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(第22回の3)
ゲームボーイアドバンス専用ソフト「黄金の太陽 開かれし封印」
タカハシ・ブラザーズ・インタビュー その3
ディズニーとチャプリン、それから「超能力」のこと。 |
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大ヒット中のゲームボーイアドバンス専用ソフト
「黄金の太陽 開かれし封印」。
「マリオテニス」などでもおなじみの
キャメロットのタカハシ・ブラザーズの新作です。
お二人に話を聞くシリーズの第3回は、
少年時代に影響されたという
ディズニーとチャプリンのことにはじまって、
そこから「黄金の太陽」の演出やシナリオ、
そして「超能力」のことなどへと話がすすみます。
盛りだくさんですよ。ではどうぞ!
●子供のもの? 大人のもの?
──:
ディズニーやチャップリンに影響されたということ、
もう少し聞かせてください。
秀五:
さっき、「眠れる森の美女」の話が出ましたけど、
うちに「眠れる森の美女」の背景の監督やってた
アイベンロールっていう人の絵があるくらい、
好きなんですよ。
──:
そうなんですか!
秀五:
ええ。子供の頃すごい印象に残ってて、
いま「ああ、この人があの絵を描いた人なんだ」って
思いながら見てるわけなんですが、
その人の絵って、心の底をのぞかれてるような
怖い部分を秘めてるんですよね。
大人になって見直すとそうなんだなっていうのがわかる。
でも子供の時に観てもなんか惹きつけられちゃったなあと。
よくよく考えてみると、
「眠れる森の美女」って実は
大人に対して訴えかけている部分が、
実はすごく強い作品なんじゃないかな。
実際、いま観ても楽しめるし。
大事なのはそこなんじゃないかな。
子供向けに作って子供をバカにしてる作品て
いっぱいあるじゃないですか、世の中には。
そうじゃなくって、大人が楽しめる。
まずそこが実は第一義にあるんじゃないかと思うんですよね。
当然子供もちゃんと楽しめるっていうのはあるんですけれど。
ウォルト・ディズニーの伝記を読んでも、
「なんでディズニーがこれだけ隆盛を誇っているんだと
思いますか」っていう質問に対して、
彼がディズニーランドを始めたのは、
自分が遊園地に行ったときに
子供しか楽しめないと感じたのがきっかけで、
自分も楽しめる、大人も楽しめる遊園地を造りたかったって
言ったっていう有名な話があるんです。
ディズニーの絵の作り方をみていても、実際そうだなと思う。
僕も自分で作りながら、子供向けやファミリー向けで
「マリオテニス」作ったからといって、
自分自身が楽しめなかったらそれはやっぱり違うよなって。
自分が子供だったとしたら、
親が一生懸命自分と戦ってくれたりしたら
楽しいじゃないですか。
自分が子供だったら、
親がわざと負けてくれたりしたらイヤだなって思う。
一面性の中に実は二面性を持っているっていうのが、
ディズニーのすごいとこなんじゃないかなと。
そういう面白さの部分で、僕らも
「大人しか楽しめない」「子供しか楽しめない」
というゲームにはしたくない。
そういうところで戦っているっていうのは
多分いつもあると思うんですよね。
チャップリンの映画って二人とも大好きなんですけど、
子供の時に楽しいところってあるんですよ。
例えば「モダンタイムス」で
踊ってるところで手にはめているカフスが
すっ飛んでいっちゃって歌詞がわからなくなって
適当に歌ったら大受けしちゃったっていうシーンとか、
みてると楽しいんですね、子供でも。
でも、大人になってくるとそうじゃない部分、
胸にぐっと来る部分がすごく見えてくるんですよね。
ああ、この映画って実はこんなこと言いたかったんだ、
なんかこう噛めば噛むほど味がでるみたいな。
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宏之:
僕ね、逆なんだよ、そこ。
秀五:
あ、そうなの?
宏之:
小学校の高学年、中学1年くらいだったかな、
多分ね、生意気だったんでしょうね。
チャップリンの子供だましっぽいところがきらいだったよ。
──:
チャップリンの、子供が見て楽しいって言う部分が?
秀五:
僕より5つ上だしね。
宏之:
だけど「ライムライト」なんていうのは、
年寄りの喜劇役者が自殺しようとした役者志望の女の子を、
養ってあげて、最後彼女は大スターになって、
自分は落ちぶれて、
彼女の口利きでまたステージに上れるようになった、
みたいなお話なんですよね。
そこでね、張りきりすぎてドラムの上に
おっこっちゃうんですよ。
それで脊髄を痛めて亡くなっちゃうという
終わり方なんですよね。終わり方としては。
秀五:
でも最後まで笑わせながらね。
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宏之:
でね、そこでね涙ボロボロ流した記憶があるのに、
いまみると別にどうってこと無いんですよ。
あれってすごい不思議ですね。
やっぱ、ある意味こういう仕事やってて、
自分でシナリオ書いてるっていうのとかあるんで、
どういう効果を狙ってこういう場面を作っているか、
とかいうのがね、透けて見えちゃうように
なってしまったのかもしれないですね。
面白いことに「眠れる森の美女」の場合は、
10年くらい前だったかな、
劇場公開が久しぶりであったんですけど、
「これはいいから」って言って
うちのかみさん連れて行ったんですよ。そしたらその時は、
大したことないんでビックリしたんですよね。
なのに、3年くらい前に、ビデオを買ったんです。
子供に見せてやろうと。
それで一緒に見てたらジーンとしちゃったんですよね。
それがすごい不思議で。
秀五:
でも、心に残る作品てさ、観たいときってあるんだよね。
なんなんだろうねあれ。
宏之:
僕ね思うんだけど、子供の時ってなにしろ
アニメが観たくてもテレビの放送がモノクロの時代ですから、
あんな色彩のアニメが観れるっていうこと自体が
凄かったんですよね。その幻想ばっかりが広がってたから、
実物大を観たときに割とショッキングだったんですよね。
で、そういうもんなんだなって分かってから
もう一度見直したらば、
やっぱり優れた作品だったていうのが見直せる。
……不思議ですよね。 |
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●メッセージではなく、リアルであること
──:
映画はほかにもいっぱい?
秀五:
映画はもうなんでも観てましたね。
宏之:
中学の頃は二次上映館とかに友達と一緒に行ってましたね。
秀五:
そのころはお互いに別々の行動をしてる時代でしたけれども、
僕は僕で池袋の文芸地下はよく行きましたからね。
当時は二本立てで200円で観られましたからね。
宏之:
大学時代は、テレビ関係とかラジオ関係とか
お手伝いしていた関係がありまして、
試写券とか貰えたんですよ。
これとね、自分で見に行くのと両方合わせて
年間100本は観てたんじゃないですかね。
そういうこともやりつつ……
秀五:
音楽も聴いて。
──:
プログレやブリティッシュロックを聴いて。
宏之:
そうですね……でも大学時代は
あんまり洋物は聴かなかったんですよ。
シティミュージックって言うんですか、
陽水だとか風だとか。
秀五:
達郎とかね。
宏之:
でも、日本はダサい欧米はかっこいいという、
そういう世代ではありますよね。
──:
実際にものを表現するときに、
凄いなというかライバルというか、
いつも意識している同時代の作家には
どんな人がいますか?
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宏之:
例えば、小説とかだとここ10年くらい
ずっと追っかけているのか夢枕獏さんとか……。
秀五:
キマイラシリーズは終わりそうにないね。
──:
あの方ってもともと純文学を志してた方なんですよね。
宏之:
やっぱね、表現力が素晴らしいですよね。
サラサラっていう擬音一つだけで
髪の毛にほんとうに細かな風が当たっているシーンを
表現したりとか、その表現力の豊かさっていうのが
すごいなあと思うんですよね。
──:
そういうのってゲームづくりにも
どこかで引っ掛かったりするんでしょうか。
宏之:
かつてね、7、8年くらい前の頃は、
イベント作りでも誰々さんがなんとかって言ったら
それに合いの手を入れるメッセージがあってっていう、
メッセージ同士でやり取りするみたいな
作り方をしちゃってたんですよ。
でも最近ここ5年くらいですかね、
なるべく動きでリアクションとらせるやり方に
変わってきたり。
メッセージじゃないほうがむしろリアルだよなって思ってね。
その、リアルだって感じるものって何かなって考えて。
だから、そういう本を読みつつ
「こういう表現ていいな」って思ったりしたら、
ゲームでもうまく表現できないかなっていうように、
作り方を模索していますよ。
──:
今回、そういう意味で、
ここ見て欲しいっていうのはありますか?
宏之:
集大成的な部分ていうのもありますんで、
いきなりまったく何もかも新しい、
というふうじゃないんですけど、
今回一番新しい試みは「リード」っていう超能力です。
秀五:
ひとの心を読むという。
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●自由度を高めるために
宏之:
最近のゲームで、
自分のゲームも含めてすごくイヤなところが、“一本道”。
ドラマチックにするっていうことと
自由度を高めることって相反しているんですよ。
だからこのゲームでも、
オープニングの部分から旅立つ部分ていうのは
割とイベントたっぷりなんですよね。
なんでかっていうと世界観を知って欲しいから。
世界観がわからないと、
「こういうことが起こるのは必然だ」
っていうのを感じないじゃないですか。
そこの部分だけはちゃんとね、
わかってもらうようにイベントで説明してるんですけど。
それ以外ってかなり自由なんですよ。要所要所で、
ストーリーの流れを大きく作るような部分はあって、
そういうところは絶対通るようになっているんですけれども、
それ以外っていうのは、
例えばあるエリアに街が三つあるというのがあって、
普通のRPGだと1,2,3ていう順番で行かないと
絶対通れないですよね。
もちろん、ダンジョンがあったらそれはさらに
その間に組み込まれているものであって、
これらをランダムで行くっていうのはできないはずなんです。
でも自由度があるっていうのは、
それをプレーヤーに選択させるってことだと思うんですよ。
でね、かといってメッセージで
王様のところに行けば教えてくれるシステムだと、
迷わないですけど、
プレーヤーはわざとやっているだけであって、
自分で選択してやってるわけではないですよね。
まあフラグで縛られていれば、言われたとこにしか行けない。
これまでだと例えば、
「王様に言われても別のとこに行けますよ」
っていうのがあってもそれは王様に反逆しただけであって、
結局はストーリー引っ張られてるのとおんなじなんですよ。
そうじゃなくて、色んなレベルで選択できる。
だからもちろん町中でいろいろ聞き込みをすれば、
こういうふうに行ったほうがいいのかなってのを
アドバイスを受けながら行くこともできるし。
でも、そういうのは必要ない、
だってそういうことをしたらもはやそれは冒険じゃない、
と考える人もいると思うんですよね。
そういうことを自由に選ばせるためにどうしても
“リード”が必要だったんですよね。
大体おかしいじゃないですか。
プレーヤーがその町に行ったら、いろんな人が
「どこそこに行ったほうがいいよ」
「こんなことがあるから気をつけてね」とかって
「余計なお世話だろうお前は」っていう(笑)。
それとは全然別のことで事件があって、
で、心の中を読んでみたら、
「なるほどいま事件があるから
あっちの方には行けないんだ」
「こうやれば行けるのかな」
っていうのがわかったほうがリアルじゃないですか。
だから、もっともっと冒険ていうか、
本当の意味での旅をできるような世界をつくるためには
どうしたらいいのかなって考えると、
超能力の一つとして“リード”が必要だった。
で、もうひとつは、ある人間の裏を読む面白さ。
言葉を遊ぶ面白さっていうのもありますね。
そういう意味で色んな遊び方っていうのが
この“リード”に含まれているのかなって思いますね。
──:
犬の心も読めるんですよね(笑)。
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宏之:
そうですね(笑)。色んなレベルで、
ゲームのうまい人はなるべくヒントを言わないで
遊ばして欲しいだろうし、
逆にナビゲーターみたいな形で誘導して欲しい人とか、
色んな人がいると思うんですよ。
そういう人たちがね、
あるソフトで等しく楽しめるように、なるべくね。
──:
しかもドラマチックで。
宏之:
ですね。だから相当欲張りなゲームですよね。
本筋の部分を楽しむのは誰でも、
ちょっとストレスを感じつつ、
でもきっと試行錯誤しながら
クリアしていけるんだと思うんですよ。むしろね……。
秀五:
うん。サブクエストっていうかね。
宏之:
超能力っていうかエナジーっていう能力の使いどころを
発見するのはプレーヤーにかかっている。
で、それはサブクエストですかね。
──:
心してやらないと。
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次回は最終回。いよいよ「黄金の太陽」の
もうひとつの仕掛けである「ジン」について
お聞きしました。どうぞお楽しみに!
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2001-10-11
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