(これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)




第40回 心の中の光

(中沢新一さんの、イベントでの
 ひとり語りをおとどけしています)

いままでは
生産者と消費者の間の
人格的なつながりを
断ちきっていましたけれども
それを作り出そうという努力が
はじまっています。

このトマトは誰が作ったものであるか、
ということを
わたしたちが知ることができる。
これは消費者が安全な食べ物を作ることを
自分のものにしたいという、
都会に住んでいる人間の
エゴイズムだけではすまないと思います。

ここには
人格的な関係が発生する萌芽があります。
あるいは、地域通貨の問題もそうですね。

これもわたしたちの世界が
貨幣交換によって全面的に支配され、
しかもこの貨幣が
国家によってコントロールされている事態を
作りかえていこうとする
試みということになります。
あるいはこれからの世界の中では
この贈与原理というのは、大きな意味を
持つことになってくると思います。

貧困と富んだ国の落差というのが
ますます拡大しつつありますが、
これを解消できる原理は
もはや贈与しかありません。

その意味でも
この贈与原理というものを
わたしたちの世界の中で
もう一度立ち上がらせていくことによって、
資本主義を別の形態に変えていくことが
できるかもしれない。
しかもその可能性を秘めた場所は、
日本、ここです。
このことをこの本の中では語ろうとしました。

四巻目は「神の発明」というものです。
最初の超越者が
どのように発生したかを知りたくて
チベット人の世界へ出かけました。
そこでは見事にそれを実践していました。

神は人間の心の中に発生する
絶対的な自由であり、
この自由なものが
わたしたちの心の中を
縦横無尽に飛び回っている。

そういう状態が
わたしたちの心の根底にあります。

それはヴァイブレーションとしてあらわれ、
視神経を刺激して
光となって外へあらわれる状態です。

吉本さんは融通無碍という言葉を使って
仏教の本質を表現していましたが
この融通無碍という言葉を
人間の心の根底に起こっている言葉だと
理解してみましょう。

チベット人は
このところをはっきり知っていました。
これを実際に見ようとするんですね。
真っ暗闇の部屋の中に入って、
何日も何日もその部屋の中にこもっていると、
心の視神経の中から、
自分の内面の中から
光があらわれてくる状態を作りだすんですね。

これはたんに
仏教の訓練法であるわけじゃないんだ、
と思います。
旧石器時代に人間が
最初の宗教行為を行っていた
洞窟の中で起こったことと同じです。

洞窟はおそろしく深い。
旧石器時代人が儀式を行っていた洞窟は深く、
そしてくらーいところです。
深く、くらーい世界の中で、
明かりと言っても動物の油で作った
ちいちゃなカンテラみたいなものしかないんですよ。

そのちいちゃい火で照らしながら
壁画を描いていました。
その人たちが儀式をやるときは
おそらく、真っ暗闇になったと思います。
おそらくは洞窟の中に
長時間こもったと思いますが、
何も見えない世界の中で
この旧石器時代の人類は
自分の心を見ています。
内面に発生する光を見ています。

この光は、今日ではエントオプティック、
内部視覚という研究領域とも
なりつつありますが、
人間の内部に発生する光として
研究が進められています。

(明日に、つづきます)

2006-01-28-SAT


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