大村憲司を知ってるかい? 2年前の冬、短い生涯を閉じた、 あるギタリストの話。 |
【番組プロデューサー・佐渡岳利さんの話】
実は、この番組をつくる前まで、 大村憲司さんの事をあんまり知らなかったんです。 もちろん、名前も知っていたし、YMOとかの関係を含めて、 なんとなく、なんとなーく、触れていただけで……。 色んな人のCDや、レコードを聞けば そこに参加してる人だっていう、そういう認識でした。 もちろん生前お会いしたこともなかったし、 大村さん個人のライブとかも行った事がなかった。 だから「すごいギタリスなんだな」っていう 普通の音楽ファンとしての認識のレベルだったんです。 そんなでしたから、今回の番組制作のお話を いただいた時には 「僕でいいのかな?」と思いました。 ほんとに、いろんなディレクターがいて、 いろんな音楽の、いい番組を作ってる人がいるのに、 僕でいいのかな、っていう気持ちですね。 けれども、いろいろ資料を見たり、 音を聞き返してみたりすると やっぱりすごく魅力のある方なんです。 どんどん好きになっていっちゃうんです。 音の違いとかも、普通に聞いてるのと違って、 意識して聞きはじめますから、 そうするとやっぱり「音が違う」のが わかってくるんですよ。 そうして、トリビュート・ライブを撮ってた頃には もうかなり大村憲司ファンになっていました。 資料は、主に奥さんの聖子さんから お貸しいただいたものが多かったんですけど、 いっこいっこ見ました。 番組は、トリビュートですから、 大村憲司さんは、そこにはいないわけです。 でも最後に、あるライブの映像を入れています。 大村さん自体の映像が、もともと、そんなにない、 (だからあえて入れた)というのもあったんですけど、 大村さんの事をよりよく理解してもらうために、 そのことがいいのかどうか、 葛藤したところもありました。 彼のプレイを見せてしまう、 というのはどうなんだろうって。 僕は番組を作る時、自分で頭が固まってしまって、 自分だけ詳しくなっているのがコワイ時があるので、 デスクの子とかにみせたりするんですよ。 全然興味のないようなやつに、わざと見せるんですね。 そういうものに興味のなさそうな人をわざと選んで 見てもらって、自分の判断指針にすることがあるんです。 それで思い出したんですが、 以前、矢野顕子さんの番組をつくったときに 大村さんも参加されていたことがあって、 その映像を、デスクの子に見せたことがあるんです。 大村憲司を知らない子に。 そしたら、大村さんのギターを見て 「この人すごいね」って言ったんですよ。 だから、「お、なるほど」って思って。 やっぱり知らない人が見ても、音楽に興味のない人が見ても 大村さんのプレイが、なんとなく違う事がわかるんだ、 だから、大村さんのプレイも、映像で見せたいな、 と思っていたんですよ。 けれども、追悼番組的なせつなさ、を出すのではなく、 未来につながっていかなきゃいけないな、 っていう想いもすごくありました。 大村憲司さんの音楽は、 未来につながっていくっていう音楽だから、 悲しい、暗い、じゃ意味がない。 僕もリアルタイムではなく、 後から前倒しで聞いていったタイプだから、 そういう感じで今の若い人たちにも 聞いて欲しいなっていうのもあったし。 そしたら、悲しい番組として作るよりは、 前向きな姿勢で、こういう音楽があって、 これだけのミュージシャンがそれをすごく影響を受けて、 新しい形になって、新しい世代につながっていくんだ、 っていうのを、すごく意識したんですね。 コンサートの当日、僕は会場ではなくて、 中継車に入って見てたんですけど、 皆さん、すごくプレーヤーとして、 非常に誇り高くっていうか、 こういう場だからこそ自分の最善のプレイをしよう、 っていう気持ちが高まってた感じがしましたよね。 で、あれだけの人達が集まってるから、 「戦い」じゃないですけど、 常に憲司さんがいたときにやってたように、 「お、そうきたんなら、こうくるぞ!」 みたいな「礼の応酬」だった気がするんですよね。 あそこでしかなかった音楽家同士の関係みたいなのが、 よくわかった気がするんです。 編集も、いつものことなんですが、 すごく時間がかかりました。 ワンカットワンカット。 資料を提供してくださった大村さんの奥さんとお話してると、 すごく憲司さんのことを好きだって事が、 伝わってくるんですよね。 当たり前の事かもしれないけど。 奥さんだけでなく、ほんとにね、みんなが好きな事が ものすごくわかるんですよ。 プレーヤーの方がたも含めて。 だからこっちもやっぱり緊張しますよね。 仲間で、いい音楽を作りだす、 っていう事の素晴らしさっていうのがね、 すごくよくわかると思うんですよ。 それが大村さんがやってきたことでもあると思うし、 お互い尊敬しあって、実力を認めあって、 いっこの音楽を作っていくことの良さ。 大村さんは不幸な事に いなくなってしまったわけですけれども、 子息の真司さんっていう人も出て来て、 で、大村さんの真似ではなくて自分のギターをひいて、 だけどその精神を受け継いで、 また音楽が新しく進歩していくっていうのが、 ……彼すごく魅力があるんですよ、やっぱり。 惹かれるんですよね、話してても非常に純粋だし、 っていうのがあって。 彼も、これから自分が音楽家として、 どうやっていかなきゃいけないか、っていうのを、 これを機会にやっぱりものすごく感じたことが あったみたいです。 やっぱり、戦いのような、プレーヤー同士のやりとり。 ほんとうに刃物をつきつけあうようなね、緊張感の中で、 これからも僕もやってみたいっていうのを おっしゃってたんですよ。雑談の中でなんですけれども。 ナレーションは、坂本美雨さんにお願いしました。 それも、「新しい世代に」っていう意味も含めて お願いしたんです。 新しい世代が、新しい音楽を作っていくっていう……。 ちょっと、種明かしをしましょうか。 番組の最後に、憲司さんの演奏ビデオが流れるんですが、 憲司さんね、替え歌をして歌ってるんですよ、実は。 歌詞をかえて、 “ギターを弾くことで、それがみんなを ハッピーにするんだ” みたいな事を言ってるんですよね。 それがまたしびれました。 ミュージシャンとしての姿勢というか、 もう俺はギターを弾いたらそれだけなんだよ! っていう姿勢が、すごくあらわれてると思ったんですよ。 ギターを聞いてくれれば、 そこにすべてが入っているんだよ、 っていうのを宣言してる感じがして……。 【ギター・マガジン編集長 野口広之さんの話】
ぼくのつくっている「ギター・マガジン」の読者は ギターとギタリストに特別な思いのある人たちが 多いわけなんですけれども、その中でも、 大村憲司という人は、 特別な位置にいた人だと思うんです。 セッションミュージシャンの方、 いっぱいいらっしゃるわけなんですが、 大村さんというのは、どの人に聞いても、 ちょっと特別な感じを持ってる。 「ギターのフレーズをちょっと聴けば分かる」 「音色が独特のものがある」 「すごくエモーショナルなギターを弾く」 っていうようなことをよく言われるんですが、 単なるセッションミュージシャンっていうんじゃない、 っていうような位置なんですよ。 セッションミュージシャンって、 顔が無いっていうことで仕事が成り立っている、 という部分もあるんですけど、 大村さんの場合は、イヤでも顔が、 ギターのフレーズとかに表れる。 弾いてるフレーズを聴けば、一発で分かる。 曲を、歌をすごく引き立てるギターで、 1の歌を2にも3にもするようなぐらい。 そういう、曲全体のことを考えたプレーをする、 っていうことだと思うんですよね。 大村さんを信頼してるミュージシャンっていうのは たくさんいて、それが矢野さんであったり、 大貫さんであったり、細野さんであったり、 日本の音楽・ロックを作ってきた重鎮というか、 立て役者的な人に、大村さんのギターは なくてはならなかったというとこで、 その存在が証明されてるんじゃないかな、と思うんです。 彼が70年代の始めにいらした「赤い鳥」っていうのは、 コーラスグループで、 いま聴いてもぜんぜん色あせないような 素晴らしいグループだと思うんですけど、 そこに、大村さんとポンタさんが入って、 サウンドが強化されたんですよ。 バンドっぽくなったっていうか。 作曲やアレンジなんかにも、 大村さんがすごく参加していって、 次第に主導権を握っていって……。 「祈り」ていうアルバムが、 赤い鳥の最後のほうにあるんですけど、 そのアルバムは、大村さんが、 ほんとに大活躍したアルバムです。作曲もしているし、 演奏ももちろんしているし、 すごく大村さんのカラーが出たアルバムです。 そこからですよね、 ソロアーチスト・大村憲司っていうのが、注目されたのは。 当時、ライブを見た人の話では、 ポンタさんと大村さんが、完全にステージを 乗っ取ってるような感じだった、って言います。 その後もセッションやられて、 ギターワークショップっていう、 ビクターから出していたシリーズがあって、 フュージョン系のギタリスト4人、 渡辺香津美さん、森園勝敏さん、山岸潤史さんらが 集まって……それに、3回、参加されてるんです。 で、そこで、やっぱり、もうひとつ、 ソロアーチスト・大村さんの方向性みたいなのが、 定まったような感じがします。 それでかなり名前も知られるようになった。 そういうのが、だいたいYMO以前の話です。 70年代の始めから、だいたい中盤ぐらいにかけて。 それで、いま、さかのぼって聴いてみても、 ぜんぜん変わってないんですよ、大村さんて。 最初に赤い鳥で、音を出した時から、 大村さんの音って、ぜんぜん変わってないんです。 赤い鳥にいた、山本潤子さんに聞きましたけど、 もう、当時からああだった、って。 クラプトンの影響がすごく強くて、 ジャズも何でもこなせて、 音を出したら、一発で大村憲司の音だ、っていう。 あの時から、ぜんぜん変わってない、って。 いろいろなレコーディングに参加された方なので、 けっこうヒット曲にも入ってると思うんですが、 ただね、大村さんって人が、どういう顔をしていて、 どういう姿をして、っていうのを、 お茶の間レベルまで持ってきたのが、 やっぱりYMOだったと思うんです。 とにかく、すごくかっこよかったですよ。 それまではね、大村さんっていうのは、 音はするけど姿は見えないギタリストだったのが、 YMOで、いきなりテレビにバンバン放送された。 「すーごいギタリストがいるなー!」 っていうのが、僕はすごくショックだった。 こんなにかっこいいギタリストがいるのか、と思いました。 ストラトキャスターを、とにかく弾きまくるんですよ。 それがね、どうにもかっこいいんです。 YMOの後ろでね、ギターを弾きまくるんですよ。 「マップス」って大村さんの曲があって、 YMOのステージのなかの大村さんのコーナーで 演奏する。そうすると、ぜんぜん空気が変わるんですよ。 とにかく、ギターを、もう、延々弾いてるんですよ。 その弾いてる姿がね、もう、抜群にかっこよかったんです。 で、あれで「やられた」人、かなり多いんじゃないかな、 と思っているんです。 音が圧倒的に存在感があるっていうか、 上品な音で。上品で、すごいよく抜ける音なんですよね。 なんとも、筆舌に尽くしがたい音ですけどね。 すごい、綺麗な音で。 それから「春がいっぱい」っていうアルバムが出る。 僕はほんとに、聴きまくってました。あのアルバムをね。 こないだのトリビュート・ライブは、 素晴らしいライブでしたよね。 ああいう展開になるとは、 あんなに素晴らしくなるとは、 正直、思わなかったです。 出ていらっしゃる方が、ほんとにもう素晴らしいし。 憲司さんに対して、 ホントの気持ちをあらわしてるな、っていう、 そういう風に見ました。 憲司さんが亡くなってね、お通夜の席、 皆さんすごいミュージシャンがたくさんいらして、 村上ポンタさんが言いましたけど、 「ここに爆弾落としたら、日本の音楽界無くなる」 って。 ポンタさんと憲司さんって、兄弟みたいなもんで、 僕が雑誌で追悼特集を組んだとき、 ポンタさんに何を聞いていいのか、 どういう気持ちですか? って聞くこと自体、 もう、許されるのか許されないのか、 っていうぐらいのことだと思ったんです。 それでも、ポンタさんに聞かないっていうのは、 それもないだろう、っていうんで、 なんとかしつこくお願いし続けて、 言葉を頂いたんですけど、 やっぱり、その時、そういう風に言ってましたよね。 あの通夜の席に爆弾落としたら、 日本の音楽界なくなる、って。 きっと皆さん同じ気持ちだったと思うんですけど、 ポンタさんと。オオムラさんが亡くなった、ってことが、 信じられないんですよね。 大貫妙子さんもそうだったと思うんですけど、 「死んでないし、心の中にいるし、いつでも一緒だから。 音は残ってるから」って。 でも、もう、参加してもらえない、 っていう気持ちもあって、色んなことが、 ごちゃごちゃになってたと思うんです。 それを整理するのに、 時間がすごい必要だったんじゃないかな、と思ったんです。 だから、亡くなって半年後とか、3ヶ月後だったら、 トリビュートやりましょうといっても、 実現できなかったと思うんですよ。 心の整理を、まず一旦、皆さんしてから、 その上で始めて出来るんじゃないかな、 って気がしてたんですよ。 青山劇場のトリビュートの時は、 そういうことを、ほんとに皆さん心の中で整理つけて、 ほんとに、憲司、ありがとう、っていう気持ちで出てきて、 憲司さんの曲を披露したんじゃないかな、っていうのが、 すごくよく分かった気がしたんです。 青山劇場で開演の前に、ずっと、僕、外で、 お客さんの様子、見てたんですよ。 もちろんあんまり若い人、いなかったですけどね、 本当に憲司さんの音楽が好きで、本当にこの日のために 、楽しみにして来てる人たちじゃないかなー、って。 別に、その人たちと話したわけじゃないですけど、 そういう気が、すごくして。 実際、会場でライブ観てる人たちっていうのは、 ステージと、意志を通わせてる感じがしたんですよね。 ああいうライブって珍しいし、 特別な空間だな、と思いました。 だから、あそこの場合は、 ほんと、憲司さんが上から見てた、っていっても 信じられるし、そういうような、すごく、 スピリチュアルな感じがしましたよね。 ほんとね、不思議な感じでした。 |
2001-03-24-SAT
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