永田 |
そんなおもしろい話ないぞ。 |
アキ |
いや、ないって言われても……。
でもね、タカと西山にも
「今年これを越えるおもしろい話はない」
って言われた。 |
永田 |
バカだなあ。 |
アキ |
西山、お腹痛いって泣いてたもん。 |
永田 |
そもそもどこでよ? |
アキ |
高円寺に、4丁目カフェっていう、
おしゃれなカフェがあるんですよ。
でそこでタカと西山とメシ食ってたんだけど、
犬の話になって。
タカが自分ちで飼ってた犬の話をしてたんだけど、
ある日、犬つれて散歩してたら
ハムスターが捨ててあったんだって。 |
永田 |
ハムスター? 捨て猫みたいな感じで? |
アキ |
そうそう。
で、タカの犬がそのハムスターを見つけて、
くわえちゃったんだって。
要するに噛んじゃったのね。 |
永田 |
はあ。 |
アキ |
で、犬がそのハムスターをくわえて放さなくて、
すんごい苦労したんだって話をしたの。 |
永田 |
はあ。 |
アキ |
で、俺も昔、犬飼ってて。
よく散歩とかしてると
モグラつかまえてたんですよ。
俺んちって田舎だからさ……。 |
永田 |
ちょっと待て。
その話、ちゃんとケガの話に行くのか。 |
アキ |
行く。
で、よくそういうことがあったから、
犬の弱点を知ってたんですよ、俺は。 |
永田 |
犬の弱点(笑)。 |
アキ |
犬は鼻が弱点なんですよ。
だから(犬が何かをくわえて放さないときは)
鼻にデコピンしてやるとすぐに放すんですよ。 |
永田 |
はあはあ。 |
ええと、ちなみにアキがここで言ってるデコピンとは、
中指を親指で押さえて力を溜め、
気合いとともに親指を解放して
相手の額に全力で中指をブツけるという、アレである。
ところでそもそもデコピンというのは
文字通りデコにブツけるからデコピンであって、
「犬の鼻にデコピンする」というのは
厳密に言うとおかしな話なのであるが、
それはまあこの際どうでもよろしい。
|
アキ |
だからタカに向かって、
「そういうときは犬の鼻にデコピンするんだよ」
って、説明してたわけなんですよ。
「俺も昔、犬が
モグラくわえてたときはそうやってた。
こうやって犬の鼻を思いっきり、
バーン! ってやるんだ」
って。
で、その「バーン!」って言ったそのときに
実際に指でこうやってやってみせて、
「バーン!」のところで指が
「ビキッ」ってなって、
そこから俺はしゃべれなくなって
悶絶し始めちゃったの。 |
永田 |
え、なになになになに、ちょっと待って、
誰かにデコピンしたわけじゃないのか。
何かに向かってブツけたわけじゃないのか! |
アキ |
ううん、デコピンの
モーションをやっただけなの、俺は! |
永田 |
(爆笑) |
アキ |
こうやって「こんなふうに」ってやったら、
「ビキッ」っていうか、
「ピシッ」っていう音が……。 |
永田 |
(まだ笑ってる) |
アキ |
いや、「ピシッ」っていうか、
「パシッ」っていう、
すごく乾いた音がして。 |
永田 |
……大リーグボール3号だ。 |
アキ |
そう、そんな音が鳴って。
で俺が突然悶絶し始めたから、
ふたりは「なになに?」ってなって、
「いや、指が……動かない!」って。 |
永田 |
バカだなあ。それは……痛かったの? |
アキ |
マジ痛かった!
ハンっパじゃない痛さだった! |
永田 |
(笑)。そんで、指、動かないんだ。 |
アキ |
動かない。下がったまま、上がらない。
痛くて動かないんじゃなくて、
いや、痛いんだけど、
痛さを我慢して無理矢理上げようとすると、
カコンってなって、今度は上がりっぱなし。
力抜くとガクッってなって、
今度はブラ〜ンって。 |
永田 |
デコピンで。しかも素振りで。 |
アキ |
素振りで! |
永田 |
しかし人の体でそういうことが
あり得るもんなのか。 |
アキ |
今日話したら、
田原さんとか信じてくれなくてさあ。 |
永田 |
そんで? |
アキ |
そんで、その場は大笑いしてたんだけど、
あんまり痛いし動かないから
救急病院行ったのね。
そしたら靱帯切れてた。手術だって。 |
永田 |
すげえ話だなあ(笑)。 |
アキ |
んふふふふふふ。 |
永田 |
なんで喜んでだよ、しかも。 |
アキ |
いや、西山もタカも大笑いしててさ。
しかも誰に話しても大喜びだから、
ちょっとうれしくなっちゃって。 |
永田 |
バカだなあ、おまえは。 |
なんとも凄まじい話である。
しかし、テープの中で僕自身述べているが、
そういうことが
人の体に起こり得るものなんだろうか。
『人間の靱帯はデコピンで裂断し得るものなのか?』
本稿は、それを追った渾身のドキュメント作品である。
例によって、それはやや大げさである。
ともあれドキュメント作品としては
とりあえず周到に取材を重ねるべきであろう。
幸運にも我々は(ていうか僕は)、
その場に偶然居合わせた青年、
“タカ”とコンタクトを取ることに成功した。
(同僚だったので)
諸君、再びテレコを回そう。
|
永田 |
音が鳴ったそうだが? |
タカ |
音が聞こえたわけよ。「パキッ」って。 |
永田 |
音、するんだ? |
タカ |
したよ。「パキッ」って。
あのね、堅い音なんだけど、言われてみれば、
ちょっと柔らかさを持った「パキッ」。 |
永田 |
わかんねえよ(笑)。 |
タカ |
ちょっと軟骨系の。 |
永田 |
軟骨系(笑)。 |
タカ |
言われてみると、
なんかちょっと
剥離したような音に聞こえたわ。 |
永田 |
ホントかよ。なんかにブツけたような? |
タカ |
と、思ったのよ。最初は。
指、ブツけたのかなって。
でも空中なのよ! なのに「パキッ」って。
わりと賑やかなカフェだったんだけど、
ぜんぜん聞こえる音だったよ。 |
永田 |
そおかあ。音、するんだ。 |
タカ |
その前のマエフリって聞いた? |
永田 |
犬の話をしてて……。 |
タカ |
そうそう。
犬が畦道でモグラつかまえたって話。
そのまえにウチの犬がハムスターを……。 |
永田 |
ハムスターの話はもういいよ(笑)。 |
タカ |
「そういうときは犬の鼻の頭に
デコピン喰らわすんだ」
ってアキが得意げに話し始めて。
なんか気づいたら「痛い痛い」言い始めて。 |
永田 |
あははははは。 |
タカ |
最初はなんかちょっとリキんで、
筋ちがえたくらいのもんかと思ったのよ。 |
永田 |
ああ、なるほどね。 |
タカ |
そんでしばらく「痛い痛い」言っててさ。
突然「ちょっと見て!」って言って指出すのよ。
そしたらね……ここに筋があるじゃない? |
永田 |
ええと、
中指の根元の関節の真上を走ってる筋ね。 |
タカ |
そう。それがね、指を下にスッとおろしたら、
筋が関節の脇にズルってズレるのよ。
それ見て「わぁー!」って。
ホント、筋が、
ブラジャーの肩ヒモみたいにズルってなんのよ。
そんで初めて
「ヤバいんじゃない?」ってことになって。 |
永田 |
へええ。 |
タカ |
いやあ……泣くほど笑ったね。 |
永田 |
笑うなよ(笑)。 |
いかがだろうか。
衝撃的じゃないだろうか。
全米震撼のサイコホラーサスペンスじゃないだろうか。
なんとも生々しい証言に、
まざまざと情景が浮かぶかのようであるが、
それにしても、
痛々しい社会派ドキュメントにしては、
全編に流れるこのバカバカしいムードはなんだろうか。
ともあれ取材を続けよう。
数々の証言は得られたものの、
(ふたつだが)
いまひとつ確信には至らない。
『人間の靱帯はデコピンで断裂し得るものなのか?』
我々は考えた。やはりそこに、
医学的見地からの確固たる裏付けを欠いてはならない。
我々は決断し、被害者であるアキの元を再び訪れた。
幸いにも我々は、すぐにアキと再会することができた。
(同僚なので)
我々は、とある計画をアキに明かした。
すなわち、「ねえ、病院について行っていい?」
という計画である。
ところが彼の反応は鈍かった。
率直に言って「勘弁してくださいよ」であった。
詳しく言うと「そんな雰囲気じゃないんですよ」だった。
しかしそこは先輩の特権。
大丈夫だよ、なんとかなるよ、
家族の付き添いだって言うよ、
そうだおまえの兄貴だってことにしよう、
などと適当にまくしたて、
「全然似てないじゃないですか!」
と正論を述べる彼を
煙に巻いてまるめこんで病院の地図を書かせた。
というわけで翌々日。
朝9時に僕はアキと某病院の待合室にいた。
開院と同時に診察を受けようとの思惑だったが、
やはり病院というのは朝から混雑しているもので、
我々はソファでけっこうな時間を潰すこととなった。
当日の彼の声を拾ってみよう。
やはりいくぶん元気がないが、
それは指の具合が思わしくないからなのか、
無関係な職場の先輩が
非常識な理由で押し掛けているからなのか。
|
アキ |
箸が持てないんですよ。 |
永田 |
あ〜。 |
アキ |
箸が持てないイコール、
食い物が限定されてくるんですよ。 |
永田 |
はあはあはあ。 |
アキ |
麺類とか食えないし。 |
永田 |
右手の中指だもんなあ、そうだよなあ。 |
アキ |
けっきょくフォークかスプーンで。 |
永田 |
風呂とかは? |
アキ |
風呂はね、長いブラシを買ってきて、
それを左手で持ってゴシゴシ。
ただね、それだと、左手が洗えないんですよ。 |
永田 |
なるほどね(笑)。 |
アキ |
あと、世の中が右手用にできてるって
痛感しましたよ。 |
永田 |
どういうこと? |
アキ |
自動改札とか、すっげえやりづらい。 |
永田 |
あ〜、なるほどね。 |
現代日本の構造矛盾を鋭くえぐるような発言に、
本稿もようやく社会派ドキュメントらしくなってきた。
失って初めて知る安易な特権と世の中の歪み。
強者の論理と弱者の悲哀。
光と影の……それにしても、ずいぶん待たせるなあ。
なんだかんだでもう1時間以上になるぞ。
それでも待合室にいる我々にお呼びはかからず、
そのまま1時間半が経過した。
明らかに待ち疲れた我々は、
暇つぶしにテレコを回す。
|
永田 |
なあ、ホントに受け付けしたの? |
アキ |
しましたよ。 |
永田 |
ずいぶん待つなあ。 |
アキ |
待ちますねえ。 |
永田 |
ひどい目に遭うなあ。なんで俺がこんな目に。 |
アキ |
勝手に来たんじゃないですか! |
永田 |
つーか、2時間近く経ってるぜ。 |
アキ |
永田さんが「来たい」って
言ったんじゃないですか! |
永田 |
来たいか来たくないか、つったら、
来たくないよ。 |
アキ |
えーーー。 |
しかしようやく待つ人が徐々に減り始め、
いよいよ我々の診察が近づくようだった。
我々は慎重に計画を確認し合う。
僕がアキの荷物を持ち、
彼の後について心配そうに診察室に付き添っていくのだ。
大丈夫なんですか、とビクビクしているアキに向かって、
だいじょぶだいじょぶ、
と僕は根拠のない楽観を伝える。
けどホント、大丈夫かな? 怒られないかしら。
ついにアキの名前が呼ばれる。
我々は不自然な感じで直立し、
ギクシャクしながら診察室に入る。
もちろんテレコのスイッチはすでに入っている。
そこには看護婦さんがいた。
看護婦さんは、明らかに怪訝な表情で僕を見ている。
|
看護婦 |
……お身内さんですか? |
ヤバい!
アキがちらりと僕の顔を見る。
何か言わなくては。
家族? 兄貴? ええと……。
|
永田 |
あ…。 |
アキ |
あ…。 |
看護婦 |
そうですか。 |
看護婦さんは勝手に解釈して納得したようだ。
どちらかというとそれは
「あんまり関わり合いになりたくないわ」
という感じだったが、
ともあれ我々は、最大の難関を
「あ」の一言で乗り切ったわけである。
看護婦さんはアキの包帯をぐるぐるとほどく。
中指の根元がけっこう腫れてる。
看護婦さんは「お待ちください」と言って去った。
先生が来るのを待つあいだに、
アキが僕のほうへ右手を差し出す。
|
アキ |
(小声で)ほら、見て見て、
筋、ずれてる、ずれてる。 |
永田 |
(小声で)……静かにしてろよ! |
ほどなくして、白衣を着た女の先生が登場。
どうやら前回アキを診察した先生とは
別の先生のようだ。
テープは回り続けている。
|
先生 |
はい、どうも。
ええと、
「友人とふざけていて、右手の中指が……」。 |
先生が突然カルテを音読し始めて、
僕は吹き出しそうになってしまう。
アキは下を向いて、かなり恥ずかしそうである。
カルテを読み終えた先生は
興味深そうにアキに問いかける。
|
先生 |
へえええ。ふ〜ん。どう? こうですか? |
なんと先生はシャドーボクシングよろしく、
空中にパンチを繰り出している。
やや内側を狙い、えぐるように打っている。
|
アキ |
いや。あの……こうです。 |
アキは恥ずかしそうに空中にデコピンしている。
やや生え際よりのデコを狙い、
えぐるようにデコピンしている。
|
先生 |
あ、(デコピンしながら)これ!? 弾いたの? |
アキ |
はい。あの……デコピンを。 |
先生 |
で、どうなったんですか。
伸びなくなっちゃった? |
アキ |
あの、真ん中の筋がありますよね。
これが指を下ろすと、ズルッと。
そんで、思いっきり力を入れて上げようとすると、
カコンってなるんです。 |
先生 |
小指側にズレるんですよね。 |
アキ |
そうです。 |
先生 |
なるほど。支えてる部分が切れちゃってるんですね。
ちょっと上げてみて。 |
アキ |
え、あ、はい。
……くっ……くっ(力を入れて指を上げようとしてます)。 |
先生 |
ふうん、なるほど。やっぱり手術ですね。
手の手術はね、なかなか難しくて。
難しいっていうか、専門的な技術がいるんで。
手の外科の専門の先生を紹介しますね。
そのほうがいいかと思います。 |
アキ |
ああ、はい。 |
先生 |
そちらに紹介状書きますんで。 |
アキ |
わかりました。
|
というわけで、診察はあっさり終わってしまった。
看護婦さんがアキの右手に包帯を巻き直し始める。
先生は、ペンを取りだし何やら書き始めている。
書きながら、先生は思い出したようにアキに質問する。
|
先生 |
すごく強く弾いたんですか? |
永田 |
……プッ。 |
アキ |
……強く弾いたみたいです。 |
先生 |
酔っぱらってたとか? |
永田 |
……ププッ。 |
アキ |
……シラフでした。 |
先生 |
そのくらいで切れるかなあ〜? |
永田 |
あの、すいません、そういうことがあり得るんですか? |
先生 |
う〜ん。初めて聞きましたね。 |
アキ |
(笑) |
永田 |
じゃ、めったにあることじゃないんですね? |
先生 |
私はちょっと見たことない。 |
永田 |
しかも何かにブツけたわけじゃないんですよ。 |
先生 |
これだけですよね
(デコピンの真似をしながら)。 |
永田 |
これ、あの、正式な病名というか、
ケガの名前って何になるんですか? |
先生 |
うーーーん。病名? 病名。
シンキンシタイダンゼツ、かな? |
永田 |
……はあ。 |
先生 |
じゃあお大事に。 |
アキ |
ありがとうございました。 |
永田 |
ありがとうございました。 |
というわけで我々は、
ついに医学的見地からの見解を得ることに
成功したわけです。
つまり、
『人間の靱帯はデコピンで、
めったにないことだけど、
ごくまれに裂断し得る!』
……ええと、そういうことです。
そして回りっぱなしのテープは、
診察室を出た直後の我々の会話も録音していたのでした。
|
永田 |
……診察しなかったね? |
アキ |
え? そう? |
永田 |
うん。おまえの手をほとんど見てなかったよ。 |
アキ |
え? どこ見てた? |
永田 |
カルテ(笑)。 |
アキ |
う〜ん(笑)。 |
永田 |
カルテ読み上げたとき、笑っちゃったよ。 |
アキ |
そうそう(笑)。 |
永田 |
「友人とふざけていて……」。 |
アキ |
あんなことドイツ語で書いてあんだね。 |
永田 |
バカ、日本語だよ。 |
アキ |
え? カルテって
ドイツ語で書いてあるんじゃないの? |
永田 |
いや、そうだけど。
「友人とふざけていてデコピンしたら筋が切れた」
って話をなんでドイツ語で書かなきゃなんないんだよ。 |
アキ |
ドイツ語で書いてあるんだと思った、カルテだから。 |
永田 |
バカだなあ、おまえは(笑)。 |