(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第33回 ぼくは、歩きはじめました

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

チベットでの体験を3年ほどしました。
日本へ帰ってきて、さぁこれから
その体験と自分が抱えてきた重い主題、
つまり構造主義の先を行くこと、
それを仏教の考え方と結合していくこと、
岡潔の夢のようなものに近づいていくこと、
そういうことに取り組んでいこう、
と意気ごんでいたわけです。

これは孤独な状況の中で
やらなければいけないから、
ぼくはその頃、
山梨にひっこんでいましたから
ここで岡潔みたいに百姓でもやって、
そういうことを
考えようと思っていましたが、
ニューアカデミズムという流行が
はじまってしまったんですね。

いきなりぼくは東京のど真ん中に
連れ出されてしまって、
ニューアカデミズムの
疾風怒濤の中に巻きこまれてしまったわけです。
これがもう10年ぐらい続いてしまって、
なかなか集中して考える時間というのが
取れなくなってしまいました。

これは辛いなぁ、
このままこれで疲れて死んでしまったら、
ぼくの人生ってなんだろうと思いました。
チベット人の先生にも
しかられてしまうしなぁ、とか
ずいぶん悩みました。
そうしたら、幸い神様の働きというか、
マスコミの世界から
脱出できる機会が与えられました。

ちょっと辛い思いもしましたけれど、
外へ出ていいということになって、
ぼくにはずいぶん時間ができたのです。

マスコミから追い出される感じで、
外へ出されて
すごく自由になったわけですね。

そこで、もう一回、
インドやネパールやチベットを歩いたわけです。
そうしたらなんだか
今まで一つに結びつかなかったもの、
つまり自分の主題と
自分がチベット人の老人たちから
学んできたものとが
一体どういう風に結びついていくのか、
だんだんだんだん
はっきり見えてくるようになったわけです。

ついに見えてきた。

そうして、
今から4年くらい前ですかね、
急にあなたは縄文時代の探検をしなさい、
というお告げを受けました(笑)。

それでぼくは急に、
「そうか、野生の思考というものを
 探るとしたら
 それは新石器時代の思考だけれども、
 日本列島における新石器時代の思考方法、
 といったら縄文だろう」
と思いあたりました。

しかも自分が生まれ育った、
信州とか甲州の世界というのは
縄文のメッカだったわけですね。

ぼくは歩きはじめました。
縄文遺跡を歩くようになり、
そして古い宗教のかたちに
再会するようになりました。

「アースダイバー」なんかの旅も
その直後にはじまっているんですけれども、
3年ぐらい前にだんだんだんだん
明瞭なかたちを
とるようになってきたわけです。

それまでも
大学で講義は続けてきました。
講義自体はおもしろいらしくて
学生たちはたくさん聞きに来てくれました。
しかし、それまで行ってきた講義というのは
いろんなおもしろいトピックをつかまえて、
今学期の主題はこういうトピックですとして、
おもしろおかしく語る手法で
やってきたのですが、
2年半くらい前に、
こう思いたったのです。

「よし、この講義を
 自分が抱えている主題に
 一つの明瞭な形を与えるための
 実験場にしてやろう」
と。

幸い、もう数年間かけて
学生たちにぼくの話を
どうやって理解したらいいか、
どうやって記録したらいいか、
というやり方を教えてきましたから
これを記録したり、聞き取って
理解したりできる学生が
たくさん増えてきていました。

だからもう
自分の主題をここではじめてもいいだろう、
と思ったわけですね。
そして、講義するだけでは
もったいないから、とにかくこれを
矢継ぎ早に
出版物にしていこうと考えたわけですね。
これが
「カイエ・ソバージュ」
というシリーズの
発端になったもので、講義をやりながら
一つの世界を作っていくということを
はじめたわけです。

一方で、
縄文遺跡への旅を続けました。
そして、自分がチベット人のところで
教えてもらった意味というのを
もう一回はっきり理解するために、
古い本をたくさん読んだりもしました。

それから新しい考古学の考え方、
今どんどん発達している
認知考古学の考え方、
これに大々的に取り組んでいこうと。

そういう異質なものを
いろんなところから寄せ集めて、
そして自分が
長いことしつこく考えていた、
「人間の思考の歴史、思考の中に
 大きな転換を
 作りだすような思考の土台」
を作りだしてみる
実験をはじめたわけです。
ですから、そこに立ちあった学生は
とてもラッキーだったと思いますよ。

毎回毎回、黒板の上に
まったく新しい考え方が
生まれてくるわけですから。

そこから生まれてくる
考え方というのは、
今までの人間についての
学問の土台や、
基本となった前提条件を
ぜんぶひっくり返したところから
生まれてくる世界観というものを
構築してみようというものだったのです。

最初の半年間は神話について話しました。
タイトルは最初から決まっていました。
「人類最古の哲学」
これはレヴィ=ストロースが
「神話とはなんですか?」
と聞かれた時に
「それは人類最古の哲学ですよ」
と答えた言葉からきています。
すばらしい言葉だと思います。

(明日に、つづきます)

2006-01-21-SAT


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