イチ |
手をね、はなさなきゃ、だめなんだよ。 |
インストラクターのお姉さんが、
降りるときはセーフティレバーから
手を離すようにしきりとアナウンスしているのだ。 |
永田 |
イチ、怖くない? けっこう、速いぜ? |
イチ |
こわくなーい、よ。 |
永田 |
そう? |
正直言うと、
僕はあまりこういった乗り物が得意ではない。
こういう機会でもないとまず乗らない。
何があろうとご免こうむるというわけではないが、
乗ろうぜ乗ろうぜと率先して口にすることはまずない。
いわば僕はジェットコースターに対して受動的である。
真っ黄色の車両が到着し、
先客が降りるとイチはものすごい勢いでシートに滑り込む。
慌てて僕もあとを追うが、
少年ときたら勝手にセーフティレバーを下げてしまうので
「さわり怪獣」は哀れレバーに挟まれてしまった。
待て待てと僕は叫ぶが少年は知らん顔である。
ガスンガスンと黄色い車両は動き出す。
角度の急な坂道をゆっくりゆっくり上り出す。
たいした高さではないが、いやな雰囲気だ。
ジェットコースターがわざとらしく沈黙する。
頂点から地へ向けて車両が滑り落ち始めると、
元気な少年もさすがに無口になる。
思わず4歳の彼に親近感を覚える僕である。
コースターは右へ振られ左へねじり、
ほとんど真横になったりしながら
僕とイチをぎゅうぎゅうと締め上げる。
本格的なアトラクションではないから
ひっくり返ったり回転したりはしないけど、
しかし、その、意外に、ちょっと、怖いですね。
子ども向けのジェットコースターは
決められたコースをあっという間に回り終える。
ドギャンバキャンと派手な音を立てて
車両はホームにぎくしゃく止まる。
放心する僕とは対照的にイチはすでに冷静で
セーフティレバーが上がる瞬間には
両手をパーにして大げさにレバーから手を離している。
「セーフティレバーから手を離してください」と
お姉さんがしきりにアナウンスしているのだ。
そしてレバーが上がると彼は突然駆けだした。
何を思ったか、ホームの端でアナウンスする
お姉さんに向かってまっしぐら。
そしてそこでピタリと止まりこう叫ぶ。 |
イチ |
チケットありまーす! |
いやいやいや、イチ、必要ないから、チケットは。
なんだか知らないがすいませんと謝る僕である。
お姉さんはにこにこ笑っている。
ようやくアトラクションの外に出て、
さて、と思っているとイチはすでに
つぎなる方針を打ち出している。 |
イチ |
やどかりに乗る! |
それがなんなのか僕は知らないが、
それがなんなのかイチは知っているらしい。
半信半疑のままに引っ張られていくと
ほんとにそこにやどかりが現れる。
つまり、やどかりをモチーフにした
メリーゴーランド風のアトラクションである。
あまり怖そうではないが、
けっこうな速さで
ぐるぐるぐるぐる回っているのが気にかかる。
イチに引っ張られながら入り口のほうへ歩いていくと、
お姉さんが集まった子どもたちにクイズを出している。 |
お姉
さん |
はい、乗り物の真ん中に
やどかりさんがいるんですけど、
手に持ってるものはなんでしょうか? |
集まった女の子たちが考え込む。
お母さんに質問する子もいて
場がざわざわする。
ところがイチは考える素振りもなく大声で答える。 |
イチ |
ぼーえんきょーーー!! |
お姉さんは苦笑いしながら
「はいそうです」と答える。 |
イチ |
ね? ほら、ぼーえんきょー! |
永田 |
なんで知ってんの? |
イチ |
あのね、さいしょ、ひとつ行ったから。 |
永田 |
え? ああ、乗ったことあるの? 2回目? |
イチ |
2回目! |
永田 |
まえに乗ったときに見てたんだな。 |
イチ |
うん。これはさいしょ見えなかったんだけど、
はじっこは、こうやってて、
カエルがこうやってて、
これ見てて、カエルが出てて、
カエルがいっぱい出てて、
これは、見なかったの。
|
永田 |
見なかったのか! |
なにがなんだかわからない。
そういったところが少年の少年たるゆえんである。
やどかりメリーゴーランドはずいぶん空いていて、
ほとんど待たずに僕らはそこへ乗り込む。
「それでは、やどかりさんとのドライブを
お楽しみくださーい!」とお姉さんのアナウンス。
なんともカリブな雰囲気の音楽が軽快に流れ出す。
そしてやどかりは、ぐるぐるぐるぐる回り出す。 |
永田 |
ぐるぐる回るぞーーー。 |
イチ |
……。 |
永田 |
おお、はやーい。 |
イチ |
……。 |
永田 |
けっこうはやいねーーー。 |
イチ |
……。 |
永田 |
イチ、だいじょぶかー。 |
イチ |
……。 |
アトラクションが動くとき、4歳の彼は無言である。
気を遣って話しかけていた僕だったが、
あんまりぐるぐるぐるぐる回るもんで、
しだいに無口になった。
降りるころにはややぐったりするほどだったが、
4歳の彼は降りると元気になるから不思議である。 |
永田 |
ど、どうだった? |
イチ |
すごい! |
永田 |
すごいか。 |
イチ |
こんどはナニ乗ろっかなー。 |
永田 |
まだ乗るか。 |
イチ |
じゃあ、もっかい乗ろう。 |
永田 |
もう一回乗んのか! |
イチはおかしな歌をうたいながら
もう歩き出している。
慌てて僕も追いかける。
手を取って、並んで歩く。 |
永田 |
おいおい、そっち危ないよ。 |
イチ |
ばか。 |
永田 |
誰がばかだ! |
イチ |
ふふーん。ばかちん。 |
永田 |
おまえがばか。 |
イチ |
おまえがばかちん。 |
永田 |
おまえがばかちん。 |
イチ |
おまえがばかちん。 |
永田 |
しょうがない、オレがばかちんだ。 |
イチ |
しょうがない、オレがばかちんだ。 |
永田 |
イチがばかちんか(笑)。 |
イチ |
あ、あれなに? 葉っぱ? |
永田 |
葉っぱ? どれ? |
イチ |
なんでもない! |
永田 |
なんでもないのか。 |
イチ |
はやくいこ! |
永田 |
おーい、そっち落ちんなよー。 |
イチ |
落ちたら、穴が空いちゃう? |
永田 |
落ちたら、穴が空いちゃうよ。 |
イチ |
いち、に、さん、って数えて。 |
永田 |
ん? 「いち、に、さん。」なにこれ? |
イチ |
いち、に、さん。そのつぎはね、ごになるんだよ。 |
永田 |
なんで! よんは! |
イチ |
あっ、あっ、よんになるんだよ。そのつぎがご。 |
永田 |
そうそう(笑)。 |
そのようにして僕らは過ごし、
再びやどかりのメリーゴーランドに乗り、
降りると今度は最初のジェットコースターにまた乗った。
つまり、2種類のアトラクションに2回ずつ乗った。
すると彼のお母さんから電話があって、
僕とイチはイチのお母さんに会うために
てくてくと移動することになった。
道中、「飛行機をやってくれ」というので
小さな彼を担ぎ上げた。
彼は僕の真上で両手を広げて「ひゅいーーー」と言った。
下ろして再び手を引くと、
やや唐突な感じでイチは言った。 |
イチ |
ね、なまえなあに? |
永田 |
名前? オレの? ながた。 |
イチ |
ながた? |
永田 |
ながた。 |
イチ |
ヘンななまえ。 |
永田 |
変じゃないよ。 |
イチ |
変ななまえ! |
永田 |
あ、このへんで待ってればいいんだよ。 |
イチ |
じゃあ、遊んでよっか。 |
永田 |
うん。遊んでよっか。 |