のんさん、
第16回伊丹十三賞受賞、
おめでとうございます!
2024-10-31
こんにちは。
ほぼ日のです。
9月のある日、、、と、
伊丹十三賞の贈呈式におじゃましました。
この賞は、俳優、映画監督、デザイナー、
エッセイスト、テレビマンなど、
さまざまな分野で偉業を残した
伊丹十三さんを記念してつくられました。
伊丹さんが
「『これはネ、たいしたもんだと唸りましたね』と
呟きながら膝を叩いたであろう人」に
贈られるとのことです。
第1回の受賞者に糸井重里が選ばれたご縁から、
ほぼ日は毎年授賞式におうかがいしています。
さらに、
伊丹さんとご親交のあった方々にご協力いただき
「伊丹十三特集」を組んだこともありました。
さて今年、
第16回めとなる伊丹十三賞の受賞者は、
俳優やアーティストとして活躍する、のんさんです!
受賞理由は
「俳優、ミュージシャン、映画監督、
アーティスト‥‥
困難を乗りこえ自由な表現に挑み続ける
創作活動にたいして」。
能年玲奈さんのお名前で主役を務められた、
連続テレビ小説『あまちゃん』での演技は、
10年以上が経ったいまも、
たくさんの人の記憶に残っています。
さらに2016年、劇場アニメ
『この世界の片隅に』で主人公の声を演じ、
第38回ヨコハマ映画祭審査員特別賞を受賞。
2022年には、ご自身が脚本、監督、
主演まで担った映画『Ribbon』で
国際的に評価されました。
昨年2023年には、2枚めのフルアルバム
『PURSUE』をリリースし、
音楽の分野でも才能を発揮なさっています。
困難にあっても力強く、
真摯に創作活動をおこなってきた
のんさんに対し、
選考委員代表の平松洋子さんから
祝辞が贈られました。
平松洋子さん
「のんさん、能年玲奈さん。
このたびは、賞を受けてくださって、
ありがとうございます。
宮本信子さんをはじめ、
この賞に関わったすべての人が、
のんさんに賞を受け取っていただけて
大喜びしています。
私がのんさんに初めて出会ったのは、
日本じゅうの多くの方たちと同じで
『あまちゃん』が放送されたときでした。
『あまちゃん』を、
一度もリアルタイムで見逃したことがない
ということが、私の自慢なんです。
すごいでしょう?(笑)
ただ、一回だけ、仕事で
朝から五島列島に行かなくてはならず、
『あまちゃん』の放送時間に
どうしても間に合わなそうな日がありました。
そのときは
『ああ、私の記録が破られてしまう』と思って、
がっくりしました。
ところが、長崎から列島に行く船のなかに、
小さい座敷があったんです。
その座敷に、なんとテレビがあって、
ちょうど『あまちゃん』が点いていたんですよ!
それで、船に乗り合わせた島の方々と一緒に、
『あまちゃん』を観ることができました。
そのころ、
小泉今日子さんともよくお会いしていたので、
船を降りてすぐ、小泉さんに
『きょうも「あまちゃん」観た!』と
ショートメールを送りました(笑)。
それが、10年前のことです。
当時の私たちが『あまちゃん』から感じた輝きを、
いまののんさんが
まったく失っていらっしゃらないということは、
この10年間という年月を考えると、
奇跡のようなことだなと思っています。
ただ、今回の選考にあたるまで、
能年玲奈さんという存在と、
伊丹十三さんという存在を、
私は重ね合わせて考えたことがありませんでした。
このたび、のんさんについていろいろ知って、
あらためてのんさんと出会い直して、
『あっ、伊丹十三という人と能年さんは、
こんなに重なり合っているんだ』
ということに気づき、すごく驚きました。
ご存知のように、
伊丹さんは幼少のころから多才でしたが、
のんさんも中学生のときから
バンド活動などをなさっていました。
伊丹さんの持っていたさまざまな顔が、
のんさんが持っていらっしゃるものと、
非常によく重なっていたんです。
もうひとつ似ていると思ったのは
『恐れない』ということでした。
これまでの常識や、
目の前にある困難を恐れない姿勢が、
伊丹さんとのんさんには共通しているんだなと
感じました。
今回、のんさんに祝辞をお贈りするにあたって、
伊丹さんを
いちばんそばで見ていらした方のひとりである
玉置泰さんに、
伊丹さんはどういうふうに
困難を乗りこえてこられたのか、
いちばん印象的だったできごとはどんなことか、
うかがってみたんです。
そうしたら、
挙げてくださったエピソードのひとつに、
『以前は映画を撮るとき、
カメラマンがどういう映像を撮っているのか、
演者やほかのスタッフは見ることができなかった。
ところが伊丹さんは、
映像をスタッフと共有するために、
モニターを設置した』
というものがありました。
そんなふうに伊丹さんは、
やりたいことを実現するために、
映画界のなかで常識とされていたことを、
恐れずどんどん壊していかれました。
51歳になって初めて見つけた
『映画』という表現のなかで、
『自分はこれを形にしたい、表現するんだ』
ということを実現するために、
恐れることなく進んでいらした。
そのお姿は、のんさんのこの10年間の歩みに、
すごく通じるところがあると思いました。
賞の対象ということではなく、
ひとりの表現者として、
伊丹十三という人とのんさんが、
こんなにも重なるんだということは、
私自身にとってもすごく大きな発見でした。
私は、この賞に関わらせていただいて
15年になるのですけれども、いまだに、
伊丹十三という人がどういう人だったのかは
わかっていないような気がするんです。
でも、伊丹さんを考えるということは、
彼をひとつの像にまとめてしまい、
理解したつもりになるのではなく、
ひとつひとつの作品のなかでどういうことを
やろうとなさっていたのかを
考えることなんだと思います。
のんさんも、俳優や声優、脚本などの
さまざまなお仕事をなさっています。
私たちには、のんさんが
そのときそのときの作品に
力を注いでいらっしゃる姿から、
『今回はなにを表現したいんだろう』
と考えさせていただくことの喜びがあります。
ですから、のんさんに対しても、
『能年玲奈さんは、こういう人』と、
ひとつにつづめてしまわなくていいな、と
思っています。
伊丹さんが映画制作を始められたのは
50代になってからでしたけれども、
のんさんは30代ですから、
この先、キラキラと可能性だけがあるような、
そんな気がします。
それから、のんさんはきっと、
つくりたいものが外側ではなく、
いつもご自分のなかにある、
そういう表現者だと思います。
伊丹さんもそのように、
自分のなかにある、表現したいものに忠実に、
いろんな作品をつくっていらっしゃいました。
今後も、期待や希望といったキラキラしたものを
感じさせていただきながら、
のんさんの活動を拝見したいと思っています。
すみません、ちょっと長くなってしまいました。
ありがとうございました」
次に、選考委員の周防正行さんから、
表彰状が渡されました。
さらに、同じく選考委員の中村好文さんより、
副賞が贈呈されました。
続いて、のんさんが壇上に上がり、
受賞者スピーチをなさりました。
のんさん
「こんにちは、のんです。
このたびは、ほんとうにすばらしい賞をいただき、
心からうれしい気持ちでいっぱいです。
私は、無我夢中で、
『自分の思いを貫き通すぞ』という気持ちで、
活動してきました。
自分では、
すごく自信があるほうだと思っているし、
怖いもの知らずでもあると思います。
それでもときどき、
どれだけ褒めてもらえても、
自分がやった表現に対する疑いがなくならず、
『どうだったんだろう』と、
地の底に落ちるように
悩んでしまうことがあります。
そうやって立ち止まってしまったときに、
『これでいいんだ』
『自分のやりたいことを貫き通していいんだ』と
背中を押し、支えになってくれるような、
特別な賞をいただいたと感じています。
先ほど、平松洋子さんに
『伊丹十三さんと重なるところがある』
と言っていただけたことが
ほんとうにうれしすぎて、いま、大興奮です。
伊丹十三さんという方はさまざまな顔を持っていて、
どの面でも唯一無二の表現を突き詰めた方だと
思っています。
私もそんなふうに、
自分の表現を突き詰めていけるようになれたらなと
思います。
もし願いごとが叶うなら、
リアルタイムで『伊丹十三体験』を
してみたかったな、と、
切に思っています。
このたびは、このような素敵な賞をいただき、
ありがとうございます。
これからも、この賞に恥じぬよう、
精進し、挑戦していきたいと思います。
ありがとうございました」
会場からの大きな拍手が収まると、
宮本信子館長からのごあいさつがありました。
宮本館長は、『あまちゃん』では
「夏ばっぱ」役でのんさんとご共演された、
特別なご縁のある方です。
やむを得ない理由でご欠席でしたが、
ビデオメッセージをお送りくださっていました。
宮本信子さん
「のんさん。のんちゃん。
伊丹十三賞受賞、おめでとうございます。
のんちゃんが選ばれたと聞きまして、
私はすごくしみじみとしてしまいました。
授賞式に出席できなくて、
ほんとうに残念でしかたがありません。
のんちゃんとは、
『あまちゃん』の正式な制作発表のときに、
初めて会いましたね。
無口で、シャイで、
『ほんとうにこの子、大丈夫かしら』って、
私、思ったんです(笑)。
それで「この子をなんとしてでも守らなくては。
支えなくては」と、そう思いました。
そう、決めました。
それからのんちゃんには、
長い長い、苦しい道があって、
よく耐えてがんばったなあ、と思います。
でも、そのことをバネにして、
ほんとうに強く、大きく成長しましたね。
私はほんとうに、
こんな素敵なことはないと思っています。
これからも、身体を大切にしてね。
それから、もっともっと活躍して、
大きく羽ばたいてください。
私はずっと、応援しています。
のんちゃん。
あらためまして、おめでとうございました!」
その後、報道の方からの質疑応答では、
宮本信子さんから賞を受けたことについての
質問がありました。
のんさんのご回答を掲載いたします。
のんさん
「この賞をいただけるということは、
宮本さんも私を認めてくれたんだ、
ということが感じられたので、
すごくうれしかったです。
以前、宮本さんとお食事したときに、
私が書いていた長編の脚本を
見ていただいたんです。
そのときに、
『映画はそんな簡単なものじゃないのよ』と
喝を入れられたことがあって(笑)。
そのことがあったから、
今回お褒めいただいて、
ほんとうにうれしいなと思っています」
さらに、『あまちゃん』の撮影をとおして、
宮本さんから学んだことについて。
のんさん
「制作発表のときに、
宮本さんが『私たちが守りますから』
と言ってくださって、
そのときに『がんばらなきゃ!』と、
気合いが入りました。
撮影の最中も、宮本さんには厳しい面もあり、
すごくやさしくて
甘やかしてくれるところもありました。
私がほんとうにシャイだったので、
撮影スタジオの前室の着替え場所にこもっていたら、
『どんどん、おこもりしなさい』と
言ってくださって。
『おこもりしていいんだ‥‥!』と、
励みになりました(笑)。
それから、宮本さんの演技を間近で見て、
『こんな演技ができるようになりたい!』と、
俳優としても鍛えられました」
そのほかにも印象深い答えが続きましたが、
とくに、これまでの10年間を振り返っての思いが、
胸に響きました。
のんさん
「私が『能年玲奈』から『のん』になるときに
大事にしていたことは、
自分の信じること‥‥自分の持っているものが
『死なないようにしたい』ということでした。
だから、妥協ができなくて、いまに至ります。
迷ったり悩んだりするときもあるけれど、
『こんな自分だから、これがやれた』
『こういうことがやりたかったんだ』
と思える表現をつくった経験の
積み重ねを信じて、やってきました」
集まった全員が
のんさんへのお祝いの気持ちを共有し、
よろこばしい雰囲気のなか
式はおひらきとなりました。
会場には、サプライズで、
のんさんが「憧れ」としてお名前を挙げる
矢野顕子さんもいらっしゃっていました。
矢野さんがのんさんに楽曲提供をしたり、
フェスで2人で演奏したり、
のんさんが矢野さんのミュージックビデオに出演したり、
矢野さんがのんさんの
J-WAVEラジオ番組『INNOVATION WORLD ERA』で
対談したりと、普段からご親交があるそう。
矢野さんは、のんさんからのプレゼントだという靴を
履いていらしていて、おふたりの深い絆を感じました。
さいごに、お庭に出て、
毎年恒例の記念撮影がおこなわれました。
撮影:池田晶紀(株式会社ゆかい)
のんさんに関わる人々が勇気をもらい、
さらに応援したくなるようなお人柄が
伝わってくる式でした。
常にみずから考え、まっすぐに伸び続けるのんさんの
しなやかな姿勢を目の当たりにし、
尊敬の念が深まりました。
あらためて、のんさん、
受賞おめでとうございます!
撮影:池田晶紀(株式会社ゆかい)
なお、ほぼ日には、
糸井重里が『あまちゃん』に
出演させていただいた際のレポートや、
『あまちゃん』への感謝を集めたコンテンツ
「ありがとう、『あまちゃん』!」があります。
この機会にぜひ、ご覧ください。