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(中沢新一さんの、イベントでの
ひとり語りをおとどけしています)
ぼくは、
とてもしつこい性格を
持っていて、
中学生くらいのときに
刺さった考えを
ずっと考え続けてきました。
中学生くらいの頃は、
大きいことを考えるものですね。
大きいことを考えたんだけれど、
だんだんだんだん年をとって、
勉強なんかしてくると、ずいぶん、
細かいところへ踏みこんじゃいます。
そうすると、おおもとのところで
自分がしていた問いかけが
見えなくなってしまいます。
そういうときにはいつも
原点に立ちかえらなければいけない、
と思い続けて、しつこくしつこく
その問題を
追及し続けてきたところがあります。
この考え方、
つまり人間の知性の働かせ方の
最も高度なものというのは、
物事を分離して、
分析するんじゃなくて
直感的に全体的に把握して、
そしてこの世界から
パワーを除去していくために
働かせていくものこそが
最高の知性であるというふうに
ブッタは言うんですね。
しかし、さきほど
ブッダの言葉として
「7代前の考え方はこれだ」
と言ったということは
7代前の新石器的な人間たちの
思考方法というのも
そういうものだったろうというふうに
結論した方がいいのではないか、
と考えたんです。
そうした時に
ぼくの前に
レヴィ=ストロースという
人類学者が現れたんですね。
レヴィ=ストロースは、
もともとは
お父さんが印象派の画家で
子供の頃から、たいへん
芸術的な環境に育ったのですが、
長じて哲学を勉強しました。
パリで哲学を勉強しましたね。
しかし、彼は
この哲学のあり方に、だんだん
飽き足らなくなってくるんですね。
それはなにか、
人類の広大な経験と
思考の体験からすると
西欧で哲学と言われているものが
ごく小さな条件付けのもとにある、
ダービーのコースのような
ちいちゃいコースの中で
おこなわれている
思考のレースのように思えて
仕方がなくなった。
人類の思考は
ギリシャ時代にはじまり
そしてどんどんどんどん
洗練の度を増していった哲学のような
思考方法の
ちいちゃなサーキットを抜けて、
原野に出て、ジャングルに出ていって、
山の中に出て行って、そして
人類のあらゆる思考方法の可能性を
探求する方法が
あるんじゃないかと思いはじめた……。
彼は若い時にブラジルに渡って
サンパウロ大学の先生になります。
サンパウロに行けば
アマゾンが近くて、
アマゾンの中には
先住民がいるというのが
おおきかったと思います。
その人たちに出会って、
その人たちの考え方を聞きたいと
真剣に思ったんですね。
そこで、ブラジルサンパウロ大学へ出かけて
毎週末ごとに
ジャングルの奥地へ出かけて行っては
先住民に会って、
その村に住んで神話を採集したり
親族の作り方を研究したりということをして、
そしてその結果、得た結論というのが、
ここに生きている人たちは
新石器時代の生活様式を
ほとんど変えていないということですね。
(明日に、つづきます)
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2006-01-15-SUN
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