怪録テレコマン! hiromixの次に、 永田ソフトの時代が来るか来ないか?! |
第31回 河原に場所を取って花火を見る 上野毛という駅に初めて降りたのは、 中学時代の友人たちと多摩川の花火大会を見るためである。 いまだに連絡を交わしている中学時代の友人たちは 僕を含めて6人いて、 そのうち4人が東京にいる。 高校時代や大学時代は希に連絡を取り合うくらいで あまり会うこともなかったが、 30を過ぎるくらいになって年に何度か集まるようになった。 1年ぶりに会っても2カ月ぶりに会っても あまりテンションは変わらない。 昔の話もするし、今の話もする。 少なくとも僕にとって、 中学時代の友人ってそういうもんだ。 駅で待っていると、杉さんとユースケが現れた。 清水は遅れてくるそうだ。 それぞれの連れ合いにそれぞれが挨拶しながら 川へ向かって坂を下る。 杉さんは大きなクーラーボックスを抱えている。 おそらくビールがたっぷり入っているのだろう。 信号待ちのときに何気なく そのクーラーボックスを持ち上げようとして驚いた。 なにこれ、持ち上がんないじゃん。 僕はユースケと笑い合う。 杉さんは転校してきたときにすごく背が高かった。 だから僕ら6人の中ではいまだに “杉さんは背が高い”という認識がある。 僕らはバスケ部だったから、 なんだか知らないけどうまいこと身長を伸ばして、 いつの間にかみんな杉さんを追い越してしまった。 それでも僕らのあいだにはいまだに “杉さんは背が高い”という認識がある。 杉さんは大学時代に空手を始めた。 身長は伸びなかったが そのぶん骨太でがっしりとしている。 明らかにヒョロヒョロしている僕らの中にあって、 杉さんはただ一人、 肉体的に頼れる大人であるように見える。 信号が変わると杉さんは非常に重いクーラーボックスを ひょいと抱えて歩き出す。 どっちにしろ僕とユースケには持てない重さだから、 任せた、と言って手伝わないことにする。 疑う余地もないほど僕らは同年齢なので、 余計な気遣いはまったく必要がない。 ところでユースケは相変わらずシャツの袖をまくっている。 これは本当の話だけれど、 中学時代からユースケはつねにシャツの袖をまくっている。 ワイシャツは必ず肘までたくし上げていた。 Tシャツは肩の部分を織り込んでいた。 数年前に結婚式で会ったときも スーツのジャケットの袖を肘まで押し上げていた。 そのおかげでけっこう二枚目なくせにいつも貧乏くさい。 どうにかしろよ、と僕はずっと本人に言っているけれど、 中学時代の友人ってやっぱりそういうもんだと思う。 曇り空がようやく暮れ始めるころ、 下り坂は土手に突き当たる。 打ち上げ開始の1時間以上まえなのだが 河原にはすでに大勢の人がいて、 ロープで区画された観賞用のスペースのあちこちに ビニールシートを広げている。 一人で本を読みながら場所取りに徹している人もいるし、 すでにたけなわになっている一団もある。 僕らはなんとか空いた芝を見つけて ビニールシートを広げる。 ビニールシートは杉さんが用意した。 ユースケはなんだかよくわからないが 缶ビールにカチャッとはめて細かい泡が出るようにする 奇妙な“ビール注ぎ装置”を買ってきていた。 800円だった、と何度も言ってる。 わかったわかった、800円なのはわかったよ。 肝心のビールの泡のほうは、 やや細かくなったかな、というくらいで ほとんど効果がないように思えたが、 ユースケは負けず嫌いだから 最後までその“ビール注ぎ装置”を使っていた。 こんな男が東京大学に入りかけるほど頭がよく、 いまは宇宙開発事業に携わる仕事をしているのだから よくわからない。 打ち上げ開始の15分ほど前になって ようやく清水が現れた。 大混雑している会場で清水が僕らにうまく合流できたのは 携帯で誘導していた杉さんの指示の的確さもあるけれど、 きっと清水のセンスによるところが大きい。 清水はそういった、 集合場所とか待ち合わせ時間とか最短経路といったことに 完璧といっていいほど長けている。 だから清水はいつも遅刻しないし、 清水といれば遠回りせず目的地に着けた。 どこかに旅行に行くとなると 必ず清水が移動の計画をたてた。 そういえば僕は、 彼が参加しないまったく無関係な旅行のときも 当たり前のように彼に頼んで計画をたててもらっていた。 逆恨みも甚だしいけれど、 僕がいまだに地下鉄の乗り継ぎを覚えられないほど 地理に疎いのは、 十代のころつねに清水が 僕の移動計画を バックアップしてくれたせいだと思っている。 ちなみに彼のお母さんはとても美人である。 さて、いまや会場は立錐の余地もない。 明らかにパワー不足なスピーカーからは 女性の割れた声が響き、 予定通りに打ち上げが始まることを告げている。 思ったよりも風が強く、混雑している割に涼しいくらいだ。 もちろん僕らは適当に乾杯している。 高校野球の話をしたり、 携帯電話の話をしたり、 僕らが過ごした地元の広島の話をしたり、 何度伝え合っても互いに把握しない それぞれの職種の話をしたり、 今の話をしたり、昔の話をしたり。 こんなにきっちりと場所を取って花火を見たのは 初めてのことなのだけれど、 7時に始まる予定の花火大会は 本当にきっちり7時に始まる。 暗闇で僕はテレコのスイッチを入れ、 あとは糸を引いて上がる火と弾ける閃光の虜である。 テープを再生すると意外なことに記録された音は鮮明で、 そこが広々とした河原であることを感じさせる。 ぽんぽんぽん、と乾いた空気を裂くような衝撃音がして、 ややあって、どん、と破裂する。 周囲で一斉にどよめきが起こる。 子供も、大人も、僕も、僕の友人も、 ほとんど絶叫している。 連続する短い花火の音はトタンを打つ強い雨に似て、 放射線状に広がった輪がキラキラと落ちてくるときには 細かい泡がひとつひとつ間断なく 弾けていくような音をたてる。 その音はどこか薬品を感じさせる。 録音された僕らの声を記してもいいのだけれど、 およそそれは意味のないことだと思う。 ぽんぽんぽん、どーん。
しばらくして花火は再開されたが、 ふたたび強風のため中止となって けっきょくそのまま終わってしまった。 あとから聞いた話だけど、 用意された6500発のうち2200発が 打ち上げられずじまいだったらしい。 たしかに少し尻切れトンボだったけれど、 僕らはそこでそのまま話し続けた。 まわりには同じように残って 飲んだり話したりしている人たちがいて、 大勢の人が帰ったにしてはにぎやかだった。 ときどき市販の打ち上げ花火が ポシュン、と夜空に上がったりもした。 たぶん2時間近くそこにいたと思う。 けっきょく警備担当の人がやって来て 「照明を落としますからお帰りください」と 言うまで僕らはそこにいて、 ほとんど最後に河原をあとにした。 ゴミ捨て場にまとめたゴミを放り込んで、 土手のなだらかな坂を上りながら ここ数年のうちに広島に帰ってしまった ふたりに電話をかけた。 6人の中でもっとも酒好きだった所は 駅前で居酒屋を始めている。 学校でいちばん絵がうまかった中脇は 出版関係の仕事をしているそうだ。 携帯電話を適当に回して 適当にふたりと会話した。 彼らは思った通りいつものテンションで、 まるで昨日会ったばかりのようだった。 杉さんの抱えるクーラーボックスは ほとんど空っぽになっていて、 いまなら僕にもユースケにも持てそうだ。 僕はうろ覚えの道を駅に向かって歩いているけれど、 清水が何も言わないということは 道は間違っていないのだろう。 さて、 上野毛という駅に初めて降りたのは、 中学時代の友人たちと多摩川の花火大会を見るためである。 いまだに連絡を交わしている中学時代の友人たちは 僕を含めて6人いて、 そのうち4人が東京にいる。 2001/08/18 上野毛 |
2001-08-28-TUE
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