大村憲司を知ってるかい?
2年前の冬、短い生涯を閉じた、
あるギタリストの話。

【その後、寄せられた、ほぼ日読者からの手紙】

今までに何度か大村憲司氏に声をかけたことはあった。
いつも気さくに手を挙げたり、
返事を返していただいたりしていた。

が、目の前で話をし握手をしてもらったのは
番組でも紹介されていた'86年のター坊のツアーでのこと。
名古屋公演の後、ホテルの玄関に先回りして待っていた。

初めて目前で間近に見る緊張から
うまく喋れなかったのですが、
『今日のギターはまた最高に良かったですよね』
と云いながら右手を差し出すと、
笑顔で握手に応じてくれました。
思ったより柔らかい右手でびっくりしたものです。
時間にして1分足らずの出来事でしたが、
その時間は、私の中で非常に貴重な1分です。

'97年から昨年まで、日本を離れて年中常夏の南国にいた。
最後に憲司さんを見たのは何時だっただろう?

あの流星群の時、運悪く熱を出して
ベッドの上に横になっていた。
元気だったら車飛ばして高原の上へでも
見に行くつもりだった。
翌日ネットで目にした訃報。何てこった!

またベッドに戻り、
あの1分が何度も頭の中で駆けめぐっていた。
(Hyro Olyhashi)

        

憲司さんの思い出で、印象に残っているのは
青山の「マンダラ2」で「考える関西人」
(大村憲司、伊藤銀次、今井裕)
のライブを見にいったとき(多分96年か97年)に、
憲司さんがそのライブをお休みされていて
(気難しい方だったときくのでそういうことは
 けっこうあったと思います)、
そのときにマネージャーの柴田さんとお話したことです。
「憲司さんはこれからどういう音楽を
 やっていきたいと考えているんですか?」
ときいたときに、柴田さんは
「映画音楽がやりたいっていっているんだよ」
って教えてくれました。それも、日本映画ではなく
外国映画のサントラだということでした。
憲司さんが、スコアを書いたサントラ、
それはすごく聴いてみたい! と素直に思いました。
憲司さんの書く哀愁あるシンプルでポップなメロディー
(「春がいっぱい」に収録されているインスト曲や、
 未発表曲「ゴーイング・フォーム」あたりに顕著)は
サウンド・トラックというジャンルにピッタリな
素材ではないか? と想像がふくらみました。
憲司さん自身もすごく映画が好きだそうで、
「映画評なんかも書いているんだよ」ということなので、
後日、憲司さんの書いた映画評を
FAXで送っていただきました。
私は当時、違うジャンルの雑誌編集者をしていたので、
その憲司さんの映画評を持って映画関連の雑誌に
営業をかけてみましたが、掲載にはいたりませんでした。
それは「アポロ13」などの映画評でした
(その文章は、独特なギターの音色といっしょに、
 やはりすごく憲司さんらしい文章でした)。
憲司さんが、生きていてそういう映画音楽の分野で
活躍されていたらなーって思います。
25周年記念ライブでも最後に演奏していた映画
「ローカル・ヒーロー」のテーマを
情感豊かな憲司さんのアコギ1本の演奏で聴いたときにも、
それを感じました(憲司さんは日本のパット・メセニー的
ポジションをとっていい人でしたよね)。
そのことに、私自身なんの協力もできなくて、
申し訳なく思います。
憲司さんにもらったものは、すごく多いです。
20年以上もファンでいられたことも誇りです。
(白石順人)

        

今、ようやく実家から送ってもらった
『大村憲司トリビュートコンサート』、
観終えようというところです。
ずっとほぼ日での連載、楽しく、
また感慨深く読ませてもらってました。
みなさんも書かれてましたが、
憲司さんへの『想い』に満ち溢れた演奏に
ありきたりなコトバですが感動しました。
もちろんこのメンツですんで、
音が良くないハズはないのですが、そういう次元ではなく
(たんに音質が、ということでもなく)伝わるんですね、
ビデオからでも、ちゃんと。
音楽の力、ってすごいなって思います。うれしいです。
ぼくは札幌に住んでいますので、
東京まで『KENJI SHOCK』を見に行くことは出来ず
残念な思いをしていました。
が、ほぼ日で特集を組んでくれたり、
こうしてビデオを観ることで、
憲司さんの「音楽」を感じることができました。
(イマイ)

        

昨日、頼んでいたビデオテープを友人が
持って来てくれました。自分の家ではBSが映らないので
憲司トリビュートを見ることができないからです。
昨年の12月17日の青山劇場へKENJI SHOCKを
観に行ってきました。私の住んでいるは愛知県なので
簡単には行けないのですが、
このライブを見逃したら後で後悔するだろうと思い、
絶対に行こうと決めました。
当日、会場には早く着いてしまい始まるまで
すごく長く感じましたが、
とりあえず入場してホッとしていと、
何やらカメラが近付いて来て
「インタビューいいですか?」
と質問され、即答でOK! 
「大村憲司の魅力は?」と質問されて、
いろいろなことが一瞬にして頭を巡ったのですが、
「個性」と応えました。
そして、日本人ぽくないところ…と。
後から思ったのですが、大村憲司を一言では語れませんね。
やっぱり、その音楽性の懐の広さが好きだし、
ブルース、ロック、ジャズなど…、
だからといって例えば、ジャズだけに片寄るのではなく、
いろいろな要素が含まれていると思う。
また、それがたまらなく良い、そしてスタイルがあること。
演奏でテクニックをみせつけるのもパフォーマンスとしたら、
やはり大村憲司は心に届くギタリストだと思う。
何が凄いのかと聞かれれば、
聞いて感じてもらうしかないでしょう。
さて、ライブの方ですが、これまた最高で、
今までに味わったことのない充実感がありました。
本当に出演者すべての人のその演奏により感動しました。
特に沼澤尚の“のさせてくれる”ドラムや
ドクターKの“春がいっぱいの憲司ライブ盤完コピ”、
Charの“スピリット感じるプレイ”、
同じく矢野顕子の“心に伝わるプレイ”、
近藤房之助の“憲司を感じたギターロ”など
名演がいっぱいでした。そして、息子の真司くんには、
顔が父親とそっくりで驚きました。
プレイも何か大村憲司を感じる瞬間となりました。
これから頑張ってほしいですね。
大村憲司を知ったのは、やはりYMOのライブなどでしたが、
当時、中学生だった私は 「春がいっぱい」アルバムの
サウンドがとても好きでした。
それから月日が過ぎて1987年頃、
小原礼のピカレスク・コンサートが名古屋であり、
ミカバンドもその中でスポット的に演奏するという
ラジオの宣伝に興味をひかれ観に行きました。
基本的なバンドには、ギターで大村憲司がいました。
そして何曲目だったか「ALL MY LOVE」という曲で、
いきなりギターのカッティングから始まったんですが、
その音には本当にハッとさせられました。
13〜4年経った今でも忘れることなく覚えています。
その響き染みわたる音に出会ってから
真剣に大村憲司を聴くようになり、またそのスタジオワーク、
ライブ等の映像・音源をいまだに探し続けています。
知れば知るほど好きになってしまう、
そのギターには深さがあり、強さがあり、そして何より
大村憲司という個性が表れているのではないかと思います。

私が大村憲司で一番聴きたい(又は観たい)のは
バンブーの頃か憲ポンバンドの頃です。
バンブーの音源が全くといっていいほど無いですよね、
たぶん若い頃では、一番のっていた時期だと思うので
聴いてみたいと心底思います。
それと憲ポンバンドは、一回ライブを観ましたが
すごく良かったです。個人的にベースの青木智仁が
好きというのもあるんですが、
音楽的にも自由な感じで大村憲司らしいと思います。
本当は憲ポンバンドでのCD発売を心より望んでいましたが、
かなうことができず、非常に残念です。
番組では最後にそのシーンが流されていてうれしかったな〜。
赤い鳥のホームページでも憲司の音源を発掘していると
ありますが、是非CDとして発売を望みます!!
録音状態が良くなくても、それでも聴きたい!!
憲司さんの事務所の方、またそのレコード会社の方、
頑張って、音源がCDとして聴けることを期待しています。
(石川直)

        

赤い鳥のライブで、大村さんの曲
「特急列車サザンスペシャル」での
ギターのドライブ感はすごかった。
深町さんの「バンブーボング」でのソロ、
大貫さんのライブ、
「いつもどおり」のアレンジ、
矢野さんのライブ、
「ちいさいあきみつけた」でのワウのソロ。
みんな、みんな、これからも聴きつづけていくと思います。
人は亡くなったら、
残された人の心の中で生き続けるでしょう。
そして、そういう生き方も、尊くて、
すごく意味があることだと思います。
大村さんが亡くなって、
ちょっと不謹慎ですが、私は死が大分怖くなくなりました。
最近出たクラプトンのアルバムを聞くと、
大村さんが、トシを重ねて出す音を聞きたかったなぁと、
しみじみ思います。
素朴な疑問。大村さんはクラプトンと
共演したかったのかなぁ。どうなんだろ。(K)

        

大村憲司という人は私の中ではアイドルのような存在で
私はここ20年ぐらい普段はBLACK系の音楽しか
聴かないんだけれど憲司さんだけは特別で
チキンジョージなどで行なわれるライブには
それこそ彼女をほったらかしてでも駆けつけていたものです。
B.B.KINGやMuddy Waters等の著名なBluesman以上に
世界中で一番好きなギタリストでした。
BSの番組は涙ものでしたね、
貴重な昔の音源が聞けたりライブの様子が見られたりと
ただただ感謝しています。
メンバーの真摯な演奏には心を打たれました。
皆憲司さんのこと本当にすきだったんだろうなあ。
でも正直言って憲司さんがいないと
なんとも物足りない、心の空白が埋まらないのです。
アンコールでの愛用のギターのせり出の場面では
感無量でしたし、貴重なライブ映像での憲司さんのギターは
入魂というイメージですね。
私もあの曲をライブで聞いたときのことを思い出しました。
ケンジショックももちろんいいのですが
まだ聞かれていない方には
下田逸郎さんとの「ひとひら」や
近藤房之介さんなどのアルバムも
是非とも聞いていただきたいと思います。
柳ジョージさんとのアルバムも是非!
それと以前はぜんぜん興味がなくて聞いていなかった
「赤い鳥」での演奏も
「赤い鳥」のホームページを通して知り、
後から一生懸命探して聴きましたが、
もっと早くに聴いておけばよかったなあと
後悔するぐらい、すばらしい演奏です。
聴かず嫌いの人は是非聴いてみてください。
若い時期から本質的には晩年とぜんぜん変らないくらい
すばらしい演奏だったことがわかりますよ。
それでも、私にとってのとっておきの演奏は
8-8ロックデイの実況録音盤でのくん
ちょうセットの「ハイヒールスニーカーズ」と
「ジョージアオンマイマインド」、
これには私も行っていたのですが
夕暮れの中でのジョージアオンマイマインドでの
ギターは感動したなあ 、あのときの他の音源も
ぜひとも聞いてみたいものです。何とかなりませんかね。
(テレビの放映もあったように記憶していますが)
それとM.O.さん同様Tokyo RoseやLocal Heroは
ぜひともCD化してほしいものです。
あとノブケインでの溌剌としたプレイが
もう一度聴きたかったなあ。
神戸のライブはぜひとも行きたいと思います。
(大村 悠二郎)

        

ぼくは、知らなかったけど知っていた。
ぼくが、小学校3年の時クラスの合唱曲
「翼を下さい」に大村憲司はいた。
ぼくが、小学校5年の時友達の兄貴の影響で
「Y.M.O」にはまったが、そこにも大村憲司はいた。
そして僕は、何も知らないまま「ほぼ日」で、
大村憲司がいなくなったことを知った。
しし座流星群の夜に・・・。
いつもの天体ショウならばあまり興味が無かったが
「しし座流星群」は何故か寝ないで見ていた。
でも、その何故かに結び付ける気は無い。
なぜなら、もう彼の事を忘れないから。
(さとうひさじ)

        

80年代、日本のほとんどのスタジオギタリストが
にせジェイ・グレイドン、スティーヴ・ルカサーに
なっちまったとき、ケンジさんはケンジさんでした。
そんなのに幻滅して神戸に帰って
親父さんの仕事継ごうと思ったのかなあ。
熱いソロも良かったけど、
吉田美奈子さんのアルバムでの
とろけるようなバッキング・・・・
素晴らしかった。(taka-G)

        

大村憲司氏の死を知ったのは、
沼沢尚さんの「the wing of time」のCDが
ラジオ番組で紹介された時でした。
亡くなってからすでに数ヶ月経っていました。
ショックで、悲しくて、悔しくて、そのCDを購入し、
1度聞いたのを最後に、
私は、憲司氏のアルバムを聞くことを封印してしまいました。
聞くと涙が出てしまうから・・・・・。
あれから約2年。
トリビュートコンサートが開催され、
本来であれば這ってでも行くつもりでいたのに、
やむをえない事情で、行くことが出来なかった・・・・。
本当にツイていないな・・・、
と悔やまれてなりませんでした。
だから、BSで放映されるという情報を得た時は、
天にも昇る気持ちでした。放映日前から、
気合が入っていたことは言うまでもありません。
録画してみたのですが、
正直なところ、生前の憲司氏の演奏風景などが、
もっと見たかった。
(放送終了5分前に、流れていたような・・・・)
だけど、憲司氏のために集まったあのメンバーは、
圧巻でした!!
改めて、憲司氏の偉大さを実感しました。
放送が終了した後、
本当に憲司氏は逝ってしまったんだ、
だけど憲司氏のギターは私の中で行き続ける・・・・・と、
私の中でやっと整理でき始めました。
この2年間封印していた憲司氏のアルバムを、
やっと、聴くことが出来そうです。
しばらくやめていた、
憲司氏のクレジットされているアルバムを探し集めることを、
また始めようかとも思っています。
息子真司くんを始め、皆さんの語る憲司氏のお話は、
私にとって、より憲司氏を身近に感じました。
憲司氏の生のギターは、
akkoちゃんの「スーパーフォークソング コンサート」で、
ただ1度きりでした。
目を閉じれば、鮮明に共有したあの刻を思い出せます。
大村憲司は、私の心の中で生き続けます・・・・・。
(はなこ)

        

ボーカルのいないライブに行った事が無かった私が
神戸でのセッションライブに行く機会があり
そこで初めて憲司さんに出会いました。
渋いおじさまが寡黙にギターを弾いてる姿に
すっかり魅了され、演奏を聴く楽しさを教えてもらいました。
そのおかげで今の音楽好きな私がいるんです。
でも今でも後悔しているのが憲司さんの神戸での
最後のライブに行けなかったことです。
大好きな憲司さんのギターをもう生で聴くことができないと
知った時のショックはあまりにも大きいものでした。
まだ私はどこかで「大村憲司」の音を
探し続けているのかもしれませんね。
(タカタカ)

        

1998年12月15日に大阪フェスティバルホールで聴いた、
矢野顕子さんの”さとがえるコンサート”にて。
アンコールでステージに再登場した矢野顕子さんは、
ピアノの前に立ち、
ホールの天井を見上げながら語りました。
「じゃ最後に、関西が生んだ名ギタリスト、
 先ほど亡くなりましたが、
 大村憲司も大好きだったこの曲を。
 一緒にみんなで楽しめればと思います。
 『また会おね』。」 
そうして、
天井を突き抜けるほどに鳴り響いた聴衆の手拍手と、
矢野顕子さんによる「忘れない」という歌声とが、
大村憲司さんに捧げられたのでした。
次の曲の『David』においては、
矢野顕子さんは泣いているみたいに、
笑いながら歌っていました。
この日のライブのセットリストとレポートを
当方サイトに掲載させていただいています。
http://www.age.ne.jp/x/toriumi/live/981215.htm
ところで、大阪に押尾コータローというギタリストがいます。
『戦場のメリークリスマス』のオーケストラヴァージョンを
ギター1本で弾いてしまう彼が最も影響を受けたアルバムは、
大村憲司さんの『春がいっぱい』だそうです。
こうして、大村憲司さんのスピリッツやプレイは
時代を越えて、弾き継がれていくことでしょう。
是非とも神戸チキンジョージのライブに
出かけたいと思います。(鳥海なおみ)

        

石川セリさんのアルバム 「星屑の街で」 のラスト、
「星屑の街で抱きしめて」での、
ほんの数小節のギター・ソロに
「誰?コレ」 と思わされ、
次のアルバム「メビウス」 で
そのキレイな音にすっかり魅せられたのでした。
ライヴ収録された彼女の公演
(1983年・東京厚生年金会館) のアンコール曲
「マクロコスモス」 は、僕にとって
イチバンの憲司さんが居る場所です。
セリさんのご主人の井上陽水さん達と共に、
ステージ上に呼び出された矢野顕子さんが、
彼女の衣装を直してあげている時、
偶然マイクに当たった音に驚く憲司さんが
何故か印象に残っています。
憲司さんのギターは、どんなに歪ませようと
キレイに感じるのが不思議です。
そして、凄いです。
さらに、獅子座流星群の降る日に亡くなるなんて、
どこまでもオシャレです。
その人が奏でる響きを直に浴びれたことを幸運に、
ついでにチョットだけ自慢気に思うのです。
(OSAWA)

        

憲司さんのトリビュート番組観ました。
私は、コンサートを両日とも観ていたので、
あの会場で受けた程の衝撃はなかったにせよ、
古い映像や音源、インタビューなども織り交ぜられた
とても良いトリビュート番組だったと思います。
それがNHKで放送された事もとても嬉しかったです。
(憲司さんの功績を考えると当然のこととは思いますが…)
青山劇場で私は、あのコンサートを嬉しさ半分・
悔しさ半分の複雑な気持ちで観ていました。
嬉しさというのは、“憲司さんのアルバムに収められている名曲の数々が、ホールで演奏される”という私の夢が
ようやくかなった事で、憲司さんが信用していた
ミュージシャンのサポートによるFAR EAST MAN、
春がいっぱい、LEFT HANDED WOMAN、YUMEDONO、
SHOCKなどをとてもワクワクしながら聴いていました。
また、小学生の頃YMOの洗礼を受けた私にとって、
幸宏さんのボーカル&アッコちゃんのコーラスによる
RADIO JUNKも懐かしさで震える程でした。
悔しさというのは、やはりこのステージの主役として
当然中央でギターを弾いていなきゃいけない
憲司さんがいなかったことです。
憲司さんのオリジナル、または憲司さんが関わった曲が
これだけのメンバーによって演奏されているのに、
どうして本人がいないの?、
という(ゆがんだ?!)ファン心理から、悔し涙も流しました。

1台ずつスポットを浴びた憲司さんのギターが
誇らしげにステージに現れた瞬間、
目には見えなかったけど確かに憲司さんの存在を感じました。
まだ憲司さんの死を受け入れられていなかった私は、
あの時本当に泣き崩れました。
どなたかが書かれていましたが、
私も憲司さんが亡くなってから初めて東京へ行った日、
安養寺へ行ってきました。
そして今年初めて見た夢で憲司さんに会いました。
夢の中では別の形だったけどお別れする事ができました。
私思うのですが、突然逝ってしまった憲司さんが
近い人から一人ずつ夢に現れてお別れを言って
回っているのじゃないか、と。
私の所へ来るのに2年かかりました。
ようやく憲司さんのことを冷静に考える事が
できるようになり、このトリビュート番組も素直に
“良い番組”として観る事ができました。
私にとって“大村憲司”というアーティストは、
研ぎ澄まされたセンスをもって
研ぎ澄まされた音・楽曲を生み出し、
人々に大きな感動を与える“普遍の作品”そのものです。
(田畑 玲子)

        

私は大村憲司さんを宮沢和史ソロコンサートで
初めて知ったクチです。どうしてあのギターの方は
あんなすごい音を出してるのに
座って演奏してるのかなぁ…なんて思いながら…。
そしてまさかまさかの訃報に時間が止まりました。
宮のコメントを後日見ても涙が溢れました。
放送のはじめの部分の大村さんのコメントでそ
の姿勢がよく判りました。小説や映画に任せて…
そう、音楽って自分だけの映像が流れる時があります。
特にインスト物はそうです。
『KENJI SHOCK』を
まだ聴いたことがないので(発注済です)浅野さんが弾いた
最初の曲が私にとっての初大村憲司でした。
その曲調に知らず知らず涙してました。
最近3度目の結婚(まだ正式にはしてないですが)をして
田舎から東京へさっさと引っ越してしまった
人騒がせな妹へのはなむけに聴こえたからです。
山あり谷ありで喧嘩の絶えなかった妹への
訣別のような希望のような、暖かさが勝ってるかな、
そういうメロディーであり浅野さんの音色でした。
いろんな事が心に浮かんでしまいました。
今更もっと早く大村さんを知っていたら…
とは言いませんが
どうかあの場にいらしたミュージシャンの方々が
元気でいてくれるのを祈ってます。
何だかとっても私的な感想ですみません。
(ひらの)

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「大村憲司」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2001-04-13-FRI

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