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(中沢新一さんの、イベントでの
ひとり語りをおとどけしています)
商人とそれを買う人の関係は
それを買っている間の
短時間にしか発生しませんし、
演技のようなものですね。
商売行為がおわると
ふたりの間には、
なんの人格的な関係も発生しませんし、
買い取った宝石の中には
それを作った人の人格も
何も入っていません。
この交換という経済システムを
世界全体に展開していくと
わたしたちの世界はとても合理的に
形成されていくものになるでしょう。
そのかわり、
それはものの交換を通じて、
人間と人間の通路というのは
遮断されていきます。
その反対に、神話的な世界、
あるいは国家を持たない世界、
あるいは国家がある世界でも
なんらかの古い伝統的な考え方が
残っている社会では
贈与的なものが生き残っていて
それが経済行為が
同時に人間的な行為であるという
経済システムを作りだしていたと
考えることができると思います。
そしてこの経済行為のおおもとになっている
原初的な人間の印のひとつである贈与、
今の世界ではクリスマスや
ハロウィンのようなところに
限定されてしまいました。
クリスマスというのは
死者の世界からプレゼントをして、
死者の世界からプレゼントが届くという、
そういうお祭りです。
資本主義はそれをうまく
取りこんだことによって、
資本主義は決して
渇いた、冷たい、空虚なシステムだけでなく
人間の心と心をつなぐことができるような
システムもある部分では組みこんでいますよ、
というような形にできたわけです。
だから、クリスマスは、
世界的に大ヒットしたお祭りに
なることができました。
まずこれは、
冬至の世界の季節に行われるものですし、
死者がわたしたちの世界にやってきて
死者と生きているものの間に
プレゼント交換が行われるというお祭りです。
つまり何か
神話的な思考方法がとられる
この世界の根源的な関係、
「生と死」の間にひとつの
ダイナミックな交流が行われるというのが
クリスマスです。
これを資本主義の中に組み込んだわけです。
資本主義は、冬の季節に
このお祭りをセットしました。
それはなぜかというと、
資本主義という言葉が、
(キャピタリズムということば)
キャップ=頭の部分で増殖作用をおこす、
という意味をなしていることに
関わりがあります。
資本主義は増殖を行います。
この増殖を行うという考え方の
おおもとになっているのは
贈与の考え方です。
人間が行った最初の芸術活動は
ラスコーに描かれた動物の壁画ですが
その動物の壁画は動物が
増殖してくることを願って
描いたと言われています。
つまり、増殖を求める心、
そして人間は増殖ということを
重要なポイントとして
つかんでいたわけですね。
増殖というのは、
今あるものが数が増えていって
次から次へと無尽蔵に
なにかが生まれてくるような、
そういう世界の根底にあるようなことです。
それはどういう風にして
行われるかというと、
神あるいはスピリットでもなんでも
構いませんが、
世界の根源にあるものが
わたしたちの世界への贈り物として、
しかも返礼すら求めない贈り物として
贈ってくれるギフトとして
この増殖が組みこんであったわけですね。
ですから資本主義というのは、
実に奇妙なシステムとして
発達してきたということになります。
貨幣経済は、
増殖のシステムというのを
組みこむことができません。
なぜなら、貨幣だけでは
増えることができないからです。
貨幣は
自分自身で増えることができません。
しかし、資本主義は増殖という
古代的な考え方をそのまま受け継いで
発達していく経済システムです。
ここに、貨幣経済と
増殖の作用の矛盾が発生しますが
これをうまく調停することによって、
西欧の資本主義は、発生しています。
決してこれは人間の生命活動や
この地上に生きている人間のバランスを
うまく調節できるようなシステムとしては
発達していません。
むしろ、資本主義の根底には
古い人間的な贈与の思考方法が
セットしてあります。
この贈与というものの原理を
もう一回、立ちあがらせて、
わたしたちの世界に組みこんでいく努力が
必要だろう、
そのためのメカニズムを探ってみようと、
三巻目で、したわけですね。
(明日に、つづきます)
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2006-01-27-FRI
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