ショーガール。
奥野史子・ラスベガスからの出発。

第3回 トレーニングin MONTREAL vol 2


4ヶ月間のトレーニングin MONTREAL。
これは、楽しくもあり辛くもあり…。
「トレーニング」とひとことで言っても
ショーへのオーディション機能を持った
過酷な4ヶ月間なのでした。

このトレーニングキャンプは、
「ショーに出演できる人材の育成」という以外に、
調整が出来ている人は、
トレーニング中であっても
現在行われているショーに
欠員(怪我や妊娠、結婚など)が出れば、
「即、ショーに合流っ!」
という事態もありえるものだったのです。
実際に、途中で数名のアーティストが
ショーの出演をGETし、
トレーニングキャンプから去っていきました。

人数が減っていくごとにメンバーは
「次はわたしよっ!」てな具合に闘志メラメラ状態。
同じポジション同士での精神的格闘は
凄まじいものでした。
けが人も多く、
「だれだれがじん帯切ったらしいよ~」
「だれだれが骨折したらしいよ~」
なんてことがしょっちゅう起こっていました…。
これはスポーツ選手には付きもの。
まして、サーカスですから
一瞬のミスで大事故になる可能性も十分あるのです…。

トレーニングが3ヶ月目を過ぎた頃からは、
毎週のようにミーティングが行われ、
「だれだれとだれだれがショーの契約を取りました!」
なんて発表がある。
これは本当に精神的にまいってしまった。
かなりノイローゼ気味になってる人や、
やけくそになってる人、
いろんな人がおりました。
けど、私は結構平気だった。
なぜか…。
これが人生の全てじゃない!
って言い聞かせてたふしもあった…。

50人ほどいたメンバーの中でも
トレーニング終了時に契約をもらった人は
結局十数人ほどでした。

私自身は、トレーニング開始当初、
当然契約をもらえると思っておりました。
が、ふたを開けてみると
「日本に帰って連絡を待ってください」
とのことでした…。
がび~ん。
「話しちゃうやんけ~っ!」
って、思いながらも、そういえば
「最初っから絶対契約もらえるなんて
 言われなかったな~」って。
甘い世界じゃないのですよ。
ここは。

そういえば…
トレーニングが始まる最初のミーティングで
ディレクターが言ってたな、
「ここに来ることが出来ておめでとう」って…。

メンバーの中には
シドニーオリンピックの出場権を蹴ってまで
来てる人もいた。
ロシアの一流体操選手(ロシアって体操強いからね)を
筆頭に、世界中の一流選手が集っているんですよ。
だからあの空間にいれば、
オリンピック選手だらけだから、
私なんてその他大勢の一人に過ぎない。

日本にいると過去の名声でなんかしら生きていけた。
過去のことなのにそれでも生きていけた。
でも、あそこはちがった。
久しぶりの感覚に最初は戸惑った。
けど、それがなんか嬉しくもあった。

「メダリストの奥野さん」
レストラン行っても、仕事の現場でも、
どこでもそう言われ続けた私が、
ただの「奥野さん」だった。

素の奥野史子で挑んだ4ヶ月間でした。
っていっても、
やっぱりオリンピックのメダル取ってなかったら
行けてなかったのかな~?とも思うが…。
うん、きっとそうに違いない。

世界水泳を見に行ったときに、
シンクロを客観的に見てみると
あの行進のしかたとか、あの鼻栓とかが
すごく不自然なものに見えたりした。

たまに、ふと思う。
シンクロやってなかったら、
どんな人生だったのかしら?と。
きっと今ごろサルティンバンコを見て、
「なんちゅうけったいな人らやろ」って思ってただろう。
(けったいなとは、関西弁で「変な」という意味)

人生ってどうなるか本当にわからないもんですよね。
今わたしは、その「けったいな人」の
一員になろうとしているんですから。

これからは「けったいな人奥野史子」を
ポジティブに捉えて、
このほぼ日を書き続けたいと思います。
「なんでわたしはこんなけったいな人生なんだ~」
って思うこともあるでしょうが…。
みなさん応援してくださいましね。

2001-08-23-THU

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