(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第28回 その矛盾には意味がある

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

レヴィ=ストロースが調べたとき、
ブラジルのジャングルの奥地では
実際、鉄器なんていうのは
白人が持ってきたものを
そのまま使っているけれども、なんか、
いい加減な使い方をしているんですね。

今だったら例えば
CDをCDとして使うのではなくて
神棚にあげて、虹が出てるのを
よろこんでいるみたいな、
チベットの奥に
そんなお坊さんがいましたけれども、
そんな使い方をしている程度で、
生活の基本は
石器時代と変わらないんですね。

新石器を使って、そして
ジャングルの中で農業をしたり、
狩猟をしたりして
生きて、暮らしている。

その人たちのものの考え方というのを
研究してみると
非常に高度に論理的にできている、
ということが分かってきたのです。

植物の世界の分類というのを、
とても精緻にしていて、できていて、
おそらくさっきの話だと
縄文時代の人も、
人間が食べられることができる植物、
食用にできる植物、毒のある植物を
明瞭にわけて、そして植物学者が
びっくりするくらいに
こと細かな分類をしていました。
動物に関してもそうです。

それから、
もっと驚くべきことがありました。
神話がたいへん発達していて
その神話のひとつひとつを
「この神話なんていうのは
 ロマンチックな作り話だが、
 おとぎ話の作り話だ」
という視点を捨ててみたのですね。

ここには
ひょっとしたら神話の語り口を通じて、
この世界の有様あるいは
人間の存在価値、
人間の位置というものについて語っている
人間の最古の原初の哲学の形がある、
と考えたらどうだろうと。

そうして見ると、
矛盾に満ちた語り口を
しているように見えるけれども
この矛盾には意味がある。

それはなぜかというと
この世界が矛盾に満ちている、
この矛盾に満ちた世界を、
矛盾に満ちたまま捉えるとすると
神話の形態になる、
ということを彼は見いだすわけですね。
そしてフランスへ帰ってから
人類学者としての活動をはじめました。

『野生の思考』
『神話論理学』
『悲しき熱帯』
こういう作品を通じて
彼は新しい考え方を打ちだしていきます。

構造主義と呼ばれた考えです。
ぼくらが高校生の頃から
だんだん日本でも
知られるようになった考え方ですが
人間は新石器時代以来、
いやひょっとするとと、
その前の中石器時代、旧石器時代から
基本的な思考の構造を
かえていないのではないか、
もう数万年前に人間が出現した時に
今日わたしたちにあるような知的能力は
ほとんどそろっていたのかもしれない、
というものです。

しかし彼らは
わたしたちと同じように
その知性の能力を利用しなかった。
だから神話のような形態を作りあげた。
あるいは不思議な儀式を
作りだしたりもした……
しかしそれは
この全体的に矛盾に満ちた世界を
矛盾に満ちたものとして
つかまえるために作りだした思考方法だから
そうなったのです。

我々現代人は、同じ知的能力を
別の側面に、使っているんです。

(明日に、つづきます)

2006-01-16-MON


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