NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第34回 窓の下でサイレン

暗くなりかけた日曜日の夕方に食器を洗っていたとしよう。
部屋はマンションの3階で、台所は窓際にあるとしよう。
外からは夕方のざわめきが漏れ聞こえてくるのだが、
そこに遠くを走る消防車のサイレンが
混じっていること自体はさほど珍しいことではない。

しかし、そのサイレンが徐々に近づいてきたらどうします?

だんだんだんだんサイレンは近づいてきて、
あれ、なんだか近くかな、と僕は思った。
それで窓に目を転じると、
街道へと続く道で赤いランプが回っているのが見えた。
しかも、その光はさらにこちらに近づいてくるようだった。

おいおいおい。

いよいよ本格的に窓辺へ移動して下を見ると、
眼下左からやってきた消防車はゆっくりとスピードを落とし
あろうことか、見下ろす僕の真下でぴたりと止まった。

えええ? ちょっとちょっとちょっと。

奧の部屋を掃除している妻に声をかけ、
なおも見下ろしているとたちまち野次馬が集まる。
止まった消防車からは、てきぱきと消防士が降りてきて、
なんだか荷台のようなものをガガッと引っ張り出す。

ホース?

集まってきた子どもたちが大騒ぎしている。
そりゃそうだろう。
ホントに火事なのか、
と思いながら初めてまわりを見渡してみて驚いた。

煙だ。

もやのように、霧のように、
あたりはいつの間にかうっすらと白くなっている。
慌てて窓を開けてみてまた驚いた。

焦げ臭いぞ。

ええと、なんだ、うちが火事なのか。
うちっていうか、うちのマンションが火事なのか。
ここに至って僕の野次馬根性は一瞬消え失せた。
なにしろ当事者である可能性がある。

とりあえず僕は上着をひっかけて屋上に上がることにした。
屋上にはすでに何人か人がいた。
やはり煙が白く流れていて、何かが燃えるにおいがする。
挨拶は省略して「どこですか」と聞くと
誰かが「よくわかりません」というふうに答えた。
消防車のエンジン音でよく聞き取れない。

僕は下に下りてみることにする。
とりあえずこのマンションが火事だってことはなさそうだ。

下りるまえに一度部屋に戻ってテレコをつかむ。
テレコマンなのでふつうです。
急いで階段を下りると1階の踊り場のあたりに
人だかりがあった。
誰にともなく僕はまた問いかける。
緊急時の慌ただしいやり取りを、テレコは記録している。

永田 (火元は)どこですか?
女性A どこかしら。
永田 近いんですかね。
女性A でも、なんかすごいにおいするから。
女性B うん。でもさっきより煙ないみたい。
女性A そうね。だって、最初、私、
自分のメガネが曇ってるのかと思ったもん(笑)。
あははははは。
この人は隣の隣に住んでいる人で
僕もときどき挨拶するのだが、
通りすがりの短いやり取りの中で
いつもこういうとぼけたことを言って僕を笑わせる。
女性B なんかでも煙が来てるよね。
上に行って見てみる?
女性A このマンションかな。
永田 上から見たけど、ここじゃないみたいですよ。
公園のほうなんじゃないですかね。
女性B どうなんでしょう。


踊り場から下りて駐車場へ出る。
あちこちから人が集まっている。
サッカーボールを抱えた子どもがはしゃいでいる。
ええと、なんなの?

その混雑の中へ、1台の乗用車が滑り込んでくる。
回り続けるテープは、
その車が短く2回鳴らしたクラクションを記録している。
後ろを着いてきた妻が「あ、シミアマだ」と指さす。

シミアマというのはいわば略称で、
正式にはシミズとアマノのふたりを意味する言葉である。
ふたりは僕の大学時代からの友人で、
いろいろあって僕と同じマンションに住んでいる。
ふたりはとっくに結婚して名字も同じになっているのだが、
多くの学生時代の友人がそうであるように
僕にとってふたりはシミズとアマノである。
旦那は先輩だからシミズさんで、
奥さんは同級生だったからアマノである。

にしても、こんなタイミングで帰ってくるかな。
騒乱の中、車はけっこうきっちりと所定の場所に駐車し、
慌ただしくふたりが降りてくる。
アマノ どこぉ?
永田 わかんない。


近くで見ると作業中の消防車はかなりの存在感がある。
意外にも、というと語弊があるが、
かなり立派で本格的である。
なんだかいろんなものを作動させているらしく、
エンジン音がけたたましい。

ところで、消防車は立派だが放水する様子はまったくない。
消防士らしき人がバタバタと出入りしているけれど、
いっこうに「消すぞ!」という雰囲気は伝わってこない。

どうなってるんだ?

見ると車の脇にひとりの消防士が立っている。
消防士といっても、
銀色の防火服に包まれた
見るからにファイアーマンという人ではなくて、
紺色のつなぎにヘルメットという、
どちらかといえば電気工事関係者といったあんばいの人だ。

ちょっと話を聞いてみようと思ったのだが、
一般人が現場に踏み入ると
作業に支障をきたしてしまうのでは思い躊躇する。

それでとりあえず僕はじりじりと近寄ることにする。
しかし「こらこらキミキミ下がって下がって」と
怒られる様子はない。

思えば僕は無関係な人ではない。
いや、そんなに深い関係があるとも思えないが、
とりあえず自宅の階下に消防車が止まったら
火元の確認くらいはしてもいいのではないか。

などと自己弁護しながら僕は
なおもじりじりと距離を詰める。
ところが「はいはいソコソコ下がって下がって」と
警告される気配はない。

行っちゃえ。
永田 すいません。
消防士 はい。
永田 このマンションの者ですけど、
(火元は)どこなんですか?
消防士 ああ、あの〜、神社ありますよね、そこの上に。
永田 はい、はい。
消防士 あそこで焚き火してて、
枯れ草を燃やしてた煙がこう、来たもんで。
永田 来たもんで?
消防士 火災かと思って来たんですけど。
永田 ああ。は?
消防士 ただ、落ち葉を燃やしてただけで、
火災ではなかったんです。
永田 え、あ、じゃあ火事ではないんですね?
消防士 はい。
永田 ああ〜、わかりました。じゃあどうも。
消防士 ええ。
永田 ありがとうございました。
つまり、要するに、ぶっちゃけた話、
それは焚き火だったわけだ。

なんとまあ。

心配そうに眺める人たちの中、
いち早く真実を知ったテレコマンは
ちょっとだけしたり顔で
にやつきながら知人のそばに歩み寄る。
永田 落ち葉の煙でしたぁ。
アマノ どこのぉ?
永田 神社の。
シミズ うそ。
アマノ なんだぁ。
じゃあ、誰かから通報受けて来たの?
永田 来たのかな、うん。
ごめん、そのへんはよく聞かなかった。
アマノ でもまあ、よかった。
永田 うん。よかったよかった。
正直、ちょっとだけ肩すかしの感はあるけれど、
焚き火でなによりである。
確かに、火事の煙ってふつう黒いもんな。
そういえばあまり遠くないところに消防署がある。
煙を見かけて飛んできたのかもしれない。
そう考えるとけっこう頼もしい。
ともあれ、少し脱力して引き上げる僕らである。
アマノ 昨日は甥っ子の七五三だったんだよ。
永田 あ、そうなんだ。
シミズ なに、これからどっか行くの?
永田 え?
シミズ どこ行くの?
永田 どこ行く? どこ行くって、見に来たんだよ。
アマノ 野次馬かい(笑)。
シミズ 野次馬だ(笑)。
永田 ちょっと待ってよ(笑)。
窓の真下に消防車止まって
サイレン、うーうー鳴らしてたら
ふつう見に来るって。煙すごかったんだよ?
シミズ そうか(笑)。
アマノ ちょっとくさかったもんね。
後かたづけでもあるのか
消防車はまだ引き上げる様子はなくて、
背後から子どもたちの嬌声が響いてくる。
アマノ あ、『ピクミン』買ったよ。
永田 お。やった?
アマノ うん。キューブ、黒。
永田 おお。
シミズ でも、まったく終わらないんだけど。
とてもじゃないけど、全部集められない。
永田 いま何日目?
シミズ いま? 26日とか。パーツが10個くらい。
永田 それはねぇ……ダメですな。
アマノ あははははは。


すっかり日常に戻って僕らは話す。
あたりを覆っていた白い煙は
いつの間にかなくなっていた。
僕はシミズさんに『ピクミン』に出てくる
でっかいキノコの倒しかたを教えて、
入り口のところで「じゃあね」と言って別れた。

それは焚き火でしたとさ。
よかったよかった。

1時間くらいあとでコンビニへ買い物に出掛けたが、
あたりはすっかりいつも通りになっていた。
僕は、しんとした道をひとり自転車で行きながら、
少しだけ不思議な気分になった。


2001/11/25    下落合

2001-12-06-THU

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