった
様々な場所にドライブする
充実したカーライフを送っています。
車は移動するプライベート空間。
好きな時に好きな音楽を聴きながら
好きな場所に行ける喜び、仕事にプライベートに
お気に入りの車でドライブするひと時は、
これまで感じることができなかった
とても有意義な時間です。
ドライブの道中に偶然見つけた飲食店、
車でしか行けない気になるお店、
ドライブをすることで新たな出会いや経験もでき、
私にとって無くてはならない相棒になりました。
そして昨年末には、車を持ったことで
行動範囲も広がり、
箱根に新しい拠点も作ることができました。
実家が九州で、
ゆくゆくは九州の実家で暮らすことを
ぼんやり考えていたこともあり、
一度も家を買うという選択肢が無かった自分にとっての
新しいチャレンジ。
おかげで、平日は都心で頑張って仕事をし、
週末は箱根でリフレッシュ、
メリハリのある二拠点生活を送ることができています。
さらに今年の春、ずっと憧れていた
クラシックタイプのVolvo 245が
お世話になっている中古車屋さんで突然売りに出され
衝動買い(笑)。
これまで乗っていた1993年製のVolvo 240から
1982年製のVolvo 245に乗り換えることにしました。
いつか欲しいと願っていた1台に出会うこともでき、
これからますます楽しいカーライフが訪れそうです。
さあ、今年はどんなチャレンジをしようか画策中です。
皆さんも、1度切りの人生ですから
小さなことでも何か始めることで、
新しい出会いやこれまでの価値観を広げる
良い機会になると思いますので、是非!

ホームでありアウェイ
- 伊藤
- 落語との出会いは?
- 一之輔
- 高校です。
男子校だったんですけど、
高2でラグビー部辞めちゃって、
浅草をフラフラしてて寄席に入りました。
それが最初‥‥いや、ほんとうの最初は、
小学5年生のときに
落語クラブに入ったんです。
- 伊藤
- 小学生で、落語を。

- 一之輔
- それはたいした動機もありませんでした。
学校のクラブに入ることになって、
落語クラブは人が少なかった。
ぼくは子どもながらになんだかマイナー志向で、
人がいないところを好んだんです。
で、落語クラブ。
「ちょっと変わった感じもあるし、いいかな」
なんて思って、入ってみたら案の定、
部員は4人ぐらいでした。
そこで先生に「これ覚えてやれ」って言われて、
落語を覚えたのが最初です。
- 伊藤
- そのときは1分間スピーチのあとですし、
ウケるたのしさも知ってる子ですもんね。
- 一之輔
- そうそう。「じゃ、まぁやるか」つって、
6年生を送る会で、やった覚えがあります。
だからぼくの最初の高座は、
客が1300人ぐらいでした。
それ、全校生徒の数なんですけどね(笑)。
- 伊藤
- それはすごい。
全校生徒の前で、いきなりよくしゃべれましたね。
- 一之輔
- どうしゃべったのかは覚えてないです。
たしかに落語クラブに入ったんだけど、
たいして好きにはならなかったんですよ。
でも「そういえば、やったな」という
記憶はありました。
そして高2で浅草ブラブラして、
浅草演芸ホールに入ってみたんです。
- 伊藤
- そのときに「これだ!」という、
輝くひらめきのような、
運命的なものが降りてきたのでしょうか。
- 一之輔
- そうですねぇ、
「これだ!」というよりか、鈍ぅーい、
「これ‥‥なのかな」みたいな(笑)。
「どうやらこの寄席ってところは、
なんだかへんてこな空間だぞ」
と感じました。
いいな、なんか俺に合ってるみたいだな、
だるい感じの、さしてみんな一所懸命じゃない、
エンターテイメントは名ばかりの、
10代の若者から
80すぎのおじいさんおばあさんがいて、
よくわかんない手品やったり、噺したりする。
で、お客さんも、
さほど一所懸命には聞いてないじゃないですか。
- 伊藤
- ええ、まぁ、気は許してます(笑)。
- 一之輔
- とにかく、なんだか変な空間だったんですよ。
高校生だった自分は詰襟姿でした。
同じような年まわりの人は客席にいない。
爆笑の場というより変な空間という印象で、
でも「居心地はいいかな」という感じ。
- 伊藤
- 「居心地がいい」か‥‥、
その印象はいまも変わらずずっと?
- 一之輔
- はい、そうですね。

- 伊藤
- 一之輔さんはテレビにも出演するし、
ラジオもやってらっしゃるし、
文章も書きますよね。
それは寄席の
「居心地のいいホーム」があってこその
ほかのお仕事という感じなんでしょうか。
- 一之輔
- うーん、そうですね‥‥、
寄席って基本的に10日興行なんです。
その10日のうち7日出られないと、
プログラムに入れてもらえません。
ほかの仕事で忙しくなると
7日出られなくなることもあるんで、
そういうときは
「はずしてください」と申し出ます。
でも、やっぱり寄席に出てないと、
ちょっとおかしくなっちゃうんです。

- 伊藤
- 体調が?
- 一之輔
- 自分のリズムがね。
たとえば夜に独演会があるとするでしょう、
そういう日はたいがい、昼間に2軒ぐらい、
寄席に出させていただくんですけどね。
- 伊藤
- うわっ、すごいですね。

- 一之輔
- だから1日に5席ぐらい、やったりします。
しかし寄席って東京に5軒しかないんですよ。
噺家の数のほうが多い。
入れてもらえない人のほうが多いわけです。
寄席に出られるのはそれだけで
ありがたいものなんです。
ありがたいんだけど、ギャラは少ない(笑)。
ほら、わかるでしょ?
これだけの人数が出てて、
入場料は、ご存知のとおり。
半分は、当然のことながら寄席が持ってくから。
- 伊藤
- はい‥‥、この前、寄席に来て、
出演者の数に驚き、
思わずそろばんはじいちゃいました。
「あれ? さっきわたしはこれだけ払って、
そして、お客さんがこの人数」
- 一之輔
- 先輩方もたくさん出ててね、
ほんとうはあり得ないんですよ。
ですからまぁ、ほかの仕事のほうが、
はるかにいただけるんです。
これは事実としての話です。
だけどあんまりみんな文句言わずに出ます。
「少ねぇな、おい」とか言いながら、出る。
もちろん売れ過ぎちゃったりして、
出なくなる人もいるんですよ。
でも寄席が好きな人はずっと出ます。
ぼくも、出てないとなんだか気持ち悪い。
- 伊藤
- 寄席と独演会は、ぜんぜん違う雰囲気ですか?
- 一之輔
- 違います。
さっき言ったように、
寄席は団体芸だから、
楽にしゃべれるってこともある。
寄席って、ホームなんだけどアウェイです。
それがいちばんの特徴です。
- 伊藤
- ‥‥ホームなんだけど、
- 一之輔
- アウェイ。
だってお客さん全員、
ぼくを目当てに来てないでしょう。
- 伊藤
- たしかに。

- 一之輔
- いちばん多くいらっしゃるのは
「寄席、行ってみようかな」と
ふらっと来る方。
そういう人がほとんどです。
もちろんトリなんか取ると、
目当てで来てくれる人は多いです。
それでも「はじめて見るよ、一之輔」という方が
トリ取ったとしても、いらっしゃるわけです。
「そういうお客さまである」というアウェイ感が、
とてもいいんですよ。
当然、ぜんぜんウケないこともあります。
これが独演会ばっかりやってるとね、
ちょっとおかしくなってくるんです。
お客さんはみんなぼくを見にいらしてるんで、
甘えちゃうんでしょう。
「好きだから来てくださったんだ」って、
ちょっと思ってしまうんです。
- 伊藤
- そういう甘えた気持ちに慣れないように、
という意味でも、
寄席に出ておいたほうがいいんですね。
- 一之輔
- そうですね。きっと両方やってると、
バランスがよくなります。
himieのピアス
早く帰りたい
- 伊藤
- 師匠から一対一でつけてもらう直接の稽古が、
落語の内容を身につけるうえでも、
いちばんいいですか?
- 一之輔
- おそらくそうでしょうね。
落語研究会なんかでは、みなさん、
録音したテープやCDで覚えるでしょ。
でも弟子になると、直(じか)で教わることになる。
ぜんぜん違いますよ。
技術的なことももちろんそうなんだけど、
「このときのこの登場人物の気持ちはこうだよ」
というところまで教えてもらえるんです。
それ、ぼくらが使うすごく便利な言葉で
「了見」って言うんですけど。
- 伊藤
- 了見。
- 一之輔
- 了見は頻出語です。
「この人の了見を考えながら、やんなさい」
そう言われる。
五代目の小さん師匠が
「狸の噺をやるときは狸の了見になれ」って
言ってたらしいけど、
狸の了見ってさ(笑)、どんなのだろう。
意味わかんないんです。

- 伊藤
- 何だろう。難しい!
師匠のおっしゃることを、
ビデオやレコーダーで録ったりするわけじゃなく、
その場で覚えるだけですか?
- 一之輔
- 音声はね、いまは録らせてくださいます。
でも、録らないほうが
ほんとうはいいんですよ。
昔はひとつの噺を区切って3連日通って、
録音せずにその場で覚える「三遍稽古」が
普通でした。
いまはみんな忙しくて、
スケジュールが合わなかったりするので、
1回の稽古を録音させていただいて、覚えます。
でも、録音するとね、
「いつでも覚えられるや」と思って、ダメですね。
「三遍稽古」でやったほうがすぐ覚えます。
だって3日だけで覚えるんですから。
- 伊藤
- 見るだけで覚えるんですよね。すごいなぁ。

- 一之輔
- 人間、必死になれば覚えられますよ。
三遍稽古つけてもらった後にはもう、
クククククーッって聞いたものをですね、
こぼさないように。
- 伊藤
- もう「聞き漏らさじ」状態ですね。
- 一之輔
- ほんっっとに、
インプットしたものを
ひとつも漏らさないように必死です。
「じゃ、今日はここまでね」と言われて、
「ありがとうございました!」つって、
すぐに帰ってメモしようとするでしょ。
すると師匠が「カレー食べてく?」って
言ってくるんです。
で、おかみさんが作ってくれたカレーを、
ギンギンの目しながら食べて。
- 伊藤
- カレーの味もわからない‥‥。
- 一之輔
- うまいけど、味はよくわかんなくなってる。
いただいた皿洗って、すぐにでも
ガラガラッと帰りたい。
だけど今度は「ケーキあるよ」なんて言われる。
勘弁してくださいよ。
- 伊藤
- (笑)ほんとですね。

- 一之輔
- 最後には「大リーグ中継、見てくか」とか言われて。
- 伊藤
- もうお願いだから早く帰して(笑)。
- 一之輔
- 「いや、帰ります」なんつって、
急いで井の頭線に乗って、
帰り道はずっと反芻するんです。
家に着いてやっとこさ、
自分の言葉でやってみると、
やっぱり違っちゃうんですよね。
「師匠はそうは言ってなかったな」
なんてことになります。
でも、そのわかんなくなっちゃったところを
自分の言葉で紡いでいってなんとかする。
ぜんぶひっくるめて「稽古」なんですよ。
テープを覚えたんじゃ、そうはならない。
わかんなくなってはじめて、
自分の言葉になるんです。
- 伊藤
- もしかしたら、
カレーも大リーグ中継も、
「もう早く帰してくれ」という気持ちも、
稽古のうちなんでしょうか。
- 一之輔
- そうでしょうね、
試練を与えられてるんです。
筋を覚えるだけなら、
だいたいいけるんです。
でも、勝負はそこからです。
自分で補って、お客さんの前でやってみて、
そこからです。

- 伊藤
- お客さんの前で、その了見を、
演じるんじゃなくて、話す。
「話す」というのは、
どんな感じでしょうか。
目の前の人に聞かせる感じ?
- 一之輔
- 「みんな聞いて聞いて、
こんなおもしろい話あるから聞いてよ」
って感じです。
落語家ってみんな、
そういう感覚なんじゃないでしょうか。
- 伊藤
- ああそうか、
だからちょっとだけ声の調子を変えたり
そこにある小道具だけで
やったりするんですね。

- 一之輔
- ほんとにそこにあるものだけでね。
「あのさ、この間おもしろいことあってさ、
泥棒が入っちゃってね、大変だったんだって。
じゃちょっとやってみるわ」
って、演じ分けしたりして
「こんなことなんですよ」でオチつける。
「おう、おもしろいね」と言ってもらえる。
落語は、お坊さんの法話が
もとになっているといわれたり、
大名に仕えていた御伽衆(おとぎしゅう)という
おしゃべり上手な人が
「こんなおもしろい話なんですよ、殿様」
「おもしれぇな、おめぇは」
と話していたことが落語になってった、という
節もあります。
いつの時代も、ただのおしゃべりな、
おじさん、おばさんがいたんですよ。
- 伊藤
- わかります。
そういう人、いますもんね。
- 一之輔
- まわりにもいるでしょう。

- 伊藤
- 一之輔さんは小さい頃から
そういう子だったんですか?
「もう、一之輔くん!!」みたいな。
- 一之輔
- 小学生の時分はね、
そんなことはなかったですよ。
ひょうきんものでもなくて、
どっちかというと人見知りでした。
でも、4年生のときに、
「1分間スピーチ」みたいなことを
言いだした先生がいて。
- 伊藤
- 4年生がスピーチするんですか。
1分ってちょっと長いですね。
- 一之輔
- 長いんですよ。
クラス全員で日替わりでしゃべってくんですが、
列の端っこから順番が、日に日にまわってくる。
すげえ嫌だなぁと思って。
ぼくの番が来て、てきとうに、
なんとかしゃべったんですよ。
そのとき、なんかちょっとウケたんだな。
- 伊藤
- その1分間スピーチ、
どんな話だったんでしょう?
- 一之輔
- いやぁ、何をしゃべったんでしょうね。
わからないんですけども、そこそこウケた。
で、なんだか自信が出たんですよ。
「しゃべるのってたのしいな」という感じ。
そこから中学まで、
生徒会長やら学級委員長やら、
やるようになりました。