身内の受賞の話で、恐縮です。
でも、これくらいはっきりとおめでたければ、
いいのではないかと。
先日、弊社社長である糸井重里が
2012年度TCCホール・オブ・フェイムに
選ばれたというニュースが届きました。
この賞は、東京コピーライターズクラブ(通称TCC)が
制定する「コピーの殿堂」というもので、
過去には、開高健さん、土屋耕一さん、
山口瞳さんといったメンバーが
殿堂入りをされているのだそうです。
おお、これははっきりとおめでたいぞ、ということで
受賞者の人に同行してきましたので、
当日の様子をレポートいたします!
「糸井さんってどんな仕事をしていたの?」
最近は、そういう声もしばしば聞こえてきます。
若い世代の方に、あらためてお伝えしますと、
かつて、糸井はフリーのコピーライターでした。
そんなことも知らないの、と嘆くことなかれ、
ほんと、若い人にとっては、
そのへん、謎みたいなんです。
せっかくですから短く振り返りましょう。
糸井重里は、1975年に、
「このジャンパーの良さがわからないなんて、
とうさん、あんたは不幸な人だ!」
というキャッチフレーズで、TCC新人賞を受賞します。
その後も、
「不思議、大好き。」(1982年、西武百貨店)
「おいしい生活。」(1983年、西武百貨店)
といったキャッチフレーズでたいへん有名に。
80年代のコピーライター・ブームの火付け役と
いわれる存在になっていったんです。
その後も、ジブリ映画のコピーなどで
けっこうみなさんの目につく仕事をしているんですけど、
ま、そのあたり、興味を持たれましたら、
調べてみてください。
さて、授賞式は11月16日、金曜日。
糸井とともに会場である
ホテルニューオータニに着くと、
さっそくこの方がむかえてくれました。
?
TCCの会長を務められている、
コピーライターの仲畑貴志さん。
糸井とは20代のころからの親友です。
式がはじまります。
この日は、TCC賞の授賞式も
同時に行われていました。
?
つづいて、ホール・オブ・フェイムの
顕彰式にうつります。
糸井重里の名前が呼ばれ、
うちの糸井が壇上へ!
ちょっと、こっちまで緊張。
選考委員の朝倉勇さんによる、選考理由が伝えられます。
「本質をつかみ、言葉と思想がとけあった
糸井氏のコピーは終始新鮮で、
驚きとともに、心に届きます。
その言葉は、常に時代の価値観を切り開き、
手垢のついた生活意識を洗う力を持っていました」
‥‥か、かっこいい。
壇上の社長が、いつもとちょっと違ってみえます。
昔の作品をいくつか
スクリーンに流してくださいました。
ああ、このウィスキーのCM、
覚えてる、覚えてる。
仲畑さんから記念のエンブレムが手渡されました。
「こういうものをもらう年になったというのが
恥ずかしいです」と糸井。
セレモニーが終わり、
舞台を降りようとします。
と、そのとき!
「‥‥!」
「うわぁ‥‥」
突然、みうらじゅんさんが登場!
糸井も乗組員も事前に知らされておらず、びっくり!
みうらさんらしい、ユーモアたっぷりの
お祝いのスピーチをいただきました。
「上京して、はじめて見たスターが糸井さんでした。
用もないのに勝手に出入りして迷惑をかけていました。
でも、いちばんはじめにすごい人に会ったから、
その後、天狗にならずにすんだというのが自慢です。
ぼくもそろそろいい年で、
ちょっとスローライフをのぞんでいるんですけど
さらにいい年をした糸井さんの仕事っぷりをみていると、
ぼくも休めないなぁと思って、
昨日もここのホテル内の人間ドックに来たところです。
つまり、連チャンでここに来ております」
立派な花束まで。
みうらさんは、このために
わざわざ駆けつけてくださったそう。
ほんとうに、ありがとうございました!
九州新幹線全線開業のTVCMシリーズで
TCCグランプリを受賞した、
電通の磯島さん、東畑さんと一緒に。
このCM、とっても感動的でしたよね。
最後に全員で記念撮影。
‥‥といった授賞式でした。
身内の話で恐縮ですが、
ちょっとうちの社長を見直しましたよ。
TCCのみなさま、
弊社の社長にすばらしい賞を
ありがとうございました!
最後に、糸井の受賞のことばを
掲載させていただきます。
乗組員から言うのもへんですが、
糸井重里さん、おめでとうございました!
「ぼくがコピーライターになって44年になりますが、
いま『頼まれ仕事』はしていないものの、
毎日コピーを書いているようなものなんです。
頼まれてないのに書いているんだから
よっぽど好きなんだろうなって自分でも思います。
若いころの話をすると、
最初に大きな会社に入れなかったものですから、
まずは小さな会社に入りました。
入社したその日に先輩が辞めて、
ぼく一人になってしまって。
その後、会社がつぶれてフリーになるわけですが、
当時は力がなかったから、
ちゃんとした仕事もあまりできませんでした。
そこから、いろんなことをやって、
TCC新人賞をいただいたとき、
とてもうれしかったのを覚えています。
そのころの先輩たちが、ぼくのことを、
少年マガジンとか少年サンデーのノリで、
『少年コピーライター』と呼んでいました。
コピーを書くより請求書の書き方のほうを
悩んでいた時代です。
そんな、少年といわれたころから、
ここまできたことを自分でも不思議に思います。
仕事って、10年続けたら一人前っていいますが、
プロフェッショナルになるということは
日常生活を送ることが不便なくらい
体や心のどこかが変形することなんですね。
小説家だったらペンだこができたり、
人が傷つくかもしれないことについて、
小説家であるがゆえに、
あえて書くことを優先するようになったりだとか。
競輪の選手だと太ももが太くなるし、
テニスの選手なら右手の筋肉が肥大します。
でも、コピーライターには何もないんです。
44年やっていても、たこもできなければ、
右手が太くなっているわけでもない。
やればやるほど、ふつうの人になっていくんです。
どんどんよけいな筋肉がなくなって、
インナーマッスルだけで体を支えているような
感じといえばいいのかな。
ふつうの人以上に、ふつうのことを考えられる。
そういうところで、ぼくらはごはんを
食べていけているのではないかなと思います。
今日いただいた賞も、
『ふつうの人』というあかしです。
でも、『ふつうの人でも、なんでもできる』
というのが、ぼくのずっと思っている
人生のコンセプトのひとつです。
これからも、ふつうに磨きをかけた
取り柄のない、平凡な人として、
これからもやっていきたいと思います。」