その男には、任務があった。
この道に入って20年、
まさに彼が担うにふさわしい、
重大な任務だといえる。
あの日、ボスは言った。
バカラのグラスの曇りを拭き取りながら、
あくまでも、さりげなく、言った。
「ああ、そうだ、ひとつ頼みがある。
ヤギの鳴き声を録音してきてくれ。
むろん、ハイレゾの、すこぶるいい音で」
やれやれ。いつだって、あの人は簡単に言う。
モディリアーニの遺作を探せと言ったときも、
モンローの香水を手に入れろと言ったときも、
パナマのファイルをコピーしてこいと言ったときも、
「ついでにあれも頼むよ」という感じだった。
男はスカッシュとサウナと鉄板焼きをあきらめて、
機材を見繕い、アタッシェケースに詰めはじめた。
明日の早朝、上野動物園に出向き、
ヤギの鳴き声をハイレゾ録音する。
問題は、ヤギが鳴くか、どうかだ。
ヤギが鳴けば録音はできるが、
ヤギが鳴かなければ録音はできない。
簡単ではない。しかし、不可能でもない。
ツタンカーメンの墓に隠し部屋が見つかるくらいだから、
ものの五分で仕事は終わるかもしれない。
男はハイレゾ対応マイクの通電をテストしながら、
不安を払うかのように低く口笛を吹いた。
♪ しろやぎさん から おてがみ ついた
しろやぎさん たら よまずに た べた
果たして、彼は、ヤギの鳴き声を
いい音で録音できるのだろうか?
うまく録音出来ました。
完