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再入荷のおしらせ
完売しておりましたアイテムの、再入荷のおしらせです。
2月13日(木)午前11時より、以下の商品について、
「weeksdays」にて追加販売をおこないます。
シルクモダールパンツ(ブラック)
DRESS HERSELFの
シルクモダールパンツ(ブラック)が再入荷します。
ネイビー&ブラックコーディネートセットも
同じタイミングで入荷します。
とても肌触りが良く着やすいアイテムです。
この機会にぜひおためしくださいね。
「ウエストに寄ったギャザーが、
お腹まわりを快適に、
かつすっきり見せてくれます。
着て歩くとわかるのですが、
とにかく着心地がいい。
飛行機や列車で長時間移動、
なんていう時に手放せなくなりそうです。」
(伊藤まさこさん)
たとえばこんなコーディネート。[2] リネンのオールインワン編
オールインワンは、
さらりと着るのが好きです。
そしてスニーカーより、
ヒールのある少し女らしい足元にすると
大人っぽい着こなしになります。
このオールインワンを着るときに、
よく合わせるのが赤いスウェードの靴。
身長がヒールの分、
高くなってバランスがよくなるし、
デニムとの相性もよし。
首元にはヒールの赤と
デニムのネイビーに合わせた色合いのスカーフをくるりと巻きました。
これにクラッチバッグを持つのが今の気分。
中に白いレースのブラウスを合わせました。
首元に別の素材を持ってくると、
ニュアンスが加わって、
すっきり一枚で着るのとはまた違う雰囲気に。
足元はこれまたヒールつきのブーティを。
もう少しあたたかくなったら、
華奢なサンダルとか合わせてみたいなぁ。
(伊藤まさこ)
たとえばこんなコーディネート。[1] ウールリネンのコート編
カシミヤのタートルにストール、
ファーのブーツ、手袋。
今の季節におすすめしたいのが、
全身白のコーディネートです。
とかく暗くなりがちな冬に
はっと目を引くことまちがいなし。
ウエストはきゅっとしぼって、
重ね着をしつつも、
あまりもこもこになりすぎないように。
白いバッグも合いそうだなぁ‥‥、
と「冬の白」の妄想は広がります。
春が近づいてきたら、
白とネイビーのさわやかなコーディネートもおすすめです。
ウエストのリボンはうしろで結んだり、
自然に横におろしたり。
ラフにするとコートの着こなしが
こなれて見えます。
身長155センチと小柄な私は、
バランスを考えて、
くるぶしを見せるよう、
デニムをロールアップしました。
生地をたっぷり使ったコート。
重量感に自分が負けぬよう、
どこかを軽くして
(ロールアップや髪型をまとめるなど)
全体のバランスを考えて。
(伊藤まさこ)
fog linen work 関根由美子さんにきく 春の麻、秋冬の麻。
サラッとした平織りの麻のものは夏もの、
そんなふうにみなさんお考えだと思うんですけれど、
いまは、そんなことはないんですよ。
昔より生地の織り方が進化しましたし、
麻100だけじゃなくてウールを混ぜたり、
起毛させるっていう技術がうまれ、
麻素材の服はオールシーズン着られる、という印象が、
出てきたように思います。
fog linen workでも、一年を通じて
麻の服を提案しています。
麻のデニムをつくって、
オールインワンに。
まず、このオールインワンの素材は、
麻100ですけれど、織り方でいえば、デニムなんです。
デニムって、ほんとうはコットンの綾織り。
それを麻でできないかなと作ってみました。
製造を依頼しているリトアニアの工場も、
麻でデニムを織ったことはなく、
5、6年かかって、完成したんです。
試し織りといっても、
毎回ちゃんと糸を織り機にセットするわけで、
まず、そこが大仕事。
そして織り始めると、セットした糸のぶんは織りますから、
試作品が何百メートルもできる。
そんなことを繰り返して、やっと完成しました。
試作品は、厚さが違うとか、ちょっと密度が違うため、
デニムとは言えないけれど、
綾織りの麻としていい生地でしたから、
それぞれ別のアイテムになっていきました。
やっとできた! と思えたこのデニムは、
ネップの出方もいいし、
裏地に、いかにもデニムらしさがあります。
そこそこ厚みがあり、麻ゆえのハリ感もあって、
洗っていくうちにちょっとクタッとした感じも出ます。
オールインワンは、私も最近よく着ていて、
「weeksdays」でも、
すごく推しているアイテムですよね。
着ていてとても楽だなって感じています。
いっぽうで、お客様と話していると、
オールインワンは着脱が心配だとおっしゃるかたが多い。
これ、実際は着脱が楽ですよね。
臆せず着ていただきたいな、と感じています。
平面の布を2枚、丈も袖もちょっと短めに、
前後ろで縫い合わせているという
とてもシンプルなつくりです。
体に沿うというよりも、
いかようにも着られる服ですね。
オールシーズン着れる素材ですし、
小物の組み合わせで印象が変わりますから。
旅行に行くときもすごく便利でした。
靴は、サンダルでもヒールでも、
ブーツでもスニーカーでも、合わせやすい。
もともとそんなに長めではないけれど、
さらにロールアップしてもいいですよ。
中がわりとゆったりしてるので、
中にカットソーを着たり、できますし、
上からカーディガンを羽織ってもかわいい。
そんなふうに重ね着をするのもおすすめです。
オールインワンを去年1年わりと着て感じたのは、
ひとつだけ問題があるということ。
それは、ウエストがないので、
いくらでも食べられちゃう(笑)!
色は、2つ。
デニムブルーと、ネイビーです。
この2色は海外にも卸しているんですが、
薄いブルーは肌がピンク系で、
髪の色が明るい印象の方に、
濃いブルーは髪の色が濃くて、
肌が濃い色の人に受け入れられている、
という実感があります。
ウールリネンでコートをつくりました。
ウールを麻と混紡にすることで、
保温性が高くて着やすいので、
fog linen workでは秋冬の素材として考えていたんです。
けれどもあるアパレルの方が、
この素材は春先にぜひ、とおっしゃられて。
サマーウールのように、
ちょっとウールが入ったもので、
麻が混ざっていると、
オシャレな感じになるだけじゃなく、
春先にとても気持ちがいいはず、って。
伊藤さんも同じ考えで、
「ぜひ春の服として」と提案をいただきました。
サイズ感はわりとゆったりですが、
肩がそんなに大きくなく、
フワッとしたAラインなので、
着るとコンパクトな感じに見えつつ、
裾が広がってドレープがうまれ、
エレガントな印象になるんです。
外着として使えるよう、麻100の裏地をつけて
つくっているんですが、
このやわらかさは、
家でローブとして使うのにもいいと思います。
ちょっとぜいたくですけれど。
共布のベルトは、結んでも外してもいいですし、
つけたまま垂らすと、
ドレープ感と混じって、いい感じなんです。
後ろで結ぶとちょっとアクセントにもなりますね。
このウールリネン、生なりにみえますが、
それぞれ、染めています。
生なりだと、日焼けして、色むらが出るので。
でも裏地として使っている麻の布は、
原糸の色そのままなんですよ。
fog linen workのコートとオールインワン
春が来た。
球根から育てているヒヤシンスが、
ある日をさかいに、
急に成長が早くなる。
毎年、その様子を見ているけれど、
その「急」な変化がいつかは分かりませんでした。
でもね、
今年気づいたんです。
その変わり目はどうやら大寒にあるみたい。
だってその日を過ぎたあたりから、
ヒヤシンスの姿全体が、
ふっくらやさしげになっていくように感じるから。
日に日に成長するその鉢の様子を見ていると、
ああ春がやってくるんだなぁ、
そう思う。
変化はヒヤシンスだけではありません。
大寒を過ぎた頃、
とつぜんやってくるのが、
「冬の服にあきちゃった」っていう気持ち。
寒いのはわかっているけれど、
気持ちが春に向いているものだから、
ファッションも少しだけ
春仕様に変えたくなってくるのでした。
今週のweeksdaysは、
ウールとリネンの混紡の生地で作ったコートを
ご紹介します。
リネンもウールも、ともに慣れ親しんだ素材なのに、
合わさるととても新鮮。
春に向かう気持ちを盛り上げてくれる、
今の季節にぴったりな服。
コートとの相性抜群の
デニムのオールインワンとともにどうぞ。
アミアカルヴァ、 わたしの持ち方。 伊藤まさこ
黒のタートル、黒のパンツ。
黒のスニーカー。
全身黒でまとめましたが、
バッグの素材感が重さを感じさせない。
ジムに行く時のみならず、
撮影で必要なものを借りに行ったり、
探しものをしたりする時に、とても重宝しています。
ふだん、どうしても黒っぽくなりがちなのですが、
そんな時は靴下に
ポイントのカラーを持ってくるようにしています。
今日はまっ赤!
キャンバス地には、
デニムやボーダーのTシャツがよく似合う。
このバッグ、持ち手が長いので、
厚手のコートを着ても、
きちんと肩にかかるところがすごくいい。
両手が空くのって開放感につながりますから。
ざくざくなんでも入れちゃう。
今日は本、着替え、ストール、
見えないけど水筒も。
表のポケットには電話と眼鏡を。
(伊藤まさこ)
MOJITOの山下さんにきく。 僕がアミアカルヴァの キャンバストートを好きな理由。
山下裕文さんのプロフィール
やました・ひろふみ
1968年熊本生まれ。服飾専門学校を卒業後、
スタイリストのアシスタントを経て
原宿「PROPELLER」でバイヤー、プレスなどを担当。
米国ブランドの日本初上陸のさい、
ショップのジェネラルマネジャーに。
独立してからは、英国系ブランドやアウトドアメーカーまで
さまざまなアパレルブランドの
コンサルティングを担当したのち、
2010年に、作家・ヘミングウェイの世界観を
ひとつの哲学としてデザインにおとしこんだ
メンズウェアブランド「MOJITO」を立ち上げる。
僕がいつもMOJITOの新作を発表する展示会場で、
一緒になったのが、アミアカルヴァとの出会いです。
見たときに「いいなあ」と直感的に思いました。
とにかくシンプルで大きいカバンっていうのが欲しかった。
僕はふだん仕事で荷物を運ぶことが多いのと、
基本的にトートバッグが昔から大好きだったので、
たとえばL.L.Beanなど、
これまでもいろいろなトートバッグを使ってきましたが、
こういうキャンバスで大きくて、
自分にちょうどいいものって、なかったんです。
アミアカルヴァのこのトートは、
アメリカ軍のパイロットがヘルメットを入れるときの
ヘルメットバッグが、おそらく、
モチーフになってると思うんですが、
その「ざっくり入れる」感じがいいんですよ。
僕は仕事柄もあって、
中にオーガナイザーがたくさん付いてるもの、
小分けにできるポケットがあるような、
そういうバッグって、あまり使い勝手がよくないんですね。
その機能を使い切れない。
仕事柄っていうか、
基本的に性格がちょっと大ざっぱなんで、
どこに何を入れたかっていうのが
分からなくなっちゃうから(笑)、
何通りも使い方があるものを、
自然と使わなくなっているんです。
家電でも、ラジオにもなって充電もできて
テレビも観れて、というのは僕には使えないし、
十徳ナイフも1機能しか使わなくなっちゃうんです。
その流れで、このバッグの好きな部分をお伝えすると、
たくさん物を入れられて、パッと持てて、自立すること。
パッと持てるというのは、アミアカルヴァのトートは
ハンドルの立ち上がりが短いので、
そこを持つしかないんです。そこがいい。
肩にかけたり斜め掛けしたり背負ったりはできない、
1機能1アイテム、
それがアミアカルヴァのよさですね。
むかしは3ウェイ、4ウェイのバッグも
たくさん使ったんですけど、だんだん歳をとったのかな、
「これには、これ」という潔さが、
僕がこのバッグの好きなところですね。
どれだけ作り込んだいい素材を使っているかとか、
シャトル織機でゆっくり編んだとか、
そういう「いいところ」はいっぱいあって、
もちろん僕はそういうのっていいなと思うけれど、
もっと単純に道具として、「仕事には、これ」。
使い勝手が1ウェイしかないっていうのが
いちばんの魅力です。
だから今、僕の使っているバッグはこれだけです。
汚れたら、すぐ洗って乾かして、
ほとんど毎日、使ってます。
「抜け感」のあるバッグづくり。 アミアカルヴァ 加藤一寛さんインタビュー
加藤一寛さんのプロフィール
かとう・かずのり
バッグデザイナー。1977年大阪生まれ。
バッグメーカーの企画、営業を経て2007年、独立。
同年「tocantins」(トカンチス)を設立。
2008年、AMIACALVA(アミアカルヴァ)をスタート。
AMIACALVAのブランド名の由来は
古代魚「AMIACALVA」から。
■アミアカルヴァのウェブサイト
https://www.amiacalva.com/
このブランドは、2008年に作りました。
拠点は大阪です。
それまでは、バッグのメーカーで、
いちサラリーマンとして、
営業と、企画の仕事をしていたんです。
自分が企画したものを、
アパレルブランドやセレクトショップに
営業をする、そんな仕事です。
独立をしたのは、
かっこよく言ってしまえば
「こういうバッグがつくりたい」という気持ちが、
会社の枠をはみだしちゃった、ということかもしれません。
従来のバッグメーカーは、
モノをイメージして、図面上でデザインして、
それをサンプル師さんに作ってもらう、
ほとんどがそんなスタイルで作られています。
上がってきたものを自分で確認して、
イメージどおりかどうかっていうのを見て、
これで行くぞ、と決めたら、展示会に出し、
受注を受けて、実際に作っていくわけです。
そんななかで、僕は、
もう少し踏み入ったところで
モノづくりをしたいなと思いました。
絵で描くサンプルに、限界を感じていたんですね。
もちろん、そういうスタイルの仕事の仕方は、
洋服もそうだと思うんですけども、分業化が進んでいて、
それぞれのスペシャリストがおられるので、
効率的ですし、アイテム数を増やすには
とてもいいやりかただと思うんです。
でも、ちょっとだけ、
自分のやりたいこととは、ずれてきてしまった。
自分の好きなバッグは、
海外のものが多かったんですが、
どうしても、何が違うのかがわからない。
だから、できない。
はっきり言えたのは、
図面からでは作れないということでした。
きっと、表面の見た目だけが違うだけじゃなく、
作り方が違うんだろうと思うんですね。
だから結果的にデザインが違ってくる。
そのことがわかるまでには、
ちょっと時間がかかりましたね。
好きなバッグをバラして研究をして、
わかったことをいかして自分で作って。
そんなことを、会社を辞める1年前ぐらいから、
ミシンを購入して、はじめたんです。
それまで触ったこともなかったミシンですから、
まっすぐ縫うことさえできないところからの
スタートでした。
工業用の、レザーや分厚い帆布を縫うためのミシンです。
新しいものは結構いいお値段がするので、
中古で探したんですけれど、
当然説明書などはなくって。
先生もいないし、そこがたいへんでしたね。
でも、かえってよかったな、と思うのは、
わからないことが出てきたとき、
じぶんでなんとか調べるくせがつく。
例えば針が折れてしまうと針を買いに行く。
そしたら、針の種類がいかにたくさんあるかを知る。
針が違うだけで、できあがるものは
まったく変化してしまうんですよ。
だから、すごく勉強になりました。
その1年は、とても重要でした。
研究は、面白かったですよ。
例えばアメリカ製のバッグで、
解体したみたら、完全に一筆書きみたいな
縫製の仕方をしているバッグもありました。
それって生地の裁断からそうしないといけないわけで、
ちょっと無駄が出るはずなんです。
なんでそんなふうになってるかっていうと、
材料を無駄にしないとか、
材料コストを抑えることじゃなくて、
ロスが出ても生産効率を上げることだけを考えた、
アメリカ人らしい、
超大量生産のためのプロダクトだったんですよね。
いまはもう変わったはずですが、
昔はひどかったんですよ。でも、モノはいい。
そういうのを見てると、たぶん教科書って、
ありそうでないんだろうなと思ったんです。
なので、壊れなければ大丈夫なのかなって(笑)。
いまも、モノづくりをしながらも、
ずっと何かを学びながら作り続けてるような
イメージなんですよ。
全部を網羅するのは、たぶん無理だと思いますので。
そうしているうちに、
どうして外国のバッグに魅かれていたのかが
わかるようになってきました。
日本のバッグって、
機能から逆算したモノづくりが多いんです。
例えば内ポケットがあって、ファスナーがあって、
だから裏地が必要になる。
裏地があると表地はこういう構造になる。
逆算すると決まってしまうんですね。
でも僕は“抜けたもの”が好きだった。
足りないな、っていうぐらいのものですね。
自分でバッグをつくると、生地をカットするにあたって、
「ここって別に縫わなくてもいいんじゃない?」
って思いつくんです。
そして実際それで作ってみると、
べつに、壊れることもない。
じゃあ、これでいいじゃないか。
それがアミアカルヴァのトートバッグの原点です。
いまアミアカルヴァのキャンバスって、
ほとんどトップの部分がカットオフで、
縫っていないんですよ。
日本の古い帆布っていうのは、
シャトル織機といって、
どうしても「耳」ができるんです、上と下に。
通常だと、生地がもったいないので、
折り返して縫っちゃうんですよね。
でも、切って作れば、自分のイメージどおりの、
抜けた感じにできた。
そうやって、デザインが決まっていきました。
帆布に魅かれて。
いちばん最初は、レザーのバッグばっかり、
自分でつくって、量産をしていたんです。
で、やっぱりすごくたいへんなことになってしまって、
身体を壊してしまった。
ひとりでやっていたので、
「金曜日までに商品を送らないと、
土曜日に店頭に間に合わない!」
なんて、週の後半は徹夜、みたいな
無理を続けていたんですね。
でもそういう作り方はダメですよね。
僕よりも作るのに長けた職人さんがおられるのに、
僕が量産する意味もないわけです。
そこはプロフェッショナルに作ってもらおう、
僕はデザインに集中した方がいいんだろうな、と、
そこで仕事を分けました。
特に帆布が好きだとか、ナイロンが好きだとか、
レザーが好きだとかっていうわけではなく、
全部好きなんです。
なぜ帆布が多くなったのかというと、
岡山に、いい機屋さんがあって、
きれいな帆布をつくるにはどうしたらいいだろう、
というような相談をしていたんですね。
資材用の帆布は、生成りで、
カスっていうカスが残るんです。
でも、生成りの色味をいかして、
きれいなものってできないのかな、って。
じゃあ洋服で使うようなコーマ糸っていう
上級糸を使ってみたらどうだろう? と、
そんな相談をしていくうちに、
どんどん帆布が面白くなっていったんです。
そして自分で量産をすることを辞めたら、
サンプルを作る時間を多く持てるようになりました。
なので、より、サンプルの段階での
モノづくりの掘り下げっていうのが、
できるようになったと思います。
図面は引きません。
いきなり生地を切ってつくったり。
そういうのに限って結構評判が良かったりするんで、
それをあとから量産するために、図面に落とし込む、
生産の指示書に落とし込むのがたいへんで、
スタッフに、すごく嫌がられてます(笑)。
いまは、新作をフィレンツェのピッティウォモ
(メンズファッションの大規模な展示会)に
1月と6月に出し、そのあとパリで小規模な展示会をし、
日本に帰ってきて、東京と大阪で展示をする、
そんなリズムでつくっています。
海外半分、日本半分ぐらいな感じです。
海外も、たとえばニューヨークの
セレクトショップに置いていただいたり。
バイヤーさんや使い手の意見を聞きますか、
って聞かれるんですが、
僕、全く聞かないんです。
というのは、基本的に、驚かせたいんです。
驚いて、感動しないと、
モノって必要なくなってくると思うんですね。
だって、世の中、いいものって
いっぱいあるじゃないですか。
僕じゃなくても、たくさん。
だから僕はちょっとヘンテコでも、
「えっ?」ってなるものを作った方がいいし、
そんなことを喜んでくださる人たちに向けて
発信していきたいなって思っています。
AMIACALVAの大きいバッグ
向田さんだったら。
「ハンカチ持たずちり紙持たず、せいぜい口紅一本と小銭くらいで、イザとなったら誰かに借りるわ、という超小型バッグのひとは末っ子タイプ」
と言ったのは向田邦子さん。
(「ハンドバッグ」『女の人差し指』<文藝春秋>より)
かくいう私も、
小さなお財布に電話、ハンカチしか持たず、
「イザ」という時は、
誰かに借りちゃう末っ子タイプ。
バッグは小さめのものが好きです。
‥‥とはいっても、
仕事をする身なので、
そんなことばかりは言ってはいられません。
ノートにペン、
読みかけの本、
仕事の資料、
時にはパソコン。
仕事机の上をまるごと
持ち歩かねばならないこともしょっちゅうあって、
そんな時に活躍するのが、
AMIACALVAのトートバッグです。
大きいからなんでも入る。
なんでも入れちゃう。
それでも中が散らからないのは、
いくつもあるポケットのおかげ。
電話はここ、
眼鏡はここね、と決めておけば、
すぐに取り出せる。
便利なこと、この上なしなのです。
「大きなバッグを持って、一切合財抱えて歩く人は長女が多い」
(「ハンドバッグ」『女の人差し指』<文藝春秋>より)
という言葉通り、
長女の向田さんは、
バッグにたくさん物を入れて持ち歩くタイプだったそう。
もしも向田さんが生きてらして、
このバッグを見たらなんていうのかな?
「あら、便利そうね」なんて言って、
ヒョイっと肩にかけた姿は
さぞかしかっこいいんだろうなぁ、なんて
つい妄想を膨らましてしまうのです。
スポーツカジュアル、 たとえばこんな コーディネート。[2]
Tシャツとスウェットのパンツをベースに、
サテンのシャツとピンクのブーツで、
ちょっと洒落たかんじにしてみました。
これなら取り入れやすいのではないかなぁと思います。
このコーディネート、
私の中ではロングの白髪の女性が着ているイメージ。
大人の女の人が、こんな姿で歩いていたら
きっと目を引くだろうなぁ‥‥
▶SHORT SLV T(ホワイト)/ALWEL
▶LOUNGE PANTS(ブラック)/ALWEL
▶SWIFT-ORIGINAL(ROSA)/trippen
Tシャツはやっぱりデニムとの相性抜群。
スニーカーと合わせて
定番のコーディネートにしてみました。
それでも「ふつう」にならないのが、
ALWELのTシャツのすごいところ。
黒Tとブラックデニム、
白Tとホワイトデニムなんて
同系色で全身揃えてもかっこよさそうです。
▶3/4 SLV HIGH NECK T(レッド)/ALWEL
スポーツカジュアル、 たとえばこんな コーディネート。[1]
ふだんはニットを合わせるところに、
ハイネックのTシャツを。
薄手で軽やかな素材なので、今回裾はインにしましたが、
出してくしゅっとさせてもかわいい。
ジャケットは羽織ったり、肩にかけたり、手に持ったり。
小さくなるので、
バッグに入れておけば温度差もこわくない。
旅にも重宝しそうな一枚です。
▶3/4 SLV HIGH NECK T(ネイビー)/ALWEL
▶TRACK JACKET(ベージュ)/ALWEL
手持ちのアイテムとの相性のよい
ALWELですが、やっぱり全身揃えると
ばっちり、かっこいい。
(部活の練習中、みたいにならないところは本当に
すごいと思っています)
足元はスニーカーではなく、
ファーのブーツ、それも思い切った色合わせで。
メイクもヘアスタイルもきちんとして、
背筋伸ばしてさっそうと歩きたい。
▶SHORT SLV T(ホワイト)/ALWEL
▶TRACK JACKET(ベージュ)/ALWEL
▶LOUNGE PANTS(カーキ)/ALWEL
▶SWIFT-ORIGINAL(ORANGE)/trippen
上質な素材で、 着心地よく、 スポーティに。 ALWEL 内田起久世さん&國安佳子さんインタビュー
「ALWELのスタートは2016年。
ほんとうにミニコレクションから始めました。
今までない新しいタッチを追求した
ラグジュアリーなカットソーです。
その素材を手にしたとき、
これはほんとうに着たいと感じたんです。
スポーティ、という軸は自然に出てきました。
自分たちがふだん何を履くかって言ったら、
足元はスニーカー。
それに合わせて、アクティブに外出をしたいんです。
でもカジュアルすぎる素材のもの、
たとえばスウェットの上下でお外に、というのは、
若い頃ならばへいきでも、40代以降、つらくなる。
でもカッコいいスウェットだったら着たいんです。
デイリーに。
じゃあその「カッコいい」はどんなスタイルだろう?
それがALWELのコンセプトになりました。
スポーツ感がありながら、モード感もあって、
コンフォート(快適)でもあること。
着たときの肌触りも重要ですね」
國安さんは、ながくセレクトショップのバイヤーをつとめ、
ディレクター、プロデューサー的な立場で
ファッションブランドにたずさわってきた人。
いくつものブランドを立ち上げた経験をもっています。
「40代も中盤、後半になったとき、何を着る?
それは最高の素材を使った、
スポーティで、快適な服じゃないかなぁ?」
國安さんはそのテーマを、内田さんになげかけました。
そして、グラストンベリー内で
2人だけでのチームが発足したのでした。
メイド・イン・ジャパンの素材で
スタート
「グラストンベリーは全部インポートなので、
そのなかで日本発をやりたい、と考えました。
そんな折り、最高のものづくりをしている
生地屋さんと出会います。
私たちが追究する「着心地のよさ」を
いっしょにとことん考えてくれる生地屋さんでした。
この出会いから、ものづくりがスタートしたといっても
いいくらいです。
いまも、基本はメイド・イン・ジャパン。
シーズンによっては、
イタリアなどの素材も使うようになりました。
そして、もうひとつ大事だと思ったのが、
素材だけでなくディテールにこだわり、
実際に着たときの見え方です」(國安さん)
そういえば、伊藤まさこさんが気に入ったポイントも、
たとえばカットソーの、首まわりの感じや、
袖丈の、絶妙な長さなど、
じつにこまやかに行き届いたデザインにありました。
「そうなんです。よく、大人の女性向けのカットソーは、
首まわりが広かったりするんですけど、
ALWELでは独自のバランスで首まわりをせまくしています。
そうすることで、品よく洗練された表情にしています。
他にも、袖丈をちょっとだけ短くしたり、
逆にたるみがでるくらい長めにしたり‥‥。
ほんのちょっとのことなんですけど、
着てわかるディテールがたくさんあるんです」(國安さん)
「今までちょっと広めの襟に慣れていた方からすると、
頭を通すとき、ちょっと小っちゃいかな、
と思われるかもしれないくらいの襟ぐりなんです。
でもね、着ていただきたい。
そしてその仕上がりを体験していただきたい。
首のラインが、ほんとうにきれいに見えますから」
(内田さん)
「着て、洗って、乾かして、という着方を想定して、
型崩れしないように、
後ろのセンターで縫製をしています。
これはALWELの特徴のひとつで、デザイン的にも、
スポーティーさと女性らしさが、両方出るんですよ。
このカットソーは、油分やロウ分の多い
100番手の細い糸を使っているので、
しっとり、しなやかなタッチです。
洗いざらし感が好きな方には
ちょっと物足りないかもしれないですけれど」
(國安さん)
「でも、大人が、ジャケットの下に
今日はTシャツが着たいわっていうときに、
すごくしっくりなじみますよ」(内田さん)
「色は、白と黒が基本で、
毎シーズン、定番にしているんですが、
このシーズンは差し色として、
この赤を入れました。
朱に近い、きれいな赤です。
白はぱきっとした清潔感のある白、
黒は、着ていくうちに
どうしても色褪せてきてしまいますが、
ALWELの黒は、なかなかそうなりません。
いい黒です」(國安さん)
「weeksdays別注のネイビーも、
いい色に仕上がりました。
明るすぎない、大人っぽいネイビーです」(内田さん)
同じMサイズでもかたちがちがう?
カットソーのかたちは、
ハーフスリーブ、フレンチスリーブ、
3/4スリーブの3パターン。
3/4スリーブにだけ胸ポケットがついています。
「重ね着をするとき、キャミソールや
タンクトップじゃ寒いんですね、肩が(笑)。
そんなときフレンチスリーブは便利なんです。
フレンチスリーブだけは
ほんのすこしタイトめになっていますが、
これは、重ね着をしたときによれず、
表にひびかずほどよくフィットします」(國安さん)
「同じMサイズでも、いろいろな着方を考えて、
形によってサイズ感を変えています。
例えば、ハーフスリーブは身幅と丈感のバランスが絶妙で、
お尻に引っ掛からず、お尻の下まで行くんです。
余り過ぎず、ピタピタ過ぎず。
なので、下にタイトなパンツを穿いても、
きれいにお尻が隠れますし、
逆にタックインしてもじゅうぶん丈があります。
ハーフスリーブの丈は万能です」(内田さん)
「フレンチスリーブの身幅を狭くしているのは、
冬のインナーにも活躍するようにとの配慮から。
袖下のところもちゃんと
フィットするようにデザインしています」(國安さん)
リモンタの生地をつかって。
ジャケットは‥‥おっ、この生地は見覚えがあります。
もしかしたら‥‥?
「イタリアのリモンタ社のナイロンです」
以前「weeksdays」では
MOJITOの「AL’S COAT」で紹介したことがありますよ!
軽い撥水性があり、くしゃくしゃにしてもかっこいい素材。
「そうですよね。イタリアのこの生地は、
ナイロンだけど、なめらかで
高級感と品のよさがあります。
その素材で、ちょっとビンテージテイストを入れた
ラグラン袖‥‥ドルマンスリーブに近い、
たっぷりした身幅のジャケットをつくりました」
(國安さん)
なるほど、ビンテージテイスト!
90’sっぽいスタイルを、
現代的に解釈したという印象です。
「ボリュームはあるんですけれども、
ウエストの部分と、袖のところが
しっかり留まるようになってるので、
腰にのって、ふわっとした印象になりますよ」
(内田さん)
2色のロングパンツ。
「かなり詰まった肉厚の
起毛素材を使ったパンツです。
旧式の編み機を使用し、
通常の編み機では表現できない
ふくらみと柔らかいタッチが特徴です。
肉厚なわりには軽さがあり、
やさしくあたたかい裏毛で穿き心地抜群です。
いわゆる一般的な綿100%のスウェットにくらべると、
その差は歴然です」
腰まわりのゴムの入る部分の
内側に、共布ではなく、
すべりのいい薄手の素材を使うことで、
スウェットなのに、すっきりしたシルエットに。
もたつき感が、ありません。
このルーズ過ぎないシルエットはとても好評で、
リピーターも多いのだとか。
「1回着たらよかったと、
シーズンごとに色ちがいを求めるお客さまもいます」
(内田さん)
ところで‥‥最後になりますが、
ALWELってどんな意味なんでしょう?
「All is wellの略なんです。
すべてうまくいく、っていう」(内田さん)
「前向きでポジティブな名前でしょう?
着て、ちょっと気分を上げて、
自分らしく快適な毎日を過ごしてほしい、って」
(國安さん)
すべてのアイテムに、ブランド名が、
スポーツブランドぽく、
でも主張しすぎないていどに入っています。
「うんと大きくしたいところなんですけれど、
あまりにスポーティな印象が強くなるので、
ちょっと控えめにしてるんです」(國安さん)
さて、ここまでお読みいただいて、
「國安さんってどんなかた?」と
みなさん興味を持たれたことと思います。
ことばで伝えると、
「カッコよく年を重ねた、すっごく元気なひと」
でした。
ただ“ALWEL”というブランドとしては、
デザイナー個人の印象を強く伝えたいわけではないので
自身は謙虚に、とのことです。
これからも、定番アイテムを核にして、
シーズンごとに新しい提案をしながら、
展開していく予定とのこと。
「weeksdays」初登場のALWEL、
ぜひ、みなさま、おためしくださいね。
ALWELのスポーツカジュアル
さっそうと。
街を歩いていると、
なんとはなしに目が行くのが、
道行く人の着こなしです。
前をさっそうと歩くスーツ姿の女の人は、
きっと仕事中。
ひかえめなメイクと、
きゅっとしばった髪。
でもそれが逆に女っぽく見えるのは、
手入れの行き届いたヒールのせい?
とか、
全身をモノトーンでまとめた白髪の女性は、
赤いストールが効いている。
きっとあらゆるおしゃれをしてきて、
今のスタイルに落ち着いたんだろうな。
なんて、
勝手に想像を膨らませては、
たのしんでいるのです。
特別ではないふだんの姿は、
見ていてなるほどなぁと思うし、
なによりリアルだから、
自分に取り入れやすい。
つい先日、ハッとしたのは
電車の中で見た女性。
Tシャツにスウェット、スニーカー。
その上にダッフルコートをさっと羽織ったその姿の
なんとかっこいいこと!
Tシャツやスウェットの
素材や形、色合いが、
なんとも洒落ていて、
街着としても確立されてる。
スポーツウェアも、こんな風に着こなせたらすてきよね。
なんだか新しいおしゃれの扉が開けたような
気がしたのでした。
今週のweeksdaysは、
ALWEL(オルウェル)の服。
背筋伸ばしてさっそうと歩きたくなる
大人のスポーツウェアをどうぞ。
あとは細い肩紐だな。
くよくよしている自分が、
あほらしく思える時があります。
あほらしいと思えた時はけっこう清々しいんですよね。
どこかで“チェーンジ!”って風が抜ける感じがして。
私の場合、その風が抜ける場所がハワイなんです。
休暇中ですべきことがなくて、
問題(くよくよの理由)に向き合えるからなのか、
気候のおかげなのか。
長年の水着問題も新たな展開を迎えているのです。
年に一度10日前後をハワイで過ごすようになって35年、
静かな砂浜に面した小さなアパートを
借りるようになって10年ほどになります。
なのに私、ずっと海に入ったことがありませんでした。
ずっと海は見るもの、だったんです。
理由は、水着姿です。もうほんっとうにいや。
物心ついた頃から体型の難には付き合ってきましたが、
加齢で加速度を増しました。
食べるのが好き、運動は嫌い、おまけに色白です。
でもそんな自分があほらしく思えるときが来たんですね。
アパートの前の砂浜の女性たちの体型はボーダーレス。
水着姿で思い思いに過ごしています。
大きい人も小さい人も黒い人も白い人も。
若い人はもちろん、老いた女性もたくさん。
毎朝同じ時間に海に入っていく白髪の女性もいる。
そういう光景を「いいなぁ」と思いながら
毎年繰り返し見ているうちに私の心は少しずつ緩み、
“いいと思うならやればー” “水着を買おう”に
変わってきました。
10年近くかかりましたけれど。
でも私を海に連れ出してくれる水着、
カバー力があって、気分を上げてくれる水着には
なかなか出会えませんでした。
狙い目と思っていた大人向けのスクール水着は
最難問のお尻と脚の境目をカバーしてくれません。
競泳用は太陽には似合いません。
ワイキキならあるか、というとそれも難しかったです。
ハイレグや鮮やかな色柄に気持ちがついていかない。
難航する水着問題を解決してくれたのが、
スリフトショップのセイバーズでした。ここには
ご不要になったあらゆるタイプの水着があるんです。
そこでまずこれだ! と思ったのがサーフパンツでした。
トランクスタイプでお腹の紐を結んではくと
腰がピッとしてあんばいがいい。
ちょっと懐かしい感じのボーダーと、
白紺のハイビスカス柄の2つを選びました。
となるとトップスはセパレートになるのですが
それはまだ、少しなら、許容できるかな、と思いました。
むしろ胸はS、下半身はLLサイズなので
別々に選んだ方がぴったり。これは赤を探しました。
アパートのラナイのフックに水着をかけて2日後。
エイっと着替えて砂浜に立ったら、あら全然違う!
肌が出てるってこんなに気持ちいいものだったのか、
中国のビキニおじさんの気持ちがよーくわかる。
今このひとときを楽しんでいる自分をほめたい。
ただ、実は赤のトップスは納得していないんです。
肩紐が太くて、おばちゃんのブラジャーみたい。
いやもう年齢的にはおばあちゃんなんですけど。
次のハワイでは、代わりを探そうと思っています。
おとなの水着事情。
心地よい海風に吹かれて読書三昧。
サンセットを眺めながら
冷えたシャンパン片手にアペリティフ。
あ~、これぞおとなのバカンス。
若いころとはひと味違う、
ちょっと贅沢なリゾートの醍醐味ですよね。
想像するだけで身も心も大満足でとろけそうなのに、
なぜか気持ちは後ろ向き。
え、なぜって?
理由はかんたん。
素敵なビーチにいる自分の姿が見えてこないから。
どんな水着を着たらいいのか浮かばないのです。
パリに来た当初は、
どんな体型でも堂々とビーチを闊歩する
フランス人の大胆さに勇気づけられ、
背中を押されて少し気分が楽になったものです。
でも、ちょっと待って!
別の声がささやきます。
彼女たちみたいに開放的になって大丈夫?
人からどう見えるのかな。
そんな日本人的思考が頭をよぎり、
年齢を重ねるにつれ、
水着選びがますます難しくなりました。
ナチュラルさが魅力のパリの女性たち。
秘訣を聞くとかならず返ってくるのが、
「なにもしてないの。だって自然体が一番だもの」
という答え。
いいえ、そんな魔法は存在しないのだと、
30年近くパリに暮らして、最近気がつきました。
朝起きてバタバタと鏡の前で服を選び、
無造作風の髪型を懸命にアレンジする。
高カロリーディナーは週末だけにして、
ウィークデーはグルテンフリーとノンアルコールで
自分を律する‥‥。
「努力なんて無関係よ」
と涼しい顔で、ノンシャランを装ってはいるけれど、
実は見えないところでバタバタしている、
これこそが、
パリジェンヌの本質だということに。
彼女たちは頑張る姿を表に出さず、
それぞれの背景でいかに素敵に映るかを考えます。
石畳の小道を歩く時、カフェのテラスに座る時、
バカンス先で無防備に昼寝をする時でさえ、
シーンにマッチする最高の自分を演出するのです。
特に年齢を重ねたマダムが魅惑的なのは、
チャームの引きだしをたくさん持っているから。
グラスの持ち方、
本を読んでいる時にふと浮かべる知的な表情。
パリの女性たちが女優のように自信に満ちているのは、
いかにさらりと素敵な振る舞いをするか、
日々の鍛錬を重ねているからです。
こうして、わたしもまた気づきます。
年齢とともに背筋をピンと伸ばして潔く生きること、
そして最高の自分になりきる
イメージトレーニングをすること。
そうすることで
水着を着ても気負いなく過ごせるということに。
じゃあ、いったいどんな水着を着ればいいの?
それは自分にとってコンフォートであること。
誰のためでなく、あなたにとって心地が良いと思えるモノ。
だって、現実は自分が思うほどに、
周りは誰も気にしていないのだから。
そしてパリマダムをお手本にして、
ビーチやプールサイドなどTPOにしっくり馴染む、
ちょっと特別な自分をイメージします。
若い子みたいな露出の多いデザインはNGだけれど、
適度に肌を出したほうがリゾートのムードにはエレガント。
日焼け予防はしっかりと!
でもあまり神経質にならず、
時にはラテンの人のようなおおらかさで
過ごすのもいいでしょう。
綺麗に塗られたペディキュアや、
肌触りのいいリネンのストール、
読みかけの本とサングラスを入れたカゴバッグ。
そんなお気に入りの小物も、
久しぶりの水着姿にほんの少し自信を添えてくれるはず。
重要なのはなにを着るかではなく、
どう自信を持って着こなすか。
さあ、次のバカンスは、
気分をアップしてくれる水着を持って、
わがままで最高の夏を楽しんでください!
水着迷子。
私はどれだけこの数年
水着迷子になっていることだろう。
なんとも偉そうに、
これはちょっとハイレグすぎる、とか、
生地が薄い、とか、
背中がなんだか普通過ぎる、とか、
あーだこーだと言うのだけど、
本当はわかっている。
それは40代になって
自分の体型が変わっていったから、
水着のせいじゃないって‥‥(涙)。
じゃあどうすればいいの?
海でもないのに肌を隠すラッシュガードを着る?
なんか負けた気がする。
せめてセパレーツならいけるかも、
と思って試着してみたら、
怠けたボディの一番見せたくないところが
際立つ仕組み!
なんなの‥‥前に着た時は
そんな事1ミリも思わなかったのに‥‥。
やっぱり体型のせいだ。
そうして逃げ腰気味でネットで探してみたりすると
『体型カバー』とかそんなコピーが出てくるのね。
そうか、世の中に水着に困ってる
(体型に困ってる)人はごまんといたのね!
なんかやけにヒラヒラがついていたり、
肌をまとってますみたいな布が
びろーんってなっていたり‥‥
え、泳ぎたいんだよ、私‥‥。
洒落込んでプールだの海だのに
行くつもりはないのよ、
子どもとガチで泳ぐための
かわいいシンプルでしっかりとした
普通の水着を探しているだけなんだよ‥‥。
色んなアンテナがありそうな人に聞いてみたりした。
「ねえ、いい水着売ってるところしらない?」
そうすると、いくつか素敵な
水着ブランドを教えてもらったりした。
でも、海外のものも多く、
試着できない、しかもパットは大抵ついてない。
そしてやっとあった! って思うと
「sold out」。
水着は、一番着たいと思うシーズンには、
もう大抵このさまだ‥‥。
みんな早いよ‥‥はあ‥‥。
そうした私は数年どうにかごまかしながら
あり物で乗り切っている。
海外に行けば必ず水着はチェックする。
こどもサイズの160くらいまで
作ってるものをチェックしてみると、
求めているデザインに近いものに、近づける。
でもなかなかまだ出会えない。
この冬にもハワイに行くから水着を探さないとなと思う。
今度バッチリな水着があったら、
2着は買い置きしておこうと思うくらい、
水着って気に入った物に出会えるのは難しい。
どこかにいい水着ないだろうか‥‥。
そんな矢先まさこさんにふと
「水着がない」と話したら「作るよ」と言う。
えー!!
私のこれまでの不服不満を言ったら
「きっとひなちゃん気に入る」って。
早く見たい、早く着たい、あーきっと良さそう!
で、でもこれでダメだったら本当にもう‥‥、
私、がんばらないとね。(苦笑)
cohanの水着
そうそう、こんなの欲しかったんだ。
南の島でのんびりするのが好きです。
海辺で、
プールサイドで、
ホテルの部屋のベランダで。
つめたいドリンクを飲みながら、
時間を気にせず本を読んだり、
昼寝をしたり。
そうしていくうちに、
だんだん自分の中が空っぽになってくる。
バカンスの語源は「空き」というけれど、
なるほど、
空きを作らないと、
新しい風が体に入ってこないものね。
だから人はバカンスが必要なんだ。
さて、そこでいつもこまるのが、
「空き」の時間に着る水着です。
派手だったり、
露出が多すぎたり、
そうかと思うと本格的すぎたり‥‥。
帯に短し襷に長しとはまさにこのこと。
私にちょうどいい水着は、
いったいどこにあるのやらと
途方に暮れていたのでした。
今年はじめのweeksdaysは、
水着をご紹介します。
サンドレスを着るような感覚で着られる、
大人の水着。
そうそうこんなの欲しかったんだ。
今度のバカンスは、
堂々とプールサイドを歩けそう。
あなたの旅のおともにも、ぜひ。
職人がいない。
- 堀部
- そうそう、忘れないうちに言わなくちゃ。
伊藤さんは、建築と市井の方々を
つないでくれるひとだと思うんですね。
- 伊藤
- えっ?(笑)
- 堀部
- それが伊藤さんの役割のひとつですよ。
建築プロパーと市井の方をつなげてくれる。
そういう人が今までいないんですよ。
建築業界は建築業界だけで固まっていて、
全然開かれていない。
市井の人は市井の人で、
建築家のつくる家は斬新でかっこいいけど、
住みにくい家をつくってる人たちだみたいに思っている。
- 伊藤
- そうかもしれないです。
建築家? 幾らかかるんだろう、怖い! とか。
- 堀部
- そうそう。
作品として勝手気ままにやられちゃうんじゃないかとかね。
- 伊藤
- そういう人ももちろんいらっしゃいますけれど‥‥。
- 堀部
- いますけど、そういう人だけではもちろんなくてね。
建築業界は建築業界で、
ほんと閉じちゃってるんですよ。
市井の人との共通の言語と接点を持っていない。
- 伊藤
- 建築家の人と家を建てるのは、
どういう方なんですか。
- 堀部
- 業界内とその周辺で固まっているかもしれない。
- 伊藤
- そうなんですか!
- ──
- (担当/武井)
最近聞いたんですが、
中古マンションや戸建てを購入しても、
とことん、じぶんでリノベーションを考える人は、
けっして多くはないそうですよ。
とくに中古マンション市場では、
リノベーション済みというマンションが
多く出回っていますが、
いずれも「ほどほど」のしつらいです。
それは、自分でリノベーションをするという選択肢が
最初から「ない」人が多いからなんだそうです。
大手の不動産屋さんは、中古マンションが出たら、
市場に出す前に買って、ほどよいリノベーションをして、
きちんと利益が出るような価格で販売をする。
だから高くてリノベ済、まるで新築みたいでしょう?
っていう、似たような中古マンションが多いんだそうです。
- 伊藤
- なるほど。それでもね、
言語化はできないけれども、
気持ちいいという感覚は、
絶対、誰もがわかると思うんですよ。
例えば、先ほどおっしゃったけど、
ここのホテルの空気が好きとか、
このベッドのシーツは寝心地がいいなぁというのは
わかってる。その感覚を家全体に
引き伸ばしていけばいいんですよね。
- 堀部
- まさしく伊藤さんにはそういうことを伝えてほしいです。
そして、そういう役割がひとつだとして、
もうひとつお願いしたいのは、
今、建築の職人がいないんですよ。
でも市井の人びとは
建築業界で大工さんらが不足してるって知らないですよね。
- 伊藤
- 知らないです。私も知らなかったです。
- 堀部
- 深刻なんですよ、今。
こんな色んな手法とか考えとか思想とか、
ああだこうだ考えていても、
それを実体化してくれる人がいなくなっているから、
「考えたってしょうがない」となっちゃうんです。
- 伊藤
- 住宅ではなく、ビルを建てる人はいるんですか。
- 堀部
- いやあ、少ないですね。
- 伊藤
- では、全体的に減っている。
手を動かして形にするという方がいらっしゃらない。
- 堀部
- いない。そこをどうやって問題として
市井の人にわかってもらえるか、
広めてもらえるのかというのを、
色々考えているんです。
職人がいない、人の手がないから、
ビルをつくるときにも、工業化というか、
省人化のためのテクノロジーは
すごく発達してきました。
けれども一方で、
老人や赤ちゃんといった“弱者”にとって必要なこと、
たとえば無垢の木でつくるとか、土壁をしつらえるとか、
そういう身体に馴染のいい素材を扱える職人が、
もうほんとにいなくなっています。
僕らがいくら理想を持っていても、
そういう家を庶民に手が届くお金でつくることが、
無理な時代になってくるんです。
元々そういう質の高い風雪に耐えてきた素材、技術を、
ずっと代々脈絡と受け継いできたのが日本なんですけど、
ここに来て、それが全部ストップ、途切れてしまう。
今そういう問題に直面しています。
- 伊藤
- それは日本だけの問題じゃないってことでしょうか。
- 堀部
- 日本は特にその問題が大きいと思います。
なにしろ敗戦国ですから。
- ──
- ビルの施工の現場を見ていると、
外国人労働者が増えているのを感じますが、
住宅の職人さんには、多くない気がしますね。
- 堀部
- 研鑽を積んだ技術がなければ、
自然の素材は扱えないですからね。
とにかく、職人全般が減っていますが、
より減っているのが、
昔ながらの技術をもった人ですね。
- 伊藤
- どの分野でもそういう話は聞きますよね。
- ──
- ただ、同じ職人でも家をつくる人は減っているけど、
料理人をめざす人は増えていますよね。
農業まわりでも、海苔をつくる人は減っているけれど、
ワインをつくる人は増えてきた。
その分野にスターがいるとか、脚光をあびるとか、
そういうことがあると、
追いかける人が増えるのかもしれませんね。
- 堀部
- そうなんですよ。
職人に社会的な評価と地位が与えられれば、
なり手は来るんですけど、
今、建築の大工さんを含め、
社会的な評価があまり得られないので、
やってもしょうがないというふうに、
若い人は思っちゃうんですよね。
- ──
- 堀部さんがおっしゃる、間をつなぐ役割というのは、
口幅ったいですけど、
「weeksdays」ではやっていきたいですね。
たとえば、伊藤さんは賃貸住宅でも、
大家さんに許可をもらって、造作家具をつけたり、
壁にペンキを塗ったりしている。
それを見て「いいなぁ」と思った人は、真似ができる。
でも、「いじっちゃダメ」って思い込んでいる人には
できないことなんです。
だから「こうしたら?」って伝えることは大事ですよ。
- 伊藤
- もとに戻して、
壁なら塗り替えればいいんですものね。
- ──
- そこで躊躇しちゃうんでしょうね。
原状復帰をしなきゃいけないなら、
いつかその費用もかかるから、やめておこうって。
だったら、壁に穴は開けません、壁紙は替えません、
一切いじらずにひっそり住みましょうと。
そう教育されちゃってるイメージがあります。
- 伊藤
- 自分を包む毎日の自分を支える住まいだから、
賃貸住宅であっても、
もうちょっと自分に寄ってもいいと思うんですよ。
- ──
- その気持ちはあるから
ベッドリネンを替えるとか、
お気に入りの家具を置くとか、
そこまでは、できるんですけれど。
- 伊藤
- 私の仕事で言うと、
料理のスタイリングをするとき、
たとえばお茶を素敵に見せるには、
カップ&ソーサーだけじゃなく、
テーブルや、ちょっと見える床、カーテンの質感、
そこから入る光とかまで気になってくるわけです。
その気持ちを、徐々に徐々に広げると、
家になるんじゃないかなと思っているんです。
そっか‥‥、そういうことに
気づくきっかけをつくれたら、ってことですね。
わかりました。
- 堀部
- おねがいします。
- 伊藤
- 堀部さん、今日は、
ほんとうにありがとうございました。
お話が聞けて、よかったです。
- 堀部
- こちらこそありがとうございました。
- 伊藤
- いつか、施主として、お願いに伺いますね。
- 堀部
- たのしみにお待ちしています。
(おわります)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[7]
1階は床暖房になっていて、
玄関から一歩、足を踏み入れた瞬間から、
ほの温かさが感じ取れます。
部屋も、水回りも、廊下も、ひとつづきになっていて、
暮らしやすそうだし、
なにより掃除がしやすそうなところがいい。
(こういうのってとっても重要です。)
2階はフローリングでしたが、
これは‥‥?
「床の素材はライムストーンです。
肌ざわりがいいでしょう?
木材に比べ、床暖房のつくりやすい素材なんですよ」
「夏は冷房をつけなくてもいいくらい、
ひんやりするんです」とはNさん。
冬暖かく、
夏涼しい。
一年を通して過ごしやすい工夫が、ここにも。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
あったかくて、すずしくて。
- 堀部
- 伊藤さんは、この本(『住まいの基本を考える』)の中で
気になったことはありましたか?
- 伊藤
- 私、今、マンションに気が向いているので、
サッシを工夫するというところに魅かれました。
マンションは窓が共用部分なので、
取り換えることはできないんだそうですね。
なので内側にもうひとつ木枠の窓をつけた部屋があって、
とてもいいなって思いました。
全然雰囲気が変わるし、
こういうことができるんだ! と、ハッとして。
でもお話を聞いていると、細かくお願いをするより、
お任せしちゃったほうが楽しそうです。
- 堀部
- そうですね。
具体的な家に対する要望の会話を繰り返していても、
そこに設計のヒントはなくて。
それよりも、あの画家の絵が好きだとか、
あの本が好きだとか、
旅に行ったときのあの国のあのホテルがよかったとか、
そういった話の方がいいです。
だから「リビングは14畳でお願いします」とか
「部屋数が幾つ欲しい」とか
「素材はこれにして欲しい」という話は、
僕は、もう、ほとんどしないですね。それよりも、
「おばあちゃん家が懐かしくていいと思ってる」だったり、
「こういう食べ物が好き」、
そういうたわいもない話の方が、
その人がよくわかるし、家づくりのヒントになります。
- 伊藤
- やっぱりよく会話をされているんですね。
- 堀部
- そうですね。でも、それも人によって違って。
そんなにそういう会話をしなくても
ああ、もうこの人にはこういう家だなというふうに
すぐわかってしまう場合と、
会話をしてもなかなか、
僕は何をすればいいんだろうということが
わからない場合とがあります。
- 伊藤
- どういう違いなんでしょうね。
- 堀部
- でもね、設計のヒントになるような
きっかけをすぐくれる人がいいか、
というと、そうでもないんですよ。
設計のヒントを長い時間かけて伝えてくれる人の方が、
深いものができる可能性もある。
それは人それぞれです。
そのときの好奇心とか興味みたいなものにも
よるでしょうし、お互いの相性もあるでしょうし。
- 伊藤
- 最近施主の方とやり取りしてて、
ここのこういうところはうまくいったみたいな、
そういうのはありますか。
- 堀部
- そうですね。「高気密高断熱」っておわかりですか?
それを、すごく一所懸命やってるんです。
- 伊藤
- はい、本にも書いていらっしゃいましたね。
断熱や気密というと、なんだか遮断された、
閉じこめられちゃうような言葉のイメージがありますが、
「保温力と、保冷力のこと」だと。
冬はダウンジャケットのファスナーを
きっちり閉めるようなことで、あたたかさを逃がさない。
夏は陽射しをしっかり遮蔽して、外気の影響を受けず、
さわやかな室温を保つ。
だから高気密高断熱の家は、冷暖房効率もよくなると。
- 堀部
- はい。また「パッシブデザイン」といって、
太陽の光や熱、風などの自然のエネルギーを
利用することも大事だと考えています。
温熱環境を向上させたいんですね。
最初は僕の設計を求めてくるクライアントも、
そういうことにあんまり興味がなくて。
「別にいいですよ、ほどほどで」と言うんですが、
でも「僕は相当その辺の性能を高めたいから、
ぜひやらせてほしい」と返すんです。
でもね、実際、できあがって住みはじめると、
みなさん、とても感謝してくれるんですよ。
それかな、最近「うまくいった」と思うのは。
- 伊藤
- 書いてありましたね、施主の方が、
「家全体の温度が一定で、どこにいても心地良い」
「子供もはだかで走りまわってしまうほど」
「両親も身体がすごく楽だよね、と言っています」と。
また、ある方は古い木造家屋に住んでいらして、
夏はいいけれど冬が寒く、室内でも息が白いほどで、
二度も肺炎になったというのが、
堀部さんの設計で高断熱高気密の家にしたら、
「家中にいつも穏やかな空気が流れていて。
冬は暖く夏は涼しい」
「肩凝りが治ったり、風邪をひきにくくなったり、
とにかく身体が劇的に楽になりました」って。
- 堀部
- そうなんです。なので、先ほどの二項対立的に、
自然志向と、都会的な現代志向があったとして、
高気密高断熱という言葉だけを聞くと、
現代志向、都会的というふうに聞こえちゃうんですよね。
でも、そうではないんです。
それに、完全に自然志向ってなると、
隙間風がいっぱいあって、土に近くて、ってなっちゃう。
- 伊藤
- それじゃあ、冬は底冷えして。
- 堀部
- そうなんです。だから自然志向と現代指向を
もっと包括的に包み込むような
建築の仕組みをつくりたいと思ってるんですね。
高気密高断熱というのは、それができるんです。
絶対にエアコンを使わないぞ、とか、
そういうことではなくて、
エアコンの能力を最小の電力で最大限引き出すこと。
エアコンに依存しないけれど、利用はする、みたいな。
- 伊藤
- なんか、ちょっといい女みたい(笑)。
「依存はしないけど利用するの」。
- 堀部
- 『ルパン三世』の峰不二子みたいですね(笑)。
- 伊藤
- 高気密高断熱は、マンションの
リノベーションでも可能なんですか。
- 堀部
- もちろんです。ただ、マンションだと、
サッシとかが替えられない場合があるので、
なかなか難しいところもあるんですけど、
内側にもうひとつ窓をつけるということで、
すこしよくなりますよ。
そのあたりの確かな手法を包括するという仕事を
ここ数年やってきて、いい結果が出てきてるな、
という気がしますね。
ほんとうに、住まい手の方の表情が変わりますよ。
極端に言うと、建てる前はなんだかちょっと
暗い顔をしていた人が、
そういう温熱環境のいい家に住むと、
表情が明るくなります。
- 伊藤
- 快適ってことですもんね。
- 堀部
- 快適ですね。猫背が治ったり、
冷え性が治ったり、腰痛が和らいだり。
- 伊藤
- 大事です。
- 堀部
- ほんと、食べ物と一緒ですよね。
どういう食べ物を毎日食べて生きてるのかということと、
どういう環境で毎日生活をしているのかで、
心身に大きな結果の違いが現れてきてしまう。
もし風邪をひいたとしても、家が快適であれば。
あんまりえらそうなことも言えないですけど、
医者と同じような感覚を最近よく感じます。
クライアントの身体全体を診ながら
具体的な処方箋を出していく。
医者も生身の付き合いじゃないですか。
建築もほんと、そうだと思いますね。(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[6]
つねづね、寝室はなるべくシンプルに、
そして窓も控えめに、と思っていた私にとって、
ここは理想的な場所でした。
窓が低いのもいいですねぇと伝えると、
「そうなんです。横になったとき、
ちょうど中庭が見える高さです」
寝ている人の目線になってみると、
ああほんとうだ。
庭が目に入る。
立つ、座る、横たわる。
家を見る時の目線って、
たしかにひとつじゃないものね。
そういえば、寝室だけじゃなくて、
2階のどの部屋からも
庭が見えました。
「コの字型に建物を配したので、
窓越しに自分の家が見える。
そんな感覚も、楽しいでしょう?」
たしかに、たしかに。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
街に住む。
- 堀部
- ベトナム戦争で3カ月ぐらい、
ずっとジャングルを彷徨ってた兵士がいて、
その人の手記を読んだことがあるんです。
基本的にはもう自然しかなくて、
目に入るものは土の色と木の緑、後は空の色で、
そこにずっと3カ月いて、3カ月後にあるものを見て
「美しい」と思ったんですって。
その美しいと思ったものが‥‥。
- 伊藤
- 何だろう?
- 堀部
- 赤いコカ・コーラの缶だった。
- 伊藤
- !!!
- 堀部
- 東京のこういう景観の中で、
コカ・コーラの空き缶見たって、
美しいとは思わないけど、
ずっと自然に囲まれ続けてきて、
あの人工的な赤とロゴを美しいなと思った。
そのときにどうしようもなく
自分は現代を生きている人間だということを、
兵士が確認できて幸せだったというんです。
そういう人工物を否定するわけではなくて、
やっぱりそういうものと自然を、
自分の心身共にうまくバランスを取っていくというか。
そういう自然と人工の共存が大切だと思います。
単純に、電気もそうですよね。
止まったら、もうね。
- 伊藤
- 2011年の地震が起こった時に、
東京から少し離れたところに
家をつくるのもありかもしれないと
思ったことがあったんです。
近くに川が流れていて、
そこからトイレに使う水を引いて、
屋根の上に光のソーラーパネルをつけて、
そこにいるだけで、インフラが止まってしまっても、
1カ月や2カ月は何とかなる家を
つくったらどうかなって。
私も切羽詰まってたんでしょうね、あの状況の中で。
ちょっと地震が落ち着いて数年後ぐらいに、
とても無理なことだったと思ったんですけれど。
もしお金があったら、住まいとは別に、
そういう場所が持てたら
素敵だなぁって。
でも、それも、今、だんだん薄れてきちゃいました。
それよりも、東京のマンションを
手入れして住みたいという気持ちが大きくなって。
- 堀部
- ええ。
- 伊藤
- でもそれには、荷物を持ちすぎだなと
考えるようになったんです。
おそらく食器も、4人家族の10倍くらいあるなって。
自宅兼仕事場でもあって、撮影もするし‥‥と、
それをいいことに、いっぱいあるんです。
いまは全部使ってるものなんですけど、
将来、いるのかな? って。
いずれ娘が独立したら、ひとり暮らしになるわけで、
おそらくワイワイと大勢のお客様を呼ぶこともない。
親しい人を1人、2人呼ぶことはあるだろうけれど、
みんなでワイワイしたいんなら外へ行けばいいし、
そうすると、広いダイニングテーブルは要らない。
- 堀部
- なるほど。
- 伊藤
- あと、私は暑がりで、長湯をしないので、
あんまり広い湯船はいらなくて、
それよりシャワーを充実させたい。
それと今の部屋は築50年で、段差があるんです。
いまは慣れましたけれど、
いずれ段差問題は大きくなる。
そんなふうに気づくことを心のメモにつけていたら、
住まいの形が見えてくるかなって思って。
- 堀部
- でもね、マンションの内部のことを考えるよりも、
それがどういう地域にあるとかという方が
大きいんじゃないですか。
例えば近くに図書館があるとか、
歩いてすぐのところにコンビニが3、4軒あるとか、
スーパーがあるとか、銭湯があるとか、
お気に入りのお店があるところに囲まれているとか。
そうすれば自分の家の中には
そんなにいろんな要素がなくてもいいと思うんですよ。
- 伊藤
- なるほど。
- 堀部
- 街全体に住んでるという考えで、
足りないものは補完し合う。
私的な独占がない方が、
結果的には共存共栄ができるし、お金も動く。
- 伊藤
- 今の住まいで気に入ってるのは、
坂の途中の住宅街で、坂の上と坂の下は、
それぞれ個性の違う商業地区なんです。
上は教会があったり公園があったりの山の手、
下は飲み屋さんとかがある下町。
そのどちらもが賑やかで面白くて、
しかも住まいのエリアは静かなんです。
- 堀部
- 住んでいて、楽しいんですね。
- 伊藤
- はい、楽しいです。
「場所」ということでいうと、
年老いたときに、友達が突然ピンポーンって来てくれる
場所の方がいいなと思っています。
「みかん、たくさんもらっちゃった。
玄関前に置いとくからね」とか、
そういう関係が築ける場所がいいですね。
- 堀部
- よく、地方はそういうお付き合いが
残っているというけれど、
地方は車社会になっちゃったから、
免許を返上したら、
そういう付き合いもできなくなっちゃいますよね。
その点、東京は恵まれていますよ。
徒歩で街を楽しめますから。
- 伊藤
- そうですね。電車もあるし、バスもあるし。
そして古い建物っていいなと、住んでいて思います。
マンションには、それこそ50年前に建ったときから
住んでるのでは? みたいな
おじいちゃんやおばあちゃんがいる。
世帯数は少ないのですが、
みんな「こんにちは」っていい合う関係。
- 堀部
- まだそういうことが残っているんですね。
定住率が高いんじゃないかな。
- 伊藤
- そうですね。自分のマンションに
愛着がある人が多いような気がします。
ちなみに堀部さんはどういうお家に住まわれてるんですか。
- 堀部
- マンションですよ。
ごく普通です。
- 伊藤
- ご自身でリノベーションをなさって?
- 堀部
- それが、してないんです。
そういうものですよ。
というのは、ぼくはある程度人の家の設計で
やりたいことがやれてるタイプだと思うんです。
クライアントが煩いから自分の思い通りにできないとか、
そういう欲求不満はないんです。
- 伊藤
- そういえば、知人のスタイリストの方は、
いつもシンプルな服を着ている。
同じ服を2枚も3枚も持っているんですって。
仕事柄、
いろんなものを見てるのに、自分は着ない。
どうして? と訊いたらこう言ってました。
「人の着るものをいつも考えてるから、
僕はいいんだ」って。
堀部さんもきっと、そういう感じなんですね。
- 堀部
- そうですね。
ただ、今、父のために考えている家が、
将来的に自分の住まいにもなるのかな、とも思います。
でも、それも父のことを考えているからいいわけで、
自分のために自分の家を建てるという発想では、
僕は、なかなか設計できないです。
父というフィルターがあるくらいのほうが、ちょうどいい。
あるいはもし僕の設計した家を手放すという施主がいたら、
そこに住んでもいいかもしれないな、くらいの感じです。
とにかく自分のためだけに、
最初から最後まで自分の家だ、みたいなことで
設計はなかなかできないですよ。
- 伊藤
- すっごく意外です! そうなんですね。
建築家のなかには
自邸をしっかりつくられるタイプのかたもいるのに。
- 堀部
- やる人とやらない人がいますね。
ただ、建築家が自邸を設計したら、
そのイメージをぬぐうことができないんですよ。
「この人はこういうことだ」と、
手法から美意識から、何から何まで
そこに凝縮されてるっていうふうに見られちゃう。
もうそれがずっと一生つきまとってしまうわけですし、
モデルハウス、ショールームにもなるわけじゃないですか。
それが僕はすごく苦手で。
服だったら、また変えればいいけれど、
家はそれができないから、怖い。
だから人のためにつくった家に
たまたま住んでるぐらいの方が気楽かな。
「家ってこんなもんでいいや」って思ってる方が、
僕の場合は心地いいです。
自分のワールドは何とかで、
ミクロコスモスをつくるんだみたいな感じになると、
ちょっとね(笑)。(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[5]
2階の一部、
リビングからひと続きになったところにあるのが、
子ども部屋。
ドアはついていないのですが、
ちゃーんとひとりの時間が持てるような
作りになっています。
「両面から使える書棚を壁がわりにして、
奥を子ども部屋、
手前はNさんのワークスペース、
というふうに分けています」
ネジで固定しているという書棚は、
いずれ「広く使いたい」となった時に、
動かして壁づけできようにしてあるとか。
家に自分たちを合わせるのではなく、
自分たちの暮らしの変化に応じてくれる家。
一生のおつきあいですもの、
その気づかいは住む側にとって
すごくうれしい。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
東京湾の魚たち。
- 伊藤
- 私、この前、2週間ぐらい出かけていて、
家に帰った時、口を衝いてこう出てきたんです。
「ああ、家がいちばん!」って。
そういえば私がちっちゃい頃、
家族旅行から帰って来ると、母がよく、
「もう、家がいちばんね」と言ったのを思い出しました。
その頃は、こんな楽しかったのに、
どうしてそんなこと言うんだろう?
ってすごく思ってたんですね。
でも、自分が言ってるんですよ、
「家がいちばん」って(笑)。
すごくびっくりして。
でも、それこそ「還る」場所なんだ、
ということに、はたと気付いて。
堀部さんが著書にも書かれてましたけど、
ホテルは「行く」だけど‥‥。
- 堀部
- 住まいは「還る」。
- 伊藤
- やっぱり自分の家って、今賃貸なんですけど、
落ち着きますよね、ほんとに。
- 堀部
- 衣食住で言うと、衣も食も、
食べたくなかったら食べないとか、
着たくない服は着ないということができるんですけど、
自分の家に関してはそれができません。
- 伊藤
- そうですね。
- 堀部
- とにかくどんな心身の状況でも
受け入れてくれないと始まらない。
- 伊藤
- 弱っているときはとくに、
屋根があるところにいたいですもんね。
- 堀部
- そうですね。雨漏りしないで、安心して、
冬は暖かくて、夏は涼しくて風通しがいい場所に。
ほんとうに当たり前のことなんですけど、
そういう当たり前のことがちゃんとできていないと、
愛着を持続することができないと思うし。
よく建築家のつくるものは、非日常的な美しさがあるとか、
すごく斬新でかっこいいとかって言われますが、
住宅の場合は、日常です。
日常の美しさが何より大切だと思います。
食事もスパイシーな料理とかって
たまに食べると美味しいけど、
毎日食べられないじゃないですか。
- 伊藤
- はい。お味噌汁とご飯がいいですよね。
- 堀部
- それが、毎日食べても飽きないものですよね。
そういう性格が住まいにも要求されるんです。
そういう日日(にちにち)っていうか、
ほんとに淡々とした日々の連続みたいなものが、
僕はすごく美しいと思うし、
かけがえのないことだと思うし、
先ほど言った動物としても、
そこにいちばん価値を置かないといけない。
毎日刺激的なものは、ちょっと難しいですよね。
- 伊藤
- そうですね。私も、家が欲しいと思ってきたということは、
ちょっと刺激的なものじゃなくて、
落ち着く方に向かっているのかもしれない。
- 堀部
- しかし、元気で、希望に燃えてる若い建築家や設計者が、
年老いた先や赤ちゃんのことを考えないで
突き進めばいいかというと、
やっぱりそれは違うと思うんですね。
歳を重ねた人の身体が
いったいどういう動きをするのかとか、
どういうことが苦手で、
どういうことに気をつけなきゃいけないとかっていうのを、
若い元気なうちから考え続けないと、
自分が歳を重ねたときに急に考えても間に合わない。
- 伊藤
- そうですよね。
- 堀部
- 三世代でおばあちゃんやおじいちゃんと
一緒に暮らしてる子供は、
年老いたらどういうふうな動きになるとかっていうのを、
無意識に観察してるんですよ。
- 伊藤
- たしかに!
- 堀部
- そういう子は、建築の設計がうまくなると思います。
特に住宅の設計が。
- 伊藤
- たしかにおばあちゃん、ちょっと前だったら
階段スタスタ上ってたのに、
今はちょっとつらそうだなとか、
口に出さないまでも、見て、理解しているわけですもんね。
- 堀部
- 僕も大学で教えてるんですけど、
学生の資質として、なんとなくわかりますね。
この子は年老いた人と、
あるいは赤ちゃんと一緒に暮らしたことがない人だな、
ということが。
生身の人間のイメージができない。
- 伊藤
- お話の「動物」の部分ですけれど、
先日、長野から知人の陶芸家の女性が
個展で東京にいらしてて、その期間、
「1日も土を踏んでない」とおっしゃってて。
そんなこと、私、考えていなかったなと思いました。
それこそ動物じゃなくなってると、
結構ハッとした出来事でした。
でも、私‥‥東京はやっぱり好きなんです。
- 堀部
- そうなんです!
僕もどうしようもない現代人で、
今から土まみれの自然回帰ができるかと言ったら、
できないです。冷暖房が効いたところも好きだし。
- 伊藤
- 私もです。
- 堀部
- それで不快になるわけでもないし、
でも自然もいいなと思うし。
われわれの世代って、そうやって共存して
生きていかないといけないと思うんですよ。
- 伊藤
- そうですよね。
- 堀部
- 極端に進むことは難しいんじゃないかなと思います。
でも選択肢は色々ある。もう無限に。
ナチュラル志向の生活もできるかもしれないし、
都会的な現代的な生活もできるかもしれないけど、
それらをミックスすることもできるし、
そういう特権があるのが、今、世に生きてる、
僕らの世代だと思うんですよね、
その特権を生かしていくのが、はたして、
貧しいことなのか豊かなことなのか、
その辺をすごい考えているんですけどね。
- 伊藤
- どうなんでしょうか‥‥。
- 堀部
- 選択肢が色々あるというのは豊かとも言えるけど、
でもなんかほんとうに大事なものは、
抜け落ちちゃってるというか、
いいとこ取りをして終わっていくというか、
そんな気もするんです。
- 伊藤
- でも付き合っていかないとしょうがないですよね。
この時代とこの自分の周りの環境に。
- 堀部
- 暮らせないですもんね。
- 伊藤
- 仕事もやっぱりここじゃないとできないし。
それはなかなかの課題ですね。
- 堀部
- 課題ですね。
ある著名なカメラマンは、
世界中のいろんな海を潜ってきたんですけど、
「敢えていちばん美しい海はどこですか」
という質問に対して、
「東京湾だ」って言うんですよ。
何で東京湾が美しいかというと、
他の美しい海のようなサンゴ礁はないので、
海底に落ちてるタイヤとか、
そういう人工物の残骸をうまく利用して
魚たちが暮らしてるんですって。
- 伊藤
- へえーー!
- 堀部
- 美しい、ありのままの自然に囲まれた
純粋培養された魚というのは、
美しいといえば美しいんだけど、東京湾と比べると、
なんだか生命力がない風に見えるんだそうです。
何か不足している状態で
工夫をして生きている動物に、
すごく生命力の美しさを感じる、
と、そういうふうに話されていました。
われわれ、まさにそういうことですよね。
- 伊藤
- ほんとですね。
- 堀部
- だから、そういう美しさは
表現できるのかなと思っているんですけど。
- 伊藤
- (拍手)
- 堀部
- やっていくしかない。その辺折り合いをつけて
バランスをとり続けながら。
そこから人間の英知みたいなものが、
ひょっとしたら築かれていくかもしれない。(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[4]
家で気になる箇所の一つにあるのが
窓枠です。
さてこのN邸は‥‥
わくわくしながら見てみると、
おや? 枠が目立たない作りになっている。
「窓は既製品を使っていますが、
アルミサッシが見えないように
工夫をしています」
写真を見ていただくとわかるように、
サッシがほどよく隠れてる。
既製品を上手に取り入れつつ、
感じよくする。
家のそこかしこに、
「うーむ」と思う工夫が潜んでいるのです。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
負の心身を受け入れる。
- 伊藤
- 堀部さんの住宅建築への考えは、
もしかしたら生まれ育った環境が
影響しているんでしょうか。
なんだかそんな気がするんです。
- 堀部
- はい。大きなお寺の横で育ったので、
それはすごく大きかったと思います。
横浜・鶴見の總持寺という、
曹洞宗の大本山です。
- 伊藤
- なるほど、お寺や神社って、
漂う空気が違いますものね。
- 堀部
- 違いますね。
当時はそんなにお寺っていうものが自分に役に立つとか、
人間を形成するなんて思いは、ありませんでした。
もっともっとあたりまえで、本当に大きな空気なので。
でもやっぱりそこで長年遊んだり、通ったり、
その気配に触れてたりしたことは、今振り返ってみると、
「ああ、こういう環境だったから、
自分の建築への考えが形成されてきたんだ」
って思いますね。
風雪に耐えてきたものには敵わない、というか。
- 伊藤
- なるほど。もう、それこそ何百年とか。
- 堀部
- そうですね。何百年です。
- 伊藤
- それが土台。
- 堀部
- だと思います。
僕が大学の頃はバブル経済の最盛期だったので、
そのバブルの恩恵を授かる人もいましたけど、
僕はこのような短いスパンの豊かさは、
とてもはかないと思っていました。
- 伊藤
- そういう考えは地に足のついた感じがありますね。
- 堀部
- よく言えば、そうかもしれません。
当時は、何でみんな気づかないんだろう、
こんなバカなことが続くわけないのにって思ってました。
いずれ、そのしっぺ返しが来るぞと。
- 伊藤
- そうですよね。
そんな堀部さんが住宅をつくる魅力って何ですか。
人の暮らしって色々ありますが、
部屋を買うとか家を建てるというのは、
それこそみんなたぶん一生に1回あるかないか。
2回とか3回の方もいると思いますけれど‥‥。
- 堀部
- そうですね。
住宅とそれ以外の建造物、
住宅が、市役所とかオフィス、
美術館や図書館などと大きく違うのは、
「負の心身も受け入れなければいけない」ということです。
- 伊藤
- 負の心身?
- 堀部
- 例えば病気になったり、
将来に希望を見出せなくなったり。
- 伊藤
- そっか。ケガをしてしまったり、
退院して自宅療養ということもありますね。
たしかに人生には、
元気なときもあれば、
元気じゃないときもあります。
- 堀部
- 家というのは、その両方の心身の状況を
おおらかに寛容に包み込まないといけない。
それはオフィスビルや商業施設には
求められないものなんですよ。
風邪のときは、行かないですからね。
- 伊藤
- そうですね(笑)。
- 堀部
- 家は、物理的には小さなものなんですけど、
そこに込めなければいけない想いとか、
対応しなきゃいけないことが、
かなり高い密度であるんです。
だから、怖いですよ、すごく。
クライアントが家を建てたい、というときって、
そもそも、元気な状態ですよね。
- 伊藤
- そうですよね。
- 堀部
- たいてい、若くて、希望に燃えてるし、
お金も目処が立つから建てるわけですよね。
僕はクライアントからいろんな要望を聞くんだけれど、
その要望は、家づくりにおいて、
半分以下の情報量だと思っているんです。
なぜかというと、今はすごく元気でいいけど、
10年後どうなるかわからない。
20年後はひょっとしたら腰が悪くなって
2階に上がれないかもしれない。
今は独立して住んでいるけれど、
実家の両親を引き取ることになるかもしれない。
子供はもちろん育っていく。
趣味嗜好も変わるかもしれない。
そんなふうに、今リアルタイムで会話している
情報以外のことを、
シミュレーションし続けなきゃいけないんです。
- 伊藤
- その家に住む人の人生を
丸ごと受け入れるみたいな感じですね。
- 堀部
- そうですね。それをできる限りイメージします。
妄想というか。
- 伊藤
- 施主の言うことを100%だと思うと、
10年後、20年後、30年後、
困ってしまうかもしれないわけですね。
- 堀部
- そうなんですよ。
だいたい10年単位で大きな変化があるんです。
これはもう不思議なんですけど、10年後、
何の大きな動きもない、家族の変化もない、
心身の変化もない、勤務先の変化もない、
みたいなことは、まずないわけです。
- 伊藤
- 施主の方がこうしたいああしたいということを、
丸ごと受け入れるのではなく、
そういった背景を確認しながら提案をされる。
- 堀部
- そうですね。ひとつ何かお話があったら、
それをバックアップする何かを
他のことと照らし合わせながら聞いている、
という感じです。
例えば「1階で寝るのはちょっと不安があるので
ベッドルームは2階につくってください」と
クライアントが言ったとします。
僕は、それはそれで大事な要望だと思うので、
「2階にベッドルームですね」と受け入れます。
けれども、歳を重ねたときに、
本当に2階に上がることができるのかとか、
あるいは今は夫婦で同じ寝室かもしれないけど、
風邪をひいたときには分かれなきゃいけないよねとか、
そういうこともイメージします。なので、
「わかりました。2階にベッドルームを設けますが、
1階のこの部屋も、将来的にはベッドルームにも
なるように設計しましょう」という提案をします。
- 伊藤
- そうなんですね。
- 堀部
- 連鎖して、10年後20年後30年後のイメージを
膨らませていく。ほんとにわからないですから。
- 伊藤
- ほんとですね。
- 堀部
- よく住宅は特定の人を相手にする設計で、
図書館や美術館、市役所は不特定多数向けと言いますけど、
実は住宅の方が不特定多数なのかもしれないです。
- 伊藤
- ほんとですね。1人でも年老いたりとか、
病気になったりするんですものね。
- 堀部
- そうですね。必ず変化します。
それを受け入れる設計は、本当に難しいです。
そういう寛容な居場所の在り方は、
考えても考えても終わりがなくて、
難しいと感じるいっぽうで、
それが楽しいんだと思うんですよね。
だからライフワークとして住宅を中心としながら
建築の仕事をやり続けられているんだと思います。
生身を考え続けられるというか。
- 伊藤
- 家を建てて、そこに住む人がいるわけですもんね。
一緒に歳を重ねていく。(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[3]
リビングに一歩入って感じたのは、
「加減のよさ」でした。
堀部さんの建築なのに、
堀部さんを感じない。
ちゃーんと「住む人の家」になっていて、
なんだかとっても居心地がいいのです。
私たちが訪れたのは晴れた日の午後2時すぎ。
ちょうど冬の光がやさしく入り込み、
部屋全体がおだやかな空気に包まれていました。
壁は‥‥? と触ると、
「すべて漆喰です。
左官屋さんがとても優秀なんですよ」と堀部さん。
建てて8年経つけれど、
ひび割れも起きていないんですって。
その「優秀」という左官屋さんも、
長いおつきあいとか。
ランドスケープデザイナーに左官屋さん。
きっともっとたくさんの人の手がくわわって、
ひとつの家ができあがっているのだなと思うと、
初めて来た家なのに、
なぜだか急に愛着が湧いてくるのでした。
(そしてこの時、やっぱりお願いするなら
堀部さんに、と心に誓ったのでした。)
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
動物の暮らす都市。
- 伊藤
- いま、渋谷に用事があって行くと、
どんどん新しいビルができているのを見ます。
それも高層建築の。
地震の多い国で大丈夫なの、
こんなどんどん上に上にって思うんです。
たぶんそこで働く人も大変なんじゃないかなと思う。
風も感じられないし。
- 堀部
- 知らず知らずのうちに
心身に相当負担がかかっていると思いますよ。
- 伊藤
- でもそれに気づかないんですかね。
- 堀部
- たぶんそれは経済の話もそうで、
日本はお金があった。
経済的にも豊かだった。
そういうときっていうのは、
それが当たり前で、
お金があるということを前提にして
まちづくり、建築計画をしていっちゃうんですよね。
でもいずれお金はなくなるじゃないですか。
今もそうだけど、経済は落ち込んだりする。
そしてお金がなくなって元気がなくなったとき、
その心身に対応できる居場所がなくなっている、
ということになっていくと思うんですよ。
- 伊藤
- じゃあ、そのどんどん上に建ててる人たちは
きっと元気があるんですね。
- 堀部
- はい。お金があるとか、元気があるとか、
そういう人たちはそういうところでも
生きていけるような気がします。
- 伊藤
- でもかつてお金があって元気があった人たちも、
年を取っていくじゃないですか。
はた! と今気づいてるときなんでしょうか。
- 堀部
- 気づき始めてるんじゃないでしょうか。
- 伊藤
- 気づき始めたからこそ、できた商業施設とか、
建築、家は増えているんですか。
- 堀部
- 増えているとは思いますね。
- 伊藤
- でも川をつくったりとか、
木を植えたりとか、
そういうことではないでしょう?
- 堀部
- これはある経済学者から聞いたんですけれど、
日本の今までの長所って、
治安がよくて、蛇口をひねれば水も飲める。
けれども、そういう安全で水も美味しい国で居続けると、
GDP(国内総生産)が伸びないんですって。
- 伊藤
- へえー!
- 堀部
- だから安全ではなくなって、人の不安が増大して、
水も蛇口から飲めず、監視カメラが増えて、
保険に入る種類も増えて、と、
そんなふうに世の中が不安になればなるほど、
「こういうことをやれば安心ですよ」
という商売が出てくる。
セキュリティのこととか、
警備とか保険とかミネラルウォーターとか。
つまり、安全を脅かしてまでも、
経済成長をしようとしているわけです。
そっちの方が国が繁栄してるということの、
わかりやすい指標なんですね。
でも本当の豊かさや財産ってそうじゃない。
別にGDPが伸びなくたって、
安全の方がいいに決まってる。
- 伊藤
- 穏やかに暮らしたいですよね。
- 堀部
- その辺の物差しを、
ここ数十年履き違えちゃっていると思うんです。
やっぱりちょっと経済優先になっている。
みんな、使い捨てられるものを
一所懸命つくっている。
使い捨てて、またある別の価値が生まれ、
またそれも使い捨てて。
そういう原理で経済が動いている。
- 伊藤
- はたと気づく人もいるわけですよね。
- 堀部
- 少数派ですけれどね。
- 伊藤
- あんまり声が大きくないから
届かないし、響かない?
- 堀部
- そうですね。届かない。
- 伊藤
- でも、動物じゃないですか、人間も。
なのに動物っぽさを忘れてるような気がするんです。
- 堀部
- ほんとにそうなんですよ。
生身の動物であるという感覚が
抜け落ちちゃってるんですよね。
- 伊藤
- すごくそう思います。
- 堀部
- 生身の肉体とか自分の心身の状況みたいなものを
わかってい続ければ、
意外とやれることの種類って少ないんですよね。
生身を考えないからこそ、亜熱帯地域に
ガラス張りの超高層ビルを建てちゃうわけです。
いろんな表現が可能になっていってしまう。
けれども、生身ということをちゃんとわかっていれば、
それに対応できるハードウェアが
どうあるべきかということは、自ずと見えてくる。
例えば椅子にしても、
古今東西そんなにバリエーションはありません。
足が5本あるとか2本とか、
すっごく大きな椅子というのはないですよね。
それは生身の肉体を考えてるからだと思うんですよ。
それと同じように、住宅や建築も、
生身を考えればそこまでのバリエーションは
ないような気がするんです。
- 伊藤
- 堀部さんは住宅が基本ですよね。
住宅の建築家になろうと思った
きっかけって何だったんですか。
かっこいい俺の作品を残してやろうみたいな、
そういうのは最初からなかったのかなって。
- 堀部
- そういう面ももちろん持っています。
でもそうでない面もあります。
というのは、古い建築が好きだったんですよ。
リアルタイムに、今の時代に求められることとか、
そういうことで自分の表現をするってことは、
苦手なタイプだったのかもしれません。
むしろ、風雪に耐えて生き残ってきている建築って
どういう特徴があるんだろうとか、
どういうつくりだから人に愛されて残り続けてきてるのか、
ということを考えて、
それをバトンタッチしていくことに興味があったんです。
自分はそれを引き受けて、
次の世代にどうバトンタッチするかみたいな役割だったら、
この仕事、できるなと思ったんですよ。
かっこよく言えば。
- 伊藤
- 私が初めて見た20年前、
堀部さんはたぶん30ちょっとですよね。
- 堀部
- そうですね。30ぐらいですね。
- 伊藤
- その若さで、バトンタッチということを考えていた。
しかもその頃からそんなに作風が変わっていない。
- 堀部
- 試行錯誤してますが、
結果的にそう見られるのは、うれしいです。(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[2]
おだやかで地に足のついた家。
今回おじゃまして私が思ったのは、
そんなイメージでした。
都市にいながらも自然を感じる、
それは私が今、一番欲しい暮らしの姿なのかも。
さて、
施主のNさんは、堀部さんに
どんなリクエストをしたのでしょう?
なんといっても「家を建てる」って
一世一代とも言える大仕事なのですから!
「堀部さんには、土地選びから設計まで
“すべて”と言っていいほど、お世話になりました。
私からリクエストしたのは、
大きなオーブンを入れたいということ、
屋根があって仕舞える自転車置き場をつくりたいこと、
駐車場が欲しいこと、でした」
とNさん。
あっけないほど「おまかせ」なのでした。
仕上がりは?
「大満足」なんですって!
施主と建築家のいい関係。
理想的だなぁ。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
土に還る。
- 伊藤
- はじめまして、堀部さん。
スタイリストの伊藤と申します。
もし自分が将来家をつくるなら
堀部さんにお願いしたいと、
ずいぶん前から思っているんですよ。
- 堀部
- 恐れ入ります。
- 伊藤
- 20年ほど前、
雑誌で堀部さんの建築を見たのがきっかけでした。
そこで紹介された家の寝室がとても素敵だったんです。
窓は小さくとられていて、外は木の緑だけ。
かねてから寝る部屋はそんなに明るくなくていいのでは
と思っていた私は「これだ!」と膝を叩いたんです。
堀部さんがつくられるのは
戸建て住宅だけなのかなと思っていたのですが、
新潮社から出された『住まいの基本を考える』で、
マンションの部屋の
リノベーションもされてるんだと知りました。
- 堀部
- はい、手がけています。
- 伊藤
- セキュリティや管理のことも考えると、
おそらく私、一軒家は持たないと思うんです。
それだったら古くても感じのいい集合住宅を
リノベーションして住みたいなと思っています。
これまでも、いまも賃貸住宅ですが、
引っ越すたび、原状復帰を条件に
自分で手を入れてきました。
リビングに壁をつくって、その向こうを食器棚にしたり、
ベッドの裏にストック場所をつくったり。
そういうことを考えるのが大好きなんですが、
やっぱり最終的に、
まとまった、美しい部屋に住みたくて。
その気持ちがこのごろすこし強くなっています。
- 堀部
- ええ。
- 伊藤
- 何故そんなふうに思い始めたかというと、
いま娘が20歳で、おそらく5年くらいのうちに、
独立をすると思うんですね。
そうすると私は50台半ばで、ひとり暮らしになる。
そんなことを思っていたら、
「終の住み処」ということを考えるようになりました。
一世一代じゃないですか、家を買うのって。
そのときに悔いの残らないような家に住みたいなって。
- 堀部
- (じっと聞き入る)
- 伊藤
- 一般的に住まいって
「あるものをそのまま買う」ことが多いですよね。
でもファッションだったら好みがはっきりしていて、
ちゃんと選ぼうと考えるのに、
住まいだと「そこに収まらなくちゃ」と思う。
私みたいに賃貸住宅を改装する方は少ないだろうけれど、
人それぞれが、自分の住まいを考えるようになったら
いいんじゃないかな、と思っているんです。
「自分の居場所をつくる」という話ですね。
- 堀部
- 今、うちの父親が80ちょっと手前なんですけどね。
すごく調子が悪いんですよ。
当初、原因がわからなくてね。
それで僕は考えたんですが、
父は高層マンションの7階に住んでいて、
そういう環境が、
心身にも結構ダメージを与えてるんじゃないかなと。
もうちょっと自然が身近にあるとか、
あるいは地べたに近いとかだったら、
この不調は起こらなかったんじゃないかと。
- 伊藤
- はい。
- 堀部
- やっぱり人間って最期は土に還っていくじゃないですか。
帰還の還ですよね。
人は自然の一部なので、最期はそういうところに還る。
綺麗事ではなくてね。
では還ってゆく人が、どういう環境がふさわしいのか、
どういう住まいで、どういう場所がふさわしいのか。
ここのところ、ずっとそのことを、考えているんですよ。
- 伊藤
- お父様はその前は一軒家に住まわれていらしたんですか?
- 堀部
- そうです。徳島の田舎で育った人なので、
ずっと土とか海とか川とか、
そういうものと触れ合ってきた人なんです。
- 伊藤
- 高層の7階に住むきっかけは、
やっぱり便利さゆえに?
- 堀部
- 最初は、仕事で東京に単身赴任で来たんです。
単身赴任者が東京で暮らすとなると、
伊藤さんがおっしゃるように、
マンションしか選択肢がなかった。
それからずっとマンション暮らしが続いてるんです。
でも、たぶん、合わないんじゃないかなと。
「だったら」と、父のための場所を考え始めたんです。
- 伊藤
- ええ。
- 堀部
- そのことは、父のためだけではなくて、
もっと多くの方々のための居場所とか、
そういうものを考えることにつながってきているんですよ。
奇しくも僕の友人の建築家に赤ちゃんが生まれ、
その赤ちゃんのためのふさわしい空間を考えていると。
その空間の話を聞いたら、
赤ちゃんのための空間って、
年老いた人のための空間と近いんですよ。
- 伊藤
- 例えばそれはどういうことなんですか。
- 堀部
- もうほんとうにわかりやすい話でいくと、素材。
年老いた人も赤ちゃんも、化学的な素材は
まず合わないな、と思いますよね。
石油化学的な建材のなかで赤ちゃんがハイハイしてるって。
すぐ何でも口に入れるわけだから。
- 伊藤
- 心配ですよね。
- 堀部
- そして、温熱環境。
例えば、冬、すっごく寒いところに居続けると、
赤ちゃんにも老人にも厳しいじゃないですか。
あとは換気。どれだけ綺麗な空気の中にいるか。
‥‥という具合に、年老いて弱っている人と、
これから成長していく赤ちゃんというのは、
奇しくも同じ環境を欲しているんです。
家の中に長い時間いる、ということも共通しているので。
- 伊藤
- なるほど。
赤ちゃんも老人も弱い存在ですよね。
弱いと共に不機嫌なら不機嫌ってすぐ顔に出しそうな、
つまり自分に正直な気がします。
そして身体にも影響していきますね。
- 堀部
- じゃあ、その環境のどういうことを大切にして、
どういうことを具現化していくかを考えるのが、
住まいとか建築の本質を
考えていくことになると思うんです。
建築というと、今まで、
20代を中心とした、人の壮年期、元気があるときに、
こんな建築は凄いぞという風潮、
作品主義的なものがあったと思うんですよね。
なぜかっていうと、元気なときって、
何でもできるじゃないですか。
どんな素材も受け入れられるし、
それこそカラオケボックスとか
ネットカフェみたいなところでも楽しく過ごせる。
何故それでいられるかというと、
エネルギーがあるからですよね。
でもそれは長く続かないし、
その「元気なとき」を基準に
家も建築も街もつくられていってしまうと、
どんどん何かが落ちていく。
いろんな人の心身に対応できない街、
建築になっていってしまう気がするんですよ。
- 伊藤
- たしかに元気のあるときって、
かっこいいからここに住みたいとか、
そういう想いが先になってしまうんですけど、
そうじゃなくて、先ほどおっしゃった
「還る場所」。
私も、きっと、それが欲しくなる年齢なんですね。
- 堀部
- そうだと思います。
若い頃は、あんなホテルもいい、あんな国もいい、
家もいいけど別荘もいい、みたいに、
自分の居場所が幾つも持てると思うんですよ。
それはそれで楽しいことだと思うけれど、
自分にとって適している環境というのは、
だんだんひとつに収束していくような気がするんです。
- 伊藤
- そうですよね。
(つづきます)
堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[1]
住宅地の細長い敷地に建った
コンパクトでかわいらしい家。
施主のNさんはご夫婦とお子さんひとりの
3人家族。
奥さまは堀部さんの大学の教え子だったんですって!
さて玄関へ‥‥と思うと、あれ? 奥まっている。
玄関が表に面している家をよく見かけるけれど、
こうすると入るまでに一呼吸あって、
なんだかいい感じです。
「ちょっと奥ゆかしい感じがして楽しいでしょう?」
と堀部さん。
建って8年というけれど、
緑が家に馴染んでいて、とてもいい感じ。
「ランドスケープデザイナーと組んで、
緑を生かしながらつくりました。
常緑樹を植えているので、
1年を通して野趣あふれる印象になるんですよ」
ランドスケープデザイナーさんは、
よく組まれる方なのでしょうかと尋ねると、
「じつは姉なんです」とのこと!
堀部さんの家のことをわかってくれているから、
仕事がとてもしやすいんですって。
家と庭の一体感の秘密は、
きっとこんなところにもあるのかも。
(伊藤まさこ)
堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)
この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。
「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」
(「はじめに」より)
私は私として。
- 伊藤
- よく聞いた話は、お母さま、
「ちいさな仕事のギャラはいらない」って
おっしゃっていたとか。
- 内田
- そうですね。自分で請求書を書かなきゃいけないのが
めんどくさいっていうのと、
少額の出演料しか出せないくらい
相手はやり繰りしながら制作してるんだ
というシンパシーもあって、
そういう事情ならいらないって言ってましたね。
- 伊藤
- おつきあいも最小限だったとか。
- 内田
- そうなんです。いっさい受け取らない。
それについては恐ろしい経験を何度もしていて。
みんな、ものをあげるって、
コミュニケーションのひとつじゃないですか。
その人を思ってこれをあげる、って。
おすそわけもそうだし、
人それぞれのコミュニケーションの
取り方の一つとしてものを贈るわけですよね。
ところが母はものすごくそういう部分が潔癖で、
「人はなにもなくてもつながりたければつながるし、
またそれでくり返しになるのも面倒だし、
もう、いっさいなし」って若いときに決めて。
ものでつながってるっていうことを拒否していたんです。
それでも贈ってくる人には、
カレンダーの裏に大きな文字で「いらない」と書いて、
貼って、また送り返すんです。
- 伊藤
- ‥‥おもしろいです。
- 内田
- こうやって和やかなムードで
「これちょっとお持ちしたの」という人がいても、
「あ、そういうの、いっさいいらないから持って帰って」
って。「いや、でも‥‥」って一悶着。
向こうも顔が引きつってくる。
私は子どものとき、それをずっと見てて、
「なんて辛い、このシーン」っていうふうに思って、
胃がチクチクして。
なんで母は、こういう人のささやかな思いまでも
無下にするんだっていう、怒りを感じて。
- 伊藤
- 娘という立場だから、
ちょっと居たたまれなくなったり、
「なんで」って思うでしょうけれども、
こうして聞いてるとすごく潔いし、
今なぜ本が売れてるかというと、
そんな人、いないからですよ。
そんなふうに、自分の芯があるって。
- 内田
- うん、本人も言ってました。
「これね、あなたね、もらっちゃったほうが、
私、どれだけ楽かわかる?」って。相手に。
すると相手も、もう、身動きが取れない。
- 伊藤
- 言い方がすごく上手。
- 内田
- もう、持って帰るしかない。
だから、舞台をやっても花はいっさい受け取らない。
- 伊藤
- 也哉子さんにも、
「あなたもそうしなさい」ってことはなかったですか。
「もらいものはするんじゃありません」とか?
- 内田
- うーん。私が小さいときは、
お年玉を返しに行かされました。
- 伊藤
- ええーっ。
- 内田
- 「お年玉ってのは、玉なのよ」って言うの。相手に。
それでも「芸能人の子だから」って思うのか、
たまに何万円とか入れる人がいるんですよ。
そういう、玉じゃないお金は、全部返す。
「人んちの子にどういう教育をしてるんだ」
とまで付け加えて。
だから、もうね、怖くて怖くて。
- 伊藤
- 私が也哉子さんから受ける地に足のついた感じって、
やっぱそういう経験が‥‥。
- 内田
- うん、でも、私はそういう極端な両親、
いい加減で破天荒な父と、
ものすごくロジカルで自分の決めたことは突き通す、
ある意味、強さでは似てるんだけど、出方が違う、
そういう人たちの間に生まれて、
中庸をつねに願うというか、
「この状況のバランスはここだろうか」って、
すっごくビクビクして育ってるんです。
だからけっして肝は据わってないし、
もちろんきっと、修羅場を見てきた回数は
平和な暮らしをしてる人よりは多かったかもしれないから、
その分その「ワッ」てびっくりするタイミングは
緩和されてるかもしれないけれど。
ただそれだけで、心の中ではつねにバランスをとってます。
とっても面倒です、自分の性格が。
- 伊藤
- やっぱり、わからないものですね、お会いしてみるまで。
私がいいお母さんみたいなイメージを持たれていたのと
同じことですよね。
- 内田
- 「みたいな」って、そうですよ。
こんなお母さんがいたらうらやましいですよ。
- 伊藤
- 「飽きない」とは言われますけれど。
「ママ、ほんと飽きないよね」って言ってました。
- 内田
- それ、最高の賛辞です。飽きないって。
- 伊藤
- え、でもお母さんだし、
飽きるとか飽きないとか言われても‥‥。
- 内田
- そういう、選べる存在じゃないですものね。
- 伊藤
- まあでも、うちの娘も娘で、
いろいろたぶんバランス取っていると思います。
そんな気がします。
- 内田
- でも、やっぱりいちばんの、
子どもからしてうっとうしくない親っていうのは、
自分自身が人生で楽しいこと、
おもしろいことを持ってる人だと思います。
自分のテリトリーというか、
それはべつに仕事じゃなくても、趣味でもなんでも。
「あなたのために生きてる」っていうことではなくて、
「もちろんあなたの面倒は見るよ。愛してるよ。
でも、私は私として生まれてきて、
この人生を自分なりにおもしろがって生きている」
っていうことが見える、あるいは気配で感じるっていう
お母さんがいちばん理想的だっていうような話を、
その不登校の話のときにしたことがあります。
だから、もし、子どもが追いつめられて、
思い詰めていっちゃったときには、
お母さんは自分の好きなことをしたほうが
いいんですって。
家にいて「どう?」って聞いてないで、
出かけちゃったっていいし。
「こんなに人生って楽しめるんだよ」っていう姿、
気配を見せることで、少しずつ「あれ?」って、
開いていくっていうか、「そんなのもありか」っていう。
心がとけていくじゃないけど、
伊藤さんは、まさにそれをされてきたんだなと思って。
- 伊藤
- 私、好きにしてるだけですけどね(笑)。
以前も「もしママにボーイフレンドができても、
ママの自由だからかまわないけれど、
私と無理やり仲良くさせようと
思わないでね? どうしたいかは、私の自由だから」って。
- 内田
- いまそれを聞いただけでも、
いろんな人間関係、人と人との距離感の取り方を、
自然と教えてあげてきたっていう、
そういう豊かさがきっとあるんだなって思いますよ。
やっぱり、常識じゃなくて、
親でも子どもでも、自分のなかの着地点っていうか、
「これが人の道」じゃないけど、
自分のなかの経験から出てきた答えが
いちばん強いだろうから。
その人がその人の人生をちゃんと生きてきたかどうか、
なんでしょうね。
- 伊藤
- ほんと、そうですよね。
- 内田
- 伊藤さんもそうだし。だから、
ロールモデルはないんですよね、結局は。
「こうでなきゃ」っていうのもないし。
普通は、一つの決まりきった定型があって、
そこにはめよう、はめようとしますよね。
もちろん社会だから、みんなでおんなじルールは
共有しなきゃいけないんだけれども、
人としてのいろんな判断っていうのは、
ほんとそれぞれでいいわけだから。
- 伊藤
- よくCMを見てて思うのが、
お父さんとお母さんがいて、2つぐらい年の違う
男の子と女の子がいる4人家族っていうのが、
「幸せのかたち」として出てくること。
仲が良さそうで、お父さんは優しそうで、っていう。
それがロールモデルなんでしょうね。
- 内田
- ほんとう。女の子がいると、
そういう話ができていいですよね。
男の子は、ガールフレンドができると、
お母さん、いなかったことにされちゃいます。
- 伊藤
- そうなんだ!
- 内田
- それこそ結婚しちゃったら、
奥さんのほうの家族と仲良くなるだろうし。
だから、母親としては、娘がいるっていうのは
とても心強いし、いつまでも対話ができるだろうし。
もちろん確執のある母娘もいるから、
一概には言えないかもしれないけれど。
- 伊藤
- うん。そうですね。確かにね。
‥‥あら、もう2時間も話していたんですね。
すっかり長くなってしまって。
いつまでも話していられそう。
- 内田
- ぜひまたお話ししたいです。
ありがとうございました。
- 伊藤
- ところで、そのペンダント、気になっていたんです。
- 内田
- 長女が、小学生のときにつくってくれたんですよ。
- 伊藤
- かわいい。
- 内田
- 装飾品とかほとんど持ってないんですけど、
今、ニューヨークで失恋してるから、
思い出してあげようと。
私は最初のボーイフレンドが旦那さんで、
恋愛経験がゼロなので、
娘がそういうふうに「今、あの子が好きで」とか、
「おつきあいしてるよ」とかって言うので、
「えーっ!」って。すごく新鮮な情報なんです。
- 伊藤
- それこそ「ロールモデルなんて、ない」の例ですね。
- 内田
- ない!
母はどうだったんだろう、
若いころ、いろんな人とつきあったのかな?
でも、「相手を変えてもおんなじよ」って、
ずっと言ってたんですよ。
どうなんでしょう、恋愛って、
相手が変わると変わるものですか?
それとも、一緒?
- 伊藤
- それはね‥‥。
- 内田
- ハイ。
- 伊藤
- 相手が変わると、変わります。
- 内田
- ええっ、変わる?!
- 伊藤
- 若い頃の恋愛はとくに、
クルマと同じかもしれないですよ。
オープンカーが好きで、
すごく楽しいなと乗ってたのに、
壊れやすいわ、夏は暑いわ、
次に乗る車は質実剛健なセダンにしようと思って、
それにするでしょう?
そうすると、全然おもしろみないじゃん、みたいな。
で、またオープンカーにしちゃうんですよ。
- 内田
- おもしろい!
- 伊藤
- それのくり返しです。
- 内田
- でも、それは散々、オープンカーも乗りこなして、
そのアドベンチャーやスリルも、
「だいたい、こんなもんだな」って体験しつくせたから、
「もう、私は」っていうことなのかもしれないし。
- 伊藤
- そっか! ふふふ。
- 内田
- (笑)
なるようにしかならない。
- 伊藤
- で、いちかばちかで娘を産んだんですけど、
3歳ぐらいまでは、ずっとぼーっとしてましたね。
「ああ、赤ちゃん育てるのってこんなに大変なんだ」って。
手間がかかるし、全然自分の思いどおりにならないし。
「全部自分の時間だったのに‥‥、はあー!」
- 内田
- そうですよね。
- 伊藤
- それを若いお母さんでもある仕事仲間に言ったら、
「それ、伊藤さん、声を大にして言ってください」って。
私を見てると、全部楽しそうで、なんにも不安もなく、
「キーッ」てなることもなく見えると。
そんなことないですよ。
- 内田
- 私もそんな勝手なイメージです。
もう、お母さんというイメージを見事に体現されてて。
- 伊藤
- そっかな?
- 内田
- 正しいとかきちっとしてるって意味じゃなくて、
そういう心の交流もきっとできるだろうし、
おいしいごはんも食べさせてくれるだろうし、
すてきなお洋服も作ってくれるだろうし、
もしつまずいても「いいよ、いいよ」って言って、
強く子どもにプレッシャーをかけることもしないだろうし。
なんか、とってもバランスのいい印象でした。
- 伊藤
- そこまで「キーッ」とかなったりすることは
なかったんだけれど、
自分の思いどおりにならないことが多すぎて。
- 内田
- そりゃ、子どもだとね、多すぎますよね。
- 伊藤
- こんな大変なことを‥‥。
- 内田
- みんなやってるの?! って。
- 伊藤
- そう。「それってすごくない?」って。
だから、お母さんとしての友だちができたとき、
同志! みたいな感じがしました。
「一緒に乗り切ろう?」みたいな。
とくに保育園だったから、
お母さんはみんな働いてましたし。
- 内田
- 心地よかったですか? ママ友は。
- 伊藤
- そうじゃない人は、目に入らないようにして。
- 内田
- いるんですね、それは。人間だから。
人間界のどこでもいるように。
- 伊藤
- やっぱりね、いろんな人がいる。
- 内田
- 伊藤さんはいろんなことを
けっして負にはとらえないところがありますよね。
- 伊藤
- そうですね。むしろ「ルン!」みたいな。
- 内田
- ときめいて? それが伊藤まさこパワー。
娘さんのことは、
もう、生まれたときから好きでしたか。
自分の子だけど、自分とは別な存在として、
いいなって思えるようになったのは、年々?
- 伊藤
- うーん、3歳ぐらいまでは
育てるのが必死すぎたから‥‥。
- 内田
- そのあと、コミュニケーションが取れるように
なってきてから、「この子、いいな」みたいな?
- 伊藤
- そうですね。4歳ぐらいかな。
そこからは「おもしろいな」って見てます。
出産や子育てもそうですが、
人生において、
大変なことが起こると、
どうやら私は
しばらくぼーっとするタイプのようです。
父親が亡くなったときも、泣き叫ぶとかじゃなくて、
「えー‥‥?」というような。
今でもそれが続いてるんですよ。
受け入れられないのかどうか、
よくわからないんですけど‥‥。
- 内田
- 衝撃がやっぱりおっきすぎて‥‥。
- 伊藤
- そのあと、母が父のものを片付けてるとき、
ぐっと来たり。
ちょっと変。ずれてるかもしれない。
- 内田
- 大変なときって、
いろんな決断を迫られるじゃないですか。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- そういうときは、とりあえず指示は出すんですか?
- 伊藤
- うーん。
- 内田
- 私は最近、親が2人とも亡くなって、
一人娘だっていうのもあるけど、
いろんな決断を一気に迫られて。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- だから、ほとんど、
悲しめるひとときがなかった。忙しすぎて。
- 伊藤
- 確かに。うちの父が亡くなったときは、
急に病院にいろんな人が来て、
葬儀屋さんが「お寺はここで」と。
で、みんなぼーっとしてるもんだから、
「はい、はい」と言われるままにしていたら、
長女が急に我に返って、
「パパ、全然、信心深くなかったのに、
そんな知らないお寺でお葬式をあげるの、おかしくない?」
って。それで、みんな、「はっ!」となって。
- 内田
- どうしたんですか、それで。
- 伊藤
- 「そうじゃん、そうじゃん」と。
父も入院したときに
「死んでも誰にも知らせないでいい」って言っていたので、
「じゃ、もう、家に連れて帰ろう」って。
長女が花を飾って、親しい人だけ呼んで、
シャンパン、おっきいのガンッて置いて、
思い出を話して、過ごしました。
- 内田
- すてき。じゃあ、なんにも、宗教的な儀式はなく?
- 伊藤
- いっさいなく。
お墓は、母が、地元で樹木葬のできるところを探して。
今行っても、丘に木があるだけです。
也哉子さんは、一人っ子だから、
確かにたいへんだったでしょう。
テレビでも、淡々としていらっしゃった。
- 内田
- 母が亡くなって1年経って、父はまだ半年ぐらいで、
いつ、その感情にのみ込まれる瞬間が来るんだろうって、
不謹慎だけど、ちょっとたのしみっていうか。
もっとパーソナルに抉(えぐ)られるものが
あるかと思ったら、そういう感じではなく、
ものすごいおっきななにかに頭を打たれて、
ぼーっとしてるような感じだったんです。
でも、やらなきゃいけないことは
次々とベルトコンベアみたいに来るから、
「じゃ、これはこれ」「これはあれ」って、
選んだり、遺品整理したり。
いろんなことが、まだ、「これでもか」って。
こんなに人ひとり、ましてやふたり死ぬっていうことは
面倒なことなんだなって。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- まあ、母はものすごく、
物理的には整理整頓をしていたし、
ましてやおんなじ家に、二世帯で住んでいたから、
べつに新たになにかっていうことはないけれども、
それでも人間関係はそんなに急に
プツッと切れるわけじゃないから、
いろんな人との交流も含めて、
することがたくさんあるんですね。
さらに、母のことをお仕事として話すとか
書くとかっていうことが、とても多くなっている。
それも、どこまでかなって今思っています。
最初は物理的に
「今ちょっと、それどころじゃないから」って
距離を置いていたけれども、
ぽつぽつと始めていくと、
わりともうひっきりなしに
そういうものばっかりになっちゃって。
うーん。それも、どうなんだろ? って。
- 伊藤
- うーん。
- 内田
- 小さいときはすごく、
母の子である、父の子であるってことを隠してたんですね。
「お父さんとお母さん、どういう仕事してるの?」
って訊かれたら、サラリーマンです、主婦ですって
言ったりしてたのが、
旦那さんと結婚しちゃったら、
旦那さんも公っていうか、表に顔がさらされてる人だから、
結婚したらつねに、そういう人たちに囲まれることなので、
もう隠してることさえも無意味になって。
母はわりと自然体だったから、
私の写真もなんでも出していましたし、
今みたいに絶対に顔出しませんっていう
価値観もなかったし。
なんとなく、気がついたらこうなっていた、
っていう感じですね。
でも、すっごく嫌だった。
親がこういう仕事をしてるってこともそうだし、
両親が離婚の裁判をしているときも追いかけ回されたし。
- 伊藤
- 「隠したい」みたいな子ども時代から、
今はどういう感じですか?
- 内田
- 今は、受け入れるしかないっていう、受け身な感じです。
たとえば、母は生前、
「本はいっさい出さないでくれ」って言っていたんですね。
依頼がくると、「資源の無駄だし、
私の話すことはおもしろくもなんともないから、
本はつくりません」っていうふうに断ってるのを見てきた。
でも、自分でやってた事務所の留守番電話には、
もう一切合切の二次使用、
自分がどっかで出たものはどうぞご自由に、
って言ってたから‥‥。
- 伊藤
- うんうん。
- 内田
- 亡くなってすぐに本の出版の依頼が来たときに、
「母は本を出さないと言ってたので」と言ったら、
「でも、二次使用OKっておっしゃってましたよね?
これ、全部二次使用ですよ」って言われて。
「じゃ、どうしたらいいんだろう‥‥、
じゃ、もういいか」と。
でも極力、母が気にしてた資源無駄遣いはいやだから、
「最初はすごく少なく出してくださいね」っていう約束で。
そしたら、徐々に売れちゃって、
お葬式が終わって間もないぐらいのころに言われた
最初の本が、今年の日本の本のなかでの
ベストセラーになっちゃったって聞くと、
「まあ、なんか不思議な人生だな」と。
- 伊藤
- ええ。
- 内田
- 受け身でいたからこういうふうになったわけで、
計画してこうなったわけじゃない。
これは、なるようにしかならない、受け入れるしかない。
結局「どうぞ」って言ってるうちに、
10冊ぐらい、いろんなジャンルの本が出て、
私にも聞かないで勝手に出てる本も何冊かあるし、
もう、肖像権もなにもないですよね。
- 伊藤
- それって、なんだか、うーん?
- 内田
- 「まあ、いいか」と思うしかないです。