- ──
- TOBICHIでの「冬のポンテとナオト展」を前に、
NAOTの靴のファンであり、
ロゴやイラストも手がけられている
イラストレーターの福田利之さんと、
NAOTを日本で展開している会社
「loop & loop」の代表である
宮川敦さんにお話をうかがいます。
- 福田
- よろしくお願いします。
- 宮川
- 福田さん、ありがとうございます。
- ──
- そもそも宮川さんと福田さんの出会いは
どのようなものだったんですか。
- 福田
- 僕は奈良が大好きで、よく通っていたんです。
関西に住んでいるときはもちろん、
東京に出てきてからも。
そんななか、共通の友人がいて、
その人は「カナカナ」というお店を
奈良でやっておられるんですが、そこで
宮川さんのことを教えてもらいました。
「風の栖(すみか)」っていうお店に
宮川さんというおもしろい人がいますよ、って。
だから靴がご縁というよりも、
友達経由で宮川さんとつながったんです。
でもすぐには会えなくて‥‥。
- 宮川
- 初めてお目にかかったのは、
福田さんが奈良で展示会をしている時でしたよね。
僕が遊びに行ったんです。
- 福田
- そうそうそう!
展示を見に来てくださったんです。
- 宮川
- その展示会場が今は、
NAOTのお店になっている場所なんです。
- ──
- おもしろいご縁ですね。
▲奈良にあるNAOTのお店。
- 福田
- ‥‥その場所、
実は僕にも「経営しないか」っていう
話があったんです(笑)。
- ──
- えっ?
- 福田
- その場所はカナカナさんが、
「ボリクコーヒー」というのを
やっていたところなんです。
僕はそこでよく展示をしていました。
そしてそのボリクコーヒーが近くに移転するというので、
「福田さん、次、ここで経営しいひん?」と言われて、
ちょっと真剣に考えていたことがあったんです。
- ──
- それは、まだ関西にいらっしゃった頃?
- 福田
- いえ、東京に越していました。
あらためて関西でお店をやるのも
おもしろいなって思ったんですが、
やっぱり現実にはむずかしくって。
そうしたら、宮川さんが
NAOTブランドでその場所に入られることになり、
「それは、もうそれが一番いい!」って。
- 宮川
- 僕は僕で、ちょうどお話を貰ったのが、
東京店がオープンしたての頃だったんです。
僕たちも、初めは「やりたい」って言ったけれども、
東京店が始まったらすごく忙しくなって、
「やっぱりむずかしいかも」と、
1回、話は立ち消えたんです。
けれども契約する・しないの直前ギリギリに、
「やっぱりやりたい」と。
今から2年くらい前のことです。
- 福田
- それから、奈良に行くたび、
NAOTに遊びに行くようになりました。
NAOTではよくライブをされていたし、
そこでライブをしていた山田稔明さんという
ミュージシャンのCDジャケットを
僕が作っていたりと、
いろいろなご縁が重なって‥‥。
一緒にものをつくったのは、
トートバッグのイラストからですよね。
- 宮川
- はい、いま欠品しているんですが、
オリジナルトートバッグの絵を
福田さんに描いていただいたんです。
いま持っているこれは
僕がお弁当入れに毎日使っているので
少しクタクタになっていますけれど。
また‥‥つくろうかな?
- 福田
- そのあたりからNAOTの靴が
自分の日々のローテーションの中に入りました。
でも、実はNAOTの靴のこと、
知ってるようで知らないので、
きょうはいろいろ
聞かせていただけたらなぁと思っていて。
そもそも、イスラエルの靴なんや、と思いません?
どうして宮川さんがイスラエルの靴を
商うようになったのかって、不思議ですよね。
- 宮川
- 「そもそも」を話しますと、
結婚して、東京で働いてたんです。
外資系の商社でした。
それはそれでよかったんですけど、ふと
「このまま人生終わっていいのかな?」
と、急に思い始めて。
28歳くらいだったかな。
それで30歳になったら
会社を辞めようと思ったんです。
2人でお金を貯めて、世界を放浪しようって。
そこから2年間くらいかけてお金を貯めて、
旅に出ました。
3年と9ヶ月くらいかけて、
世界をグルグルっと回ってきました。
出た時には、
「とりあえず、やりたかったから、やろう」
みたいな感じで、勢いだけで行きました。
「やりたいと思ってやらずに後悔するか、
やって後悔するか、やってみなくちゃ」って。
- 福田
- おお、ではその旅でNAOTと出会ったんですね!
- 宮川
- そうじゃないんですよ、それが。
それだったら、すごい美しい話なんですけど。
- 福田
- 違うんですか?
うっかりそうやと思ってました。
(つづきます)
2016-11-15-TUE