── |
はああ、また3日間くらい、
考え込んでしまいます。 |
糸井 |
ところで、
この物語も、そうでしたね。
また、女性です。 |
── |
というと? |
糸井 |
いちど『色即ぜねれいしょん』のときに
話しましたけど、
今回も、女性が鍵ですよ。
落とし穴を掘ったのは、
いつも女性です。
主人公が自分からすすんで行ったことは
ひとつもありません。
碁石を置いてるのは、女の人です。 |
── |
そういえば‥‥そうでしたね。 |
糸井 |
女性のテリトリーの中に
組み込まれることが恋愛の成立、
ということなんでしょう。
女性たちのお宮の中に男が
さまよい込み、紛れ込んでいく。
お宮のなかに、
直子は「いればいいのよね」と言うし、
緑(ミドリ)はちがうアプローチをする。
そして、その
入口や真ん中や出口に
性があります。
主人公が自分から動くときは、
まったくの他人に向かって、
「性」という価値のあるものを
ハンティングしに行くときだけでした。 |
── |
そうですね。
男性のほうから動いたのは、
知らない女性に対してでした。
主人公の
「やりに行きますか」
というような台詞がありましたね。 |
糸井 |
あの「やりに行く」という台詞、
玉山鉄二さんが演じた永沢先輩は
言わないようにしてたんですよね。
先輩は「女でもひっかけに行くか」という
中途半端な表現にしてるのに、
主人公は、まじめでストレートだから
「やりに行く」というふうになります。
‥‥あのですね、
性というものは、
相手が他人であると、
交渉がはじまるんです。 |
── |
他人との交渉ですか。 |
糸井 |
直子とキズキは、仲のよすぎる
信じ合ったカップルでした。
もう、他人じゃないんです。
だから、そういう関係がありません。
直子と「ぼく」も
なかよくなったらダメになった。
「もっと他人でなくなればいいのに」
と思ってすることは、
他人とすることなんですよ。 |
── |
‥‥‥なるほど。 |
(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、
フジテレビジョン |
糸井 |
ですから、恋愛や青春というものは、
他者との遭遇の物語なのです。
小説の『ノルウェイの森』が出たのは
1987年です。
そのころには、村上さんは
こういう作品にするくらいに、
そのことをまず
よくわかってたんですね。
ぼくにもそういうことが
だんだんとわかって、何年か前に、
「性」という言葉に
「ちがい」という
ふりがなをつけてみました。 |
── |
はい、そのときのこと、覚えています。
「差異」「different」「ちがい」
でした。 |
糸井 |
そうなんです。
性はdifferentなんですよ。
緑は、とてもめんどうな子ですけれども、
あの子の中に主人公は
「新different」を見つけたんでしょう。 |
(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、
フジテレビジョン |
── |
しかし、緑とワタナベは、
うまくいくのでしょうか。
もしかしたら、やっぱり
恋愛じゃないところに
行くしかないのかもしれませんね。 |
糸井 |
そうですね、
もうあの人たちの「恋愛時代」は
終わるのかもしれないですね。
恋愛って、大事業で、大儀式でしょう。
しかも、あのころの恋愛というものには、
もうひとつの大きな特徴があって‥‥。 |
── |
はい。 |
糸井 |
ぼくは1948年生まれで、
村上春樹さんとほとんど同じ歳なんです。
あのころのぼくらは、
本読んでるふりしたり、
バイトとかしてたけど、
人生の目的のほとんどが、
恋愛だったんですよ。 |
── |
ほとんどが。 |
糸井 |
ええ。
あんなに恋愛がいちばんだと
思ってた時代があったなんて、
いまからじゃちょっと考えられないですよ。
それは、背景に
学生運動があったからだと
ぼくは思っています。 |
── |
危機感のようなもののせいですか? |
糸井 |
というより、なんというんだろうな‥‥
寺山修司さんの歌のなかに
「身を捨つるほどの
祖国はありや」
という言葉があります。
寺山さんはそういう歌を詠んだけど、
では、自分にとって
命を懸けられるものなんだろう?
と、ぼくらは考えました。
背景に「反対!」というような
先輩や同級生たちの声が聞こえてくるけど、
自分にとって命を懸けることは
それじゃないとしたら? |
── |
やっぱり、
人との関係でしょうか。 |
糸井 |
そうです。
しかも、おもに恋愛関係にすべてがある。
そういう雰囲気は、
あのブロックの世代だったぼくには
ちょっとわかります。
『ノルウェイの森』の主人公のワタナベ君も
「責任を持つ」とか
恋愛にまるまる
命をかけてると思います。
それに比較するように、
永沢先輩が
社会のひとつの代表のようになってましたね。 |
── |
のちに外務省に行く方ですね。 |
糸井 |
あの永沢先輩の言ったことで
おもしろいなぁ、と感心したのは
「先に寮を出るのは、ぼくだと思った」
とかいう台詞です。
あれは、すっごくおもしろいよ。 |
── |
ワタナベが先に寮を出たことについて、
先輩がしみじみ言うシーンですね。 |
糸井 |
つまり、寮というのは、
学生の社会です。
そこを出るのは、
永沢先輩は当然自分だと思ったし、
外務省という社会参加も決まっていた。
外国に行くという約束もありました。
だけど、彼は映画が終わるまでずっと
社会と接しないままでした。 |
── |
エンディングまで、
先輩は学生寮のまま。 |
糸井 |
先に出たのは、いつも旅する
「ぼく」のほうだったんです。
あそこはね、村上さんも、
トラン・アン・ユン監督も
「よくもまぁ、いろんなことを
表現してきた人たちなんだな」
と思いました。 |
── |
永沢先輩のセリフは、
「見逃しストライク」してしまうような
示唆に富んだものが
多かったですね。 |
糸井 |
全体的に、性の生々しさはあるのに、
台詞は「書き言葉」っぽい。 |
── |
村上春樹さんの作品を読んだときの感じが、
映画でも同じように感じました。
言葉づかい、独特の感じ。 |
糸井 |
主人公の言葉、ナレーション、
その村上さんの書く世界は、
映画でも同じだったと思います。
女の子たちも、長々と、
「何々で何々で何々で何々で」って語る。
不自然と言う人も、いるのかもしれない。
だけど、あの台詞は、
もしそうじゃないんだったら
どういうふうにすればいい? |
── |
そうじゃないんだったら
どういうふうにすればいいかというと‥‥。 |
糸井 |
そう考えると、
ほかにない。
あれでしかないんです。
どうでもいいことではないんです、
あれは、村上さんの手法です。 |
── |
そこを、トラン監督は、
みごとにあらわしていたんですね。 |
糸井 |
そのせいもあって、
言葉も映像も、
日本の景色の枠にはおさまらない、
世界に通じるところにまで
広げられていたと思います。
アジアや、ヨーロッパや
北欧の風景にも見えたし、
まるで、風景というものの
全部のようにも見えました。
インターナショナルって
こういうことだと思いました。
あれはトラン監督の
目玉が景色を作ってるんですよね。
おもいしろいもんです。
世界に見せるための村上春樹の作品って
こういうふうになるんだ、と感心しました。 |
── |
村上さんの言葉の表現も、
そういう感じですよね。 |
糸井 |
そうですね。
村上さんの小説をはじめて読んだとき、
あのような目玉の表現で
日本を描けるんだということについて
みんなはびっくりしたんですよ。
あの映画は、
絵コンテでカッチンカッチン作る感じじゃ
ないでしょうね。
それがトラン・アン・ユン監督の作り方の
おもしろいところだと思います。
おそらく、かなりムダなこと、
感心するくらいにいっぱいやってると思う。
みごとに、文学作品だったと思いますし、
ちゃんと「映画」になってましたね。 |
── |
そうですね。こういう映画、
久しぶりにたのしみました。
‥‥と、まとめたところで、
もういちど話を蒸し返すようで
申し訳ないんですが。 |
糸井 |
はい。 |
── |
性というものは、
いったい恋愛にとって
何なんでしょう?
つまり、できたとか、できなかったとか、
そういうことが
ちょっともやもやしています。 |
糸井 |
そこは、映画の中で
ものすごく複雑な話をしてるわけですよ。
肉体的に交接したかしないか、
両方に「する意思」があったのに
物理としてはしなかった。
そこにものすごくこだわってるでしょう? |
── |
はい。そこが、悲劇に向かう
かなり太い線になっているわけで、
見逃すことはできなかったのかな? と思うんです。 |
糸井 |
それは、自然と文明との戦いなんですよ。
愛し合うことって何でしょうか、
ということです。
愛し合ってるといえば、
あのふたりは愛し合ってるし、
体もどうぞと言っている。
「あなたの所有になります」という
決意をしている人間同士が
試みたということは、
定義されているような「愛」というものは
すべて、かなってるんですよ。
なのに物理として、
かなってなかったことを
あんなにも言うということが
ぼくは青春だと思うんです。 |
── |
青春の‥‥それは、大問題ですか。 |
糸井 |
そう、大問題なんです。
ぼく個人の意見としては、
どちらかというと男の子の側の
「大問題」のような気がします。
女性はあんまりそういうことは
言わないかもしれない。
「おんなじじゃない?」と言いたいところが
ちょっとあるのかもね。 |
── |
そうですね‥‥。
でも、相手のことを考えたとき、
それは女性にとっても
大問題になるというのは
やっぱりわかります。 |
糸井 |
特に、若いときには、
「相手がガッカリするんじゃないか」
ということを中心に考えるでしょう。
それを愛というならばそうだし。 |
── |
あの時代の男女だとさらに
そうだったんでしょうね。 |
糸井 |
そういう直接的な台詞も多かったですね。
「精神はどこまでもあなたとひとつよ」
という意思があって、
その意思と意思が結晶化することを
愛というならば、
「すでに愛はここにあるのに、
自然としては結ばれてない」
状態になります。
それはとても不満です。
だけど、そこで寄り添うということも
愛の表現ではないかとぼくは思います。 |
── |
最後に、レイコ先生とだけは
自然に結ばれるんですけれども。 |
糸井 |
ひとつの儀式として
結ばれることもあるわけですよねぇ。
ね、こうやって話してても、
すごく言えないし、
表現しにくいことが
あの映画には入っています。 |
── |
そういうことを、村上春樹さんは
本の中でやろうとなさってきたんですね。 |
糸井 |
村上さんは、いろんなことと
格闘しているんですよね。
村上さんの文体ひとつを見ても、
自分の考えについて
普遍的なものであるかどうかを、
いつでも考えている人なんだと
ぼくは思います。
例えば、
流行がふと変わってしまったら
すぐに変化してしまうようなことを
自分は言っていないかどうかについて、
つまりは「永遠」ということについて、
とことん考えてる人なんだと思います。 |
── |
吉本隆明さんからも、
そういう「永遠」についての話を
伺った記憶があります。 |
糸井 |
そうだよね。
やっぱり、そうだと思います。
「永遠にもつ考え」というのは、
たいしたことなんです、ほんとうにね。
‥‥おそらく、村上さんは
「なあなあ」が嫌なんじゃないかな? |
── |
「なあなあ」ですか? |
糸井 |
うん。
あの映画の登場人物たちが
好きなことと嫌いなことって、
「なあなあ」で分類するとわかる気がします。
緑がバーで
「そんなふうに言われると思わなかった」
と言うシーンがありますよね。
主人公が「なあなあ」で言った発言は
緑にとっては「なあなあ」ではなかった。
肉体的に結ばれたかどうかということに
こだわっている人がひとりでもいれば、
「それでいいんじゃない?」で
済ませるのは「なあなあ」になるんです。
あのふたりは
「そういうものだから」ということで
終わらせたり通りすぎたりしてないでしょう。
人と人とのコミュニケーションには、
「なあなあ」と
「なあなあ」じゃない部分とが
いつもあります。
あの永沢先輩は、ものすごく
「なあなあ」が上手なんだよね。
「なあなあの様式」というのもあるわけですからね。
先輩の彼女は「なあなあの様式」の中に
いたはずなのに、
主人公の話になると「許せない」と言いました。
自分の「なあなあ」の様式が壊れるからです。
人間ってそういうもんでしょ、
というようなところで
許してたはずなのにね。 |
── |
もう少し下の世代の恋愛観には、
「なあなあ」がうまく入り込んだ感じがします。 |
糸井 |
そうですね。
あの先輩の彼女が、ユーミンの
『ルージュの伝言』になるわけですよ。 |
── |
彼の浮気を
彼のママに言いつける人ですか。 |
糸井 |
ほかの女と寝ようが、かまわないんです。
あのね、もうね、
幸せになろうと思ったら
恋愛をしちゃいけないんだよ(机につっぷす)。 |
── |
泣かないでください。 |
糸井 |
「恋愛をしちゃった」というつかまれ方、
ほんっとに、むごいよね。
仕掛けたのは女の人ですよ? |
── |
このお話の中では、そうでした。
だけどそれは、
村上さんがモテたからだと
思うんですが、ちがいますか? |
糸井 |
いや「モテたから」ではないと思います。
あのね‥‥男が口説くことって、
「私はおまえを所有したい」ということの
権力の表現になりがちなんです。
「それはいやだな」と
ちょっとでも思ってると、
口説くことって、ほんとうにむずかしいんですよ。 |
── |
はぁあ、なるほど。 |
糸井 |
村上さんにも、その気持ちはあると思います。
「そっちで行くわ」と言って
街に繰り出すことはできます。
だけど、人として
つき合いながら口説くのは、
やっぱりパワーの行使になりますから、
ものすごくむずかしいんですよ。
ですから、
「できるならば、あなたが過剰に同意してください」
というふうになるんですよね。
そういうこともあって、
誘われるように落とし穴を掘ることも
するんです。 |
── |
女の人だって、そういうことはしますね。 |
糸井 |
それはもう、
魚心あれば水心です。 |
── |
いずれにせよ。 |
糸井 |
うん。それを仕組んでるのはもう、
神様だよね。
遺伝子だよね‥‥。 |
── |
‥‥‥‥はい。
この話の結論のようなものは
どう転んでも出そうにありません。
また、恋愛については
別の機会に、コンテンツなどで
おいおい教えていただくとして、
今日はこのへんで終わりにいたしましょう。 |
糸井 |
『ノルウェイの森』、
菅野は2回観たの? |
── |
はい。 |
糸井 |
観る気持ちは、わかる。
そのくらい、
てんこ盛りの映画でした。 |