歯医者 |
永田さんお待たせしました。どうされました? |
永田 |
キャンデー嘗めてたら取れちゃったんですよ。 |
歯医者 |
キャンデー嘗めてたら?
ポロッといっちゃった? |
永田 |
ええ。 |
「ポロッといっちゃった?」じゃないだろう。
イヤんなっちゃうなあ。
ところでこの先生は年輩の女の人で、
勝手な印象から言うと
失礼ながらとても名医とは思えない。
しょっちゅう手にした器具をぽろぽろ落とすし、
マスク越しの声も聞き取りにくい。
なんだか歯医者というより保健室の先生みたいだ。
それでなぜ僕がここの歯医者を利用しているかというと、
混んでいないということもあるけれど、
なんだかこの先生、どこか憎めない感じなのである。
僕は先月挿した歯がすぐに抜けてしまったということに
多少不条理なものを感じていたのだけれど、
このおっとりした先生のおっとりした診察を受けていたら
どうでもよくなってしまった。 |
歯医者 |
痛くはないですか? |
永田 |
ええ。 |
治療が始まる。
どこかを削る音。
いやあな音。
同時にバキュームも始まった。
ずずずずずもおおおおおおおお。
きゅしゅうううぼおおおおおお。
おっとりした歯医者さんは
ときどき看護婦さんに指示を出している。
看護婦さんはいつもひとりしかいなくて、
これまた勝手な印象から言うと
看護婦さんもまたおっとりしている。
僕は密かにこのふたりは親子ではないかとにらんでいる。
きしゅううううううううしゃしゃしゃっ。
ういいいんういいいんういいいいん。
ちゅううううん、ちゅうううううん。
しゃしゃしゃしゃっ。
|
歯医者 |
はい、うがいします。 |
うがいする音。
意外と念入りにうがいしているな、僕は。 |
歯医者 |
タイマーとってくれるかな。 |
看護婦 |
はい。 |
どうやら抜けた歯は心棒というか、
柱の部分からそのまま抜けていたので、
大した手間もなく元通りになるらしい。
要するに抜けたものをそのまま挿せばいいわけだ。
削る音。
バキューム。
おそらく口を開けて目をつぶっている僕。 |
歯医者 |
噛んでください。 |
・・・かちん。 |
歯医者 |
開けてください。 |
・・・ぱかっ。 |
歯医者 |
噛んでください。 |
・・・かちん。 |
歯医者 |
もうちょっと削りますね。
あんまりかちんかちんなると、
噛み合わせ悪くなる原因になるんで。
短いほう取ってくれる? |
看護婦 |
はい。 |
そしてついに僕の歯はしかるべき位置へ固定される。
元の鞘に収まるとはこのことである。 |
歯医者 |
はい終わりました。 |
ウイイイインと診察台が起きる音。
うがいする僕。
やはり念入りにうがいする僕。 |
看護婦 |
鏡お持ちしましょうか。 |
永田 |
あ、はい。 |
まるで髪を切ったあとのように
手鏡で自分の前歯をチェックする僕。
といっても「気に入らないから変えてくれ」と
いうわけにはいかないのだろうけれど。
僕は上着と荷物を手にして
会計を済ませるべく出口へ向かう。
そこで、おっとり先生に一応質問してみたりする。 |
永田 |
原因とかはなんなんですか? |
歯医者 |
まあそういうこともたまにあるんですよね。 |
永田 |
はあ・・・たまに。 |
歯医者 |
柱が短い歯ですから、
そういうこともあるんですよね。 |
永田 |
はあ・・・そういうこともある、と。
ええと、じゃあ気をつけてもしょうがないですよね。 |
歯医者 |
まあ堅いものを噛むときに気をつけるとか。 |
永田 |
でもキャンデーですよ? |
歯医者 |
・・・まあそうなんですけど。 |
永田 |
・・・ありがとうございました。 |
看護婦 |
140円です。 |
永田 |
940円? |
看護婦 |
ひゃくよんじゅうえんです。 |
永田 |
あ、ひゃくよんじゅうえんか。 |
なんだか歯医者って、同じようにいろいろいじり回すくせに
すごく安かったりすごく高かったりしてわけがわからない。
140円ってどういう仕組みなんだろう。
そんなんじゃコーヒー1杯飲めやしないじゃんか。
などと思いながら僕は、おっとり歯医者を後にする。
たぶんまた歯がおかしくなったら僕はここにくるのだろう。
決して人には薦めない歯医者だけれど、
不思議と僕はここが嫌いじゃないのだ。
エレベーターを下りると
街は相も変わらずクリスマスだった。
メリー・クリスマス。 |