NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第36回 海辺の絵描き

葛西の海辺を砂浜沿いに歩いていると、
海に向かって絵を描いているおじさんがいた。
過ぎるとき肩越しに覗くと、
茶色いペンで達者な風景がそこにあった。

通り過ぎて、しばらくして、
迷ったけれど、引き返した。
テレコのスイッチを入れた。

さすがにスイッチを入れることには慣れたけれど、
最初のひと言を発するときはいつも勇気だ。
話して、話さなきゃよかったと思うことなんて、
考えてみると一度もなかったような気がするのだが、
やはり最初の言葉は勇気だ。

僕はおじさんの背後で立ち止まり、
どういうふうに始めるべきか躊躇した。

陽は海に向かって沈む途中にあって、
冷たい風の中で波が幾何学的に陽の照り返しを割っている。
夕暮れというにはまだ早いから
馬鹿みたいに赤いということはないのだけれど、
白い色の底にはほんのりと朱色が混じっている。
いい天気だが、やはり寒い。


永田 写真撮っていいですか?
おじさん ……ああ、どうぞどうぞ。
僕はカメラを持っていた。
何枚か肩越しにシャッターを切った。
するとフィルムが切れたので、
入れ替えるためにおじさんの横に座って
カメラのカバーを外した。
永田 よく来られるんですか?
おじさん ええっとね、遠いんでね……埼玉なもんで。
永田 ああ、そうなんですか。
おじさん こないだ来て描いてね、
おもしろいところだから
また今日来たんですけどね。
永田 ご趣味ですか?
おじさん ……半分趣味で、半分職業で(笑)。
永田 ああ、そうなんですか。
なんか素敵ですね。
おじさんは海から目をそらすことなく、
それでいて上の空だということもなく、
ときどき話しながらペンを走らせている。
おじさん ……やっぱり風景画ですから、
現地に来ないと描けないからね。
まあ、でも、それが楽しいんだから。
永田 風景しかお描きにならないんですか?
おじさん あとは花を描くんですけどね。
コスモスが、私、得意なもんですから。
永田 へえ〜。
おじさん だからコスモスの季節はもう……あちこちね。
永田 お忙しいんだ。
おじさん 忙しい(笑)。
……八ヶ岳まで行ったりとかね。
やっぱり山のコスモスはぜんぜん違うんですよ。
永田 自然のほうが?
おじさん うん。自然のほうが……色がシンプルですよね。
だから、こう、描いてても素朴さを感じる。
永田 それはなんででしょう?
おじさん ……空気でしょうね。
……空気ってのはすごいもんですよ。
昭和公園とか森林公園だとかも
もちろんいいんですけどね。
なんていうか……可憐さがないんですよね。
永田 はあああ。可憐さ。空気。
おじさん 空気を感じるっていうと、おかしいけどね。
写真はあれですか?
永田 や、僕はもう、趣味以下というか。
ホント、たんに撮ってるだけで。
おじさん 写真は、お金かかりますね?
永田 そうですね(笑)。
おじさん ……私は、まあ、今年定年なんですよ。
そんでまあ、
……本格的に絵描きで、やるんですけどね。
永田 そうなんですか。ご職業は?
おじさん いまは金融なんですけどね。
永田 金融。お忙しいでしょう。両立、すごいですね。
おじさん いや、でも、勉強しましたよ。
……美術学校を出てないもんですからね。
人一倍やんないと。
なかなかねえ…………ちょっと描いちゃいますね。
永田 ああ、すいません、お邪魔しちゃって。
おじさん いやいや、いいんですよ。
流れが乗ってるときに描いちゃわないとね。
……光がどうやっても変わってきちゃいますからね。
おじさんはしばらくペンを走らせて、
白いスケッチブックに茶色い波のうねりができた。
ポケットの中で拳を握るほど風が冷たかったけれど、
おじさんは手袋をしていなかった。
おじさん ……自然とか公園の中で絵を描いていて
思うんですけどね、
……やっぱり男のほうがロマンチックですよね。
永田 そうなんですか(笑)?
おじさん うん。
やっぱり花でもなんでも、
細かに観察したりして、
心休めてるのは、男のほうが多いんですよね。
永田 ふうん。
おじさん ……おもしろいですよ。
描いているとね、いろんなものを感じますよ。
…………どれ! ちょっとお見せしましょうか。
永田 あ、ぜひ。
おじさんはスケッチブックを繰って、
今日描いた海の絵を何枚か見せてくれた。
印象派の話や、モネの睡蓮の話をしてくれた。
永田 風景だと、どんどん変わっていっちゃうから
たいへんでしょうね。
おじさん もう、ぜんぜん違いますね。
それこそ5分経ったら
ガラッと変わっちゃいますよ。
まあ、写真やってる方だったら
わかると思うんですけどね。
……やっぱりとらえるのは一瞬でしょう? 
……絵も同じですね。
やっぱりこう、見てて、
「うっ」と感じたときに描かないと。
……今日来たとき、
ここに座って描こうと思ったんですけどね、
あんまり魅力なかったんですよ。
だけど夕方になってくるとね、光が変わるでしょう?
永田 綺麗ですね。
おじさん 綺麗ですねえ。
永田 それ、色はどうなさるんですか?
おじさん 帰ってからつけるんです。
ホントはね、現場でつけたいんですけどね。
……今日は寒いでしょう?
永田 寒いですねえ(笑)。今日は何時ごろから?
おじさん 今日はね、11時ごろから。
永田 11時ですか!
おじさん 何時間だ、もう?
永田 もう4時になりますよ。
おじさん うん(笑)。
不思議なもんでね、
ウチにいると風邪ひくんだけど、
こういうところにいると風邪ひかないねえ。
こんな寒い中、よく風邪ひかないもんだ(笑)。
永田 あはははは、気合いですか。
おじさん 気合いでしょうねえ。
永田 (笑)
おじさん ……お仕事は何やってるんですか?
そう聞かれて、僕は少しホッとした。
というのも、僕のカメラときたら本当に趣味以下で、
おじさんの絵に比ぶべくもないものだったからだ。
そんなもの比較するほうがそもそもおかしいのだけれど、
僕はテレコを回す口実に使った自分のカメラに対して、
なんだかずっと後ろめたさを感じていたのだ。
永田 あの、ホントの仕事というか、
ホントの趣味というか、
僕はこっちなんですよ。
おじさん ……え?
僕は、すでに回っているテレコを
おじさんの前に差し出した。
そういうのって初めてのことだ。
永田 いろんな人にお話を聞いたりしてるんです。
おじさん はあ〜。
……じゃ、なんか書かれてるんですか?
永田 ええと、ちょこちょこ、と(笑)。
おじさん そうですかあ(笑)。
ふつうに考えたら、
いままでいっしょにしゃべっていた人が
回っているテレコを突然差し出すなんて、
ちょっと気持ちの悪いことだと思うのだけれど、
おじさんはとくに気にしていないようだった。
少しだけ珍しそうな顔をしただけだった。
おじさん ……さあて……もう1枚描こうかな。
迷ってるんですけどね。寒いから(笑)。
永田 (笑)
おじさん ……でもねえ、サラリーマンを……38年か?
やってきたけど、絵っていう財産が持てて
よかったと思いますよ。
……サラリーマン辞めてもね、
人生80年としても20年描けるでしょう? 
20年描きゃあ、なんか描けるでしょう(笑)。
永田 (笑)
おじさん あなたなんか若いんだから、
まだまだこれからですよ。
永田 そうですね(笑)。
……お邪魔しちゃってすいませんでした。
おじさん いえいえ(笑)!
永田 お名前、うかがっていいですか。
おじさん コバヤシです。
あなたは?
永田 ナガタです。
コバヤシ ナガタさん。また何かあったら。
永田 はい(笑)。
コバヤシ 私、昭和公園で、
コスモスの季節になったら必ずいますから(笑)。
永田 はい(笑)。
どうもありがとうございました。
コバヤシ いえいえ、どうも。

最後に、口実ではなくて本心から、
コバヤシさんの写真を1枚撮らせていただいて、
僕はそこを離れた。

しばらく歩いてから振り返ると
コバヤシさんはまた
海に向かって熱心に描き始めていた。


2002/01/19 葛西

2002-01-28-MON

BACK
戻る