永田 |
写真撮っていいですか? |
おじさん |
……ああ、どうぞどうぞ。 |
僕はカメラを持っていた。
何枚か肩越しにシャッターを切った。
するとフィルムが切れたので、
入れ替えるためにおじさんの横に座って
カメラのカバーを外した。 |
永田 |
よく来られるんですか? |
おじさん |
ええっとね、遠いんでね……埼玉なもんで。 |
永田 |
ああ、そうなんですか。 |
おじさん |
こないだ来て描いてね、
おもしろいところだから
また今日来たんですけどね。 |
永田 |
ご趣味ですか? |
おじさん |
……半分趣味で、半分職業で(笑)。 |
永田 |
ああ、そうなんですか。
なんか素敵ですね。 |
おじさんは海から目をそらすことなく、
それでいて上の空だということもなく、
ときどき話しながらペンを走らせている。 |
おじさん |
……やっぱり風景画ですから、
現地に来ないと描けないからね。
まあ、でも、それが楽しいんだから。 |
永田 |
風景しかお描きにならないんですか? |
おじさん |
あとは花を描くんですけどね。
コスモスが、私、得意なもんですから。 |
永田 |
へえ〜。 |
おじさん |
だからコスモスの季節はもう……あちこちね。 |
永田 |
お忙しいんだ。 |
おじさん |
忙しい(笑)。
……八ヶ岳まで行ったりとかね。
やっぱり山のコスモスはぜんぜん違うんですよ。 |
永田 |
自然のほうが? |
おじさん |
うん。自然のほうが……色がシンプルですよね。
だから、こう、描いてても素朴さを感じる。 |
永田 |
それはなんででしょう? |
おじさん |
……空気でしょうね。
……空気ってのはすごいもんですよ。
昭和公園とか森林公園だとかも
もちろんいいんですけどね。
なんていうか……可憐さがないんですよね。 |
永田 |
はあああ。可憐さ。空気。 |
おじさん |
空気を感じるっていうと、おかしいけどね。
写真はあれですか? |
永田 |
や、僕はもう、趣味以下というか。
ホント、たんに撮ってるだけで。 |
おじさん |
写真は、お金かかりますね? |
永田 |
そうですね(笑)。 |
おじさん |
……私は、まあ、今年定年なんですよ。
そんでまあ、
……本格的に絵描きで、やるんですけどね。 |
永田 |
そうなんですか。ご職業は? |
おじさん |
いまは金融なんですけどね。 |
永田 |
金融。お忙しいでしょう。両立、すごいですね。 |
おじさん |
いや、でも、勉強しましたよ。
……美術学校を出てないもんですからね。
人一倍やんないと。
なかなかねえ…………ちょっと描いちゃいますね。 |
永田 |
ああ、すいません、お邪魔しちゃって。 |
おじさん |
いやいや、いいんですよ。
流れが乗ってるときに描いちゃわないとね。
……光がどうやっても変わってきちゃいますからね。 |
おじさんはしばらくペンを走らせて、
白いスケッチブックに茶色い波のうねりができた。
ポケットの中で拳を握るほど風が冷たかったけれど、
おじさんは手袋をしていなかった。 |
おじさん |
……自然とか公園の中で絵を描いていて
思うんですけどね、
……やっぱり男のほうがロマンチックですよね。 |
永田 |
そうなんですか(笑)? |
おじさん |
うん。
やっぱり花でもなんでも、
細かに観察したりして、
心休めてるのは、男のほうが多いんですよね。 |
永田 |
ふうん。 |
おじさん |
……おもしろいですよ。
描いているとね、いろんなものを感じますよ。
…………どれ! ちょっとお見せしましょうか。 |
永田 |
あ、ぜひ。 |
おじさんはスケッチブックを繰って、
今日描いた海の絵を何枚か見せてくれた。
印象派の話や、モネの睡蓮の話をしてくれた。 |
永田 |
風景だと、どんどん変わっていっちゃうから
たいへんでしょうね。 |
おじさん |
もう、ぜんぜん違いますね。
それこそ5分経ったら
ガラッと変わっちゃいますよ。
まあ、写真やってる方だったら
わかると思うんですけどね。
……やっぱりとらえるのは一瞬でしょう?
……絵も同じですね。
やっぱりこう、見てて、
「うっ」と感じたときに描かないと。
……今日来たとき、
ここに座って描こうと思ったんですけどね、
あんまり魅力なかったんですよ。
だけど夕方になってくるとね、光が変わるでしょう? |
永田 |
綺麗ですね。 |
おじさん |
綺麗ですねえ。 |
永田 |
それ、色はどうなさるんですか? |
おじさん |
帰ってからつけるんです。
ホントはね、現場でつけたいんですけどね。
……今日は寒いでしょう? |
永田 |
寒いですねえ(笑)。今日は何時ごろから? |
おじさん |
今日はね、11時ごろから。 |
永田 |
11時ですか! |
おじさん |
何時間だ、もう? |
永田 |
もう4時になりますよ。 |
おじさん |
うん(笑)。
不思議なもんでね、
ウチにいると風邪ひくんだけど、
こういうところにいると風邪ひかないねえ。
こんな寒い中、よく風邪ひかないもんだ(笑)。 |
永田 |
あはははは、気合いですか。 |
おじさん |
気合いでしょうねえ。 |
永田 |
(笑) |
おじさん |
……お仕事は何やってるんですか? |
そう聞かれて、僕は少しホッとした。
というのも、僕のカメラときたら本当に趣味以下で、
おじさんの絵に比ぶべくもないものだったからだ。
そんなもの比較するほうがそもそもおかしいのだけれど、
僕はテレコを回す口実に使った自分のカメラに対して、
なんだかずっと後ろめたさを感じていたのだ。 |
永田 |
あの、ホントの仕事というか、
ホントの趣味というか、
僕はこっちなんですよ。 |
おじさん |
……え? |
僕は、すでに回っているテレコを
おじさんの前に差し出した。
そういうのって初めてのことだ。 |
永田 |
いろんな人にお話を聞いたりしてるんです。 |
おじさん |
はあ〜。
……じゃ、なんか書かれてるんですか? |
永田 |
ええと、ちょこちょこ、と(笑)。 |
おじさん |
そうですかあ(笑)。 |
ふつうに考えたら、
いままでいっしょにしゃべっていた人が
回っているテレコを突然差し出すなんて、
ちょっと気持ちの悪いことだと思うのだけれど、
おじさんはとくに気にしていないようだった。
少しだけ珍しそうな顔をしただけだった。 |
おじさん |
……さあて……もう1枚描こうかな。
迷ってるんですけどね。寒いから(笑)。 |
永田 |
(笑) |
おじさん |
……でもねえ、サラリーマンを……38年か?
やってきたけど、絵っていう財産が持てて
よかったと思いますよ。
……サラリーマン辞めてもね、
人生80年としても20年描けるでしょう?
20年描きゃあ、なんか描けるでしょう(笑)。 |
永田 |
(笑) |
おじさん |
あなたなんか若いんだから、
まだまだこれからですよ。 |
永田 |
そうですね(笑)。
……お邪魔しちゃってすいませんでした。 |
おじさん |
いえいえ(笑)! |
永田 |
お名前、うかがっていいですか。 |
おじさん |
コバヤシです。
あなたは? |
永田 |
ナガタです。 |
コバヤシ |
ナガタさん。また何かあったら。 |
永田 |
はい(笑)。 |
コバヤシ |
私、昭和公園で、
コスモスの季節になったら必ずいますから(笑)。 |
永田 |
はい(笑)。
どうもありがとうございました。 |
コバヤシ |
いえいえ、どうも。 |