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重いコートを脱いで。

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一日まるごと家にいられる日は、
スープや煮込みを作ります。

‥‥といっても、
手間のかからないものばかり。
ことこと、くつくつ。
時々、鍋の様子を見に行くくらいで、
あとは火にまかせるだけ。
時間がおいしくしてくれる、
鍋を使った料理が好きです。

この時、出番の多いのが、
「もう私には重くなったからあげる」
そう母から言われて譲り受けた白い鋳物の大鍋。

そうか、長年使い慣れた台所道具も、
こうして手放す時がくるんだ。
ロールキャベツ、ビーフシチュー、
カレーにミートソース‥‥。
少しさみしい気持ちとともに、
おいしい記憶が蘇ったのでした。

そういえば、
私のワードローブも年々軽くなっていっている。
前だったら、
かっこよさでえらんでいた服も、
今ではえらぶ一番の基準は着心地のよさ。
中でも「軽い」というのは、
とっても大事。

「もうママには重いからこの服あげる」
母から言われたことを、
私も娘に言っていると思うと、
ちょっと不思議。
もしかしたら娘も、
少しさみしい気持ちになっているのかしらね。

今週のweeksdaysは、
身につけるだけで、
気持ちまで軽やかになってしまう、
nooyのコートとスカートをご紹介。
重いコートを脱いで、
春の街に繰り出そう。

水色のコートを、 森脇ひろみさんに。

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森脇ひろみさんのプロフィール

もりわき・ひろみ
神戸生まれ、神戸育ち。
短大卒業後、結婚、
38歳のときに陶器店をオープン、
40歳で夫を亡くし、2人の娘を育てる。
54歳のとき、店を閉め、娘たちの留学先である
イギリスに渡り、2年半を過ごす。
帰国後は決まった場所を持たず、器の企画展を開催。
2014年から、娘の今日子さんが立ち上げた
古い集合住宅の一室を使ったギャラリー
MORIS(モリス)を手伝う。

「MORISは娘の今日子さんにまかせているけれど、
ひろみさんも、ほぼ毎日、出勤しているそう。
『出たり入ったり、自由にさせてもらってる』
とおっしゃっていました。
お店で会えたらラッキー! 
MORISは、もののセレクトもいいのですが、
今日子さんのお菓子も最高なんですよ。
ちなみに内装は「鋼正堂」でもおなじみの
内田鋼一さんが担当しています」(伊藤まさこ)


MOJITOの「AL’S COAT」、
春らしい新色をと作ったのが、この明るい水色。
さて、
サンプルができあがってきて
どなたにモデルになっていただこうかな‥‥
と思った時に一番最初に頭に浮かんだのが
森脇ひろみさんでした。

「届いてびっくりしたんです。
どうしてこの色が好きってわかったのかしら ?って」

とひろみさん。
なんとここ最近、
晴れた日の空のような水色がブームなんですって。

「チョーカーやブローチ、
それからお財布も。
空色がなんだか私たちの間で、きてるんです」

娘の今日子さんもウンウン、と相槌を打ちます。
お財布はお店ですぐに売り切れてしまったほどの
人気だったとか!

「だから、まさこさんが
水色のコートを作ったって聞いた時、
ああもしかしたら明るい空色? って思ったんです」

今日子さん、アイフォンのカバーも空色なんですって。

布が大好きというおふたり。
馴染みの生地店に出かけては、
好きな布をえらんで、
仕立て屋さんに自分サイズに仕立ててもらうという
お洒落さん。
リモンタの生地もご存知だったそうで、
「空色にリモンタ! きたー! って思いました」
とニコニコ。

今日はひろみさんに2パターン、
コーディネートしていただきました。
ひとつめは先日訪れたイギリスで手に入れたという、
白に近いクリーム色のニットと。
コートのサイズはL。
ちょっとぶかっとしたラフさがいいかんじです。
パンツはイギリスの古着とか。
なんとメンズなんですって。

「幸運なことにジャストサイズ。
丈も直さずにすみました」

「サングラスも同じお店で買ったんです。
100年くらい前のものみたい」

ふたつめは、白のコーディネート。
ブラウスはsaqui。
(私も同じの持ってる、うれしいなぁ。)

「薄手のものだったら、Sサイズもいいですね」
とひろみさん。
そう、このコート、
ゆったりめが好きな方はL、
ジャストで着たい方はSなんてえらび方もできるんです。

トップスは、顔色が沈まないよう、
明るめの色をえらぶようにしているとか。
真っ赤な口紅も、
30年間変わらないという
潔いベリーショートもかっこいい。
いつかこんな大人になれたら‥‥と
ため息がでるのでした。

(伊藤まさこ)

MOJITOの服を、あのふたりに。その2 着心地、いいですね! 松庵文庫スタッフ 竹岡修平さん・丸山千尋さん

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竹岡修平さんと丸山千尋さんの
プロフィール

たけおかしゅうへい/まるやまちひろ
東京・西荻窪にあるブックカフェ
「松庵文庫」の若手スタッフ。
都内レストラン勤務を経てスタッフとなった竹岡さんは、
「ヘイブラウン」という
アコースティックなコーラストリオとしても活動中。
古民家をリノベーションした空間が好きで
スタッフになったという丸山さんと一緒に、
料理やお菓子の仕込みから接客まで、忙しく働いています。

カフェで働くときは動きやすい服が必須。
お気に入りの服はプライベートで、
とTPOに合わせて使い分けるのは当然のこと。
だけど、動きやすくて可愛かったら
働く意欲はさらに上がるかも。

東京・西荻窪にあるカフェ
「松庵文庫」スタッフの丸山千尋さんは
専門学校でファッションを学び、
読者モデルとして活躍していたこともあるという
生粋の洋服好きです。

「カフェスタッフとして働くときは
カジュアルな服を選ぶことが多いです」

スカートもパンツも履くし
メンズブランドも古着も着る。
最近はモードなテイストが好きと、
好みの幅が広い丸山さん。

「お買い物は、一目惚れタイプ。
街で可愛い服を見かけたら、即、決めます」

モヒートのパンツは最初に見たときから
ネイビーかベージュと決めていたそう。

「柄もののトップスが多いので、
パンツは無地のほうが着回しやすいかなと」

ファッションが大好きとあって、
ワードローブはかなりの量という丸山さん。
個性的なデザインの服も多いので、
モヒートのシンプルなデザインは
合わせやすくて重宝しそうとのこと。

シンプルなシャツをインして
大きめのピアスをアクセントに。
ぐっと大人っぽい印象になりました。

「からだを締め付けることもなく、
着心地、いいですね。
裏の縫製もきれい」

身長154cmの丸山さんはSサイズを着用。
ウエストの位置は、
ベルトを締めることで調節できるので、
丈が余る心配もなし。

さて、同僚の竹岡さんはというと
色柄選びに迷っている様子。

「丸山さんがベーシックな色を選んだので
僕はストライプに挑戦してみます。
こういう柄は着たことがないけれど」

聞けば、カフェスタッフと兼業で音楽活動をしているため、
ステージ映えする柄もののトップスが多く、
ゆえにパンツはシンプルな無地が多いとか。

「トップスはいろいろ持っていますが、
パンツはベーシックなもの2~3本を
トップスに合わせて着回しているだけ。
こんな柄ものも、ぶかっとした形も
足首が見える丈も初めてです」

いざ、履いてみたところ、
「思っていたより、スタンダードな雰囲気で、
気負わずに着られそう!」と笑顔。

「着てみると、意外とシルエットが細い。
ぶかっとした見た目にならないから、
手持ちの服とも合わせやすいですね。
でも、お尻まわりにゆとりがあるからか、
ものすごく動きやすい。
これ、汚したくないけど、
カフェで働くときにも着たくなりますね」

竹岡さんの身長は174cm。
最初はMサイズでちょうどいいなと思っていたけれど、
ものは試しとLサイズを着てみたところ、
「着心地が全然違う!」とびっくり。

「見た目はそんなに変わらないかもしれないけれど、
腰回りにLサイズのゆとりがあると
動きやすさが格段にアップしました」

「シャツをパンツにインして、
ハイウエストでベルトを締めるのは
好きなスタイルです。
サスペンダーも好きだし、
このパンツの共布のベルト、いいですね」

丸山さんも
ネイビーのパンツにボーダーシャツを合わせて
前側だけたくし上げて、パンツにイン。

「トップスはメンズの服で
かなり大きなサイズなんですが、
パンツのウエスト周りにもゆとりがあるから、
インしてベルトを締めることもできますね」

薄手のコットンリネン生地なので、
トップスをアウトしても、もたつかないのがいいところ。

丸山さんは長め丈のチュニックを、
竹岡さんはシャツをアウトした着こなしもお似合いです。

MOJITOの服を、あのふたりに。その1 ふたりで共有できそう。 cahier 菊地翔さん・春香さん

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菊地翔さん・春香さんのプロフィール

きくち・しょう/きくち・はるか
代々木八幡で<cahier>(カイエ)という
美容院を営む菊地翔さんと妻の春香さん。
完全予約制のマンツーマンサロンで、
品質だけでなくデザインのいいヘアケアグッズなども
販売しています。
春香さんはスタイリストアシスタント、
セレクトショップスタッフを経て、
カイエに参加。現在は産休中。

似たもの夫婦と言いますが、菊地夫妻はまさにそう。
よーく見ると顔立ちも服装も違うのに、
なんだかお揃いを着ているように見えるし、
兄弟のようにも見える。
同じ空気感をまとっているのは、
仲良し夫婦だからなのでしょう。

「お揃いの服を買うことはありませんが、
彼の洋服を私が選ぶことはよくあります」

と春香さん。
というのも、翔さんが買い物をするとなると
メガネや家具にばかり気がいってしまい、
洋服が後回しになるからだそう。

「私はメンズライクなテイストが好きで、
メンズサイズを着るのも好き。
だから自分用に買ったコートを
173cmの旦那さんが着ることもあるんですよ」

翔さんが「僕は何を合わせようかな」と迷っていると、
「あの黒いスウェットは?」などと答える春香さん。
どうやら、ワードローブを完璧に把握している様子。

春香さんがモヒートのネイビーのパンツに合わせた
オーバーサイズのネイビーのシャツも
実は、翔さんのものだとか。

「こうなると上下ともにメンズブランドですね。
靴もメンズライクな
レースアップシューズを合わせたいです」

オールインワンのような着こなしを
山葡萄のかごでハズすところがなんともおしゃれです。

「全身、キメキメだと気恥ずかしくなっちゃう(笑)。
女性らしいものとゴツいものを合わせたり、
パジャマみたいなパンツにシルクの服を合わせたり、
テイストをミックスするのが好きなんです」

翔さんは美容師という職業柄、
白やベージュの服が多いそう。
この日に着ていたのも、白いドレスシャツ。

「丈が長めのものが多いですね。
体が泳ぐくらいの大きめサイズのほうが
バランスがとりやすくて」

そのシャツの下に
ネイビー×ホワイトのストライプパンツを合わせてみたら、
これ以上ないくらい、しっくりなじんでいます。

「普段、幅の太いパンツが多いので、
モヒートのパンツはスリムかなという印象でしたが、
Lサイズを履いてみるとゆったり。すごく着心地いいです」

とうれしそうな翔さん。
カーキに黒いスウェットを合わせたら
ぐっとカジュアルな印象になりました。

「テーパードシルエットだからか
きれいめのスラックスとしても履けそう。
合わせる服次第で、表情が変わりますね」

このパンツの素材は薄手のコットンリネンで、
シャリっとした肌触りも気持ちいいのです。

「長男が小さいので、一緒に遊ぶときに
カジュアルなパンツを探していました。
やっと見つけたという感じ!」

と春香さん。

「チノパンだとハリがありすぎて、
カジュアルになりすぎちゃう。
でもこのパンツの素材感はすごく好き!
好きなシルクのローブなどにも相性がよさそう」

実は2人目を妊娠中で、もう臨月間近という春香さんですが
いわゆるマタニティウエアは持っていないそう。

「いつもはワンピースが多いかな。
このパンツはLサイズを選んで、
ボタンは開けたまま、ベルトだけをゆるく締めています。
もともと大きめのサイズをだぼっと着るのが好きだから、
出産後も同じサイズで大丈夫」

153cmと小柄なので、大きめサイズのパンツを履くときは
たいていロールアップしているのだそう。
そのバランスのとりかたも、真似したいところ。

2人ともベージュのパンツに、
春香さんは白いシルクのローブ、
翔さんは白いカットソーを合わせた
淡いグラデーションのリンクコーディネート。
パンツは翔さんがMサイズ、春香さんがLサイズ。

「長め丈の服を合わせて
ゆるっと着るのも可愛いし、
トップスをインしてきれいめに着るのもいい。
サイズも2人で共有できそうだし、
かなり重宝しそうです」

MOJITOの新しいパンツ

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その瞬間。

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洗いざらしのパンツを、
穿く瞬間が好きです。
お日様の下でからりと乾いたパンツに、
足を通す時の気持ちよさったらないもの。

夏のはじまり、
ビーチサンダルを履いた時に足の指が自由になる時や、
晩秋、カシミヤニットに首をくぐらせた時と似た感覚。
ああ、そうだ。
ふかふかのブランケットにくるまる時も
しあわせだなぁ。

どうやら私にとって、
季節ごとの気持ちよさがあるみたいです。

今週のweeksdaysは、
MOJITOのパンツ。
さらりとしていて、
洗うほどに身体に馴染む。
だから毎日履きたくなる。
リネンとコットンの肌触りを、
どうぞおたのしみください。

そうそう、
それと、毎回好評をいただいている、
「AL’S COAT」の新色も同時にご紹介。
今季は春らしいあの色。
明日からの商品紹介をどうぞおたのしみに。

アングローバルのみなさんに 着てもらいました。

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切畑屋智絵さん
MARGARET HOWELL SALES
身長 152cm
着用サイズ:ジャケット38 パンツ30
(セットアップスタイリング時はジャケットサイズ32)

「実はこれまで
自分に合うデニムジャケットに出会えず、
今までちゃんと着たことがありませんでした。
どう合わせようか悩んだ末、
デニムジャケットとは対照的な
シンプルな黒のロングワンピースを合わせてみました」

「とてもシルエットがキレイな
デニムを引き立たせるため、
トップスはシンプルなカットソーで
スタイリングしました」

「私にとって初デニムセットアップ! 
縦のシルエットを出すため、
ロングシャツをインナーに合わせ、
あえて一番上だけボタンを留めてみました。
上下デニムという印象が強いので、
小物でアクセントをつけてみました」


山崎将央さん
SEVEN BY SEVEN 生産
身長 171cm
着用サイズ:ジャケット36 パンツ28
(パンツのみのスタイリング時はパンツサイズ32)

「インディゴの青みが強くキレイな色だったので、
インナー、パンツ、靴を白で統一し、
ジャケットが映えるようにスタイリングを考えました」

「少しオーバーサイズで着用しました。
足元のサンダルとファニーなプリントデザインの
スウェットで抜け感を出しつつ、
大ぶりなインディアンジュエリーで
締まり感を出してみました」

「ジャストサイズのセットアップに春夏らしさを出すため、
スーツ+コートを着用するような感覚で、
コートの代わりにオーバーサイズのシャツを羽織りました。
足元もカジュアルになり過ぎないように、
スニーカーでなく、ローファーを選んでいます」


甲斐裕季子さん
and wander PR
身長 176cm
着用サイズ:ジャケット38 パンツ30
(セットアップのスタイリング時はジャケットサイズ32)

「素材感とコントラストを楽しみたくて、
シルエットと落ち感の美しい
キュプラのセットアップにしました。」

「デニムの存在感をそのまま生かしたかったので、
シンプルにオーバーサイズのカットソーを合わせました。
ほどよい肉厚のオンスに左綾の巻き耳。
履くほどに、自分だけのオリジナルの色落ちや
アタリを育てるのが楽しみになるデニムだと思います」

「デニムジャケットをジャストフィットにすることで、
シャツの感覚に近いスタイリングにしてみました。
カジュアルになりすぎないよう、
ジャケットを合わせました。
オーバーサイズドルマンシルエットが、
モード感をぐっと醸し出してくれました」


菅原大輔さん
MHL Retail Trainer
身長 163cm
着用サイズ:ジャケット36 パンツ30

「上下ともにリラックスしたサイズ感で合わせて、
ワークウェアらしさを感じるスタイリングを心がけました。
中に来たカットソーやキャップを
ダークトーンにまとめ、
グルカパンツにカットソーをインして
重心が下にいかないようにし、
引き締まる印象を意識しました。
デニムジャケットはあえてサイズアップしています」

「パンツの絶妙なサイズ感が活きるように、
シンプルなスタイリングを選びました。
あえてロンTではなく
リラックスしたサイズ感のニットを合わせて、
ストリートっぽくならないようにしました。
また、緩く見えすぎないように
ハットを被っているのもポイントです」

「王道にびしっとボタンを閉めて着てみました。
さりげなくデニムのインディゴカラーに合わせて、
藍染のスカーフを巻いています。
この上に軽いミリタリーなコートを
羽織ってもいいなあと思います」


鈴木コンスタンス静さん
MARGARET HOWELL PR
身長 165.5cm
着用サイズ:ジャケット32 パンツ28

「シンプルなTシャツにパンツ、コンバース。
大人の女性のスタイルに
デニムジャケットを羽織ることによって、
抜け感を出してみました。
少し袖口をロールアップすることで、
軽さも演出しています」

「綺麗なシルエットのデニムを生かすべく、
バランスのよいスタイリングを考えました。
オーバーサイズで柔らかい素材のシャツを合わせ、
足元にヒールを入れて大人な雰囲気もプラス!」

「デニムを引き立たせたくて、
シンプルに白のインナー(タートルカットソー)、
足元には色物を合わせました。
今、30代後半だからこそ、あえて挑戦したい
デニムのセットアップのスタイリングです」


吉田雄一さん
Dice & Dice DIRECTOR
身長 180cm
着用サイズ:ジャケット42 パンツ36

「細ウネコーデュロイのセットアップに
デニムジャケットを合わせました。
茶とネイビーの色合わせがポイントです」

「年齢や体型を考慮して、
少しゆとりのある36インチを選びました。
コーディネートもベーシックに、
色数もおさえクリーンなイメージにしました」

「絶妙なジャケットの丈感、
パンツのウエスト周りの綺麗なシルエットをいかすべく、
インナーはタックインしています」

デニムの定番をつくりたい。

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伊藤
サンフランシスコ時代は、
古着をたくさん見て、
物もたくさん買ったということですが、
そういう審美眼というのかな、
誰か師匠になるような人がいたんですか。
川上
教えてくれる人は、いなかったです。
数を見ることによって勉強してたので、独学ですね。
ただ、そこにいる人達も、すごかった。
強烈なやつばっかりで。
彼らを通じて、目を養っていった感じですね。
思えば、師匠がいなかったのが良かったです。
そうじゃなければデータ中心というか、
座学で勉強して、
デニムにしたって、このメーカーが、この年代がって、
そういう道に行ったんだと思うんです。
僕はデータじゃなく、浴びるように、
毎日何百着も見ていた中で理解していったから。
数を見るとわかることってあるんですよ。
このディテールがいいな、と思うと、
そこに共通するタグがついていたりする。
すると、そのメーカーのものはすごいんだな、
ってわかるようになるわけです。
伊藤
しかも師匠がいたとしたら、
その人のテイストに
染まったかもしれないですしね。
川上
そうですよね。
僕は、現地の人が着てるの格好いい! とか、
そういう感覚でしたから。
伊藤
やっぱり数を見るって大事ですね。
それにしても、何とかなるものですね、
18歳で、何もない状態で行って。
川上
ハイ、何とかなりますね。
それで、22歳くらいのとき
いったん日本に帰って来ました。
伊藤
そのままアメリカにいようって選択は?
川上
いてもいいかな、と思ったんですけど、
アメリカにいたい、という気持ちよりも、
やりたいことの方が明確になってきたんです。
それで、活躍の場を拡げたいと思って、
帰国したんです。
伊藤
それは、服をつくりたいということ?
川上
そうですね。服に関わる仕事がしたいって。
ちょうど、日本の方と知り合ったんです。
その方のアシスタントになって、
見込まれて、物作りを始めました。
伊藤
どんな物を?
川上
服のリメイクです。
その時からですね、好きだったデニムに、
作り手として触れることが増えたのは。
そのあとも、お金を貯めてはサンフランシスコに行き、
という生活をしていたんですが、
いつのまにか行かない時期が続いて、
そんなとき「店をやらないか」と誘われて。
伊藤
セレクトショップですか。
川上
仕入れた古着をベースに、
リメイクだったり、
アメリカの現地のあたらしい物を仕入れたり、
そういうミックスの店でした。
でも仕入れには限界があるので、
ゼロから服をつくるようになって。
それが「セブン バイ セブン」のスタートです。
お店の表記は数字の「7×7」、
ブランド名は英語の「SEVEN BY SEVEN」。
2015年のことでした。
伊藤
川上さんから「デザイナー」然とした空気というか、
そういうものをあまり感じないのは、
そういう来歴からくることなのかもしれませんね。
お話をうかがっていると、
デザイナー以前に、バイヤーであり、
プロデューサーであり、ディレクターでもあり。
それがひとつになったのが
「SEVEN BY SEVEN」という
ブランドなのかもしれない。
川上
自分でもそんな感じです。
最初から買い付けと空間作りをしていましたから。
伊藤
「SEVEN BY SEVEN」での服作りは、
今、どんなふうになさっているんですか。
川上
技術面で「こんなことできないかな?」
っていうところから発想していることが
多いかもしれないです。
この秋冬は、ヴィンテージの生地に特殊加工をして、
やわらかくした素材を使ったりもしました。
いまはもう失われかけている
古着ならではの技術や素材もあって、
そういうものを現代によみがえらせたくて。
それは、なかなかたいへんなことなんですけれど、
次も、ちょっと面白いことをするので、
ぜひ楽しみにしていてください。
伊藤
ぜひ! でも、ファッションデザイナーの仕事、
年2回、新作のコレクションを発表するって、
すごいことだと思うんです。
しかも男子ってすごくベーシックなものが多いでしょう。
年に1回ぐらいでいいんじゃないかしら(笑)。
川上
そうなるとラクなんですけど! 
でも自分みたいなタイプだと、
年に1回じゃ、遊びほうけそうです。
まだ時間あるな! なんて(笑)。
結局〆切前にヤバイって言ってるかも。
伊藤
(笑)今回、「weeksdays」が
SEVEN BY SEVENと一緒に服を作るなら、
川上さんが一番好きなものがいいと思い、
デニムの上下をお願いしました。
私たちもずっとほしかった、
デニムのパンツと、ジャケット。
ジーパンとジージャンですね。
紹介してくださったかたからも、
「こいつ、デニム、すごいんだよ」って。
川上
ぼくも、デニムのあたらしい定番をつくりたいなと
思っていたところだったんです。
ビンテージのデニムのよさは
経験的によくわかっていますが、
それを再現するレプリカではなく、
今の時代とみんなのスタイルに
ちゃんと受け入れられるものをと考えていて。
伊藤
ヴィンテージのデニムへの尊敬、
川上さんは、とても強いでしょうね。
きっとリーバイスですよね。
川上
はい。サンフランシスコが
リーバイスのお膝元でしたからね。
僕が住んでいたすぐ裏に工場がありましたし。
今は小学校になっちゃってますけど。
伊藤
でも、ヴィンテージもとても素敵だけれど、
そのままじゃ、体型が違うから、
うまくフィットしない部分もありますよね。
川上
そういうところをすごく考えました。
サイズも、今の時代あまりやらないと思うんですが、
細かく、1インチ刻みで作っています。
わざと大きなサイズを穿いても可愛いじゃないですか。
それを、綺麗だけじゃないストレートなかたちで。
伊藤
良かった! 
川上さんのまわりの、
社内の女性たちからも、すごく好評だと聞いて、
すごくうれしいです。
いいシルエットですよね。
ディテールも、細かいことまで
ずいぶん相談させていただきました。
川上
伊藤さんといっしょにつくるなかで、
革のパッチはどうしようとか、
ボタンはどうしようとか、
いろいろ相談を重ねてきましたね。
伊藤
そもそもSEVEN BY SEVENは
ブランドのパッチが無地の革ですよね。
それが潔いなと思っていたんです。
だからボタンをどうしますかと言われたとき、
できるだけシンプルにって。
そもそも、素材がいいし。
川上
素材、厚めに感じるんですけど、
穿くと、柔らかいんです。
伊藤
これってワンウォッシュしてあるんですよね。
川上
ワンウォッシュしてます。
いい時代の古着のデニム素材を再現したくて。
色も、この青さがすごく好きなので、
それが出るように作ったオリジナルの生地です。
穿いていくうちに、さらに綺麗な色になっていきます。
日本で作ると、インディゴがグリーンがかることが
多かったりするんですが、
これは青の方にいくデニムです。
伊藤
洗濯は、どうしたらいいんですか。
川上
裏返しにしてガンガン洗ってもらえれば。
‥‥裏返さなくても、別にいいですけど。
アメリカの人たちは、あんまり気にしてなかったです。
でもちょっと細かいことを言うと、
蛍光剤が入っていない洗剤がいいかな。
伊藤
そうします。
ふと思い出しましたが、
うちの父もアメリカが好きでした。
原宿の代々木公園が、ワシントンハイツ、
米軍の兵舎や宿舎があった軍用地だった時代、
そこで働いていたんですって。
川上
うわあ、すごい。面白そう(笑)!
伊藤
当時の父の写真を見ると、
デニムを穿いてるんですよ。
父が今生きてたら87ですから、
60年以上前のことです。
川上
うわ、ヤバイ、すごい! 
それ絶対リーバイスですよ。
伊藤
(笑)こんど写真をお見せしますね。
父はディズニーの『バンビ』を見た時、
1942年の作品だと知って、
こんなの作る国には敵わない、と思ったそうです。
川上
うわあ、すごい。
伊藤
父も、デニムには、ほんと、
グッときたみたいです。
どうして男の人ってアメリカが好きなのかな。
グッとくるポイントって何なんですか。
フランスとかじゃなくて‥‥。
川上
なぜかヨーロッパじゃないんですよ。
アメリカですね、やっぱり。
もっとも、ヨーロッパには
行ったことがないんですけど。
伊藤
どういうふうになるんだろう、行ったら。
川上
意外に超ヨーロッパっぽくなったりして。
伊藤
急にね。そうなったら、
この20年何だったの! って言います(笑)。
──
ザックリ『POPEYE』のせいだっていう
40代~50代の男子は多いですよ。
川上
『POPEYE』見てました! 
映画の影響もあるんだと思います。
『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』。
主人公達のジーパン、コンバース姿に憧れました。
小学校の時にああいうのを見て、
ジーパンが欲しいって親に言って
買ってきてもらったジーンズが、
あの501じゃないんです、どうしても。
それが悔しくて。
何かが違う。きっとシルエットも違うし、
たぶん素材もこうじゃない。
ちっとも格好良くねえ! みたいな(笑)。
伊藤
(笑)ほんと、いつも思うのは、
アメリカが男子心を惹き付けるってなぜなのかなって。
川上さんが言葉もわからずあてもないのに
18歳で行っちゃった、
そのくらいの魅力があるわけですよね。
川上
ほんとアホだったんです。
見せたいです、当時の写真。
ぼく、20キロ痩せてたんですよ。
伊藤
えっ。えっ?!(笑) 
見たい見たい。
川上
今度お見せしますね(笑)。
伊藤
ぜひ。
今日は、川上さんの人となりがわかってよかったです。
どうもありがとうございました。
川上
こちらこそありがとうございました。
こんどお父様の写真、見せてくださいね。

アメリカに憧れて。

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伊藤
すごい! いろいろなものがありますね。
インド風味なものとかも‥‥。
とっても可愛い。
川上さんは、アメリカにいらしたんですよね?
川上
はい、90年代後半からですね。
2003年、4年ぐらいに戻って来ましたが、
そのあとも行ったり来たりしていました。
伊藤
じゃもう20年ぐらい前から。
そもそもなぜアメリカに?
川上
ちっちゃい頃から行きたくて。
日本の大学は、ロクなとこ行けないだろうな、
と思っていたから、新潟の田舎を出て、
いっそ好きなところに行こうと。
伊藤
東京に出るのではなく、
いきなりアメリカに。
川上
最初に考えたのはニューヨークだったんです。
ところがニューヨークって冬はすごく寒くて雪が降る、
ということを知って、せっかく新潟から出るんだから、
あったかいとこ行きたいなと、
西海岸になりました。
相談した人が、たまたま
サンフランシスコに留学してた人で、
すごくいいよって言ったので。
伊藤
そういえばSEVEN BY SEVENという名前は、
サンフランシスコの別名だそうですね。
川上
そうです、面積が49平方マイルで、
7マイル×7マイルに収まるから、
ローカルの人達は
SEVEN BY SEVENって言うんですよ。
といっても、僕が住んでた時には
そんな言葉はなかったんですけれど。
ブランドを立ち上げるちょっと前に行った時、
その言葉をやたら耳にして、
いい名前だなと思って、そこからいただきました。
伊藤
アメリカに行こうって思った時には、
何をやろうと思っていたんですか。
川上
それが、何にも思ってなかったです。
アパレルも、全く、やろうとは思ってなかったです。
伊藤
ええっ?
川上
服は好きだったんですけど。
伊藤
そもそも‥‥、なんでアメリカだったんですか。
川上
それが、わからないんですよ。
ただただ、ちっちゃい頃から行きたかった。
伊藤
へええ(笑)!
ここのところ、「weeksdays」でお目にかかるかた、
冒険家的な男の人が多いんですが、
川上さんにもそれを感じます。
「何ができるかわからないけど、ちょっと行ってみよう」
っていうことが人生を変えた、みたいな。
じゃあ、高校を卒業してすぐに?
川上
はい、18で行きました。
知り合いもいないし、
英語もしゃべれなかったけれど、
とにかく行こうと。
伊藤
そんな状態で行ったら、
カルチャーショック的なものはありましたよね。
川上
はい。今のサンフランシスコってすごい都会ですけど、
行った当時は、メチャクチャ危なくて。
今も危ないですけど、
もっとすさまじく危なかったです。
初めてサンフランシスコに到着した日に、
ダウンタウンで素っ裸で捕まってる人を見て、
「すげえとこ来ちゃったな」って。
でも、なんとか、日々、過ごしてました。
伊藤
お金はあったんですか?
川上
ないっす。
伊藤
どうしたんですか、それは。
川上
最初は親を頼って、
当座の生活資金を借りて。
伊藤
そんな川上さんが
のちにアパレルブランドを立ち上げるまでに至る、
最初のきっかけが、
サンフランシスコにあったんですか。
川上
はい。そこで日々過ごしているうちに、
怪しい場所を見つけたんですよ。
アメリカって、ドネーション(寄付)の仕組みがすごくて、
要らなくなった服を集めて販売する場所があるんですね。
その収益を社会に還元するというような。
その場所はバスターミナルの近くの
かなり危ない地域にあったんですけど、
ドアを見つけて、入ってみたら、
壮絶なくらい大量の服と古道具が山積みになっていて。
その服がきっかけです。
伊藤
それまで古着が好きとか、
そういうことはあったんですか。
川上
もちろん服は好きでした。
けれども、その場所に出会って、
服を漁るようになって、
うんと深いとこまで行っちゃったんです。
伊藤
寄付されるような服だから、
きっと玉石混交ですよね。
川上
はい、ほとんど新品のものから、
何十年前の服まで、幅が広いというか、
メチャクチャでした。
それをどう漁るかで、目を養っていったように思います。
日本人は僕だけでしたけれど、
みんな、取り合いでした。
知識を持っている人が見ると、
お宝が混じっているのがわかるんです。
もちろん最初は何もわからなかったけれど。
伊藤
そこには、目利きの業者が買いに来ていたのかしら。
川上
いや、そうじゃないんです。
新品では服が買えないような人たち、
なかにはホームレスもいましたし、
メキシコから家族で逃げてきたという人、
そんな人ばっかりでした。
お金になりそうな服を見つけて安く買い、
値段を上げてフリーマーケットに出したり、
古着ディーラーに売ったりしていたんですよ。
パチンコと一緒で、いいのが出た時にはお金になって、
ちょっといいものが食えるぞ、みたいな(笑)。
あるいは、とにかく服に手を突っ込んで
なにかを探している人もいました。
それは、お金や指環を探していたんです。
昔の人って、ブラジャーの内側とかに
そういうものを隠していたんだそうで、
それを専門に探している人がいたんですね。
伊藤
それはみんな必死になる! 
でも、その中に入ってるもの、
取って‥‥いいの?!
川上
それはもう、隠して、こっそり。
伊藤
(笑)こっそりね。
川上
僕はそういう目的じゃなかったけれど(笑)、
古着にはまって、毎日買いに行っていました。
二つ折りにした服で部屋に壁が出来て、
ルームメイトとの仕切りになったくらい。
伊藤
じゃあ、このお部屋にあるものは、
きっと、サンフランシスコにいた当時、
買い集めたものが多いんですね。
川上
ヴィンテージのものは、結構そうですね。
ほんとうに安く買ったものばかりです。
ぼくは、どうやって作ってるんだろう? 
誰が作ったんだろう? 
って思うようなものが好きなんです。
ヒッピーが作ったアートや、
メキシコで作られたらしい円空みたいなマリア様、
流木、花生け‥‥、
なかには今はもう出ないような、
有名な作家さんのものもありますけど。
あとは、古いヒースセラミックとか。


伊藤
すごく素敵。
川上
今もあるものですけど、
昔のものは質感が違いますね。
こういうものをいっぱい集めていました。
伊藤
服だけじゃなくて物も好きなんですね。
川上
物、大好きですね。
じぶんでも作ったりしましたよ。
これがそうです。
伊藤
面白い! 
マリリン・モンローですね。
川上
そうだ、これも面白いですよ。
リーバイスの古い企業広告です。
フランスの有名なクリエイターが手がけたんですが、
余りにも過激で公開中止になったんです。
これレアです、今。
伊藤
川上さん、サンフランシスコのことを語るのが、
すごく嬉しそう(笑)。
もっと聞かせてください。

SEVEN BY SEVENのデニム

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あの頃のように。

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服の方向性が変わったせいか、
はたまた体型のせいか? 
前はあんなに好きだったのに、
そういえば最近、
履く機会が少なくなったなぁと
感じているのがジーンズ。

どうやら女の人のジーンズは、
流行りの形が変わるようで、
「ぴたっとしたものがいい」とか
「くるぶしが見えるものがトレンド」とか、
毎年大忙し。

さて、
では私はどんなものが履きたいんだろう? 
と考えた時、
頭に浮かんだのは高校生の時に、
初めて買った古着のジーンズ。
白いTシャツや
古着のレースのブラウスなんかと合わせて、
毎日のように履いていたっけ。
そんなことを思い出したのでした。

今週のweeksdaysは、
SEVEN BY SEVENのデニムパンツとジャケットを
ご紹介します。
ずっとつきあっていきたい
スタンダードな形が魅力なふたつのアイテム。
これが似合うよう、
自分自身を磨かねば。

背筋伸ばして、
気を引き締めて。
今年の春から大人のデニム元年、はじまります。

1月に好評をいただいた、
AMIACALVAの新しいバッグも登場ですよ。

伊藤まさこさんのつくる5つの部屋。後編

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ROOM3

壁際がちょっとさみしいな、なんて思うことありませんか?
そんな時のおすすめが、
長めのベンチ。
目線が低めなので、空間を圧迫することなく、
置くだけで部屋の雰囲気が変わるのです。
ベンチの上にはかごや缶などを置くと、
にぎやかでたのしい。
「座る」だけでなく、
こんな風に好きなものを置いて見せる収納ができるのもベンチのいいところ。
両脇には使い込まれて味わい深くなった椅子を。
スペースの都合でベンチを置くのは‥‥という方は、
椅子を一脚置くだけでも気分転換になりますよ。


ROOM4

もしも広いキッチンが持てたなら、
こんな風にスツールをずらりと並べたいなと思っています。
スープを煮ている間ちょっと腰掛けたり
クッキングブックや、
追熟待ちのフルーツが入ったボウルを置いたり‥‥
なんて、夢は広がります。
チューリップが入った缶は白いスツールに。
花台にすることだってできちゃうスツール、
今の私の注目のアイテムなのです。


ROOM5

部屋とは不思議なもので、
ちょっとした何かを置くだけで、
急に生き生きするし、
空気も変わる。
この小さなサイドテーブルもまたしかり。
ソファ脇に置くのもいいけれど、
今回は引き出しを上に置いて、
仕事部屋の片隅にあるイメージに。
手帳、読みかけの本、文房具‥‥。
毎日使うものをこのテーブルにまとめてすっきりと。

(伊藤まさこ)

伊藤まさこさんのつくる5つの部屋。前編

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ROOM1

時々、小さな鉢植えを買ってきては、
気に入りの鉢に移し替えたりして、
ささやかなガーデニングをたのしんでいます。
そんな時、リビングのすみっこに
こんなコーナーがあったらいいなぁ、
そう思って作ったのがこの部屋。
木のはしごには、ブランケットやリネンのコートをかけ、
かごの中にはヒヤシンスをたくさん入れて。
庭や広いバルコニーがなくたって、
家具や小物でガーデニングの気分を盛り上げることはできるのです。
かわいらしい水色のテーブルは折りたたみ式。
スツールもはしごも移動はらくらくなので、
部屋の模様替えにはもってこいのアイテムです。


ROOM2

小さなテーブルを囲んで、
家族や気の置けない友人とお酒を飲みながら、
ゆっくりおしゃべりを。
とかくソファが中心になりがちなリビングですが、
時には小さな家具を組み合わせてみてはと思うのです。
椅子は木の色合いを揃えましたが、
形はばらばら。
私はこれ、私はこっち。
それぞれ気に入りの椅子をえらんだら、
きっと話も盛り上がるはずです。

(伊藤まさこ)

買い付けの極意。

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──
いまも営業をしているということは、
お店の状況は、徐々によくなっていったと
いうことですよね。
鵜飼
知られるまでの3年ぐらいは大変でしたよ。
お店だけだったら、とっくに消えてました。
デザイン部門の収入をつぎ込んで補填して
なんとか回していました。
最初の1ヶ月なんて、売り上げゼロの日が何日もあった。
でも徐々に知られて行くにつれ、商品も増やし、
他にはない物を、ということを念頭に置いて
拡げていきました。
──
鵜飼さんが買い付けてくるものって、
自分の好きなものですか? 
それともトレンドを考えて?
鵜飼
後者は一切考えません。
自分が「好き」か「嫌い」かって、
一瞬で分かるじゃないですか。
ぼくが好きなものってね、
10段階の10のものではないんです。
そりゃ流石だな、カッコいいなとは思うけれど、
本当に好きなものはそのちょっと下あたり。
そこを中心に、だんだん幅を拡げていった感じです。
──
じゃあ、ピンと来るものをパッと買う?
鵜飼
そう。早いですよ。
たとえば、3年前かな、
ポートランドとロサンゼルス、縦に移動してね、
実質8日間で1200点買ったことがあるんです。
1200点っていうのは、吟味してたら買えない量です。
そのスピードは最初からあったような気がする。
ひとつ、亡くなった先輩から教わったことがあって、
「アメリカで買うときは、棚買いをしろ」。
棚買いすると、駄目なものもあるけど、
いいものが混じっていれば、それでいいんだから、
吟味して見過ごすよりも全部買えと。
あるいは、この棚、全部要らないみたいに判断しろと。
──
この棚の中からいいものを選ぼう、
とすると、時間がかかってしまうんでしょうね。
鵜飼
ただ、当時のアメリカの話ですけれど。
今は価格が高くなったからそんなことできないですけどね。
──
じゃあ、ヨーロッパはヨーロッパ、
アメリカはアメリカで、いい人に巡りあった。
幸運ですよね。
鵜飼
はい。その人が俺に与えてくれた一番のラッキーは、
仕入れ先を教えてくれたことなんです。
ふつう教えないですよね。
自分が苦労して何十年もかけて見つけた仕入れ先って。
──
企業秘密ですものね。
鵜飼
多分そのときに、「辞める」って決めてたんでしょう。
実際、2、3年してから廃業したんですよ。
──
「いい後輩ができた」と思ったのかもしれませんね。
鵜飼
そうかもしれません。
最初にアメリカへ買い付けに行ったときは、
その人が手配してくれたバンに、運転手がいて、
安く泊まれていいホテルも紹介してくれて。
「何でこんなに親切なんだろうか」と思うくらい。
そんなわけで、アメリカでもいいスタートを切れました。
それから、3、4年前は年に8回ぐらい行きましたが、
今は年に4、5回くらいですね。
──
いまはどこを回るんですか。
鵜飼
まずイギリス。田舎とロンドンですね。
それから、フランスは、
古いものが少なくなっているので、
新しい物を買いに、たとえば、
メゾン・エ・オブジェ(MAISON & OBJET)
みたいな展示会に行ったりします。
アメリカはロサンゼルスがメインで、
ポートランドも行きます。
東は行ってないんですよ。
それから、年に1回ぐらいは北欧。
デンマークやフィンランドです。
一度、伊藤さんに同行してもらって、
「伊藤まさこが選ぶ」っていう企画で、
北欧の古い食器を集めました。
面白かった。彼女のスピード感、さすがだなと。
──
買い付けの早い鵜飼さんをしても?
鵜飼
違うスピード感なんですよ。
彼女が買い付けする姿って、見たことなかったわけ。
で、お店に行って「ここだよ」って言ったら、
「へぇ‥‥、すごいねぇ」なんて、
最初はのんびりしてるんです。
「戸惑ってんのかな?」なんて思って、
ぼくは出されたお茶とお茶菓子をいただいていたら、
テーブルの上にズン、ズンって、
あっという間に食器が積み上がっていました。
「こんな感じでいいかなぁ?」みたいな(笑)。
やっぱり、あの人の目っていうか感覚、
素晴らしいなと思いました。
もっと驚いたのは、次のお店に行っても、
さらに次のお店に行っても、目が疲れないんですね。
買い付けで一番困るのが、10日ぐらいの買い付けだと、
5日目ぐらいから目が飽きてくる。
良い物を見ても感じなくなっちゃうんです。
そして買い付けの量が減ってっちゃう。
それが自分の心配事で、滞在先で毎朝思うのは、
「心を、スポンジを絞った状態にして行きたい」
ってこと。
昨日までのことを一切忘れて、全部吸い込みたい。
そうじゃないとね、飽きちゃって、
元々買い物っていう行為が好きじゃないんですよ。
──
えっ。
鵜飼
東京にいてもね。ショッピングという名の行為が、
もう面倒臭くて面倒臭くて。
──
意外です。
鵜飼
そういう自分を知っているので、
初日に一番買えそうなディーラーとか、
買えそうなお店を充てがうんです。
なだらかな出発ではなく、
最初に飛ばそうぜ、って。
あとは「迷ったら買う」。
「これどうしようかな、取っといて、また後で考えよう」
っていうと、広いイギリスの郊外の
アンティークマーケットなんて、
だだっ広い原っぱに、ディーラーが10トントラックで、
外に物を置いて行くようなところなんですよ。
そんなところ、1日かけても回り切れないぐらいなのに、
1回見て「後でね」なんて、無理なんです。
場所も分かんない、誰か買っちゃう。
だからもう、行ったその場から「これ買う!」。
──
鵜飼さんが行かずに、
スタッフが行くことはあるんですか?
鵜飼
それはまだ1回もないんです。
育てたいですよ。
この膝の痛さを考えたらね(笑)。
──
鵜飼さんの買い付けてきた家具は、
ずっとリース用だったものを、
いまは、販売もするようになったんですよね。
鵜飼
そうなんです。
「AWABEES」っていうリースのお店を
15年ぐらいやって、何となく形がついて来て。
その間に「UTUWA」っていう、
食器とか料理本とか、料理のためのお店を開き、
2、3年経ったところで、次は
「売る」ということを、やってみたいなと
「TITLES」をつくりました。
それは、これまでリース用に買い付けた家具や雑貨が
たくさんあるからという以前に、
こんなことを思ったんです。
昔はね、スタイリストがリースで手軽にまかなうことを
よしとしない大御所のかたもいたんですよ。
「手軽にリースショップ行っちゃ駄目よ」と。
「自分の足で、ショップに行って、
コミュニケーションして、物を借りてらっしゃい」と。
当時は「撮影のために物貸して」って言うと、
ダメだったんです。いちど使ったら新品じゃなくなるから。
だからこそスタイリストの腕の見せ所だったわけで、
「リースのお店では手軽に借りられるから、
スタイリストとしての技量が伸びない」って言うわけ。
ぼくはその意見、なるほどって思ったんです。
ところが時代が変わり、一流の家具店でも
インテリアスタイリストの方を歓迎するようになった。
クレジットが入ると宣伝効果があるから、
むしろ簡単に貸してくれる。
彼らは、商用として売る物を仕入れているわけだから、
そこには下代があり、輸入可能な物だけが入って来てる。
うちは貸すわけだから、1点あればいい。
下代とか関係なく、他のいいお店が輸入できないような
いい物をきちんと販売すればいいんじゃないかな、
って思ったんです。
だから新品でも、「日本には出してないよ」
っていうところから、あえて1点だけ買ったりする。
そうすると先端のインテリアショップにないようなものが
ここにはあるよ、っていうふうになる。
「ちょっと新しい面白い物はこっち行ってみよう」って。
──
鵜飼さんが選んだもの、
「欲しい」っていう人はきっと多いでしょうね。
でも、長くリースをやってこられたから、
そうとう在庫もあるんじゃないでしょうか。
鵜飼
たしかに倉庫問題っていうのがあってね。
4回、倉庫の引っ越しをしてるんだけど、
だんだん大きくなっているんです。
いまの倉庫も満杯に近い状況で、
やっぱり本格的に「売る」ことに取り組まないと、
ということもあります。
と同時に、前から「欲しい」っていう声もありましたし。
ただ、売ることについては、すごく素人です。
これからですよね、どうやっていくのか。
──
ありがとうございました。
鵜飼さんの仕事、ようやく理解できました。
そんなタイミングで、「weeksdays」と
組んでくださったのも、なにかのご縁だと思います。
今回、鵜飼さんが長年買い付けたなかから
伊藤さんが選んだ家具、
欲しい人のところに届くといいなって思います。
鵜飼
どうもありがとうございました。

夢やぶれて。

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──
ニューヨークの出版社では、
1コマ漫画の採用までには、
どういうプロセスがあるんですか。
鵜飼
1日に7社ぐらい持ち込みで回るんですよ、出版社を。
見せると、3枚ぐらいキープしてくれるわけ。
で、翌週行って「T. Ugai」って
自分の名前が書かれた棚を見ると、
3枚とも返って来てる。
ちっちゃな紙に「今回は採用はありません」って。
そこから1年間、毎週水曜日、7社ずつ通っても、
いっこうにダメでした。
──
厳しいですね。
鵜飼
毎週、毎週、毎週、1年、1枚も、
どこの出版社からも採用がない。
自信満々だったのが、心が折れて来る。
逆恨みし出して、「何だこいつら冷たい! 
far eastからこんないたいけな少年が来て、
漫画描いてんのに!!」って。
──
あちらには「情」で仕事を出すことなんてないんですね。
鵜飼
そう、面白いかつまんないか、だけです。
ところがあるとき、
「ナショナル・ランプーン(National Lampoon)」
っていう新しい出版社があって、
そこはジョン・ベルーシが出ていた『1941』っていう
コメディの戦争映画も作っていたような会社なんですが、
編集長がニコニコして
「先週預かったやつ、採用だよ」って。
跳び上がりましたよ、そのときは。
小学校5年からずっと待ってたことが実現して。
その後、人生でいくつか嬉しいことはあったけれど、
あれほどのことはなかったかもしれない。
──
わあ。ちなみにギャランティは?
鵜飼
原稿料はね、50ドル。
1ドル360円の時代だから、1万8千円。
当時の感覚だと、10万円もらったような気持ちでしたが、
お金には換えられない喜びでした。
アメリカの出版社のシステムは明快でね、
10枚採用されると、ギャランティが上がっていくんです。
それもどんどん上がっていくんですよ。
だから、ベテランのおじいちゃんたちは
1枚売れれば数か月暮らせるくらいもらえたはずです。
──
そこからどうなったんですか。
鵜飼
それで、いろんな出版社に採用されて、
ちょっとずつ名前が出るようになり、
よし、これで行くぞ! と思っていたら、
ベトナム戦争の煽りで、ビザがおりなくなりました。
──
ええっ?
鵜飼
イミグレーションから「帰ってくれ」と。
ベトナム戦争がいよいよ末期になり、
アメリカの若者にやる気がなくなっていった時期です。
明日徴兵でベトナムに行くかもしれない。
だからもう働かないで、Love & Peace、
ドラッグ、セックス、音楽、
「今日を楽しく」っていう風潮になり、
そんな中で外国人が張り切っているのは、
政府としても困っちゃうわけですね。
だから「働かないでくれ」と。
──
「もうビザをあげません」と。
鵜飼
そう。何回かいろんな申請をしたんだけど、ダメでした。
結局、2年で帰国することになりました。
出版社は「日本から郵便で送ればいいじゃないか」
って言ってくれて、そう思っていたんだけれど、
羽田空港に着いてタラップが開いた瞬間、
気持ちがパッと消えちゃった。
ぼくは「仕事して、結婚して、向こうで暮らす」
ことが目標だったんですよ。
だから日本から郵便で送るっていうのは、ないなって、
そう思ったんでしょう。
──
プツッと切れたんですね。
鵜飼
切れた。もうあっという間に切れちゃった。
──
それでどうしたんですか。
鵜飼
やることないんで絵の学校に行きました。
「セツ・モードセミナー」って、
いまはもう閉校した学校です。
──
はい、長沢節さんが主宰していた。
鵜飼
そうなんです。まだ長沢節先生が元気なとき。
それで、水彩画を描いていたとき、何かのつてで、
「銀座の広告代理店がデザイナーを探しているよ」と。
「やったことあるんだよね?」って、
もちろん、ないわけですよ、なのに
「うん」とか言って(笑)、
ニューヨークで経験があるということで受かっちゃった。
でも、翌日出勤したら、お昼ご飯までにバレたんです。
三角定規やデバイダーを渡されても、
さっぱり分かんないわけですよ。
それで、グラフィックデザインを
いちから教えてもらったんです。
──
きっと、面白かったんでしょうね、
ニューヨーク帰りの漫画家だった若者が。
鵜飼
そう、皆はね、面白がってくれました。
それで一気に皆の中に溶け込めました。
そうこうしているうちに、
仕事の一環で、テレビのCMのキャンペーン会議に、
グラフィックデザイナーとして出席するようになって。
そしたら、それまで漫画のアイディアを
毎日、毎日、毎日、毎日考えてたから、
アイディアを出す脳みそになっていたんですね、
ブレインストーミングで、
山のようにアイディアを出したんです。
そしたら、「面白いなこいつ」って言われて、
いろいろ重宝がられて、声が掛かるようになって。
あいつデザインの技術はたいしたことないけど、
アイディア考えさせた方がいいぞ、って。
──
(笑)
鵜飼
そこでずっと働いていたんですが、
35歳のとき、通販の会社の製作部に
カタログをつくる仕事でヘッドハンティングされ、
それを5年続けてから、
40歳のときに独立しました。
テレビのコマーシャルの仕事、
プランナーとしての仕事、
通販のディレクターの仕事、
ぜんぶやっていました。
当時、通販でも新しいことがやりたくて、
たとえば撮影はスタジオでストロボで撮るのが
主流だったのを、全部自然光で撮りたい、とか、
そういうことをやるものだから、
いろんな人たちが面白がって参加してくれたんです。
「雑誌よりも自由だね」って。
伊藤まさこさんと出会ったのも、その頃です。
そんなこんなでやってる最中、
撮影小道具を、経費をかけて借りて来るのを見ていて、
「もっといいのないのかな」と心の中で思っているうちに、
「自分でやってみよう」って思っちゃったんですよ。
で、あるスタイリストの人に相談したんです。
「俺、そういうこと、やろうと思うんだけど」って。
そしたら「やってみたら?」って背中を押されて。
──
おお、やっと今の仕事につながりました。
鵜飼
それで広めの場所を借りて、
モロッコ、イギリス、フランスに行き、
まずは雑貨を仕入れてきました。
なにもわからずに行ったんだけれど、運がよくてね。
途中で買った物を、フランスのパリのホテルの
倉庫みたいな所に入れさせてもらってたんですよ。
そのままにしてロンドンに行ったら、
スピタルフィールズ(Spitalfields)のマーケットで、
鉄の家具を売っている若者がいて、
「かっこいいね。買いたいけど、運べないんだよね」
って言ったら、「運ぶ人知ってるよ」って。
そして紹介してくれたのが、
なんと日本人の運送会社の人。
彼が手伝ってくれて、
買ったものがわかるようにしてくれれば、
お店に取りに行って、まとめて発送してくれた。
それが本当にラッキーで、
それがなかったらどうしてたんだろうって思います。
パリも同様にやってくれて、
モロッコだけはできないから、
じぶんで郵便局から送れる範囲のものを買いました。
ところが、たくさん買ったつもりだったのに、
お店の中はスカスカなんです。
だから売り上げもスカスカ。
辛(から)めに想像してたんだけど、
それを遥かに下回る売上げで!
──
ひゃあ、どうなさったんですか。

漫画家になるつもりで。

未分類

──
鵜飼さんって、もともと、
なにをなさっていたかたなんですか。
ヴィンテージ家具や雑貨を取り扱うって、
鵜飼さんの世代が「はじまり」という気がするんですが、
ということは、
家業を継いだということでもないんだろうな、
と思っていました。
鵜飼
元々は、漫画なんですよ。
──
漫画‥‥?
鵜飼
小学生のときって、漫画を好きになるでしょ? 
ぼくもそうだったんです。
ぼくの世代だと、手塚治虫、赤塚不二雄。
それを真似してみたら、
やけに上手く描けたんですよ。
そして学校で美術の授業で水彩画を描くでしょ、
そうすると、それも上手いと自分でも思って、
何となく「そっち」かなと、
漠然と思っていたんです。
──
「美術系に行こう」って。
鵜飼
はい。そう思っていた小学校3年か4年ぐらいのとき、
アメリカの『ニューヨーカー(THE NEW YORKER)』
っていう雑誌を見る機会があったんですね。
──
表紙がイラストの。
鵜飼
「何だこれ?」と思って。もちろん英語は分からないし、
1コマの漫画らしきものがあるんだけど、全然面白くない。
それはキャプションが分からないからですね。
ところが見ていくうちに、
1つキャプションがない漫画に目が留まって、
子供心に「面白い」って思っちゃった。
でも「ユーモア」なんて概念は分からないから、
「何でこれが可笑しいんだろう?」って思ったんです。
『おそ松くん』が可笑しいのは分かるけど、
自分がアメリカの1コマ漫画を面白いと思うことが
不思議でしょうがなくって、
それで真似して描いてみたりして、
もっと読みたいと興味を持ったんだけど、
そんな本、どこに行ったら手に入るのかすら分からない。
で、1年ぐらいたって、小学校5年ぐらいだったかな、
銀座の「イエナ書店」という
洋書を扱っているお店にあるよと、
誰かが教えてくれたんです。
「あそこ行きゃ、山のようにあるよ」って。
──
イエナ書店、ありましたね。
銀座の晴海通り沿いに。
鵜飼
それで、小学生だからお金を貯めて、
ドキドキしながらひとりで初めての銀座に行って。
──
東京の子ですよね、鵜飼さん。
鵜飼
そうです、駒沢に住んでたから、
玉電(路面電車)で渋谷まで行き、
そこから地下鉄銀座線で銀座に出て。
ところが最新号の『ニューヨーカー』は
すごく高くて買えないわけです。
「立ち読みでいいや」と思って漫画を見たら、
やっぱり同じように、1つ2つ面白いものがあって、
そこから、もう、のめり込んじゃった。
何とかして欲しいと思って、
下北沢あたりで古本屋巡りをしてたら、
あったんです、古くてボロボロの安いやつがね。
で、1冊買って、穴が開くくらい見て、
真似して描いているうちに、さらに楽しくなってね、
漫画家になりたい! と思って、
のちに『アンパンマン』で有名になる
やなせたかしさんのご自宅に押しかけたんです。
──
えっ? 
鵜飼
何の伝手もないのに、どうして調べたか、
電話をかけたら奥様が出て、
「ちょっと見て頂きたいんです」
「おいくつなの?」
「小学校6年生です」
「あら! じゃ、いらっしゃい」って。
──
逆に怪しまれなかったんですね(笑)。
鵜飼
そうなんですよね。
で、やなせたかしさんが見てくれたわけですよ。
めっちゃ優しくてね、
「へー、これ君が描いたの? 
何でこんなの描けるの?」みたいな話になって。
──
つまり、『ニューヨーカー』を真似して描いてるから、
日本人が書くのが珍しいタイプの
漫画だったんですね。
しかも小学生が。
鵜飼
しかも「いいよ」って言われて。
「続けなさい」って。
それで話は終わったんだけれど、
帰るタイミングが、子どもだからわからなくて、
ずーっといたら、何人かの編集者が
やって来ては帰っていって。
暗くなってきたらさすがに奥様が
「お母さん心配してるから帰りなさいね」って。
それで、自分の心の中では
「将来ニューヨークに行って、漫画家として暮らす」
ということを決めたんです。
そこからもう、描いて描いて描いて描いて。
そしたらラッキーなことに、いとこが国際結婚して、
ニューヨークに住むことになって、
しかもその旦那が、
『ニューヨーカー』で漫画を描いている
アメリカ人の漫画家だったんです。
──
えっ! それは運命を感じちゃいますよね。
鵜飼
ぼくの漫画を見せたら、「いらっしゃい、将来」と。
もう万全じゃないですか。
で、「中学出たら行こう」と思ったら、親に反対され、
高校を出て行こうとしたら、また反対された。
「大学を出てから」っていう話になったんだけど、
「小学校からずーっと待ってんのに、何年待てばいいんだ」
っていう気になって、そこでちょっと演技をして、
「もし今行かせてくれなかったら死ぬ」くらいの
アピールをしてね。
──
自由な感じのご両親だったんですか?
鵜飼
いや、堅い家庭だったんですよ、アートとは関係ない
商社一家で、おじいちゃんが「伊藤忠」、
父親が「丸紅」、そういう家庭だったから、
ぼくをひとりニューヨークにやるなんて、
とんでもない選択だったはずです。
──
きっと進路も一流大学の経済学部や法学部に、
みたいな感じですよね。
鵜飼
ぼくは、そういうことがすごく嫌だったんです。
とにかく漫画を描きたいから。
それでいとこの旦那さんを頼って
ニューヨークに行き、
来る日も来る日も来る日も描いて、
半年くらい描いた頃、
「よし、じゃあ、今日は一緒に連れて行く」って、
出版社の編集長を紹介してくれたんですよ。
──
すごいことですね。
鵜飼
アメリカのシステムってね、すごく平等なんです。
めちゃめちゃ有名な漫画家も
駆け出しのペーペーも、
「出版社からの依頼」はないんですよ。
──
え?
鵜飼
毎週水曜日に編集長が、
大家からペーペーまで、全員の漫画を見てくれるわけ。
だから水曜日に出版社のロビーに行くと、
じいさんがウヨウヨいたの。
それがみんな有名な漫画家なんです。
「サム・グロスはいるの?」
「あの人がそうだよ」
「わっ、サインして下さい!」みたいな状況でした。

真っ白なキャンバスに。

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いつか自分の家を持てることがあったなら、
まっ白な箱のような部屋を作りたい。

そこには、
好きなものだけしか置かない。

なにも描かれていないキャンバスに、
自由に絵を描いたり色を足したりするように、
部屋が作れたらいいなあ。
そんなことを妄想するのです。

幸運なことに、
その私の妄想は、
仕事で形にすることができています。
ある時は、
一人暮らしをはじめたばかりの女の子のベッドルームを。
またある時は家族4人の食卓を。
なーんにもないところに、
そこにいる人のことを思い浮かべながら、
家具を並べ、小物を置くうちに、
白い箱だった空間が、
ゆっくりと息づいて「部屋」になっていく。
スタイリストという仕事って、
おもしろいなぁと思う瞬間です。

今週のweeksdaysでは、
5つの部屋を作りました。
さてどんな部屋ができたでしょうか?
明日からのコンテンツをどうぞおたのしみに。

揃ってなくても。

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ねむ
そのプラスチックケースの中の下着が、
ちゃんと揃ってないんですよね。
伊藤さんはきっと、
ブラブラブラ、パンツパンツパンツ、
みたいなことになってるんですよね。
結婚したからこそ、
ちゃんとしなきゃなとも思うんですけど。
このままベージュを貫いたら、
スポブラからベージュのまま、
かわいかった時期が無(む)、みたいになる。
1回「おんな」みたいな感じにしたい。
伊藤
『プライベート・ウォー』という映画があって、
戦場カメラマンである
メリー・コルヴィンという女性が主人公なんですが、
戦地に赴くための戦闘服のようなハードな衣類の下は、
繊細で高級な下着のラ・ペルラを着けているんですって。
戦場で死体で掘り起こされたときのためにって。
ねむ
あらま! 
そっか、死んだときね。
老後を考えているんだったら、
死んだ時も考えとかないと、ですよね。
伊藤
老後といえば、救急車に乗る機会が、
増えるかもしれない。だから、
そのときのために下着をちゃんとしておきたい、
っていう人はいますね。
それって見えないおしゃれじゃないですか。
素晴らしいなと思って。
ねむ
よくお仕事をご一緒したスタイリストさんが、
サニタリーブランド、女の子の日用の
ランジェリ―ブランドを作ったんです。
それを、なにかのお祝いで、
上下いただいたときがあって、
そのときに、私もちゃんとするぞ、と思いました。
薄いきれいなベロアの、かわいい下着で、
もらうと、確かに、テンションが上がりました。
伊藤
そうなんですよ。テンションが上がるんです! 
他でもない、
自分のためのおしゃれが下着なんですよ。
ねむ
確かに。
変な話、かわいい下着って結局、
勝負下着ってことでしょとか、
実際にかわいいけどメッチャ食い込むなぁとか、
そういう要素が重なって、
それだったら、もうフガフガの綿パンが一番いい、
みたいな気持ちになっちゃってたんです。
ちゃんと自分のためだったら、
勝負下着でもいいんでしょうけど。
伊藤
勝負に挑もうとしてるのは、認める。
でも「その人のために」って思うのは、
ちょっと、「んー」って思う。
ねむ
いいじゃないですか、そういうのでも?
伊藤
ま、そうか。ねー。
だいたい、勝負下着ってどういう感じなんだろう?
ねむ
それが、分からないんですよ。
べつにそんな豹柄みたいなの、
好きなわけじゃないんじゃないかな?
伊藤
女豹(笑)。
ねむ
女豹(笑)。
勝負失敗。
ごめんなさい、
いらんことばっかり言っちゃってる(笑)。
確かに、戦闘服みたいなものですよね。
伊藤
勝負下着で燃えてたら、痩せそうじゃない?
ねむ
痩せそう!
伊藤
冷え性にもならなさそう!
それ、考えると、
やっぱり自分のためっていうことなのかもね。
ねむ
けっきょく、そう。
回り回って、自分のためですね。
そうだ、つくってほしい下着があるんです。
上下バラバラでも、水着って存在するじゃないですか。
下着もああしてもらいたい。
伊藤
そうだよね。
モーブカラー同士だったら、
違う色の組み合わせでも、かわいいかも。
ねむ
そうそうそう!
なんで、おんなじ色をつけることが
良いとされてるかが分かんないんですよ。
伊藤
そうだよね。確かにね。
そうだ、自分でつくればいいんじゃないかな?
ねむ
それが、つくることには、全然、興味がない‥‥。
誰かがつくってくれたら、使います!
伊藤
が~ん(笑)!
でもたしかに、揃ってなきゃ着れないんじゃなくて、
これとこれ、適当に取ったけど、
色違いでもかわいいっていうのは、
ちょっとおもしろいですね。ないもの。
ねむ
お願いしま~す。
伊藤
考えておきます。
箱の中で、ヒョイヒョイって取ったら、
ちゃんと合うっていうのが、理想ね。
ねむ
色が違うけど、手触りは一緒とかって、
上質のおしゃれな感じがします。
伊藤
いいかも!
ねむ
イエーイ! はははは! 
おんなじブランドで統一してたら、
どう選んでもダサくないってしてもらえたら。
やったぁ、ちゃんと下着の話になった!
伊藤
なった、なった! 良かった。
ほんとうに、それは、ありかも。
なんで一緒じゃないといけないのかって。
でも、一緒だと盛り上がるっていうことも、あるのよ?
ねむ
もちろん、一緒のも、出してもらって。
例えば、おんなじ「えんじ」で、
ブラは1~2種類だけど、
パンツは5種類あって。
ただのえんじ、花柄のえんじ、
レースの付いたえんじとかにしてもらったら。
伊藤
メモしておきます(笑)。
ねむ
パンツは毎日洗うけど、
ブラは2日まとめて洗う人もいて、
ズレが生じたりするんだと思いますよ。
伊藤
なるほど、なるほど、なるほどね。
ねむ
自分で作るほどは、学べてないけれど、
着て気持ちが上がるのは、もちろんある。
伊藤
そういう輪郭を伝えれば、
必ずプロで作ってくれる人がいますよ。
ねむ
またぜひお話しさせてください!
伊藤
うん。ご意見番として教えてください。
ねむ
この仕事を始めて、
ママ周りのことをよく考えるようになって思ったのは、
かわいいマタニティもあったらいいのにって。
おっぱいパッドとか。みんな使ってたりするけど、
かわいかったら、ギフトにしやすいのにって。
子どもあげるものはいっぱいあるんだけれど、
ママにあげるのって、けっこう難しいんです。
伊藤
確かに!
私が出産祝いでうれしかったのが、
ラ・メゾン・デュ・ショコラの
「タス・ドゥ・ショコラ」っていう、
お湯に溶かすとショコラショオ
(ホットチョコレート)になる顆粒。
だいたい出産祝いって、
赤ちゃんのものにいきがちだけど、
それプラス、お母さんにね、って言われたとき、
ほんとうに嬉しかった。
ねむ
うん、ね。産んだのは私って感じですよね。
伊藤
育ててんのも、私。
だから、すっごいうれしかったの、覚えてる。
ねむ
そういうママ向けのギフト、いいですよね。
周りに間もなく産むみたいな子たちが、いっぱいいて。
自分もいつか授かりたいし、って思うと、
そこらへんで、ああ、ダサい、みたいになるのも、
テンション下がりそうだなって。
伊藤
でも、あきらかに私が産んだ20年前とは、
おしゃれなものが多くなってると思う。
今日はほんとうにありがとうございました。
楽しかった!
ねむ
ありがとうございます。良かった!
下着は、今、自分がそこに重きを置いてないだけで、
衣装着させてもらった時に高揚した感じ、
上等な女になった気持ち、
大事だなって思い出しました。
伊藤
ふふふふ。
ねむ
お会いできて、良かったです。
伊藤
ありがとうございました!

わたしは私のプロデューサー。

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伊藤
言うならば、新しい生活が始まったじゃないですか。
ねむ
元々が自堕落オタクみたいな暮らしだったので、
リセットしたいんです。
手を伸ばしたら、好きな作品とか、食べ物に手が届く
こたつがコックピットで、みたいな暮らしから。
伊藤
わぁ‥‥(笑)!
結婚生活で、それは変わったの?
ねむ
そのこたつが倍のサイズになりました。
伊藤
え? ちょっと待って。嫌だぁ~(笑)!
ねむ
はははは!
伊藤
似たもの同士なの?
ねむ
そうなんですけど、
それだけにお互いが違うところが
気になるじゃないですか。
夫婦のいざこざって。
たぶん、私はちょっと物が多いんで、
「もっと減らしたら?」とは、言われていて。
怒ったりはしないんですよ。
オタク活動にかんしては何も言わないけれど、
「部屋として、機能するほうがいいんじゃないかな?」
みたいな言い方をします(笑)。
倉庫になっちゃってるから、倉庫じゃなくって、
「部屋がいいんじゃない?」みたいに、
優しく言ってくれます。
伊藤
言われたら、どうするの?
ねむ
そうですよね~、とか言って、
あっ、お風呂、って逃げます(笑)。
2019年のうちに、やるつもりだったんですけど、
できなかったので、
2020は倉庫じゃなくて部屋にするのが目標。
伊藤
その、こたつが倍になった、
その周りは気にならない?
ねむ
部屋作りのセンスが、ないかもしれない。
立体把握能力がなくて。
伊藤
でも、このお店は、できてるじゃない?
ねむ
いやあ‥‥、それは姉夫婦に頼って。
私は、床はとにかく茶色にする! とか、
壁は白! 以上! みたいに言っただけ。
漆喰を自分で塗ったんですよ。
そういうことはできるんです。
床も自分で打ちましたし、
友達に手伝ってもらって。
伊藤
そうなのね。
ねむ
でも「このソファが欲しい」とかが、ないんです。
例えば、私じゃなくて、
人にプロデュースするのはできるんですが、
無印の自分に対してのプロデュースができない。
アイドルの「夢眠ねむ」のプロデュースは
ちゃんとやってたんですけれど。
その夢眠ねむを操ってた「私」になった途端、
なにも分からなくなって。
今も、自分がプロデュースしているキャラクターには
メチャクチャ厳しくて、
「あ、これ、絶対ダメ」ができる。
私に対してのものが、ブレブレなんです。
伊藤
う~ん、おもしろい。
ねむ
プロデューサーとしては機能するんですけど、
自分の生活が下手なんですよ。
伊藤
その無味無臭の自分を
プロデュースしようとは思わない?
ねむ
すごく丁寧に暮らそうとしちゃってます。
伊藤
いいんじゃないかなぁ。
ねむ
だから、餅つき機、買おうと思ってるんです。
伊藤
ええ~っ! なぜ? なぜ餅つき機?
ねむ
丁寧に暮らしてる人って、
餅つき機を持ってるなーって。
伊藤
(笑)違う!
ねむ
えっ? 間違えた??
やっぱりちょっと間違えちゃうのかも(笑)。
伊藤
思ったのは、アイドルは
足し算とか掛け算のおしゃれだけれど、
私の仕事は引き算なんです。
ねむ
そっちに行きたいんです!
だから憧れてインスタを見てるんだ、私。
今、私が持ってる服って、
これにはこれしか合わない、そういう服なんです。
ひとつあれば、いろいろ着こなせる、そういう服がない。
ちゃんとクリーニングにも、定期的に出したい!
伊藤
それは、出して!(笑)
ねむ
「自分で洗ってみよう!
‥‥わぁ! ミニチュアになった」
みたいなことをやったりしてるので(笑)。
伊藤
でもね、10年間、ファンの人のことを
常に考えてきたっていうのが、すごいなと思います。
ねむ
それが本業だったので。
伊藤
そうなんだね。夢を売るんだものね。
ねむ
誰かが見てくれている、喜んでくれる、
その目線のおかげで、楽しくやれていたので。
向いてないと思いきや、
すごく楽しくやらせてもらってたから、
今、自分が喜ぶのは何? みたいな。
食べ物はメチャクチャあるんですよ。
1時間以上の遠回りをしても、
ここに食べに行くぞ! とか。
でも服はなんでもいいな、みたいな。
だから、最近、服屋さん行くの、怖くて。
この服で、よくお前、服買いに来たな、
みたいに思われているんじゃないか、って思って、
オタクのあるあるの1コマ目を、
今、体験してます。
伊藤
お化粧は?
ねむ
店に立つときはほぼスッピン。
友達とご飯行くときは顔を塗る、チークつける、
撮影があるときはシャドーとマスカラする、
くらいのは、あるかも。
今日は長いお付き合いの
メイクさんにやってもらいましたけど、
彼女のアドバイスをふだんも活かしてます。
伊藤
話が下着に戻るんですけれど、
スポーツジムや日帰り温泉などに行って、
人の下着姿を見る機会があるんだけれど、
案外みなさん下着えらびがいい加減なんですよ。
上下バラバラだし、
素材感もバラバラ。
着る服に合わせたのかもしれないけれど・・・
なんでその組み合わせにしたの? って
不思議に思うことがありまして。
ねむ
ギクギクッ(笑)! 
伊藤さんは、もうバチッと?
伊藤
だいたい上下揃えて。
ねむ
エラ~イ!!
私、上下ちゃんとしなきゃっていう思いが、
年に1回ぐらいやってくるから、
そのときに揃いで買うんです。
でも結果、グチャグチャになっちゃって。
このパンツがいい、という日はあるけど、
ブラが見つからなくて、結局、もうエエイ! 
ってなってます。
伊藤
1回つじつまが合わなくなると、
ずっとつじつまが合わなくなるって、
誰かが言ってた。それね。
私は、ドロワーを開けたとき、
揃っている、その姿が好きなんです。
ねむ
カーッ!! それですよ!
そうなりたいんです(笑)。
伊藤
女の人がジュエリーボックス眺めてる時と
同じくらいの感覚なんですよ。
ねむ
そこに、ワァって言う気持ちがある人間に、
今から、自分を持って行きたい。
でも、ならないと思うんですよ、たぶん一生。
伊藤
そうかなぁ。ならないかなぁ。
ねむ
今、私の段階は、
下着っていう箱を作ったっていうところ。
伊藤
なぬ!!
ねむ
はははは!
伊藤
無かったんですね?
ねむ
場所をつくりました!
ごめんなさいね、ほんとに。
伊藤
まさか、みかん箱(笑)?
ねむ
はははは! みかん箱みたいなとこから、
プラスチックになったんです、最近。

のび太のように。

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ねむ
あっ! この対談、テーマが「下着」ですよね。
しなくちゃ、下着の話。
伊藤
あっ、ふふふふ。
ねむ
でも、そんなに身になる話、私にはないんですよ。
すごくちゃんと下着を着てる人と
着てない人がいるよっていうことだけは、
お伝えできますけど。
伊藤
下着って、見えないじゃないですか?
ねむ
うん。見えない。
伊藤
見えないところの贅沢だと思ってて。
ねむ
ああ。
伊藤
アクセサリーを買うのと下着を買うのって、
みんな心構えっていうか、お金の出し方が違って。
そこが興味深いなと思って。
人がいい下着をつけているのを見たとき、
得した気分になりませんか。
ねむ
ならない‥‥です。
伊藤
あ、ならない? 
私、なるんですよ。
ねむ
そうなんだ! 
下着を見せていいタイプのきれいな人には、
憧れますよ。
それ裸? みたいな美人。
そこまでいけたらいいな、みたいな。
そこまで女の匂いが出せるのは、
かっこいいなと思うんです。
伊藤
おお。
ねむ
でも、私、今、無味無臭に、
できるだけプレーンに、
自分を持って行きたいと思っていて。
伊藤
へえ~!
ねむ
今日も、服がなさすぎて、
朝、買いに行ったんです(笑)。
最近、おんなじ服を3着と、
ジーパンをローテーションで着てるんです。
ジーパンも洗って干したのをすぐ履く。
「もう、ずっと、その服じゃん」
って言われるくらい同じ服しか、今、着てなくって。
伊藤
なぜ無味無臭を目指しているの?
ねむ
反動かもしれないです。
今まで、ずっと、
私服もかわいくしなきゃいけなくて、
すごくがんばっていたので。
今は、のび太みたいになりたいんです。
伊藤
のび太?
ねむ
のび太、ずっと、おんなじ服じゃないですか?
伊藤
なるほど。
でも、周りのすっごいおしゃれさんを見てると、
おんなじ服を色違いで揃えたり、
同じ色を買ったりしてますよ。
ねむ
そうですよね。
そっちに行きたい。
伊藤
のび太‥‥。
ねむ
のび太!
スティーブ・ジョブズも、
ずっと同じ格好だったでしょう。
のび太が自分のことを選んでああしているかは
分かんないけど。
でも、そうか、のび太じゃなくてもいいかも?
伊藤
のび太じゃない気がしてきました(笑)。
ねむ
ものが捨てられないのもあって、
1回ちゃんとリセットして、
ほんとに好きなものは何かっていうのを、
今、やりたい時期なんです。
伊藤さんにいろいろ教えてほしい。
塾みたいに。
伊藤
なにを教えればいいの?
今日、持ってくれば良かったね。
なんでも似合いそう。
ねむ
髪を、トレードマークの前下がりボブから、
切ったので、今まで着てた服が
まるっと似合わなくなったっていうのも、あります。
全部いけるだろうと思ったんですけど、
かわいい感じのが似合わなくなったり、
今までかわいいのを着るときは、
メイクさんがかわいくしてくれてたけど、
自分の化粧だと、いまいち、
服のほうが主張があるとか、
バランスがわかんなくなっちゃって。
今、普通の人になって、本屋の店主となって、
どんな服を買っていいかもわかんなくなっちゃった。
今、着てない服がたくさんあるから、
後輩にあげたりして減らしてから、
リスタートさせたいんです。
伊藤
服や下着にかんしては、
オタク的要素はないんですか? 
これのここが好き、とか、
ここのは全部揃えたい、みたいな。
ねむ
アイドル時代は、
好きなブランドもあったんですけど、
なくなってきたっていうか‥‥。
伊藤
おもしろい。
ねむ
アイドルをしていた時は、
めいいっぱいおしゃれしたり、
自分じゃ買えないお洋服も着させてもらった。
それこそ、なんでも着ましたよ。
ナースの格好とか(笑)、
あらゆるコスプレもしました。
伊藤
似合いそう(笑)!
ねむ
たぶん、服を着つくしちゃったんだと思います。
満足しちゃった。
伊藤
花粉症が発症するみたいに。
ねむ
満杯で溢れて。
「年齢不詳で、かわいくいる」ことに
徹していたんですけど、
これからは年相応で、清潔感のある姿に。
伊藤さんは、ちょうど、私の行きたいところの方です。
その道を今から、歩んでいきますよ。
伊藤
母娘くらい違う私が言いますが、
加齢とともにどんどん汚くなるんですよ、ベースが。
だから「足す」よりも、清潔でいること。
ねむ
小ぎれいに?
伊藤
そう。
ねむ
髪、短くしたのもそのためなんです。
伊藤
でも、それに行きつくのは早い気がする。
ねむ
はや・す・ぎた‥‥?
自分がどんな白髪になっていくかなっていうことまで、
考えてて。
早く白髪になりたいんですよ。
伊藤
カッコよくなりそう。
ベースが美人さんだから。
ねむ
好きな作家さんに、
めっちゃきれいな白髪の方がいて。
観察しているんです、街でも。
すると、艶のない髪だと、
グレーでも白髪でも「老婆」な感じになる。
だから手入れをして艶を保って、
「カッコいいおばあちゃん」になりたいです。

みんな、なにかのオタクです。

未分類

ねむ
私は、部屋をきれいにすることに関しては、
0点もいいところです。
根っこがオタクなので、
好きなグッズとか、2個ずつ買っちゃったり‥‥。
伊藤
捨てらんないんでしょ?
ねむ
そうなんです!
伊藤
娘がそうなんです。
ねむ
あっ、オタクですか?
伊藤
私は全部捨てちゃうから。
ねむ
こわっ!! 
地獄じゃん!!! 
震える!!
伊藤
でも最近は怒るから、
娘のものは、触りませんよ。
ねむ
よかった(笑)。
伊藤
同じ写真集を5冊とか。
ねむ
分かる、分かる。
伊藤
えー!! 全然、分かんない!
ねむ
だって、特典が違うんですもん。
伊藤
それを、知り合いに配ったりするんですよ。
ねむ
そりゃそうですよ。
伊藤
え?
ねむ
それは、もう通常です。
伊藤
私、アウェイだ。
ねむ
「布教活動」って言うんです。
それ、普通なんです。
伊藤
娘と同じこと言ってる(涙)。
ねむ
私も、映画のチケット、たくさん買って配ってます。
伊藤
ええっ!!
ねむ
良い映画だから見て欲しい。
伊藤
そっか。いろんな人に知らせたい。
ねむ
知らせないと、お客さんが減ったら、
そのアニメの次回作が出ないんです。
──
は、はぁ~。
伊藤
流行りの役者さんの写真集なんですけれど、
すごく売れてるわけだし、
そんな、活動しなくてもいいじゃない、
って思うんだけど。
ねむ
握手会で会わなきゃいけないんですよ。
そのために、ね。
伊藤
そうなんですね。
ファンって有難いですよね。
ねむ
はい、そういうものなんです。
私、そういう方に支えられて、
10年やってきたんです。
そういう人がいなかったら、
1年で終わってましたよ。
伊藤
そういうことですか。
ねむ
そうです。だから100枚のところが、500枚。
たくさん買ってくれる人に頼ってちゃダメなんですけど、
そのおかげで、次のステージに行けるんです。
だから、5冊買ってくださっているのを、
1冊で済むようにするのが、
私のアイドルとしての恩返しです。
母数が増えればその苦労も減るでしょう?
大丈夫、もう、1冊でいいよ、みたいな。
伊藤さんは、なにか、
はまっていたものとか、ないんですか?
キン消し(キン肉マン消しゴム)5個とか、
買いませんでした?
一同
(笑)
伊藤
それはないけど、
おいしいものは、多めに買ってあげたりする。
で、配っちゃう。それ?
ねむ
それですよ!!!
伊藤
あ! 分かった~!
ねむ
いっぱい多めに買って、渡してるんですよ。
味がいいから、っていうのは、
役者さんの顔がいいから、っていうのと同じですよ。
伊藤
そうか。あげた人が美味しいって
言ってくれたのがうれしいから、同じだね。
ねむ
うれしい。そうそう。
伊藤
で、私も買ったって言われたら、すごくうれしい。
ねむ
ファン、増えたでしょう?
伊藤
やっと納得できました。
ねむ
そしたら、新しい味ができたり、
季節限定が増えたりするんですよ。
伊藤
なるほどね。ありがとうございます。
ねむ
食のことでも、服でも、みんな、
なにかのオタクなんですよ。
伊藤さんが手土産にすごく詳しいっていうのは、
オタクですよ。
私たちも、こういうのが好きって言われたら、
じゃあ、あの映画だねって言えるけど、
その手土産版を、きっと伊藤さんはしているんです。
こっちの趣味に引きずり込んでるだけなんだけど、
自分のことを、ちょっと、考えてくれたの? って、
気持ちに、すごくなる。
仲間に入らない?みたいな(笑)。
伊藤
本屋さんで、本を選ぶときに、
隣に並んでいたのを見つけるみたいなもの。
こんな映画、自分じゃ選ばなかったけど、
偶然知ってよかった、みたいな。
ねむ
そうそうそう。
伊藤
はぁ~。ありがとうございます。
ねむ
良かった(笑)。

基地がほしかった。

未分類

伊藤
この本屋さんのある下北沢って、
小田急線の地下化にともなって、
開発が進んでいますね。
「ここ、前はなんだっけ?」というくらい、
風景が変わってきました。
ねむ
そうなんですよね。駅の出入り口も新しくなって。
伊藤
どうしてここを選んだんですか?
ねむ
姉と義兄が、このあたりがすごく好きで。
私がお店をやりたいなっていう時に、
この物件を紹介してくれたんです。
私はご縁があればと思っていたので、
見に来てみたら、一目惚れでした。
お庭があって、こんなに広かったら、
ちっちゃい子が走り回れるし、
縁側も付けられそうだし。
そう、縁側が欲しかったんです。
アイドルを辞めて、本屋を始める時に、
老後をイメージし続けていたんですよ。
どんなおばあちゃんになってたい、とか。
伊藤
その時は、いつか結婚するんだろうなっていうことを
視野に入れて?
ねむ
思ってはいたけれど、決まってはなかったです。
でも、周りの、すごく好きな大人たちが、
ちょっとのお金と友達がいれば老後は楽しいから、
がんばれ! みたいに言ってくれていて。
それで、これからどう生きていこうかな、って考えて、
友達とお茶を飲んで、縁側に座ってたいな、って。
伊藤
どう生きていくか? 
「こうなっちゃった」じゃなく(笑)?
ねむ
(笑)めちゃくちゃいいですね、それ。
伊藤
アイドルを辞めるという節目が
あったからなのかもしれないですね。
私はずっと同じ仕事を続けてきたから、
「こうなっちゃった」なんだけれど。
アイドルって、もう、どういうことなのか、
想像もつかないです(笑)。
ねむ
私も、意味不明です。
理解できないですよね。
だから、辞めるとなると、
自分もだし、ファンだった子にも
納得いってもらえるような
「先」があるほうがいいなと思いました。
だから内緒にせずに「本屋になります」と言っていた。
みんな納得してくれてるかな、と思うんですけど。
伊藤
好きなことが、ちゃんと形になってってる感じがします。
これから、どうなるんでしょうね。
ねむ
ね。もしかしたら、本屋という仕事を選んだけれど、
それ以前に、みんなと遊べる基地的な場所が欲しかったんですよね。
遊び場的な機能のない、
本屋「だけ」を真剣にやるんだったら、
もっと本がたくさんあって、選書に特化したような
そんな店をつくるんだと思います。
私、本屋が減っていくっていう現実に対して
悲しかったのが、自分でチョイスする力が衰えていくことで。
例えば「フルーツの本、欲しい!」って思って、
そのコーナーに行ってチョイスするところを、
ネットで見つけて「この本、欲しい」って購入ボタンを押して、
1冊しか買わなくなっちゃった。
隣にある本が、人生を変えるかもしれないのに。
伊藤
フルーツの本に紛れ込んで、
全然別のものが入ってることもあるし、
それが目に留まるかもしれない。
ねむ
そうそうそう。自分にはその経験があったし、
帯に書かれている「お子様の発育に」とか、
「勉強になります」みたいな言葉で
親が勝手に選んだ本を与えるって、
良くもあるけれど、
その子の「選んでいく人生」の最初を、
けっこう、くじいているんじゃないかな? って。
変な心配だとは思うんです。
ほんとそんなの考えなくていいんですけど。
伊藤
うん、うん。
ねむ
昨日も、うちのお店に来た
電車の本が欲しい男の子と、
麺の絵本を買いたいママが対立していて。
伊藤
麺類の麺?
ねむ
麺類の麺です。
食べ物の絵本が、絶対いい、っていうママと
子どもが戦っていて。
ママは、もう、電車の本は買いたくない。
だって家にいっぱいあるし、似た本もいっぱいあるし、
そもそも家にあって読んでない本もあるのに、
なんでまた電車の本なの? って言ってて。
「麺も好きじゃない? 何々君は、
スパゲッティ好きでしょ? 
じゃあこれでいいんじゃない?」みたいな。
子どもは、絶対、嫌なんですよ。
「絶対、この電車の本がいい」つって。
そこで私が間に入って、
じゃあなんでそれがいいか、
プレゼンしてみ? って(笑)。
伊藤
プレゼン(笑)。
ねむ
家にあるこの本とここが違うとか、
この点において、これがその本より、
絶対に欲しいその理由を言うんだよって言ったら、
「好きだから」って。
ああ、もう真理だけど、
それじゃあ、やっぱ勝てない。
伊藤
えー! 好き以外に、
なんの理由があるっていうの。
ねむ
もういっそ買ってあげたいって思いますよね(笑)。
ところが、ちょっと目を離してるスキに、
話がまとまってて。
ママに押し切られちゃったかな? 
麺の本かなぁと思って、見たら、
お弁当の本なんだけど、
表紙に電車が走ってました。
ちょうど食べ物と電車が融合した本があったんです。
伊藤
すご~い。
ねむ
「これに落ち着きました」って、パパが言ってて。
「良かったー」みたいな。
伊藤
かわいい(笑)。
ねむ
そういうのを見てると、いいなと思って(笑)。
伊藤
いろんなドラマが見えるんですね。
ねむ
はい、いろんなドラマがあります(笑)。
伊藤
おもしろいね。
でも、これから、どうなるんだろう?
1人暮らしをしていたのが、
今、2人暮らしになったでしょ?
ねむ
そうです、そうです。
伊藤
それも劇的な変化だし。
ねむ
伊藤さん、ちゃんと暮らされてるじゃないですか? 
きれいに。
伊藤
そんなことないですよ。
ねむ
切り取ったところを見る限り、きれいですよ(笑)。
伊藤
う~ん。
家で打ち合わせや撮影もあるので、
いつ人が来てもいいようにはしています。
ねむ
すごい!

なぜ本屋さんに?

未分類

伊藤
アイドルから本屋さんになるって、
どういうことだったのかな。
もちろんファンの人たちは知ってると思うんですけど、
あらためて教えていただけたら。
ねむ
もともと、私、美術家になりたくて、
大学のために上京してきたんですね。
そのときは、アイドルになるなんて、
1ミリも考えてなかったんです。
伊藤
世間がほっとかなかったのかなぁ。
ねむ
そんなカッコいい話じゃないです(笑)!
でも、表現って、なんだろう? って行き詰ったんですね。
自分で好きな作品を発表して、満足してるって、
意味はあるのかな? って思っちゃった。
そのとき、ちょうど流行っていたメイド喫茶に
行ったことがあったんですね。
そうだ、あそこにもう1回、行ってみようと思って、
行ったら、これは説明書きがない芸術だなと思って。
自分はご主人様、お嬢様。
向こうはメイド。
お互いどんな立場かが説明なしに分かって、
帰るときに幸せな気持ちになってる。
これって、すごいインタラクティブアートだ! 
って思って、そこから、研究をし始めたんです。
伊藤
研究?
ねむ
秋葉で、メイドになったんです。
伊藤
そんな人、いないですよ!
ねむ
はははは。
人によっても違うと思うんですけど、
目の前にいる人を幸せにするっていう使命で
やってるメイドが多いんです。
普段はできない「非日常」を提供して、
楽しかった、現実もがんばろう! 
っていうことを提供している。
伊藤
そうか。バイトとして割り切るんなら、
普通に働けばいいわけですもんね。
それをあえてメイドになるっていうことは、
究極のサービス業というか。
ねむ
そう。好きで、好んで、選んで
メイドをやってる子は、なにかしら、
エンタメの気持ちでやっている。
もちろんかわいいお洋服が着たい、
そういうきっかけの子もいるんですけど、
けっきょくそれだけじゃ続かなかったりする。
私も入ってみたら、すごく楽しくって。
学校そっちのけで
「萌え産業」について調べたりしちゃって(笑)。
伊藤
萌え産業。グッときます。
心つかまれまくり(笑)!
ねむ
(笑)それで、メイドを辞めた後に、
「秋葉原ディアステージ」ってお店で働いた時に
「アイドルにならない?」って言われて。
まあ、人生1回だし、
1曲で終わるって聞いていたので、
記念にと思って始めたら、
10年続いた、っていう感じです。
伊藤
10年!
ねむ
はい、10年です。
アイドルをしていたときも、
元々、本が好きだったりして、
日販(日本出版販売株式会社)っていう
書籍の取次さんの主宰するネットで
連載をやらせていただいたりして、
「やっぱり、本、好きだな」って再確認しながらでした。
その連載は「私が本屋をオープンするなら」
っていう仮の設定で連載してたんですが、
だんだんその気になってきて。
「あ、本屋やりたいなぁ」って。
一生、アイドルはやらないかもしれない、
というか、やれないと思っていたので。
やっぱり体力的にも。
伊藤
例えばアイドルから、女優さんになる人はいますよね。
ねむ
セリフが5文字しか覚えられないんですよ(笑)。
伊藤
5文字‥‥(笑)。
ねむ
「ありがとう」しか言えないです(笑)。
伊藤
「愛してます」だと‥‥。
ねむ
も、ギリ、ダメ(笑)。
「愛して『る』」だっけ? 
「愛して『ます』だっけ? 
みたいになっちゃう。
元々が芸能を目指してなかったのが、
「でんぱ組.inc」だから続けられた。
芸能は、すごい経験をさせてもらって
ありがとうございました、って感じで、
10年を閉じました。
そして、自分で生きていくなら、なにがいいかな? 
ていうときに、やっぱり本屋さんがやりたいなって。
伊藤
本が好きっていうのもあるでしょうけれど、
ねむきゅんは文を書いたり、絵を描いたり、
本にもなるけれど、
本にする以外の表現もできるじゃないですか。
ねむ
そうですね。
伊藤
でも、やっぱり、本が好き?
ねむ
本屋っていう場所がどんどん減っているということに、
ショックを受けて。
自分も本をネットで買いますけれど、
本屋がなくなっているという現実を目の当たりにして
「うわ~」って。
気づいてなかったんですよ、
多くの人が本屋に行かなくなってるって。
周りの友達や、自分がそうじゃないから‥‥。
伊藤
行きます?
ねむ
わたしは、行きます。
伊藤
確実に、自分も、本屋に行くことが
減ってるような気は、する。
ねむ
そう、減っているんです。
私たちには、いつでも本が好きだった記憶があるから
また本を手に取れるけど、
本屋が減っていったら、ちっちゃい子たちって、
本屋さんに行って楽しかった思い出が
なくなるんじゃないかなと思って。
伊藤
たしかに、触れる機会が減ってますものね。
ここには、ちっちゃい子がうれしそうに
過ごせる場所がありますね。
ねむ
そう、ここは、ママがホッとできるというか。
書店に行ったときに、どうしても、
ちっちゃい子が泣いたりしてるのを、
キッて睨む大人がどうしても目に入るようになっちゃって。
それまでは、なんにも気にしなかったんですけど、
自分の周りの人たちが子どもを持って、
姉にも2歳になる子がいたりとかして、
ママたちと遊ぶようになってから、
ショックな出来事が多くなりました。
そして、子ども向けの場所はあっても、
お母さんが謝らなくていい場所は
あんまないなって思って。
本屋をするっていうのは決めてたんですけど、
そこは、子どもがいても手を離せて、
ママたちは人が作ったものを食べられる
食堂や喫茶店のような機能があって、
しかも、本も開ける。
そういう場所にしたかったんです。
それで、この形に落ち着きました。
伊藤
すごくいいと思う。
ねむ
ママって、誰かが作ったもの食べるにも、
理由がいるようになっちゃうって聞きました。
子どもを連れて食べに出ると、
なんだか人の目が気になるって。
伊藤
そもそも外に行けなくなるし。
ねむ
はい。でもこのお店だったら、
ちょっと子どもを転がしておいて(笑)、
ママはカウンターでひとり食べていても、
誰かが見ているから大丈夫。
そういう本屋にしたかったんです。
伊藤
子どもは好き?
ねむ
全然、普通ですよ。
伊藤
ん。普通だったら、
こんな、優しい空間は作れないと思います。
ねむ
子どもが好きというより、
親になってる子たちが友達だったり、姉だったりする、
そのことが大きかったですね。
あんなに普通の暮らしをしてた人たちが、
急にこんな疎外感を味わって、大変になるなんて、
超ヤダ! と思って(笑)、
本屋になりました。
子どもは、大人と同じで、
仲良くできる子もいれば、
けんかしちゃうおチビもいますよ。
伊藤
そうですよね。わたしも、
年齢はどうであれ、好きな人は好き。
同じですよね。

今日の主役は?

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バッグとか、靴とか、スカーフとか。
「今日はこれにしたい」
なんて気持ちが先立って、
コーディネートを考える日があります。
服をえらぶよりも先に小物を主役にと考える、
そんな日が。

いつも洒落ているなぁと
女の私から見ても惚れ惚れしちゃう友人は、
「口紅を主役にする日もある」
って言っていましたっけ。
なるほど、お洒落の主役は人それぞれ、
ってことなんだ。

そういえば、
とふと気づきました。
靴やバッグと同じで、
「この下着を身につけたいから、
この服にしようかな」と考える日があるってことを。

下着は見えないお洒落なんて言うけれど、
見えないからこそ気を使いたいと私は思う。
つけ心地がいいのはもちろん、
かわいくて、その日の気分にあったものがいい。
つけているだけで、
うれしくなっちゃう、そんなのがいい。
だって、
服の下にかくれているけれど、
自分に一番近い存在だもの。

今週のweeksdaysは
cohanのチュールネットの
ブラジャーとショーツをご紹介します。
weeksdaysだけの特別カラーは、
春の花から一色取ったようなコーラル。
どうぞおたのしみに。

ひとりになったら。

未分類

伊藤
こんにちは! おじゃまします。
ここ、お庭があるのがいいですね。
ねむ
いらしてくださってありがとうございます!
伊藤
(本棚を見て)なんだか楽しい‥‥!
ねむ
すみません、いろんなものが
グチャグチャに置いてあって。
伊藤
わたしがスタイリングした本がある。
うれしい(笑)。
ねむ
え? どれですか?
伊藤
この、アフタヌーンティーの本です。
すっごく昔です(笑)。2006年かな。
ねむ
わざとみたい(笑)!
伊藤
ありがとうございます。
これ、結婚祝いにと思って。
キッチンクロスです。
おめでとうございます。
ねむ
わっ! ありがとうございます。うれしい!
ちょうだいします。うれしい。
しました。結婚。
伊藤
赤ちゃんスペースもあるんですね。
ここで、ママ友ができることもあるとか。

ねむ
そう、ここで偶然、仲良くなって、
次回から、一緒に予約のタイミングを合わせて、
来てくださったり。
伊藤
そうなんだ!
ねむ
きょう、ちょっとスカートがしわくちゃなんですが、
大丈夫かな。立って、写真とか撮りますか?
言わなきゃ気づかなかったかもしれないんですけど(笑)。
伊藤
大丈夫ですよ。
座って、ね。
ねむ
良かった(笑)。
じゃあ、しわくちゃのままで、いかせていただきます。
対談のお話をいただいたとき、
「なぜ?」と一瞬、思ったんです(笑)。
伊藤さんが私のことを知ってくださってるっていう
イメージがつかなかったんです。
伊藤
実は、うちの娘が大ファンで。
車の中で『あたしの最後のラブソング』をかけるので、
私も覚えちゃった。
ねむ
ほんとに私の個人の曲です。うれしい。
ありがとうございます(笑)。
それで知ってくださったんですか?
伊藤
そうそう。ねむきゅん、ねむきゅんって言ってて。
「ねむきゅんは、かわいいだけじゃない」って。
ねむ
私は伊藤さんのインスタをずっと見てて、
素敵~! てなっていたんですよ。
伊藤
ありがとうございます!
それで、結婚なさったって聞いて。
ねむ
はい。
伊藤
チームで「ちょっと待って」って。
「対談のオファーは、その前にしてる?」て(笑)。
結婚したから話が聞きたいみたいな、
ミーハーな人だと思われたら!
ねむ
ふふふ。大丈夫です。
じつは私の元々のマネージャーさんで、
若手の男の子がついてくれていたんですが、
その子のお父さんが、ほぼ日のかたなんです。
いろんなご縁があって。
それで私が引退してから、
糸井さんとBoseさんと、パルコまで歩く企画
に出させていただいて。
またぜひなにかできたらと思っていたんですが、
まさかの「下着」がテーマの対談を、
伊藤さんと! って。
伊藤
そうなんです。でも下着がテーマっていうのは、
先にあったんじゃなくって、
ただ、私がねむきゅんに会いたかったんです。
かこつけちゃったの。
ねむ
でも「下着? 全然分からん!」
みたいな感じなんですよ(笑)。
伊藤
いいんですよ。
どういう感じですか?
ねむ
もうひどいもんですよ。
伊藤
え、そう(笑)?
ねむ
はははは!
アイドル時代は、スポブラなわけですよ。
踊るので。
伊藤
そっか、けっこうダンスが激しいですよね。
ねむ
はい、けっこう激しくて、
飛んだり跳ねたりするので、
「ここのスポブラは押さえる力がいい」とか、
メンバー内で共有したりしてました。
もちろんメンバーによっては、
めっちゃかわいいのを付けてる子もいるんですけど。
私はもう「無」って感じの(笑)。
伊藤
無? ふふふ。
しかも、楽屋裏とかでは、
だれにもなにも気にせず、ですよね?
ねむ
そうです、そうです。
伊藤
でも‥‥無って?
ねむ
付けてはいるけど、
そこに感情はなにもない、みたいな。
私がちょっとガサツなんだと思います。
もちろん、見に行って、「かわいい!」とか思って、
買ったりするんですけど、
けっきょく撮影とかで、
スタイリングした服の下から、
かわいいレースが浮き出ちゃったりしたら、
着けられないんですよね。
衣裳に響かないものを探すと、
ツルンとした、なんにもないタイプばっかり。
伊藤
ベージュとか。
ねむ
だからちょっとお婆さん的なチョイスをしてしまう。
伊藤
アイドルグループの子たちのトークを
テレビかな、やっていて、
「誰それは、下着がババくさい」って。
ねむ
分かる。
伊藤
その反論としては、
「下着が浮き出たり、透けちゃったりとかするでしょう?
仕事中なのに、カワイイ下着だとか言ってるなんて
プロとして、失格よ」。
ねむ
ほんとそう! その人に1票!
縫い目がなくて、
お尻か下着か分かんないくらいの、
なめらかなやつがいいんです。
ベージュの。
伊藤
モデルさんとかもそうですもんね。
ねむ
だから、この話をいただいて、
「ええっ!」ってなったんです(笑)。
伊藤
でも、今は、スポブラは着けないでしょう?
ねむ
スポブラは卒業したんですけど、
よりどうでもよくなってしまいました。
伊藤
はははは!
ねむ
わたし、元々、運動が大嫌いだったんです。
仕事だから、動いていたんです。
伊藤
動いて、楽しい、っていう感覚じゃなく?
ねむ
そういう感覚が一切ないんですよ。
もちろん仕事でライブするときは、
すごく楽しいんです。
ファンの方もいて、そこには意味があるから。
ところが1人になったら、
動くメリットが1つもない。
体育をできるだけやらないでいた
学生時代の感覚に戻っちゃって。
伊藤
そうだったんだ! 意外。
ねむ
ダンスは好きなんですけどね。
踊る意味を考えちゃうと、
今はやらなくていいかな、ってなっちゃう。

会いたい人に会いに行く仕事。

未分類

伊藤
やっと今のお仕事につながりましたね。
でもしばらくはお父様のリサイクルショップで
販売をしていたんですよね。
ご自分のお店として独立したのは?
山口
北欧家具の輸入を始めて
7、8年くらいした頃、独立をしました。
いまの場所からちょっと離れたところに
倉庫兼店舗を構えたんです。
それからずっと、この仕事です。
伊藤
北欧の家具を輸入するという仕事を続けた
原動力は、どこにあったんだろう。
山口
行っていると、友人や仲間ができるでしょう? 
だから、「家具の輸入の仕事を続けたい」というよりは、
「この人たちに会えなくなるのは嫌だ」と思ったんです。
それは生きていく上で大きな損失なような気がした。
だから行きつづけなきゃいけない、
そのためには、その人たちにキチッと
お金を払えるようにしておかなくちゃいけない、
そのためにはビジネスとして
キチッと回さなきゃいけないって。
そんな思いのもとに続けているんです。
伊藤
その10年っていうのは、
日本では一人だけで?
山口
はい、一人でしたけれど、
もう一人バイトさん、もしくは時々もう一人で、
合計3人みたいな感じです。
いまは、だいぶ増えましたけれど。
伊藤
家具の修理をなさいますよね。
それは独学で?
山口
独学です。
じつは、僕、めっちゃくちゃ器用なんですよ。
それに、これを売らないと明日生活できない、
って思って修理をすると、
めちゃくちゃキレイに修理できるんです。
それを積み重ねてきました。
伊藤
今も、その気持ちは続いてるんですか?
山口
そうです。
修理は自分の仕事と思って今でもやってます。
伊藤
全部バラバラにして、キレイにして、
組み立て直すんですよね、taloでは。
そこがとてもいいと思うんです。
買ってきたものをそのまま売るのではなく、
ちゃんとメンテナンスをするということが。
そして、買い付けもずっと自分で行かれていて。
山口
年間、3分の1くらいは、
フィンランドにいますよ。
伊藤
「この人たちに会いたい」って思ってる人たちと、
ずっとつながりが続いてる。
山口
そうです、そうです。
伊藤
自分のためにも買い付けをするんですか?
ご自宅用にっていう意味で。
山口
一切、やらないです。
伊藤
おっ、へえー!
山口
正確にいうと、そういう気持ちで買ったものは
一つもありません。
買ったけれど売りものにならなかった、
というものを使うことはありますけれど。
だから僕の家、ぜんぜん北欧テイストじゃないんです。
ずっと実家暮らしですし。
伊藤
そうなんだ! 先日お目にかかった建築家のかたが、
自分の家はつくることができないと
おっしゃっていたけれど、
同じような感じかもしれないですね。
でも、家具を選ぶのって、
誰のデザインで何年ごろのものであるとか、
どういう構造であるとかは学べることだと思いますが、
その向こうに「センス」がありますよね。
それはやっぱりその10年で培った?
山口
そうですね、はい。
だから、自分では使っていなくても、
お客様の相談にはきちんとのれます。
僕は自分から勉学をするっていうことが
好きじゃなくて、
本を読んだり、ノートをつけたり、
資料をめくったりが苦手です。
そのかわり、感覚的なものは
研ぎ澄ましていけば誰よりも強くなるんじゃないかと、
そこは絶対に負けないんだって思って勝負してきました。
伊藤
お客さん一人一人の買ったものとか好みを
よく覚えてるんですよね。
山口
はい、はい。
伊藤
でも不思議ですね。
いいかげんなようで、強気で。
山口
ほんとそうですね。
伊藤
最後に、今回のラインナップのお話をすこし。
私、たくさん椅子を使っているんですが、
一脚あるだけで、部屋の雰囲気が、
がらりと変わるんですよね。
それで、このコンテンツをつくりたいと思って。
山口
変わりますよね。
僕のところで買ってくださったお客様が、
こんなふうになっていますよと教えてくださるのを見ると、
「こんなふうになったんだ!」って、とても嬉しいです。
ものを選ぶってその人の好みだから、
極端にいうと、椅子の好みで
その人の好みがわかった気がするくらい。
伊藤
実家で長い間、使っていた椅子を、
太郎さんに無理を言って
張り替えてもらったことがありました。
北欧テイストの日本製の。
古びてきてしまって屋根裏にしまいっぱなし。
家族の思い出がつまったものだったから、
捨てちゃうのもなって母が持て余していたんですね。
座面と背もたれを張り替えてもらって・・・
山口
よく仕上がりましたよね、あれ。
木の部分の塗料を剥いでね。
伊藤
オイル仕上げにしてもらって。
山口
生まれ変わりますよね。
伊藤
ベースがちゃんとしたものであったら、
手入れしてけば、どんどん良くなる。
椅子が好きで椅子を買うけど、
捨てるっていうことが全然ないんです。
服はどんどん譲ったりしていくのに。
山口
椅子だけは捨てないんですね(笑)。
伊藤
そうなんですよ(笑)。
どんどん増えちゃうんだけど、
それもいいなって思います。
「椅子がひとつあるだけで」というテーマで
太郎さんに相談をして、
選んでいただいたものから、
足したり引いたりして、30脚が決まりましたが、
最初に選んだポイントはどんなことでしたか。
山口
シチュエーション的に、
どこにでも使えるような椅子を
中心にしようと思いました。
お直しをしたときに、
伊藤さんは、手の跡があるもの、
あとからペンキを塗ったようなものは
お好きじゃないとわかっていたんですが、
ヴィンテージの椅子って、
それもひとつの魅力なので、
そういうものもあえて入れています。
たとえば、あたたかい印象の
ちょっと黄みがかったピンク色って
フィンランドの人たちが好きで、
よく使っていたんですが、
購入したかたが、そんな色で塗り直していたりね。
伊藤
アノニマスデザインというか、
デザイナーが不明の、
学校で使われていたような椅子もあれば、
有名なデザイナーによる名作椅子もあって。
でも、どちらも同じようにいいですよね。
山口
はい。「有名デザイナーの作品」ということで
選ぶ椅子って、それ自体がきわだって、
部屋の雰囲気と合わないことがあるんですが、
今回、自分が選んだ椅子は、
どこに置いても使いやすいものが多いと思いますよ。
伊藤
そう思います。
キャプションを書いていて、
自分が欲しくなって困っちゃった。
太郎さん、ありがとうございました。
知らなかった太郎さんの仕事のことも、
お店の来歴もわかって、面白かったです。
山口
こんなんでコンテンツになるのかな?
ありがとうございました!
伊藤
そうだ、3つの野望! 
語学は自然と身に付いたことでしょうし、
海外にもしょっちゅう行くことができた。
外国人のガールフレンドはできたんですか?
山口
‥‥妻は日本の人です。
いろいろありましたが、
結局、それだけは、無理でした!
伊藤
そうだったの(笑)。

フィンランドデザインとの出会い。

未分類

伊藤
輸入の仕事に夢破れかけた太郎さんが、
幼なじみのいるフィンランドに
3泊5日で遊びに行くことに。
そこで何が起きたんですか。
山口
その幼なじみは、一級建築士の免許を取ったあと、
勉強のために大学に行っていたんです。
彼はフィンランドの建築に夢中だから、
会っても建築やデザインの話しかしないんですよ。
「このゴミ箱は誰がデザインしたんだ」とか、
「このカップは、この角度が‥‥」って。
伊藤
夢中だったのね。
まさしくその現場ですもんね。
山口
そうなんですよ。
それで有名な建築を見に行こうって、
「中を見れる機会をつくったから」って
アアルト大学に連れて行かれたんですけど、
僕は全く興味がなくて。
ところが、3日間ずっと聞かされてたら、
「デザイン、カッコいいな!」みたいになって。
伊藤
3日間で(笑)。すごい。
山口
それまで自分の中には
「デザイン」っていう概念がなかったんです。
ゴミ箱ひとつにしても「誰かがデザインした」なんて
考えたこともなかった。概念がなかった。ホントに。
だからそこからして新鮮でした。
伊藤
椅子一脚を、名前のある人がデザインをしてる。
たしかに不思議なことだと思ったでしょうね。
例えばカップひとつ、
デザイナーがいるっていうことに。
山口
ビックリしました。
しかも、その幼なじみが詳しいから、
これはこうでこうなんだ、みたいなウンチクが
ちゃんとある。もうほんとうに驚いて。
伊藤
世界がぱあっと開きますよね。
良かったですね。
山口
そうなんですよ。良かったです。
で、3日目に、インテリアショップ、
ヴィンテージ屋さんに連れて行ってもらったんです。
そこで「フィンランドに来たんだから、
俺、とりあえず、家具を買って帰る」って。
伊藤
すっかりその気に!
山口
そうなんですよ。
「だって、俺、デザインの国に来てるんだもん」って。
脳内イメージは、
サングラスの似合う、デザインを知ってる男が、
家具を買いに来た、みたいな。
伊藤
(笑)
山口
で、そのとき、口座にあったお金を全部引き出して、
50万円ぐらい持っていたんです。
それで「50万円分買う。日本に配送できるか?」
って訊いたら、「できる」って言うんですよ。
「でも、輸出は難しいんだぞ、大丈夫か?」
「大丈夫だ。何度もやったことある」って。
「配送代金、いくらだ?」と訊いたら、
「3万円だ」って言うんですよ。
山のように買ったのに。
伊藤
安い! ちょっと怪しい(笑)。
山口
そうでしょう?
でもマジメそうな人間だし、
フィンランドのひとが優しいっていうのは
3日間、肌で感じていたから、
嘘をつくわけないなって。
50万円分も買ったから、サービスなのかなって思って、
任せて、帰国したんです。
伊藤
最初に買った家具は、どんなのだったんですか?
山口
エーロアルニオとか、アアルトとか、
名作と言われる家具が多かったです。
ちゃんとしたいい家具でした。
木のものも、プラスチックのものもいっぱい買いました。
ところが、日本に戻って、
2か月経っても、3か月経っても、ものが来ないんですよ。
伊藤
嫌な予感‥‥。
山口
そう。来るわけがないですよね、3万円で!
伊藤
うん‥‥。
ダマされちゃったの?
山口
まずフィンランドの幼なじみに電話したら、
行ってくれたんです。すると、
「出荷したって言ってる」。
「ああ、そうなんだ」って、
結局、半年‥‥8か月くらいかな、経っても、
ウンでもスンでもない。
これはやられたな、
「ふざけんな」ってなるじゃないですか。
若かったんで、「アジア人、舐めてんのか」って思って、
もう1回エアチケ買って、
ガラス窓を割る勢いで乗り込んだんです。
伊藤
アハハハハ。
山口
冗談ぬきですよ。ホントに許せない、
少なくとも、会って文句を言わなきゃいけない。
そしたらその店主、満面の笑みで
「よく来たな~!」って、ウェルカムで。
伊藤
いけしゃあしゃあと。
山口
いけしゃあしゃあと。
「お前、ふざけんなよ、俺の荷物、送ってないだろう」
って言おうと思ったんです。
それはちゃんと英語を調べて暗記して。
それも、近所に住むアメリカ人に、
強い口調で汚い言葉で言いたいからって、
教えてもらった強気の英語で。
ところが笑顔で「ウェルカム」。
「前の発送したの、着いたか~?」
なんて言うわけです。
「着いてねえよ!」ってなったんですけど、
ホントに悪気がない感じなんですよ。
この人、そもそも騙す気はないぞ、って。
これはもしかしたら、時間にルーズなのかな?
こういうのを理解しないと
輸入業はできないのかな? と、頭がグルグルして。
そうしたら「また買うのかい?」。
伊藤
もしや、「うん」って、言っ‥‥。
山口
言いました。
伊藤
アハハハハ。
山口
「文句を言いに来た」って
言えなくなっちゃったんですよ。
伊藤
えー。
山口
そのときは70万円くらい持っていたんです。
貯めたお金。
で、70万円分買って、帰りました。
伊藤
えっ、えっ? 届いたの?
山口
来ないんです。
待てど暮らせど。
伊藤
そ、それで‥‥。
山口
さすがに俺もバカだったと。
そんなことをやってたら、ダメだ。
疲れてしまって、もう諦めようと思いました。
「輸入業、もう諦めた」ってホントに思ったんですよ、
心の底から「サラリーマンになろう」って。
そうしたら、突然「荷物が届いてます」って
税関から電話が家にかかってきたんですよ。
「すごくたくさんあります」って。
第一弾と第二弾が一緒に来たんですね。
だから、「あいつ!」と思って。
おそらく、二度目に行ったときには、
まだ出してなくて、
また買ったからまとめて送ったんだと思います。
伊藤
ほんとうに、騙すつもりはなかったのかな?
山口
ちょっとそう思いますよね。
ところが、荷物の中に、
買った覚えがない、いろんなオマケが
入っていたんですよ。
頼んでない家具が5、6点。
けっこうな額ですよ。
それで「まあいいか」と。
それをさっそく父のリサイクルショップに並べたら、
今度は都内のインテリアショップのオーナーの人たちが
買いに来てくれました。
飛ぶように売れちゃったんです。
伊藤
すごい(拍手)。やっと、今の仕事につながりました!
そのフィンランドのショップの人とは?
山口
さっそく3回目のフィンランドです。
オーナーに「おまえ、半分騙したな! 
これからお前は俺のパートナーだからな!」つって、
結局その彼と10年間、仕事で組みました。
それでわかったのは、
そいつは、審美眼もあるし商売は正直にやってし、
人を騙そうと思ってはいないのに、
結果的には騙しちゃうことになる、
っていう、いちばんたちの悪い人だったんです。
伊藤
ああ。
山口
熱意もあるし、真剣味もあるんだけど、
結果的に平気で「金払えないんだよ~」ってなる。
たとえば、400万円のクルマがほしい。
手元には100万円しかない。
まず100万円借金して200万円になった。
さらに200万円のローンを組んで、
400万円のクルマが手に入った。
すると「お金がないから返せない」。
ひどいでしょう? 
その反面、それ以外のものを持ってる人だったんですよ、
取引の仕方とか、ものの見方とか、
センスが抜群だったのは間違いないし、
何よりもアクティブだった。
27、8で英語もろくに喋れない僕を、
結果的にデンマークに引きずってってくれて、
トップディーラーに紹介してくれて、
スウェーデンに行って、
またいちばん大きいディーラーさんに紹介してくれて。
彼のおかげですごく広がっていったんです。
この人の元にいたら、俺、強くなれるなって思って、
結局、10年仕事をしました。
最後は彼がスイスに移住することになって、
パートナーは解消することになったんですが。
そいつに学んだことが、今の仕事に
大きく影響しているのは確かです。
伊藤
すごいですね。
お母さんのひと言がきっかけで。

アメリカで挫折し、アジアで夢破れ。

未分類

伊藤
輸入の仕事がしたくって、テキサスに。
そこではどうだったんですか。
日本語のわからないイランの人のところに、
英語のわからない太郎さんが行って。
山口
それでもなんとかコミュニケーションを取って、
「こういうことがしたい」と言ったら、
イラン人も知ったかぶりしたのか、
「できる。そんなの余裕だよ」って。
いいかげん同士が重なり合って。
伊藤
アハハハハ。
山口
「空港で働いてる友人がいて、貨物やってる」
と言うので、そこに行ったんです。
そうしたら何が困ったかって、用語がわからない。
「インボイスはどこなんだ」って言われて、
インボイスの意味が分からないんです。
今は携帯で調べればいいですけど、
辞書を持っていってないですから。
伊藤
インボイスって、輸出入にあたって必要な
内容物の詳細なリストですよね。
税関への申告に使う‥‥。
そっか、そりゃ当時は知らないですよね。
山口
でも世の中どうにかなるもので、
「とりあえず日本に送ってくれ、いくらでも払う」
みたいな感じで言っていたら、
「もういい。わかった」みたいになって。
僕、その時、祖母にもらったお金と、
バイトで貯めたお金を足して、
200万円ぐらい持っていたんです。
当時の僕にはとんでもない大金です。
それで「金は払うから」って繰り返して言っていたら、
「よく分かんない日本人が面倒くせえな」みたいに、
たぶん、なったと思うんですよ。
ところが足元を見られて
輸送費が莫大にかかってしまって。
そういえばイラン人も、泊めてくれたんですが、
結局「宿泊代、10万よこせ」みたいになって、
今思えば居候の5泊で10万って高いんですけど、
やっぱり足元を見られました。
伊藤
あるでしょうね、そういうこと。
山口
それでもどうにか日本に送ることができました。
インボイス問題は、テキサスで、
日本に支社のあるオフィスが対応してくれたらしくて、
なんとかなって。
伊藤
その自転車とかは売れたんですか?
山口
結果、売れました。すぐ売れました。
伊藤
へえー! どこで売ったんですか?
山口
当時、父が美容院の経営に見切りをつけて、
リサイクル屋を始めていたんです。
持ってきた商品を売る場がないから、
そこのリサイクル屋で売らしてくれと頼み込んで。
そうしたら、すぐ売れたんですよ。
なぜかって言うと、
それこそ『ポパイ』があったから、
紙媒体でのアメリカ情報は溢れていた時代で、
でも、神奈川のこのあたりは想像以上に田舎で、
アメリカから持って来たものを扱うショップは
すごく少なかったなかに、
自転車なんか、最新のものを持ってきたから。
伊藤
でも、値付けが高くなっちゃったでしょう?
ショップで正規購入したものに、
輸送費や渡航費、税金や諸経費、
それに太郎さんの利益を足したら‥‥。
山口
それがですね、ほぼ原価で売っちゃったんです。
ちょっとはのせましたよ、
1万円で買ったら、1万2000円ぐらいで。
でも完全に赤字ですよね。
伊藤
だから売れた、ということでも
ないような気がしますけれど‥‥。
山口
運も良かったんです。
何が起こってたかっていうと、
都内のインテリアショップのオーナーさんたちの間で、
「神奈川の近郊のリサイクルショップには、
昭和初期のレトロなものがまだ残ってるぞ」
と、探しにきていたんですよ。
伊藤
へえ!
山口
そういう人たちが来て、買っていってくれました。
おしゃれで、地元とは全然雰囲気の違う大人だった
という覚えがあります。
伊藤
なるほど。
いいお客様がいて、売れたことは売れたけれど、赤字。
そして「輸入業はたいへん」ってこともわかったと。
それで、次にどこへ行ったんですか?
山口
輸入の仕組みが分かって、
持論としてそのときに思ったのが、
輸入業を成功させるには
物流をおさえなきゃいけないんだってことでした。
じゃあ物流を構築しようという目標をもって、
アジア各国に雑貨を買いに行きました。
とにかく輸入がしたかったので、
ものはなんでもよくて。
伊藤
なかなか、家具に行きつかない!
山口
そうなんですよ(笑)。
伊藤
早く、早く(笑)!
でもどうしてアジアだったの?
山口
アメリカは肌感覚として
勝っていくには難しいって分かったし、
そりゃできればヨーロッパが
カッコいいとは思っていましたけれど、
アジアだったら勝てるんじゃないかと思って。
伊藤
「勝てる」って。もう。
確かに、その頃は、渋谷や原宿界隈で
中国やベトナムの雑貨が輸入されはじめて、
ちょっとした流行になっていましたよね。
山口
そうです、そうです。
それに影響されて、アジアがベースだったら
勝てるだろうって思って、
ベトナムや香港、深圳に行くんですけど、
時代はすでにアジア各国に中国の資本が入っていて、
輸入業者の規模も大きくなっていたんです。
ベトナム人の知りあいが
「洋服の安い工場がある」というので行ってみたら、
「さて、あなたはいくら投資できるんですか?」
みたいな世界でした。
話の桁が違うんですよ。
で、各所まわって、結局思ったのが、
「アジアでも勝てない」と。
伊藤
勝ちたいのね。すごいねえ。
山口
「儲けなきゃいけない!」って。
伊藤
うん、商売を始めるなら当然ですよね。
山口
そうやってるうちに2年経ち、3年経ち。
伊藤
北欧に早くつきたい(笑)!
山口
ですよね。
僕、結構しつこいタイプなので、
アメリカのあと、十何か国に行ってるんですよ。
だんだん「チャレンジしてる自分が大好き」
みたいな感じになってくんですけど、
伊藤
若ーい!
山口
でも、負け続けているうちに、
失望しかなくなってくるんです。
それで27歳くらいの時、
「もう俺は勝てない」って思って、
ショボンとしてたときに、たまたま母親が、
「幼なじみの○○くんが、フィンランドにいるよ」って。
伊藤
フィンランド!
山口
幼なじみだったのが、
大人になったら神奈川と埼玉に別れて、
10年ぐらい会ってなかったんですけど、
建築の勉強にフィンランドに行ってる、って。
「いつでも来いって言ってるよ」って。
伊藤
ショボンとしてるときにそれを聞いたのね。
山口
そう。フィンランドっていう国が
どこにあるかも知らなかったけれど、
行こう! と思って。
伊藤
資金は? さすがにおばあちゃんは‥‥。
山口
じつは結構一所懸命働くタイプなんですよ。
だから、とにかく働いてお金を貯めていました。
貯まったら外国へ行き、
それを繰り返していたんです。
とはいえ、いま振り返れば、
寛容な家族の存在は大きかったです。
「まあ好きなことやんなさい」って。
伊藤
それでフィンランドに。
何も知らずに。
山口
ヨーロッパのガイドブックにも、
フィンランドのページはほんの少し、
という時代でしたから、
情報がなにもないに等しくて、
とりあえず行ったんです。
27歳で、ことごとく失敗をして、
周りはキチッと働いているのに、
自分だけぷらぷらしていて、
なんの目処も立ってない残念な人間だけど、
幼なじみに会って気分転換しようかなって。
「輸入」のことをあまり考えないようにして、
3泊5日で遊びに行きました。

3つの野望で輸入業を志す。

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伊藤
太郎さんは、なぜ北欧の家具屋さんに
なろうと思ったんですか。
長いおつきあいなのに、
いちども聞いたことがありませんでした。
山口
最初は、家具とはまったく関係のない
仕事をしていたんです。
家が美容院の経営をしていたので、
学生時代は、漠然と、
自分は美容師になるものだと思っていました。
僕、昭和48年生まれなんですけど、
学生時代はバブルのちょっとあと、
世の中がグチャグチャな時代で、
自分の中で思っていたのは、
サラリーマンができない人は
自分でなにか立ち上げるしかない、って(笑)。
伊藤
うん。
山口
今は優秀な人が経営者になる時代だけれど、
僕の育ったところは、
神奈川県といっても都会ではなかったので、
お店を始めたりする人が多かったんですよ。
朝もちゃんと起きられないし、
上司の言うことも聞けないだろうから、
最初から独立して仕事をしたほうがいいや、
みたいな発想の人がいっぱいいて、
僕もその中の一人でした。
それで25歳のときに
「輸入業でもやりたいな」って。
伊藤
「でも」って!
「こういうことが好きだな」って思っていないと、
ふつう、こういうふうにはならないでしょう?
山口
そうなんですよ。
僕、そのストーリーが成り立たないから、
こうして取材の機会をいただいても、
いつも「残念ですね」って言われるんです。
好きで好きで始めました、
っていうストーリーがいいですよね。
伊藤
アハハハハ!
山口
全くデザインの勉強もしてないですし、
家具の勉強もしてないですし、
物販の勉強もしてないです。
伊藤
なぜ「輸入」っていうキーワードが
出てきたんですか?
山口
一石三鳥だなぁって思って。
伊藤
ん? んんん???
山口
輸入の仕事で語学が達者になりそうだし、
旅行気分で海外に行くこともできるし、
きっと外国人のガールフレンドができるし、って。
伊藤
えっ、なんですか、それ~(笑)!
軽薄! 若さゆえの軽薄! もう!
山口
そうなんですよ。
そう言うとすごい軽い感じですよね。
でも自分としてはホントに夢をもって、
希望を抱いての「輸入業でも」だったんです。
伊藤
買い付けって実際は
すごく大変な仕事ですよね。
山口
そうです、そうです。
現実はそんなに甘くなかったです。
輸入をやれば、
全体的に自分の人生が楽しくなるはずだ、
っていう思い込みで始めちゃったんです。
伊藤
英語は‥‥。
山口
全く話せなかったです。
それまで、勉学をしてませんでしたから。
でも、親類で骨董屋さんをやってる人がいたり、
伯父が書画の先生だったり、
古いものに触れる機会は子どもの頃からあって。
伊藤
あら、ホラ、やっぱりあるじゃないですか!
山口
そう言われたらそうですね。
伊藤
そうですよ。じゃなきゃ、うん。
小っちゃい頃とかは
分からなかったかもしれないけれど、
いま思うと「あのときのあれ」みたいなことって、
影響するものですよ。
でもいっぽうで、そういう闇雲さというか、
若さゆえに突っ走っちゃった感じというのは、
いま、なにかしたいなって
モヤモヤしている若い人にしてみたら、
勇気の出る話だろうなって思います。
山口
そうだといいですけど。
伊藤
それで、語学と旅行とガールフレンドに向かって、
最初に何をしたんですか?
山口
25歳のとき、とりあえず海外に行こうと。
当時は海外といえばアメリカで、
情報がとにかくアメリカしかなかったんです。
ウェブもない時代で、紙媒体しかなくって、
『ポパイ』を読めば「アメリカ最高」って書いてある。
NIGOが行ってるなら俺も行く! 
って、アメリカに行ったんです。
そして1週間ぐらいで分かったのが、
ここで成功するのはハードルが高すぎるってことでした。
いきなり挫折です。
伊藤
相手が大きすぎたってこと?
山口
何ひとつ、とっかかりがないんです。
頼れる人がいるわけでもない、
語学ができるわけでもない、
学校に入るわけでもない、
バイトするわけでもないっていう状態で
一人でポンとアメリカに行っても、
そりゃ、何をしていいか分からないですよね。
しかも、なぜかテキサスに行っちゃって。
伊藤
西海岸とかじゃなく?
山口
なくて。
生粋のアメリカ人が少なくて、
アジア人がいっぱいいて、
彼らのエネルギーがもう半端なさすぎて。
日本に生きてたときには感じなかった、
サバイバル感みたいなものが、
露店のおじさんからですら、出ていて。
「この人たちに勝てる気がしないな」っていうのことを、
すごく思いました。
伊藤
「ここでやっていくんだ」という
強い気持ちがあるんでしょうね。
山口
そんな中に、語学もできないのに入っていって、
「成功するまでの道のり、気が遠くなるな」
って感じました。
伊藤
「何を輸入しよう」は決めてなかった?
山口
ああ、もう、全然考えてないです。
でも、とりあえず行ったんで、
何か輸入しておかないと、
親の手前もありますし。
伊藤
お金を出してくれたんですか?
山口
祖母でしたね。「これ使いなさい」って。
それと自分で1年間働いて貯めたお金を握りしめて、
全部使ってこようって思って行ったんです。
でも何を買えばいいか分からない。
でも何か持って帰らないと格好がつかない。
そもそもやり方も知らないから、
何か輸入することで、
やり方ぐらい覚えて帰ろうと思いました。
伊藤
何を持ってきたんですか?
山口
オールドノリタケとか、ガラス系です。
あとはスーパーで売ってる、普通の自転車。
今でいうBMXですね。
まだ日本にあまり入っていなかったから、
それを買って。
伊藤
どうやって持ち帰ったんですか。
山口
ですよね。何も前調べをしていかなかったので、
輸入が難しいなんて想像もしていなかったんですよ。
宅配便の会社に頼めば、
きっとモノが日本に着くんだろうな、って。
税金を払ってとか、
書類で細かいことを書かなきゃいけない、
みたいな発想はそもそもなかったんです。
伊藤
じゃ、その場凌ぎで?
どこに持っていったの?
山口
そもそもなぜテキサスだったかっていうと、
地元にイラン人の友人がいたんですよ。
このへん、イラン人が当時多かったので。
そしたら、「俺の友だちがテキサスにいる」って言うから、
「じゃ、テキサスにしよう」って、
テキサスに行くんですけど、
「ちょっと日本にいたので日本語ができる」って
言われていたその人は、
日本語はぜんぜんわからない人だったんです。
伊藤
!! 今の「talo」の成功があるから冷静に聞けるけど、
その当時の太郎さんに会ったら、
「何言ってんの」って言っちゃいそう(笑)。
「もう、この子は」みたいな。
山口
そうですよね。

椅子を買いに。

未分類

「今日は椅子を買いに行こう」
小学校に上がったばかりのある日、
父がこんなことを言いました。

それまで座っていた子どもの椅子は、
もう卒業と思ったのでしょうか、
私専用の椅子を買ってもらった時は、
少しだけ大人の仲間入りをしたようで、
それはそれはうれしかった。

家族5人おそろいのその椅子は、
何年も経ってほとんど使わなくなってしまいましたが、
捨てるにはしのびないと思った母が、
屋根裏に移動させておいてくれたおかげで、
今では我が家に仲間入り。

木の部分はやすりをかけ、
オイルをしみこませ、
背もたれと座面は革からグレーのソファ地へと張替え。
姿は少し変わったものの、
愛着は当時のまま。
思えばこれが私の「はじめての椅子」なのでした。

ダイニング、台所の傍、リビング、
玄関、廊下のすみっこ‥‥。
今ではいったい何脚の椅子があるんだろう? 
と思うくらいたくさんなのですが、
そのひとつひとつに思い出があり、
ひとつひとつに役割がある。

椅子がある分、
風景がある。
好きな椅子とつき合ううちに、
そんなことを思うようになりました。

今週のweeksdaysは、
とっておきの椅子を紹介します。
ひとつだけしかない、
あなただけの椅子に出会えますように。

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