未分類カテゴリー記事の一覧です

さっそうと。

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街を歩いていると、
なんとはなしに目が行くのが、
道行く人の着こなしです。

前をさっそうと歩くスーツ姿の女の人は、
きっと仕事中。
ひかえめなメイクと、
きゅっとしばった髪。
でもそれが逆に女っぽく見えるのは、
手入れの行き届いたヒールのせい? 
とか、
全身をモノトーンでまとめた白髪の女性は、
赤いストールが効いている。
きっとあらゆるおしゃれをしてきて、
今のスタイルに落ち着いたんだろうな。
なんて、
勝手に想像を膨らませては、
たのしんでいるのです。

特別ではないふだんの姿は、
見ていてなるほどなぁと思うし、
なによりリアルだから、
自分に取り入れやすい。

つい先日、ハッとしたのは
電車の中で見た女性。
Tシャツにスウェット、スニーカー。
その上にダッフルコートをさっと羽織ったその姿の
なんとかっこいいこと!

Tシャツやスウェットの
素材や形、色合いが、
なんとも洒落ていて、
街着としても確立されてる。
スポーツウェアも、こんな風に着こなせたらすてきよね。
なんだか新しいおしゃれの扉が開けたような
気がしたのでした。

今週のweeksdaysは、
ALWEL(オルウェル)の服。
背筋伸ばしてさっそうと歩きたくなる
大人のスポーツウェアをどうぞ。

あとは細い肩紐だな。

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くよくよしている自分が、
あほらしく思える時があります。
あほらしいと思えた時はけっこう清々しいんですよね。
どこかで“チェーンジ!”って風が抜ける感じがして。
私の場合、その風が抜ける場所がハワイなんです。
休暇中ですべきことがなくて、
問題(くよくよの理由)に向き合えるからなのか、
気候のおかげなのか。
長年の水着問題も新たな展開を迎えているのです。

年に一度10日前後をハワイで過ごすようになって35年、
静かな砂浜に面した小さなアパートを
借りるようになって10年ほどになります。
なのに私、ずっと海に入ったことがありませんでした。
ずっと海は見るもの、だったんです。
理由は、水着姿です。もうほんっとうにいや。
物心ついた頃から体型の難には付き合ってきましたが、
加齢で加速度を増しました。
食べるのが好き、運動は嫌い、おまけに色白です。

でもそんな自分があほらしく思えるときが来たんですね。
アパートの前の砂浜の女性たちの体型はボーダーレス。
水着姿で思い思いに過ごしています。
大きい人も小さい人も黒い人も白い人も。
若い人はもちろん、老いた女性もたくさん。
毎朝同じ時間に海に入っていく白髪の女性もいる。
そういう光景を「いいなぁ」と思いながら
毎年繰り返し見ているうちに私の心は少しずつ緩み、
“いいと思うならやればー” “水着を買おう”に
変わってきました。
10年近くかかりましたけれど。

でも私を海に連れ出してくれる水着、
カバー力があって、気分を上げてくれる水着には
なかなか出会えませんでした。
狙い目と思っていた大人向けのスクール水着は
最難問のお尻と脚の境目をカバーしてくれません。
競泳用は太陽には似合いません。
ワイキキならあるか、というとそれも難しかったです。
ハイレグや鮮やかな色柄に気持ちがついていかない。

難航する水着問題を解決してくれたのが、
スリフトショップのセイバーズでした。ここには
ご不要になったあらゆるタイプの水着があるんです。
そこでまずこれだ! と思ったのがサーフパンツでした。
トランクスタイプでお腹の紐を結んではくと
腰がピッとしてあんばいがいい。
ちょっと懐かしい感じのボーダーと、
白紺のハイビスカス柄の2つを選びました。
となるとトップスはセパレートになるのですが
それはまだ、少しなら、許容できるかな、と思いました。
むしろ胸はS、下半身はLLサイズなので
別々に選んだ方がぴったり。これは赤を探しました。

アパートのラナイのフックに水着をかけて2日後。
エイっと着替えて砂浜に立ったら、あら全然違う!
肌が出てるってこんなに気持ちいいものだったのか、
中国のビキニおじさんの気持ちがよーくわかる。
今このひとときを楽しんでいる自分をほめたい。

ただ、実は赤のトップスは納得していないんです。
肩紐が太くて、おばちゃんのブラジャーみたい。
いやもう年齢的にはおばあちゃんなんですけど。
次のハワイでは、代わりを探そうと思っています。

おとなの水着事情。

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心地よい海風に吹かれて読書三昧。
サンセットを眺めながら
冷えたシャンパン片手にアペリティフ。
あ~、これぞおとなのバカンス。
若いころとはひと味違う、
ちょっと贅沢なリゾートの醍醐味ですよね。
想像するだけで身も心も大満足でとろけそうなのに、
なぜか気持ちは後ろ向き。
え、なぜって?
理由はかんたん。
素敵なビーチにいる自分の姿が見えてこないから。
どんな水着を着たらいいのか浮かばないのです。

パリに来た当初は、
どんな体型でも堂々とビーチを闊歩する
フランス人の大胆さに勇気づけられ、
背中を押されて少し気分が楽になったものです。
でも、ちょっと待って! 
別の声がささやきます。
彼女たちみたいに開放的になって大丈夫?
人からどう見えるのかな。
そんな日本人的思考が頭をよぎり、
年齢を重ねるにつれ、
水着選びがますます難しくなりました。

ナチュラルさが魅力のパリの女性たち。
秘訣を聞くとかならず返ってくるのが、
「なにもしてないの。だって自然体が一番だもの」
という答え。
いいえ、そんな魔法は存在しないのだと、
30年近くパリに暮らして、最近気がつきました。
朝起きてバタバタと鏡の前で服を選び、
無造作風の髪型を懸命にアレンジする。
高カロリーディナーは週末だけにして、
ウィークデーはグルテンフリーとノンアルコールで
自分を律する‥‥。
「努力なんて無関係よ」
と涼しい顔で、ノンシャランを装ってはいるけれど、
実は見えないところでバタバタしている、
これこそが、
パリジェンヌの本質だということに。
彼女たちは頑張る姿を表に出さず、
それぞれの背景でいかに素敵に映るかを考えます。
石畳の小道を歩く時、カフェのテラスに座る時、
バカンス先で無防備に昼寝をする時でさえ、
シーンにマッチする最高の自分を演出するのです。
特に年齢を重ねたマダムが魅惑的なのは、
チャームの引きだしをたくさん持っているから。
グラスの持ち方、
本を読んでいる時にふと浮かべる知的な表情。
パリの女性たちが女優のように自信に満ちているのは、
いかにさらりと素敵な振る舞いをするか、
日々の鍛錬を重ねているからです。

こうして、わたしもまた気づきます。
年齢とともに背筋をピンと伸ばして潔く生きること、
そして最高の自分になりきる
イメージトレーニングをすること。
そうすることで
水着を着ても気負いなく過ごせるということに。
じゃあ、いったいどんな水着を着ればいいの? 
それは自分にとってコンフォートであること。
誰のためでなく、あなたにとって心地が良いと思えるモノ。
だって、現実は自分が思うほどに、
周りは誰も気にしていないのだから。
そしてパリマダムをお手本にして、
ビーチやプールサイドなどTPOにしっくり馴染む、
ちょっと特別な自分をイメージします。
若い子みたいな露出の多いデザインはNGだけれど、
適度に肌を出したほうがリゾートのムードにはエレガント。
日焼け予防はしっかりと! 
でもあまり神経質にならず、
時にはラテンの人のようなおおらかさで
過ごすのもいいでしょう。
綺麗に塗られたペディキュアや、
肌触りのいいリネンのストール、
読みかけの本とサングラスを入れたカゴバッグ。
そんなお気に入りの小物も、
久しぶりの水着姿にほんの少し自信を添えてくれるはず。
重要なのはなにを着るかではなく、
どう自信を持って着こなすか。
さあ、次のバカンスは、
気分をアップしてくれる水着を持って、
わがままで最高の夏を楽しんでください!

水着迷子。

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私はどれだけこの数年
水着迷子になっていることだろう。
なんとも偉そうに、
これはちょっとハイレグすぎる、とか、
生地が薄い、とか、
背中がなんだか普通過ぎる、とか、
あーだこーだと言うのだけど、
本当はわかっている。
それは40代になって
自分の体型が変わっていったから、
水着のせいじゃないって‥‥(涙)。

じゃあどうすればいいの? 
海でもないのに肌を隠すラッシュガードを着る? 
なんか負けた気がする。
せめてセパレーツならいけるかも、
と思って試着してみたら、
怠けたボディの一番見せたくないところが
際立つ仕組み! 
なんなの‥‥前に着た時は
そんな事1ミリも思わなかったのに‥‥。
やっぱり体型のせいだ。

そうして逃げ腰気味でネットで探してみたりすると
『体型カバー』とかそんなコピーが出てくるのね。
そうか、世の中に水着に困ってる
(体型に困ってる)人はごまんといたのね! 
なんかやけにヒラヒラがついていたり、
肌をまとってますみたいな布が
びろーんってなっていたり‥‥
え、泳ぎたいんだよ、私‥‥。
洒落込んでプールだの海だのに
行くつもりはないのよ、
子どもとガチで泳ぐための
かわいいシンプルでしっかりとした
普通の水着を探しているだけなんだよ‥‥。

色んなアンテナがありそうな人に聞いてみたりした。
「ねえ、いい水着売ってるところしらない?」
そうすると、いくつか素敵な
水着ブランドを教えてもらったりした。
でも、海外のものも多く、
試着できない、しかもパットは大抵ついてない。
そしてやっとあった! って思うと
「sold out」。
水着は、一番着たいと思うシーズンには、
もう大抵このさまだ‥‥。
みんな早いよ‥‥はあ‥‥。

そうした私は数年どうにかごまかしながら
あり物で乗り切っている。
海外に行けば必ず水着はチェックする。
こどもサイズの160くらいまで
作ってるものをチェックしてみると、
求めているデザインに近いものに、近づける。
でもなかなかまだ出会えない。
この冬にもハワイに行くから水着を探さないとなと思う。
今度バッチリな水着があったら、
2着は買い置きしておこうと思うくらい、
水着って気に入った物に出会えるのは難しい。

どこかにいい水着ないだろうか‥‥。
そんな矢先まさこさんにふと
「水着がない」と話したら「作るよ」と言う。
えー!! 
私のこれまでの不服不満を言ったら
「きっとひなちゃん気に入る」って。
早く見たい、早く着たい、あーきっと良さそう! 

で、でもこれでダメだったら本当にもう‥‥、
私、がんばらないとね。(苦笑)

cohanの水着

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そうそう、こんなの欲しかったんだ。

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南の島でのんびりするのが好きです。

海辺で、
プールサイドで、
ホテルの部屋のベランダで。

つめたいドリンクを飲みながら、
時間を気にせず本を読んだり、
昼寝をしたり。

そうしていくうちに、
だんだん自分の中が空っぽになってくる。
バカンスの語源は「空き」というけれど、
なるほど、
空きを作らないと、
新しい風が体に入ってこないものね。
だから人はバカンスが必要なんだ。

さて、そこでいつもこまるのが、
「空き」の時間に着る水着です。
派手だったり、
露出が多すぎたり、
そうかと思うと本格的すぎたり‥‥。
帯に短し襷に長しとはまさにこのこと。
私にちょうどいい水着は、
いったいどこにあるのやらと
途方に暮れていたのでした。

今年はじめのweeksdaysは、
水着をご紹介します。

サンドレスを着るような感覚で着られる、
大人の水着。
そうそうこんなの欲しかったんだ。
今度のバカンスは、
堂々とプールサイドを歩けそう。

あなたの旅のおともにも、ぜひ。

職人がいない。

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堀部
そうそう、忘れないうちに言わなくちゃ。
伊藤さんは、建築と市井の方々を
つないでくれるひとだと思うんですね。
伊藤
えっ?(笑)
堀部
それが伊藤さんの役割のひとつですよ。
建築プロパーと市井の方をつなげてくれる。
そういう人が今までいないんですよ。
建築業界は建築業界だけで固まっていて、
全然開かれていない。
市井の人は市井の人で、
建築家のつくる家は斬新でかっこいいけど、
住みにくい家をつくってる人たちだみたいに思っている。
伊藤
そうかもしれないです。
建築家? 幾らかかるんだろう、怖い! とか。
堀部
そうそう。
作品として勝手気ままにやられちゃうんじゃないかとかね。
伊藤
そういう人ももちろんいらっしゃいますけれど‥‥。
堀部
いますけど、そういう人だけではもちろんなくてね。
建築業界は建築業界で、
ほんと閉じちゃってるんですよ。
市井の人との共通の言語と接点を持っていない。
伊藤
建築家の人と家を建てるのは、
どういう方なんですか。
堀部
業界内とその周辺で固まっているかもしれない。
伊藤
そうなんですか!
──
(担当/武井)
最近聞いたんですが、
中古マンションや戸建てを購入しても、
とことん、じぶんでリノベーションを考える人は、
けっして多くはないそうですよ。
とくに中古マンション市場では、
リノベーション済みというマンションが
多く出回っていますが、
いずれも「ほどほど」のしつらいです。
それは、自分でリノベーションをするという選択肢が
最初から「ない」人が多いからなんだそうです。
大手の不動産屋さんは、中古マンションが出たら、
市場に出す前に買って、ほどよいリノベーションをして、
きちんと利益が出るような価格で販売をする。
だから高くてリノベ済、まるで新築みたいでしょう? 
っていう、似たような中古マンションが多いんだそうです。
伊藤
なるほど。それでもね、
言語化はできないけれども、
気持ちいいという感覚は、
絶対、誰もがわかると思うんですよ。
例えば、先ほどおっしゃったけど、
ここのホテルの空気が好きとか、
このベッドのシーツは寝心地がいいなぁというのは
わかってる。その感覚を家全体に
引き伸ばしていけばいいんですよね。
堀部
まさしく伊藤さんにはそういうことを伝えてほしいです。
そして、そういう役割がひとつだとして、
もうひとつお願いしたいのは、
今、建築の職人がいないんですよ。
でも市井の人びとは
建築業界で大工さんらが不足してるって知らないですよね。
伊藤
知らないです。私も知らなかったです。
堀部
深刻なんですよ、今。
こんな色んな手法とか考えとか思想とか、
ああだこうだ考えていても、
それを実体化してくれる人がいなくなっているから、
「考えたってしょうがない」となっちゃうんです。
伊藤
住宅ではなく、ビルを建てる人はいるんですか。
堀部
いやあ、少ないですね。
伊藤
では、全体的に減っている。
手を動かして形にするという方がいらっしゃらない。
堀部
いない。そこをどうやって問題として
市井の人にわかってもらえるか、
広めてもらえるのかというのを、
色々考えているんです。
職人がいない、人の手がないから、
ビルをつくるときにも、工業化というか、
省人化のためのテクノロジーは
すごく発達してきました。
けれども一方で、
老人や赤ちゃんといった“弱者”にとって必要なこと、
たとえば無垢の木でつくるとか、土壁をしつらえるとか、
そういう身体に馴染のいい素材を扱える職人が、
もうほんとにいなくなっています。
僕らがいくら理想を持っていても、
そういう家を庶民に手が届くお金でつくることが、
無理な時代になってくるんです。
元々そういう質の高い風雪に耐えてきた素材、技術を、
ずっと代々脈絡と受け継いできたのが日本なんですけど、
ここに来て、それが全部ストップ、途切れてしまう。
今そういう問題に直面しています。
伊藤
それは日本だけの問題じゃないってことでしょうか。
堀部
日本は特にその問題が大きいと思います。
なにしろ敗戦国ですから。
──
ビルの施工の現場を見ていると、
外国人労働者が増えているのを感じますが、
住宅の職人さんには、多くない気がしますね。
堀部
研鑽を積んだ技術がなければ、
自然の素材は扱えないですからね。
とにかく、職人全般が減っていますが、
より減っているのが、
昔ながらの技術をもった人ですね。
伊藤
どの分野でもそういう話は聞きますよね。
──
ただ、同じ職人でも家をつくる人は減っているけど、
料理人をめざす人は増えていますよね。
農業まわりでも、海苔をつくる人は減っているけれど、
ワインをつくる人は増えてきた。
その分野にスターがいるとか、脚光をあびるとか、
そういうことがあると、
追いかける人が増えるのかもしれませんね。
堀部
そうなんですよ。
職人に社会的な評価と地位が与えられれば、
なり手は来るんですけど、
今、建築の大工さんを含め、
社会的な評価があまり得られないので、
やってもしょうがないというふうに、
若い人は思っちゃうんですよね。
──
堀部さんがおっしゃる、間をつなぐ役割というのは、
口幅ったいですけど、
「weeksdays」ではやっていきたいですね。
たとえば、伊藤さんは賃貸住宅でも、
大家さんに許可をもらって、造作家具をつけたり、
壁にペンキを塗ったりしている。
それを見て「いいなぁ」と思った人は、真似ができる。
でも、「いじっちゃダメ」って思い込んでいる人には
できないことなんです。
だから「こうしたら?」って伝えることは大事ですよ。
伊藤
もとに戻して、
壁なら塗り替えればいいんですものね。
──
そこで躊躇しちゃうんでしょうね。
原状復帰をしなきゃいけないなら、
いつかその費用もかかるから、やめておこうって。
だったら、壁に穴は開けません、壁紙は替えません、
一切いじらずにひっそり住みましょうと。
そう教育されちゃってるイメージがあります。
伊藤
自分を包む毎日の自分を支える住まいだから、
賃貸住宅であっても、
もうちょっと自分に寄ってもいいと思うんですよ。
──
その気持ちはあるから
ベッドリネンを替えるとか、
お気に入りの家具を置くとか、
そこまでは、できるんですけれど。
伊藤
私の仕事で言うと、
料理のスタイリングをするとき、
たとえばお茶を素敵に見せるには、
カップ&ソーサーだけじゃなく、
テーブルや、ちょっと見える床、カーテンの質感、
そこから入る光とかまで気になってくるわけです。
その気持ちを、徐々に徐々に広げると、
家になるんじゃないかなと思っているんです。
そっか‥‥、そういうことに
気づくきっかけをつくれたら、ってことですね。
わかりました。
堀部
おねがいします。
伊藤
堀部さん、今日は、
ほんとうにありがとうございました。
お話が聞けて、よかったです。
堀部
こちらこそありがとうございました。
伊藤
いつか、施主として、お願いに伺いますね。
堀部
たのしみにお待ちしています。

(おわります)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[7]

1階は床暖房になっていて、
玄関から一歩、足を踏み入れた瞬間から、
ほの温かさが感じ取れます。

部屋も、水回りも、廊下も、ひとつづきになっていて、
暮らしやすそうだし、
なにより掃除がしやすそうなところがいい。
(こういうのってとっても重要です。)

2階はフローリングでしたが、
これは‥‥? 

「床の素材はライムストーンです。
肌ざわりがいいでしょう? 
木材に比べ、床暖房のつくりやすい素材なんですよ」

「夏は冷房をつけなくてもいいくらい、
ひんやりするんです」とはNさん。

冬暖かく、
夏涼しい。
一年を通して過ごしやすい工夫が、ここにも。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


あったかくて、すずしくて。

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堀部
伊藤さんは、この本(『住まいの基本を考える』)の中で
気になったことはありましたか?
伊藤
私、今、マンションに気が向いているので、
サッシを工夫するというところに魅かれました。
マンションは窓が共用部分なので、
取り換えることはできないんだそうですね。
なので内側にもうひとつ木枠の窓をつけた部屋があって、
とてもいいなって思いました。
全然雰囲気が変わるし、
こういうことができるんだ! と、ハッとして。
でもお話を聞いていると、細かくお願いをするより、
お任せしちゃったほうが楽しそうです。
堀部
そうですね。
具体的な家に対する要望の会話を繰り返していても、
そこに設計のヒントはなくて。
それよりも、あの画家の絵が好きだとか、
あの本が好きだとか、
旅に行ったときのあの国のあのホテルがよかったとか、
そういった話の方がいいです。
だから「リビングは14畳でお願いします」とか
「部屋数が幾つ欲しい」とか
「素材はこれにして欲しい」という話は、
僕は、もう、ほとんどしないですね。それよりも、
「おばあちゃん家が懐かしくていいと思ってる」だったり、
「こういう食べ物が好き」、
そういうたわいもない話の方が、
その人がよくわかるし、家づくりのヒントになります。
伊藤
やっぱりよく会話をされているんですね。
堀部
そうですね。でも、それも人によって違って。
そんなにそういう会話をしなくても
ああ、もうこの人にはこういう家だなというふうに
すぐわかってしまう場合と、
会話をしてもなかなか、
僕は何をすればいいんだろうということが
わからない場合とがあります。
伊藤
どういう違いなんでしょうね。
堀部
でもね、設計のヒントになるような
きっかけをすぐくれる人がいいか、
というと、そうでもないんですよ。
設計のヒントを長い時間かけて伝えてくれる人の方が、
深いものができる可能性もある。
それは人それぞれです。
そのときの好奇心とか興味みたいなものにも
よるでしょうし、お互いの相性もあるでしょうし。
伊藤
最近施主の方とやり取りしてて、
ここのこういうところはうまくいったみたいな、
そういうのはありますか。
堀部
そうですね。「高気密高断熱」っておわかりですか?
それを、すごく一所懸命やってるんです。
伊藤
はい、本にも書いていらっしゃいましたね。
断熱や気密というと、なんだか遮断された、
閉じこめられちゃうような言葉のイメージがありますが、
「保温力と、保冷力のこと」だと。
冬はダウンジャケットのファスナーを
きっちり閉めるようなことで、あたたかさを逃がさない。
夏は陽射しをしっかり遮蔽して、外気の影響を受けず、
さわやかな室温を保つ。
だから高気密高断熱の家は、冷暖房効率もよくなると。
堀部
はい。また「パッシブデザイン」といって、
太陽の光や熱、風などの自然のエネルギーを
利用することも大事だと考えています。
温熱環境を向上させたいんですね。
最初は僕の設計を求めてくるクライアントも、
そういうことにあんまり興味がなくて。
「別にいいですよ、ほどほどで」と言うんですが、
でも「僕は相当その辺の性能を高めたいから、
ぜひやらせてほしい」と返すんです。
でもね、実際、できあがって住みはじめると、
みなさん、とても感謝してくれるんですよ。
それかな、最近「うまくいった」と思うのは。
伊藤
書いてありましたね、施主の方が、
「家全体の温度が一定で、どこにいても心地良い」
「子供もはだかで走りまわってしまうほど」
「両親も身体がすごく楽だよね、と言っています」と。
また、ある方は古い木造家屋に住んでいらして、
夏はいいけれど冬が寒く、室内でも息が白いほどで、
二度も肺炎になったというのが、
堀部さんの設計で高断熱高気密の家にしたら、
「家中にいつも穏やかな空気が流れていて。
冬は暖く夏は涼しい」
「肩凝りが治ったり、風邪をひきにくくなったり、
とにかく身体が劇的に楽になりました」って。
堀部
そうなんです。なので、先ほどの二項対立的に、
自然志向と、都会的な現代志向があったとして、
高気密高断熱という言葉だけを聞くと、
現代志向、都会的というふうに聞こえちゃうんですよね。
でも、そうではないんです。
それに、完全に自然志向ってなると、
隙間風がいっぱいあって、土に近くて、ってなっちゃう。
伊藤
それじゃあ、冬は底冷えして。
堀部
そうなんです。だから自然志向と現代指向を
もっと包括的に包み込むような
建築の仕組みをつくりたいと思ってるんですね。
高気密高断熱というのは、それができるんです。
絶対にエアコンを使わないぞ、とか、
そういうことではなくて、
エアコンの能力を最小の電力で最大限引き出すこと。
エアコンに依存しないけれど、利用はする、みたいな。
伊藤
なんか、ちょっといい女みたい(笑)。
「依存はしないけど利用するの」。
堀部
『ルパン三世』の峰不二子みたいですね(笑)。
伊藤
高気密高断熱は、マンションの
リノベーションでも可能なんですか。
堀部
もちろんです。ただ、マンションだと、
サッシとかが替えられない場合があるので、
なかなか難しいところもあるんですけど、
内側にもうひとつ窓をつけるということで、
すこしよくなりますよ。
そのあたりの確かな手法を包括するという仕事を
ここ数年やってきて、いい結果が出てきてるな、
という気がしますね。
ほんとうに、住まい手の方の表情が変わりますよ。
極端に言うと、建てる前はなんだかちょっと
暗い顔をしていた人が、
そういう温熱環境のいい家に住むと、
表情が明るくなります。
伊藤
快適ってことですもんね。
堀部
快適ですね。猫背が治ったり、
冷え性が治ったり、腰痛が和らいだり。
伊藤
大事です。
堀部
ほんと、食べ物と一緒ですよね。
どういう食べ物を毎日食べて生きてるのかということと、
どういう環境で毎日生活をしているのかで、
心身に大きな結果の違いが現れてきてしまう。
もし風邪をひいたとしても、家が快適であれば。
あんまりえらそうなことも言えないですけど、
医者と同じような感覚を最近よく感じます。
クライアントの身体全体を診ながら
具体的な処方箋を出していく。
医者も生身の付き合いじゃないですか。
建築もほんと、そうだと思いますね。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[6]

つねづね、寝室はなるべくシンプルに、
そして窓も控えめに、と思っていた私にとって、
ここは理想的な場所でした。

窓が低いのもいいですねぇと伝えると、

「そうなんです。横になったとき、
ちょうど中庭が見える高さです」

寝ている人の目線になってみると、
ああほんとうだ。
庭が目に入る。

立つ、座る、横たわる。
家を見る時の目線って、
たしかにひとつじゃないものね。

そういえば、寝室だけじゃなくて、
2階のどの部屋からも
庭が見えました。

「コの字型に建物を配したので、
窓越しに自分の家が見える。
そんな感覚も、楽しいでしょう?」

たしかに、たしかに。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


街に住む。

未分類

堀部
ベトナム戦争で3カ月ぐらい、
ずっとジャングルを彷徨ってた兵士がいて、
その人の手記を読んだことがあるんです。
基本的にはもう自然しかなくて、
目に入るものは土の色と木の緑、後は空の色で、
そこにずっと3カ月いて、3カ月後にあるものを見て
「美しい」と思ったんですって。
その美しいと思ったものが‥‥。
伊藤
何だろう?
堀部
赤いコカ・コーラの缶だった。
伊藤
!!!
堀部
東京のこういう景観の中で、
コカ・コーラの空き缶見たって、
美しいとは思わないけど、
ずっと自然に囲まれ続けてきて、
あの人工的な赤とロゴを美しいなと思った。
そのときにどうしようもなく
自分は現代を生きている人間だということを、
兵士が確認できて幸せだったというんです。
そういう人工物を否定するわけではなくて、
やっぱりそういうものと自然を、
自分の心身共にうまくバランスを取っていくというか。
そういう自然と人工の共存が大切だと思います。
単純に、電気もそうですよね。
止まったら、もうね。
伊藤
2011年の地震が起こった時に、
東京から少し離れたところに
家をつくるのもありかもしれないと
思ったことがあったんです。
近くに川が流れていて、
そこからトイレに使う水を引いて、
屋根の上に光のソーラーパネルをつけて、
そこにいるだけで、インフラが止まってしまっても、
1カ月や2カ月は何とかなる家を
つくったらどうかなって。
私も切羽詰まってたんでしょうね、あの状況の中で。
ちょっと地震が落ち着いて数年後ぐらいに、
とても無理なことだったと思ったんですけれど。
もしお金があったら、住まいとは別に、
そういう場所が持てたら
素敵だなぁって。
でも、それも、今、だんだん薄れてきちゃいました。
それよりも、東京のマンションを
手入れして住みたいという気持ちが大きくなって。
堀部
ええ。
伊藤
でもそれには、荷物を持ちすぎだなと
考えるようになったんです。
おそらく食器も、4人家族の10倍くらいあるなって。
自宅兼仕事場でもあって、撮影もするし‥‥と、
それをいいことに、いっぱいあるんです。
いまは全部使ってるものなんですけど、
将来、いるのかな? って。
いずれ娘が独立したら、ひとり暮らしになるわけで、
おそらくワイワイと大勢のお客様を呼ぶこともない。
親しい人を1人、2人呼ぶことはあるだろうけれど、
みんなでワイワイしたいんなら外へ行けばいいし、
そうすると、広いダイニングテーブルは要らない。
堀部
なるほど。
伊藤
あと、私は暑がりで、長湯をしないので、
あんまり広い湯船はいらなくて、
それよりシャワーを充実させたい。
それと今の部屋は築50年で、段差があるんです。
いまは慣れましたけれど、
いずれ段差問題は大きくなる。
そんなふうに気づくことを心のメモにつけていたら、
住まいの形が見えてくるかなって思って。
堀部
でもね、マンションの内部のことを考えるよりも、
それがどういう地域にあるとかという方が
大きいんじゃないですか。
例えば近くに図書館があるとか、
歩いてすぐのところにコンビニが3、4軒あるとか、
スーパーがあるとか、銭湯があるとか、
お気に入りのお店があるところに囲まれているとか。
そうすれば自分の家の中には
そんなにいろんな要素がなくてもいいと思うんですよ。
伊藤
なるほど。
堀部
街全体に住んでるという考えで、
足りないものは補完し合う。
私的な独占がない方が、
結果的には共存共栄ができるし、お金も動く。
伊藤
今の住まいで気に入ってるのは、
坂の途中の住宅街で、坂の上と坂の下は、
それぞれ個性の違う商業地区なんです。
上は教会があったり公園があったりの山の手、
下は飲み屋さんとかがある下町。
そのどちらもが賑やかで面白くて、
しかも住まいのエリアは静かなんです。
堀部
住んでいて、楽しいんですね。
伊藤
はい、楽しいです。
「場所」ということでいうと、
年老いたときに、友達が突然ピンポーンって来てくれる
場所の方がいいなと思っています。
「みかん、たくさんもらっちゃった。
玄関前に置いとくからね」とか、
そういう関係が築ける場所がいいですね。
堀部
よく、地方はそういうお付き合いが
残っているというけれど、
地方は車社会になっちゃったから、
免許を返上したら、
そういう付き合いもできなくなっちゃいますよね。
その点、東京は恵まれていますよ。
徒歩で街を楽しめますから。
伊藤
そうですね。電車もあるし、バスもあるし。
そして古い建物っていいなと、住んでいて思います。
マンションには、それこそ50年前に建ったときから
住んでるのでは? みたいな
おじいちゃんやおばあちゃんがいる。
世帯数は少ないのですが、
みんな「こんにちは」っていい合う関係。
堀部
まだそういうことが残っているんですね。
定住率が高いんじゃないかな。
伊藤
そうですね。自分のマンションに
愛着がある人が多いような気がします。
ちなみに堀部さんはどういうお家に住まわれてるんですか。
堀部
マンションですよ。
ごく普通です。
伊藤
ご自身でリノベーションをなさって?
堀部
それが、してないんです。
そういうものですよ。
というのは、ぼくはある程度人の家の設計で
やりたいことがやれてるタイプだと思うんです。
クライアントが煩いから自分の思い通りにできないとか、
そういう欲求不満はないんです。
伊藤
そういえば、知人のスタイリストの方は、
いつもシンプルな服を着ている。
同じ服を2枚も3枚も持っているんですって。
仕事柄、
いろんなものを見てるのに、自分は着ない。
どうして? と訊いたらこう言ってました。
「人の着るものをいつも考えてるから、
僕はいいんだ」って。
堀部さんもきっと、そういう感じなんですね。
堀部
そうですね。
ただ、今、父のために考えている家が、
将来的に自分の住まいにもなるのかな、とも思います。
でも、それも父のことを考えているからいいわけで、
自分のために自分の家を建てるという発想では、
僕は、なかなか設計できないです。
父というフィルターがあるくらいのほうが、ちょうどいい。
あるいはもし僕の設計した家を手放すという施主がいたら、
そこに住んでもいいかもしれないな、くらいの感じです。
とにかく自分のためだけに、
最初から最後まで自分の家だ、みたいなことで
設計はなかなかできないですよ。
伊藤
すっごく意外です! そうなんですね。
建築家のなかには
自邸をしっかりつくられるタイプのかたもいるのに。
堀部
やる人とやらない人がいますね。
ただ、建築家が自邸を設計したら、
そのイメージをぬぐうことができないんですよ。
「この人はこういうことだ」と、
手法から美意識から、何から何まで
そこに凝縮されてるっていうふうに見られちゃう。
もうそれがずっと一生つきまとってしまうわけですし、
モデルハウス、ショールームにもなるわけじゃないですか。
それが僕はすごく苦手で。
服だったら、また変えればいいけれど、
家はそれができないから、怖い。
だから人のためにつくった家に
たまたま住んでるぐらいの方が気楽かな。
「家ってこんなもんでいいや」って思ってる方が、
僕の場合は心地いいです。
自分のワールドは何とかで、
ミクロコスモスをつくるんだみたいな感じになると、
ちょっとね(笑)。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[5]

2階の一部、
リビングからひと続きになったところにあるのが、
子ども部屋。
ドアはついていないのですが、
ちゃーんとひとりの時間が持てるような
作りになっています。

「両面から使える書棚を壁がわりにして、
奥を子ども部屋、
手前はNさんのワークスペース、
というふうに分けています」

ネジで固定しているという書棚は、
いずれ「広く使いたい」となった時に、
動かして壁づけできようにしてあるとか。

家に自分たちを合わせるのではなく、
自分たちの暮らしの変化に応じてくれる家。
一生のおつきあいですもの、
その気づかいは住む側にとって
すごくうれしい。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


東京湾の魚たち。

未分類

伊藤
私、この前、2週間ぐらい出かけていて、
家に帰った時、口を衝いてこう出てきたんです。
「ああ、家がいちばん!」って。
そういえば私がちっちゃい頃、
家族旅行から帰って来ると、母がよく、
「もう、家がいちばんね」と言ったのを思い出しました。
その頃は、こんな楽しかったのに、
どうしてそんなこと言うんだろう? 
ってすごく思ってたんですね。
でも、自分が言ってるんですよ、
「家がいちばん」って(笑)。
すごくびっくりして。
でも、それこそ「還る」場所なんだ、
ということに、はたと気付いて。
堀部さんが著書にも書かれてましたけど、
ホテルは「行く」だけど‥‥。
堀部
住まいは「還る」。
伊藤
やっぱり自分の家って、今賃貸なんですけど、
落ち着きますよね、ほんとに。
堀部
衣食住で言うと、衣も食も、
食べたくなかったら食べないとか、
着たくない服は着ないということができるんですけど、
自分の家に関してはそれができません。
伊藤
そうですね。
堀部
とにかくどんな心身の状況でも
受け入れてくれないと始まらない。
伊藤
弱っているときはとくに、
屋根があるところにいたいですもんね。
堀部
そうですね。雨漏りしないで、安心して、
冬は暖かくて、夏は涼しくて風通しがいい場所に。
ほんとうに当たり前のことなんですけど、
そういう当たり前のことがちゃんとできていないと、
愛着を持続することができないと思うし。
よく建築家のつくるものは、非日常的な美しさがあるとか、
すごく斬新でかっこいいとかって言われますが、
住宅の場合は、日常です。
日常の美しさが何より大切だと思います。
食事もスパイシーな料理とかって
たまに食べると美味しいけど、
毎日食べられないじゃないですか。
伊藤
はい。お味噌汁とご飯がいいですよね。
堀部
それが、毎日食べても飽きないものですよね。
そういう性格が住まいにも要求されるんです。
そういう日日(にちにち)っていうか、
ほんとに淡々とした日々の連続みたいなものが、
僕はすごく美しいと思うし、
かけがえのないことだと思うし、
先ほど言った動物としても、
そこにいちばん価値を置かないといけない。
毎日刺激的なものは、ちょっと難しいですよね。
伊藤
そうですね。私も、家が欲しいと思ってきたということは、
ちょっと刺激的なものじゃなくて、
落ち着く方に向かっているのかもしれない。
堀部
しかし、元気で、希望に燃えてる若い建築家や設計者が、
年老いた先や赤ちゃんのことを考えないで
突き進めばいいかというと、
やっぱりそれは違うと思うんですね。
歳を重ねた人の身体が
いったいどういう動きをするのかとか、
どういうことが苦手で、
どういうことに気をつけなきゃいけないとかっていうのを、
若い元気なうちから考え続けないと、
自分が歳を重ねたときに急に考えても間に合わない。
伊藤
そうですよね。
堀部
三世代でおばあちゃんやおじいちゃんと
一緒に暮らしてる子供は、
年老いたらどういうふうな動きになるとかっていうのを、
無意識に観察してるんですよ。
伊藤
たしかに!
堀部
そういう子は、建築の設計がうまくなると思います。
特に住宅の設計が。
伊藤
たしかにおばあちゃん、ちょっと前だったら
階段スタスタ上ってたのに、
今はちょっとつらそうだなとか、
口に出さないまでも、見て、理解しているわけですもんね。
堀部
僕も大学で教えてるんですけど、
学生の資質として、なんとなくわかりますね。
この子は年老いた人と、
あるいは赤ちゃんと一緒に暮らしたことがない人だな、
ということが。
生身の人間のイメージができない。
伊藤
お話の「動物」の部分ですけれど、
先日、長野から知人の陶芸家の女性が
個展で東京にいらしてて、その期間、
「1日も土を踏んでない」とおっしゃってて。
そんなこと、私、考えていなかったなと思いました。
それこそ動物じゃなくなってると、
結構ハッとした出来事でした。
でも、私‥‥東京はやっぱり好きなんです。
堀部
そうなんです! 
僕もどうしようもない現代人で、
今から土まみれの自然回帰ができるかと言ったら、
できないです。冷暖房が効いたところも好きだし。
伊藤
私もです。
堀部
それで不快になるわけでもないし、
でも自然もいいなと思うし。
われわれの世代って、そうやって共存して
生きていかないといけないと思うんですよ。
伊藤
そうですよね。
堀部
極端に進むことは難しいんじゃないかなと思います。
でも選択肢は色々ある。もう無限に。
ナチュラル志向の生活もできるかもしれないし、
都会的な現代的な生活もできるかもしれないけど、
それらをミックスすることもできるし、
そういう特権があるのが、今、世に生きてる、
僕らの世代だと思うんですよね、
その特権を生かしていくのが、はたして、
貧しいことなのか豊かなことなのか、
その辺をすごい考えているんですけどね。
伊藤
どうなんでしょうか‥‥。
堀部
選択肢が色々あるというのは豊かとも言えるけど、
でもなんかほんとうに大事なものは、
抜け落ちちゃってるというか、
いいとこ取りをして終わっていくというか、
そんな気もするんです。
伊藤
でも付き合っていかないとしょうがないですよね。
この時代とこの自分の周りの環境に。
堀部
暮らせないですもんね。
伊藤
仕事もやっぱりここじゃないとできないし。
それはなかなかの課題ですね。
堀部
課題ですね。
ある著名なカメラマンは、
世界中のいろんな海を潜ってきたんですけど、
「敢えていちばん美しい海はどこですか」
という質問に対して、
「東京湾だ」って言うんですよ。
何で東京湾が美しいかというと、
他の美しい海のようなサンゴ礁はないので、
海底に落ちてるタイヤとか、
そういう人工物の残骸をうまく利用して
魚たちが暮らしてるんですって。
伊藤
へえーー!
堀部
美しい、ありのままの自然に囲まれた
純粋培養された魚というのは、
美しいといえば美しいんだけど、東京湾と比べると、
なんだか生命力がない風に見えるんだそうです。
何か不足している状態で
工夫をして生きている動物に、
すごく生命力の美しさを感じる、
と、そういうふうに話されていました。
われわれ、まさにそういうことですよね。
伊藤
ほんとですね。
堀部
だから、そういう美しさは
表現できるのかなと思っているんですけど。
伊藤
(拍手)
堀部
やっていくしかない。その辺折り合いをつけて
バランスをとり続けながら。
そこから人間の英知みたいなものが、
ひょっとしたら築かれていくかもしれない。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[4]

家で気になる箇所の一つにあるのが
窓枠です。
さてこのN邸は‥‥
わくわくしながら見てみると、
おや? 枠が目立たない作りになっている。

「窓は既製品を使っていますが、
アルミサッシが見えないように
工夫をしています」

写真を見ていただくとわかるように、
サッシがほどよく隠れてる。

既製品を上手に取り入れつつ、
感じよくする。
家のそこかしこに、
「うーむ」と思う工夫が潜んでいるのです。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


負の心身を受け入れる。

未分類

伊藤
堀部さんの住宅建築への考えは、
もしかしたら生まれ育った環境が
影響しているんでしょうか。
なんだかそんな気がするんです。
堀部
はい。大きなお寺の横で育ったので、
それはすごく大きかったと思います。
横浜・鶴見の總持寺という、
曹洞宗の大本山です。
伊藤
なるほど、お寺や神社って、
漂う空気が違いますものね。
堀部
違いますね。
当時はそんなにお寺っていうものが自分に役に立つとか、
人間を形成するなんて思いは、ありませんでした。
もっともっとあたりまえで、本当に大きな空気なので。
でもやっぱりそこで長年遊んだり、通ったり、
その気配に触れてたりしたことは、今振り返ってみると、
「ああ、こういう環境だったから、
自分の建築への考えが形成されてきたんだ」
って思いますね。
風雪に耐えてきたものには敵わない、というか。
伊藤
なるほど。もう、それこそ何百年とか。
堀部
そうですね。何百年です。
伊藤
それが土台。
堀部
だと思います。
僕が大学の頃はバブル経済の最盛期だったので、
そのバブルの恩恵を授かる人もいましたけど、
僕はこのような短いスパンの豊かさは、
とてもはかないと思っていました。
伊藤
そういう考えは地に足のついた感じがありますね。
堀部
よく言えば、そうかもしれません。
当時は、何でみんな気づかないんだろう、
こんなバカなことが続くわけないのにって思ってました。
いずれ、そのしっぺ返しが来るぞと。
伊藤
そうですよね。
そんな堀部さんが住宅をつくる魅力って何ですか。
人の暮らしって色々ありますが、
部屋を買うとか家を建てるというのは、
それこそみんなたぶん一生に1回あるかないか。
2回とか3回の方もいると思いますけれど‥‥。
堀部
そうですね。
住宅とそれ以外の建造物、
住宅が、市役所とかオフィス、
美術館や図書館などと大きく違うのは、
「負の心身も受け入れなければいけない」ということです。
伊藤
負の心身?
堀部
例えば病気になったり、
将来に希望を見出せなくなったり。
伊藤
そっか。ケガをしてしまったり、
退院して自宅療養ということもありますね。
たしかに人生には、
元気なときもあれば、
元気じゃないときもあります。
堀部
家というのは、その両方の心身の状況を
おおらかに寛容に包み込まないといけない。
それはオフィスビルや商業施設には
求められないものなんですよ。
風邪のときは、行かないですからね。
伊藤
そうですね(笑)。
堀部
家は、物理的には小さなものなんですけど、
そこに込めなければいけない想いとか、
対応しなきゃいけないことが、
かなり高い密度であるんです。
だから、怖いですよ、すごく。
クライアントが家を建てたい、というときって、
そもそも、元気な状態ですよね。
伊藤
そうですよね。
堀部
たいてい、若くて、希望に燃えてるし、
お金も目処が立つから建てるわけですよね。
僕はクライアントからいろんな要望を聞くんだけれど、
その要望は、家づくりにおいて、
半分以下の情報量だと思っているんです。
なぜかというと、今はすごく元気でいいけど、
10年後どうなるかわからない。
20年後はひょっとしたら腰が悪くなって
2階に上がれないかもしれない。
今は独立して住んでいるけれど、
実家の両親を引き取ることになるかもしれない。
子供はもちろん育っていく。
趣味嗜好も変わるかもしれない。
そんなふうに、今リアルタイムで会話している
情報以外のことを、
シミュレーションし続けなきゃいけないんです。
伊藤
その家に住む人の人生を
丸ごと受け入れるみたいな感じですね。
堀部
そうですね。それをできる限りイメージします。
妄想というか。
伊藤
施主の言うことを100%だと思うと、
10年後、20年後、30年後、
困ってしまうかもしれないわけですね。
堀部
そうなんですよ。
だいたい10年単位で大きな変化があるんです。
これはもう不思議なんですけど、10年後、
何の大きな動きもない、家族の変化もない、
心身の変化もない、勤務先の変化もない、
みたいなことは、まずないわけです。
伊藤
施主の方がこうしたいああしたいということを、
丸ごと受け入れるのではなく、
そういった背景を確認しながら提案をされる。
堀部
そうですね。ひとつ何かお話があったら、
それをバックアップする何かを
他のことと照らし合わせながら聞いている、
という感じです。
例えば「1階で寝るのはちょっと不安があるので
ベッドルームは2階につくってください」と
クライアントが言ったとします。
僕は、それはそれで大事な要望だと思うので、
「2階にベッドルームですね」と受け入れます。
けれども、歳を重ねたときに、
本当に2階に上がることができるのかとか、
あるいは今は夫婦で同じ寝室かもしれないけど、
風邪をひいたときには分かれなきゃいけないよねとか、
そういうこともイメージします。なので、
「わかりました。2階にベッドルームを設けますが、
1階のこの部屋も、将来的にはベッドルームにも
なるように設計しましょう」という提案をします。
伊藤
そうなんですね。
堀部
連鎖して、10年後20年後30年後のイメージを
膨らませていく。ほんとにわからないですから。
伊藤
ほんとですね。
堀部
よく住宅は特定の人を相手にする設計で、
図書館や美術館、市役所は不特定多数向けと言いますけど、
実は住宅の方が不特定多数なのかもしれないです。
伊藤
ほんとですね。1人でも年老いたりとか、
病気になったりするんですものね。
堀部
そうですね。必ず変化します。
それを受け入れる設計は、本当に難しいです。
そういう寛容な居場所の在り方は、
考えても考えても終わりがなくて、
難しいと感じるいっぽうで、
それが楽しいんだと思うんですよね。
だからライフワークとして住宅を中心としながら
建築の仕事をやり続けられているんだと思います。
生身を考え続けられるというか。
伊藤
家を建てて、そこに住む人がいるわけですもんね。
一緒に歳を重ねていく。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[3]

リビングに一歩入って感じたのは、
「加減のよさ」でした。
堀部さんの建築なのに、
堀部さんを感じない。
ちゃーんと「住む人の家」になっていて、
なんだかとっても居心地がいいのです。

私たちが訪れたのは晴れた日の午後2時すぎ。
ちょうど冬の光がやさしく入り込み、
部屋全体がおだやかな空気に包まれていました。

壁は‥‥? と触ると、

「すべて漆喰です。
左官屋さんがとても優秀なんですよ」と堀部さん。
建てて8年経つけれど、
ひび割れも起きていないんですって。

その「優秀」という左官屋さんも、
長いおつきあいとか。

ランドスケープデザイナーに左官屋さん。
きっともっとたくさんの人の手がくわわって、
ひとつの家ができあがっているのだなと思うと、
初めて来た家なのに、
なぜだか急に愛着が湧いてくるのでした。
(そしてこの時、やっぱりお願いするなら
堀部さんに、と心に誓ったのでした。)

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


動物の暮らす都市。

未分類

伊藤
いま、渋谷に用事があって行くと、
どんどん新しいビルができているのを見ます。
それも高層建築の。
地震の多い国で大丈夫なの、
こんなどんどん上に上にって思うんです。
たぶんそこで働く人も大変なんじゃないかなと思う。
風も感じられないし。
堀部
知らず知らずのうちに
心身に相当負担がかかっていると思いますよ。
伊藤
でもそれに気づかないんですかね。
堀部
たぶんそれは経済の話もそうで、
日本はお金があった。
経済的にも豊かだった。
そういうときっていうのは、
それが当たり前で、
お金があるということを前提にして
まちづくり、建築計画をしていっちゃうんですよね。
でもいずれお金はなくなるじゃないですか。
今もそうだけど、経済は落ち込んだりする。
そしてお金がなくなって元気がなくなったとき、
その心身に対応できる居場所がなくなっている、
ということになっていくと思うんですよ。
伊藤
じゃあ、そのどんどん上に建ててる人たちは
きっと元気があるんですね。
堀部
はい。お金があるとか、元気があるとか、
そういう人たちはそういうところでも
生きていけるような気がします。
伊藤
でもかつてお金があって元気があった人たちも、
年を取っていくじゃないですか。
はた! と今気づいてるときなんでしょうか。
堀部
気づき始めてるんじゃないでしょうか。
伊藤
気づき始めたからこそ、できた商業施設とか、
建築、家は増えているんですか。
堀部
増えているとは思いますね。
伊藤
でも川をつくったりとか、
木を植えたりとか、
そういうことではないでしょう?
堀部
これはある経済学者から聞いたんですけれど、
日本の今までの長所って、
治安がよくて、蛇口をひねれば水も飲める。
けれども、そういう安全で水も美味しい国で居続けると、
GDP(国内総生産)が伸びないんですって。
伊藤
へえー!
堀部
だから安全ではなくなって、人の不安が増大して、
水も蛇口から飲めず、監視カメラが増えて、
保険に入る種類も増えて、と、
そんなふうに世の中が不安になればなるほど、
「こういうことをやれば安心ですよ」
という商売が出てくる。
セキュリティのこととか、
警備とか保険とかミネラルウォーターとか。
つまり、安全を脅かしてまでも、
経済成長をしようとしているわけです。
そっちの方が国が繁栄してるということの、
わかりやすい指標なんですね。
でも本当の豊かさや財産ってそうじゃない。
別にGDPが伸びなくたって、
安全の方がいいに決まってる。
伊藤
穏やかに暮らしたいですよね。
堀部
その辺の物差しを、
ここ数十年履き違えちゃっていると思うんです。
やっぱりちょっと経済優先になっている。
みんな、使い捨てられるものを
一所懸命つくっている。
使い捨てて、またある別の価値が生まれ、
またそれも使い捨てて。
そういう原理で経済が動いている。
伊藤
はたと気づく人もいるわけですよね。
堀部
少数派ですけれどね。
伊藤
あんまり声が大きくないから
届かないし、響かない?
堀部
そうですね。届かない。
伊藤
でも、動物じゃないですか、人間も。
なのに動物っぽさを忘れてるような気がするんです。
堀部
ほんとにそうなんですよ。
生身の動物であるという感覚が
抜け落ちちゃってるんですよね。
伊藤
すごくそう思います。
堀部
生身の肉体とか自分の心身の状況みたいなものを
わかってい続ければ、
意外とやれることの種類って少ないんですよね。
生身を考えないからこそ、亜熱帯地域に
ガラス張りの超高層ビルを建てちゃうわけです。
いろんな表現が可能になっていってしまう。
けれども、生身ということをちゃんとわかっていれば、
それに対応できるハードウェアが
どうあるべきかということは、自ずと見えてくる。
例えば椅子にしても、
古今東西そんなにバリエーションはありません。
足が5本あるとか2本とか、
すっごく大きな椅子というのはないですよね。
それは生身の肉体を考えてるからだと思うんですよ。
それと同じように、住宅や建築も、
生身を考えればそこまでのバリエーションは
ないような気がするんです。
伊藤
堀部さんは住宅が基本ですよね。
住宅の建築家になろうと思った
きっかけって何だったんですか。
かっこいい俺の作品を残してやろうみたいな、
そういうのは最初からなかったのかなって。
堀部
そういう面ももちろん持っています。
でもそうでない面もあります。
というのは、古い建築が好きだったんですよ。
リアルタイムに、今の時代に求められることとか、
そういうことで自分の表現をするってことは、
苦手なタイプだったのかもしれません。
むしろ、風雪に耐えて生き残ってきている建築って
どういう特徴があるんだろうとか、
どういうつくりだから人に愛されて残り続けてきてるのか、
ということを考えて、
それをバトンタッチしていくことに興味があったんです。
自分はそれを引き受けて、
次の世代にどうバトンタッチするかみたいな役割だったら、
この仕事、できるなと思ったんですよ。
かっこよく言えば。
伊藤
私が初めて見た20年前、
堀部さんはたぶん30ちょっとですよね。
堀部
そうですね。30ぐらいですね。
伊藤
その若さで、バトンタッチということを考えていた。
しかもその頃からそんなに作風が変わっていない。
堀部
試行錯誤してますが、
結果的にそう見られるのは、うれしいです。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[2]

おだやかで地に足のついた家。

今回おじゃまして私が思ったのは、
そんなイメージでした。
都市にいながらも自然を感じる、
それは私が今、一番欲しい暮らしの姿なのかも。

さて、
施主のNさんは、堀部さんに
どんなリクエストをしたのでしょう? 
なんといっても「家を建てる」って
一世一代とも言える大仕事なのですから!

「堀部さんには、土地選びから設計まで
“すべて”と言っていいほど、お世話になりました。
私からリクエストしたのは、
大きなオーブンを入れたいということ、
屋根があって仕舞える自転車置き場をつくりたいこと、
駐車場が欲しいこと、でした」
とNさん。

あっけないほど「おまかせ」なのでした。

仕上がりは? 
「大満足」なんですって! 

施主と建築家のいい関係。
理想的だなぁ。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


土に還る。

未分類

伊藤
はじめまして、堀部さん。
スタイリストの伊藤と申します。
もし自分が将来家をつくるなら
堀部さんにお願いしたいと、
ずいぶん前から思っているんですよ。
堀部
恐れ入ります。
伊藤
20年ほど前、
雑誌で堀部さんの建築を見たのがきっかけでした。
そこで紹介された家の寝室がとても素敵だったんです。
窓は小さくとられていて、外は木の緑だけ。
かねてから寝る部屋はそんなに明るくなくていいのでは
と思っていた私は「これだ!」と膝を叩いたんです。
堀部さんがつくられるのは
戸建て住宅だけなのかなと思っていたのですが、
新潮社から出された『住まいの基本を考える』で、
マンションの部屋の
リノベーションもされてるんだと知りました。
堀部
はい、手がけています。
伊藤
セキュリティや管理のことも考えると、
おそらく私、一軒家は持たないと思うんです。
それだったら古くても感じのいい集合住宅を
リノベーションして住みたいなと思っています。
これまでも、いまも賃貸住宅ですが、
引っ越すたび、原状復帰を条件に
自分で手を入れてきました。
リビングに壁をつくって、その向こうを食器棚にしたり、
ベッドの裏にストック場所をつくったり。
そういうことを考えるのが大好きなんですが、
やっぱり最終的に、
まとまった、美しい部屋に住みたくて。
その気持ちがこのごろすこし強くなっています。
堀部
ええ。
伊藤
何故そんなふうに思い始めたかというと、
いま娘が20歳で、おそらく5年くらいのうちに、
独立をすると思うんですね。
そうすると私は50台半ばで、ひとり暮らしになる。
そんなことを思っていたら、
「終の住み処」ということを考えるようになりました。
一世一代じゃないですか、家を買うのって。
そのときに悔いの残らないような家に住みたいなって。
堀部
(じっと聞き入る)
伊藤
一般的に住まいって
「あるものをそのまま買う」ことが多いですよね。
でもファッションだったら好みがはっきりしていて、
ちゃんと選ぼうと考えるのに、
住まいだと「そこに収まらなくちゃ」と思う。
私みたいに賃貸住宅を改装する方は少ないだろうけれど、
人それぞれが、自分の住まいを考えるようになったら
いいんじゃないかな、と思っているんです。
「自分の居場所をつくる」という話ですね。
堀部
今、うちの父親が80ちょっと手前なんですけどね。
すごく調子が悪いんですよ。
当初、原因がわからなくてね。
それで僕は考えたんですが、
父は高層マンションの7階に住んでいて、
そういう環境が、
心身にも結構ダメージを与えてるんじゃないかなと。
もうちょっと自然が身近にあるとか、
あるいは地べたに近いとかだったら、
この不調は起こらなかったんじゃないかと。
伊藤
はい。
堀部
やっぱり人間って最期は土に還っていくじゃないですか。
帰還の還ですよね。
人は自然の一部なので、最期はそういうところに還る。
綺麗事ではなくてね。
では還ってゆく人が、どういう環境がふさわしいのか、
どういう住まいで、どういう場所がふさわしいのか。
ここのところ、ずっとそのことを、考えているんですよ。
伊藤
お父様はその前は一軒家に住まわれていらしたんですか?
堀部
そうです。徳島の田舎で育った人なので、
ずっと土とか海とか川とか、
そういうものと触れ合ってきた人なんです。
伊藤
高層の7階に住むきっかけは、
やっぱり便利さゆえに?
堀部
最初は、仕事で東京に単身赴任で来たんです。
単身赴任者が東京で暮らすとなると、
伊藤さんがおっしゃるように、
マンションしか選択肢がなかった。
それからずっとマンション暮らしが続いてるんです。
でも、たぶん、合わないんじゃないかなと。
「だったら」と、父のための場所を考え始めたんです。
伊藤
ええ。
堀部
そのことは、父のためだけではなくて、
もっと多くの方々のための居場所とか、
そういうものを考えることにつながってきているんですよ。
奇しくも僕の友人の建築家に赤ちゃんが生まれ、
その赤ちゃんのためのふさわしい空間を考えていると。
その空間の話を聞いたら、
赤ちゃんのための空間って、
年老いた人のための空間と近いんですよ。
伊藤
例えばそれはどういうことなんですか。
堀部
もうほんとうにわかりやすい話でいくと、素材。
年老いた人も赤ちゃんも、化学的な素材は
まず合わないな、と思いますよね。
石油化学的な建材のなかで赤ちゃんがハイハイしてるって。
すぐ何でも口に入れるわけだから。
伊藤
心配ですよね。
堀部
そして、温熱環境。
例えば、冬、すっごく寒いところに居続けると、
赤ちゃんにも老人にも厳しいじゃないですか。
あとは換気。どれだけ綺麗な空気の中にいるか。
‥‥という具合に、年老いて弱っている人と、
これから成長していく赤ちゃんというのは、
奇しくも同じ環境を欲しているんです。
家の中に長い時間いる、ということも共通しているので。
伊藤
なるほど。
赤ちゃんも老人も弱い存在ですよね。
弱いと共に不機嫌なら不機嫌ってすぐ顔に出しそうな、
つまり自分に正直な気がします。
そして身体にも影響していきますね。
堀部
じゃあ、その環境のどういうことを大切にして、
どういうことを具現化していくかを考えるのが、
住まいとか建築の本質を
考えていくことになると思うんです。
建築というと、今まで、
20代を中心とした、人の壮年期、元気があるときに、
こんな建築は凄いぞという風潮、
作品主義的なものがあったと思うんですよね。
なぜかっていうと、元気なときって、
何でもできるじゃないですか。
どんな素材も受け入れられるし、
それこそカラオケボックスとか
ネットカフェみたいなところでも楽しく過ごせる。
何故それでいられるかというと、
エネルギーがあるからですよね。
でもそれは長く続かないし、
その「元気なとき」を基準に
家も建築も街もつくられていってしまうと、
どんどん何かが落ちていく。
いろんな人の心身に対応できない街、
建築になっていってしまう気がするんですよ。
伊藤
たしかに元気のあるときって、
かっこいいからここに住みたいとか、
そういう想いが先になってしまうんですけど、
そうじゃなくて、先ほどおっしゃった
「還る場所」。
私も、きっと、それが欲しくなる年齢なんですね。
堀部
そうだと思います。
若い頃は、あんなホテルもいい、あんな国もいい、
家もいいけど別荘もいい、みたいに、
自分の居場所が幾つも持てると思うんですよ。
それはそれで楽しいことだと思うけれど、
自分にとって適している環境というのは、
だんだんひとつに収束していくような気がするんです。
伊藤
そうですよね。

(つづきます)


堀部安嗣さん設計の
「善福寺の家」(N邸)[1]

住宅地の細長い敷地に建った
コンパクトでかわいらしい家。

施主のNさんはご夫婦とお子さんひとりの
3人家族。
奥さまは堀部さんの大学の教え子だったんですって!

さて玄関へ‥‥と思うと、あれ? 奥まっている。
玄関が表に面している家をよく見かけるけれど、
こうすると入るまでに一呼吸あって、
なんだかいい感じです。

「ちょっと奥ゆかしい感じがして楽しいでしょう?」
と堀部さん。

建って8年というけれど、
緑が家に馴染んでいて、とてもいい感じ。

「ランドスケープデザイナーと組んで、
緑を生かしながらつくりました。
常緑樹を植えているので、
1年を通して野趣あふれる印象になるんですよ」

ランドスケープデザイナーさんは、
よく組まれる方なのでしょうかと尋ねると、
「じつは姉なんです」とのこと! 
堀部さんの家のことをわかってくれているから、
仕事がとてもしやすいんですって。
家と庭の一体感の秘密は、
きっとこんなところにもあるのかも。

(伊藤まさこ)


堀部安嗣さんの著書
『住まいの基本を考える』
(新潮社)2,640円(税込)


●新潮社のサイト
●Amazon

この対談のきっかけのひとつにもなった
堀部さんの著作です。
情緒と機能性をあわせもつ、普遍的な住まいのかたちを、
堀部さんの近作8軒の写真や手描き図面とともに
解説する本です。

「住まいは食や衣と同じく、人の心身に大きく作用する
とても重要なものです。また風土や環境や地域の文化と
密接につながっていなければならないものだと思います。
この本に示した私の考えや作品は、
あくまでも近年の私自身の試行錯誤の結果であり、
一般解、標準解を目的にしたものではありません。
一人一人が住まいという樹木の太い根幹を考え、
それぞれの地域、環境、暮らしの中に
豊かで多様な枝葉が茂ってゆく
一つのきっかけになる本になればと願っています。」

(「はじめに」より)


私は私として。

未分類

伊藤
よく聞いた話は、お母さま、
「ちいさな仕事のギャラはいらない」って
おっしゃっていたとか。
内田
そうですね。自分で請求書を書かなきゃいけないのが
めんどくさいっていうのと、
少額の出演料しか出せないくらい
相手はやり繰りしながら制作してるんだ
というシンパシーもあって、
そういう事情ならいらないって言ってましたね。
伊藤
おつきあいも最小限だったとか。
内田
そうなんです。いっさい受け取らない。
それについては恐ろしい経験を何度もしていて。
みんな、ものをあげるって、
コミュニケーションのひとつじゃないですか。
その人を思ってこれをあげる、って。
おすそわけもそうだし、
人それぞれのコミュニケーションの
取り方の一つとしてものを贈るわけですよね。
ところが母はものすごくそういう部分が潔癖で、
「人はなにもなくてもつながりたければつながるし、
またそれでくり返しになるのも面倒だし、
もう、いっさいなし」って若いときに決めて。
ものでつながってるっていうことを拒否していたんです。
それでも贈ってくる人には、
カレンダーの裏に大きな文字で「いらない」と書いて、
貼って、また送り返すんです。
伊藤
‥‥おもしろいです。
内田
こうやって和やかなムードで
「これちょっとお持ちしたの」という人がいても、
「あ、そういうの、いっさいいらないから持って帰って」
って。「いや、でも‥‥」って一悶着。
向こうも顔が引きつってくる。
私は子どものとき、それをずっと見てて、
「なんて辛い、このシーン」っていうふうに思って、
胃がチクチクして。
なんで母は、こういう人のささやかな思いまでも
無下にするんだっていう、怒りを感じて。
伊藤
娘という立場だから、
ちょっと居たたまれなくなったり、
「なんで」って思うでしょうけれども、
こうして聞いてるとすごく潔いし、
今なぜ本が売れてるかというと、
そんな人、いないからですよ。
そんなふうに、自分の芯があるって。
内田
うん、本人も言ってました。
「これね、あなたね、もらっちゃったほうが、
私、どれだけ楽かわかる?」って。相手に。
すると相手も、もう、身動きが取れない。
伊藤
言い方がすごく上手。
内田
もう、持って帰るしかない。
だから、舞台をやっても花はいっさい受け取らない。
伊藤
也哉子さんにも、
「あなたもそうしなさい」ってことはなかったですか。
「もらいものはするんじゃありません」とか?
内田
うーん。私が小さいときは、
お年玉を返しに行かされました。
伊藤
ええーっ。
内田
「お年玉ってのは、玉なのよ」って言うの。相手に。
それでも「芸能人の子だから」って思うのか、
たまに何万円とか入れる人がいるんですよ。
そういう、玉じゃないお金は、全部返す。
「人んちの子にどういう教育をしてるんだ」
とまで付け加えて。
だから、もうね、怖くて怖くて。
伊藤
私が也哉子さんから受ける地に足のついた感じって、
やっぱそういう経験が‥‥。
内田
うん、でも、私はそういう極端な両親、
いい加減で破天荒な父と、
ものすごくロジカルで自分の決めたことは突き通す、
ある意味、強さでは似てるんだけど、出方が違う、
そういう人たちの間に生まれて、
中庸をつねに願うというか、
「この状況のバランスはここだろうか」って、
すっごくビクビクして育ってるんです。
だからけっして肝は据わってないし、
もちろんきっと、修羅場を見てきた回数は
平和な暮らしをしてる人よりは多かったかもしれないから、
その分その「ワッ」てびっくりするタイミングは
緩和されてるかもしれないけれど。
ただそれだけで、心の中ではつねにバランスをとってます。
とっても面倒です、自分の性格が。
伊藤
やっぱり、わからないものですね、お会いしてみるまで。
私がいいお母さんみたいなイメージを持たれていたのと
同じことですよね。
内田
「みたいな」って、そうですよ。
こんなお母さんがいたらうらやましいですよ。
伊藤
「飽きない」とは言われますけれど。
「ママ、ほんと飽きないよね」って言ってました。
内田
それ、最高の賛辞です。飽きないって。
伊藤
え、でもお母さんだし、
飽きるとか飽きないとか言われても‥‥。
内田
そういう、選べる存在じゃないですものね。
伊藤
まあでも、うちの娘も娘で、
いろいろたぶんバランス取っていると思います。
そんな気がします。
内田
でも、やっぱりいちばんの、
子どもからしてうっとうしくない親っていうのは、
自分自身が人生で楽しいこと、
おもしろいことを持ってる人だと思います。
自分のテリトリーというか、
それはべつに仕事じゃなくても、趣味でもなんでも。
「あなたのために生きてる」っていうことではなくて、
「もちろんあなたの面倒は見るよ。愛してるよ。
でも、私は私として生まれてきて、
この人生を自分なりにおもしろがって生きている」
っていうことが見える、あるいは気配で感じるっていう
お母さんがいちばん理想的だっていうような話を、
その不登校の話のときにしたことがあります。
だから、もし、子どもが追いつめられて、
思い詰めていっちゃったときには、
お母さんは自分の好きなことをしたほうが
いいんですって。
家にいて「どう?」って聞いてないで、
出かけちゃったっていいし。
「こんなに人生って楽しめるんだよ」っていう姿、
気配を見せることで、少しずつ「あれ?」って、
開いていくっていうか、「そんなのもありか」っていう。
心がとけていくじゃないけど、
伊藤さんは、まさにそれをされてきたんだなと思って。
伊藤
私、好きにしてるだけですけどね(笑)。
以前も「もしママにボーイフレンドができても、
ママの自由だからかまわないけれど、
私と無理やり仲良くさせようと
思わないでね? どうしたいかは、私の自由だから」って。
内田
いまそれを聞いただけでも、
いろんな人間関係、人と人との距離感の取り方を、
自然と教えてあげてきたっていう、
そういう豊かさがきっとあるんだなって思いますよ。
やっぱり、常識じゃなくて、
親でも子どもでも、自分のなかの着地点っていうか、
「これが人の道」じゃないけど、
自分のなかの経験から出てきた答えが
いちばん強いだろうから。
その人がその人の人生をちゃんと生きてきたかどうか、
なんでしょうね。
伊藤
ほんと、そうですよね。
内田
伊藤さんもそうだし。だから、
ロールモデルはないんですよね、結局は。
「こうでなきゃ」っていうのもないし。
普通は、一つの決まりきった定型があって、
そこにはめよう、はめようとしますよね。
もちろん社会だから、みんなでおんなじルールは
共有しなきゃいけないんだけれども、
人としてのいろんな判断っていうのは、
ほんとそれぞれでいいわけだから。
伊藤
よくCMを見てて思うのが、
お父さんとお母さんがいて、2つぐらい年の違う
男の子と女の子がいる4人家族っていうのが、
「幸せのかたち」として出てくること。
仲が良さそうで、お父さんは優しそうで、っていう。
それがロールモデルなんでしょうね。
内田
ほんとう。女の子がいると、
そういう話ができていいですよね。
男の子は、ガールフレンドができると、
お母さん、いなかったことにされちゃいます。
伊藤
そうなんだ!
内田
それこそ結婚しちゃったら、
奥さんのほうの家族と仲良くなるだろうし。
だから、母親としては、娘がいるっていうのは
とても心強いし、いつまでも対話ができるだろうし。
もちろん確執のある母娘もいるから、
一概には言えないかもしれないけれど。
伊藤
うん。そうですね。確かにね。
‥‥あら、もう2時間も話していたんですね。
すっかり長くなってしまって。
いつまでも話していられそう。
内田
ぜひまたお話ししたいです。
ありがとうございました。
伊藤
ところで、そのペンダント、気になっていたんです。
内田
長女が、小学生のときにつくってくれたんですよ。
伊藤
かわいい。
内田
装飾品とかほとんど持ってないんですけど、
今、ニューヨークで失恋してるから、
思い出してあげようと。
私は最初のボーイフレンドが旦那さんで、
恋愛経験がゼロなので、
娘がそういうふうに「今、あの子が好きで」とか、
「おつきあいしてるよ」とかって言うので、
「えーっ!」って。すごく新鮮な情報なんです。
伊藤
それこそ「ロールモデルなんて、ない」の例ですね。
内田
ない! 
母はどうだったんだろう、
若いころ、いろんな人とつきあったのかな? 
でも、「相手を変えてもおんなじよ」って、
ずっと言ってたんですよ。
どうなんでしょう、恋愛って、
相手が変わると変わるものですか? 
それとも、一緒?
伊藤
それはね‥‥。
内田
ハイ。
伊藤
相手が変わると、変わります。
内田
ええっ、変わる?!
伊藤
若い頃の恋愛はとくに、
クルマと同じかもしれないですよ。
オープンカーが好きで、
すごく楽しいなと乗ってたのに、
壊れやすいわ、夏は暑いわ、
次に乗る車は質実剛健なセダンにしようと思って、
それにするでしょう? 
そうすると、全然おもしろみないじゃん、みたいな。
で、またオープンカーにしちゃうんですよ。
内田
おもしろい!
伊藤
それのくり返しです。
内田
でも、それは散々、オープンカーも乗りこなして、
そのアドベンチャーやスリルも、
「だいたい、こんなもんだな」って体験しつくせたから、
「もう、私は」っていうことなのかもしれないし。
伊藤
そっか! ふふふ。
内田
(笑)

なるようにしかならない。

未分類

伊藤
で、いちかばちかで娘を産んだんですけど、
3歳ぐらいまでは、ずっとぼーっとしてましたね。
「ああ、赤ちゃん育てるのってこんなに大変なんだ」って。
手間がかかるし、全然自分の思いどおりにならないし。
「全部自分の時間だったのに‥‥、はあー!」
内田
そうですよね。
伊藤
それを若いお母さんでもある仕事仲間に言ったら、
「それ、伊藤さん、声を大にして言ってください」って。
私を見てると、全部楽しそうで、なんにも不安もなく、
「キーッ」てなることもなく見えると。
そんなことないですよ。
内田
私もそんな勝手なイメージです。
もう、お母さんというイメージを見事に体現されてて。
伊藤
そっかな?
内田
正しいとかきちっとしてるって意味じゃなくて、
そういう心の交流もきっとできるだろうし、
おいしいごはんも食べさせてくれるだろうし、
すてきなお洋服も作ってくれるだろうし、
もしつまずいても「いいよ、いいよ」って言って、
強く子どもにプレッシャーをかけることもしないだろうし。
なんか、とってもバランスのいい印象でした。
伊藤
そこまで「キーッ」とかなったりすることは
なかったんだけれど、
自分の思いどおりにならないことが多すぎて。
内田
そりゃ、子どもだとね、多すぎますよね。
伊藤
こんな大変なことを‥‥。
内田
みんなやってるの?! って。
伊藤
そう。「それってすごくない?」って。
だから、お母さんとしての友だちができたとき、
同志! みたいな感じがしました。
「一緒に乗り切ろう?」みたいな。
とくに保育園だったから、
お母さんはみんな働いてましたし。
内田
心地よかったですか? ママ友は。
伊藤
そうじゃない人は、目に入らないようにして。
内田
いるんですね、それは。人間だから。
人間界のどこでもいるように。
伊藤
やっぱりね、いろんな人がいる。
内田
伊藤さんはいろんなことを
けっして負にはとらえないところがありますよね。
伊藤
そうですね。むしろ「ルン!」みたいな。
内田
ときめいて? それが伊藤まさこパワー。
娘さんのことは、
もう、生まれたときから好きでしたか。
自分の子だけど、自分とは別な存在として、
いいなって思えるようになったのは、年々?
伊藤
うーん、3歳ぐらいまでは
育てるのが必死すぎたから‥‥。
内田
そのあと、コミュニケーションが取れるように
なってきてから、「この子、いいな」みたいな?
伊藤
そうですね。4歳ぐらいかな。
そこからは「おもしろいな」って見てます。
出産や子育てもそうですが、
人生において、
大変なことが起こると、
どうやら私は
しばらくぼーっとするタイプのようです。
父親が亡くなったときも、泣き叫ぶとかじゃなくて、
「えー‥‥?」というような。
今でもそれが続いてるんですよ。
受け入れられないのかどうか、
よくわからないんですけど‥‥。
内田
衝撃がやっぱりおっきすぎて‥‥。
伊藤
そのあと、母が父のものを片付けてるとき、
ぐっと来たり。
ちょっと変。ずれてるかもしれない。
内田
大変なときって、
いろんな決断を迫られるじゃないですか。
伊藤
そうですよね。
内田
そういうときは、とりあえず指示は出すんですか?
伊藤
うーん。
内田
私は最近、親が2人とも亡くなって、
一人娘だっていうのもあるけど、
いろんな決断を一気に迫られて。
伊藤
そうですよね。
内田
だから、ほとんど、
悲しめるひとときがなかった。忙しすぎて。
伊藤
確かに。うちの父が亡くなったときは、
急に病院にいろんな人が来て、
葬儀屋さんが「お寺はここで」と。
で、みんなぼーっとしてるもんだから、
「はい、はい」と言われるままにしていたら、
長女が急に我に返って、
「パパ、全然、信心深くなかったのに、
そんな知らないお寺でお葬式をあげるの、おかしくない?」
って。それで、みんな、「はっ!」となって。
内田
どうしたんですか、それで。
伊藤
「そうじゃん、そうじゃん」と。
父も入院したときに
「死んでも誰にも知らせないでいい」って言っていたので、
「じゃ、もう、家に連れて帰ろう」って。
長女が花を飾って、親しい人だけ呼んで、
シャンパン、おっきいのガンッて置いて、
思い出を話して、過ごしました。
内田
すてき。じゃあ、なんにも、宗教的な儀式はなく?
伊藤
いっさいなく。
お墓は、母が、地元で樹木葬のできるところを探して。
今行っても、丘に木があるだけです。
也哉子さんは、一人っ子だから、
確かにたいへんだったでしょう。
テレビでも、淡々としていらっしゃった。
内田
母が亡くなって1年経って、父はまだ半年ぐらいで、
いつ、その感情にのみ込まれる瞬間が来るんだろうって、
不謹慎だけど、ちょっとたのしみっていうか。
もっとパーソナルに抉(えぐ)られるものが
あるかと思ったら、そういう感じではなく、
ものすごいおっきななにかに頭を打たれて、
ぼーっとしてるような感じだったんです。
でも、やらなきゃいけないことは
次々とベルトコンベアみたいに来るから、
「じゃ、これはこれ」「これはあれ」って、
選んだり、遺品整理したり。
いろんなことが、まだ、「これでもか」って。
こんなに人ひとり、ましてやふたり死ぬっていうことは
面倒なことなんだなって。
伊藤
そうですよね。
内田
まあ、母はものすごく、
物理的には整理整頓をしていたし、
ましてやおんなじ家に、二世帯で住んでいたから、
べつに新たになにかっていうことはないけれども、
それでも人間関係はそんなに急に
プツッと切れるわけじゃないから、
いろんな人との交流も含めて、
することがたくさんあるんですね。
さらに、母のことをお仕事として話すとか
書くとかっていうことが、とても多くなっている。
それも、どこまでかなって今思っています。
最初は物理的に
「今ちょっと、それどころじゃないから」って
距離を置いていたけれども、
ぽつぽつと始めていくと、
わりともうひっきりなしに
そういうものばっかりになっちゃって。
うーん。それも、どうなんだろ? って。
伊藤
うーん。
内田
小さいときはすごく、
母の子である、父の子であるってことを隠してたんですね。
「お父さんとお母さん、どういう仕事してるの?」
って訊かれたら、サラリーマンです、主婦ですって
言ったりしてたのが、
旦那さんと結婚しちゃったら、
旦那さんも公っていうか、表に顔がさらされてる人だから、
結婚したらつねに、そういう人たちに囲まれることなので、
もう隠してることさえも無意味になって。
母はわりと自然体だったから、
私の写真もなんでも出していましたし、
今みたいに絶対に顔出しませんっていう
価値観もなかったし。
なんとなく、気がついたらこうなっていた、
っていう感じですね。
でも、すっごく嫌だった。
親がこういう仕事をしてるってこともそうだし、
両親が離婚の裁判をしているときも追いかけ回されたし。
伊藤
「隠したい」みたいな子ども時代から、
今はどういう感じですか?
内田
今は、受け入れるしかないっていう、受け身な感じです。
たとえば、母は生前、
「本はいっさい出さないでくれ」って言っていたんですね。
依頼がくると、「資源の無駄だし、
私の話すことはおもしろくもなんともないから、
本はつくりません」っていうふうに断ってるのを見てきた。
でも、自分でやってた事務所の留守番電話には、
もう一切合切の二次使用、
自分がどっかで出たものはどうぞご自由に、
って言ってたから‥‥。
伊藤
うんうん。
内田
亡くなってすぐに本の出版の依頼が来たときに、
「母は本を出さないと言ってたので」と言ったら、
「でも、二次使用OKっておっしゃってましたよね? 
これ、全部二次使用ですよ」って言われて。
「じゃ、どうしたらいいんだろう‥‥、
じゃ、もういいか」と。
でも極力、母が気にしてた資源無駄遣いはいやだから、
「最初はすごく少なく出してくださいね」っていう約束で。
そしたら、徐々に売れちゃって、
お葬式が終わって間もないぐらいのころに言われた
最初の本が、今年の日本の本のなかでの
ベストセラーになっちゃったって聞くと、
「まあ、なんか不思議な人生だな」と。
伊藤
ええ。
内田
受け身でいたからこういうふうになったわけで、
計画してこうなったわけじゃない。
これは、なるようにしかならない、受け入れるしかない。
結局「どうぞ」って言ってるうちに、
10冊ぐらい、いろんなジャンルの本が出て、
私にも聞かないで勝手に出てる本も何冊かあるし、
もう、肖像権もなにもないですよね。
伊藤
それって、なんだか、うーん?
内田
「まあ、いいか」と思うしかないです。

自由が嫌だった。

未分類

内田
不登校といえば、母が生前、2015年に、
不登校の子どもたちや
親に向けたシンポジウムに参加したことがあるんです。
伊藤
9月1日が、子どもの自殺が最多ということについて、
メッセージを送ってらっしゃった。
内田
そうなんです、9月1日。
昨年、2018年のその日は、母が入院中で、
まさしく死に向かっているなか、
今日は、ほとばしる未来がある子どもたちが、
学校でのいじめだったり、生きづらさだったりを理由に
自殺するっていうこの現実に
もうほんとに耐えられなくて、
涙を流しながら、
「死なないでね」っていうふうに言ったんですね。
それを受けて、
私もまったくそういうことを知らなかったし、
うちの子どもたちはそこまで学校行きたくないっていう
ふうになったことがなかったので、
そういうことが日本で大問題だっていうことさえも
知らなかった自分がとても恥ずかしかった。
伊藤
学校に行きたくないって言えない環境なのかな?
内田
不登校の子どもは、学校に戻れないということは、
社会にいつまで経っても戻れないのと同じだって、
想像を先に進めてしまって、
だからもう死ぬしかない、僕は死ぬしかないって‥‥。
「学校か、死か」っていうことになっちゃうんですね。
それはもちろん、一人ひとりに聞けてるわけじゃないから、
ざっくりしすぎなんですけど、どうやらそういうことだと。
しかも、いろんな先進国のなかでも
子どもの自殺率は、日本がかなりの上位なんですって。
じゃあ私たち大人が、
「学校に行かなくても全然生きる道はあるよ。
学校という機関に行かなくても
学びのチャンスはいくらでもあるよ」っていうことを、
当たり前のように提示してあげてないっていう現実が、
選択肢を狭めてるっていうか。
伊藤
うん、うん。
内田
もし急に自分の子どもが学校に行きたくないとなったときに、
伊藤さんのように半年間も、
「いいよ、いいよ」っていうふうにできるかって言ったら、
私はもしかしたらもっと早くに不安になって、
「こうしてみろ、ああしてみろ」って
言ってたかもしれないなっていうのは想像できる。
伊藤
私、ばかなのかも?
内田
えっ、そんなことないですよ!
伊藤
その時じつはちょっとうれしかったんです。
あの年頃の娘とずっと一緒にいれたのは、
今思うとすごくラッキーだった。
内田
財産ですよね。
伊藤
そう。
内田
不登校の子どもをカウンセリングする人と
対談したときには、
そういう期間って、人から見たら
ただ闇の中で閉じこもって
なにも動いていないって見えるかもしれないけど、
熟成の期間だと思うようにって。
発酵期間っていうか、
のちに自分がおいしくなるためにっていうと変だけど、
自分がもっといろんな豊かさを持てる、
あるいはいろんな選択肢を
自分のなかで膨らませられるための
熟成期間だっていうように、
家族も本人も思えるようにって。
だから、追い込まない。
いつ? どうする? とは、
絶対言わないっていうのが鉄則だ、みたいな。
そういう話を専門家から聞いたりすると、
伊藤さんはそういうことを知らず知らずのうちに
感覚的にやってらしたっていうことが、
ほんとにすてきだなって思いました。
伊藤
もともと私も学校が苦手なタイプだったんです。
内田
伊藤さんのご両親はどういう方でしたか。
子どもに対して。
伊藤
私はなんにも言われたことがないんです。
内田
勉強をしなさいもないし、
こういうことしちゃだめよもない?
伊藤
なんにも言われなかった。
口は出さないけどお金は出すという。
内田
でも、私もそうだったんですよ。
伊藤
うん、うん。
内田
だけど、それがすっごく嫌だったんですよ。
伊藤
へえ‥‥。
内田
そこがおもしろいなと思って。
「なんでもありだよ。なんでも自由にしなさい。
その代わり、責任は自分でとりなさい」っていう中で、
私はどこか、いつも
「これで大丈夫だろうか」っていう危機感を抱えてた。
伊藤
結局、自由ってそういうことなんですよね。
内田
だから、小さいときから、
自由なんてなに一つおもしろくないし、
もっと「こうしろ、ああしろ」って
言ってほしいと思ってました。
そしたら考えなくて済むじゃないですか。
考えるのに疲れてました。子どものときから。
伊藤
そうなんですね。
内田
だから、伊藤家の、
口は出さないけどもお金は出す、
つまりサポートしてくれるっていうことは、
いい親だったって思える。
その大らかさが羨ましいです。
伊藤
うん。すっごいうれしかったです。
‥‥、やっぱり私がばかなのかも?
内田
いやいやいやいや。
それは生命力が真っ当っていうことですよ。
ちゃんと、与えられた環境を、
おもしろがりながら生きてこられた。
じゃあ、反抗期もなく?
伊藤
反抗期もなかったですね。
内田
いつも、お母さんとも仲良く、
なんでも話し合えて、みたいな?
伊藤
そうですね。でも、父は、わりとこう、
近寄りがたいというか、「父」っていう存在でした。
うちの母もやっぱり立ててる感じはありましたね。
内田さんの「自由が嫌だった」というのは面白いな。
内田
嫌で嫌で。
友だちは、お母さんやお父さんに
「何時までに帰ってきなさい」
「ああいうエリアに行っちゃだめよ」って、
いろんなルールがあって、
それをいかにすり抜けようとしてるかっていう感じで、
羨ましかったですね。
伊藤
それも言われなかったんですか?
内田
はい。でも、お友だちは私を羨ましがる。
だって、門限もないし、
誰とどこに行ってもいいし。
だから、結局、
ないものねだりだったんだろうなとも
思うんですけどね。
がんじがらめだったら、
きっとそれを打ち破ろうとしただろうし、
もっと反抗しただろうし。
伊藤
娘が戻りたいと言った学校は、
人と比べない校風なんです。
「違って当たり前」っていうのが、
親にも先生にも、子どもたちにもある。
それが普通で育ってきたので、とつぜん
「同じで当たり前」っていう環境に「あれ?」って。
内田
そんなに違うんだ。
伊藤
そのあと、「一度、外に出なかったら
今の環境がいいって思えなかった」って。
なんか区切りになったみたいで、それについて
「ありがとね」って言われました。
内田
ああ!
伊藤
私が勝手に振り回したわけだけれど、
「やだ、行きたくない」みたいのはあっても、
私の子に生まれちゃったし、って。
内田
伊藤さん、そんなに、
本能のおもむくままに、
っていう感じの性格なんですか?
伊藤
うん。わりとそうです。
内田
じゃあ、たとえば、この生活も、
がらっと変えられる?
伊藤
はい。急に引っ越したくなるし。
そういえば、のちのち、娘が18歳ぐらいのときに、
「ママが自分の人生を生きてくれてるから、すごい楽」
みたいなことを言われました。
内田
うんうんうん。
伊藤
「えー。ほんと、よかった。
ごめんね、こんな、いろいろなのにー」と。
それはすごくうれしかったことの一つです。
内田
ほんとに心の奥のほうで
なにか細くつながってるっていうのを
勝手に感じちゃったんですけど、
ほんとにそれって、親子であっても、
幸福な出会いだと思います。
なかなか、自分の親でも、
自分の子でも、兄弟でも、
そこまでのシンパシーだったり思いやりだったり、
そういうものって得られないみたいですね。
伊藤
子どもができたとき、どう思いました? 
うれしかった?
内田
いや、えー‥‥、それ、考えたこともなかったです。
伊藤
私は、なんてことをしてしまったんだろうと思ったんです。
内田
え、なんてことをしてしまっ‥‥た、って??
伊藤
もう、取り返しつかないじゃない、って。
内田
それは、負荷の意味で?
伊藤
「どうするんだろう」みたいな。
だって、一人、人間を育てるって、
やってみないとわからないし、
でも、産んだら、「やったけどだめだった」
ってことはできないので、
「よし、いちかばちかだ」みたいな気持ちになって。
内田
ええ。

静かに強い。

未分類

内田
そうして母と話をするようになって、
母がそもそも持っていた心の闇、
ブラックホールみたいなものを、
一緒に共有‥‥というか、
わかる、共感できるようになって。
母は1回結婚してるんですね。21歳とか、
けっこう早くに、文学座の同期の役者さんと。
5年ぐらい結婚していたのかな。
でも、とくに子どもも持たず、離婚して。
離婚の理由は、とにかく幸せな、
とてもいいお家の出のご主人で、穏やかで、
アーティスティックで、なに一つ文句も、
非の打ちどころもなかった人だったそうです。
その幸せで穏やかな空気を吸ったときに、
ブラックホールを見つけてしまったんです。
自分のなかに。
そしてなんとかしてこの幸せを壊したい、
っていう気持ちになった。
そういう、ある種の闇を自分のなかに持っているから
結婚っていうのは向いていないし、
再婚しようなんて思ってなかったところに、
30代になって、父みたいな、
母にとっては一種の異物と出会ったとき、
「あ、こういうわけのわからない人といれば、
私のブラックホールが埋まる」っていうふうに、
直感的に思ったんですって。
伊藤
ブラックホール‥‥。
内田
いつも母が言ってたのは、
「私が裕也を必要としてるんだ」。
世の中では、父が破天荒で被害を被ってる奥さん、
尻拭いばっかりしてる奥さんみたいな
イメージかもしれないけど、そうじゃなく、
父がいることで自分(母)がいられると。
本当に息をしてるのも苦しかった時期があったんです、
母は。
伊藤
そういう話を、思春期の也哉子さんが
疑問を投げ掛けたときに、じっくりと‥‥。
内田
はい、してくれました。
わからないかもしれないけども、
聞かれたときにはすべてを包み隠さず教えよう、
って思ったんでしょうね。
そのときに全部の理解は
もちろんできなかったけれど。
伊藤
今になって、「あ、こういうことなんだ」って
わかることも、ありますか。
内田
はい、わかってきましたね。
伊藤
息子さんとかお嬢さんにも、
同じように接してますか? 
また全然違う親子関係だと思うんですけど。
内田
それぞれ全然違うタイプの子どもたちなので、
私が母としたような、
暗い部分も含めた心の話をする機会はそんなにないですね。
これからあるといいなぁ。 
せっかく親子としてこの世に出会ったから、
いつかは自分の持っている悩みとか、
「私自身もこういうことを抱えてたんだよ」
みたいなことをちゃんと、
一対一で話したいなと思うけれども。
べつに親子としてのことだけじゃなくて。
伊藤
うん。そんな時が来るといいですね。
内田
今はわりと、みんながそれぞれの青春を謳歌して‥‥。
伊藤
健やかなんでしょうね。
内田
私はわりと直球でなんでも聞いてしまう
タイプなんですけど、
上の2人はもうちょっとオブラートに包んでるっていうか、
自分のなかの考えをいろんな人に
言わないタイプではありますね。
たとえば、ニューヨークから連絡がきて、
娘と電話で話をしていたんです。
雑談をしていたんですが、
私も行かなきゃいけないから、
「ごめんね。もうそろそろ、
次行かなきゃいけないから切るね」って言ったら、
「あの、あのね‥‥」って引き留める。
「え、なに? なに? なにがあったの? どうしたの?」
って言ったら、
「べつにいいんだけどね‥‥」って、
ぽつぽつと話しはじめたのは、
初めてに近い失恋をしたということでした。
伊藤
言い出しづらかったのね。
内田
「じつは、ボーイフレンドとこうなって、ああなって‥‥」
と話しはじめて。
あ、初めて自分から悩みを言った、と思って、
ちょっとうれしくて。
失恋したのに嬉しいって、変ですけれど。
娘さんはオープンですか? いろんなことに。
伊藤
私は石橋を叩いて渡る前に渡って、
振り向いたら「あ、崩れた」
みたいなタイプなんですが‥‥。
内田
お母さん!(笑)
伊藤
娘は、以前、学校の先生からの評価表に、
「静かに強いです」と。
先生、いいこと書くなあって思ったんです。
まさしくそんな感じなんですよ。
内田
静かに強い。素敵ですね。
伊藤
いろんなことを、自分で決めますね。
進路のことも。
中学の時に、
学校に行かないと決めたことがあって、
私は「いいよ、いいよ行かなくて」と。
内田
あ、言っちゃうタイプなんだ!
伊藤
「せっかくだから遊びに行こうよ」と、
ドライブしたり、温泉旅行に行ったり。
ところが半年ぐらい経ったときに、
それにも飽きたみたいで。
内田
半年、何も言わずにいられたんですね。
お母さんとしてすばらしいです。
伊藤
実は喉元まで何回か
「どうするの?」という言葉が出かかったんですけど、
ちょっと我慢しようと思って。
「今日さ、学校行ってみない?」とか。
内田
「ずうっとこういうわけにもいかないし」
っていうとこですよね。
伊藤
そうなんですよ。
内田
べつに正解はないけれども、
次の動きをどうしようかって
聞きたかったってことですよね。
伊藤
そうなんですよね。でも言わずにいたんです。
そのうち、どうやら、
私と遊ぶのもちょっと飽きてるっぽいな、と。
それを見計らって「どうする?」って言ったら、
「前の学校に戻りたい」と。
それは、私の都合で、小学校の途中から
松本に引っ越しをしたからなんですけれど、
私が嬉しかったのは、
彼女は「行きたくない」じゃなくて、
「もう、あの学校には行かない」
って言ったことなんです。
内田
すごい。
伊藤
そのとき、周りの大人が、
うちの母も含めて「いいじゃないの」と。
「なんで?」とかじゃなくて、
「私もそうだった」みたいな人が多くて、
それにすごく助けられたと思います。
そういう大人に囲まれる環境を、
とてもありがたいことだなって、
そのとき思いました。
内田
安心ですね。そのあとは、もう、生き生きと?
伊藤
すくすく、生き生きとまでは言い切れない、
「静かに強い」ところがあって、
その強さが今後どんな風に、出るのか
今、また見守っているところです。
それでね、その最初の「見守り時期」に、
ふーんと思ったことがあって。
それは、「学校、楽しい?」って、
行っていること、楽しいこと前提で聞く
大人も多いということでした。
内田
悪気はないんでしょうけれどね。
伊藤
そうなんですよ。全然悪気はないんですよね。
娘はめんどくさいから「うん」って言って、
適当にやりすごしてたんですよね。
内田
そういうところも、静かに強いですね。
伊藤
あとで「あの人に説明する必要もないし」って。
それで、私は子どもに「楽しい?」って聞くのは、
それからやめたんです。
「学校、どう?」みたいなふうには聞くかもしれないけど。
内田
うちは「学校、どう?」って聞くと、
「べつに」とか、「good.」とか、
そういうふうに話が終わってしまうから、たとえば
「今日の体育の授業はなにしたの?」とか、
ピンポイントで具体的に答えられるように
聞いたほうがいいって、
先生に言われたことがあります。
伊藤
そうですよね。うん。
内田
私たちだってね、
「今日一日、どうだった?」って聞かれると、
「どっから話せばいいんだろう」って思うじゃないですか。
伊藤
そうですよね。
「なんかおいしいもの食べた?」とか、
具体的に聞かれたほうが答えやすいですよね。
内田
興味のひけそうなとこから‥‥。

母が惚れた。

未分類

内田
15歳で父の食事会で本木さんにお目にかかり、
翌年から、私はスイスに留学したんですが、
その直前に、本木さんの事務所の社長と父が
仲がよかったことから、
英語が話せて、ちょっと身の周りの
アシスタントができる人を探してる、
っていう話が来たんです。
それはなにかっていうと、
ちょうど日本で初めてアメリカのアカデミー賞を
BSで生中継するっていう機会があって、
ナビゲーターを本木さんがやることになった。
そこで「バイトする?」って言われました。
もう、映画が大好きだったし、
高校1年生でそんな機会はないから、
もうふたつ返事で「ぜひ」って言ったんですね。
そうして「あ、そういえば、あのとき会った本木さん」
っていう感じで再会し、
1週間、本木さんの通訳としてお手伝いしたんです。
テレビの仕事は撮影に合間があるから、
いろんな話をしていくなかで、
もうすぐスイスに留学するということで、
住所交換をして、文通が始まりました。
伊藤
へえ!
内田
そんなに密にではなかったですよ。
忘れたころに届いたり、
私もスイスからちょっと小旅行に行ったりしたら
絵はがきを書くとか、そういうのがだんだん‥‥。
伊藤
すてきですね。
内田
話だけ聞くとそうですよね(笑)。
その後、夏休みに帰国中、
東京で初めて2人でごはんを食べた席で、
こう言われたんです。
「もし、将来、結婚っていうことを考える時期がきたら、
私を選択肢に入れておいてください」って。
まったく、ちゃんとしたおつきあいをしないどころか、
きちんと自己紹介もしてないくらいなのに、
そういう感じで。
伊藤
!!! お互い、そのやりとりや文通で
何か波長の合うものを感じ取ったんでしょうね。
内田
ええ。ほんの断片なんですけど、
そうかもしれない。
伊藤
そのとき也哉子さんはどう思ったんですか。
内田
私は正直、「あ、きっとこの人、頭がおかしい人で、
誰にでもそうやって言ってるんじゃないか」
って思いました。
伊藤
そんな‥‥!
内田
母からは「ぜったいあの人、ゲイだから」
って言われていて。
伊藤
安心よって。
内田
「いいお友だちね」って。
伊藤
そっか、なるほど。
本木さんって、女の人を口説くために
わざとそういうふうに言う、みたいな感じでもないし。
内田
雰囲気はそういう感じじゃなかったけど、
でも、違う意味で頭がおかしいんだろうなと思った。
勝手に思い込んじゃうっていうか、
あまりにもその飛躍が大きかったから。
文通から、結婚って。
伊藤
その時、一般的に子どもじゃないですか、まだ。
也哉子さん。
内田
だから、まったく結婚の「け」の字もないし、
それを言われて、びっくりして家に帰って、
母に「そんな突拍子もないこと言うんだよ」って言ったら、
なにも反応しないんですよ。
「ああ、そうなんだ? 女の人が好きなんだ‥‥」
みたいな。
伊藤
そっちの驚き?
内田
「意外だわ〜」っていう感じでしたね。
伊藤
ええー。
内田
それに、母は、自分がこの業界に長くいるから、
「結婚相手はカタギの人にしてくれ」って
ずっと言ってたんです。
伊藤
そうなんですか。カタギの人か‥‥。
内田
まったく芸能界と関係ない人がいいと。
でもそのうち密になって、
スイスにはいたけど折にふれ会うようになっていくうちに、
こんなことがあったんです。
本木さんの実家は埼玉の16代続いてる農家なんですね。
敷地の中に、もう何百年前からの、
先祖代々のお墓があったり。
母はとってもそういうことにリスペクトがあるので、
「この子は、突然変異で芸能界で役者になっただけなんだ。
この本木家のすばらしい遺伝子を、
もし内田家におすそわけいただけるんなら‥‥」と、
すっかり前向きになってしまったんです。
母のほうが、本木さんの驚くべきギャップと、
お米を育てて何百年も続いている家系ということに、
強く尊敬を感じたんですね。
ただでさえ、3代で絶えるって言うじゃないですか。
伊藤
たしかにね‥‥。
内田
だけど、そこまで守り続けられた本木家。
役者って、よく根無し草の人たちって言われるけれど、
それこそ地に根がしっかり張って、ほんとに慎ましいし、
お父さんもお母さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、
みんな、大切なものを見極めて
丁寧に日々を暮らして生きてらっしゃる。
それがどれだけすばらしいことかって、私も言われて。
伊藤
ほんとですね。うん。確かに。
内田
で、本木さんは3人の男兄弟で。
長男はもう結婚して子どももいて、実家に暮らしてたから、
「次男だから、なんとか、
うちにお婿さんに来てもらえないか」って。
だから、結婚の方法については、
私の気持ちがどうこうっていうよりも、先に母が‥‥。
伊藤
盛り上がったっていうか。
内田
うん。「もし、本木さん‥‥」って母が言うんですって。
私は外国にいて、日本にいないとき、
本木はときどき仕事で母と一緒になったりして、
そのときに「たとえば‥‥」みたいな話で、
婿入りをお願いされたんだそうです。
伊藤
おもしろいなあ。
内田
本当に結婚したいんだったら、って。
自分も「中谷」っていう姓から内田家に嫁いで、
主はいないんだけども、責任感が強く、
古風なマインドを持っているんです。
どうしてそこまで家というものにこだわったのか、
私もいまだにわからないけれども、
彼女のロジックのなかでは、内田家に嫁いだ女として
それがいちばん正しいと思ったんでしょうね。
伊藤
そんな、外国に9歳の娘を置いてくるみたいな、
ちょっとハチャメチャなところもありつつ‥‥。
内田
そうなんです。
伊藤
でも、根を張るということについての覚悟や考えは、
そんなに古風なんですね。
内田
そう。ものすごく激しい落差です。
間がちょっとないんじゃないかっていうか。
自分の信じてること、
大切にしてることについてはとても古風です。
私はよく母と揉めたんですけど、
男性はこういう性質、女性はこういう性質って。
男女差別っていうことではないんだけど、
母は「その性質を活かしなさい」っていうことを、
周りにも言ってた人で、
今の時代には珍しいような考え方をずっと持っていました。
伊藤
ええ。
内田
なのに父はああいう破天荒の代名詞みたいな人で、
家には一度も一緒に暮らしたことがない。
けれども、ずーっと私のなかで
「あの人が父親なんだ。尊敬しなきゃいけない存在なんだ」
っていうことが皮膚感覚で残ったのは、
母がそれを大事にしてきたからなんでしょうね。
伊藤
うん、うん。
内田
小さいときから
いっさい父の悪口は聞いたこともないし、むしろ
「とても尊敬に値するすてきな人なんだ」
「普段はいないけれども」っていうふうに思っていました。
思春期になって、
私がいろんな疑問を投げかけるようになるまでは。
伊藤
日本の家庭だけじゃないかもしれないけど、
家父長的に、お父さんが「うちの愚妻が」と
家族を下に見るというようなことや、
逆に、不在がちなお父さんのことを、
お母さんが悪く言うみたいなことは、なかったんですね。
内田
そういうことはいっさいなかったですね。
伊藤
うん。そのほうが絶対すてき。
内田
それが、思春期になって、
私が「やっぱりおかしいぞ」と。
父の日以外に会うときはだいたい酔っ払っていて、
夜中の2時、3時に来て、外でわめいて、
仕方がなく鍵を開けて入れて、
そうするともう家の中のものはひっくり返すし、
母にももう悪態をつくし、寝てても私を叩き起こして
「座って俺の話を聞け」っていう状態は、
どう見ても尊敬できないっていうか、
恐ろしい、嫌な、やっかいな対象でしかなかった。
そんな人を、なぜそこまで、母は、と。
伊藤
うんうん。やっかいですね、ほんとに。
内田
「じゃあ結婚ってどういう意味があるわけ?」と。
籍だけを入れて、言ってみれば、
母がずっと父の衣食住を全部養って、
その父は私たちには1円も入れずに吸い取るだけっていう、
理不尽の象徴でした。
そこから私が母に「なぜ? 結婚とは何? 
家族とは何? 夫婦とは何?」って。はい。
伊藤
大きくなるうちに、
今まで暮らしてきた環境が、
「あれ、なんか違うぞ」って、
ちょっとずつ、こう‥‥。
内田
そうですね、感じてきたんでしょうね。
ただやっぱりインターナショナルスクールにいると、
みんな違って当たり前っていうところがあるから、
人との差をあまり濃く感じずに済んだのだけれど‥‥。
伊藤
半年ぐらい、日本の普通の学校に
行ったこともあるんですよね。
そのときにちょっとだけ
違和感を感じたとか‥‥。
内田
そうですそうです。
初めてそこで違和感を知ったというか。
小学校6年生で日本語のために
日本の学校に転校したときから、
「あ、やっぱり『普通』ってある。
目に見えないけども、『これが普通』ってものが、
日本には、ほんとうは、あったんだな」って。
「うちは違うぞ」って。
そして、母がなにを守ろうとしてるのかっていうのが
やっぱり理解できなかったから、とても辛かったですね。
思春期のころは。
伊藤
やさぐれたり、反抗したりする時期はありました?
内田
うーん。家庭で母はすっごく怖い人だったので、
1回しか言わないっていうこともそうだし、
つねにある種、切れるナイフのようでしたから。
頭がいいからなんでも早いし、ロジカルだし、
一石二鳥も三鳥も同時に、時間もすごく有効に使うし。
だけれども、なんのために父と
こういう関係を結んでいるのかっていうのは、
ずーっと、私のなかでの、ま、ある種の反抗でした。
怒りっていうか。
で、そこをぶつけると、すごく丁寧に話をしてくれました。
伊藤
そうなんですね。

覚悟はない。

未分類

内田
ところで、今日はどうして私を
呼んでくださったんですか。
伊藤
お話がしてみたかったんです。
内田
はい。おおー。
伊藤
強い人なんじゃないかな、って思って。
内田
強いですか。強そう?
伊藤
強い‥‥強いといっても、
怖い強さじゃなくて、
也哉子さんって、
根がしっかり張ってる木みたいな印象で、
そこに繁ってるのは若葉っぽいイメージなんです。
内田
うれしいです。
伊藤
もし、バサッと急に伐られたりしても、
根がしっかりしてるから、
また葉が生えてくるみたいな。
内田
しぶとい。
伊藤
私がそう思った理由を、
お目にかかって理解したいと思ったんですね。
それは言葉の選び方なのか、佇まいなのか、
その理由が知りたいって。
内田
そんな、恥ずかしい。
なんにもないですよ。
伊藤
なんだかそういう気がするんですよ。
子ども時代にはぐくまれたのかな。
内田
1歳半からプリスクールに預けられて、
その上の小学校に行き、
3年生の9歳のときにいちど、
ニューヨークのものすごい田舎に、
1年間、音信不通で預けられ。
伊藤
ええっ?
内田
アメリカ人の校長先生の紹介で、
先生の弟さんのところに行ったんです。
というのも、母はすごく忙しく、
いちおう夫婦ではあったけれど、仕事をしながら、
シングルマザーのように
何もかも一人でやっていたわけです。
お母さんを休ませてあげたいっていう気持ちと、
もしかしたらその弟さん家族も
ちょっとお金が入り用だったのかもしれません、
そして先に親と話したのかどうかは定かではないけれど、
私に学校で「兄弟欲しくない、也哉子?」って
突然、校長先生に話しかけられたんですよ。
そりゃあ欲しいから、「うん」って言ったら、
もう次の週には出発していました。
ニューヨークのJFK
(ジョン・F・ケネディ国際空港)から
また国内線に乗り継いで、
すごい北のほうのほんとに田舎の、
日本人なんかもちろん一人もいないようなところに、
母が連れてってくれた。
伊藤
えーっ!
内田
で、近所の子どもたちにあいさつしようねと言われて、
アメリカ人の家族といっしょに
30分ぐらい出かけて帰ってきたら、
母はもういなかったんです。
伊藤
いろいろ激しい‥‥。
内田
「こんなスピードで帰るとは‥‥」って、
アメリカ人の家族のほうがビックリしちゃって。
今思えば、母は英語は話せないし、
コミュニケーションもとれないから、
いたたまれなくて早く帰ったのかもしれないですけれど。
伊藤
「じゃあね、がんばってね」みたいな、
そういうのもなく?
内田
まったくなく。
伊藤
そのとき、どう思われたんですか?
内田
そのときは、
「母らしいな」と思いました。
母の洗礼は生まれたときから受けてますから。
伊藤
そうか。
内田
たぶん、お別れを言わないで置いてったほうが早い、
って思ったんじゃないですか。
吹っ切れるだろうと。
伊藤
なるほどね。
内田
でも、本人はそうは言わなかったですけど、
母の友だちにのちのち聞いたら、
あのとき、じつはすごく、
辛そう‥‥とは言わないけど、
「置いて来ちゃったのよね」っていうような、
ちょっと遠い目をしてたそうです。
「それは心配だったんじゃない?」って。
伊藤
ああ、ちょっとホッとする気持ちです。
それで、アメリカにはきょうだいっぽい人が‥‥?
内田
3人いたんですよ。
お兄ちゃん、お姉ちゃんが。
もう、楽しくって楽しくって。
伊藤
そうなんですね。
内田
東京では、家へ帰ってくると鍵っ子で、
母も遅くまで仕事でいなかったりするから、
置いてあるご飯を温めて食べるという、
小学校低学年ぐらいからそういう生活でしたから。
インターナショナルスクールって、
お友だちを家に呼んだりとか
バースデイ・パーティをやったりとか、
すごく家族ぐるみのおつきあいが多いなか、
母はお見送り以外の行事で
学校に来たことは一度もないですよ。
6年プラス幼稚園の期間。
伊藤
へえー。
内田
そういうこともあるし、
私も変わってる印象がきっとあったんでしょう、
なにか異質な波動を出していたんだと思います。
お友だちもいなかった。ほとんど。
ほんとに数えるほどです。
それだけ長い間ひとつの学校に行っていたのに、
3人ぐらいかも。友だち。
いちばん大切だった友だちも、
アメリカから帰ってきたときにすぐにお葬式の話があって。
だから、とっても孤独な子ども時代で、
温かい記憶、ほとんどゼロです。
というか、記憶があんまりないんですよね、子ども時代の。
伊藤
でも、逆に今は3人のお子さんを育てていて、
それってなんかこう、
「たくさん子どもがいたらいいな」とか、
そういう気持ちもあったんでしょうか。
結婚されたのも早かったですよね。
内田
そうですね。19歳でした。
伊藤
その覚悟って、なんでした? 結婚。
内田
いやあ、覚悟は微塵もなかったです。はい。
10歳年上の人に、15歳で出会って。
伊藤
えー!
内田
たまたま父の紹介だったんです。
父には、年に1回、父の日に会っていたんですよ。
強制的に、嫌々。
ところが、15歳の父の日を、すっぽかされたんです。
待ち合わせに来なかった。
そうしたら次の日に「今、寿司食ってるから来い」。
行ったら、父がプロデュースしていた
『魚からダイオキシン!!』っいう
変わった映画のスタッフや共演者のみなさんがいて、
そのひとりが本木さんでした。
伊藤
ええ。
内田
あのとき、本木さんが25歳で、私は15歳で。
おっきなテーブルにみなさんがワイワイしてて。
私は「あっち座ってろ」って言われて、
一人で誰とも交わらず、小一時間ぐらい、
ご飯だけ食べさせてもらって、
「じゃあ、帰ります」って。
伊藤
えー。
内田
だから、そのときはごあいさつを
したっていう程度だったんです。
父も、気まずかったんでしょうね、
すっぽかしたことに気づいて。
それで罪償いをしたかったけれど、
一対一だと「ごめんな」から入らなきゃいけないから。
伊藤
なるほど。
内田
謝りも入れずに済むように、どさくさにまぎれて
私を呼んだんでしょうね。
伊藤
じゃあ、仕事仲間に会わせたいとかじゃなくて‥‥。
内田
まったくそういうことじゃなかったです。
伊藤
たまたま本木さんがいた。
そして、それから4年後に結婚。
内田
そうですね。そこからどうしてそうなったのかは、
やっぱり、ご縁としか‥‥。

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未分類

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東京都渋谷区宇田川町15-1

【営業時間】
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【販売価格】
税込15,000円(4万5千円相当)
税込20,000円(9万円相当)

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はじめまして。

未分類

内田
こんにちは、内田と申します。
今日はお会いできて光栄です。
伊藤
こちらこそ、ありがとうございます。
よろしくお願いします。
内田
こんな、いきなりお宅におじゃまして‥‥。
これ、おすそわけなんですけど、
山形のラ・フランスです。
もしよかったら。どうぞ。
伊藤
えっ! うれしい! 
ありがとうございます。
内田
すてきなお部屋ですね。
伊藤さんのお好きなように
リノベーションしたんですか?
伊藤
模様替えはしましたけれど、
照明を換えたり、ペンキを塗ったり、
その程度なんですよ。
内田
そうなんですね。
とても広い。
bedroomはいくつあるんですか?
Two-bedroom?
伊藤
!(英語の発音の良さに驚く) 
也哉子さんって、
インターナショナルスクールに通われて
いらっしゃったんでしたっけ。
内田
はい、幼稚園から小学校6年生までと、
高校から大学まで。
だから日本語も英語もフランス語も
中途半端で‥‥お恥ずかしいです。
伊藤
フランス語も?
内田
フランス映画を見て、
「フランス語の響きがステキ」と思って、
中学から週1回習って。
伊藤
フランス語が似合いそうな声をされてますよね。
内田
籠もってる感じですよね。
いまも、響きが好きなんですよ。
友だちには、もっと実用的な
中国語かスペイン語を習えば? 
って言われましたけれど。
それにしても、壁の色、ほんとうに素敵。
伊藤
イギリスのペンキで塗ったんです。
内田
イギリス! たしかにイギリス的というのがわかります。
伊藤
最近まで、お住まいでしたものね。
内田
はい。6年住んでいたんですよ。
お部屋の壁一面の収納は、
最初からあったんですか?
伊藤
はい。クローゼットだったんですけれど、
ハンガーパイプを外して、棚板を入れて、
食器棚として使っています。
内田
わあ、すてき。ぴったりですね。
伊藤さんらしい。
伊藤
でも、ここは賃貸住宅なので、限界もあって。
やっぱり、自分で家をつくりたいなと
最近は思うようになりました。
内田さんのお家って、どういう感じですか?
内田
牢屋みたいなお家です。
テーマが牢屋なんです。
伊藤
‥‥ええっ? そんなテーマ‥‥。
内田
外側はなんにも窓がなくて、
威圧感のある、コンクリートのかたまりって感じで。
育った家は別の場所だったんですが、
結婚したとき、母の提案で、
「いい物件があるから、本木さん一緒に買わない?」
と移った土地なんです。
最初は日本家屋が建っていて、
そこにしばらく住んでいたんですよ。
最初に母が住んで、次に私たちが住んで、
でも子どもが生まれたときに、
和室って障子だけでプライバシーもなにもないので、
「建て直そうか」と。
伊藤
なるほど。
お母様は不動産がお好きだったというのは、
有名な話ですよね。
内田
そうなんです。
わたしの通っていたインターナショナルスクールも、
売りに出ていたのを母が聞きつけ、
買おうか悩んでいた知人に
「買いなさい」と勧めたりして。
シャーリー・マクレーンという女優さんが
日本にいたときに住んでいた建物だったそうです。
伊藤
「買いなさい」って。
内田
大好きなんです、物件!
誰かが楽しく暮らしていることを
想像するのが、この上なく好きで。
伊藤
きっと、ピンとくるんですね、
これはあの人に合う、とか。
内田
そうです。なぜその話をしたかというと、
母がこの伊藤さんの部屋を見たら、
一目惚れだと思ったんです。
きっと「買いなさい」って言いますよ。
(紅茶を飲んで)‥‥おいしい!
伊藤
よかった。娘のです。
内田
えっ?
伊藤
紅茶がすごく好きで、
お小遣いをはたいて茶葉を買うんです。
内田
おいくつですか。
伊藤
20歳になったばかり。
内田
うちの2番目と同い年だ。
伊藤
どちらにお住まいなんですか?
内田
今はニューヨーク大学に行っています。
中高の6年をロンドンで過ごしたら、
「もうヨーロッパはいい。
アメリカに行きたい」って。
伊藤
そういうものなんですね。
内田
ほんとは、もうちょっといてほしかったけど。
伊藤
別れて暮らしているんですね。
内田
といっても、イギリスでも、彼女は12歳から
ウィークデイをボーディングスクール
(全寮制寄宿学校)で過ごし、
週末、私たちの住んでるロンドンに戻ってくる、
という生活をしていました。
伊藤
日本に戻っていらしたのは‥‥。
内田
2年前、母が亡くなる1年前です。
下の子が当時7歳だったんですけど、
もう少し母との時間を過ごさせたいということで。
伊藤
お子さんは3人?
内田
男、女、男です。
上の2人は成人していて、
下はまだ小学校4年生。
伊藤
かわいいでしょう。
内田
ちょっとかわいがりすぎちゃってて、
心配なくらいです。
もう、孫のように(笑)。
伊藤
30代で産んだっていうことですよね。
内田
最初は21で産んで、最後は34です。
伊藤さんは、娘さんと一緒に住んでいないんですか?
伊藤
一緒に住んでいますよ。
内田
一人暮らししたい、とか言いません? 
うちもそうでしたけれど、
自分だけがマネージするスペースが欲しいって。
伊藤
うちは、言わないかな。
でも、也哉子さん、
あれしなさい、これしなさいって言わなさそう。
「うるさいな、お母さん」みたいな感じには
ならない気がするんです。
内田
うーん、そうでもないです。
私の母は一回しか注意しない人だから、
私は、聞き漏らしたら恐ろしいっていうぐらい、
神経を研ぎ澄ましていましたが、
「それに比べると、あなたはしつこい」って言われます。
たとえば靴下が置きっ放しになっているとしますよね。
でも子どもに「靴下、なんでここに置いてあるの?」
って言っても、だいたい一回目なんて聞こえてない。
で、1時間後もまだあるから、「ねぇ」って言う。
結局3回くらい言ってる。
伊藤
なるほど。
お母様はどうだったんですか?
内田
一度言ったら、二度は言いません。
そうしたら、もう、永遠にそこに置いてある。
自分で気がつくまで‥‥。
伊藤
「一回言ったわよね」とかじゃなく?
内田
うん、もう言わないし、捨てるわけでもない。
伊藤
捨てるっていうのは、
片付けるってことですもんね。
それもしない。
内田
でも、よく、外国から帰ってくると
許可なく勝手に整理されていることはありました。
私のものが半分ぐらいなくなっていたりして、
気付くと友だちが私の服を着ていて、
「也哉子のお母さんにもらったんだよ」って。
伊藤
おもしろーい!
内田
なので私は極力、その対極を行ったというか‥‥。
逆転の発想というか、ないものねだりがあって、
普通のお母さんになりたいという理想はあったんですけど、
やっぱりちょっと、はみ出しちゃってますね。

わたしの旅じたく。[7] カシミヤ。

未分類

今日は何を着ようかな。

おしゃれはたのしいものだけれど、
ああでもないこうでもないと
なやむのがめんどうな日だってある。

そんな時、
私がえらぶのはweeksdaysのカシミヤワンピース。
そのままストンと着て、
気に入りのバッグと靴をえらべば、
はい、コーディネートのできあがり。

もちろん旅にも持って行きます。
時にはタイツ、
時にはパンツと重ね着。
肌寒い時は上にコートを羽織って。
長いパールのネックレスをすれば、
ちょっとしたレストランへも。

着ていてラクチンなのに、
きちんと見えるのは、
カシミヤだからこそ。

「あら、すてきな服ね。
すごく似合っているわよ」
信号待ちで、隣り合わせた品のいいマダムに
褒められた時はうれしかったなぁ。

▶︎Vネックのカシミアワンピース/weeksdays くわしく見る

(伊藤まさこ)

愛って何?

未分類

山本
さっき、愛って言葉が出たけど、
日頃、そういうことを考える? 
愛って何かなって。
伊藤
無償の愛ってあるんだなっていうのは、
娘を産んで思った。
若い頃とかは、
「私がこんなにしているのに、
なぜこの人は何もしてくれないんだろう」
とか勝手に思ってた。
岡宗
見返りを求めていたんですね。
伊藤
そうそうそう。でも娘ができて、
「全然そんなのどうでもいいから、大好き」
って思えるのは、世界中で1人だけだと思った。
山本
娘か。ボーイフレンドには思わない? 
伊藤
思わないですよ(笑)。
でも「看取れる」とは思う。
その時が来たらの話だけれど、
お尻とか拭けるもん。
岡宗
それは愛ですね。
伊藤
そうなのかな。
山本
「お尻とか拭けるもん」。
いい本のタイトルになりそうだね。
伊藤
えっ?(笑)
山本
その視点では、おそらく、
まだ書かれたものがないよ。
それにさ、介護から始まっちゃう愛だって、
あるかもしれないじゃない? 
秀吾の愛ってどういうの? 
岡宗
僕の愛ですか。
家族に対しては多分伊藤さんと
同じようなことだと思うんです。
でね、僕の愛について、
うまく説明できるかどうかわからないけど、
‥‥僕、『警察24時』を
ずっと録画しているんですね。
警察の追跡ドキュメンタリーです。
山本
うんうん。
岡宗
その、麻薬犯の回が好きなんですよ。
覚醒剤の前科がある子が、職質で引っかかるんです。
そもそも、すごく間抜けな動きをしているんですね、
デパートの中で。
伊藤
明らかに怪しいんですね。
岡宗
1回エレベータで上がって、
もう1回下りてきたり。
それで職質を受ける。
「ちょっとカバン見せてください」
「いやいや、いやいや、
任意だろ、これ」なんて、
いろいろ言ってごまかす。
そして、もうこれ逃げ切れないなっていうタイミングで、
1本だけ電話をさせろって言うんです。
東京の浅草で捕まったんですけど、
大阪の子なんですね、その子は。
山本
1本だけ電話していいんだ。
岡宗
電話の相手は、普通、弁護士とかね、
そういう兄貴分とかと思うでしょう? 
ところがその子は、観念したんでしょうね、
彼女に電話するんです。
前科があることは、彼女も知ってるんですよ。
しかも執行猶予中なんですよね。
だから今度は実刑を長く打たれるぞってわかってた。
カバンを開けて薬が出てきた瞬間に、
俺は彼女ともう会えない。
‥‥そんなカッコいい子でもまったくないんですよ。
洋服のセンスがいいとか、そういうわけでもない。
で、彼女が電話に出る。
「あ、俺。ごめん、やってもた。ごめん」みたいな。
「いや、わかってるよ、わかってる。長くなるよ」って。
そして、
「会いに来てくれな。悪いな。悪いな」って何回も言う。
その時、その子が、まるで役者みたいな顔してるんです。
多分、すごい状況だと思うんですよ。
今から自分は仕事すらない。
収入の目途がもう崩れた。
彼女とも会えない。
実刑だ。
親に何て。
もうものすごい数の問題が、
さっきまでゼロのとこから、
もう2000みたいな感じで、立ったと思うんですよ。
さらに、テレビカメラまである。
伊藤
テレビにうつるかもしれない。
岡宗
僕、テレビの仕事をしていて、
ドキュメンタリーの面白いところは、
カメラを回していると、
その人のいちばんカッコいい瞬間が
出ることがあることなんですよ。
多分、カメラを回してないときは出ないような。
だから、嘘っちゃ嘘なんですけど、
役者でも何でもない、カッコいいわけでも何でもない、
そんなことに慣れてるわけでもない素人でも、
カメラの対象になって
自分に本当の問題が降りかかったり、
あるいはコンテストなんかで成功したいという
気持ちがあったりするときに、
顔がすごい役者っぽくなる。
嘘と本当が混じった、
本当の“ヤバい顔”みたいなのがあって、
僕は、それをすごく見たいという気持ちがあるんです。
薬物犯の子にも、カッコいい瞬間がある、
その感じが見たくてしょうがなくて、
それが僕にとっての愛なんじゃないかって思うんです。
山本
秀吾はそれをファイリングしてるんだ。
岡宗
そう、録画をまとめてるんです。
山本
名作が来ると、俺は家に呼ばれるわけ。
岡宗
見てくださいって(笑)。
もちろん自分がドキュメンタリーを撮るときも、
そういう瞬間が生まれるのがやっぱり好きだし、
ダメな人間のちょっとだけのいいところを、
「エモい」って思うんです。
山本
そうそう、「エモい」。
岡宗
ギューッて、こう、心が絞られる。
伊藤
‥‥私、あまり「エモらない」んです。
なんでかな。
山本
でも、「エモらせて」いるよ。
人がメロメロになっていく瞬間があるもの。
で、本人はいたって無邪気なんだ。
これはもう、芸だね。
岡宗
伊藤さんは、ラッパーだったらすごいタイプですよ。
伊藤
ん? どうしよう! 
岡宗
フロー、パンチラインっていう、
言葉の強さとその言い方。
同じ台詞でも、やっぱりその言い方と、
ワードセンスみたいなものがある。
伊藤さんはそれが強いですよ。
伊藤
へぇー。そんな分析されたことない(笑)。
‥‥で、康一郎さんの愛は? 
山本
うーん。
伊藤
ていうか私の愛の落としどころが
「お尻を拭く」になってるんだけど(笑)。
岡宗
最高の愛じゃないですか。
山本
最高だよ。
‥‥そうだ、おみやげのレモンパイ、食べましょう。
あっ、撮影しといたほうがいいよ。
テレコをちょっとなめて(画角に入れて)
撮るといいよ。
伊藤
スタイリングしてる!(笑)
でも、そうしたら、
康一郎さんの手も入ったほうがいいよ。
山本
それはやだよ~。
伊藤
(笑)かわいいじゃない。
山本
次さ、開けたとこ撮るじゃん。
食べ残したとこ撮るじゃん。
そしたらもう時間が撮れるから。
‥‥ねえ、聞いてる? 
──
ハイ、聞いてます! 
伊藤さん、開けてください。
山本
もう俺も撮っちゃう。
包みを開けてる手とかいいから。
伊藤
そんな撮らないで。
汗かいてきちゃう(笑)。
岡宗
(笑)
山本
ねえ、そう思わない? 
伊藤まさこがレモンパイの箱を
どんなふうに開けんのかなっていうさ。
伊藤
わたし、いい加減ですよ。
山本
いやいや、そのいい加減さがさ、いいんだよ。
伊藤
レモンパイ、かわいいよね。
いろいろ考えたんだけど、
すごく似合わなそうでしょ、お2人に。
山本
いや、意外に似合うよ。
伊藤
そう、似合わなそうで、
すごく似合うなっていうチョイスでした。
山本
まさこちゃんが洋菓子を開けてるとこ、
作法として勉強になるよ。
伊藤
えっ? 
山本
その乱暴さなんだとか。
伊藤
乱暴さ?(笑)
まあたしかに、案外乱暴だからね。
山本
そう。「安心した」って。
料理家の長尾智子さんにさ、
「伊藤まさこさんというのはどういう人なんですか」
って、機会があったから訊いたの。そしたら、
「始末のいい女よ」って言ってたよ。
伊藤
そういうこと言う長尾さんが、
なんだかカッコいい。
山本
その言い方だよね。
輩(やから)感を感じた。
輩女子っていうか。
伊藤
何それ! 
輩って、悪い仲間みたいな意味じゃない? 
山本
そうじゃないんだけどさ(笑)、
そんな感じがするんだよ。
あっ、ちょっと待って、
その、パイを切る手、ストップ、ストップ。
寄せて、自然に自然に。
自然にっていうのが一番難しいけどね。
伊藤
じゃあ、おやつを食べておひらきにしましょう。
今日はほんとうにありがとうございました。
岡宗
ありがとうございました。
いつでも呼んでください。
山本
大丈夫なのかな。
これまとまるの? 心配(笑)。

わたしの旅じたく。[6] 着回しのきくパンツ。

未分類

昨秋、
娘と旅したパリで重宝したのが、
nooyのネイビーのパンツです。

はいた時の形がとてもきれいなこのパンツ、
シンプルなニットはもちろんのこと、
明るい色のブラウスや、
大きめのピアスなんかも受け止めてくれる。
あれもこれもと持ってはいけない旅先で、
着回しがきくこんな服は、
とっても助かる存在なのです。

娘と一緒のパリは6年ぶり。
今回の発見は、
服の貸し借りができたことでした。

同じパンツでも、
ハタチの娘のコーディネートは
私とはひとあじもふたあじも違う。

パリで新調したチェックのチェスターコート、
足元は黒のドクターマーチンと
ざっくりしたコットンの靴下。

たとえば、
ある日の1日はこんな風。

同じ服でも、
着る人によってずいぶん違う印象になるものだなぁと、
大きくなった娘の後ろ姿を見ながら、
思ったのでした。
ドクターマーチンとは、
思いもつかなかったもの!

でもね、
ひとつ問題が。
それは着たい服が重なってしまうこと。
「あー、それ今日着ようと思ってたのに!」
先を越されて、
コーディネートを一から考え直し。
でもまぁ、それもそれで楽しかった思い出のひとつとして、
心のすみっこに残すことにしましょう。

▶︎フライトパンツ/nooy くわしく見る

(伊藤まさこ)

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