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第15回 縄文は歴史の前戯?

糸井 秋葉原は、
「葉原」というくらいだから、
原っぱだったわけですよね。
タモリ 火除地にもしてたんです。
糸井 ひよけ?
タモリ 火事がこないようにしていたんです。
糸井 ああ。
中沢 当時は、消火作業って、
間の家をつぶすっていうやり方で、
延焼をくいとめる空き地だったんです。
タモリ それで、
秋葉神社に防火の神様をまねいて、
あきばはらと言っていたのが、
言いにくいんで、
あきはばらになったんだと思うんです。
糸井 そのへんは江戸時代まで
さかのぼるだけですよね?
タモリ そうですそうです。
私はそこまではさかのぼりました。
すみません。
たかだか200年とか300年でね。
糸井 (笑)いやいや、
それだけでもおもしろうございます。
タモリ ありがとうございます。

これは
ほんとうにおもしろいことで、
これから出てくることと思うんですけども、
われわれが今までに学校で習った感じでは、
縄文人って、なんかけだものというか、
「あー」とか「えー」とか、
あんまりしゃべらない印象がありますね。

動物と人間の中間くらいで、
なんの変化もなく。
中沢 歴史教科書でも、すごい薄いですよね。
糸井 1ページあったかないかくらい。
はやく縄文やって弥生にいって、
2日間くらいでおわって、
大和朝廷が……という感じ。
タモリ とにかくはやく済ませたいという。
歴史の前戯みたいなもんですよね。
糸井 戦後もすくないわりに、
縄文とか弥生とかも
すくなかったですよね。
中沢 でも、
前戯は1万年とかですからね。
糸井 時間は長いわけですからね。
タモリ 「前戯一万年」って
どっか中国のことわざみたいに……。
中沢 (笑)あはははは。
タモリ 縄文時代は、じつは
そういうものじゃないということが
最近の研究でよくわかったんですよね。

(明日に、つづきます)
 
2006-01-03-TUE