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中沢 |
岡本太郎さんが
フランスで勉強していた頃
戦争になっちゃうじゃないですか。
逃げ帰るようにして帰ってきて。
日本で抽象芸術を始めたわけですよ。
……そしてぼろくそ言われつづけた。
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糸井 |
誰も理解しない。
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中沢 |
下手だとかいってね。
そうこうしているうちに、
東北に出会うわけです。
縄文に出会った。
マルセル・モースから
学んでいた民族学が、そのとき、
どおんと浮かびあがってきたわけです。
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糸井 |
沖縄と東北と両方あるんですよね。
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中沢 |
そして岡本太郎の
新しい制作がはじまっていく。
非合理的な部分と論理的な部分というのが
不思議に合体していて。
ああいうもんだったんじゃないでしょうか、
日本人の達人というのは。
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タモリ |
そうですね。
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糸井 |
やっぱり社会の都合に合わせて
生きていくっていうことを
みんながしているわけだけれど、
岡本太郎は両親からして、
あんなところに暮らしていたら
幼児にして自殺みたいな、
そのくらいひどいところに……。
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中沢 |
ひどいですよね。
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糸井 |
本当にひどいところにいた。
溺愛とほったらかしの
行ったり来たりの中で
暮らしているわけですから。
現実を良いところだと信じたら、
生きていけないんですよ。
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中沢 |
うん。
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糸井 |
だから、
もう一つの世界を持たない限りは、
岡本太郎という人は
生きていけなかったわけです。
フランスっていう
もう一つの世界から追いだされたら、
もう行き場はないわけですよ。
で、岡本太郎はできあがったと。
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タモリ |
あの人は
折衷案とかないみたいですね。
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糸井 |
ないですね。
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中沢 |
一切。
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タモリ |
それを思うと
日本に帰ってきた
記者会見があった時に、
出されたのが
クリームソーダだったらしいんですよ。
それでそれを飲みながら、
「これ二つはうまいのにね、
なんで一緒にするのこれ」
って言ったらしいんですよ。
あぁ、
この人は折衷案ないんだと思ってね。
融合とか、きらいなんじゃないですか。
だから、かなり両方で揺れ動いていて……。
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中沢 |
曖昧ってことはきらいなんですね。
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タモリ |
曖昧ってってことはきらいなんですね。
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中沢 |
シャープにわけていくんだけど、
下のところで
なんかつながっちゃうみたいな。
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糸井 |
建前はクールだったというし
強かった西欧人を演じているんですよね。
だけど根っこの根っこは
孤児のような日本人ですよね。
あの、ジョン・レノンの晩年の写真で、
ローリングストーンっていう
雑誌があったんだけれど、
オノヨーコに
胎児のようにしがみついている……
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タモリ |
あぁ、ありますね。
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糸井 |
あの有名な写真を、
岡本太郎っていうと、
いつも思いだすんですよ。
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タモリ |
あぁ。
強力な幼児っていう感じがしますね。
(明日に、つづきます)
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2006-02-03-FRI
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