怪録テレコマン! hiromixの次に、 永田ソフトの時代が来るか来ないか?! |
第47回 憧れの串焼き屋 駅までの道にごみごみした商店街があって、 そこにTという小さな串焼き屋がある。 Tは、僕にとって特別な店である。 大げさに言うと、憧れの店である。 なんでもそこはとても美味しいのだそうだ。 だそうだ、なんて表現を使うのは、 僕がそこに入ったことがないからだ。 入れないのには理由がある。 串焼き屋Tは、一見(イチゲン)さんお断りの店なのだ。 僕にそのことを教えてくれたのは妻の兄で、 彼はもう10年以上も前に このあたりでアルバイトをしていた。 「すっごく美味しいんだけどね、 普通に入ってくる客はマスターが全部断っちゃうの」 当時お義兄さんはバイト先の社員の人に よくこの店に連れてきてもらったそうだ。 そこで門前払いされる人を何人も見たのだという。 最初にそれを聞いたとき、 正直言うと僕は 「いまどきホントにそんな店があんのかな」と、 少しあやしく思っていた。 しかし、どうやらそれは本当である。 というのも、ここに住んでもう4年になるが、 いつ店をのぞいても 入口に「準備中」の札がかかっているのだ。 中は灯りがついていて、時折楽しそうな声も聞こえる。 入口は引き戸になっているので中の様子はわからないが、 その横にある小窓からは 店主と思しき人の白い頭がちらちらとのぞく。 率直に言って、準備中とは思えない雰囲気である。 そこを通るたび、思い出したように 古い木の引き戸を眺めるのだが、 いつもTは準備中だった。 たまに準備中でないとしても、 そこにふらりと入る勇気など僕にはなかった。 そんなわけで、その古くて小さな串焼き屋は 僕にとって数年来憧れの店であるのだ。 その日、会社を終わって駅に着いた僕は電話をかけた。 妻の兄が来ることになっていたからだ。 電話に出た妻は少しテンションが高く、 「いまTにいる」と言った。 わあ、と僕は思った。 通い慣れた道を進み、僕はTの前に立った。 古い引き戸には、やはり「準備中」の札がかかっていた。 告白すると、僕はかなり躊躇した。 なんならもう一度電話をかけて 迎えに出て来てもらおうかと思ったくらいだ。 しかしながら、僕はもういっぱしの大人である。 念のために店の名前を確かめたあと、 軽く決心した僕はがらりと引き戸を開けた。 「いらっしゃい!」、という声はなかった。 かわりに、白髪交じりの店主が、 無言でじろりと僕を見た。 わあ、と思っていたらカウンターの奥から 「こっちこっち」と呼ぶ声がした。 カウンターに座る僕を お義兄さんがマスター(みんなそう呼んでいた)に紹介した。 立川談志師匠に似た風貌を持つ 白髪頭のマスターは、 初めての客である僕に向かってニカッと笑った。 心底安心した僕は、「よろしくお願いします」かなんか、 もごもごと口走ったように思う。 見回す店は年季が入りまくっていた。 7人くらいが座れるカウンターがあり、 その背中側には小さな座敷がある。 ばらばらの照明がぶら下がり、 蛍光灯のひとつは調子が悪いらしく瞬いていた。 色褪せた写真と、新しいカレンダーが壁にある。 あちこち古びているが、 なぜか生き生きとしている。 その象徴が木でできたカウンターで、 表面に塗料をまったく感じない。 たとえば古い神社の縁側などを思い浮かべてもらうといい。 使ううちに塗られていたものが すべて剥がれて白くなってしまって、 木目だけがそこに筋を浮かべる。 しかし、それは長い年月をかけて 緩やかにすり減ったものだから、 触ってもまるで毛羽立たないし むしろ触る人の手にしっくりと馴染む。 妻とお義兄さんはすでに陽気で、 隣に座ったSさんという常連のおじさんとともに いろんな話をして笑っている。 そこに座れた喜びもあって、僕もすぐにそこに加わる。 やはり話は「イチゲンさんお断り」のことに及び、 僕は希有な機会を得たと悟った。 バッグから煙草を出すときにテレコをつかみ、 カウンターの影においてスイッチを入れる。 陽気な笑い声に紛れてテレコは回る。
ずいぶん遅くまで僕らは飲んでいた。 客はとうとう僕らとSさんだけになっていた。 日付が変わる頃になって、 また来るので断らないでくださいね、 と言って僕らは店を出た。 美味しかったし、楽しかった。 入れてよかった。 そういえば、 バンブーユベントスとヤマノブリザードの馬券を 買おうと思っていたのだけれど、 そういう習慣がないものでつい買いそびれてしまった。 調べてみると、 ヤマノブリザードは9着で バンブーユベントスは12着だった。 大外れだ。 2002/05/24 高田馬場 |
2002-06-04-TUE
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