NAGATA
怪録テレコマン!
hiromixの次に、
永田ソフトの時代が来るか来ないか?!

第55回 地下鉄の駅で止まった時間


夕方の駅は混雑していた。
改札を抜ける人と改札へ向かう人が、
地下の構内でさまざまに交錯していた。

僕は雑踏からスロープへ抜けようとしていた。
歩くのは速いほうだから、縫うように歩を進めていた。
そこに違和感を感じたのは、
周囲の移動がしだいにゆるやかになったからである。

だんだんと、行く人が歩みを止めつつある。
結果的に進行が滞り、人垣ができていく。
足を止めた人々は同じ方向を見ていたが、
その先へ視線を転じるより先に声が耳に届いた。

泣き声だ。子供が泣き叫んでいる。

少し位置をずらすとその小さな姿が遠くに見えた。
もう数段で階段が終わるという位置に彼は立ち、
泣き叫びながら右手でしっかりと手すりをつかんでいる。
赤い縁取りのある毛糸の帽子をかぶり、
何もかもを拒絶するように泣き叫んでいる。
周囲に彼の関係者らしき姿はない。
夕方の構内に小さな彼の大きな泣き声が反響する。
声には不安と悪態と焦燥と寂しさが入り交じっている。
「いや」と「ぎゃあ」と「だ」を混ぜたような、
誰もが身を切られるような泣き声だ。

離れた位置にいる僕からは、
泣き声の主を同心円上にとりまく人垣が見て取れる。
みんな、共通に、そこから動けなくなってしまっている。
まるでそこに近づくにつれて時間の流れが遅くなるように、
歩く人の速度がゆるまって滞っていく。
中心で、彼はひとり泣き叫んでいる。

迷子だと思い、僕は割り切ってスロープへ向かおうとした。
けれど、三歩ほど進むとまた足が止まった。
振り向いてまた少し近づく。
彼は顔をくしゃくしゃにして泣いている。
その小さな右手でしっかりと手すりをつかんでいる。
サラリーマンもOLも学生もおじさんもおばさんも
立ち止まって動けなくなってしまっている。

僕は、なんとかする言い訳を求めるように
カバンの中でテレコを握った。
そして、少しずつ彼に近づく。

彼の顔に光る涙や鼻水が見えるほどに近づいたころ、
小さな彼はそろそろと階段を一歩下りた。
あらん限り泣き叫びながら、
それでも階段をそろそろと一歩下りた。
彼は泣きながら何かを見ている。
彼の視線の方向に、人垣が少し開いた。

女の人が立っている。
その人もまた毛糸の帽子をかぶっている。
もちろん同じ帽子ではないけれど、
そのふたつの帽子を選んだのが同じ人であろうことは、
ひと目見ただけですぐにわかった。
女の人は、彼を見ながらじっと立っている。

泣きながら、彼は左足をひとつ下の段に移し、
そこからまた動かなくなった。
右手はさっきと同じ位置で手すりをつかんでいる。
スケールの違う階段を持て余すような中途半端な姿勢で、
彼はすがるように何かをじっと待っている。

毛糸の帽子をかぶった女の人が、
ゆっくりとその右手を彼の方へ差し出した。

あふれ出すように彼は歩き始めた。
泣き声と泣き顔はそのままに、
身体だけがその人を求めてよたよたと歩き出した。

泣きながら、彼は近づいていく。
手すりを離れた手がその人を求める。

そして、駅で止まっていた時間は流れ始め、
人々はそれぞれの方向に進みだし、
僕はバッグの中のテレコから手を放し、
スロープへ向けて歩き出す。
混雑を取り戻す駅の夕方。



2003/01/23        三軒茶屋

2003-01-27-THU

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